Fairy Tale 6 辿り着いた果ては荒野。 何もない、ただ剣の乱立する丘。 正義の味方の果てが、こんな場所だって事知らなかったけれど。 それに、後悔はない── 赤い赤い剣の丘。 落陽の染める赤い丘。 無数の人がその身より零した血で、その丘は赤く染まっていた。 「ああ……」 見渡す限りの死屍累々。 その光景を眺めながら、衛宮士郎は息を吐く。 救えなかった。 少の犠牲を是として、それでも多くを救おうとして、失敗した。 それがもっとも理に適った選択である事は明白で、そうする事でしか衛宮士郎は己が理想を貫く術を持たなかった。 その為に何人も犠牲にしてきた。 犠牲にしたものより多くを救う事で理想は歯車として廻り続けてきた。 それが今、破綻した。 救えた筈の人々を救えなかった。 ならば今目の前にあるこの光景は、衛宮士郎が引き起こした惨劇そのもの。 血に染まった剣。 血に塗れた人々。 その丘の上で膝をつき、青年となった少年は、腕の中で細く呼吸をする少女を見る。 「イリヤ……」 イリヤスフィールは短命を約束されていた。 母親であるアイリスフィールの胎内にいる時より聖杯としての機能を付与する為の無理な調整を施されたせいで、あの第五次聖杯戦争当時でさえ、士郎らとほど近い年齢でありながら、その身体は矮躯のままだった。 元よりあの戦いの後に打ち棄てられる筈だったもの。真の杯を完成させる為の試作品に過ぎなかった少女が、こうして、あの戦いより数年の日々を生き抜いた事は、奇跡としか言いようがない。 だが、それもここまで。 きっかけは戦場における被弾。 一瞬の隙を衝かれた手痛い失態。 しかしそんなものは、あくまできっかけに過ぎない。 壊れ始めていたイリヤスフィールの命の砂時計に、最後の一押しをくれただけ。たとえ被弾しなかったとしても、後数日持てば良かった命。 イリヤスフィールは自らの死期を悟っていた。 知っていて、士郎には黙っていた。 気丈に振舞い続けた。 約束があったから。 ずっと一緒にいると、誓い合ったのだから。 「シ、ロウ……ごめん、ね」 これからの道を一緒に歩いていけなくなる事にではなく──自らの嘘が招いた、この惨劇を謝罪した。 ただ傍に居たかったから、嘘を吐いた。 隣を歩いていくと決めたから、自分自身を誤魔化した。 結果、招いたのは最悪の災厄。 衛宮士郎の理想を壊す──引き金を引いてしまった。 そっと震える手を伸ばし、青年の顔に触れる少女。 少年は青年へと成長する過程で、過度に自分の身体を酷使した。失ったものに報いる為にその身体を率先して投げ出した。 身に余る魔術行使は術者の身を滅ぼす──今や少年の白かった肌は黒く焼け付き、赤銅色の髪は白く色素を失っている。 そしてその身を纏う赤い外套。その姿は──赤い魔術師と共に戦場を駆け抜けた、赤き弓兵そのものだった。 士郎もいつしか自覚した。自覚してからは、加速度的に成長した。あの男が衛宮士郎の到達点であるのなら、その場所に辿り着けない筈がない。 そうして身体を酷使する度に、その身体は一段とあの弓兵へと近づいていった。 そうして生き急いだ結果、目に映るのは惨状。衛宮士郎はその手で掴んだ少女を守ろうとして、結果、多くの人々を犠牲にした。 「イリヤのせいじゃない……これは、俺の失態だ」 「違う……違うよ……シロウはなにも、悪くない……」 互いの責を庇いあったところで、目に映る光景は変わらない。死者は還らず、生死の狭間で呻く人々の嗚咽だけが、風に乗って聞こえてくる。 それはまさに──衛宮士郎が生まれたあの日、あの地獄で見た光景そのものだ。 この光景を繰り返したくなくて、正義の味方になると誓ったのに。 その為に、無垢な人々を切り捨てて来たというのに。 これでは何も、救われない。 衛宮士郎の理想は破綻する。それは綱渡りのようなもの。ただ一度の失敗で、容易く脆くも崩れ去る、砂上の楼閣。 それでも士郎は、動じなかった。もう、この理想を追い続ける事に、いつしか疲れていたのかもしれない。 イリヤスフィールと共に歩むと誓った荒野への道。イリヤスフィールがここでその歩みを止めてしまうのなら、士郎もまた── 「ダメ、だよ……シロウ、……それじゃ、何も救われない」 「──────」 それはいつか聞いた、救えなかった少女の言葉に酷似していた。崩れ去ろうしていた歯車を、その言葉が繋ぎ止めた。 「シロウは、こんなところで諦めちゃダメなんだから……そんなシロウは、キライ……」 「イリヤ……でも俺にはもう……どうしようもない。どうする事も出来ないんだ。この手は誰かを死地から掬い上げる事は出来ない。ただ未然に争いを回避するしか、その為に手を汚す事しか出来ないんだ」 「うん……シロウは、いっぱいいっぱい救ったもの。誰もその行いを知らなくても、わたしだけは、ずっとずっと覚えている」 起こり得る惨劇が未然に防がれたとするならば、当然死ぬ筈だった者は生き延びる。ただその当事者達は救われた事を知らない。救われたとすら思うまい。 士郎はそれでも良かった。 見返りなんて求めていない。感謝なんて欲していない。ただ、一人でも多くの人が笑ってくれているのなら、それで良かったのだから。 そしてこの少女が隣にいてくれるのなら──後は何もいらなかった。 「でも……今回だけは、ダメだよ。これはシロウのせいじゃない……これはわたしのミスだから、その償いは、わたしがしないと」 細められた瞳が天を見る。薄い雲に覆われた赤い空。昼と夜の狭間にある刹那の間隙。黄昏の時に、イリヤスフィールは最後の力の行使をする。 「でもわたしじゃ……きっとみんなを救えない。救えるのはきっとシロウだけだから……」 イリヤスフィールはその身に宿る聖杯の奇跡を使い、“世界”と士郎との架け橋となる。 それはいつかイリヤスフィールが士郎に語り聞かせた事。世界との契約。己の死後を差し出す代わりに、この世に奇跡を顕現する方法。 自らの力で英雄となった者達とは違い、世界の助力を借り英雄となる契約。 その誓約書にサインをした者は、世界に枷を嵌められる。世界の都合の良いように扱われる。 引いてはそれは、守護者としての使命を帯びるという事。 世界が危機に瀕した時、時間の輪から外された守護者が降臨し、滅び行く世界を救うというある種の寓話。 その契約を今──イリヤスフィールは士郎に持ちかけた。 「最後は、シロウが決めて。契約なんて、しなくてもいい。シロウはこのまま──」 「いや、契約するよイリヤ」 「いいの……?」 「ああ。目に映るこの光景を救う為に、それが必要ならば、幾らでも契約しよう。それに死後にまで人助けが出来るんだ、それが、悪い事である筈がない」 「……本当に、いいのね?」 「ああ。これは俺自身の選択だ。イリヤに責任を押し付けたりはしないから」 それが夢想であるとは気付かない。 それを知る術は、この時にはないのだから。 「──契約しよう。我が死後を預ける。ここにその報酬を貰い受けたい」 天を仰ぎ、契約の呪文を口にする。 衛宮士郎はこの瞬間より、世界による枷を嵌められ、奴隷となる契約書にサインをした。 どのような形で奇跡が起こるのかは分からない。 それがどれほどの時間の後に執り行われるかも。 今は目に見える変化はなく。 ただ──腕に抱いたイリヤスフィールの身体だけが、砂のように崩れていく。 「イリヤ……なんで……!」 「ごめん、ね、シロ……ウ……」 今度の謝罪は、共に歩めなくなる事への。 奇跡はこの光景を救うだろう。 死に行く人々を救済するだろう。 だがそれは、あくまでこの場で死ぬ運命にはない者のみを救うもの。 イリヤスフィールの身体はとっくに限界を迎えている。その身体で世界との架け橋になる為に力を行使したのだ、もう命など一滴も残ってはいまい。 衛宮士郎は理解する。イリヤスフィールはもう助からない。奇跡ですら、彼女を救う術を持たないのだと。 「イリヤはさ……」 なら、せめて彼女が安らかに眠れるように、 「イリヤは、幸せだったか?」 確かな笑みを浮かべよう。 「そんな……あたりまえのこと、聞かないでよ。うん、イリヤはね、シロウと一緒で幸せだったよ」 「イリヤはずっと俺の無茶に付き合ってくれた。俺の歪な生き方に付いて来てくれた。 俺はイリヤにたくさんのものを貰ったってのに、イリヤには何一つ返せてないんだ。それが──」 ──心残りだ。 もっと同じ道を歩む者としての当たり前の事をしてやれば良かったと、この時になって少しだけ後悔した。当たり前に手を繋いで、街を一緒に歩く。そんな当たり前のことさえ、最後にしたのはいつだったか、思い出せない。 それほど長く戦場に身を置き続けた。失ったものに報いる為に、ただひたすらに走り続けてきた。手を繋いでいた少女が、息を切らせている事にすら気づかずに。 「シロウはほんとうにバカね。いったい何度いったら、分かるの……イリヤは、シロウと一緒にいられるだけで、幸せだったんだって」 切嗣に置いて行かれたから、今度は置いていかれないように、少年の手をずっとずっと握ってきた。その手を離さなければ、ずっと一緒に居られると思っていたから。 「シロウはわたしの手をずっと、はなさないでいてくれた。いっしょに、同じ道を歩いて来られた。それが、それだけで嬉しかった。 でも、これから一緒にいられなくなるのが、くやしいよ……」 「イリヤ……」 避けえぬ別離。いつか来る別れ。それが今だったというだけの、話。本当ならもっと昔に事切れていた筈のイリヤスフィールが、今まで生きてこられた事を思えば、それは幸福なのだろう。 「もう……一緒にはいられない、けど……それでも、わたしは……いつでも……いつ、までも、……シロウ、の、味方だから──」 世界にたった一人だけの、正義の味方に味方するもの。その果てのない荒野への道を、共に歩いていく者は。 「だからシロウは、最後まで──じぶんを、しんじて、あげて……ね──」 「ああ……俺は、オレは──この道を、イリヤの繋いでくれたこの無様な夢を、この身朽ち果てるその時まで、その果てまでも、貫き通す事を君に誓おう」 「うん……ああ──」 瞼が重い。 もう少し、もう少しだけ、彼の顔を見ていたいのに。 その、泣きそうな顔で笑う貴方の頬を、優しく撫でてあげたいのに。 命の砂はさらさらと流れていく。 もう指一本動かない。 落ちる瞼を止めることは、出来そうにないから。 「わたしは、……イリヤ、は、ね……」 その最後に。 「シロウのことが、大好きだよ────」 最愛の人に贈る──もっとも大切な言葉を囁いた。 「ああ──オレもイリヤが、大好きだ」 少女はその瞳をゆっくりと閉じた。 愛した者の腕の中で眠りにつく。 決して覚めぬ、永劫の眠りについた。 その顔は、共に歩んだ者を誇りに思うが故のもの。 余りにも美しい笑みを残して、少女は一人、少年の夢を繋いで、その生涯を終えた。 せめてその眠りの先にある夢が、幸福なものであるようにと、 少年は一人、丘の上で祈りを捧げる── その日──丘の上に慟哭が響いた。 共に歩んだ者への哀悼の意を伝える、世界の外にまで届く慟哭の声。 きっとその声は少女へと届くだろう。 少年はきっとその悲しみと少女の願いを胸に、無様な理想を、その生涯を終えるその時まで張り通すだろう。 「さあ……行こう」 この手で救えるものは余りにも少なく。 全てを掬い上げるにはその掌は小さすぎた。 それでも少年は、胸を張ってその無様を誇り続ける。 失ったものに報いる為に。 共に道を歩んだ少女に恥じないように。 切嗣より託され、イリヤスフィールが繋げてくれた、 これは少年と少女の物語。 たった二人の為に誂えられた──儚くも美しい、 執筆期間:2010/010/08〜2010/10/20 了 web拍手・感想などあればコチラからお願いします Fairy Taleの後書きはこちらから back |