人間凶器と怨天大聖









 ────ぬるり、そんな感触が肌に絡みつく。
 目を背けたくなるような、地獄と形容するのもおこがましい死の淵。

 とてつもない不快感。
 抗うことの出来ない侮蔑。
 果てる事のない憎悪。
 嘆く事すら叶わぬ憐憫。
 拭いきれない嫌悪感。
 呪詛の如く注がれる怨嗟。

 そして────絶対悪という名の信仰。

「──────っ、はあっ、はあっ、はっ………」

 そこで彼女は目を覚ます。

「そう、か。私は、また…………」

 繰り返されるマーダーゲーム。死してなお終わりのない聖杯戦争。
 そう、今回もまた彼女は死んだのだ。

「くっ…………死なないと解っていても、避けられないと解っていても、あそこを通るのは気持ちが悪い」

 死なない、というのは語弊がある。死んでも最初からやり直せる、と言った方が正しいだろう。
 それはこの聖杯戦争という舞台においてこの上なく規格外の能力。なぜならそれは、その手にリセットボタンを握っている事と同義だからだ。
 何度死のうとセーブポイントのある現在へと帰還する能力。それは幾ら敗北を繰り返そうと最後には勝利を約束されているという事。
 相手の力を図り、彼我の能力差を見極め、勝てる戦場を用意し戦況を覆す。先が見えているのだから、より的確な行動を取れる。

「ですが…………これは素晴らしい能力だ」

 無敵に近い能力を得た代償として支払う死からの蘇生に伴う闇の淵での出来事。それはバゼットに吐き気を催す程の不快感を植えつけるが、耐えられないという程のものではなかった。むしろ代償としては安いものだ。

 それが現在、アヴェンジャーのマスターたるバゼット・フラガ・マクレミッツの把握している彼の能力。
 だが物事がそう都合よく進むわけはなく、大きな落とし穴があるのだが、彼女はそれに気づかない。

「おかげで敵の能力は把握できました。これで我々に二度目の敗北はない。
 そうでしょう、アヴェ────」

 そこでようやく彼女は気づいた。

 いつもなら自分が起きた直後に『よう、起きたのか、マスター』と投げかけられる気だるげな言葉はなく。
 いつもなら闇に響く、カチ、カチ、カチ、というパズルのピースが滑る音もしなかった。

「…………アンリマユ?」

 蘇生からの後遺症か、ギチギチと軋む身体に鞭をいれ身体を起こす。
 それと共に胸を支配するのは生きているという充足感。

 それでもまだ霞む視界。それを払うように頭を振って思考もクリアに。
 そうして室内を見渡してみれば、やはり彼の姿はなかった。






人間凶器と怨天大聖/Lethal Weapon & Avenger




/1


「アンリ! いないのですか?」

 呼びかける声に応える声はない。

「まったく…………」

 意識を集中し、気配を探る。しかし根城としているこの屋敷内には彼の気配が感じられなかった。
 ともすれば推測されることは一つ。

「…………外に行ったのでしょうか」

 今までアヴェンジャーが勝手な行動をすることはなかった。いや、外に出れば好き勝手に殺しまわろうとする輩ではあるが、彼女が目覚める時は大抵彼は側に居た。だが今回はいない。
 しかし、彼の性格を省みればその程度動じる事もない、とバゼットは思い直した。

「そのうち帰ってくるでしょう。どうせ彼一人ではサーヴァントに太刀打ちできない。それは彼も解っているはず。
 この余った時間は前回で得た敵の情報をまとめ、より効率的な攻略ルートを模索する為に当てましょう」

 ────そう、私達に時間制限はないのだ。ここで焦る必要性は皆無。

 そうしてソファーから立ち上がり、アヴェンジャーがいつも座っているテーブルにつこうとした時。

「────ん?」

 月明かりを受けるアンティーク調のテーブル。
 その上に見慣れない、淡い光を反射している真っ白な一枚の紙切れが目に止まった。

「これは…………」

 バゼットの蘇生を待つ間に彼が組み立てる簡単なパズル。その脇に置かれた紙切れを手にとって見る。

「────なに、これ」

 バゼットは己の目を疑った。
 表には何も書かれていない真っ白な紙。しかし、裏にはこう記されていた。


 “遊びに行ってきます。by アンリマユ”


 あの外見には似つかわしくない綺麗な文体で、ただそれだけが綴られていた。しかしその内容は彼そのもの。どこぞの小学生が親に言伝を残すとき並に余計な点など一切なく、簡潔な結論だけが記してあった。

「……ふふ、ふふふふふふ。アヴェンジャー……どうやら貴方には私のサーヴァントであるという自覚……いえ、自分がサーヴァントであるという自覚が足りていないようだ。帰ってきたら、」

 ────お仕置きです。

 腹の底から湧き出るような黒い笑み。侮蔑を通り越し憤怒の域に達する昏い感情。
 純粋な中身に似つかわしくないドス黒い何かを撒き散らしながら、バゼットはその書置きを握り潰した。
 ただの紙屑となったそれを放り捨て、バゼットは先ほどの思案どおり今後の対策を行う事とした。





/2


 カチ、カチ、カチ。

 響くのはピースの揺れる音ではなく、時計の針が刻を刻む音。

 対策は立てた。これで次に繋げられる道がまた一つ増えた。それはいい。何度繰り返してもいい。結果として勝つ以上、その過程の敗北には全て意味がある。ああ、本当に。

「──────どこに行ったんですかっ、アンリマユ!」

 がたんっ、とテーブルに打ちつけられた固く握られたその拳は、ワナワナと震えている。

 対策はとうに立てられ、余りある時間を彼女は無為に過ごしていた。一人で外へ出ても自分だけでは敵マスター達に勝利を得る事が出来ない。
 アヴェンジャーは最弱のサーヴァントではあるが、自分の持つ魔術礼装との相性を考えればこれほど組み合う能力も他にはない。彼は既に彼女がこの戦いに勝利する為に不可欠の存在となっていた。
 バゼットは自分の能力を過信していない。故にここを一人で出る事も叶わず、ただ自身のサーヴァントの帰りを待ち続けていた。

「遅い。遅い遅い遅い遅い遅い!」

 だんだんだんっ、と幾度となく拳を打ちつけられたテーブルは軋みを上げ、その身に亀裂を走らせる。だがそれでもバゼットは打ちつける拳を止めない。

 バゼットの心境を端的に語るのならば、それは『夫の帰りを待つ新妻』といったところだろうか。しかし帰って来た直後に絞め殺すということも辞さないほどの負のオーラを撒き散らしている点が本来在るべき姿と壊滅的に違うのだが。

 拳は加速度的にその勢いを増し、テーブルのあげる悲鳴もバゼットの耳には届かない。
 やがて。

 ──────ガシャンッ!

「…………あ」

 とうとうテーブルはその感情に任せた打ち下ろしに耐え切れずにその身を散らした。
 舞い上がる砕けた木屑や残された埃。ただそれが地へと還る様を、バゼットはぼんやりと眺めていた。

「あら、これは?」

 ふと、視線を落とすと真っ二つとなり崩れ落ちたテーブルの中から一冊の黒いノートが姿を現していた。
 取り上げて見れば、表にも裏にも背表紙にも題のない、ただ真っ黒なだけのノート。

「ふむ…………いつからある物なんでしょうか。
 この家の前の持ち主か、あるいはアンリマユの可能性もある」

 人のモノを勝手に見るのはよくない。その程度の常識は持ち合わせている彼女だが、そのノートに目を落としていると何故か『これは見なければならない』という強迫観念にも似た衝動に襲われている事を肌で感じ取っていた。
 バゼットは挙動不審に左右を見回し、誰もいないことを確認すると、

「………………少しくらいなら」

 そう呟き、パラリと捲られる漆黒のノートの一ページ。



 ────さあ、誰かにとっての悪夢を始めよう。





/3


 □回目 斬死

 教会の前でセイバーとそのマスターと遭遇。
 果敢に突撃するも一撃であっけなく、はい、サヨナラ。
 ヒャハハハ! オレサマ、チョーよえー。

 □回目 突死

 マスターと一緒に歩いていると突然胸にズドン、という重い痛み。
 それが自分の胸に空けられた孔なんだと知った時。オレはもう消えかけてたね。
 つかありえねー。何アレ、あんなトコからの狙撃なんて激反則。

 □回目 爆死

 学校裏の林でアサシンとそのマスターと遭遇。
 敵マスターは人形遣いみたいでめっちゃ沢山の玩具を引き連れてた。
 ま、ウチのマスターにかかればあんなの紙屑みたいなもんらしくて、千切っては投げ、千切っては投げてた。オレ? もちろん見てるだけに決まってんじゃん。
 んでマスターも油断してたんだろーね。人形の中の一匹が突然飛び出してきてさー、マスターの拳の上にちょこんと乗ってんの。ありえねーって。
 呆然とするマスターを尻目に敵の本命、アサシンは宝具でマスターの頭をぐちゃっとヤっちゃった。こう、脳みそを内側から爆破するカンジ?
 うわ、想像するだけで気色ワリー。
 でもあれだね、あれが血の華が咲くとか、血のスプリンクラーってヤツ。
 あ、オレ? もちろん従順なオレサマはマスターの後を追いましたよ。
 んもー、マスターってば幸せもんだね! こんな従順な下僕は他にいないよ?

 その後も一度攻略しつつも戦力差を覆せずに敗れた戦いや、順序を間違えたあげく敵地に誘い込まれ敗れた戦い等、多くの死の記録が残されていた。

「まったく…………自分達の死因を書き綴るとは……悪趣味にも程がある」

 パラパラと捲り、流し読む。
 だがそこから得られる情報が全て無意味かといえば、違った。忘れていた些細な事や、逃げ回る彼の視点だからこそ見える、客観的に描かれたその内容は大なり小なりバゼットに意味のある情報をもたらした。

「悪趣味だけど………無意味ではない。
 しかし…………」

 ────何故、このノートは隠されていたんだろうか。

 その答えはすぐに見つかった。
 パラパラと続くノートはやがて白紙となり………そしてまた新たな文が現れた。

 □回目 白

 マスターと出会う。
 殺したくなるほどのイイ女だったけど、そこはオレ、聖杯戦争後までは殺さないっていう認定証をプレゼントとして我慢することにした。
 うーん、マスター思いの従順なオレサマ☆ステキ!

 □回目 黒

 今日のマスター。
 いやはや、マスターの短気にはビビったね。四十秒も待てないなんてアナタ、どこのお子様デスカ。
 それにしても惜しい事したよな。牛乳のトラップにマスターがかかってればこれ以上ないってくらいイイ絵が撮れたのに。マジもったいねー。

 □回目 白

 今日のマスター。
 牛丼。あれはスゲー。何がスゲーってマスターがスゲー。
 だってさ、ちょっと目を離した隙に、ついさっきまであった筈の牛丼が器しかねーんだもの。アレだ、マスターの口はブラックホールだね。

 □回目 黒

 今日のマスター。
 いつにも増して元気いっぱいハッスルハッスル。襲い来る化物をギッタギッタにぶっ飛ばしまくってた。実際サーヴァントより強いマスターってどうよ。いや、この場合マスターより弱いサーヴァントか。ヒャハハハ、自分で言うのもなんだけどアリエネー。

 □回目 赤

 今日のマスター。
 マスターが中々起きない。寝てる間は鎧を着ていないんだろう。純粋無垢なその寝顔にオレちょっとドキドキ。かなりワクワク。
 こんな寝姿見せられて欲情しない方がどうかしてるね。ヤっちゃおうかとも思ったんだけど、そこは後の事を考えるとやっぱコワイ。ガマンガマン。

「な、なんですか…………これは」

 その内容はマスターたるバゼットへの愚痴、あるいはストレス発散のような覚え書きがつらつらと記されていた。
 ワナワナと震える手は、それでもページを捲り続ける。

 □回目 紫

 今日のマスター。
 ウハッ、マスターったらチョーだいたーん。実はオレ誘われてるトカ? その無駄に福与かな胸、んでワイシャツの隙間からそんなモンを覗かせるなんてやっぱオレ誘われているよね? よね? オーケーオーケー、わかった。次死んだらイこう。ル○ンダーイヴでイチコロよ!

「………………まさか」

 回数の横に記される色。
 良くわからなかったので気にも留めていなかったが、流石にここまで露骨に書かれればバゼットだろうと気がついた。
 締められたネクタイを僅かにずらし、ワイシャツのボタンを数個外す。

「…………アンリィィィィィィィィィィィィィィィ!」

 その時。

「たっだいま〜。あー、やっぱ夜の街もイイね。
 こう、おネーちゃん達がさ───って、マスター? どしたの、そんなに怖い顔して」

 ヒャハハハ、と幾らか顔を朱に染めてバゼットのサーヴァントたるアヴェンジャーが帰ってきた。しかし酔っているのか、バゼットが何に対して怒りを抱いているのか理解できずにいつもの調子で言葉を発した。

「ふふ、お帰りなさい、アンリマユ。待っていました」

 鬼の形相から一転、慈愛に溢れた聖母のような微笑みを湛えるバゼット。
 その急変を不審に思いながらも、手招きするバゼットに応じるようにアヴェンジャーは椅子についた。

「てか、何コレ。
 テーブルぶっ壊れてるけど。まさかマスター、やっちゃったの?」

「ええ、ちょっと殴りたい気分になったので。
 ああ、ところでアンリマユ。
 テーブルの中からこんなモノが出てきたんですけど、覚えはある?」

 殴りたい気分になったからってテーブルを真っ二つにするのはどうよ、と思っても口には出さず差し出されたモノを視線で追った。

 それは見覚えのある漆黒のノート。

 バゼットはもちろん承知の上でこの演技をしている。対するアヴェンジャーはそれを見た途端、ゲッ、という果てしなくイヤそうな貌を顔面に張り付けた。

「ま、マスター? マサカ、中見ちゃったり………」

 してないよね? という言葉は口からは零れず、視線だけでそう訴えかけた。
 返ってくる言葉はなく、返答は突き刺さるような視線と歪に吊り上った口元だった。だがアヴェンジャーにはそれで充分。ヒィ、という声にならない声を上げてズザザッと後ずさった。

「ま、待てっ、マスター! オレはまだ何もしてないって! ちょっと暇を持て余した時に勢いで書いただけだから!」

「──────ほう?
 『まだ』という事は知られなければいつか実行に移す腹積もりだったという事ですね?」

 ────マズ。

 てんぱった時こそ人は本音が漏れるもの。それに従うが如くアヴェンジャーの口から漏れた言葉は結果として火を鎮火する事あたわず、逆に油を注ぐ結果となった。

「運がいいですね、アヴェンジャー。貴方はその能力故に死んでも蘇生するのですから。
 ああ、きっと貴方のその能力は今日この時の為にあったのかしれません」

「いやないから! 絶対それチガウかーらー!
 キャーーーー! 手袋嵌めないで! ルーンを刻まないで! 構えないで! 撃ち貫く準備をしーなーいーでーっ!」

 ガタガタと震えるアヴェンジャーを余所に準備の完了したバゼットは、

「さて、アンリマユ。
 最期に言い残すことはありますか?」

 洒落になってねえ! とは思っても時既に遅し。
 振り返ればあんなものをつけてた自分が悪いような気もするし、夜勝手に出歩いたのも一端を担っているかもしれない。だがそう簡単に謝る殊勝さをこのサーヴァントが持ち合わせているハズがなく。

「────マスター」

 硬い床から四肢を押して立ち上がり、纏わりついた埃を払う仕草。
 そして真正面から主の瞳を見据え────


「さあ、聖杯戦争を続けよう、バゼット・フラガ・マクレミッツ。
 ────今度こそ、君の望みを見つける為に」


「今更シリアスに決めても許しません!」

「ぎゃああああああああああああああああああああ! やっぱりー!?」



 そうして共に聖杯戦争を駆け抜ける主従の夜は更けていく。
 この出来事の後からアヴェンジャーが夜一人で出歩いたり、バゼットに邪なちょっかいを出す事を控えだしたとか。









後書きと解説

そしてメインキャラクターなのに濡れ場がカットされたのが、
こんな出来事のせいかどうかは定かではない。

というワケでリクエストを貰ったアンリマユ……コレ、アンリSSか? ま、そんなカンジです。
イメージ的には繰り返しの中の序盤〜中盤くらいの一幕。
ま、ギャグ? なんで細かいところは目を瞑って下さると助かります。

タイトルには特に意味はなし。ただ怨天大聖という言葉が使いたかっただけです。
コレは多分、西遊記の斉天大聖・孫悟空から取ってるんでしょうが、どんな意味なんでしょうかね。
斉天大聖は「天にも等しき大聖者」という意味らしいですが、怨天大聖とは、はてさて。

個人的にバゼットさんは黒だと思うんですが……どうか。
ハイテナイのは一人でいいしね!



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