出会えた光









 ────その世界には闇しかなかった。

 周りは真っ暗で、一条の光も射し込まない昏い部屋。
 冷たくて固い床。
 鼻が曲がる程の異臭。
 その世界にはドス黒くて、ただ人の身体を蹂躙するだけの闇があった。

 まるでわたしを周りの闇と同化させようとする程に、その闇はわたしの内を舐り廻す。
 それはどんなに拒んでも好き勝手に身体を這いずり、逃れる事なんて出来なかった。

 かけられる声も人へ向けられた声じゃなくて、道具に命令するようなもの。
 そこにわたしの意志はなく、ただ一方的に吐き捨てられる不快な言葉に応じるだけ。

 落ちる。堕ちる。陥落る。

 いつからこんな事になったんだろう。
 なんでわたしだけがこんな目に遭うんだろう。

 なんで? なんで? なんで?

 応える声はない。還る言葉もない。

 わたしは常に独り。
 蠢く闇に呑み込まれて、奈落の底へと堕ちて逝く。

 いつしか深淵へと辿り着き、そこから見上げる世界は真っ暗で。
 わたしには空すら臨めないんだと知った時。


 ──────わたしは、心を放棄した。






出会えた光/a gleam of Light




/1


 静謐な空間。

 張り詰めたような空気が道場を包み込む。
 そこには一切の音はなく、ただ視線だけが中央に立つ人物へと集中している。

 呼吸すら憚られるような緊張感。

 だが視線を一身に集めるその人物は、まるで世界には自分しか存在していないかのような静けさで、ゆっくりと自己へと埋没する。

 足踏み。
 胴造り。
 弓構え。
 打起し。
 引分け。
 会。

 射法八節のうちの六節。
 そこまでの一連の動作は流麗で、一糸の乱れも見られない。

 引き絞られた弓。
 張り詰めた弦。
 待ちわびる矢。
 射抜く先は、ただ一点。

 離れ。

 自然と指から離れる矢。矢を放つのではなく、矢の意思に従うが如く離す。
 そこに射手の意思はなく。
 まるで吸い寄せられるように、そこに中るのが必然のように的の中心は射抜かれる。

 残心。

 射手は中ったかどうかを確認しない。なぜなら放たれる以前に射手の中では既に的を射ていたからだ。
 中てようとして中るのではなく、中っているのだから中るのは当たり前の出来事なのだ。

 全ての工程を終え、射手が弓を下ろす。
 それと共にどっと沸く観衆。その一切の動きは観る者全てを魅了した。

 ────ただ、一人を除いて。

「はは、ははははははははっ! 無様だね、衛宮!」

 笑い声と共に侮蔑の言葉を発するのは間桐慎二。
 射手たる衛宮士郎とは中学からの付き合いだが、最近の彼の行動は見る者の目に余っていた。が、士郎は注意はすれども邪険にするほど彼を嫌ってはいなかった。

「ん───俺の射、どこかおかしかったか、慎二」

「いーや、射自体は完璧さ。周りの反応を見ればわかるだろう?
 だけどさ、それ」

 慎二が指差す先は士郎のはだけた肩。男子は礼射の際、右肩だけ服をはだけさせ肌を露わにして的を射る。
 なのでこれは当たり前のことなのだが、慎二が指すのそこではなく。

「あー…………やっぱりこれ目立つかな」

 士郎が擦るのは己の肩。
 先日、バイト先でちょっとしたミスを犯し、その際に負った火傷の痕。

「目立つなんて通り越して滑稽だね。
 衛宮、おまえそんなものを曝して大会に出ようってのかい? 傷と一緒に恥も曝す結果になるよ。
 それにさ、そんな大きな火傷は中々消えないだろ。いっそ部活自体辞めちゃえばいいんじゃない?」

 ははは、と乾いた笑みを浮かべる慎二。

 弓道とはその射の『あたりとはずれ』だけでなく、礼法を重んじる武道である。
 そこには射形、射品、態度なども評点の対象となる以上、この火傷を曝して射るのは礼儀に反する事になるかもしれない。

「ちょっと間桐! 自分より衛宮の方が上手いからって難癖つけるなんてみっともないと思わないのか?
 それに衛宮に辞めろだって? その後釜に自分が座る気なんだろうけど、そうはいかないよ」

 声を上げたのは美綴綾子。
 実際慎二の力は同学年なら士郎、綾子に次ぐ第三位。上の学年が抜ければレギュラー間違いなしの実力者である。……その素行にさえ目を瞑れば。

「はん。論点が違うよ、美綴。僕は衛宮の事を心配して言ってやってるんだ。そんなモノ曝して秋の大会にでちゃあ、自分が曝し者にならないかとね」

 愉快気に口元を歪ませながら慎二は綾子の言葉をさらりと流す。

 士郎が入部以降、射を外したのはただの一度。その一度さえも本人は外れると解っていながら射ったのだから、その実力は底が知れない。それほどの実力者ならば学年など些細な問題であり、事実、士郎は秋大会への有力候補して名を挙げられていた。

「だからってねえ、アンタは────」

「────待ってくれ、美綴」

「…………衛宮?」

 口論を始めようとする二人の元に割って入ったのは事の張本人の士郎だった。
 はだけた肩を服で覆い隠し、身なりを整え終えた彼は、

「慎二の言う通りだ。
 この火傷は中々消えないだろうし、こんなもの曝して大会には出られないだろ」

「ちょっと、衛宮。アンタ本気で言ってるのか?」

「ああ。それにさ、最近バイトが忙しくなってきてるんだ。
 うん、辞めるには丁度いい理由が出来た」

「はは、はははははは! 衛宮にしちゃ殊勝な心掛けじゃないか!」

「うっさい間桐! 衛宮、本当に辞める気?」

 綾子のその言葉に士郎は一瞬の逡巡すらなく、

「ああ。元々弓道は集中力を鍛える為にやってたんだ。
 いや、むしろそんな理由でやってたからこその罰なのかもな」

 士郎は儚げに笑い、

「ん、じゃあな、美綴。悪いけど後は頼んだ。主に先輩達方面を頼む。
 藤ねえには自分で退部届けを出すから心配ない」

 片手をあげ更衣室へと消えていく士郎。
 綾子には、ただそれを見送ることしか出来なかった。





/2


 弓道部を辞めてから数日。
 士郎はこれまで部活動に充ててきた時間を勉学とバイトに回し、今まで以上に忙しない毎日を過ごしていた。
 そこには後悔の色も未練もなく、普段と変わらぬ生活を続ける士郎の姿があった。

 今日は久しぶりにバイトが休みの日。買いこんだ特売品の食材を両手いっぱいに抱え家路を急ぐ。
 しかし家を目前としたところで、家の門の前に立つ一人の少女が目に止まった。

「あのっ……衛宮、先輩」

 俯いた顔をあげ、士郎の名を呼ぶのは中学の制服に身を包んだ少女。
 リボンで髪止めをし、虚ろな瞳を湛えているその少女は、どこか消え入りそうなほど儚げで、見るからに何かに怯えているようだった。

「桜? どうしたんだ?」

 士郎はその少女に覚えがあった。
 中学の頃、今のように慎二と疎遠になる前。よく遊びに行っていた間桐邸で紹介された慎二の妹。
 その頃はまだ少女というより女の子の趣が強かった間桐桜という名の少女。

「えっと、先日は兄が失礼しました」

「────へ?」

 真剣な顔つきで頭を下げる桜に対し、間の抜けた顔で何を言っているのか解らないと首を傾げる士郎。

「兄さんが先輩に文句をつけて、それで先輩が部活を辞めたって聞いて……」

 声は徐々に小さくなり、顔も俯いていく。
 だが士郎はそんな深刻な思いを持つ少女とは裏腹に、

「え? 別に慎二のせいで辞めたワケじゃないけど?」

 何でもないようにそう言い切った。

「え、でも────」

「俺が部活を辞めたのは俺の意思だ。
 原因も俺がバイト先でミスったせいだし、どうせ近々部活は辞めるつもりだったんだ。
 ほら、俺は一人暮らしみたいなもんだろ。
 食べていくにはバイトしないと生活できないからな」

 切嗣の残した遺産はあるにはあるが、士郎はほとんどそれに手をつけていない。
 自分の生活は自分で切り盛りし、日々の糧は自分で稼ぐ。それが今の士郎の生活だった。

 それにぽかん、といった表情で士郎の言葉を理解しようとしている桜。
 士郎は何も言わずその少女を見つめていたが、

「で、でも! 兄さんのせいで辞めた事には変わりませんっ!」

 があっと吼える桜の気迫に押され一歩後ずさった。

「いや、だからだな。
 別に慎二のせいじゃなくて、むしろ慎二がきっかけを与えてくれたというか。
 うん、多分そんな感じ」

 桜はそのどこまでもポジティブな士郎に対し、若干の呆れの混じった表情を浮かべた。

「…………でも、それじゃわたしが納得出来ません」

 だがすぐに俯いて、消え入りそうな声で言葉が紡がれる。

「や、これは俺の問題だから桜に心配してもらうような事じゃないぞ」

 うんうん、と両手が塞がっていて使えない士郎は首だけを振る。
 対する桜はその大量の食材を見つめ、何かを思いついたように目を見開いた。

「…………先輩。肩に怪我をなさったんですよね?」

「ああ、別に日常生活に支障が出るもんでもないけどな。
 見た目はアレだけど」

 それは強がりであり本心でもある。怪我の前に比べれば幾らか不便な事があるのは当たり前の定理。
 だがこの少女に余計な心配はかけたくない、という気持ちが先行した結果、口から出たのはそんな言葉だった。

 しかし────

「わたしに、お手伝いさせてもらえませんか?」

「────何を?」

「ですから、先輩の怪我が治るまでのお世話です」

「はぁ!? いや、えっと、何で桜がそこまでする必要があるんだ?
 それに別に普通に生活する分には影響はないし────」

「先輩がなんと言おうと、兄さんが原因の一端を担っているのは間違いないんです。
 あんな兄ですから絶対に謝らないと思いますし、なら代わりにわたしがお手伝いをするのは当然です」

 そしてお願いします、と頭を下げられる。

 そのとってつけたような理論にどんな反論を返せばこの子は納得するんだろうか、と思考を回転させようとしたのも束の間。
 あげられた顔に宿るのは決意の色。自分を見つめるその瞳には先ほどの儚さなど微塵も感じられず、ただ決意だけが火を灯していた。

 士郎はそれに僅かに逡巡した後、

「はあ……すごく強情なんだな桜は。正直、甘く見てた」

 そこまで深い付き合いではないが、それほど浅くもない先輩と後輩といった関係。
 それでも実際ここまで強気に出る桜を士郎はこれまで見た事がなかった。

 零れるのは重い溜め息。張り付くのは呆れきった表情。だがそれは無論、迷惑に思ってのことではない。
 自分が今まで見てきた少女との差異への驚きと、あの虎になんと言い訳すればいいのかという、自身の今後を憂いてのもの。

「と、その前にやり直さないと。桜に世話をかけるんだから、俺の方からお願いしなくちゃダメだ。
 ───よろしくな、桜。怪我が治るまで、手伝いをしてもらうぞ」

 咳払いを一つ。
 そして、ここまで自分のことに真剣になってくれた少女への照れ隠しである。





/3


 ────先輩に促され門をくぐる。

 玄関をくぐって一番最初に感じたのは、温かさだった。
 間桐の家は人を寄せ付けない、閉鎖的で冷たい気配が家を覆っているけど、この家は開放的で在るがままを受け入れている。
 だけどそこは寒くなくて。むしろ温かいものに満たされている感じがした。

「どうしたんだ、桜? ぼーっとして」

「あ、いえ、何でもないです。それじゃ、あの、お邪魔します」

「そんな他人行儀じゃなくていいぞ。
 これから世話になるのはこっちなんだから、ただいまぐらいが丁度良い」

 そう言って笑う先輩は眩しくて。
 わたしは曖昧な笑顔を張りつけたまま、先輩の後に続いた。

 通されたのは居間だった。純和風造りの居間。
 外見通りの武家屋敷らしい。
 先輩はお茶の準備をしてくる、と言って台所へ向かう。

 ああ、ここも同じだ。
 温もりが部屋を覆っていて、中にいる人を幸せにするみたい。
 そんな初めての感触に、身体が自然と萎縮してしまう。

「はい、お茶がはいったぞ」

 コトンと置かれた湯呑みから視線をあげ、ありがとうございますと返す。
 出されたお茶を一口流し込む。
 緊張で渇ききっていた喉が、少しずつ潤されていく。
 そしてそのお茶は、自分で淹れるお茶よりも明らかに美味しかった。

「美味しいです、このお茶」

「ん、そっか。そりゃ良かった」

 二言三言の言葉を交わして、美味しく淹れられた日本茶に二人で一息ついた後。

「先輩。さっそくですけど、台所お借りしてもいいですか?」

 わたしはお茶を飲みに来たんじゃなくて、先輩のお手伝いに来たんだ。
 時計を見ればもう充分に夕食の支度をしなきゃいけない時間になっている。お手伝いに来たのに余計な時間を食わせちゃ本末転倒だ。

「もうそんな時間か。じゃ、お願いできるかな」

「はい」

 立ち上がって居間の隣にある台所へと足を向ける。
 すると────

「あー、何処に何があるか分からないだろ。最初は俺も一緒に作っていいかな」

「あ、はい。お願いします」

 自分の家の台所と余所の家の台所では勝手がまるで違う。
 どこに何があるのかがまず分からないし、不用意に違うところを物色するのは気が引けていた所だった。
 だから先輩の申し出は素直に嬉しかった。

 先輩と並んで夕食の準備をする。
 誰かと一緒に料理をするなんてこと、初めてだったからちょっと緊張する。

「ん? もしかして桜、料理するの初めてか?」

 緊張が伝わったんだろうか、それともわたしの手つきが危なっかしく見えたんだろうか。不意に先輩がそんな事を訊いてきた。

 初めてではなかったけど、慣れていると言える腕前でもない。ここに来る前に一生懸命本を読んで勉強して、調理実習も人並みにこなしてきた。
 けど、その、ホントを言えば、自分なんかが作ったものを、誰かに食べてもらうのはすごくすごく怖かった。

「そういうコトは、ないです。簡単なお料理ぐらいは出来ます」

「いや、そうじゃなくてだな……んー、まあ習うより慣れろか。
 よし、基本から入ろう。はい、熱いから覚悟してな」

 基本はおにぎりだった。
 アツアツのごはんを囲んで、二人でぎゅっぎゅっとごはんを握った。
 バカにしてると思う。
 わたしだって、これにはちょっと拗ねた。
 けど視線をあげると、親の仇に挑むみたいにマジメな顔があって、怒るに怒れなかった。

 そうして────

「じゃ、交換。俺のあげるから、桜のおにぎりを戴きます」

 先輩は握ったばかりのわたしのおにぎりを、目の前でほおばった。
 わたしなんかの手で作ってしまったものを、先輩はぺろりと平らげて、

「ごちそうさま。美味しかったよ、桜」

 と、手を合わせた。


 ──────トクン


「────え?」

 不意に胸を打つ、今まで感じた事のない感覚。
 冷たくなくて、なんだかあったかい感覚。

「ん? どうした、桜。早く食べないと冷めちまうぞ」

「あ、はい。それじゃ、いただきます」

「はい、どうぞ。おあがりください」

 そんな言葉を交わして、先輩の手で握られたおにぎりをほおばる。

「──────ぁ……」

 あったかくて、おいしい。

「あ、…………あぁ………っ!」

 それは本当においしかった。
 今まで食べたどんな料理よりも、あったかくて、おいしくて。

「うぅ…………あ、うぁ………っ」

 おにぎりだけじゃない。
 さっきのお茶も、ごちそうさまって言葉も、その全てが温かかった。

 胸に去来するのは、ぬくもり。
 欲して止まず、でも絶対に手に入らないと思っていた、誰かのぬくもり。

「う………うぁ………ひっぐ……うぅ……あぁぁ………っ!」

 ただ、おいしくて。
 ただ、うれしくて。
 ただ、あたたかくて。

 ほほをつたう涙も気にせず、わたしはそのおにぎりをほおばった。

「えぇ!? ちょ、桜!?
 俺の作ったおにぎり、泣くほどマズかった!?」

 そんな見当違いの思い違いをする先輩がどこか微笑ましくて。
 わたしはただ、そのおにぎりをほおばった。







 先輩にはみっともない所を見せちゃったけど、そのおかげで次の日からは苦手意識が少し消えて。
 またごちそうさまって言ってもらいたい、言ってあげたいって思った。

 壊れたと思っていたココロ。
 捨てたと思っていたココロ。
 だけど欠片は残っていた。

 その欠片はきっと、あの夕焼けの世界から眺めた風景。
 同じ世界を望みながらも、対極の世界を見ていたわたしと先輩。
 その記憶のカケラ。

 冷たく凍りついた感情のない人形。
 わたしは心を壊す事で人形になったと思っていた。
 だけどそれは間違いで。
 まだ全てを捨て切れてはいなかった。

 ────まだ、わたしは人間のままだった。



 ねえ、先輩。
 先輩はわたしには眩しすぎて、これ以上踏み込む事は出来ないけれど。

 ────先輩の傍に居させてもらっていいですか?

 より眩しい光が、より大きくて濃い影を作るように。
 先輩の側にいると自分の闇が、より大きな波となってわたしの身体を蝕みます。

 ────それでも、先輩の傍に居させてもらっていいですか?

 昏い闇の淵で蹲るしかなかった、わたし。
 そこで生きるのがわたしに定められた運命なんだと受け入れていたけれど。

 ────わたしは、貴方と出会いました。

 やっと見つけた光。
 真っ暗な世界に射し込む、たった一筋の綺麗な光。
 それをわたしは知ってしまったから。
 わたしはもう、その光のない世界には戻れません。

 だから、先輩。
 こんなに醜くて、汚くて、穢れたわたしでも。



 ────貴方の傍に、居させてもらっていいですか?









後書きと解説

はい、というわけで間桐桜の過去話。
Fateに出てきた部品を拾い集めてちょっと脚色した感じに相成りました。

短編も十本目ってこと(連作は一本とカウント)で、真面目にシリアスってみました。
いかがだったでしょうか。

最近短編書くと何かと下に走る傾向があったんでマジメに真面目に。
そもそも私は下好きじゃn(ry

桜は人気投票でライダーに負けるくらいの微妙な位置づけですが、
これを読んでちょっとでも桜の事を好きになってくれればいいなぁ、と思ってみたりします。



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