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士郎とカレンの何気ない一日









 カレン・オルテンシアは、冬木市新都南部の高台に構える、冬木教会に籍を置く修道女である。
 前任の神父が死去したその後釜に納まった彼女の生い立ちを簡潔に述べるのならば、『修道院をたらい回しにされてそこで天職を得たのです』である。

 その文言は彼女自身の言葉だが、余人が聞いてもさっぱりだ。簡潔にしすぎて余計に内容が分かりにくい。
 ただ彼女自身はそれで相手に伝わると思っているし長々と素性を話す必要もなくなったと喜んでいるようなので、そこに突っ込みを入れるのは野暮というものだろう。

 そんな簡潔な言葉の裏にあるであろう、ドロドロとした素性を本当に理解するのは彼女を愛してやれる人間だけで良い。他人以上恋人未満のその他の者に語って聞かせるものでもない。無理に問い質すものでもない。

 さておき、このシスターには素性以上に厄介な面がある。端的に言えばそれは性格、なのだろう。簡潔すぎて分かりにくい生い立ちからは彼女がどんな辛苦を舐めてきたのか分かりかねるが、その道程もまた今現在の性格構築の一端を担っている筈だ。

 そしてその厄介な部分の一つが、自分が悪いと思わない事──自分自身に非があると理解し得ない事──には一切頓着しない事である。
 常識の欠落というか、まず間違いなく変わり者の部類に入る彼女にとって、聖職者でありながら毒舌をばら撒く行為からしてその範疇なのである。

 口を開けば飛び出す罵詈雑言。呼吸を行うが如く発せられる毒舌にはエアリード機能は未搭載。

 なまじ見た目が良いせいで見下されながら言われると──言ってる本人も恍惚の目で見下ろしている辺りが手に負えない──何処のいかがわしい店での変態プレイだと突っ込みを入れたくなるが、そう突っ込むと突っ込み返されるのは自明の理なのでだんまりを決め込むのである。

 だがまあ、それはいい。それも個性の一つだと割り切れば、六十億いる人間の一人くらいはそれくらいのアビリティを持っていても不思議ではない。

 しかし、由々しき事にこの女──最近になって新たなる性癖に目覚めかけているようなのである。

 口にする事も憚られるようなその悪癖の主な犠牲者こそがこの俺──衛宮士郎だったりする辺りが最早手に負えない。ランサーや子ギル辺りを実験台にすればいいのに、何故俺なのかと思わないでもないがそれこそ考えるだけ無駄だ。

 あの慇懃無礼シスターの考える事など、分かる筈もないのである。

 よって、今回の話はそんな悪魔めいたシスターに勇敢にも立ち向かう正義の味方衛宮士郎の物語だったら嬉しいなぁと一人ごちるのであった。






士郎とカレンの何気ない一日/Karen's Story




/1


 麗らかな休日の午後。

 午前の内に桜と共に衛宮邸の家事全般、特に掃除関係を手早く済ませたお陰で珍しくも午後が丸々空いてしまったので、一人ぶらり旅と冬木市内を練り歩く。
 家を出て来るときに誰かに呼ばれた気がしないでもないが、そんなものは聞こえなかった事にするべきだ。

 天晴れと呼ぶに相応しい晴天と、心地良い風の吹くこんなにも素晴らしい休日を邪魔されるなどたまったものではない。
 衛宮士郎はセイバーや遠坂、桜やライダーの玩具じゃねぇのである。ここ最近の衛宮家内勢力図を見るに辺り、家主の権威は地に落ちたも同然だが、心までを売り渡したつもりはないのだ。

 せめてこんな日くらいは一人で過ごしたいと思うのは、決して贅沢ではないだろう。ない筈だ。ないと誰かに言って欲しい。

 斯くして、俺はぶらぶらと当てのない散策を続けている。なるべく衛宮家に住む住人と書いて魔物と読む方々との接触を避けるべく、自然人通りの少ない場所を選び歩く歩く。

 こうして意味も理由もない散策であれど、そんな中でしか見えないものもあった。十数年近くこの市に住んでいても、全ての道を歩いたわけでも詳細に地図を頭に叩き込んでいるわけでもない。

 普段は通らない場所を歩くだけで目新しさはあった。世界より小さな街という縮図にあっても人一人が理解しきれるものなどたかが知れているのだ。

 深山町と新都に分けられる冬木市内。深山町を抜けて新都に足を伸ばす。駅前パークは相変わらずの盛況ぶりで、一体これだけの人が何処に隠れているのかと疑いたくなるが、まあ人なんてのは何処にでもいるのだ。

 規模はそれなりとはいえ一地方都市でしかないこの街でこれなのだから、都心の方へ行けばもっと多くの人がいるに違いない。

 流石に何時間もそんな雑踏にいるのは無理なので、ビルの乱立する区画を抜け、閑静な住宅街エリアに向かう。
 ん、ここまで来たのなら顔を出すのも悪くはないか、と坂道を上る。並木の坂道を上った先には冬木教会が建っている。

 知り合いに遭わないように散策していた旅も、流石に数時間も経てば飽きてきた。一時の涼とささやかな憩いを求めても不思議じゃない。
 問題があるとすれば、あの教会に棲む魔物にそんなものを求めようとした、この時の俺自身の頭の悪さであろう。日射病にでもやられていたのかもしれない。

 知っていた筈なのに。あの教会は衛宮士郎にとっての鬼門なのだと。前任者の逗留していた頃から──いや、衛宮士郎が衛宮士郎となったあの日から、その教会との相性は最悪だったのだ。

 高台の広場に建つ冬木教会。この場所の現在の主たるカレン・オルテンシアは、聞くところによると人気があるらしい。
 事情通の後藤くんによれば、彼女がこの教会を治めるようになって以降、足繁く通う者は後を立たないという。

 信徒のあるなしに関わらず、あの少女を一目拝みたいが為に──あるいは罵られたいが為に──通う穂群原学園生もいるらしい。

 なんて奇特な人達なんだろう、とまるで他人事のように語ってみるが、こうして顔を見せようとしている俺もまたその範疇なのかもしれない。
 いや、俺は別にあんな奴の顔なんて見たくないし、罵られるなど以ての外だ。衛宮士郎は未だに正義の味方なんていう子供の夢を追う大馬鹿野郎だが、罵られて喜ぶ趣味はないのである。

 だからそう──カレンに会いたいなんてこれっぽっちも思ってないし、ただ知人の務めとして偶には顔を出してみようか、という気まぐれだ。それ以上でもそれ以下でもない。それよりも上等な理由など存在しないのだ。

 門扉に手を伸ばす。後藤くんの調査が正しければ、今日のような休日ならば参拝者もそれなりにいるだろうと思ったので、まずはこっそりと中を窺おう。人が多いようなら立ち去ろう。別段用件もない俺がわざわざそんな人達に混ざる必要性はない。

「おーい、カレ──ん?」

 小声で名前を呼びながら扉を開く。薄暗い礼拝堂が見えるか見えないかという瞬間に、語尾は勝手に『ン』が『ん?』に変化した。

 しゅばっと音を立てて飛び出る赤い何か。見覚えのある赤い何か。しゅるりと足首に絡みついたそれはぴんと張り詰めて内部の人間の手に握られているらしい。

 いやもうほんと、悪い予感しかしない。この後の惨状がありありと目に浮かぶ。

 このまま引っ張られれば扉に激突だ。はっ、だが甘いなカレン! そう何度も同じ手を食う俺じゃないぜ!

「うりゃ!」

 扉を一気に開け放つ。これで扉とのディープキスは避けられた。だけど直後に見た礼拝堂内に立つシスターさんの綺麗な──聖母のように黒い笑みは、俺を地獄へと叩き落して余りあった。

「カレンさ──ぎゃあああああああああああっ!?」

 視界が回転身体も回転。どんな膂力によるものか、赤い布は掃除機の電源コードよろしく素早く巻き戻り、俺の身体を一本釣り。
 真面目に空中に浮いて更に身動きできない俺の視界に飛び込むのは、整然と並ぶ長椅子と白磁の床。

 ああ、こんな事なら扉とキスしてれば良かったと思ったのは、まさに後の祭りである。





/2


「まあ大変。大丈夫ですか衛宮士郎。怪我をしています」

「いや、おまえ。おまえだよ。犯人で容疑者で加害者がさも偶然怪我をした通りすがりの人を見つめる目をしてんじゃねぇよ」

 ボロボロにされ、簀巻きにされ、五体不満足化した俺を見下ろすカレン。金色の瞳には悪気の欠片もありはしない。彼女にとって俺を聖骸布で釣り上げる事は悪びれる事ですらないようだ。

 謝れ。俺はともかくこんな事にばっかり使われる聖骸布とその身を包まれた聖人に謝れ。

「で、何だよ。何なんだよ。おまえは俺を見ればとりあえず釣り上げなきゃいられない性でもあるのか? そんなに釣りがしたいのなら港に行くといいぞ。赤いのとか青いのとか金色のとかが構ってくれる」

「魚になど興味はありません。青いのと金色のは、私の所有物なので後で回収に向かいますが、目下私の興味は貴方だけに向けられています」

「はぁ、そうですか。それは恐悦。だけど流石にこれはやりすぎだろ。今回ばかりはやりすぎだ」

 唯一自由な視線を左右にばら撒く。理路整然としていた礼拝堂はカレンが着任する以前──言峰が死んだ後みたいな惨状を晒している。
 というのもこの女、俺を釣り上げるだけでは足らず、ぐるんぐるんとカウボーイばりに振り回してくれたのである。

 流石にこれは人として酷い。身体をあちこちに叩きつけられてなんかもう満身創痍だ。聖剣の鞘の守護があったって死ぬぞこれ。

「そう、ですね……今回は少し、やりすぎました」

「そうだろ。反省しろ。いや、俺も反省してくれるのなら強くは言わな──」

「では貴方が壊した備品は全て後日請求させていただきますので」

「っておぉぉぉぉい!? 死人に鞭打つってレベルじゃないぞ!? なんで被害者の俺が代金請求されるんだ! というか、反省って礼拝堂壊した事かよっ! 俺をこんな目に遭わせた事をまず謝罪しろっ!」

「……?」

 いや、ほんと、なんですかこの宇宙人。宇宙人に失礼だ。小首を傾げて分かりません、なんて顔してやがる。カレンにとっては俺を害する事など最早頓着する必要のない、罪悪感を感じる必要のない事柄らしい。

 礼拝堂の備品>衛宮士郎、である。酷い。心が荒む。

「衛宮士郎、貴方は私を冷酷無比な人間だとでも思っているのですか」

「事実そうだろ。少なくとも人間を人間扱いしない奴は冷酷無比って謗りを受けても反論は出来ないだろ」

「いいえ、私はちゃんと貴方を人間として扱っています。ほら」

 どこから取り出したのか、古めかしく使い込んだ救急箱を取り出すカレン。常に血と消毒液の匂いの絶えないカレンならば、その使い込みようにも納得が行く。行くのだが、なぜだろう、これから起こる全てが悪い予感しかしない……

「ほら、ここ。怪我をしているではありませんか。待っていて下さい、すぐに治療しますので」

 簀巻きの俺の傍らに座すカレン。いや、怪我の治療よりもまず簀巻きを解いてくれませんか?

「いいよ。どうせ大した怪我じゃない。こんなもの放っておけばすぐに治る」

 さっきは満身創痍などと言ったが、鞘の守護によって人外の治癒能力のある俺にはこの程度は怪我の内に入らない。擦り傷も切り傷もその内勝手に治る。治療の手間など正しくただの手間である。
 セイバーと離れているのですぐには治らないが、家に帰る前には完治もしているだろう。

「そういうわけにも行きません。これは私の責任ですので、ちゃんと治療を施さなければ」

「いや、うん……その気持ちはとても大事だと思うけど、まずは怪我をさせない事を念頭に置いてくれると助かるな」

 カレンの脳内では既に俺はカレン自身に害された事実は虚無の彼方に葬られているに違いない。きょとんとか、変な顔をするんじゃない。
 それにしても加害者に甲斐甲斐しく治療を受けるってどうなんだ。それも悪びれてもいない加害者に。

 まあ治療してくれるって言うのなら断る理由もないのだけれど。

「では治療しますので、動かないで下さい」

 取り出したピンセットに脱脂綿を掴み、そこに消毒液をドバドバと……え? ドバドバ?

「待て、待て待てカレン! なんだそれは! 脱脂綿の癖に消毒液吸いきれないくらいかけるとか、おかしいだろ!」

 滴るという言葉すら裸足で逃げ出す程のドバドバ感。なんかもう滝のように垂れてる辺りがハイセンス。俺のセンテンスも狂いに狂う。

「いえ、これが正しい用法です」

「使用上の注意を良く読み、正しい用法容量を守ってお使い下さいサドマゾシスター! 消毒液なんざ湿る程度でいいんだよ! なんかもうそれぐちゃぐちゃでべちゃべちゃじゃないか! そんなもので傷口に触られたら──」

 そこではっと気が付いた。脱脂綿に気を取られていたせいで気が付かなかったより深い案件に。上方、見目麗しいカレン・オルテンシアさんの美貌が、口元が、三日月のように嗤っていた。

「な、なにを笑っているのですかカレンさん……?」

「いいえ、今私は悔いているのです。貴方に以前、聖骸布で釣り上げるなと忠告を受けたにも関わらず、こうしてまたも同じ過ちを繰り返した自分自身に。
 卑小なる我が身を神はお許しにならないかもしれません。けれど私は、せめて自分自身に出来る事を最後まで全うするのです」

「……言ってる事は正しいのだろうが、そんな嬉々とした……恍惚とした表情で言われても説得力の欠片もないぞ。神様だって呆れて帰るぞ」

「では治療を」

「神様スルーされた!」

 小さな手に握られたピンセット。その先端に摘まれた脱脂綿……それを脱脂綿と呼んで良いのか最早分からないが、ともかくソレをカレンは傷口に押し当てた。

「ぎっ……!」

 沁みる沁みる。すっごい沁みる。聖骸布で振り回された時より痛いってどんだけだ。人間の身体は脆くはあれどそれでも外側は充分な耐久力がある。しかし内部はそうではない。傷口は内部への入り口。そこに消毒液塗れの脱脂綿を当てられては、流石に痛い。

 しかしそこは俺も男だ。この程度の痛みで声を張り上げるなんて無様はしない。しないんだけど、

「ぎゃっ……ちょっ、カレ……傷口ぐりぐりすんじゃねええええええっ!?」

 あろう事かこの女、傷口を治療と称して抉ってきやがった。脱脂綿に吸収された液体がぐりぐりされると吹き出て傷口を濡らし沁み込み垂れていく。
 痛い痛い痛い。これは流石に痛すぎる。通常そっと撫でる程度が理想の消毒が、何故か拷問に早変わり!

「この程度で音を上げるとは何事ですか衛宮士郎。男の子なら我慢なさい」

「男の子にも我慢の限界はあるんだよっ!」

「耐える事を知らない犬ね。そんなだから早漏なのよ」

「それは今関係ないだろっ!?」

「ふふっ、でも良い悲鳴ね。もっと聞かせてくれないかしら。ほら、吼えなさい。甘い甘い声を響かせなさい」

 ぐりぐりぐりぐりぐーりぐり。身動ぎさえ許されない状況というのが何よりきつい。人の苦悶の表情を見ながら甘い吐息を吐き、恍惚に瞳を濡らすシスター。おまえもうシスターじゃないよ。

 でもコイツは看護師じゃなくて本当に良かった。病院なんてコイツの餌場みたいなもんじゃないか。難病の患者に嬉々として余命宣告とか、子供相手に今みたいな事するとか、平然とやりかねない。

 だから俺は耐えるのだ。ここでカレンの望むように悲鳴を上げては、それこそコイツはそれだけの為に無用の被害を出しかねない。
 正義の味方として、抑えられる被害は未然に防ぐのだ。涙を堪えるのは、この俺だけでいい──!

「……耐えるわね。でも遅漏だって嫌われるって、覚えておきなさい」

「んな事知るかっ! ともかく、もう消毒はいいだろ!」

 消毒のしすぎである。汚物でもないのにどんだけなんだ。ほら、なんか傷口だけじゃなくて周りまで濡れまくりで床も水溜りが出来てるし。

「そうね。じゃあ後はちゃんと治療をしておきます」

「……最初からちゃんとしてくれよ」

 飽きたのか何なのか、テキパキと薬を塗りガーゼを当ててテープで固定したその手際は完璧だった。やはり慣れているのだろう。
 それにしても、まさか治療と称して嗜虐を満たそうとするとは、酷い話である。なまじ最後の手際がいいだけにこれ以上の反論がしにくい辺りが計算っぽい。

 聖骸布も解かれて起き上がる。救急箱に道具を仕舞っているカレンを余所にジーンズをぱんぱんと払って、それから片づけを終えたカレンに向き直る。

「御機嫌よう衛宮士郎。今日は、一体どのような用件で?」

「……いや、なんでそんな何事もなかったかのように挨拶してるんだよ。さっきまでの光景をさもなかったように振舞うな。見ろ、この惨状を」

「大丈夫です。どうせランサーとギルガメッシュに後始末をさせるだけですので」

 ナチュラルに人を扱き使う辺りが非道だ。確かにこんな主なら、逃げ出したくなるのも分かる気がする。

「ん、まあそれはいいとして、別に用事があって来たわけじゃない。通りかかったから寄っただけだ」

 まさかあんな事されるなんて夢にも思ってなかったけどな!

「そうですか。ここでは何ですし、奥に案内しましょう」

「いや、帰るよ」

 ここにこれ以上残ると何されるか分かったもんじゃないからな。やはり気紛れで教会を訪れるのは今後止めよう。鬼門も鬼門、良くない事しか起こらない。

「ここでは何ですし、奥に案内しましょう」

「いや、だから帰るって」

「ここでは何ですし、奥に案内しましょう」

「…………」

 えー、何これ。ロールプレイングゲームの『はい』『いいえ』の全く意味のない選択肢みたいなこの反応。
 正解……この場合カレンの望む答えを言うまでは延々と同じ台詞を繰り返されそうな雰囲気。無限ループだ。

 ふっ、だが甘いなカレン。これはゲームではない現実の出来事。選択肢を放棄するという選択肢だって選べるんだぜ!

 衛宮士郎 は 逃げ出した!

 しかし 回り込まれてしまった!

 というより 聖骸布 に 釣り上げられた!

「またかっ!」

 びたんびたんと陸に打ち揚げられた魚のように虚しい抵抗を試みる。胸の前で腕を組み微動だにしないカレンさんは一体どうやって聖骸布を取り出したのか。いや、この場合そんな事は瑣末な事で問題は別にある。

「知らなかったのですか? 大魔王(わたし)からは逃げられないのです」

「自分で大魔王とか言ったよ!」

「今のは真名解放(メラゾーマ)ではありません……ただのフィッシュ(メラ)です」

「なんでおまえそんな台詞知ってるんだよ!」

 そんなに好きか大冒険!

「……分かったよ、分かったからこれを外せ」

 赤い布は巻き戻り視界から完全に消えた。にっこり邪悪な笑みを浮かべるシスターは背を向けた。

「そうですか。仕方ありませんね。そんなにも私と歓談したいと貴方が言うのなら、仕方ありません。私も職務の時間を削って仕方なくお付き合いしましょう」

「何で今更ツンデレキャラなんだよ。アンタにはもうサドマゾシスターってパーソナリティがあるんだからそれ以上余計なものはつけなくていいよ」

 おまえは一体何処を目指しているんだ。

「もう出番のない貴方とは違って私にはまだ月姫2という出番が残されているのです。今の内にしっかりとキャラ付けをしておかなければ、あのあくの強い面々とは渡り合っていけません」

「……メタすぎるだろ」

 それに俺だって出番が皆無ってわけじゃないんだ。なんか未だ知り得ない青い淑女の代わりにモナコのカジノとか行くかもしれないんだ。まあ、望み薄だが……。

 カレンについていき教会の奥に向かう。中庭を抜けてカレンの自室に連れ込まれる。

「相変わらず殺風景だなぁ。俺も人の事言えないけど」

 石造りの部屋に小窓が一つ。後はベッドくらいしかないカレンの私室。俺の部屋もほとんど物のないただの和室だが、最近では本棚が設置されたりと若干進歩の兆しが見えたり見えなかったり。

「せめて椅子くらい欲しいんだが……」

「ベッドに腰掛ければ良いでしょう」

「いや、でもそれは流石に……」

 女の子の部屋のベッドに、女の子と二人で並んで座るのもどうか。しかもこんな昼間っから。いや、夜になればいいというものでもないが、節度は大事だ。
 なので石床にそのまま腰を下ろす。ひんやりとした石の感触が心地良い。外は結構暑かったからな。

 カレンはそのままベッドに腰を下ろす。そうすると俺は見上げる形になるの、だが……

「おい、なんだこの足は」

 靴を脱ぎ、素足を晒すカレンはベッドに腰掛け、しかもわざわざ俺の正面に座り、カソックの裾をいじらしく捲くり、その細くも綺麗なおみ足をこちらに向けて差し出した姿勢。指の隙間さえ見えそうな距離。

「……? 舐めるのでしょう?」

「舐めるかっ!」

 一体どういう思考回路をしているんだコイツは!

「だってわざわざ地べたに這い蹲るくらいですから、遂に貴方も私に服従の証を示し、忠誠を誓う儀式を取り交わすのかと」

「這い蹲ってねえ! ただ座っただけだ! なんでおまえに服従せにゃならんのだ!? ついでに何処の世界にこんな妙な忠誠を誓う儀式があるってんだっ! しかも『も』ってなんだ『も』って! もう誰かこれやったのか!?」

「突っ込みが長いです。もっと簡略化してくれないと分かりにくいです」

「突っ込ませてるおまえが言うなーっ!」

「突っ込ませてるだなんて……」

「は・じ・ら・う・なーっ!」

 もうなんか色々ダメだ。俺は決してこんな突っ込みキャラではない筈だが、ここまでボケ通されて突っ込まないほど肝要ではない。しかしこのままでは完全にカレンのペース。場所もアウェー。不利に不利を重ねた敵地だ。

 落ち着け、まずは落ち着くんだ。魔術師はクールでなきゃダメなんだ。深呼吸して喉の調子も整える。視界を閉ざして意識を切り替え目を開けると同時に、俺のペースに持ち込むのだ。

 よし、行くぞ!

「とりあえずカレ──」

「だーれだっ」

「ぎゃあああっ!? 目が、目があああっ!」

 ちょ、コイツ、人が気を落ち着けている間に後ろに回って目を開くと同時に眼球を突き刺すとか! だーれだっ、じゃねぇ! その遊びはこんな危険を伴わない筈なのに!

「おまっ、俺の何の恨みがあってこんな真似をするっ!?」

「別に恨みなどありませんが。それよりもだーれだ、と聞かれたら相手の名前を答えるものではないのですか?」

「そうだが、おまえのはただの目潰しだ! 指をコの字にして目を塞ぐな、指を伸ばして添えるように目を塞げ!」

「そうなのですか。てっきり私は目が見えなくとも相手が自分の大切な人であると証明する為の試練なのかと」

「そんな物騒な事あるかっ!」

 何処の世界にそんな危険な真似をして愛を証明しあう遊びが存在するのか。そしてそれをそんな風に解釈できるカレンの頭の中を一度見てみたい。

「……はぁ、本当に俺はそろそろ疲れたよ」

 帰りたくとも大魔王からは逃げられない。カレンを倒されなければ帰還する事叶わないのだ。

「ところで衛宮士郎。最近はどうですか?」

「どうって、別に。変わりないけど」

 どうやら場は収束して雑談を行える程度には落ち着いたようだ。このまま何気ない会話を行い、隙を見て逃げ出そう。

「相変わらずのハーレム状態という事ですか」

「誰がハーレムの王様か。アイツらとはそんなんじゃない。アンタこそどうなんだ、こんな昼間っから活発に動いてて大丈夫なのか?」

「まあ衛宮士郎。貴方は私を心配してくれているのですか」

「いや、まあ……あれだ、知り合いが体調崩したりするのを見て見ぬ振りするのはなんか気分悪いだろ。さっきまでのはっちゃけ振りを見てれば心配なさそうだが」

「ええ。最近は割と健康に過ごせています」

「そりゃ良かった」

「はい」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 会話が続かねぇ! 嗜虐心を満たしている間のカレンは厭に饒舌なくせに、こんな時だけ無口なんてずるい! 静かに目を伏せたりなんかしてるし、なんだか俺だけが居た堪れない気分になる!

「あっ、あー……あれだ、ほら、なんだ……」

 俺とカレンの共通の話題はなんだろう。あ、そうだ、あいつらを引き合いに出そう。

「ランサーやギルガメッシュはどうしたんだ?」

 奴らは主に港か公園辺りに出没しているがまさか日がな一日ずっと教会に戻らないわけでもあるまい。ここから話を広げよう。

「さあ。彼らはいつも私の目を盗んで何処かに消えてしまいますから。全く、言いつけたい用件なんて余るほどあるというのに何処をほっつき歩いているのやら……」

「あいつらだって一日中使い走りさせられたらそりゃ厭にもなるんじゃないか。前確か愚痴ってたぞ。傍に仕えさせるだけで一日中何もさせて貰えないって」

 動き回る事の好きなランサーなんかは立ってるだけなんてのは辛いだろう。それなら走り回る方を喜んでやりそうな感じだ。ギルガメッシュは子供バージョンでもどっちも厭がりそうだが。

「まあ、彼らの話などどうでも良いです。一応、見かけたら一報を。謝礼は出せませんが感謝くらいならば致しましょう」

「考えておく」

 ……ネタ切れだ。もうカレン相手に弾むネタなんてないぞ。というか、コイツと弾む会話はコイツが喜ぶだけで俺が全然楽しくないものばっかりなので無茶振りもいいところなのだが。

 しかしこのまま沈黙を続けるわけにも行くまい。せめて多少でも会話を弾ませて、流れに身を任せて去りたいのだが、

「時に衛宮士郎。耳掻きなどどうでしょう」

 カレンから会話を振ってくれた……が、その内容は、なんだ。

「どうって……何が?」

「耳掻きをして欲しくはないですか、と問うたのです」

「いや、別にして欲しくはないけど」

「耳掻きをして欲しくはないですか、と問うたのです」

「…………」

 また無限ループか。味を占めたなカレンめ。だが向こうに聖骸布がある限り、衛宮士郎が性転換でもしない限り逃げられない。せっかく会話を振ってくれたのでここはそれに乗じてその後に気分良く逃げよう。

「うん、じゃあ、して欲しい……かな?」

「そうですか。そうだと思いました。ではこちらへどうぞ」

 ベッドに上がりカソックの布一枚に包まれた太ももをぽんぽんと叩くカレン。なんだ、こいつは一体何がしたいんだ。しかしして欲しいと言った手前逃げ出すのも何なのでのそのそとベッドに上がり身を横たえた。

「……一応言っておくが、耳掻きで鼓膜を突き破るなんて真似はするなよ」

 この女ならやりかねん。鼓膜は再生するから大丈夫とか言って。

「私もそこまでの非道を行うつもりはありません。せいぜいが貴方を気持ち良くしてあげる程度です」

「…………」

 断じて信用ならないが、ここは信用しよう。この信頼をも裏切るのなら、カレンともそこまでだ。多分無理だが。

「では始めます」

 耳の中に異物感。けれどそれも最初だけで、次第に耳の内側を優しく引っ掻かれる感触に心地良さを覚え始める。
 カレンの手つきは手馴れてはいないが、相手を思う気持ちはあるようだ。慎重に、傷をつけないようにゆっくりとした動きで耳の中をなぞっていく。

「ん……」

「痛かったですか?」

「いや、気持ち良い。もっとしてくれ」

 自分で耳掻きをしても全く気持ち良くはならないが、人にして貰うと何故こうも気持ち良くなるのか。
 聞くところに寄れば他人にして貰うという事が重要らしい。自分の腕を触ったところで何も感じないが、人に触られれば多少なりとも反応する。

 これもそれと同じ原理で、しかも身体の内部である事が殊更その反応を高める。本来自身でしか触り得ない部分を、相手に触られているというシチュエーション。背徳的な感覚がその気持ち良さの原理だ。

「こちら側はこれくらいにしましょうか。では、反対を向いてください」

「顔だけ反対を向けるなんて真似はしないぞ。位置を変えてくれ」

 顔だけ逆を向くとなんというかやばいポジショニングになるのは明白なので、身体ごと反対向きに移動して再度耳掻き開始。カレンならばその行動に何か──卑猥的な何か──を言ってくるかと思ったが、何も言ってこなかった。

「で、なんでこんな事しようと思ったんだ?」

 心地良い感触に身を委ねながら問う。あの悪逆非道、サドマゾシスターとは思えない慈愛溢れる優しい手つき。これを疑わないという方が無理だ。

「何故……ですか。そうですね、強いて言えば、恋人の真似事をしてみたかったのです」

 カレンは訥々と語る。

「私は特定の誰かに特定の愛情を向けられた事はありません。向けられるものは常に欲望でしたから。
 世の恋人というのはこのような行為をすると聞きました。私には今後も特定の誰かは出来ないでしょう。ですからせめて、その真似事だけでもしてみたかったのです」

「…………」

 なんだか微妙に重い話で驚愕を禁じえなかったが、確かに、カレンの素性と体質から今後を慮れば、それは有り得ない未来というわけでもない。
 一般人のように恋をし愛を育む行為は、彼女からは遠いところにある。少なくとも本人はそう思っているに違いない。

 それはなんだか、寂しかった。だから俺は、そんな言葉を口にする。

「そっか。じゃあそいつは光栄だ」

「え?」

「だって今耳掻きされてる俺は、少なくともカレンが嫌いな人間じゃないって事だろ。恋人の真似事をするに足る人間だって思われてるって事だろ。ならそいつは、光栄以外の何物でもない」

「……優しいのですね、貴方は」

「優しくなんかない」

 特定個人に向けられない優しさは、厳しさとの違いなどありはしないのだから。

「それでも貴方は優しい。私にとっては優しいと思えるのです。ですからその優しさに、今だけは甘えさせて下さい……」

 カレンの顔が近づく。肌が触れ合うほどの距離。左右の頬に添えられた手が熱を帯び、自身の身体もまたこれより起こる事を想像し期待した──

「やっほーカレーン。今日も面倒な定時報告に来て上げたわー……よ?」

 その瞬間を、誰かの声に引き裂かれた。

 位置関係的にカレンの顔で俺はその新たなる登場人物の姿は見えなかったが、声で判別はついた。遠坂だ。遠坂凛。

 今現在、俺とカレンの唇は触れてはいない。が、遠坂から見ればカレンに膝枕された俺がカレンとキスしているように見える筈だ。というかそれ以外に見えまい。

 余りにカレンと距離が近すぎて、声を出そうにも出せない。視線だけを動かし銀髪金眼の少女の顔を見る。

「……ふふ」

 案の定、サドマゾシスター様は邪悪に嗤っていらっしゃいました。

「あー……あー、えっと、ごめん、ね? 邪魔しちゃった、みたい、で?」

 未だ微動だにしないカレンの動くに動けず声すらも発せない俺に届く遠坂の困惑の声。想像しか出来ないが、忙しなく視線を彷徨わせ妙なところで自分のうっかりが発動したとか思っているかもしれない。

「あー、うん。じゃあ、わたしはこれで」

 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られても死ねないとか言ってた遠坂だ。流石にこの場面を見れば潔く引くだろう。ていうか、完全に引いてるに違いない。

 ぱたん、と閉じられるカレンの私室の扉。どたどたどたーっと走り去っていく遠坂の足音がよく響いた。
 カレンが身を起こす。美貌に三日月が輝いていた。

「そろそろ日暮れも近いようですし、今日はここまでにしましょう。では衛宮士郎、さようなら。またいつか」

「いやいやいやいや。おまえ、こんな場面見られて何平然と流してんだよ。遠坂に弁明しないと俺がまたあらぬ嫌疑にかけられる!」

「あら、私達はただ耳掻きをしていただけでしょう? 何を恥じ入る事があると言うのですか?
 釈明の必要性も皆無です。ただありのままの事実を話せば事足ります」

「……おまえ」

 っていうかこれが狙いかこのシスタあああああああっ!

 最悪の置き土産だっ! せめてこの教会内で完結していればまだ救いはあったが、あんな場面を遠坂に見られた以上今夜の衛宮邸はその話題に持ちきりになる。
 そしてこのシスターはその様を、俺が右往左往し槍玉に挙げられる様を想像し、ほくそ笑む気なのだった……!

「性質が悪いにも程があるだろっ!」

 自らの嗜虐心を満たす為にそこまでやるか普通っ!? コイツに溢れてるのは慈愛じゃなくて自愛だった! 三分前の俺の馬鹿!

「さあ早く帰りなさい衛宮士郎。未練たらしく居残っても残飯以外に出すものなどありませんよ」

「容赦なしっ!」

 まるで一度抱いたら飽きたから捨てるプレイボーイみたいな台詞! 酷すぎる!

「ではまた後日に。ああ、今夜の詳細は期待していますので。今度会った時にでも仔細に教えて下さいね」

「誰が教えるかーっ!」

 そうしてようやく解放された俺だったが、帰路につく足取りは果てしなく重い。終始悪魔めいたシスターに振り回された正義の味方。

 大魔王からは逃げられない。

 ああ、確かに。一度エンカウントした以上、殲滅するまでその魔手からは、決して逃れる術はないのであった。









後書きと解説

なんだこれの短編。超久々の短編でした。

士郎くんとカレンさんの掛け合いっぽい何か。
性格破綻してるのはキニシナイ!
落としどころが分からなくてグダグダに。

某物語の掛け合い風味を目指したのだけれど、無理だった。
会話だけでやり取りとか、不可能すぎる。

まあ久々の一人称って事で一つ。
さて、次の短編はまた一年後だろうか……。



2009/06/12



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