渦巻く策謀-後編 「さて、翡翠さん。 アルクェイドの部屋に来ましたが……ここで一体何を証明してくれると言うんですか?」 「はい。では、失礼して…………」 「そこまでだ、翡翠。それ以上アルクェイドに近づくな」 「────っ、志貴さま!?」 翡翠がアルクェイドの横たわるベッドに手をかけようとしたその刹那。 俺はそう言葉を発した。 弓塚さんに話を聞いていたせいで少し遅れたが、なんとか間に合ったようだ。 「? 遠野くん? どういうことですか?」 疑問符を掲げる先輩達。ま、そりゃそうだろう。 もし弓塚さんがいなきゃ俺だって流されるままだったろうからな。 「──────翡翠」 「────────」 ひんやりとしたモノが背中を流れ落ち、彼女と視線が交錯する。 俺だって信じたくはない。 だけど、弓塚さんの話が本当なら…………。 「翡翠…………君が犯人だったんだな」 渦巻く策謀-後編/Devise a Stratagem III
/1 「は? 翡翠さんが…………犯人?」 「ええ。そうです、先輩。 アルクェイドを昏倒させた犯人。それは翡翠だったんです」 沈黙と静寂と。外気による騒音だけがその世界を包み込む。 カーテンから漏れる閃光が皆の姿に影を作る、そんな中──── 「僭越ながら、志貴さま。 私が犯人である、と断定する証拠はお持ちなのでしょうか」 「ああ、もちろん。 弓塚さんが全部教えてくれたからね」 全く動揺の色を見せない翡翠に対し、こちらもその色を見せずに答える。 ああ、俺だって信じたくないんだ。 だからこれは、翡翠の口から真実を聞くために真相を暴くんだ。 「順を追って説明しよう。 弓塚さん、手伝ってくれるかな?」 後ろにいる彼女に顔だけを向ける。 「う、うん」 コクリと頷いてくれた弓塚さんに一歩前に出るように促し、 「じゃあ弓塚さんが見たものについて教えてくれるかな」 「ええとね、わたしが九時から十時の間に一度客間を出たって言ったのは覚えてると思うんだけど。 その時ついでにお水を貰おうと思って居間から厨房に入ろうとしたの。そこで…………琥珀さんとアルクェイドさんが一緒にいるのを見かけたんだ」 「え、私ですか?」 小首を傾げるのはもちろん琥珀さん。そう、 「それは何時頃の話なんでしょう?」 と秋葉。 「えーと、九時四十分くらいだったと思う」 「……それはおかしいわね。 その時間は間違いなく私は琥珀とお風呂に入っていたんだもの」 「はい、秋葉さまの言う通り、私はその時間は浴場にいました」 ここで弓塚さんの言と秋葉の言の間に齟齬が出来る。だがこれは計算通りだ。居てはならない場所に居る筈のない人物。それが今回の謎の最重要のカギと言える。 「うん、わたしも最初に見たときは全然不思議に思わなかったんだけど、二人のアリバイを聞いた後だと、あれ、おかしいな、と思って。 それでわたしの目の錯覚だったんだろう、と思って黙ってたんだけど」 そこで言葉を区切った弓塚さんの後を俺が引き継ぐ。 「ああ、確かに弓塚さんや有彦がその姿を見て、秋葉達のアリバイを聞いたとしても違和感を感じる程度のモノだと思う。だけど俺達は違う。そうだろ、秋葉」 「…………そうですね。九時から十時の間は私は間違いなく琥珀と一緒に居ました。つまり、その間に他の場所で琥珀の姿を目撃する事は出来ない。本来なら、ね」 「…………なるほど。変装、ですか」 そこから推測できる事を先輩が口にする。 そう、琥珀さんと翡翠は双子。その外見の違いは瞳の色くらいだ。同じ衣装を着てカラーコンタクトでも入れてしまえば俺たちでさえ見分けがつかないだろう。 実際琥珀さんが幾度となく翡翠に変装し、騙されてるからな。 「でも一体…………何故翡翠さんは琥珀さんに変装などしたんですか?」 「簡単だよ、先輩。犯行を琥珀さんのせいにする為だ。 それにもし翡翠がそのままの格好で厨房に立っているのを見かければ、俺達は不審に思うだろう。厨房は琥珀さんの管轄だし、翡翠も滅多にそこに立たないからね」 翡翠がそこに立つ事があるとすれば、密かに料理の練習をする時か…………俺に梅サンドを作る時くらいだろう。 客が来ているこの状態で練習しようなどとは翡翠も考えまい。 「本来アリバイを聞かれる事すら翡翠にとっては予定外だったんだ。 でなければ秋葉と琥珀さんが一緒にいたと証明されてしまえば、厨房にいた自分は翡翠だと明確になってしまうから」 それでは変装の意味がない。むしろ何故変装していたのか問われるところだろう。今みたいに。 そこから導き出せることは唯一つ。 「翡翠はアルクェイドを狙っていたワケじゃない。 なんらかの不都合によって、仕方なくアルクェイドを昏倒させたんだろう」 「どういうことですか、兄さん?」 「えー……つまりだな、翡翠が何かの目的を持って厨房にいたことは間違いない。だけどそこにアルクェイドが来た事は予想外だったんだろう。 それでアルクェイドに見られたくないものを見られた。だから仕方なく翡翠はアルクェイドを昏倒させたんだ」 そう考える方が辻褄が合うだろう。 だって翡翠にアルクェイドを貶める理由はないと、自分でそう言っていたんだから。 「で、推測を交えて纏めると、翡翠はアルクェイドじゃない誰か、多分秋葉か俺に何かをしようとしていたんだと思う。琥珀さんに変装してたのに、琥珀さんを狙ったんじゃ意味がないからな。 しかしその準備の最中にアルクェイドが現れた。んでそこでアルクェイドに見られたくないもの……この場合凶器かな。それを見られたんだろう。それで仕方なくアルクェイドを昏倒するように仕向けたってワケ」 色々と無理な点はあるが多分こんな感じだろう。 ぶっちゃけた話、俺が全てを暴けるとは思っていない。俺は刑事でも探偵でもないからな。だが真相を知る唯一の人物がここにいるんだから、その人物に問えばいい。 「さて、翡翠。何か言いたいことはあるか?」 俯いている翡翠は前髪に隠れてその表情を窺い知る事は出来ない。 どう出るか、ここが勝負どころだ。 「さすがは志貴さま、私がお仕えする主人です。 はい、志貴さまの仰る通り、アルクェイドさまを昏倒させたのは私です」 顔を上げた翡翠は予想とは裏腹に、自分で自分の行為を認めた。 「確かに志貴さまの仰る通り、私はアルクェイドさまではなく他の方に毒を盛るつもりでした。 しかし私がその準備をしている時に唐突にアルクェイドさまがおいでになりまして。そこで毒を僅かながら盛らせていただきました」 なるほど、洗脳探偵の本領発揮ってところか。 厨房で昏倒させては何故そこにいたのかと問われるだろうから、客間の前まで洗脳で誘導し、そこで昏倒させた、というワケ……かな? あるいは相手はアルクェイドなんだから、適当な理由をつけて自室で食べるように仕向けるだけでも通じるだろう。 「そして私がシエルさまを犯人と断定とするような事を言い、皆さまをここに誘導したのも偏にアルクェイドさまが起きては面倒だからです」 「確かに昏倒しただけのアルクェイドが起きてきたらそれで全部バレちまうしな。それでバレないよう、もう一度毒を盛る為に場の流れを操作したってわけか」 探偵であり、犯人である事が犯行の場において最強であると定説した翡翠が本当はその役回りだったなんて。 なんて──────皮肉。 「だけど翡翠。何だってこんなことしたんだ?」 仮にもし翡翠が見えないストレスに圧され、事を起こすことになったとしても、この状況では静観を決め込むのが普通だろう。 わざわざ来客の多い時を狙って凶事に走る理由が存在しない。 「それを志貴さまにお伝えする義務はありません」 「む…………」 そりゃないけど。まだ何かが引っかかってるんだよなあ。 「じゃあちなみに凶器……アルクェイドを昏倒させた毒物ってのは何だ?」 「それは…………こちらです」 翡翠のポケットより取り出された小さな紙包み。 解いてみれば、中には…………チョコレート……に見えるものが入っていた。 「えっと、翡翠。これは……?」 「私が作ったチョコレートですが」 「…………………。 翡翠。君はコレを毒物だと理解していて使ったのか?」 「はい。それがどうかしましたか?」 ありえない。それは、おかしい。 「アンタ────誰だ?」 俺が見つめるのはもちろん翡翠だ。だが…………コイツは翡翠じゃない。 「何を言っているんですか、遠野くん?」 「おかしいんですよ、先輩。 翡翠は自分の作った料理を毒物だとは理解していない。ただ少し人とは味覚が違うだろうとは理解はしていると思いますが」 梅サンドは梅を挟んだだけだから、そこまでの効果はないだろうけど。いつか食べた手作りチョコレートはグレートな味だったのを脳が記憶している。 そりゃもうトラウマになりそうな程に。 「え、ええと、それはつまり…………?」 そんな俺の冗談みたいな言葉を真に受けてくれた先輩。 ああ、だがそれは本当の事。アレなら確かにアルクェイドといえど、昏倒せざるを得ないだろう。 「つまり今目の前にいる翡翠は本物の翡翠じゃないか、誰かに操られてるってことです」 なるほど、それなら全て辻褄が合う。 この大胆不敵な行動、無理だと解っていてなお実行する強硬姿勢。普段の翡翠ならこんな無様な真似はしない。 そして何故翡翠が今の状態に陥っているのかも、本当の真犯人もようやく解った。 「ふ、ふふふふふふふふふふふ」 翡翠の口元から漏れる薄ら寒い笑みと声。 これで疑惑は確信へと変わり、虚構は真実へと昇華する。 「さすがは志貴さま。私がお仕えすべき唯一人の主人です。 やはり貴方は────最初に倒すべき敵だったようです!」 翡翠の胸の前に構えられた腕が、円を描くように回転を始める。 こ、これは、あのっ────! 「志貴さまを、愚鈍です、愚鈍です、愚鈍です」 「ぐっ────体が、言うことをきかなっ…………!」 そして蒼く螺旋する瞳が俺を捕らえ、翡翠が言葉を発する時。 「────行きますっ! 暗黒翡翠流、ご奉仕すいしょ────……」 「────いい加減になさい!」 今まで静観を決め込んでいた秋葉がお嬢キック一閃、翡翠を吹っ飛ばした。 「あ、秋葉…………?」 「まったく! 最初から翡翠がおかしいと気づいていればこんな面倒な事をせずに済んだのに。そもそもアルクェイドさんが悪いんです。やっぱりアルクェイドさんはあーぱー吸血鬼ですね。 しかも何、翡翠は私か兄さんを狙おうとしたですって……? 不届きにも程があります! 翡翠! 貴女来月から給料カットよ!」 と、フーッフーッと肩を上下させながら気絶している翡翠に吐き捨てた。 「や、秋葉。ちょっと待ってくれ。翡翠は洗脳されてただけなんだから、それほど重い罪でもないだろう。 それにアルクェイドを昏倒させた犯人は確かに翡翠だが、それを裏から操ってた真犯人がいたとしたら…………どうだ?」 「なんですって…………?」 「最後、翡翠は自分から洗脳されているような言葉を発した。それはつまり、今まで静観し 翡翠と俺達の様をほくそ笑みながら見てた人がいるってことだ。 ねえ──────琥珀さん?」 「あはっ、それはどういう事でしょうか、志貴さん?」 普段通りの朗らかな笑顔。まるで邪気のない向日葵のような笑顔。 だけどその裏にあるのは──── 「今思えば色々とおかしかったんですよね。 アルクェイドが昏倒したときも、翡翠が犯人と断定された時もまるで全てを見透かしているように動じなかったのは琥珀さん、貴女だけなんですよ」 それが普段通りの琥珀さんだったから余計に気づきにくかった。 「もし今回の事件が琥珀さんがまったく預かり知らない事件で、しかも翡翠が犯人だと知ったら、琥珀さんなら何が何でも翡翠を庇うような行動に出るでしょう」 俺以上に頭の回る琥珀さんなら一早く真相を見抜き、もし翡翠が犯人なのだとわかれば必ず根回しをする。それが俺の知る琥珀さんだ。 琥珀さんは身を呈してでも翡翠を守る。それは絶対の不文律。 「なるほど。 翡翠ちゃんが窮地に追い込まれていながら助けるような行動をしなかったから、私は全部知っていた上で傍観していた、と。志貴さんはそう仰りたい訳ですね」 「ええ、そうです」 俺の言葉にくすくすといった感じで口元に手を当て、笑っている琥珀さん。 さて、どうでるかな。 琥珀さんは全てを知っていたんだろうと予測はしたが、証拠はない。 「ふふ、翡翠ちゃんじゃありませんが流石は志貴さんですね。 はい、私は最初から全部知っていました」 「最初から…………とは何処からですか?」 「翡翠ちゃんがおかしくなった所からです」 それは、つまり。 「はい、志貴さんの想像してらっしゃる通り、翡翠ちゃんがおかしくなっていたのは私の薬のせいです。 あ、言っておきますが私が翡翠ちゃんに使ったわけじゃないですよ。翡翠ちゃんが勝手に使ったんです」 「と、言うと?」 「秋葉さま達が三すくみ状態になっているときがありましたよね。 そして私はゲームをしよう、と提案しました。 それで翡翠ちゃんにトランプを取りに行ってもらった時に────」 「────何らかの事故で琥珀さんの部屋にあった薬を翡翠が使ってしまった、と?」 ええと? それはつまり琥珀さんは意図してこの事件を生み出したわけじゃなくて、本当の偶然によって生み出された事件だってことか? 「はい、今回の騒動はまったくの偶然です。 策を弄する、という言葉がありますが、私にしてみればこれは三流の言葉です。 本当の策士とは自分が原因になるでもなく、原因を与えるのでもなく、原因を生み出すだけでいいんです。因果関係を積み上げるのが仕事と言いますか────……」 ピンッ、と指を天に向けて講師よろしく“策士とは、かく在るべき”を説きだした琥珀さんを尻目に思考を回転させる。 とりあえず今回の騒動を纏めてみようか。 まず有彦が俺の家に来ると言い出して、それ以上の面々が集められた。 それで険悪な状態となった秋葉達に琥珀さんがゲームをしよう、と持ちかけ、翡翠が琥珀さんの部屋にトランプを取りに行った。 そこで何があったのかはわからない。だけど何らかの事故によって翡翠は琥珀さんの部屋にあった薬を使ってしまった。 その影響で翡翠は策を弄し、毒物…………自分の作った料理を俺か秋葉に食わせようとした。だが天真爛漫、能天気なアルクェイドがその最中に現れ、翡翠はやむ終えずアルクェイドを巻き込んでしまった。 だけどここがおかしいんだよな。わざわざアルクェイドの第一発見者になる必要なんてないのに。 「で、あるからしてー、自分が主犯さんになるのでもなく、わざわざ主犯さんを用意するでもなく───………」 「琥珀さん」 一人談義を続ける琥珀さんの話の腰を折って話しかける。 「はいはい、何でしょうか、志貴さん」 「翡翠が使った薬ってどんな薬ですか?」 「本能を刺激するお薬です。翡翠ちゃん、いつも理性で本能を押し殺してる所があるので余計に効果が出たんですねー」 つまりこの場合の翡翠の理性がメイド根性だとするなら、本能は俺か秋葉への鬱憤と洗脳探偵ってとこか? 鬱憤晴らしに失敗したから今度は探偵役を気取る為にあえて事件を露呈させた、とか。そこに理性の介入の余地がないのなら、無理矢理な行動も頷ける……か。 あるいは自室で食べるようアルクェイドに促したにも関わらず、アイツは待ちきれずに自室の前で食べてしまって倒れていた、とか? どれも推測の域を出ないが重要なのはそこじゃなくて。 ま、事件のあらましはこんな所かな。 本来起こりえる筈のない事件。それが今回の事件の真相か。 まったく、この家は本当に飽きないな。 「というわけだ、秋葉。 俺は翡翠を寝室に運んでくるから、後よろしく」 「はい。わかりました、兄さん」 「えーですからー、って……え、ええ? あ、秋葉さま? なんで髪を真っ赤にしておいでなのでしょうか…………?」 上擦った琥珀さんの声。 そして闇に溶ける漆黒の髪を目も冴える真紅の髪へと変化させ、口元を歪ませる秋葉。 「ふふ、簡単でしょう、琥珀? 貴女は因果関係を積み上げるのが仕事だと言っていたけれど。 それはれっきとして事件に関わっているという事よ」 そう、直接的にも間接的にも関わっていないのが理想、と琥珀さんは説いているが、原因を生み出している時点でもう充分関わってるんですよ。 だったら、ほら。事件の真犯人には罰が必要でしょう。 「さ、先輩達ももう夜も遅い事ですから部屋に戻りましょう」 「し、志貴さん!? ちょっと、助けてくれちゃったりしないんですかー!?」 「今回は残念ながら。 秋葉と二人きりでどうぞ、ごゆるりと」 微笑み一つを残し、翡翠を担いで部屋の外へと出る。 ────遠くには悲鳴。 こうしてようやく、俺達の長い夜は幕を閉じたのだった。 「あ、秋葉さま……そんな、あっ、やっ…………ひぃあ!? そ、そこはダメですぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」 後書きと解説 なんじゃコリャァァァァァァァァァァァァァァ! というわけで解決編でした。 月姫の面倒事は結局琥珀さんに帰属するという、私の中にある“月姫とはかく在るべき” を表現してみた三編でした。 翡翠が犯人だ、と読んでいた方は多かったですが、そこから先を推測する猛者はいませんでした。 そりゃそうですよねぇ、こんなん読みきれるはずがない。 私の脳内を覗くくらいじゃないと無理っぽい、と自分でも思いますし。 ま、裏の裏は結局表だったということでどうか一つ。 リクエストをくださった方のご意向に添えたかはわかりませんが、こんな感じで。 そしていつの間にか出番を失った有彦に乾杯。 web拍手・感想などあればコチラからお願いします back |