少女と野獣の物語









「てやーーーーーーーー!」

 広々とした空き地に響くのは気合の入った声。そして拳と拳がぶつかり合う、乾いた音が木霊する。

「ふっ────はぁ!」

 少女の全体重を乗せた渾身の一撃。
 だがしかし、巨体であるにも関わらず、それをフワリと避けるパンダ。

 そう────少女と拳を交えているのは間違いなくパンダだった。

 その体は白と黒の織り成すハーモニー。
 額には漆黒の星、胸には三つの点を描き、そして背負うは七つ夜の刺繍。

 そんな人間大のパンダが何故こんな普通の町の普通の家の裏にある空き地にいるのか、それは余りにも些細な事だ。

「はっ、てぃ、やぁーーー!」

 八極拳を模した少女の拳は高校生にしては出来すぎていた。女性特有のしなやかな体から打ち出される拳法は固さがなく、流麗。流れるような動作は何年と修練を重ねてきたことが窺える。

 だがそこはパンダ。数多の死線を潜り抜けてきた彼にとって、それはまだまだ児戯に等しい。
 少女に『師匠』と呼ばれている彼は、その卓越した技術を以って教え子たる少女に指南……というより組み手の相手をしていた。

 …………何故ならパンダの技法は格闘術ではなく、純粋な暗殺術だったからだ。
 それでは拳法を主とする少女に伝えられる技はない。だが相手にとって不足がなかったのも事実である。

 ドン、という音共に弾ける両者の体。
 パンダの拳が少女の体を捕らえ、痛恨の一撃を見舞った音。

「くっ………つぅー……」

 だがパンダとて彼我の力量の差を理解出来ている。故にその一撃は加減されたものだ。

「よし、今日はここまでだ」

 パンダが人語を発し、舞った砂を払うように体を叩いた後、倒れた少女に掴む事の出来ない手を差し伸べた。
 それを支えに起き上がった少女は、

「押忍! ありがとうございましたっ!」

 と元気に挨拶をした。






少女と野獣の物語/It separates from meeting




/1


 少女は小さな探し物をしていた。
 それは本人もぼんやりとしか覚えていない『お兄ちゃん』と呼んでいた人。

 幼い頃に別れ、今では何処にいるのかすら定かではないお兄ちゃん。微かな記憶に残るのは『お兄ちゃんは悪い魔女に連れて行かれたんだ』という事。
 それがトラウマとなってか、少女は恋話にいまいち興味が持てないらしい。

 そんな彼女が得意とするのは子供の頃より趣味で続けてきた拳法。

 それも災いしてか、女の子っぽい遊びより男の子に混じって遊ぶ事を少女は好んでいた。
 そんな有り余る才能とガッツを地元の高校のスーパー合気道部で発散させているのが少女の現状だ。

 そして時は遡り、中学の頃────少女はパンダと出会った。

 家の裏にある空き地にそのパンダはいつの間にか存在していた。一人でシャドーをしたり、ぼんやりと空を眺めるそのパンダは露骨に怪しかった。
 ソレを不審に思った少女は、持ち前の拳法でそのパンダを退治しようと決意するも、易々と返り討ちに遭ってしまう。

 そう、パンダは少女の拳法を軽く凌駕するほどの腕の持ち主だったのだ。

 その強さに惚れ込んだ少女はパンダに弟子入りを志願した。
 それをパンダは快諾し、今に至る、というわけである。





/2


 ────ある夜のこと。

 空き地の土管の上に並んで星を眺める少女とパンダ。

「ねえ、師匠」

「なんだ」

 愛らしい外見にも関わらず、どこか皮肉の混じった言葉を話すパンダ。
 最初はそれを恐く感じた事もあったが、これはこれで慣れると味があっていい、と少女は思い、今ではそれに心地良ささえ感じていた。

「あたし、お兄ちゃんにまた逢えるのかな」

「──────」

「えへへ、そのお兄ちゃんの事、あたし小さかったからあんまり覚えてないんだけど、大好きだったっていうのは今でも覚えてるんだ」

 少女は満天の星空を見上げたまま、嬉しそうにそう語った。

「────逢えるさ」

「え?」

「都古はそのお兄ちゃんの事、好きなんだろ?」

「うん」

「ならその相手だって、都古の事を嫌いな筈がないだろう」

「…………そう、かな。
 でもお兄ちゃん、何にも言わないで居なくなっちゃったし……」

「ソイツには言えない理由があったんだろう。
 だけど都古はソイツの事が好きで、ソイツもきっと都古の事が好きだった。
 ならソイツは帰ってくるさ。
 好きな相手を置いて永遠に消えちまうヤロウなんていない」

「そう、かな…………うん、そうだよね!」

「ああ、だから都古は信じて待っててやれ。
 そんでソイツが帰ってきたら、その拳法でどてっぱらに一発くれてやればいい」

「うん、そうする! あたしを置いて消えちゃったお兄ちゃんに、あたしはこんなに強くなりましたって教えてあげるんだ。
 だから師匠、それまでよろしくお願いします!」

「ああ、厳しく行くぞ」

「押忍!」





/3


 そんな誓いを交わしてから早数ヶ月。
 今日も今日とて少女と組み手をする為に訪れた空き地で。
 パンダはアリエナイものを見た。

「かっ……はっ…………あ、あぁ、げほっ、げほっ……」

 地に横たわる少女。
 体は傷だらけで、口からは血を垂らし、大地に赤い斑点を作っている。

 それを囲むのは同年代、あるいは若干年上の男達の姿。その中心に背を丸め、耐えるように蹲る少女の姿があった。

「ヒャハハハハ、女のクセに生意気なんだよ、おまえ!」

「そうだぜ、大人しくしてりゃこんな目に合わずに済んだの、よっ!」

 男の蹴りが少女の体を打つ。

「あっ……やっ!………が、はっ……………」

 その男達はいつか少女に手痛い仕打ちを受けた者達だった。学校で堂々と悪行を働くソイツらに、少女は一人果敢に立ち向かいコレを倒したのである。

 だがプライドと体面を傷つけられた男達はやられっぱなしでは終わらなかった。
 より多くの仲間を集い、報復の時を待っていたのだ。

「ひゃははははははは、いいザマだぜ。これに懲りたら俺達に構うんじゃねぇ!」

「そうだ、女のクセに拳法なんて齧ってんじゃねえっつの!」

 少女がいかに拳法を学んだ者とはいえ、相手は男、しかも複数だ。
 それでは流石の少女でも手も足も出なかった。



「──────おい」



 空き地に響く重低音。
 限りなく重い響きを乗せた言葉が、男達の耳を突く。

「あん?………ってギャハハハハハハハ! パ、パンダ! パンダが喋ったぜ!」

「ぶははははははは、こんなトコに着ぐるみ着てるバカがいるぞ!」

 男達の野卑た声が辺りを包む。

「…………あ、……し、しょ……う」

 掠れた声で、しかしその姿を認めた少女は安堵の息と共に精一杯の声を吐き出した。

「ぶはっ、聞いた、聞いた? あのパンダ、コイツの師匠だってよ!」

「ギャハハハハハハハ、ありえねー。コイツぜってー俺達を笑い殺す気だって!!」

 心底可笑しそうに笑い続ける男達を尻目に、パンダは、

「────黙れ。群れなきゃ何も出来ないクズが」

「あぁ? 今なんつった、このパンダが!」



「汚い手で、オレの妹に触るんじゃねぇって言ったんだよ!」



 爆ぜた。
 その巨体には似つかわしくない速度でパンダは大地を駆け、男達の懐へと飛び込む。

「なっ──────!?」

 その突飛なまでの行動。その理解の上を行く速度の前に、男達は微動だに出来なかった。
 易々と相手の懐へと入り込んだパンダは、

「極彩と散れ────」

「……………が、はっ」

 ナイフではなく拳を走らせ、刹那の内に男達を昏倒させた。

「し、しょう…………」







 パンダは少女を背負い、少女の家へと歩く。
 空き地は家の裏にあるのだからそれは些細な距離だが、少女は嬉しそうにその背中に揺られていた。

「師匠、一つ聞いてもいい?」

「なんだ」

「あたしが倒れてた時、師匠あたしの事、妹って言わなかった?」

「…………気のせいだろ」

「嘘だ。師匠絶対妹って言った」

「弟子の間違いだろ」

「嘘だーっ、師匠絶対言ったもんっ!」

 夕焼けに染められたその世界で。
 そんな終わりのないイタチゴッコなやり取りをしながら、少女とパンダは家路を行く。

 赤い光を受けながら笑顔で嬉しそうに語る少女と、多くを語らず少女の話に耳を傾け、気だるそうに相槌を打つパンダ。
 それはまるで、本物の兄妹のようだった。





/4


 それからも少女は毎日パンダと組み手をし共に語らう。時にはケンカをすることもあったけど、少女はそんな毎日を、パンダと共にある日々を楽しいと思っていた。

 ──────だが月日は否応なく流れ続け、その刻限は訪れる。

 いつも通りの空き地で、いつも通り組み手をしている時。
 不意に背後から、色褪せることなく少女の記憶に残っていた声が聴こえた。

 振り向けば、

「お、お兄ちゃん…………?」

 その言葉に口元を緩める青年。
 それは間違いなく、少女が兄と慕った少年の成長した姿だった。

「お、おにいちゃーーーーーーーーーーーーん!」

 全身全霊を以って青年の胸に飛び込む少女。

 また逢えると信じて待っていた兄と呼んだ者との再会。待ち焦がれていた人との再会。
 それは少女にとって何物にも代え難い喜びだった。

「……っそうだ!
 師匠! 師匠の言ったようにお兄ちゃんがかえっ────」

 振り返ればそこに。

 ──────師と呼んだ者はいなかった。

「師匠……………?」

 あるのは古ぼけた着ぐるみ。
 それが打ち捨てられたように転がっているだけだった。

「えっ………なん、で?」

 風に揺れるその着ぐるみは、間違いなく師匠であったもの。
 だからわからない。師は、何処へ行ってしまったのか。

「あっ────………」

 それで少女は多くを語らなかった師の言葉を思い出す。

『オレは灯油の入っていないストーブのようなもんだ。中身はなくて外見だけの、温かさを与えられない存在。ただ冷たいだけの機械。
 そして、中身が戻った時、オレは…………いや、何でもない』

 そして、己の言葉を思い出す。

『うん、そうする! あたしを置いて消えちゃったお兄ちゃんに、あたしはこんなに強くなりましたって教えてあげるんだ。
 だから師匠、それまでよろしくお願いします!』

「あっ、あああ、あああああっっ………!」

 そうして少女は知る。
 師の漏らした言葉の意味を、自分の放った言葉の意味を。

「あぁ、うわあああああああああああああ……!」







 何も言わず胸を貸してくれた青年の元で一頻り泣きはらした後。
 少女は未だ熱い目じりを拭い、

「師匠っ! 今まで、ありがとうございました……!」

 大きな声で、そう、かつて師と仰いだ者に別れを告げた。

 ────だけど師匠。師匠は一つだけ間違ってるよ。
 師匠は自分の事を中身のないストーブ、冷たい機械だって言ってたけれど。
 それは間違いだって、あたしは言い切れる。

 だって師匠は、あたしの心にこんなにも温かいものを、残してくれたんだから。



 ────大好きだった人と逢い、大好きだった人と別れた日。



 その日の事を少女はきっと忘れない。
 その日までの出来事を、少女はきっと忘れない。

 胸にあるその思い出を大切にして、少女は強く────生きていく。









後書きと解説

パンダ師匠にフォーリンラヴ。
コレ、本当は拍手内SS用に書いてたものなんですが、思いの他長くなったんでこっちに移動しました。
結構妄想入っとりますが、こんな感じかなぁ……て思いで書いてみました。

空想を空想のままにしておきたい方はスルーして下さいませ。



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