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夢の在り処









「……志……さ……。……貴……さま」

 誰かが呼んでいる。ああ、これは翡翠の声だ。ということはもう朝なのか。
 だけど身体の自由が利かない。いつもはもっとこう、意識の大海からゆっくりと止まることなく水面へと浮かび上がってぱっちり目が覚めるはずなのに、今日に限ってあと数センチのところで身体が停止して、水面越しに太陽を見ているように胡乱な感じ。

 ゆらゆら揺れて沈むことも浮かぶことも出来ない。視界はぼやけ、何がホントウで何がウソなのかすら判らない。
 ああ、なるほど。きっと身体がまだ寝ていたいって訴えているんだろう。脳は起きなきゃって信号を送っているのに身体がそれを拒絶する。
 でもせっかく起こしに来てくれた翡翠に悪いし、なんとか起きないと。

「あ……なんだ……ま……ね……この……ね……けは」

「……さ……」

 と、そんな風にゆらゆらと水の中にたゆたっていると声が増えた。
 ……琥珀さんだろうか。秋葉だったら拙いなぁ。いつも俺が起きてくるのを待ってるみたいだし、とうとう業を煮やしたか。朝から再起不能なダメージは勘弁願いたいところなんだけどなぁ。
 でも身体は動いてくれないし、目はその二人の姿を捉えてはいるけど、確かに開いているのかさえ判らない。いっそのこと手荒でもいいから起こして欲しい。

「……ま、……いっ……何……を?」

「きまっ……ろ。……の……を待たす……は……だ!」

 何も出来ない俺の隣で二人は会話を続けていた。そしてその最後に、息巻いて片方が床を蹴って空に飛んだ。……飛んだ?

「いい加減に起きろ、このねぼすけがっ!」

「ぐほぅ……っ!?」

「志貴さま……!?」

 呼吸停止。意識覚醒。飛んだヤツがあろうことか安らかに眠る人目掛けて空中から蹴りを放ってきやがった。無論動けない俺は腹部に直撃。手荒でもいいから起こして欲しいとは思ったけど、これはやりすぎだ。悶絶する俺を余所にそいつは、

「よう、やっと起きたかよ志貴」

 そんなことをのたまった。

「げほっ、げほっげほっ……! 一体なんなんだ朝っぱ、ら……から……?」

 覚醒した意識でそいつの顔を認識する。そして俺の思考はまたしても停止した。

「シ……キ……?」

 その名を呼んで、自分で自分の言葉に懐疑した。
 でも見間違える筈がない。幼い頃とは姿形は変わったけれど、俺が見間違える筈がない。
 枕元に置いてあった眼鏡をすぐさま取って、そいつの姿を凝視する。
 ざっくばらんに切り揃えられた白い髪。
 鋭い瞳は赤い光を宿している。
 着流しを着たその風貌は、間違いなくシキのものだ。

 だけどソレは有り得ない。だって。だってシキは────

「おーい志貴くぅーん? まだ寝てんのかぁー? もう一発いっとく?」

 人の顔の前で右手をひらひら。
 そんなものを気に掛ける余裕なんてない。なんだ? 俺はまだ寝てるのか?

「本当に……シキなのか?」

「オレがオレ以外に見えたのならオマエの目はもうダメだな。誰かに取り替えてもらえ」

「翡翠……? コイツ、本当にシキか?」

「はい。シキさまですが」

「マジで? いや……だって……昨日は……アレ?」

 ぐるぐる思考は堂々巡り。一体何が起こってる? 理解も把握も確認も納得も何もかもが不可能。スイッチの壊れた洗濯機のように思考の渦は延々と廻り続ける。

「おい翡翠。コイツいつもこんなに寝起き悪いのか?」

「いえ、寝起きは悪くありません。ただ中々起きてはくれませんが」

「……そういうのも寝起きが悪いっていうんじゃないのか?
 まあいいや。おい、志貴。オレの秋葉がオマエが起きてくるのを待ってるんだ。さっさと着替えて居間に行くぞ」

「え────? ああ、うん、わかった」

 コクコクと頷いて見せてもまだ疑いの眼差しを消さないシキにもう目は覚めたから大丈夫、と告げて翡翠と共に部屋から追い出した。
 一人になって深く深く深呼吸。二度三度と繰り返し、もう一度思考のエンジンに火を灯す。けれどもそれは、プスプスと音を立てるだけだった。

「……いったい、何がどうなってる?」

 呟きには、誰も答えくれなかった。






夢の在り処/In Our Dream




/1


 とりあえず、着替えて居間へ向かう。まったく状況を把握できていないが、秋葉や琥珀さんに話を聞けばまた進展があるかもしれない。

「まあ……望み薄だけど」

 一通りの準備を終え、居間へと通じる扉を開く。

「あら、やっとお目覚めですか兄さん」

「志貴さーん、おはようございまーす」

 そこには秋葉の姿がある。いつもと変わらない、紅茶のカップを傾けている秋葉の姿。そして給仕に勤しみながらも笑顔を絶やさない琥珀さんの姿も。秋葉の後ろには翡翠が控えていて、目を閉じ直立不動なその様はメイドの鑑のような佇まいだ。
 そして────

「おっせーよ。飯が冷めちまうだろ」

 ────秋葉の隣に四季の姿がある。
 誰もそれに異を唱えない。まるで、その場所に四季があって当たり前のように享受している。これでは俺の認識の方がおかしいのではないかと錯覚してしまう。

「……兄さん?」

「え、ああ、おはよう、秋葉。それと琥珀さんも。遅れてごめん」

 自分でも拙いと判ってしまうくらい曖昧に笑って、用意されていた椅子に座る。いつもは二つしかなかった筈の椅子が、今日は三つある。

「どうかなさいましたか、難しい顔をして」

「いや……」

 やっぱり俺だけが四季の存在に違和感を持っているらしい。翡翠が四季を四季と認識していた時から薄々は感づいていたことだけれど。
 それでもやっぱり納得がいかない。昨日と今日の境目は不確かで、夢中のように本物と偽物の手触りに違いはない。だけど違うことだけは認識できてしまうこの違和感。いっそのこと俺からも記憶の残滓を抜き取ってくれればいいのに。

「はいはーい、志貴さんはまだ目が醒め切ってないようですねー。ではでは、この琥珀謹製のブレックファーストを召し上がってシャキっとしちゃって下さい」

 陽気に振舞う琥珀さんと黙々と給仕を続ける翡翠が次々に朝食をテーブルに並べていく。

「ブレックファーストって……。思いっきり日本食じゃないですか」

 白いご飯に薫る味噌汁。甘くてふんわりした玉子焼きに海苔、漬け物も完備。メインに焼き魚を添えた色合いは見紛うことなく在りし日の日本の朝食。
 この遠野邸で和食が並ぶことは珍しい。俺はそれこそ毎日でも食べたい程に和風びいきなのだが、秋葉が洋食びいきなので滅多なことでは有り得ない。

「今日は四季さまのご要望でして。秋葉さまも納得済みなので問題ナッシングです」

 びっと指を立て胸を反らして力説なさる琥珀さん。なるほど、そういうわけか。いや、何がなるほどなのか自分でもよく判らないけど。

「つってもどこかの誰かさんが寝坊してくれたせいでろくに飯食う時間もねーけどな。さっさと食って学校いこーぜ」

「……おまえ、学校行くのか?」

「当たり前だろ。オレたちゃまだ学生だぜ? 限りある青春を謳歌せずして何を楽しむというのか、なあ秋葉ー」

「うるさいです。食事中は静かにしてください、四季」

「ゲゲ、オレの秋葉が反抗期!? しかもお兄ちゃんを呼び捨てだなんて!?」

「誰が貴方のですか。妄想も大概にしておいてください」

 ギャーギャーワイワイと進められていく食卓。秋葉も琥珀さんも翡翠も。皆心なしか微笑んでいるように見える。こんな風景は、俺は知らない。俺の知っている遠野の食事はもっと厳かで、息のつまるものだった。
 四季という有り得た筈の人物が一人加わるだけで、こうも変わるものなのか。

「おい志貴。なーにニヤついてんだ?」

「────え?」

 言われて頬に手を当てる。四季の言うとおり、俺は口を笑みの形に歪めていたらしい。ああ、そうか。たとえこれが夢でも、今の俺はこの有り得なかった風景を、いいかもしれないと思っているようだ。
 ならばこの時。この朝食くらいは楽しんでも罰は当たらないだろう。

「いや、何でもないよ。じゃあ琥珀さん、いただきます」

「はい、どうぞ、お召し上がり下さい」





/2


 慌しい朝食を終え、屋敷を出る。
 俺の寝坊のせいで大急ぎで──それでも廊下は走らない──秋葉は黒塗りの車に滑り込んであからさまなスピード違反をしながら浅上女学院へ向かった。

「なんだって秋葉はお嬢様学校なんかに行くんだろうなぁ。一緒に登校したいのによー」

 俺と四季はそれより少し遅れて家を出た。坂道を下り、穏やかな日差しの中を緩やかに歩いていく。
 もちろん、今自分の置かれている状況は変わらない。でも理解出来ないものをアレコレ考えるのは好きじゃないし、この状況が悪意ある敵によるものならばソイツに礼をしてやればいいだけの話だ。
 ポケットに仕舞い込んだ短刀を一度だけ握り、そう決意する。それまでは、この有り得なかった日常を楽しませて貰おう。

 チラリと横を歩く四季を見る。
 朝の着流しから着替え、学生服を身に纏う四季は新鮮だ。こんな姿は見たことがなかったから。しかし────

「……なんていうか、絶望的に似合ってないな」

 思ったことを口にする。俺のようにぴっちり着込まず制服の前をはだけ、シャツのボタンも三つ四つと外している様はどこのチンピラかと見紛うほどだ。これでピアスでもしてサングラスをかければもっと性質の悪い人達に見えるかもしれない。

「うっせーよ。似合いすぎるオマエもどうかと思うぜオレは。
 それはそうと秋葉だ、秋葉。なんでオマエが兄さんでオレが四季なんだ。なんだよこの調整。絶対おかしいよな?」

「そんなこと俺に言われても困る。文句は秋葉に言ってくれ」

「くぅぅぅぅぅー! オレもお兄ちゃんって呼ばれてー!」

 坂道を下りながら、口々に語られるものは他愛もない事ばかりだ。
 秋葉のこと。琥珀さんのこと。翡翠のこと。そこに非日常的な内容を孕むものは存在しない。本当にこれは、誰かの悪意によるものなのか?

「つまんねーこと考えんな」

「え?」

 会話の切れ間に俯いて思索していた俺にかかる四季の声。
 数歩先行くそいつはこっちにくるりと振り向いて、足を止めないまま、

「過去も未来もどうでもいいだろ。オレ達には今がある。昨日だって明日だって、遥かな昔も遠い行く先も今の連続だ。
 考えたってわかんねーもん考えるだけ無駄だ、無駄。今を楽しんで、今が移り変わったらその時また今の事を考えれば良い」

 口元に笑みを残しながらそう告げた。
 はっきり言ってしまえば、四季の言いたいことの半分も理解できなかった。けれど一つだけ判ったことがあって、それだけで充分だった。

「ああ。じゃあ俺は今を楽しんで、面倒な今はその時の俺に任せよう」

「そうだ、それでいい。元々オマエの頭はむつかしーこと考えるように出来てないんだよ。そういうのは秋葉にでも任せとけ」

「秋葉が聞いたら怒るぞ、それ。また面倒をわたしに押し付ける気ですか、とか言って」

「そりゃヤバイな。つーわけでオフレコにしといてくれ」

「どうしようかな、それはそれで面白そうだし。今を楽しむってさっき決めたばかりだしなぁ」

 ニヤニヤと。自分でも驚くくらい邪悪な笑みを湛えてやった。
 すると四季の顔が少し強張る。まあそれもそうだ、アイツはどこまでも秋葉が好きなヤツだから、たとえ秋葉が四季に底辺以下の感情しか抱いていないとしても、更にそれを突き破る言動は宜しくない。

「おい、脅す気かコラ」

「別に。そういえばまだコーヒー代返して貰ってないなって思っただけ。確か十本だっけ? はい、全部で1200円。耳を揃えてすぐ返せ」

「あーあーあーあー、これだから貧乏人はイヤなんだ。たかが四桁の金額に何マジになってんだか」

「たかが……!? たかがと言ったかこのヤロウ! おまえに貧乏人の何が判る! 素うどんで生き繋ぐ儚い俺の食生活を何だと思ってやがるか」

「べっつにー。だってそれオレかんけーねーもん。
 あー、朝飯食ったばっかだけど昼飯何食うかなぁ。カツ丼、天丼、親子丼。ラーメンにカレーもいいな、あっとスパゲティだけはダメだ。黒歴史だ。
 さてさて貧乏人の志貴くんは今日も素うどんでごぜーますかぁ?」

 けけけ、なんて性悪な笑い声を上げる四季。
 あー、なんだ。コイツこんなにムカつくヤツだったっけ? なんでもいいや。秋葉に集るのはイヤだけど、コイツからふんだくるのは気持ちが良さそうだ。

「よぉし、じゃあ勝負と行こう。先に学校に着いた方が昼飯を奢る」

「あれぇ、そんな約束しちゃっていいわけ? ただでさえ軽いガマ口が逆さにしても埃しか吐き出さなくなっちまうぜ?」

「男に二言はない。で、受けるのか四季」

「たりめーじゃん。売られたケンカは買う主義だし、ガキの頃のケリつけるのも面白そうだし。何よりオマエの沈痛な面持ちを肴に食う飯はこの上なく美味そうだ」

「言うね。絶対負けてやるもんか」

 近場の電信柱をスタートラインに見立て、大の男が二人して走り出そうと構える。道行く人々の怪訝な視線も気にならず、俺達は今だけを謳歌する。
 ────さあ、始めよう。今日の昼飯はとびきり豪勢にいくからな……!







 ズルズルズル。麺を啜る音が耳に響く。
 ワイワイガヤガヤと賑わう食堂の一角に俺と四季とは腰掛けている。麺を啜っているのは四季であり志貴ではない。
 結果だけを述べるなら負けた。完膚なきまでに負けた。貧血持ちの眼鏡っ子は生き生きとした死人に負けたのだ。

「いやー、やっぱりその顔見ながら食う飯は美味いな。ううん? どうしたのかな、志貴くん。もうお昼なのにご飯を食べないのかい?」

「うるさい。どっかの若白髪が人の限りある財産を全部自分だけの飯に変えてくれたもんだから、俺は昼飯抜きだ」

 四季の前にはずらりと並ぶ昼飯の数々。カツ丼、天丼、親子丼。カレーにラーメン。スパゲティがないのが唯一の救いであるが、なけなしのマイマネーは全部アイツの腹の中に消え行く定めにある。
 俺は何も置かれていないテーブルにべっちゃりと顔をつけ、悔し涙で頬を濡らす。

「だからやめとけば良かったのによ。オマエとオレじゃ生物としての強さが違う。いつかオマエ自身が言ってたことじゃねーか。殺し合いでもない唯の徒競走じゃあオレに勝てるワケねーじゃん」

「……おまえそれ判ってて勝負を呑んだのか」

「うん。でも勝つって判ってる勝負はあんまり面白くないな。報酬はまあ悪くないけど」

 ごっきゅごっきゅと汁まで飲み干したラーメンのどんぶりを脇に避け、次はカレーライスに着手しようとする四季。きゅるると鳴る腹の虫は抑えきれず、ごくりと喉を鳴らすのも無理なきことだと思っていただきたい。
 しかしスプーンを持った四季はそのまま数秒考えてこちらにくるりと顔を向けた。

「ところで志貴。今おまえ腹減ってるよな?」

「当たり前なこと聞くな」

「そうかそうか。でだ、オレは勝者でオマエは敗者だ。勝者であるオレはその賞品を自由に扱うことが出来るってわけだがー」

 ニヤリと。そんな擬音が似合う笑みを四季は形作る。

「志貴。オマエがオレの頼みを一つ聞いてくれれば好きな飯一つ食わせてやってもいいぜ」

 それはなんと魅力的な提案か。元手は俺の財布なので釈然としないものはあるが、敗北者たる俺にそんな言い訳を吐き出す資格はない。
 しかしそれは容易く甘受していいものなのか。言うなれば情けだ。同情だ。施しによって与えられた飯を俺は胸を張って食うことが出来るのか。

「……オーケー。用件次第だが背に腹は変えられないからな。言ってみろ」

 シークタイムは僅かにスリーセコンド。
 情け? 同情? そんなもの、涙と一緒に腹の中に入れてやるさ。というより腹が減ってこれ以上動けません。

「ぃよし。それでこそマイフレンド。
 なに、そんなに難しいことじゃねえ。つーか簡単だ。頼みってのはな……」

 ゴニョ。ゴニョリ。ゴニョリータ。
 四季より告げられた提案、頼みはまあ予測の範囲内だ。今の四季の思考回路なんて俺でも読める。単純すぎ。

「……了解。後が怖いが手引きくらいはしてみせる。つーわけで飯をくれ」

 ガシっと男の握手を交わして契約成立。
 高値の花であるカツ丼を貰い受け、感涙に咽び泣きながら昼休みは終了した。







 ぼんやりと午後の授業も進んでいく。
 当たり前の話だが、四季の席も俺の席もクラスにあった。有彦が居て弓塚がいた。
 そう、それが当たり前になっている世界なのだ、ここは。誰が望んだものだなんてのは些細な問題で、価値はない。それでも何一つ失われていない楽園は酷く居心地のいいものだった。

 だってそうだろう。失くした物があって、亡くした者がある。その上に俺達は立って生きているんだ。その失われたものを誇れるように、亡くした者に笑われないように人は生きていく。
 ならば失われるもののない世界では一体人は何を心に抱いていくのか。そんなもの、俺には解らない。俺に解るのは、ここは俺にとっての現実じゃないってことだけだ。
 それでも一時。疲れた羽根を休める為に、誰かにとっての楽園に留まるのもいいだろう。







 帰り道。
 やっぱり俺は四季と共に帰路に着く。行きと一緒で他愛もなくてくだらない、それなのに価値を見出してしまう、確かな話の花を咲かせながら男二人は坂道を上っていく。

 その途中、ふと四季が足を止めた。
 四季の視線の先には大きくて真っ赤な太陽がある。坂の途中なので少し高い目線から俺達二人はその赤い夕焼けを僅かな時間だけ眺望した。

「なあ、志貴」

「ん?」

 かけられた声は色を失った絵画のように色褪せた声色だった。あの夕日が地平の彼方に沈んでしまえば、この楽園が終わってしまうかのような……寂しげな、音。

「もしさ、この世界が永遠に続けられるとしたら、オマエはどうする?」

 こちらに向けられた四季の表情はよく判らない。赤い夕焼けが逆光となっているせいだろう。それでも俺には、四季の表情が読み取れた気がした。それは、少し悲しげで、でも俺の答えなんて解ってるって顔だった。

「永遠には続かない。これは、誰かが見ているユメだから。そいつが目覚めたり、そいつが死んだりしたらこのユメは終わる」

「いいや。ソイツの無意識下の望みが具現化した、この廻り続ける虚ろな世界をソイツ自身が肯定するならユメは永遠に終わらない。ソイツがユメを諦めない限り、このユメは終わらないんだ。もっと言えば、これが死人の見てるユメだったらどうする。もうとっくに死んでるんだぜ、終わりようのないユメだ。
 それでもオマエは────このユメを否定するのか?」

「……ああ。ここに俺の守りたいと思うものはない。たとえ何一つ失われていないユメであっても、この場所は俺の望むものじゃないから」

 クッ、と喉を鳴らす。ケラケラと四季は笑いだし、あまつさえ人を指差してとんでもなく失礼な事をのたまった。

「クサっ! おまえクサいって! あーやべー、あまりの刺激臭にオレの立派な鼻が捻じ曲がる。つーか真顔でそんなこと言うヤツ初めて見たわ」

「……失礼なヤツだな。おまえが何時になく真剣だったから、こっちも真面目に答えてやったのに」

「バーカバーカ。あんなもん演技だ、気づけ。ユメ? あーあー、いいねぇ若いって。ボク達はユメ追い人ですって公言できる唯一の時間だからなぁ。どうぞどうぞ、オレに関わらないところで思う存分謳ってくれてもかまわねー」

 一体何を悟ってやがりますかこいつは。さっきまでのこう、クライマックスに向かいそうだった雰囲気が台無しじゃないか。
 別にいいけどさ。こいつは昔からきっとこんな奴だったし。真っ当に成長してればこういうこともあったかもしれないし。つーか多分照れくさいだけだぞ、こいつ。

「────まあ、でも」

 高笑いを止めて一息つく。ほう、と吐いた息は白むことなく空に消えて、赤い日差しだけが世界を包む。
 言葉とは裏腹に、そいつは満足そうに頷いて、もう一度、遠い夕日をその目に焼き付けるように見やって。

「そんなオマエだから、オレはオマエを気に入ったんだ」

 はにかむように笑って。
 それは、四季が見せたおそらく最高の笑顔だったに違いない。





/3


 夕日が沈んでも、ユメは終わらなかった。
 けれどそれも道理だろう。これが本当に誰かが見ているものならば、醒めるのは朝でなければおかしいのだ。黒い闇が切り取られ、白い光に取って代えられる刹那の時間。ユメに終わりがあるのなら、その時でなければならない。

 世界の真実に気づいてしまった以上、後は残された時間を楽しめばいい。終わりへと向かう日々の中で、誰かが望む自分自身で在り続けよう。

「ほい、秋葉の番だぞ」

 手にしたトランプを秋葉の眼前に突きつける。難しい顔をして唸る秋葉に苦笑いを噛み殺しながらひらひらと揺らす。

「じっとしてて下さい、兄さん。気が散るじゃないですか」

「秋葉が早く取らないからだぞ。迷ったって得することなんてないんだし、そろそろ決めてくれないかな」

「黙ってください。今わたし真剣なんですから」

 やれやれと嘆息して視線を傾ける。変わらず無表情な翡翠とニコニコ笑顔の琥珀さん。そして四季とのアイコンタクト。昼間の契約を果たす時が来たのだ。

 帰宅後、俺と四季が強引に押し切っての五人での夕食の後、ほぼノータイムで始められたゲーム大会。開幕戦として始めたババ抜きは既に最終局面。一抜けした四季、続けて抜けた翡翠、琥珀さん。残った俺と秋葉とで最下位争い。もちろん最下位には然るべき罰ゲームが課せられる。
 悪いな、秋葉。おまえのクセは掴んでるからここは素直に負けてくれ。それが四季との約束なのだ。

「こっちです! ……あ」

 気合一閃、秋葉が引き抜いたカードは思惑通りのジョーカー。呆ける秋葉がカードを切り直したところでジョーカーでない方をピンポイントで狙い引き、俺の勝ち。

「くっ……! 最下位だなんて。いいわ、さあ四季。罰ゲームを言ってちょうだい」

「流石は秋葉、潔いな。ああ、オレからオマエへの罰ゲームは唯一つ。オレの目を直視して恥じらいながら『お兄ちゃん』と呼んでくれ!」

 ばばーん、と効果音つきで放たれた四季の声。翡翠は無表情で琥珀さんは笑顔。秋葉だけが引き攣った表情をしている。

「な……貴方を、そんな風に呼ぶだなんて……!」

 秋葉は心底イヤらしい。何でだろうな、俺のことは兄と呼ぶくせに四季は呼べないって普通はおかしい。だって四季は実の兄で、俺は義理の兄なのに。
 秋葉の心は判らないが、イヤだというのはまあひしひしと感じられる辺り、四季に同情の一つもしたくなる。
 ま、それでへこたれるような奴じゃないってことはきっと俺が誰よりも知ってるから。そして四季はきっと誰よりも秋葉のことを知っているから。

「んん〜? 遠野の当主ともあろうお方が、この程度の罰ゲームにさえ狼狽なさるとは。そうかぁ、秋葉はそんなにオレのことが嫌いなのか、オレはこんなに好きなのに」

「黙りなさい。ふん、その程度の罰、軽くクリアしてみせようじゃないの」

 普通なら罰と呼べるほど酷いもんでもないと思うけど。秋葉にとってみれば世界で一番不味いお茶を飲むよりも嫌なことなのかもしれないが。
 こほん、と一つ咳払いをして居住まいを正す。四季の方へと向き直って、ちょっと顎を引いて上目遣い。……秋葉、なんだかそれはちょっと反則だぞ。四季の顔を見てみろ、既に恍惚とした表情になってるじゃないか。

「…………お、お兄ちゃん」

「───────────」

 その一言を全身で受け止めた四季は、もう思い残すことはない、我が人生に一片の悔いなしと言えそうなほどの、夕焼けの中の格好良い笑顔を上回る最高純度の笑顔を湛えてサムズアップ。

「やっぱり、秋葉が一番だ」

 そう言い残して、鼻血を撒き散らしながらぶっ倒れた。







 ────そして一日が終わりを告げる。
 深夜、自室に戻った俺はベッドに腰掛けたまま、窓の外に頂く白い月を一人で見上げていた。

 眠ってしまえば、朝を迎えてしまえばこのユメは終わる。俺は俺の在るべき場所に還るのだ。それでも何故か眠りたくなかった。ああ、どうやら俺はこのユメに未練を感じているらしい。特に、この世界でしか生きられないアイツに。

 刹那、コンコンと部屋の扉をノックされる。どうぞ、と告げるとそいつはゆっくりと部屋に入ってきた。

「よう、やっぱり起きてたか」

「ああ、きっと来ると思ってたから」

 俺の言葉に四季はそうかい、と笑って手にした缶ビールの一本を投げてきた。それを受け取って、少し横にずれて四季の座るスペースを作った。

「悪いね」

「いーや、元々このベッドはおまえのじゃないか」

「あー、そう言えばそうだっけ」

 どうでもよさそうに四季は言って、俺の隣に腰掛ける。プシュ、と音を立ててプルタブを起こした缶ビールを手に持って。カツン、と言葉もなく乾杯をした。
 静かな夜に、嚥下する時に鳴る喉の音だけが響く。どちらともなく半分ほど飲み下してから口を離した。

「……やっぱ不味いな、酒は」

「コーヒーにしとけば良かったのに」

「どっちも変わらん、不味いもんは不味いんだ。それでもまあ月見酒ってのは悪くない」

「缶ビールじゃ趣きもなにもあったもんじゃないけどな」

「まぁな。けどコーヒーよりはマシだろ」

 そうだな、と二人して意味もなく笑いあう。早くも酔いが回ってきたか。それとも笑うことに意味なんて必要ないのか。どっちでもいいか。

「でさ、このユメは一体なんだったんだ?」

「さあ? んなことオレに聞かれても知るわけない。つーかなんでもいいだろ、ユメはユメなんだ、いつかは醒める。現実にあって現実じゃない唯一の世界。なんでもアリだし、こういう気まぐれがあってもいいじゃねえか。
 どうしても納得したきゃアレだ、どこぞのお節介な魔法使いのせいにでもしとけばいい」

「ああ、それはいい。あの人ならこれくらいやりかねないから。それなら仕方ないと納得出来る」

「まったくだ」

 また、笑う。
 この一時のユメを惜しむように。満足できるように。思い残すことのないように。

「じゃあもう一コ。どうだった、普通の生活ってやつは」

 四季には手に入らなかった日常。
 志貴には手に入った日常。

 たとえユメであっても、この時だけは紛れもなく俺達にとっての真実だから。失くしたものを手に入れた結果を聞いてみたかった。

「んー、そうだな。勉強はつまらねーし、教師はムカつくし、学校には秋葉もいないし。大目に見ても三十点?」

「低いな。そんなに日常はつまらなかった?」

「いや、つまらなくはない。ただ退屈だった。欲しいとは思わないけど、なくても困るもんでもない。だがまあ、それでも悪くはない……悪くはなかった」

 目を閉じ、噛締めるように呟かれた言葉は、それだけで充分すぎるほどの響きを孕んでいた。
 だってそうだろう。人間は無駄に生きていくものなんだ。退屈だって、つまらないって謳いながら、それでもその日々を繰り返し生きていく。なら四季の感じたものはきっと、紛れもなく人間として正しい感情だと思うから。

「そっか」

 返答なんてそれでいい。俺達の間に大層な台詞なんていらないんだ。
 ビールを煽って月を見上げる。
 丸い月は凍えるように白くて、手を伸ばせば届きそうな距離にある。だけどそれは、どうやっても届いてくれない。けれどもし届いたのなら、今日だけは暖かな温もりを宿しているだろう。だってこれはユメなんだ。有り得ないなんて言葉こそが有り得ない。

 沈黙は続く。懐かしむように、惜しむように。次の言葉を紡いでしまっては、このユメがカタチを失いそうだったから。
 二人でベッドに腰掛けて、窓に切り取られた小さな世界から降り注ぐ月の明かりを一身に浴び続ける。四季の白い髪が少し、黄金の鬣のように見えたのはまあ酔いのせいだと思っておこう。

 どれだけの時間、そうしていただろう。ぼんやりと、言葉もなく時々ビールを傾ける。虚ろで胡乱な目は月だけを眺めていて。勿体のない時間だけが過ぎ去って。
 やはり堰を切ったのは四季だった。俺にとってこのユメの始まりは四季だったから、終わりを告げるのも同じく四季なのだ。

「んじゃあ、そろそろ戻るわ」

「おう」

 空になった缶ビールをペコペコとへこませながら四季が立ち上がる。俺はただそれを見送って、扉の前で振り返ったそいつに言ってやった。

「コーヒー代」

「あ?」

「1200円。まだ返してもらってないからな、次逢った時は返してくれよ」

「──────」

 四季はぽかんとして突っ立ったまま。せっかくだから追い討ちをかけてやろう。

「ついでに次は奢らせるから。覚悟しといてくれ」

「────ハ。あいよ、まあどうせオレが勝つけどな。ああ、そうだ。目が覚めたら翡翠に礼を言っとけ」

「……? よく判らないけど、わかった」

 話したいことはもっと沢山あったけど、それはまたの機会にとっておこう。だってさ、一度に全部話すなんて勿体無いじゃないか。出し惜しみをしつつ、このユメが繰り返されることを願って。
 ────そうして最後も。笑いあってさよならだ。

「じゃあ。またな、志貴」

「ああ。また、四季」

 それで終わり。ユメの続きはまた今度だ。
 俺がいて、アイツがいて、秋葉がいて。琥珀さんがいて、翡翠がいる。
 有り得なかったユメ。
 有り得たかもしれないユメ。
 見られなかったその続きは、きっと必ずいつかの日々に。





/4


 そうして目覚める。明けない夜がないように、醒めない夢もまたないのだ。楽しかった夢から這い出して、望んだ現実へと立ち戻る。

「志貴さま、お目覚めですか」

「ああ。おはよう、翡翠」

「はい、おはようございます」

 いつかとは違う、ぱっちりとした目覚めだ。思考はクリアで、開かれた窓から降り注ぐ淡い陽光が目に眩しい。うーん、と背伸びをしてアイツの言ってた言葉を思い出した。

「ありがとう、だってさ」

「は?」

「いや、俺も良く知らないけど翡翠に礼を言っとけって。翡翠、なにかした?」

 はてな、と小首を傾げた翡翠ではあったが、何かに思い当たったのか目を少し見開いて、

「申し訳ありません」

 いきなり謝られた。

「翡翠?」

「その、志貴さまの眠りがいつも以上に深かったようで、起こすことを躊躇ってしまいました」

 言われて時計に目をやれば確かにいつもより少し遅い。いや、それもまともに起きない俺のせいではあるが今日は本当にヤバイ時間だ。秋葉がまだ居間で待ってたらカンカンに怒ってるに違いない。
 でもやっぱりこの僅かな時間があったから最後まで夢を見られたのだろう。なら、

「やっぱりありがとう、だ。今日に限っては翡翠に礼を言っても足りないくらいに」

 はぁ、と翡翠は目を瞬かせ困惑しながらも頷いてくれた。

「では志貴さま。秋葉さまがお待ちですので出来るだけ早く居間にお越し下さい」

 それに応えてベッドより立ち上がる。
 翡翠が部屋を辞した後、用意された制服に着替えようとして、ほとんど使われない机の上に、有り得ないものを見た。

「缶ビール……」

 それも二本。一本はへこみのない真横から見れば新品同然に見える品で、もう一本はベコベコにへこまされてて、缶蹴りをした後のような佇まいである。
 誰がそんな子供じみたことをしたかなんてのは、解ってる。あの野郎、こっそり置いていきやがった。

「────は。まったく、後始末くらいしていけよな」

 それでも、顔が綻ぶのは仕方ない。
 だってそれが、どんな意味を持つのか考えてしまうから。

 いや、よそう。あいつが言ってたじゃないか、俺の頭は難しいことを考えるのには向いてないって。だからこの結果だけを見つめればいい。
 それは、あの夢があったという証。あの夢が続いていくという証。


 ちっぽけで、それでも確かな────夢の在り処。









後書きと解説

勢いに任せて書いたらよくわからなくなった話。
四季が書きたかっただけです。
今更だけど何で歌月に四季の日常パートがないのか。
夢なんだからあってもいいじゃん! と思いつつ書いてみました。

イメージはhollowのwish.
夢なんで色々ごちゃ混ぜになってるのは気にしない方向で。

とりあえず四季が書けて満足。
秋葉ラヴィなダメ兄ちゃんはこれからも頑張って逝きます。


200/02/11



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