夢見たもの









「……っ。一体、何が……」

 唐突に視界が暗転する。開いた目はまだぼやけていて、視界には何も映さない。一体どれ程の時間昏睡していたのかさえ、定かではない。

『ようやくお目覚めかな、衛宮切嗣』

 体勢もそのままに、切嗣は手にしたコンテンダーを声のした方へと向ける。けれどそこには、何も無い。いや、闇だけがある。
 薄ぼんやりとした視界。決して晴れない視界。切嗣は理解した。ここには、この暗闇しか存在しない。元より映る光など存在しない世界なのだと。

『さて、どうだった? キミの望んだ世界は。多少のアドリブとエキストラは登場させてやったが、何、さしたる違いでもない。あの世界こそが、キミの夢見たものだろう?』

「おまえは何を、言っている……?」

 益体もなく虚空に向かって呟く。夢? 望んだ世界? 何を言っている。いや、それでも確かに、何か、とても幸福な光景を見ていた気がする。

『まだわからない? それとも、ここが何処だったかも覚えていないとか? ああ、それは重症だ。余程あの世界がお気に召したようだね。そう、現実さえも忘却する程に』

 此処が何処か。闇しかない世界。閉ざされた世界。いや、覚えている。覚えているとも。

「僕は……言峰綺礼と……」

 そう、戦いの最中にあった。身をすり減らし、命を燃やし、あの男と死闘を演じていた筈だ。そしてそれは、唐突に襲い掛かってきた泥によって阻まれた……。

『その後だよ、衛宮切嗣。キミは眠りに就くその前に、こうした会話を一度交わしている』

「…………」

 それもまた、記憶している。下らない問答。衛宮切嗣の抱いたものを証明した、聖杯との問答。

『理解したかな? ああ、これでようやく次の段階に進める。
 さあ、では問おう、衛宮切嗣。どうだった、あの世界は。物分かりの悪いキミの為に趣向を凝らした茶番劇、愉しんで頂けたかな?』

「…………ッ!」

『あれこそがキミの望んだ世界、夢見た世界だ。ただ、本当の世界はより幸福に満ちているよ。余計な雑音など存在しない、完結した世界として』

 幸福があった。平穏があった。緩やかに流れていく時間。手に取るべきは人を殺す兵器ではなく、柔らかな我が子の掌。愛した妻の掌だ。
 どれだけ汚れた手であろうとも、あの世界ならば欲したものを掴める。これまで手に掛けてきた全てのものを否定して、幸福だけを享受出来る世界。

「……違う。僕の望んだ世界は、あんなものじゃない……」

『本当に? 争いのない世界。幸福な世界。それは、キミが抱いた大いなる夢のはずだ。その夢を叶える為に聖杯はあり、そして聖杯はキミを認めた』

「違うッ! 少なくとも僕はおまえなど認めていないッ!」

『それこそ違う。キミは確かに口にした。この世全ての悪を担うことになろうと、構わないと。世界を救えるのなら、その程度造作もないことだと』

「ふざけるなッ! おまえが夢の前に僕に見せた光景、あれが世界を救済する事など有り得ない! 滅亡の後に残される平和など、あってはならないッ!」

 そう、そんな事はあってはならない。世界人類全てが死滅した後に描かれる幸福。衛宮切嗣の抱いた小さな幸福。そんなものは、決して世界の救済とは言わない。

『では問おう。キミはこれまでその手で何人の人を殺した。どれだけの嘆きを葬った。聖杯が行う救済はその手助けに過ぎない。キミが永遠を歩んでも成し遂げられない殺戮を、聖杯は速やかに行いカタチにする』

 世界がただ平和であればいいと。そう思い、切嗣は銃を手に取った。自らを殺戮機巧に仕立て上げ、大を救う為に少数を犠牲にし続けてきた。

『キミの方法論をキミ自身が行うとすれば、決して終わる事はない。キミが人を手に掛けるよりも早く、世界の何処かではまた人が生まれている。
 永遠の連鎖。悪を以って悪を断つには、キミ一人の力は矮小すぎる』

 ……だからこそ聖杯を求めたのではなかったか。そう、闇は謳う。

 確かに、その通りだ。衛宮切嗣一人の手では、決して恒久の平和など掴めない。幾千幾万の時を経ても、手を血で汚し続けても、決して人は救われない。
 もしそんな事を成そうとするのなら、そもそもの話として人という種の根本を変えなければならない。それこそ不可能。神の造りし失敗作を、是正出来るとすればそれこそ神自身以外に有り得ない。

「違う……そんなものは、認めない……」

 弱々しく、けれど否定を行うしか切嗣に出来る事などない。何が、とは決して問うてはならない。もしその闇を直視した時、衛宮切嗣は、これまでの自らの行いさえも否定しなければならなくなるから。
 そして今の彼に、その弱さに向き合う力など残されていない。

 あの光景を見てしまったから。穏やかなる時の中で、誰もが笑顔を抱く幸福の世界。
 笑顔のイリヤ。笑顔のアイリスフィール。そして、その笑顔を見て、顔を綻ばせている自分自身……。

『さあ、決断の時だ。この世全ての悪を背負うと言ったキミに再度問う。衛宮切嗣、汝は聖杯を欲するや否や?』

 固く引き結んだ唇。手にした愛銃が震える中で、毅然とした表情で否定の言葉を口にしようとしたその時。

『──まあ尤も。その問いにこそ意味はないのだが』

「なに……?」

 瞬間、暗黒の中で更に膨れ上がる暗い闇。輝きさえも放ち出した闇を見つめ、切嗣は激昂した。

「貴様、何を……!」

『キミの願いは受理された。あの世界を享受した時点で、答えは既に導かれていたのだよ』

「ふざけ……ッ!」

 唐突に、足元さえ不確かになる感触。眩暈を起こしたように、視覚が、聴覚が乱されていく。脳を襲う痛み。立っていられなくなり、切嗣は膝をついた。

 暗黒の向こうで悪が謳う。

『さあ、始めよう。衛宮切嗣、これよりキミの望んだ世界を聖杯がカタチにする。
 崩れ往く世界の中心で、キミはただ、乞い願えばそれで良い。失った者を取り戻す、絶望と怨嗟の慟哭の叫びを張り上げて』

 暗転。断絶。けれど繋がったままの意識。

 確かな足場。冬木中央会館の地下。刹那を偽装された永遠の中で見果てた光景を思い、切嗣は声を張り上げる。
 怨敵など既に眼中になく、見上げるのは見える筈もない暗黒の太陽。空より零れ落ちる救済の悪意に向けて、衛宮切嗣は叫び上げた。

「やあぁぁぁぁぁぁめええぇぇぇぇぇぇろおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉぉ……!!!!!」

 ……たとえそれが、聖杯を結実させる最後の咆哮だと知っても。






夢見たもの/In the Darkness




/1


「キリツグー、あそぼー」

 駆けて来る我が子に微笑む。

「……ごめんな、イリヤ。父さん少し疲れてるんだ。だから今日は、一人で遊んでくれるかい?」

 えーっとあからさまに不満を表すイリヤ。さて、困ったな。と思ったところで、

「いいじゃない、あなた。偶にはイリヤと遊んであげて」

「アイリ……」

 聖母のような微笑みを向けられ、切嗣は苦笑を浮かべる。

「酷いな、それは。僕はいつもイリヤと遊んであげているよ。ただ今日は、ちょっと浸りたい気分なんだ」

 男にはそんな時もあるのさ、と嘯いてみても、いつもは女性二人して突っ掛って来て結局切嗣が折れる羽目になるのだが。

「そう。じゃあ私も、お付き合いさせて貰おうかしら」

 そう言って掛けていたエプロンを脱ぎ、切嗣の隣に腰掛けるアイリスフィール。イリヤもー、とちょこんと座る少女。切嗣の左右に子と妻が座っている形になった。

 それから三人して何をするでもなく、縁側からぼんやりと空を見上げる。透き通るように青い空。風に流れていく白い雲。今日も太陽は、燦然と輝いて我が家を照らし上げてくれている。

 どれくらいの時間、そうしていただろう。肩……というより左腕に重みを感じて切嗣は視線を落とす。

 暖かな陽気に当てられたのか、イリヤがすやすやと寝息を立てている。初雪のように白く柔らかな髪を撫で、切嗣は微笑みを零す。

「あなた」

 そんな中、今度は右肩にも重み。アイリスフィールが切嗣の肩に顔を摺り寄せていた。

「なんだい、アイリ」

「あなたは今、幸せ?」

 銀色の髪が風に流れて切嗣の鼻腔をくすぐった。甘い香り。シャンプーの匂いだろうか。
 ぽん、とアイリスフィールの頭に手を置いて、首筋に抱き寄せるように切嗣はアイリスフィールを抱く。

「ああ、幸せだよ」

 穏やかな時間。幸福の連続。この平穏を脅かす存在はどこにもなく、ただ緩やかに過ごしていく。あの戦いの日々は、この日常を手にする為にあったのだ。それが、幸福でない筈がない。

「イリヤがいて、君がいて、僕がいる。イリヤが笑って、君が笑って、僕が笑う。これ以上の幸せなんて、どこの世界を探しても有り得ない。今この瞬間こそが、この世界こそが僕の望んだ幸せだよ」

 そう、と呟いて、アイリスフィールもまた瞳を閉じた。愛しき人の肩に凭れて。

 切嗣は一人、空を見上げる。

 間違いなどない。この世界は、間違いなどなく幸福に満たされている。たとえそれが、六十億の屍の上に築かれたものであっても、この瞬間を否定することは出来ない。
 戦いは終わった。争いはなくなった。完結した平穏の中で、家族三人だけの幸福が連綿と続いていく。

 それでいい。これで良かったんだ。

 今更否定と無念を張り上げたところで何もかもが無意味。間違いを正す術などなく、また間違ってさえもいないのなら、これは間違いなく正しい帰結。
 衛宮切嗣が夢見た世界は結実した。ならばそれでもう、いいじゃないか……。

 ゆっくりと目を閉じる。この暗闇でさえも、今は愛おしい輝きに満ちている。

 閉じた世界。抜け出せない輪の中で。この世全ての幸福を。この世の終わりの果てで悪魔が奏でる。

 ────衛宮切嗣の夢見た平穏(ねがい)は今もこうして、幸福(えいえん)の中で謳歌されて(まわりつづけて)いる。









後書きと解説

バッドエンド。

Zeroがもしゲームだったからこんなエンドもありえそう、な感じで書き上げた感じ。
具体的には綺礼との最終決戦、聖杯の中で聖杯を完全に否定し切れなかった場合に起こるエンド。
アイリの好感度、あるいは正義の味方度が不足していると突入? みたいな。

さておいて、別に前の話と結びつける必要性はなかったかもしれないと書き上げてから思った。
ただまあ、幸せを謳歌した後の絶望。その後に訪れる仮初の幸福。そんなものを書いてみたかったということで。

微妙に前話にZeroというかこの後半部分を匂わせる描写を入れていたんですが、気付けた人はいただろうか……。
主に起承転結の起の部分と転の部分。特に士郎の部分。わかりづらいかなぁ……。

ま、そんなこんなでこの短編もこれまで。
こんなの切嗣の幸せじゃねぇぇと思う方はどうか脳内より消し去って前話をもう一度読み返すと良いです。
そしてそのままブラウザを閉じるのです。



2008/05/15



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