ランサーズヘブン・イン・ゼロ















 冬木市北方に位置する冬木港。埠頭傍の海辺で一人、今日も釣り糸を垂らす男がいた。

 その名はランサー。双槍の騎士。輝く貌のディルムッド・オディナだ。彼が何ゆえこんな場所で釣りに興じているかと言えば、ゆっくりと考える時間が欲しかったからだ。

 忠義の在り方。尽くすべき忠誠の所在。主は何故この己の忠心を理解してくれないのか。ただ主の為に槍を振るいたいという思いを理解してくれないのか。
 無心とも呼ぶべきこの純粋。どうすれば分かって貰えるか──それを考え続ける。

 誰も来ないこの埠頭で、釣れもしない魚を相手に思考の渦の中に埋没する。それが抜け出せない輪であると知りながら、こうする以外に手立てが思い浮かばないのだ。

 今日も今日とて答えの出ない問いに煩悶を続けるランサーの背に、その声は投げかけられた。

「釣れますか、ランサー?」

「セイバー……」

 振り上げばそこに立っていたのは最優の騎士。共に騎士道を競い合った好敵手。手にする得物が釣竿であっても、その艶姿は一切損なわれていない。

「ああ、今日は思わぬでかい獲物が食いついたようだ」


ランサーズヘブン・イン・ゼロ/Lancer's Heaven in ZERO




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「それでセイバー、何用でおまえはこの場所を訪れた」

 セイバーはランサーの隣に腰掛け釣竿を準備に勤しんでいる。声を掛けられ顔を上げた。

「私もただ釣りというものに興じて見たかっただけですよ。それに一人でやるよりは先達に教えを請う方が手っ取り早いというものでしょう」

「……は。だが生憎と、俺は釣りが趣味というわけではないのでな」

 言ってランサーは釣り糸を引き上げ針を見せる。そこには本来つけられるべきはずの餌ないしルアーが存在せず、どころか釣り針はただの針でありフック状に曲げられてすらいなかった。

「……魚というのは餌がなくとも釣れるものなのですか?」

「まさか。俺は此処で考え事をする為に釣り糸を垂らしているだけだ。魚が釣りたい訳ではない。ならば当然、俺の目的なき釣り糸に魚を引っ掛けるわけにも行くまい」

 キャッチアンドリリースですらおこがましい。釣りを楽しむ心すら持ち合わせていないのなら、そこに魚を巻き込む謂れはなく、巻き込んでいい道理もないのだ。

「その為のこんな釣り針だ。ただ──そう。こうして釣り竿を握っていると、槍を手にしている感触に似ているのだ」

 慣れ親しんだ感触は心を落ち着かせてくれる。後は海風の香りと海鳥の泣き声、振り注ぐ太陽の光、何処までも青い空。この場の全てが思考をするのに都合が良い。ただそれだけの事なのだ。

「だからもし俺に釣り方を教えて欲しいと思っているのなら諦めた方が良い。俺とて初心者だ、おまえに教えられる事など何もない」

「ふむ……では」

 言ってセイバーは餌もつけずに竿を振る。無論、その先端の針はランサーと同じように引き伸ばされて。

「本当のところを言えば、私も釣りをしたいわけではないのです。貴方と語らいたい……いや、その悩みの手助けをしたいと、そう思っただけなのです」

 だからランサーと同じく、その嗜好に魚達を巻き込むつもりはないと、餌はつけずに海に投げ込んだのだ。

「街で見かける貴方の顔をいつも暗かった。それではその偉丈夫が台無しだ。だからもし話せる悩みならば話して欲しい。これでも騎士達の王であった身、何か助けとなれるかもしれない」

「ふっ……本当におまえという奴は」

 この酷く淀んだ心に涼風を呼び込んでくれる。こんな俺にも親身になってくれる朋友がいる。ああ、それだけでこの身は救われている。

「……すまないが、これは俺と主の問題だ。俺が自分自身で答えを見出さなければならない問いなのだ。申し訳ないが、おまえに心の内は明かせない」

 だが、と前置いてランサーは続ける。

「感謝する、騎士王。おまえのお陰で俺もまた決心がついた。こんなところで意味のない釣り糸を垂らしていても、何の解決にもなりはしない。俺が向き合うべきはこの広大な海原ではなく忠誠を捧げる主だったのだ」

「私は貴方の主が羨ましい。これほどの忠義の騎士、世界の何処を探そうとも他にはいないと断言できる。
 どうだろうランサー。私を王と仰いで見る気はないだろうか」

 それは答えの分かっている問い。ランサーの背中を押す為の問いだ。その問いには、優しさだけが溢れている。

「済まないなセイバー。俺が忠誠を誓ったのは今代の主であるケイネス殿のみ。おまえを主と戴く事は出来ない」

「そうだろうな……いや、失礼をしたランサー。私は貴方とその主を侮辱してしまうところだった」

「気にする事はない。おまえはおまえでやはり王だ。騎士の心を解してくれる遍く騎士達の王なのだ」

「……今のこの気持ちがあれば、私も、かつての臣下達と向き合う事が出来たのかもしれないな」

 それは詮無い悔恨だ。あの時はあれが最善であると判断していたのだから。

「済まないがセイバー、俺は行く。どうせならおまえは釣りを楽しんでみてはどうだ? 作法は知らんが簡単な餌のつけ方くらいならば教えられるぞ」

「それも一興かもしれないな。ランサー、お願いする」

 こうしてランサーは主と向き合う決意をし、その想いを胸に埠頭を去る。
 その去り際、セイバーに釣りを勧めた事が、彼の最大の失敗であった事を知るのはもう少し先の話である。





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 数日後。

 主に直談判し心の限りを尽くした説得を試み、根気強くも自身の本心を一切の偽りなく訴えたランサーの想いは、確かにケイネスの心に響いた。
 それはケイネスの心の門扉に隙間が出来た程度のものであったが、ランサーにとっては確かな前進だった。

 この身の後押しをしてくれたセイバーに礼を言いたい。その想いでセイバーの拠点を訪ねたが生憎の留守。応対した家主の妻たるアイリスフィールに訊けばセイバーは近頃埠頭に通っているらしい。

 勧めた釣りがそんなにも楽しかったのだろうかと思ったランサーは、その足で埠頭へと赴く事にした。その背に投げかけられたアイリスフィールの不憫そうな目を、ランサーは知る由もなく。

「おぉい、セイ……バー?」

 埠頭に到着後、その後ろ姿を見つけたランサーはまずセイバーの姿に目を奪われた。

 なんか凄い服を着ていた。なんかもう釣り人って感じの服を。言葉では良い表せない、けれど目視した瞬間理解出来るレベルの釣りキチの格好だった。

「おや、これはランサー」

「セイバー……その、その格好は?」

 不精不精と訊いて見る。

「これですか。どうですか、似合っていますか?」

「ああ……うん、そう……だな」

 ランサーの知るセイバーは凛々しくも美しい少女だった。断じてこんなポケットのいっぱいついた服を着て長靴を履く少女ではない。
 今までセイバーに抱いていた幻想がガラガラと崩れ落ちていったが、そんなものはまさしくランサーの妄想。こうあって欲しいという願望でしかない。

 律儀で実直であるランサーは目の前の現実を受け入れる事にした。

「それで、なんでそんな格好をしているんだ?」

「いえ。それが釣りというものが以外にも面白く、続けるうちにあれやこれやと見繕い、いつの間にやらこんな姿になってしまったのです」

 よくよく見れば、手にする釣竿も前日のものとは違っている。立派なリールがついているし、脇に置かれているボックスには種類豊富な釣り餌が収められている。

 ……セイバーはもしや、形から入る主義なのか?

 いや、それはある種機能美を優先している結果だろう。全てのものに無駄がない。釣りをするという上で必要充分なものが完璧に揃えられている。
 無駄な豪奢を好まず、かと言って力に頼った無策ではない。質実剛健でありながら完全。それを体現している。

 こんなところでセイバーの王としての性格が出るとは思わなかったが本人がそれで満足しているのならそれでいいと、ランサーは口を噤んだ。

 別段釣りに深い興味のないランサーはセイバーに礼を述べ、引きのかかったセイバーを残し埠頭を去った。





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 更に後日。

 最早埠頭に用のないランサーが、偶然にも近辺を通りかかった時。

「ふはははははは、見よ! これこそが王の釣果よ!!」

 響き渡る聞いた事のある声。その主はアーチャーに違いない。

「くっ────! 卑怯だぞ英雄王! 金に飽かせたその武装、一人の釣人として許せはしない!!」

「負け犬の遠吠えにしか聞こえんなぁセイバーよ。そんな必要最小限の装備で我に戦いを挑んだ事が間違いだったと、ようやく思い知ったか」

「違う! 釣りとは魚との対話。心を通わせぬ聖なる儀式だ! それをただ魚を獲物としか見ない貴様のやり口は、全ての釣人に対する冒涜だ!」

「釣りとは魚を釣るものだ。結果の伴わぬ精神論で釣れるのならば苦労はない。
 はっ──貴様程度では我の相手にもならん。我を超えたければその三倍は持って来いと言うのだ!」

「ならば余が相手をしてやろう英雄王」

「ぬ……? 貴様は──!」

「我が臣下共々貴様の相手になってやろう。
 貴様が金に飽かせた装備で並み居る魚の悉くを釣ろうというのなら、余は人々の想いを束ねこの埠頭の全てを埋め尽くそう!」

「くっ……よもや貴様、この我に抗する為に人海戦術を行う気か────!」

「余の配下数千、いや万にも届く総軍を以って孤高の釣王に勝負を挑む。まさか尻尾を巻いて逃げ帰るとは言わんよな?」

「良いだろう征服王……! 出し惜しみはせぬ。我が釣具の数々、財の全てを以って相手をしてやる──!
 そして知れ! 我が威光と共に誰が最強の釣り人であるかをな────!!」

「ランスロット! サー・ランスロット! どうしたと言うのです、これほどの獲物を釣り上げながら何故貴方は泣くのです!?」

「王の腕に抱かれて、王に看取られて逝くなどと……はは、この私が、まるで……忠節の騎士だったかのようではありませぬか……」

「何を、貴方は……今の貴方は、何処から見てもアングラーだ……私になどは、もったいない……立派な、アングラーです……!」




「……ついていけん」

 そんな本心を述べながらランサーは埠頭を去る。
 釣り人達の楽園は、今日も平和です。









後書きと解説

超久々の更新。
それも短編とか。
内容はおして知るべし。

ZEROアニメ化でちょっと再燃。
Arcadia様でちょろちょろ長編書いたりもしてます。

烙印を継ぐ者達を楽しみにして下さっている人がいるのはありがたいです。
が、あれの更新は難しい……。
最初から強い四次に比べたら五次のなんと難しい事か。
書き上げたくはあるけど難しい。どうするべきか。

短編と関係ないことも書いてますが、自分は一応元気ですのでご報告をば。
これからもちょろちょろと書いていけたらなぁと思ってます。



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