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或るアインツベルン家の日常









 ある晴れた昼下がり。衛宮切嗣とイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは家の縁側で日向ぼっこに興じていた。

「あったかいねー、キリツグ」

「ああ、そうだねぇ。今日も太陽はサンサンで、空も綺麗な青色だ」

 あの壮絶を極めた聖杯を巡る争いも遠く、春と夏との丁度真ん中あたりに当たるこの時期は、とても過ごしやすい季節だった。
 常冬の森にある本家のアインツベルン城では決してお目にかかれない四季の移ろい。巡り行く日々の変化を、今膝の上にちょこんと座り胸に顔を摺り寄せてくる幼子に見せて上げたくて、切嗣はあえて日本に居を構えた。

 丁度戦争の最中に買い取った日本の屋敷もあったことで、草臥れた家屋の補修や整備に多大な時間と労力を費やす羽目になったり、あのアインツベルンの頭首を説き伏せるのにかなりの苦労を背負い込んだりと大変な日々ではあったが、

「えへへー」

 ……まあ。全てがこの笑顔の為にあったのならば、惜しむものなど何一つとしてない。

 切嗣はぼんやりと空を見上げる。全く、これまでの日常が嘘のように緩やかな時間が流れていく。争いはなく、忙殺される事件も無い。日々を生きる微かな路銀を得る為に仕事に出ることはままあるが、それをなお上回る幸福がある。

 こんな日々がずっと続けばいいと、長らく思い続けてきた。

 ならばこの時こそが最良だ。この日常を掴む為に手にした凶器の数々。血に塗れたこの手で抱くことなど許されないと思っていた笑顔。誰も何も咎めない。欲した全てが──今この場所にはある。

「ほら、切嗣、イリヤ。掃除をするから、ちょっとどいてくれる?」

 そんな益体もない思考を中断させる澄んだ声。

「えー、今イリヤ日向ぼっこしてたのにー」

「それはまた後で。さっさと掃除を終わらせないと、夕食の準備も出来ないでしょう?」

 なお食って掛かるイリヤをさらりと受け流すアリスフィール。すっかり主婦業が板についた彼女は今、清楚なブラウスとスカートの上に一枚のエプロンを羽織っていた。

「はは。さ、イリヤ。ちょっと移動しようか。アイリの邪魔をすると、今度は僕が怒られるからね」

「まあ、切嗣ったら。私はそんな理不尽な怒りをぶつけたりはしません。もし私が怒っていたとしたら、それは間違いなくあなたに非がある場合だけです」

「……はは。じゃあもしその時はたとえ心当たりがなくても、もう一度胸に手を当てて考えてみるよ」

 判れば宜しい、と胸を逸らして頷くアイリスフィール。完全に蚊帳の外に置かれたイリヤが、むぅーっと頬を膨らませていた。

「なに、二人だけで納得しあって。イリヤは仲間はずれ?」

「ええ、これは夫婦の会話ですから。イリヤにはまだ早すぎるわ」

 またも頬を膨らませるイリヤを見やり、アイリスフィールは微笑み、切嗣は苦笑を漏らした。

「さてと。じゃあ、どうしようかイリヤ。部屋に戻るかい?」

「んー? そうねー、どうしようかなー」

 小首を傾げるイリヤを見やり、アイリスフィールはぽん、と掌を叩いた。

「ねえ。もし暇なら、夕食の買い物を頼まれてくれないかしら」

「僕がかい?」

 アイリスフィールは切嗣が基本的に不器用……言い換えれば、面倒臭がりなのを知っている。
 以前アイリスフィールが切嗣に買い物を頼んだときなんかは、出来合いの惣菜ばかりを買い漁り、後にアイリスフィールに『私の作ったご飯なんか食べたくないっていう意思表示なのね!』と夫婦喧嘩の原因にまでなったくらいである。

 ただ単に、切嗣は毎日家事に追われるアイリスフィールを思い、今日くらいは出来合いのもので済ませてもいいだろうと思っただけなのだが、さもありなん。心は言葉にしなければ伝わらない。

 それらを除いても、切嗣は効率を重視する。一日一人で放って置けば食べないか、最低限の食事──どこぞのバランス栄養食──で済ませてしまう、とても一人暮らしなどさせられない体質だった。

 だから切嗣が返事をした途端、アイリスフィールの視線が鋭くなったのは、ひとえに切嗣のせいなのだが、本人はまるで気付いていない。

「いいえ。あなたには頼みません。イリヤ、行って来てくれない?」

「わたし?」

「ええ。貴女のお父さんにはとてもじゃないけど任せられないから、イリヤにお願いしたいんだけど」

 任せられないから、の辺りで感じた冷やかな視線に流石の切嗣も背筋を寒くする。母は強しとはよく言ったものだと、切嗣は一人納得した。

 んー、と悩んでいたイリヤにアイリスフィールが『行ってくれたら今日はイリヤの好きなものを作るから』の一言で少女の表情は花のように咲き誇った。

「うん、わかった!」

 威勢の良い我が子の返事を聞き微笑むアイリスフィール。その後二人してあれやこれやと言い合って、ようやく買出しに行く内容が決まったのか、エプロンから取り出したメモ用紙にサラサラとペンを走らせた。

「じゃあイリヤ。ここに書いてあるものだけを買ってくるのよ。余計な物は買っちゃダメ。でないとお金が足りなくなりますからね」

 はーい、と間延びした返事をしながら、イリヤはメモと現金──書き出された内容より若干多い──を受け取り確かめるように数えてからポケットの中へと捻じ込んだ。

「それじゃ、行こうかイリヤ」

 話も纏まったところで切嗣は立ち上がる。イリヤに向けて差し出した手を、少女は不思議そうに見ていた。

「キリツグは、どこか行くの?」

「? 何言ってるんだい、イリヤ。買い物に行くんだろ?」

「? なんで? 買い物に行くのはイリヤだよ?」

 頭の上にクエスチョンマークを幾つも浮かべた我が子を見やり、切嗣は苦笑した。

「イリヤはまだ小さいからね。一人で外に出るのは危ないだろ? だからほら、一緒に行こう」

 それは切嗣の父としての優しさだったが、当のイリヤは不服に感じたらしい。

「バカにしないで、キリツグ。わたしはもう子供じゃない。買い物くらい、一人で出来るんだから!」

 そっぽを向いてしまったイリヤを前に、切嗣はさてどうしたものかと思い悩む。助け舟を借りようとアイリスフィールの方に目配せすれば、はいはい判りましたとばかりに頷いてくれた。
 流石はマイスイートハニー。言葉なんて無くても心と心で繋がっているね、と切嗣が思ったかどうかは疑問だが、

「ええ、イリヤ一人にお願いするわ」

「な、なんだって……!?」

 少なくとも、以心伝心は出来ていなかった。

「な、何を言い出すんだアイリ。イリヤに一人で買い物に行かせるだって……?」

「ええそうよ。あなたはこの子がまだ小さいと言ったけれど、私はそうは思わない。ねえ、イリヤ。一人で買い物くらい、楽勝よね?」

「うん、ラクショーだよ!」

 ほら、見なさい。とばかりに勝ち誇るアイリスフィールを余所に切嗣の内心は穏やかならざるものと化していた。
 イリヤスフィールこそ生き甲斐。イリヤスフィールこそ我が至宝と謳って憚らない切嗣にとって、外敵しか存在しない外の世界に我が子を一人で放り出すなど、絶対に考えられもしない。

 そんなものは腹を空かせたライオンの檻にたっぷりとバターを塗った丸くて美味そうな豚を放り込むのと変わらない。否、最高級のステーキをわざわざ一口サイズに切り揃えて差し出すのと変わらない。
 そんなことをすればどうなるか……考えるだに恐ろしい…………!

「じゃあ行ってきます、お母様」

「はい、行ってらっしゃい。車には気をつけるのよ」

 と、悶々と一人ありえもしない想像を膨らませている間に、イリヤは颯爽と出て行ってしまった。

「な、あ、ア、アイリ! 君は今とても軽率なことをした……!」

「何言ってるの切嗣。そんなどこぞの魔法使いみたいな言い回しをして。大丈夫よ、イリヤなら一人でやれるわ。それとも貴方は、あの子のことを信じられない?」

「うっ……」

 言葉に詰まる切嗣。目は何度か宙を泳ぎ、最後には溜め息と共にアイリスフィールへと戻った。

「その言い方は卑怯なんじゃないかな、アイリ」

「そう? でもこれくらい言わないと聞いてくれないでしょう?」

 それもそうだ、と苦笑して、縁側へと腰掛けた。







 ──それから僅かに五分。

 庭を忙しなく行ったり来たりし、右往左往して天を仰いだり座り込んだりして、時折ぶつぶつと独り言を呟いている切嗣の姿が、縁側の掃除をしていたアイリスフィールにとってはとてもつもなく目についた。

「少しは落ち着いたらどう? あなたが焦ってもどうにもならないわ」

「ああ、うん。わかってるよアイリ」

 ああ……あれは絶対に話を聞いていないな、何を言っても無駄ねと思い、アイリスフィールは仕方なく掃除に戻った。

 更に一分後。思い出したかのように切嗣は『……あ!』と大きな声を上げた。

「今度はなんです……?」

「え? ああ、いや。そういえば……」

 がさごそと胸のポケットを漁る切嗣。

「煙草が切れていたんだった。ちょっと買いに行って来るよ」

 アイリスフィールの返事など待たず、切嗣はダッシュで正門を飛び出していった。

「……ほんとうに、困った人ね」

 この家に住むようになってから、切嗣はまた煙草を吸わないようになった。だから彼の胸ポケットの中に件のものがある筈もなく、外に買いに行くというのもまた見え見えの嘘である。

 アイリスフィールは溜め息をついて空を仰ぐ。

「何事もなければいいんだけれど……」

 かくして始まるはイリヤスフィールの初めてのお使いであり、愛娘の後を追う切嗣のストーキングミッションであった。






或るアインツベルン家の日常/Pursuit Mission




/1


 屋敷をイリヤスフィールよりかなり遅れて後にしたとはいえ、所詮は子供の歩幅と切嗣のそれとでは倍以上違う。
 屋敷前の坂道を進み、十字路に差し掛かった辺りで早くも対象を捕捉した。

 切嗣は電柱の影に隠れ息を殺す。らんらん気分で軽やかに商店街を目指す我が子にデレている暇など無い。彼女に近づく全ての人間……いや、ものが敵だ。一切の油断なく、少女のお使いを安全かつ速やかに終えられるよう護衛に徹しなければならない。

 最低条件としてこちらの姿を晒す事は厳禁だ。一人でお使いをこなすというイリヤの目的の邪魔をしてはならないし、ばれてしまえば何を言われるか判らない。
 それこそ『キリツグって最低ね。わたしのこと、全然信じてくれないんだね』などと言われてしまえば、もう立ち直れる自信など──ない。

 なればこそ、この任務は隠密に。イリヤが滞りなくお使いを終えられるように最善を尽くすのみ。

「舞弥。そちらからの様子はどうだ?」

 通信機に呼びかける。屋敷を出る直前に家の前の掃き掃除をしていた久宇舞弥を切嗣は半ば強引にこのミッションに加えた。
 彼女は今頃どこかの民家の屋根の上からライフルの望遠装置でイリヤの様子を窺っている筈だ。近距離は切嗣が、遠距離は舞弥が監視するという徹底した作戦だった。

『こちらは異常ありません。……ですが、切嗣』

「なんだ?」

『ここまでする程のものではないのではないかと。ご息女の身を案じてのこととは判っていますが、少なくともこの冬木に私達に仇なす存在を認めていません』

「甘いな、舞弥」

『は?』

「僕達が過去相手にしてきたような連中は流石にいないだろう。だが、僕が警戒しているのはそんな連中よりもなお悪質な奴らだ」

 切嗣と舞弥が相手取った連中……とはそれこそ魔術協会に認定された外道の類が大半を占める。魔術師殺しの異名を取るフリーランスの切嗣に届けられた依頼状はとかく数が多かった。

 だからこそ舞弥は戦慄する。そんな連中をなお上回るような外道がこの冬木に存在し、しかも自分の目を掻い潜って潜伏している……。そして切嗣だけがその外敵に気が付いているのだとすれば、納得のいく話だった。

『……判りました、切嗣。ご息女に近づく全ての不審人物を射殺します。どうかご安心を』

「ああ、頼む」

 切嗣を盲目的に信頼している舞弥もまた、どこか抜けていた。そして切嗣が思い描く性質の悪い連中というのも、舞弥の想像した外道とは掛け離れているものだということに、二人は決して気付かない。

 かくして異常らしい異常もなく──強いて言えば彼らこそが異常なのだが──イリヤは商店街のアーケードを潜った。

 ここからの追跡は幾分やりやすくなる。夕飯の買出しに勤しむ主婦や学校帰りの学生でごった返す商店街ではわざわざ物陰に潜むような真似は必要ない。そんなことをすれば逆に怪しまれてしまう。

 こういう人の多い場所ではただ単のその人波に紛れ込んでしまえばいい。後は気配を殺して、目立つ行動さえ避ければ見つかる危険性は皆無に等しい。
 難点があるとすれば、人が多いだけに割くべき注意が散漫になる事。そして未だ見ぬ敵もまた雑踏に紛れてイリヤに近づく危険性があることだ。

 ここからは出来る限りイリヤに近づいて警護を行う。と同時に妖しげな動きをする人物全てに注意を払わなければならない。

 イリヤがまず初めに向かったのが肉屋だった。この商店街にはスーパーもあるのだが、アイリスフィールは個人商店を愛用していた。そのわけは至極簡単で、まけてくれたりサービスしてくれたりするからだ。

 まあ、アイリスフィールほどの美人が相手とあらば、並み居る男たちは揃って鼻の下を伸ばすだろう。たとえ子連れであったとしても、なお損なわれない尊い高貴さを彼女は持っている。
 そしてそんな場面にもし切嗣が遭遇したとすれば、一面が血の海に変えられるのは想像に易い。彼は愛娘を溺愛すると共に、妻もまた大切に想っているのだから。

 イリヤは正しく母に倣い、馴染みの店へと顔を出した。

「おうイリヤちゃん! 今日は一人でお使いかい?」

「うん。えっとね、これが欲しいんだけど……」

「おうおう、偉いねぇ。こりゃサービスしなきゃいけねぇな」

 気の良さそうな肉屋の親仁と会話をするイリヤを見やり、切嗣の目が細まる。

「あの男……妙に馴れ馴れしいな」

 懐に忍ばせておいた短銃にそっと手を伸ばす。肉屋の親仁とはあんなにも馴れ馴れしいものなのか……?
 イリヤとは顔見知りのようだが敵に買収されている可能性もゼロではない。あの恰幅のある身体と木の幹のように太い腕。イリヤの首の骨など、瞬く間に圧し折る事が出来そうではないか……。

『待ってください、切嗣』

 疑心暗鬼に囚われ、今にも飛び出しかけた切嗣を制止する舞弥の声。彼女もまたこちらを何処からか窺っているようだ。

「なんだ、舞弥」

『あの男は敵ではありません。マダムやご息女がいつも肉類を買い付ける精肉店の店主。ただの店主です』

「敵の息がかかっている可能性は考慮したのか」

『いえ、そこまでは。ですがあの店主がご息女の首に手を伸ばすより早く、壁に吊られている包丁に手を伸ばすよりも早く、私達なら撃ち抜けます。ですから、行動を起こすならばその時に……』

 舞弥による最大限の譲歩だった。今の切嗣ではそれこそ雑踏の中であろうとトリガーを引きかねない。在りし日の殺人機巧ではない今の切嗣を統制するのも、衛宮切嗣を構成する部品である久宇舞弥の仕事の一つ。

 今銃撃を行えば、本命を見失う可能性がある。それは絶対に避けなければならない。

 舞弥はイリヤに警戒を向けると同時に、その周囲にもポイントを合わせる。あの店主が敵の息のかかったものであるのなら、必ず近くに潜んでいる筈……

「……わかった。警戒を続けてくれ」

 そんな舞弥の見当違いも甚だしい思惑など知る由もなく、切嗣もまた警戒を強めた。

 物陰から懐に手を忍び込ませたまま精肉店を窺う壮年の男を見る主婦の目は、不審者を見るそれに限りなく近かったが、余りに鋭利な彼の目つきを垣間見た者は誰しもが足早にその場を去る。

 触らぬ神に祟りなし。あんな目つきをした人間が堅気である筈が無い。一様に皆そう認識し、関わってはいけないと無意識に足を遠ざけた。

 そんな中、イリヤと何事かを話した店主は、快活に笑い一度店の奥へと引っ込んだ。

 ……何故?

 切嗣の脳裏にその言葉が浮かんだ。イリヤと店主を隔てているショーウィンドウには様々な精肉が鎮座している。
 本来であればあそこからイリヤの指定した精肉を取り出し、グラムを測り代金と交換、それで契約は成立の筈だ。わざわざ店の奥へ戻る必要などない。

「……気をつけろ、舞弥。あの男、何か企てている」

『了解』

 舞弥の静かな声音を聞き届けてから、切嗣の脳内を目まぐるしく思考が回転する。男がわざわざ奥へと引っ込んだ理由。そうする理由。そうしなければならなかった理由があるとすれば……。

 ────こちらに感づいたか。

 一度店内から撤退し、店の奥に隠してあるだろう、より強力な銃器でこちらを迎え撃つ算段。あるいは、イリヤを人質とする為の罠か?

 切嗣の背筋を冷たい汗が流れていく。

 ……いや、それでも大丈夫だ。この完全に警戒された状況において、衛宮切嗣、久宇舞弥の両名の射撃を回避しきる術など無い。
 たとえあの男がロケットランチャーを持ち出してこようとも、奴がトリガーを引くよりも早く頭蓋を、心臓を撃ち抜くだけのスキルと経験が彼らにはある。

 ぎゅっと汗ばんだ手でコルク材のグリップを握り締め、緊張の狭間で息を刻む。

 男が戻ってくる。手にはナイロンの袋。中身までは窺えないが、それ以外のものは持っていない。舞弥のスコープによるチェックでもそれ以外に武器らしい武器を所有している形跡は存在しない。
 ならばこちらの思い過ごしかと安堵の息を付きかかったところで、最も警戒しなければならない物体の存在に気が付いた。

 あの袋。店名とデフォルメされた牛がテーブルの上のステーキを悲しげに見つめる絵がプリントされたあの袋。あの中身はもちろん精肉であると誰もが思うだろう。だが、それこそが敵の罠。常識の裏を掻く敵の策略。

 ならばあの袋の中身は精肉などではなく──爆弾……!

『いえ、違います、切嗣。あの袋の中身は間違いなくただの精肉です。爆発物の反応はありません』

 舞弥の言葉の示すとおり、

「おっと、待たせたなイリヤちゃん。今日入った肉の中でも一番良い部位をミンチにしたものだ。しっかり捏ねてじっくり焼けば、最高にジューシーなハンバーグのいっちょ出来上がりってな寸法よ」

「ありがとう、おじさま。お母様にもこの事はちゃんと伝えておくわ」

「ハハ! そいつは嬉しいね。今後とも是非ご贔屓にってね」

 豪快な笑い声を背に、イリヤは次なる店を目指して商店街を移動していく。

 イリヤが店を離れたところで、切嗣はようやく安堵の息をついた。緊張の連続だ。これほど神経を張り詰めたミッションはかつてなかったかもしれない。
 いや、それでも我が子の安全を考えればこの程度、何の障害にもなりはしない。

 駆け足に去っていくイリヤを見つめ、

「移動だ、舞弥。まだ気を抜くことは出来ない」

 指示を飛ばしつつ切嗣もまた雑踏に紛れ込む。今の店では何事も無かったが、次の店もまた何事も無いなどという楽観は出来ない。最大限の警戒を。最小限の労力で。全ては愛しき我が子を守る為に……

 それにしても。

「今日の夕飯はハンバーグか……」

 全く以って緊張感の無い一言だった。





/2


 けれど切嗣の思惑とは裏腹に、次の店でも滞りなくイリヤは買い物を済ませた。

 手にした買い物袋はこれで二つ。精肉と野菜という、いかにもオーソドックスな内訳からは、切嗣の焦燥を窺い知る事など出来ない。
 んー、と手にしたメモを見つめるイリヤを窺う切嗣の瞳は、獲物を見つけた狩人のそれに酷似している。一瞬の油断もない。他の敵に獲物を奪われないように、最大限の警戒を行っていた。

 年端もまだいかないイリヤスフィールが買い物を行うに辺り、あのアイリスフィールが自分で行う買出しと同じ量を頼む筈など無い。簡単に言ってしまえば、持てないからだ。あの細い白腕に持ててせいぜいが後一つ。

 それだけを購入すれば、イリヤは帰路に着く筈だ、と切嗣は勘繰った。

 だがイリヤは次なる店舗に中々向かおうとせず、道路の隅っこできょろきょろと辺りを見回している。

「まさか、感づかれたか?」

 有り得ない。熟練の暗殺者である切嗣が、あんな幼子に感づかれるような気配の殺し方をしている筈が無い。
 ならばイリヤは、何を探している……?

『迷子、という可能性はありませんか、切嗣』

「なに?」

 舞弥の言葉を受け、切嗣は思案した。

 あれで中々聡明なイリヤが、こんな単純な構造の町で迷うだろうか。次に目指す店舗の位置とて、アイリスフィールと何度も足を運んだ場所に違いない。でなければ、あのアイリスフィールがイリヤを単身で送り出す筈など無い。

 それにあの表情……道に迷うか次に向かう場所が判らないのなら、もう少し不安が表情に浮かぶ筈だ。けれど今のイリヤは毅然としたままで、けれどやはり何かを探している体だった。

「……くっ」

 ここで切嗣は初めて歯を噛んだ。もし一度だけでも、イリヤとこの商店街に買い物に来たことがあれば、今のイリヤの考えとて手に取るようにわかる筈なのに。親子の屋外でのスキンシップ不足を切嗣は一人、嘆いた。

 そんな父の内心など全く知る由もなく、イリヤは『あっ』と目を瞬かせて小走りに移動した。その先には、先程までなかった筈の一軒の屋台があった。
 古めかしい木造の荷台に、赤い暖簾。暖簾には大判焼きの文字が踊っていた。

「大判焼きか……。まあ、食後のデザートにしては少々重いが、アイリなら食べるかもしれないな」

 そんな失礼な事を考えながら、イリヤの一挙手一投足を見逃さないよう警戒する。イリヤは目の前で焼き上がっていく中身の違う様々な大判焼きに目を輝かせて、これだと決めたつぶ餡の大判焼きを五つも購入した。

『むう……私は漉し餡派なのですが』

 そんな舞弥のどうでもいい呟きを聞き流し、切嗣はニコニコ笑顔のイリヤの後を追う。そう、イリヤの行動に不可解な点を見出したからだ。

 今現在、切嗣名義である衛宮の邸宅に住まう住人は家主たる切嗣を筆頭に、アイリスフィール、イリヤ、そして舞弥の四人だけである。つまり大判焼きを購入するのであれば、正味四つで事足りる。
 いや、アイリスフィールならば二つくらいは軽いだろうが、母の威厳か妻の体裁か、一つしか食べない。それを切嗣は知っている。だからこそ、おかしい。

 イリヤの行き着いた先は商店街の外れにある公園だった。いつもは子供達の歓声で賑わうこの場所も、何故だか今日は厭に静かだった。というよりも、遊んでいる子供が一人しかない。

 その子供……少年は一人で黙々と砂の城を作り続けている。イリヤと同い年くらいか少し下程度の子供が作るにしてはなかなか造詣の深い城だった。なんとなくだが、アインツベルンの城を思い出した。

 そんな少年を余所に、イリヤは公園のベンチに腰掛け、二つ持っていたナイロンの袋を脇に置き、先程購入した大判焼きの紙袋をごそごそと漁り……かぷりと噛み付いた。

「…………」

 なんてことはない、ただの買い食いだ。あのくらいの子供の頃はそれくらいの悪事というか、食い意地が張っている方が可愛げがある。
 イリヤもそのご他聞に漏れず、こっそりと買い食いを行った。思えば頑なに一人で買い物に行きたがったのもこのせいかもしれないし、アイリスフィールはこれを見越して若干多目の現金を渡したのかもしれない。

「……ふう。結局、骨折り損の草臥れ儲けか」

 まあイリヤの違う一面を見られた事だし、もしもの時に強請るネタを手に入れたと思えば悪くない労働だった。
 さて、これ以上長引かせるのは拙い。アイリスフィールには煙草を買うと言って出てきたから、そろそろ戻らなければ怪しまれる……そう思った矢先の事だった。

 ベンチに腰掛け、もくもくはふはふと大判焼きを頬張っていたイリヤが、砂の城を作り続けている少年に歩み寄った。

「ねえ」

 イリヤの呼び掛けに少年は振り返る。顔を泥で汚したまま、見つめる少女を見上げた。

「なんで一人でお城を作ってるの?」

「……みんないなくなったから」

 少年が少し寂しそうに言う。

「貴方も一緒に行けばよかったのに」

 少年は小さく首を振る。

「ダメだって。おまえは来ちゃダメだって、来るなって言われたから」

 それを聞いたイリヤがむっと頬を膨らませた。

「なによそれ。貴方だけ仲間はずれってこと? いやな友達ね」

 イリヤがそっぽを向いて頬をなお膨らませる。どうやら彼の友人達の行動にご立腹の様子だ。

「ねえ、だったら私と友達にならない?」

 そう言って、やわらかく微笑み少女は手を差し伸べた。

「え、ええと……」

 困惑気味の少年の顔は真っ赤だ。夕日の照り返しもあるだろうが、あれは間違いなく照れている。まあ、イリヤのあの微笑みを向けられて蒼褪める男などがいれば、背後からその脳天を撃ち抜いてやるところだ、と切嗣は内心で思う。

 戸惑いながらも少年は手を差し出そうとする。でもその手は泥で汚れていて、綺麗なイリヤの手を取るのは憚れている様子だった。
 そんな少年の様子を見て取ったのだろう、イリヤは引っ込みかけた少年の腕を強引に掴んだ。汚れるのもお構いなしに。

「汚れるよ」

「ええ。けど汚れは、洗い落とせるものでしょう?」

 言いながらイリヤは少年の手を引き、水場へと向かった。申し訳程度に設置されている水場で、二人は仲良く手を洗う。

「…………」

 その様を見ながら、切嗣の胸に一本の針が刺す。この感情が何なのかと思い悩み、嫉妬なのかもしれないと思った。あの手を取っていいのは、自分だけなのだと。

 益体もない思考の後で、少年と少女はベンチに並んで腰掛ける。流石に砂の城作りの続行はしないようだった。
 イリヤが半分だけ残っていた大判焼きに齧り付く。その様をじっと見つめる少年。視線に気付いたイリヤは『欲しいの?』と聞いたが、少年はぶんぶんと首を横に振った。

 んー、と顎に指を押し当ててイリヤは何か悩んだ仕草をした後、

「私もうお腹いっぱいになっちゃった。このあと晩御飯もあるから、これ以上食べたら食べきれなくなっちゃう。だから、良かったら食べて」

 はい、と差し出された半月型の大判焼き。直線部分にはイリヤの齧った後が色濃く残る大判焼き。きっと食べなければこの少女は帰らない。そう思った少年は受け取ろうと手を伸ばし──

「Time alter──double accel!」

 衛宮切嗣の魔術が発動し、体内時間が倍速化され、常人ならざる速度で駆け出した。

「そんなものは……許さないッ!」

 疾風もかくやという加速を得た切嗣は公園内へと突入し、イリヤが手に持っており、少年が受け取ろうとした大判焼きを横から掠め取り、口の中に放り込んでむしゃむしゃと咀嚼して飲み込んだ。

 解除の呪文を唱えると、反動が切嗣の身を襲ったが、彼は何食わぬ顔で呆然とする二人の幼子を見つめている。
 少なくとも少年には何が起きたかなど判らない。ちょっと老けたおじさんが物凄い勢いで目の前を走り抜けていった、その程度の認識しか出来ない。それが常識の楔だ。

 さて、問題はもう一人の方。切嗣の姿を目視し、ぽかんとしたのも束の間。わなわなと震えだした我が子に一体どういう言い訳をすればいいのやら……

「キリツグ……」

「やあ、イリヤ。偶然だね。僕はちょっと、煙草の買出しに出たついでに散歩でもしようと思って、そうしたらたまたまこの公園でイリヤの姿を見かけたってわけさ。はは、驚いたかい?」

「そんなわけないでしょ、バカーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 耳を劈く叫びが、静かな公園に木霊した。





/3


「……いや、僕も悪かったと思ってる。けど信じて欲しい。決してイリヤのことが信じられなかったわけじゃなくて、ただ心配だったんだ。そう、これは僕の善意であり愛であり、父としての義務なのだ。
 だからさ……ねえ、聞いてる? 流石にこれは、酷いんじゃないかな?」

 夕食時。いつもは賑やかな笑いが零れる衛宮家の居間において、今日もまた喧騒が沸き起こってはいるが、切嗣だけは完全に蚊帳の外。
 テーブルの隅っこで正座させられ、彼の目の前にだけ料理が全く置かれていない。アイリスフィールやイリヤの前には特大のハンバーグに添え付けの野菜、ライスにスープと豪華極まりない料理が並んでいるというのに。

「ダメ。キリツグは今晩ご飯抜き」

「そ、そんな殺生な。アイリ、君からも何か言ってくれ」

「どう、士郎くん。美味しい?」

 アイリスフィールの横にいる少年こそはイリヤが公園で出逢った少年だ。切嗣の突然の暴挙に腹を立てたイリヤが切嗣を怒鳴りつけると同時に、ぽかんとしたまま二人の成り行きを見ていた彼をイリヤは我が家に招待したのだ。

 アイリスフィールの問いに、少年はこくこくと頷いて黙々と食べている。余程美味いらしい。本来切嗣の胃の中に収まる筈だったハンバーグは少年の口の中へと吸い込まれていっていた。

 最愛の妻にさえ完全に見放された切嗣は次に舞弥をじと目で見た。イリヤの追跡に加担しておきながら何食わぬ顔で夕食を平らげている彼女が恨めしい。
 けれど異議を唱えたところで是非もない。親子二人がかりで『どうせ切嗣が巻き込んだんでしょう』と一喝されてお仕舞いだ。

 ああ、この家における男の尊厳はいつの間にこんな位置にまで低下してしまったのか。悩んでみても判らない。

 夕飯抜きかぁ……辛いなぁ……あのハンバーグ、美味しそうだなぁ、と呟いてみたところで、ぐいぐいと袖を引っ張られていることに気が付いた。

「ん?」

 視線を下げればそこに、目をキラキラと輝かせた少年が一人。

「爺さんスゲェな! あんなに早く動ける人間初めて見たよ、俺。なあなあ、一体どんな魔法使ったんだよ!? ハンバーグ分けてあげるからさ、俺にも教えてよ!」

「じ、じいさん……」

 がっくりと項垂れ、僕ってそんなに老けて見えるのかなぁ……と思わずにはいられない切嗣であった。









後書きと解説

Zeroでha時空その二。
アインツベルン家+αってな感じのアットホームコメディ?

この話の切嗣は親バカ補正120%増しなので、Zeroの切嗣との差異は仕様です。あしからず。

平和なアインツベルン一家。ありえたかもしれない、あって欲しかった一幕として書いてみました。
途中某フルでメタルでパニックな話のふもっふ傭兵じみた思考をしてる切嗣ですが、
彼も境遇的には似たような環境にいたのでアリかなと。

最後に登場した彼ですが、まあ居てもいいかなと。
彼もまた切嗣の家族ですから。

つぶ餡漉し餡論争は不毛の極地。
どっちも美味い。それでいいじゃないか。

……とまあ一応結構綺麗に纏まったかなぁと思うのですが。珍しく起承転結があるような。

それはそれとして、何故か別のオチも用意してあったりします。
というかこの続き。バッドエンド直行コースなので、見たくない人は戻るをクリック。

バッドエンドこそ我が王道、クリックせずして何が王か、と言って憚らない人だけ続きをどうぞ。
完全に蛇足、かつ救いなんて微塵もない世界なのでお覚悟を。



続き



2008/05/15



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