九日月 夜/理想と現実 /1 桜の容態に問題はないようだが、今日一日は様子を見る、ということで合意を得た。 なので、朝、遠坂が説明しようとした今後の行動も、明日へと持ち越された。 夕食後、桜から聞かされた事実。 桜は遠坂の妹であり、魔術師であること。 これには心底驚かされた。 あの遠坂と桜が姉妹だなんて、誰が想像できるだろうか。 もう一つの方、魔術師であること。 前回の聖杯戦争でも慎二は正規のマスターとして参加したのではなく、 桜が召喚したライダーを令呪を用い、慎二に従わせるようにしたらしい。 これには桜の───いや、慎二の祖父、マキリ臓硯が関与していたこと。 そして桜の体に住み着いていたのも────。 全ての元凶は臓硯にある。 だが、それも遠野の手によって消滅させられ、桜は自由を取り戻した。 何故臓硯が住み着いていたか、なんの目的で住み着いていたか。 それを桜は説明しようとしたが、遠坂が止めた。 それでいい。 たとえ何があっても桜は桜だし、桜が助かった、という事実だけがあれば他はいらない。 わざわざ過去を掘り起こすなど、あんまり気持ちの良いものじゃない。 ただ、俺は────そんな桜を救ってやれなかったことが、悔しい。 /2 ──────闇を照らす月。 その下、衛宮邸の縁側でぼんやりとそれを見つめ、思案を巡らせる。 闇という人が恐れるものを、一条の光で照らし出す、月。 それはまるで空に浮かぶように、ただ、佇む。 人は闇の中だけでは生きていけない。 ─────なぜなら、光を知っているから。 もし闇しかない場所で生まれ、闇の中だけで生き続けられるモノがいるのなら、光など求めはしないだろう。 桜が遠坂の家でどんな生活をしていたのかはわからない。 それでも光はあっただろう。 それが、マキリという闇に叩き堕とされた。 その中でも光を探しただろう。だが、そんなものは見つからなかった。 だから桜は、外の世界に光を求めた。 それが、─────俺。 きっかけは些細なことだった。 俺がバイトで怪我をして、慎二とのいざこざ(俺はそうは思っていないが)で弓道部を辞めた後、慎二の妹であった桜が手伝いを申し出た。 ただ、それだけ。 それから桜は毎日のように俺の家に通い、最初はおにぎりさえ作れなかったのに、いつの間にか、俺に並ぶほどの料理の腕を身につけた。 その中の桜はいつも笑顔だった。 辛そうな素振りを見せず、いつも笑顔だった。 それはいつしか、俺の日常にあるのが当たり前となった。 俺にいつも笑顔を向けていた桜。 その裏には、過酷な闇があっただろう。 そんなものに気づきもせず、ただ毎日を安穏と過ごしていた俺。 桜の無言のメッセージに、まったく気づけなかった俺。 何が─────正義の味方ッ!! ─────誰かを救う? 目の前の、ずっと一緒にいた人さえ救えず、一体何を救うと言う! 俺は救うどころか、気づくことさえできなかった。 なんて────無様。 ◇ 「衛宮さん」 そう士郎に声をかけるのは志貴。 「ちょっと、いいですか」 そう言って、士郎の横に腰掛ける。 用があって来た筈の志貴は口を開かず、ただ、月を見上げている。 「綺麗ですね、月」 そんな、なんでもないことを志貴は言う。 それを聞き、士郎も月を見上げる。 「ああ、綺麗だな」 二人の男は空を見上げ、ただそれだけを口にする。 「遠野。桜を助けてくれて、ありがとう」 志貴へと向き直り、深々と頭を下げる。 「やめてください、衛宮さん」 頭を上げ、唐突に士郎は言葉を漏らす。 「俺はさ、正義の味方になりたいんだ」 「正義の、味方……?」 怪訝そうな顔をする志貴。 それもそうだ。 真顔でいきなりそんなことを言われたら、誰だって困惑するだろう。 「 “───じいさんの夢は、俺が” それが衛宮士郎の始まり。 炎の中で、からっぽになった士郎の心に焼きついた、切嗣の笑顔。 その笑顔が───あまりにも幸せそうだったから。 その理想が───あまりにも綺麗だったから。 ────憧れた。 その理想を曲げず、剣のように真っ直ぐに。 それを曲げようとした己自身にさえ屈せず、ただ、真っ直ぐに。 それだけを目指し、これまで士郎は生きてきた。 「誰かを救いたかった。 誰にも悲しんで欲しくなかった。 誰もが幸せでありますようにと、願った」 「─────」 それに志貴は答えない。 それは、確かに誰もが願うこと。だけど、実際にそれをやろうとする者はいないだろう。 それを、目の前の男は目指すという。誰も彼もを救うと言う。 そんなこと、無理に決まってる。 「それがさ、ずっと一緒にいた桜のことを、俺は救えなかった。 はは、誰かを救う………か。 俺は一体、何を救いたかったんだろうな」 アーチャーがかつて言った言葉。 『そうだ、誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた! 故に、自身からこぼれおちた気持ちなどない。これを偽善と言わずなんという! そんな偽善では何も救えない。 否、もとより、何を救うべきかも定まらない───!』 今の士郎はまさにそれ。 誰かを救うと心に誓い、それを目指し、ただ走った。 それが、一番身近にいた人の悲しみにさえ気づけず、救うことができなかった。 それを、無様と言わずなんと言う。 「───そんなことで悩んでたのか?」 志貴が士郎に問いただす。 「そ、そんなこと!?」 「確かに桜さんは辛い過去があったと思う。 でも、救われたじゃないか。 過去のことよりも、これからのことの方が大事だろう?」 「でも俺はずっと桜の側にいたんだ。 それなのに………何も、何も気づけなかった」 桜と一番長くいたのは士郎だろう。 それなのに、それに気づけなかった自分自身を士郎は許せない。 「それでも、だよ。 桜さんは、衛宮さんと一緒に居たかったから隠してたんじゃないか? 側に居られればそれだけで、彼女の救いになったんじゃないのかな」 自分の事には疎い志貴も、人の機微にはそれなりに敏感である。 「たとえそうだとしても、俺は────」 「遠野さんの言うとおりですよ、先輩」 ◇ 「さく、ら?」 「先輩は何も悪くありません。悪いのはわたしですから。 先輩が側に居てくれるだけで、わたしは幸せでした」 姉さんにも言ったように、助けての一言が言えなかったわたしが悪い。 先輩は何も悪くない。 ただ、側に居てくれるだけで、わたしは幸せだった。わたしは救われていた。 ただ側に居たかったから、知られないように務めた。 もし知られたら、側にいられなくなると思ったから。 でもそれは、先輩を信じていなかったから。 先輩は、わたしを知っても変わらず接してくれただろう。 でも─────それでもわたしは怖かった。 先輩は、わたしの光だったから。 先輩だけが、わたしの光だったから。 姉さんと倫敦に行った後も、わたしは先輩を想い続けた。 それだけが、心の拠り所だったから。 ────────だけど。 「言葉にしないと、想いは伝わりませんから」 言って、先輩に近づいていく。 ────そう。 言葉にしないと、想いは伝わらない。 どんなに想っていても、伝わらなければ意味がない。 もう後ろは振り向かない。 姉さんのように、前だけを見て生きていこう。 ほんの一握りの勇気があれば前に進める。 もう、後悔したくないから─────。 「先輩。わたしは、先輩のことが大好きです」 ───言った。 一番伝えたかったこと。まっすぐな、わたしのキモチ。 「──────え?」 先輩は我を見失ったかのように呆然としている。 この隙に─── 「さく…………っ!?」 唇と唇を重ねる。 それは、ほんの僅かの時間。 「──────さ、く」 「えへへ、キスしちゃいました」 茹ったような顔の先輩。うん、きっとわたしも真っ赤だと思う。 「先輩。先輩が姉さんのことを好きでも、わたしはずっと先輩のことが大好きです」 ◇ それだけ言って走り去っていく桜。 今回のことで、桜の中で何かが変わったのだろう。 それは、士郎にとってあらぬ方向へと向いてしまったようだが。 「──────」 未だ呆然とする士郎。 それもそうだ。 突然告白され、突然キスされたのだ。 凛以外と付き合ったことのない士郎にとって、些か免疫が足りなかったようだ。 「おーい、衛宮さん? 大丈夫ですかー?」 志貴が手を振ったり、揺すったりしても反応がない。 「重症だな………。 よし────遠坂さんに言いつけちゃいますよ?」 そっと耳元で囁く。 「─────ッ! ちょ、それは、ダメだ!! 殺されるッ!!!」 ようやく意識を取り戻した士郎。 それを志貴はニヤニヤしながら見守っている。 「隅に置けないねぇ。衛宮さんも」 「バッ………何言ってんだ! と、とりあえず、遠坂には言わないでくれ!!」 必死に懇願する士郎。 もしこれが凛にバレたら………どうなるかなんて想像するだけで恐ろしい。 「あー、じゃあ一つだけお願い訊いて貰えますか?」 「聞く聞く! なんでも聞くから遠坂だけにはああぁぁーーーーー………」 だが士郎は気づかない。 桜が凛に言うかもしれないことを───── ◇ 士郎の思いは間違ってなどいない。 ただ、桜がそれを望まなかっただけ。 ただ側に在ることを望んだ少女と、根本から救いたかった男。 何を以って救いとするか。それは人によりけりである。 後書きと解説 あれ………? 士郎の悩みを聞いて志貴が喝をいれるような漢の話にするつもりだったのに。 なんでさ? まぁいっか。救われたからといって、そこで身を引いたら桜じゃない、てことで宣戦布告。 彼女には前向きに生きて欲しいです。 嗚呼、前回の美しい姉妹愛は何処へ………。 次回、「血で血を洗う姉妹☆愛!勝つのは、どっちだ!?」ではありません。 えー士郎の独白を志貴が聞いて桜が乱入するお話でした。 HFルートのように悩みを知り、それを救う過程を経るなら士郎はそうあり続けるでしょう。 でも、もしそれに気づけず、ただ事実だけを突きつけられたら?というIFのお話です。 確かに誰かが救われることが士郎の望みですが、それに気づけなかった、というのは悔しいでしょう。 でもそれは桜の望んだこと。桜はただ側に在ることを願っていましたから。 結局は最後の文に集約されます。 何を以って救いとするか。それは人それぞれでしょう。 桜の口から真実を聞き、その桜が前向き?に生きていこうとしてるんだから 士郎の悩みなんてどこかへ消えていくでしょう。 理想と現実なんてそんなもんですよ、とまとめてみる。 back next |