十日夜 昼/王






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 ────────郊外にある森。

 冬の森、アインツベルンの森。
 街から遥か離れた市外、未だ人の手が入っていない広大な樹海。
 そこが聖杯戦争におけるアインツベルンの本拠地がある場所である。

 意図したモノかはわからないが、この森は長年人間の介入を拒んできた。
 それ故森は鬱蒼と茂り、深く、広く、暗い。

 それでも年に何人か、何の準備もなしに踏み込み遭難するという話は有名である。





 ─────街からタクシーで移動すること一時間。

 延々と続く国道を走り、幾つかの山を越えて森の入り口に辿り着いた。

 そこは以前と変わることなく、舗装された道などない。

 高速道路とそう変わらない国道からそれ、雑木林を一キロほど歩いて、
 ようやく森の入り口に到着した。

 時刻はとうに昼を回っていたが、辺りは昼なお暗い。
 空を覆うほど茂った枝は陽射しを遮り、森はその終わりはおろか、十数メートル先さえ定かではない。

 そんな見渡す限りの黒の森に視線を向け、士郎が口を開く。

「そう言えばここ、結界があったよな」

 以前凛と士郎がイリヤスフィールに話し合いを持ち掛けに来た時、その結界に引っ掛かったのだ。
 いや───それは正しくない。
 その結界を抜けなければ森に入れない以上、引っ掛かるしかないのだ。

「……そうだったわね。でも─────」

 凛が森へと一歩踏み出す。

 …………何の変化もない。
 以前のように落ち葉が焼け焦げるなんて事はもちろんない。

「……どういうことだ?」

「わからないけど───あの子がもういないからじゃないかしら」

 あの子、とはもちろんイリヤスフィールのことである。
 士郎が踏み込んだ時は静電気程度、しかし凛が踏み込んだ時は落ち葉が焼け焦げる等、意のままに操っていたと思われる警報装置。

 それが彼女の張ったものなのか、それとも他の誰かが張ったものなのか。
 それは定かではない。

 事実は一つ────警報装置が機能していない、という事。

「ま、いいわ。行きましょう。結構歩くんだから急がないと」

 そう言って歩み始める凛。それに皆が続いていく。





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 ────森を行く。

 この無限とも言える木々の中、生きている人間は俺たちだけだった。

 世界に色はなく、獣の息遣いもなく、草木は屍のように生気がない。





 ─────世界は、死に満ちている─────





 そう、これはあの世界を連想させる。
 死しかない世界。あの─────昏い世界を。

 進めば進むほど広がっていく木々の海は、果てがないのでは、という危惧を常に抱かせる。





 森に入ってから、既に二時間。
 時計がなければ時間の感覚すら狂いそうで、同じ風景をずっと見続けるのは少々堪える。

「結構どころか、かなり遠いんだな」

 口から自然、そんな愚痴が零れる。

「もう少しよ、志貴。後一時間くらいかな」

 遠坂さんが振り返りもせず、言う。

「うへ。まだそんなにあるんだ」

 がっくりと肩が落ちるのは仕方がないだろう。
 辺りは木々しかなく、今自分がどこを歩いているのか、それすら定かではないのだから。

 ましてや足場も良好というわけではなく、歩きにくいことこの上ない。

「愚痴を言っても距離は縮まりませんよ、志貴。
 そんな暇があるなら一歩でも先に進みましょう」

 まったく疲れた様子もなく、シオンが言葉を紡ぐ。

「わかってるよ。さ、どんどん行こう」

 女の子が疲れていないのに俺が疲れたなんて言えるものか。
 気丈に振る舞い、一歩を踏み出す。







「ところで士郎。そのバッグ、何?」

 普段からほとんど物を持たない士郎が、今日は一つのバッグを身に着けている。
 士郎の普段を知る者からすれば、それは珍しく見えるだろう。

「ん。これか?
 出発前に軽く飯作ってそれを持ってきたんだけど。食べるか?」

 ゴソゴソとバッグの中を漁り、おにぎりを取り出す。

「へぇ、気が効くわね。ありがと、貰うわ」

 とっくに昼食の時間は過ぎており、お腹が空く頃だ。
 持ってきたおにぎりを皆に手渡していく。

 セイバーの顔が輝いていたのは気のせいではないだろう。

 それを各々歩きながら口に運ぶ。
 多少行儀が悪いが、そうも言っていられない事情があるので、誰もそれを口にしなかった。





/3


 それから一時間程。

 時刻はすでに昼というのは遅すぎて、夜というには早すぎる時間帯。
 些か出発が遅すぎたようだ。
 陽は既に傾き、暗い森をより昏い森へと変化させる。

 そんな頃。

「────ようやく見えたわ」

 凛の視線の先を皆が追う。

 その先にあるのは暗い闇。
 木々の隙間。
 注意していなければ見失うほどの隙間の向こうに、何か、ひどく場違いな物がある。

「なんだ……? 壁、かな?」

 志貴がソレを見やり、疑問を口にする。

「そ。アインツベルン城の外壁ってところかしらね」

 始めて見る志貴らに解説しながら凛はその壁の方へと向かう。
 口で説明されても納得はできないのか、志貴たちは当惑したまま後に続いた。





 森を抜ける。

 あれほど果てがなかった森は、あっさりとその姿を消していた。
 いや、ここだけ巨大なスプーンで切り取られたように、森の痕跡が消失しているだけだ。
 開けた空は仄かに赤く、陽は地平の彼方へと消えようとしている。

 ───巨大な円形の空間。

 そこは広場というより、一つの王国。

 それが、アインツベルンの別荘。
 かつて、イリヤスフィールが住んでいた城。

 森の中に建てられた古い城。
 かつて、幾度もの戦場となった場所。

「────────」

 それを間近にし、志貴たちは怯む。
 遠野の屋敷もでかいが、これは違う。

 それはまさしく、城。
 古代より、王の住処とされる権力の象徴。

「やっぱり直ってるわね」

「ああ」

 それは士郎たちがかつて見た姿とまったく同じ。
 損壊があった事など嘘のように復元されている。

「まったく、これだから金持ちは─────」

 そこで何かに気づいたように、ハッと城の方へと視線を向ける。

「どうした? 遠坂」

 ただならぬ顔で城を見上げる凛。
 その横顔は、敵と対峙した時と同じ緊張感に満ちていた。

「何か────います」

 セイバーが僅かに緊張したような顔で言う。

「何かって……そりゃアインツベルンのマスターとそのサーヴァントだろ?」

「いえ。これは────戦っている、ようです」

 絶対の自信はないのか、語尾が濁る。
 その言葉を聞き、士郎も己の感覚を研ぎ澄ます。

「士郎。二階から入るわよ」

 返事も聞かず、凛は壁際の大木まで走り出した。
 そのまま枝に手をかけ、器用に登り、二階の窓に跳び蹴りをくれていた。

「───────」

 それを呆然と見上げていた皆は窓ガラスの割れる音で我を取り戻す。

「ほら、早く……!」

「あ、ああ……!」

 凛に倣い、皆二階から城の内部へと侵入する。

 そこで、その異常に気を奪われた。





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 侵入した部屋から廊下へと出る。
 以前と変わらぬ豪奢さに目を見張る前に、遠坂の言う異常に気を奪われた。

 響いてくる音は、紛れもなく戦いの音だ。
 外からではわからなかったが、中に入ればそれは当然のように響いてくる。

 剣と剣が打ち合う音。
 否。
 これはそんな生易しいものじゃない。

 これは、剣戟の音じゃない。
 一対多数の戦い───文字通り、この城のどこかで戦争が起こっている。





 ────ドクン。





 心臓が跳ねる。

 ────それはいつの記憶だったか。

 これは…………この音は───!

 駆け出した。
 音は下から響いてくる。

 場所は────戦いの中心は、来訪者を迎え入れる広場に違いない。
 幾度となく戦いの起こった場所に違いない!

「ちょっ……! 士郎!?」

 遠坂の言葉にすら耳を貸さず、ただひたすらあの場所へと向かう。

 思い違いであってくれれば、それでいい。

 でももし。
 もし、これがあの時の再現だとしたら────!

 通路の先、廊下はT字に別れており、それぞれが広間の両側のテラスへと通じている。





 ────ここで俺は一つの間違いを犯した。

 以前のように左右のテラスに身を隠し、様子を見ればよかった。
 だが俺の足は止まることなく、広間の二階中央へと走っていた。





 そう───そこは、絶対の的だというのに。





/5


 ───時間は僅かに遡る。

 士郎たちがアインツベルン城に到着するよりも前。
 すでに城に侵入している人物がいた。

「ふぅ。まさか、こんなことになるとは」

 それが彼女、バーサーカーのマスターであるシエル、その人である。

 本来彼女は昨日、ここに来るつもりであった。
 しかし、橋上の戦い。
 ライダーとランサー相手に消耗した魔力は思いの他多く、不本意ながら一日の休養を要した。

 ヘラクレス、という最強クラスの英雄をバーサーカーというクラスに押し込める以上、その維持には膨大な魔力を要する。
 並の魔術師では、普通のバーサーカーですら維持することが困難であるという。

 そこは彼女、シエルは普通の魔術師ではない。
 転生無限者、ミハエル・ロア・バルダムヨォンの子にしてその知識を引き継ぐ者。

 そして彼女の有する魔力量は常軌を逸している。
 それを以ってしてもバーサーカーの維持は困難であった。

 それ故に彼女は昨日ではなく今日、この地を訪れたのだ。



 彼女の目的も士郎たちと同じく聖杯の器。
 ただその用途は違う。

 士郎たちは聖杯を確保し、来るべき時に破壊する為。
 しかしシエルはそれをタタリをおびき寄せる為に用いようと考えていた。

 もしタタリの目的が聖杯であるのなら、器を求め、必ずその姿を現す、と。

「私が知っているマスターは五人。
 後は遠野くんたちだと思うのですが…………」

 彼女の出会った、知っているマスターは衛宮士郎と遠坂凛。
 蒼崎橙子と両儀式。
 そしてあの少年のマスター、蒼崎青子。

 そして遠野志貴かシオン・エルトナム・アトラシアがマスターなら。
 アインツベルンのマスターは存在しないことになる。

「とりあえず、人がいないか調べてみましょう」

 そう言って彼女は一人、城内を探索する。

 一人で全ての部屋を調べるのはかなりの骨だが、やるしかない。
 その為に、こんな郊外の森へと出向いたのだから。





 ────探索すること十数分。

 三階の一室で一人の男を見つけた。

「これは…………」

「マスター、もう死んでますね……」

 そう。
 発見された人物は既に亡くなっていた。

 詳しくはわからないが、殺されてからかなり時間が経っているようだ。

「この人はマスターとしてここへ来たのか、ただ聖杯を持ってきたのか。
 わかりませんね………」

 手を調べてみても令呪の跡はなかった。
 最初からなかったのか、マスターとなる前に殺されたのか、既にサーヴァントごと殺されたのか。

 それを知る術はここには既に存在しない。

「とりあえずこの部屋を調べてみましょう」

 もしかしたら聖杯の器があるかもしれない。と続け、部屋を丁寧に調べる。
 が、それらしき物は見つかることはなかった。

「これは………無駄足でしたか」

 一人思案に耽る。

 まだ全ての部屋を調べ終わっていないが、人が一人殺されていた。
 それはこの場所で争いがあったことを告げている。

 つまり。
 既にこの男は誰かと争い、聖杯の器を奪われたか。

「もしそうだとすると───、一体誰が?」

 考えてもわかる筈などない。
 判断材料が少なすぎるし、可能性のある人物も多い。

 とりあえずここには既にない、とわかっただけでも良しとするべきか。

 残りの部屋を調べて何もなかったら仕方がない、と思うも、その前にやることがある。


「一応これでも教会の人間ですから。この人を葬ってあげないといけませんね」





「─────Ashes to ashes, (灰は灰に、)dust to dust(塵は塵に)

 葬送を終え、もう一度城へと入る。
 残った部屋を一応調べては見たものの、やはりそれらしき物は見つからなかった。

「やはりありませんね。セブン、帰りましょう」

「はい、マスター」

 目的を達することはできなかったが、聖杯の器がない以上、もうこの城に用はない。
 誰もいない冬の城を後にする為、ロビーへと入った瞬間。









「止まれ、女」









 広場の入り口、外へと繋がる扉の前に、不遜に佇む一人の男。



 それは、黄金の鎧を身に纏う─────、一人の王であった。









後書きと解説

遂に登場、我等が王様。
やっぱり彼がいないとダメでしょう、てことでようやくのご登場です。

灰は灰に、塵は塵に、は凛が本編で使ってますがアレ、ドイツ語ですよね?
元々これはキリスト教の葬儀の際の祈祷文の一節らしいので死者の弔いに使ってみました。
もし間違いがあれば指摘していただければ助かります。






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