十三日月 朝/お出掛け /1 「ぅ………う…ん……」 淡い微睡みの中から意識が浮上していく。 ──目が覚める。というか無理矢理に目覚めさせる。 眠りの向こうへと引きずられる意識を、強引にこっちの世界に引っ張り出す。 起きなくてはいけない。 今日は寝過ごすわけにはいかないし、色々と準備もあるのだ。 「……うーん」 沈む瞼を擦り視界を開き、ぐいっと背筋を伸ばし、身体を解す。 窓から外を見るまでもなく、僅かだけど柔らかな光が差し込んできている。 とりあえず、天気は悪くなさそうね。 枕元へと視線を移し、時間は────良し、まだ五時前。 この時間なら流石に士郎も起きていないだろう。 のそのそと布団から抜け出し、着替えを済ませ、隣の部屋とこの部屋を区切る襖を少しだけ開ける。 中を覗けば規則正しい寝息を繰り返す士郎の姿を確認。 よしよし、ぐっすり寝てるようね。 わたしの部屋から廊下へと出るには、士郎の部屋を通らなければいけない。 音を立てないよう、そっと歩を進める。 あ、そうだ。 コイツいつもいつも朝早起きしてるんだから今日くらいゆっくり寝ててもいいわよね。 気づかれないように近寄り、側に腰を下ろす。 じっとその寝顔を見つめる。 うん、寝てる顔も格好良い。 恥ずかしいから、絶対そんなこと口にしてやらないけど。 ……それにしてもコイツも成長したわね。 出会って間もない頃は背もそんなに高くなくて、コンプレックスを抱えていたみたいだったけど。 今ではアーチャーと同じくらいの背丈に成長し、鍛え抜かれたその肉体のおかげで、わたしの隣を歩くには十分すぎるほど格好良くなった。 昔のわたしならこんなもの、心の贅肉だーって切り捨ててただろうけど。 今はこんなわたしも悪くないかなって思えちゃう。 ふふ、誰の影響かしらね。 自然、笑みが零れる。 「………ぅ……り…ん」 その言葉にびくりと身体が震える。 まさか……起きた? 「────────」 ……寝言、か。 わたしの夢でも見てるのかしら? ───っと、いつまで見てるわけにはいかないわね。 せっかく早起きした意味がなくなるわ。 すっと指先を士郎の額に近づけ呪を紡ぐ。 かけたのは簡単な催眠。 普通の魔術師相手じゃ効かないだろうけど、士郎は大して抗魔力もないし、寝てる今なら十分効果はあるでしょう。 準備はわたし達でするから、アンタはぐっすり寝てなさいな。 一つ笑みを残し、士郎の部屋を後にする。 /2 ギシギシと軋む廊下を、なるべく音を立てないように歩を進める。 向かうはセイバーの部屋。 昨日の夜、セイバーにはいつもより早く起きるように言っておいたんだけど、もう起きてるかしら。 前は士郎の隣の部屋を使っていたようだけど、今はわたしが使ってるからセイバーには離れの和室に移動してもらっている。 というわけで離れの方へと向かってるんだけど─── 「…………セイバー?」 途中──ふと外へと視線を投げると、庭の中心に一人の少女があった。 始まりを告げる白の光がようやく顔を覗かせ、世界が僅かに白みを帯び始める暁の頃。 その朝焼けの中に立つ彼女の姿は、いつかの月夜の出会いを、夢の中の騎士王の姿を感じさせた。 ◇ ────はっ、とその姿に見とれていた自分の意識を引き戻す。 いけない、いけない。そんなに時間ないんだから。 離れに向かっていた足をぐるりと方向転換し、庭へと降りた。 「ちょっとセイバー? 何してるの?」 白光の中で何をするでもなく、ただ立ちつくす少女に声をかける。 「凛、おはようございます」 「──え? ええ。おはよう、セイバー」 見たこともないほどの優しい笑顔。 以前の戦争中はほとんど笑顔を見せることのなかったセイバー。 なんだ、こんな顔もできるんじゃない。 「で? 何してたの?」 「いえ、特に何も。 強いていうなら空気を感じたかった、という所ですか。 夜の刺すような冷たさも好みですが、この朝の柔らかな暖かみも良いものです」 「──────?」 眉がハの字になり、頭に疑問符が浮かぶ。 「ふふ、気にしなくて構いません。 それより、凛。 わざわざ早く起きるようにと言ったのですから、何かするのではないですか?」 ああ、そうだった。 「ええ、そうよ。台所へ行きましょう」 「? わかりました」 ◇ セイバーと共に居間へと向かう。 この屋敷の台所は居間を通らなければ入れない造りになっているからだ。 そして居間への襖に手をかけようとした時。 「待ってください、凛。何かいます」 セイバーが小声で囁く。 その顔は戦闘時のような緊張感に満ちていた。 襖に耳を当て、中の様子を探る。 静か過ぎる屋敷にポリポリという音が響いてくるけど………なんだろう、この音。 これだけじゃわからないわね。 ────良し、なら……。 居間の方へと意識を伸ばす。精神で作られた糸を中へと飛ばし、探索範囲を拡大する。 この狭い範囲なら探れるはずだ。 …………本当だ、何か、いる。 しかもこれは─── 「ちょっと、これ精霊じゃない……!」 精霊────自然霊・動物霊・それらを意識的かつ人為的に加工した守護精霊がある。 精霊は人間に知覚できるほどの規模になった妖精で、精霊級の霊体は受肉が可能。 妖精・精霊共にその基盤は、魔術では為しえない一つの神秘である。 また妖精を使い魔とすると、使役しているつもりが、いつの間にか使役されている可能性があるため、妖精を使い魔とする者は少ない。 いるとすれば、それは一流の魔術師に限られる。 しかもかなり高位の霊っぽい。 そんなバカな……なんでそんなのがこの屋敷にいるの!? ありえない、ありえないわ…………。 「マスター、どうしますか?」 武装こそしていないが、その構え、その様は臨戦態勢そのものである。 だけど。 「多分……だけど大丈夫。こっそり侵入するわよ」 そもそも普通の精霊がこんな所にいるわけがない。 なら、今ここにいる精霊は誰かに使役されている存在だってこと。 精霊を使役できる魔術師なんて考えられないんだけど……いるんだから仕方がない。 でもこの屋敷の結界に反応はなかったから、おそらく敵ではない……と思う。 とりあえず確認するしかないわね。 「行くわよ、セイバー。一応警戒を緩めないで」 「はい」 僅かに隙間を開け、居間を観察する。 ………居間にはいないようね。となると、台所? まさか精霊が冷蔵庫漁ってるとか? あははは、ありえないわね、それ。 音を立てず、通るのに十分な間隔を確保する。 未だポリポリっていう音がしてる。やっぱり……何か食べてるとか? セイバーに合図をし、居間に侵入。 ………周囲を見渡しても姿はない。 が、音は間違いなく台所の方からだ。 忍び足で近寄り、死角になっている部分、冷蔵庫の辺りを盗み見る。 そこにいたのは──── 「ポリポリ、もぐもぐ………」 ────女の子? そこにはこちらに背を向け、一心不乱に何かを食べている女の子のような姿があった。 濃い金色の髪。 つむじからひょっこりと伸びるアホ毛がちょっとセイバーを連想させる。 「(凛。何かよからぬ事を考えてはいませんか?)」 レイラインを通し、後ろにいる少女の意思が伝わってくる。 む。鋭いわね、セイバー。直感持ちは伊達じゃないってところかしら。 「(考えてないわよ。それよりアレ、どう見る?)」 尖った耳、ちょっと恥ずかしい青色の服装。 そして……髪と同じ金の尻尾。しかも足が蹄なんだけど…………馬? あれが精霊? 精霊なんて初めて見るからわかんないわね。 セイバーならわかんないかしら。 湖の貴婦人とか、それっぽいのと面識ありそうだし。 「(確かにあれは精霊です。 詳しくはわかりませんが……守護精霊の類のものと思われます)」 守護精霊────自然霊や動物霊は、自然よりな存在故に人間の味方をすることはない。 そういう霊を元々自分達と同じ価値観を持つ魂、つまり人間を人身御供にして、消えゆく自然霊と融合させる。 するとその人間の魂は、より高位な霊体である自然霊に呑まれ消えるのだが、その折に自然霊は人間としての知識を手に入れてしまい、次第に人間よりの価値観を持つに至る。 そうして生み出されるのが守護精霊であり、人間を守護する為に人為的に造られた存在といえる。 大抵の場合、元となった動物霊と人間の特性を持つ、半身半獣の形を取ることとなる。 守護精霊ってことは、何かに憑いてるってことよね。 取り憑く程高位なモノはこの屋敷にはないだろうし、私も持ってない。 ってことは志貴たちの誰か、またはその持ち物の守護精霊ってこと? ………とりあえず敵っぽい感じはしないし、このままじゃ埒があかない。 すくっと立ち上がり深呼吸を一つ。 「ちょっと、そこの貴女」 「うひゃぁ!?」 わたしの言葉にぴくりと体を震わせ、奇声を上げる守護精霊(仮)。 ぎぎぎ、なんて擬音が聞こえてきそうな感じで首がこちらに向けられる。 何? おでこに四つ、焼き印みたいのがある。 「えーっと……おはようございます」 綺麗に四つ指(?)ついて、ぺこり、とお辞儀をされてしまった。 ………礼儀正しいわね、この子。ていうか妙に落ち着いてるわね。 「……おはよう。ところで貴女、何?」 それにきょろきょろと辺りを見回し、 「えへへー」 …………可愛く笑われても困るんだけど。 ◇ 訊けばどうやらこの子、あの教会の代行者・シエルの武装の一つ、第七聖典の守護精霊だそうだ。 まあ、教会の埋葬機関に所属してるくらいだから、それくらいの武装を持ってても不思議じゃないんだけど。 やっぱりあの女、只者じゃないわね。守護精霊を顕現させてるなんて、どれだけ魔力持ってんのよ。 マスターに付けられた名はセブン。だけど本人はななこ、という方の名前が気に入ってるらしい。 見た目はアレだけど、やっぱりかなり高位の霊ね。 珍しいから、ちょっと話をしてみましょうか。 「で、ななこ。貴女なんでこんな朝っぱらからニンジン食べてたわけ?」 しかも生のニンジン丸かじり。……どう見ても馬よね。 「お腹が空いたからですー」 エッヘン、と胸を張って言ってのけた。 「でも貴女、精霊でしょ? お腹空かないんじゃないの?」 「そちらのセイバーさんと同じですよー。 食べる事は魔力の補給に繋がりますから。 あ、でもマスターは十分な魔力を持ってますので趣味みたいなものですかね〜」 「ああ、それはとてもよくわかる、ななこ。 食事は魔力だけでなく、心をも満たしてくれる」 何やら頷き合う金髪の少女二人。 妙なところで共感してるし。 そういえばセイバー達サーヴァントも英霊だから、精霊と同格の存在よね。 士郎の影響か、人間と同じように接してたから忘れちゃってたわ、迂闊。 その後、ななこが語ったのはマスターであるシエルへの愚痴がほとんどだった。 どうやって持っているのか、器用にニンジンを食べながらわたしたちに、マスターはひどいんです、残虐非道なんです、と延々語り続けていたのだった。 所々で教会の内部情報を漏らすあたり、結構天然入ってる感じがするわ。 というより。 「ねぇ、貴女。そんなことわたしに話していいの?」 一応これでも魔術協会の首席(ルヴィアと同率)なんだけど。 それにぴくんと体を震わせ、あわあわと慌てだした。 「え、えっと、この事はマスターには内密に……」 パコン、と両手(?)を合わせて、えへへと小首を傾げるななこ。 さすが蹄、良い音するわね。 「ええ、まあそれは構わないわよ」 こっちとしても、わざわざ教会と衝突なんてしたくもないもの。 それにあのシエルに目を付けられたら、わたし一人じゃ勝ち目はないだろうし。 「とりあえず、ニンジン食べてていいから居間に行っててくれる? わたし達はここでやることがあるから」 冷蔵庫から幾つかニンジンを取り出し、ななこに渡す。 それに瞳を輝かせ、居間の方へと駆けて行ってしまった。 あれね、こういうところもセイバーに似てるわ。 「凛────」 「はいはい、何も考えてないわよ。 それよりも、さっさとやっちゃいましょう。結構時間食っちゃったし」 「? 何をするのですか?」 「台所ですることなんて一つしかないでしょう」 /3 「─────────む」 …………あれ、やけに部屋に入ってくる光が強い気がする。 うーん…………まさか、寝過ごした!? がばっと起きて、即座に時間を確認する。 げっ、もう七時回ってるじゃないか! 大急ぎで着替え、居間へとダッシュ。 急いで朝食作らないと、やばい………! 何がやばいって、そんなの決まってるじゃないか!! ドタドタと床を踏みしめ、居間へと駆ける。 襖を開けるとそこには── 「あ、おはようございますー」 ポリポリと食べていたニンジンを離し、ペコリとお辞儀する少女………少女? 「士郎さんですねー、わたくし、ななこと申します。 いつもマスターがお世話になってますー」 「え、あ、はぁ……ご丁寧にどうも」 条件反射でお辞儀をしてしまうのは日本人の性か。 それよりもなんだろう、この子は。 マスター? 新手のサーヴァントか何かか? ごしごしと瞼を擦り、もう一度良く観察する。 …………馬? 「あー……まだ寝ぼけてるみたいだから顔洗ってくる」 「あ、はい〜」 そうだ。これはきっと夢なんだろう。 まだ俺は寝てるんだ、顔を洗って目を覚まそう。 ◇ 「あれ、今士郎いなかった?」 「いましたけど、寝ぼけてるみたいだから顔を洗ってくるそうです」 「ふーん、そう」 んー、二時間弱ってとこか。 結構効いてた方かな。にしてもほんと相変わらず抗魔力ないわね。 そんなんだからキャスターに操られるのよ。 ま、そのおかげで準備も朝食も出来たし、良しとしましょう。 ◇ どうやら俺が寝ぼけていたわけでも、俺の夢だったわけでもなく、ななこという少女は実在しているらしい。 現にこうして── 「はわー、これ美味しいですねー」 ──同じ食卓で飯を食べているのだから間違いないだろう。 このななこは、教会の武装に憑いている守護精霊というやつらしく、内部機密にも関わる事柄であるから、シエルさんは隠しておきたかったそうだ。 俺たちがそれを知ってもどうこうするつもりも、出来る事もないので隠す必要などなかったんじゃなかろうか、とは思うがそれで通用しないのが教会だったり協会だったりするわけで。 まあ、俺としては出てきてくれて嬉しくもある。 食事は皆でするべきことだと思うし、一人だけ除け者みたいに扱うのは、相手がどんな存在であろうと俺は許容することなんてできない。 ……それにしても何故あの手で箸を扱えるのか、不思議で不思議でしょうがない。 某青いロボットと同じように、くっつく仕組みにでもなっているというのか。 朝食は遠坂が用意しておいてくれたらしく、どうにか助かった。 遠坂が早起き出来たことにも十分驚きを隠せないのだが。 というか、作為的なものを感じずにはいられない。 俺が起きれない時に、遠坂が早く起きて、しかも朝食まで作ってるなんて……。 うーん、それにしても俺は疲れてるんだろうか。 ここ最近は寝過ごすなんてこと、なかったんだけどなぁ。 と、物思いに耽っていると隣の遠坂がチシャ猫のような笑みを見せ、こちらを窺ってくる。 まさか………おまえの仕業か? ま、過ぎたことを考えたって意味はないし、せっかくの食事を堪能しよう。 /4 食後の片付け、休憩を終え、出掛ける為の準備をする。 俺は財布を持って行くくらいしか、ないんだけど。 身なりにも一応気を使っている。 さすがに着慣れたトレーナーとジーンズだけ、なんて格好で遠坂の隣を歩けるほど俺は厚顔でも無恥でもない。 や、昔はそれでも良かったかもしれないけど、倫敦に行ってからはそうもいかなくなった。 ………まぁ、色々とあったんだ。 と言っても、無難な服装に落ち着いてしまうのだが。 と、こんなもんでいいか。 ◇ 居間で志貴達と話ながら待つこと数十分。やはり女性の準備というのは長いもんだ。 「士郎。私達はもう少し後で出掛けますので、楽しんできてください」 シオンが言う。 「ああ、ありがとう。鍵、渡しとくか?」 「いえ、構いません。 アサシンが霊体化出来ますので、内側から開閉して貰えば問題ありません」 ……盗みに入るには便利そうだ。 って、何考えてるんだ、俺。 時計が早くも十時を指そうという頃。 「おまたせー」 ようやく遠坂とセイバーの登場だ。 むぅ……そう上へ下へと、見回されると困るんだが。 「それじゃ行きましょうか」 「おう」 行ってきます、と挨拶を残し、我が家を後にする。 空は快晴、出掛けるにはもってこいだ。 後書きと解説 二週間ぶりくらいの第二十五話。 何故か、ななこが出張っとりますが気のせいです、はい。 精霊ってどうなんですかね。 湖の貴婦人もどちらかというと妖精の類っぽいですし、ななこって意外に凄い? 心残りがあるとすれば服装の描写がないことだろうか。 書こうと思えば書けると思いますが、なんていうか、ね。 精進しよう。 back next |