満月 最終夜/空×月×運命






/1


 ─────終幕の夜。

 暗く昏い夜が覆う冬木の町。
 その天頂、向けられる陽光を一身に浴び、眼下の闇を照らし出す真円の月。

 白く、白く、澄んだ、硝子の月。

 今宵は天満月(あまみつつき)
 ある者にとっては待ち望んだ夜であり、ある者にとっては忌避すべき夜である。

 だが、この仕組まれた宴の参加者は、ただ己が目的を達する為に同じ地へ集う事となる。
 ある者はある者を倒すために、ある者は原因を排除する為に。

 だがそこにある心は同じである。
 それぞれの目的は集約し、一つの事を成し遂げる為に。



 さあ、始めよう。
 ────始まりの終わりを。

 さあ、終わらせよう。
 ────終わりの始まりを。





/2


 暗い夜道を六人の男女が行く。

 ただ一人衛宮邸に残されたのは間桐桜。
 いかに身体の危機を脱し、魔術師として高い素養を持とうと今はまだ一般人とそう変わらない。
 だから士郎は告げたのだ。

 待っていて欲しい、と。必ず戻ってくると。

 その言葉を信じ、桜は一人、主の帰りを待つ屋敷と共に待ち続ける。

「──────」

 月光の冴え渡る夜道を歩く。
 語る言葉は既に無い。
 ただ自分たちの目的を果たす為、力を合わせるだけでいい。

 ふと誰かが見上げた空には雲は無く。
 丸くて白い穴が開いているだけだった。

「………遠坂」

 辿り着いた柳洞寺を見上げ、士郎が口を開く。
 それに凛は首肯した。

 闇に沈む柳洞寺に出迎えは無い。
 だがはっきりと、何か纏わりつくような嫌な感じを体が覆っている。
 それは蹲る巨人のように大きく、何か異質な力を感じさせた。

 セイバーの青緑の瞳が空を見上げながら、

「階段の上、境内の裏手にある池の付近から力を感じます。
 なんらかの場が形成されているようですが」

「そっちは無視よ。
 聖杯戦争の大元へ行こうってんだもの。上じゃなくて下へ行かないとね」

「待ってください。遠坂さん」

 石段の脇へ進もうとした凛をシエルが制す。

「どうかした?」

「………………」

 答える声は無い。シエルはただ上空を凝視し、何かを探るように闇を見つめる。

「先輩?」

「遠野くん。どうやらここでお別れのようです」

「え?」

 シエルはくぐもった闇を見据えたまま志貴にそう告げた。

「どういう意味ですか、先輩」

「確かに私たちの目的は下にあるのでしょう。
 しかし上を疎かにする事はできない、ということですよ」

 見上げたソラ。
 柳洞寺境内の入り口、山門付近。
 そこに、さきほどまではなかった異形の姿があった。

「な、んだ、あれ。………犬?」

 人間よりやや小さい、しかし犬にしては大きすぎる異形の黒犬。
 まるで闇そのものを犬型にくりぬいたような奇形。光るのはその瞳のような赤だけである。

「あれは……泥だ」と士郎。

「泥?」と志貴。

「ああ。二年前、柳洞寺にある池を満たしたコールタールのような泥。
 悪意の塊………だけどあの時はただの泥だった筈だ。あんなカタチを持ってなどいなかった」

 あれが何であるか。それを真に知る者はここにはいない。
 だが唯一つ、誰もが理解できる事がある。
 あれは、

「私たちに敵意を持っているようです」

 ───ギ、ギ、──ギギギギ、──ギャ、───

 異形の犬たちはまるで歯軋りのように奇怪な音を立て、数えるのも億劫になる無数の瞳が、物色するようにこちらを見下ろしている。
 それを受け、シエルは法衣の下から黒鍵を取り出した。

「さ、皆さんは行ってください。ここは私に任せて」

「だけど先輩。あの数を相手にするのは一人じゃ無理──……」

「じゃあオレが手を貸してやろうか」

 突如響く誰かの声。
 士郎たちの内の誰かの声ではない。しかし、確実に聞いた事のある声。

 振り向けばそこに。
 未だ潰えていないもう一つの主従、式とランサーの姿があった。

「式!?」
「ランサー!?」

 俄かにざわめき立つ士郎たち。
 それも仕方あるまい。
 ここで無駄な力を消費することは避けねばならない。
 この先に待つ敵は、いかなる力を持つのかさえ不明なのだから。

「そういきり立つんじゃねえよ、セイバー。式の言葉が聞こえなかったか?」

 飄々と佇むランサー。そこに敵意は無く殺意も無い。

「……手伝ってくれるって聞こえたけど……本当か、式。
 あの時は拒否したじゃないか」

 志貴が式に問う。
 あの時、とは志貴と式が中央公園で話をした時のコト。
 それに式は冷ややかな視線を変えることなく、答える。

「その時言っただろ。オレはオレの戦いをするって」

 交差する視線と視線。

「………わかった。
 先輩、彼女たちと一緒にあの犬の群れをお願いします」

「ええ、構いません。では遠野くんたちは目的の場所へ。
 シオン・エルトナム。しくじるようなコトは許しませんよ」

「貴女に言われるまでも無い。
 私は必ずタタリを討つ。その為にこの地へと赴いたのですから」







 茂みへと消える志貴たちを見届けた後。
 残されたのはただの三人。

「両儀式さん、と言いましたか。
 私は貴女を信用したわけではありません」

 それに式は答えない。

「ですが、遠野くんは何やら貴女を信頼しているようですので。
 その分くらいは信じてあげましょう」

「ふん。別に信用なんていらないだろ。
 アイツらを倒すか倒さないか、それだけで充分だ」

 それにくすりと口を綻ばせ、

「そうですね。下らないことを言ってしまいました」

 シエルは頭上の敵群に向き直る。

「ランサー」

「あいよ」

 式の言葉に呼応するように赤い魔槍が具現化する。

「これが最後だろう。────思い切り暴れろ」

「──────ハッ。相手はサーヴァント程の上物じゃなさそうだが。
 あんだけいりゃ退屈はしそうにないな。了解だ、マスター。先陣は行かせてもらうぜ!!」

 疾風の如く青が奔る。
 そこに敵意を感じたか、群がった黒犬が降り注いでいく!

 降り注ぐカタチを得た黒。
 サーヴァントにとってみれば、それは触れるだけで致命傷だ。

 だが温い。
 一体一体の能力はサーヴァントと比べるべくもなく低い黒犬の群れ。
 それも相手は最速のサーヴァント。
 その程度の力量で、この男を止められる筈もない────!

「ハッハー────! どんどんかかって来いやァァァ!」

 ここに一足早く一つの戦いの幕が開く。





  /3


 シエルを残し、式とランサーに背中を任せ先へ進む士郎たち。

「……セイバー。ここってサーヴァントにとっちゃ鬼門なんだろ。
 正面からしか入れないって言ってたよな。身体、大丈夫か?」

 ふと脳裏をよぎった疑問が士郎の口から出る。

「心配には及びません。
 多少の重圧は感じますが、中に入ってしまえばそれも消えるでしょう。
 この土地はサーヴァントにとって最適な霊脈ですから」

「そっか。ちょっと辛いだろうけど、我慢してくれな」

 木々を掻き分けて夜の森を歩いていく。
 山には獣道さえなく、ほとんど絶壁じみた岩肌を降りる事さえあった。

「うーん。あのノートの記述じゃこの辺りなんだけど……。
 小川とか、それっぽい岩とかない?」

 夜の森は薄暗く、しかし天蓋に輝く月のお陰か、ある程度は見渡すコトに不自由しなかった。
 そこへ、

「凛。こちらから水の流れる音が聞こえます」

 そう告げるのはシオン。
 言うが早いか、そのままその音源へと歩を進めている。

 シオンを追うように皆が追いかけ、岩場へと到着する。
 それは川というより、岩の隙間から零れる清水の流れにすぎなかった。

「多分ここね。
 で………この小川の流れてるトコの岩に………あ、これだ」

 流れの源では幾重もの岩が折り重なり、人間一人がようやく入れる程度の隙間を作っていた。
 岩で出来た天然のカマクラ、と言ったところか。
 近くから見れば中に入ってもすぐに岩にぶつかると一目で分かり、真っ当な人間では入ろうとすら思わないだろう。

  「────当たりね。この岩、簡単にすり抜けられるわ」

 岩穴へと入った凛は振り返らずその岩に手をかざし、暗い闇へと突入していく。

「先にどうぞ。後ろは私が守ります」

 セイバーを最後尾に皆が闇に潜って行く。

 かつん、という音。
 水に濡れた地面を手探りで進んでいく。地面は急激な角度で下へ下へ傾いている。

 狭く、息苦しい闇の圧迫感。
 背中をつけて下って行かなければ、すぐさま無限の闇へと転がり落ちていきそうだ。

 先はどれほど暗く、どれほど地下に続いているかは判らない。
 自分たちの息遣いだけが、闇に木霊するよう。

「皆さんにもう一つだけ話しておきたい事があります」

 そう口にしたのはシオン。
 長い長い闇を進むのに飽きたような口調で言った。

「死徒二十七祖が十三位、タタリ……別名“ワラキアの夜”は私の祖先、ズェピア・エルトナム・オベローンが永遠を目指した結果、辿り着いた一つの答えです」

 歩を止めぬまま、シオンの言葉の続きを促す。

「死徒は不老不死であっても、永遠ではありません。
 他者の血を飲み続けなければ保てない不老不死は、その実不老でも不死でもありませんから」

「死徒でさえ永遠ではないが故に、永遠を求める……だっけ?」

 志貴が記憶を探るように言葉を紡ぎだす。

「それは転生無限者ミハエル・ロア・バルダムヨォンの言葉ですね。
 そうですね……彼とワラキアの夜とは似たような形で永遠を目指した者と言えるでしょう。
 アカシャの蛇もワラキアの夜も自身に永遠を課すのではなく、他に永遠を求めました。
 前者は転生を繰り返す事で、後者は存在から現象に成る事で永遠を目指した」

「で、それが何に繋がるわけ?」

「解りませんか? 死徒とは永遠ではないのです。
 自身に永遠を課す死徒も、他に依存して永遠を目指した死徒も。
 未だその領域に至っていない。
 ロアとワラキアは限りなく永遠に近い存在と言えますが、それでも完全ではない。
 依存する他がなくなれば存在できないのですから」

「……それで聖杯、か。
 聖杯がどこまで万能なのかは知らないけど、そんなくだらない事の為に使わせるなんて癪ね。
 オマケであの泥も溢れてきそうだし」

「ええ。ですから私たちはなんとしてもワラキアの夜を止めなければならない」

 それきり言葉を失ったかのように誰も口を開くことはなくなった。
 ただ黙々と闇へと降りていく。

 黄泉に通じるような長い路。
 それが螺旋状に穿たれた通路であり、身体の感覚で百メートル以上は進んだと判断した時。
 暗い洞穴は、一転して彼らを迎え入れた。

 一人一人しか進めなかった路は、通路になって更に奥へ続いている。
 明かりは必要ない。
 光苔の一種か、洞窟はぼんやりとした緑色に照らされていた。

 通路には昏い生命力に満ちている。
 今まさに誕生しようとしているような、新たなカタチを得ようとしているような暗い生気。
 溢れ出る魔力(マナ)にすら、粘ついた感触が残る。

「──────」

 かける言葉も、話す事も無い。
 ここは死地だ。
 声を掛け合うなど、そんな余分な事で緊張を和らげては死に繋がる。

「行きましょう。気を抜かないで」

 ……通路の奥、黒い空気の源流へと凛が進んでいく。
 それに倣うように、皆も周囲に気を配りながら歩を進めた。

 ────生暖かい風が頬を撫でる。

 通路を抜けた先は、大きく開けた空洞だった。
 横幅は学校のグラウンドほど。
 天井は闇に霞んで見えないが、十メートルほどの高さだろう。

 生命の気配は無い。
 見渡せば、ただ広く何もないこの空間はいつか図鑑で見たような月の荒野に酷似していた。
 誰しもに忘れられた地下の広間。
 そこに、

「なん、────で」

 掠れた声が士郎の喉から零れる。

「なんで……なんで、おまえがここにいる!」

 声は緑の闇に木霊し、誰の反応も無く消えていく。

 眼前。
 佇む黒影。

 それは、

「答えろっ、────アーチャー!」

 それは二年前、己の理想と対峙した騎士の姿。
 それは今回、自身が呼び出し、盾となって消えた筈の騎士の姿。

 だがその様は以前の赤い騎士ではない。
 聖者を包んだ聖骸布は、かつての見る者を惹きつける深紅では無く。
 闇よりなお昏い深淵の黒。

 だがその黒い騎士は士郎の声に言葉では応えず。
 両の手に対の剣を生み出した。

 その場にいる者に緊張が走る。
 だが、

「みんな、先に行ってくれ。コイツの相手はこの俺だ」

 黒衣の騎士がそうしたように士郎も双剣を投影する。

「しかしシロウ────」

「大丈夫だ。コイツは俺にしか興味がない。
 なんでかは知らないけど、それだけは判る」

 対峙するように士郎は黒の騎士の前へと歩を進める。

「心配はいらない。コイツを倒して俺もすぐ皆に追いつく。
 だから、遠坂────」

 視線だけを向け、その先の言葉は紡がない。
 しかし凛はそれだけで察し、

「………わかったわ。
 セイバー、志貴、シオン! 行くわよ!」

 凛は一瞬だけ視線を黒の騎士に移す。
 しかしその騎士は応える言葉も視線もなく、ただ士郎だけを見つめている。
 駆け出した凛たちは、誰に阻まれることも無く中空洞を後にした。

 残されたのは白と黒の夫婦剣を主武装とする二人の男。

「来いよ、ニセモノ。あいつを騙るなんて俺が許さない」



/4


 仄かに緑色に輝く通路をひたすら走る。どれだけ走ったのかは定かではない。
 そして、その通路を抜けた先。

 視界が広がる。
 暗い闇を抜けた先、それを見た瞬間、凛たちはそこが地下である事を忘れてしまった。

 果ての無い天蓋と黒い太陽。
 広大な空間は洞窟ではなく、荒涼とした大地そのものだ。
 直径にして優に二キロ、いや三キロはあるだろうか。
 遥か遠方には壁の如き一枚岩。
 ……それがこの戦いの始まりにして終着点。
 あの崖を登れば、視界に広がるのは巨大なクレーターの筈だ。
 そこに、二百年稼動し続けたシステムが存在する。

 大聖杯と呼ばれる巨大な魔法陣を腹に収めた巨岩は、すり鉢状の内部より黒い柱を燃え上がらせている。

 荒野を照らす明かりは、その柱より漏れる魔力の波だ。
 臓硯の記した一冊のノートによれば、始まりの祭壇はこう呼ばれていた。

 最中に至る中心。
 円冠回廊、心臓世界テンノサカズキ。

「……まだ完全に開ききっていないみたいね。
 それも当たり前か。まだサーヴァントは二人残ってるんだから」

 だがそれでも漏れ出る魔力は外界の比ではない。
 これだけの魔力量でも並みの魔術師なら充分奇跡を再現できるだろう。

 軽口を叩きながら凛たちは祭壇へと歩いていく。
 ……残してきた士郎、立ちはだかった黒いアーチャー、外に溢れる黒い犬。
 気になる事ばかりだが、自分たちの状況も楽観できたものではない。

 ソラにかかる黒い太陽。
 以前はあんなモノはなかった。

 それもその筈。
 以前のギルガメッシュは相応しくない器に無理矢理に聖杯の核を埋め込み、故意に不完全な状態で降臨させたのだ。
 人を呪う悪意の塊。それを以って溢れすぎた人の世を粛清する為に。

 だが、今回は違う。
 タタリの目的の全ては定かではないが、確実に開くことを主としている。
 それは今までの奴の会話から大体の推測は出来ること。

「凛、深く考えても全て推測の域をでません。
 もうすぐ対面するのですから、その時に問えば良いのです」

 俯いたまま歩いていた凛をシオンが諭す。

「そうね。余計なことに気を取られてる余裕なんかないもの。
 今は、あそこへ」

 近づくほどにその巨大さが判る一枚岩。
 その崖の上に。

「───────っ」

 ソラにある黒い穴に似た、黒い球体が存在していた。







「タタリ……いえ、ワラキアの夜………───くっ」

 眼前の黒を見据え、胸を掻き抱き言葉を発す。
 カタチに成りかけているワラキアの夜。対峙するだけで吸血衝動が私の身を蝕む。

「しゃんとするんだ、シオン。自分を強く持って」

「────っ、はい。この程度では」

 志貴の声が私の意識を引き戻す。

 胎動するような黒い闇。
 それに血管の如く赤い道が走っている。

「ようこそ、エルトナムとその他の者よ。ここが最後の舞台だ。
 だが今回の発現場所はあまり良くない。私は世界を一望できる高所が好みなんだが」

 無に響く呪いの声。

「──────」

「ああ、このようなカタチで申し訳ない。
 本来なら開演前に舞台裏を訪れる者は無粋だと忠告するところだがね。
 今夜に限っては歓迎しよう」

 黒い球体から発せられる声にならない声。
 脳に直接響くような不快な音。

「それにしてもエルトナム。……一年ぶりか。
 どうだったかね。今回の私が用意した舞台は」

「……ワラキア。
 貴方の目的はなんだ。今回の異常な聖杯戦争を仕組んだのも貴方だろう。
 裏から操るだけでなく、前面にまで姿を顕した。
 以前の貴方はこのような事は出来なかった筈だ。答えろワラキア、……いえズェピア!」

 逸る心臓を抑え込み、噛み砕くほどに奥歯を噛みしめ、ブラックバレルレプリカを引き抜く。

「そんなに種明かしが待ち遠しいか。
 だが、そう急くものではないな、エルトナム。
 ああ、やはりアトラスの者には優雅さは備わらないものらしい」

「話をはぐらかすなっ!」

「……まったく。仕方がない。だが先に私からの質問に答えてもらおうか、エルトナム。
 君は私に問わねばならん事があるのではないか? 一年前に訊きそびれた事があるのではないか?」

「──────っ」

 脳髄を抉るように木霊する声。
 私という存在を揺さぶるように、闇は問う。

「その反応……まさかこの一年で自ずから答えを出したのか?
 だとしたら君は非常に優秀と言える。気づく筈の無い矛盾に気づいたのだから」

「おい、オマエ。何を言ってる」

 志貴の怒気の篭もった声が響く。
 だがワラキアは興味の欠片もないようにソレを無視し、

「さきほどそこの男も言ったな。自分を強く持て、と。
 ならばエルトナム。おまえにとっての自己とは何だ」

 ────やめろ

「そうだ。おまえが得てきた知識・法則・理念、思考。
 その全てはシオン・エルトナムから生じた物ではなく、他者から読み取った借り物に過ぎぬ」

 ────やめろ

「それが合理的であるが故に、アトラスではエルトナムは罪に問われない。
 だが、シオン・エルトナム。おまえは他人から知識を読むのが巧すぎた。
 他者への侵入は“自己の世界”という知性・常識が発達すればするほど、困難になる。
 何故かは解るだろう。
 成長し完成した“自身”という常識が、他者の異なる常識・理念を弾いてしまうからだ」

 ────やめろ、やめろ

「だからおまえは中立であることにした。
 自分の意志を持たないように、情報を集める事だけを常識とし、それに依った」

 ────やめろ、と、言って

「問おう、エルトナムの娘。おまえは吸血種の身体を持ち、吸血鬼化を拒むようになった。
 それは何故だ。何故血を奪う事を拒む。
 他者から合理的に情報を搾取するおまえと、他者から血を搾取する吸血鬼。
 そこに何の違いがある。
 より真理へと踏み込む為により良い箇体に乗り換える。これが合理的ではないというのか?
 どちらも搾取する者だ。そこに人間の“常識”が入り込む余地などあるまい」

 それは気づいてはならない矛盾。
 それに気づけば、シオン・エルトナムを形成するナニかが崩壊する。

 だから気づかない振りをした。気づかないように奥底に埋めたのだ。
 だけど、もう、気づいてしまった。気づかされてしまった。

 でも、それでも────

「ヤメ、ろ───」

「再度問おう。何故おまえは、そうまでして人間であろうとする」

 ナゼ。なぜ。何故?

 それは、当たり前の、コトだろう。
 私は人間として生まれたのだ。ならば人間であろうとするのは当然の帰結。

 だけど、私を私たらしめている常識。知識、理念、法則、思考。
 それは、他者から奪い去ったモノ。
 他より略奪しなければ、存在できない存在。

 ソレは、私が最も、嫌悪した────………

「莫迦げた話だ。吸血鬼を嫌うおまえは、およそ誕生した瞬間から、吸血鬼と変わらぬ搾取を続けてきたのだからな───!」

「はっ───ぐっ───………っ!」

「だから私はおまえを吸血鬼へと変えてやったのだよ。
 同族を憐れむ、とかつての私は言ったようだが。
 これは私とおまえが同じエルトナムに連なる者であるからではない。
 私とおまえは、もっと深いところで同じなのだ」

「ヤ、め、─────て」

「理解したか、アトラスの錬金術師。
 私もおまえも情報がなくては存在できない生命体───他者が無くば存在を許されぬ者同士だ。
 喜ばしいだろう?───これ以上の同類が、この地上の何処にある!」

 闇が吼える。喉が渇く。
 心臓が跳ねる。鼓動が早まる。
 ナニか、──が、……壊れ、────ていく。

 血が。

 赤い紅い、どこまでもアカイ血液。
 血が欲しくて、すぐ側には、ドクドクと甘美に脈動するニンゲンの心臓が────

「ふざけたことを……! 耳を貸すなシオン、アイツの戯言なんて聞き飛ばせ!」

 ───解っている。
 だけど、あの言葉は正しい。正しいことは、聞き飛ばせない。

「─────あ、あ、…………ア、ぁ」

 喉が痛くて、何も見えない。
 私の作った抑制剤など、まるで役に立ちはしない。
 私は───もう、何もかも、どうでもよくなって……───生まれて初めて、考える事を放棄した。

「───それでよい。なに、元よりおまえを縛る道徳なぞ他者からの受け売りだ。
 そのように思考をカットすれば、私よりも上質な吸血鬼として振舞えよう」

「シオン……! しっかりしろ、シオン!」

「さあ、もはやその衝動を抑える事も、縛るものも無い。
 自らの手で、心行くまで、自らの渇きを癒すがいい………!」

「くっ───遠坂さん、セイバーさん!
 シオンは俺が相手をする。二人は、ワラキアを───!」




/5


 距離を取った二人を残し、ただ眼前の闇の塊を見つめる。
 側にはセイバー唯一人。あれだけいた仲間も私を含めてももう二人だけ。

「こんな事を訊くのは無粋だが。
 何故何もせず、ただ私たちの会話を見届けたのかね?」

 黒い球体が呟く。
 それに、ふん、と鼻を鳴らし、

「簡単よ。あれは私たちには関係の無いことだから。
 シオンが自分で解決するべき事でもあるし、それに自ら関わった志貴が解決すべき事。
 わたしたちの目的はね、アンタとアンタの後ろにある聖杯の破壊。それだけよ」

「ふはは、君は実に魔術師然としている。
 なるほど、君がここまで残ったのも頷けるというものだ」

「魔術師然? そんなもの、どっかのバカのせいで二年前に置いてきたわよ。
 わたしはね、シオンは吸血鬼になんかならないって信じてるから見てただけよ」

 そう。あのバカのせいでわたしは冷酷なわたしを何処かに置いてきてしまった。
 今でもそれなりに魔術師してる自信はあるけど。
 ここ一番ではきっと以前の、士郎と出会う前のわたしのようには振舞えない。

「ははは、はははははははははははははははは!
 可笑しな事を言う。ああなってしまったモノをなお信じると?
 なるほど、なるほど。どうやら私の認識不足だったようだ」

「ふん、今の内にバカみたいに笑ってるといいわ。最後に笑うのはわたしたちなんだから」

 一際強く大地を踏みしめ、ポシェットの中の宝石を握り締める。
 それに倣うようにセイバーも不可視の剣を具現化する。

「さっさとカタチを成しなさい。
 でないと貴方を倒せないんでしょう?」

「カタチを得たら倒せる、というのも早計だと思うがね。
 まあ構うまい。では最後に一つだけ、質問させてもらおうか」

「──────」

「君たちの最も恐れる者、それは誰だ?
 私が再現した噂は三つ。
 一つ、山門に佇む侍。一つ、空を舞う魔女。一つ、黄金の男」

 それは確かにわたしたちが対峙してきた相手。
 あ、アサシンの佐々木小次郎だけは志貴たちが倒したんだっけ。

「どれもかつてないほどの上物であったのは言うまでも無い。
 特に最後の黄金の男、ギルガメッシュは群を抜いていた。
 他の祖でも苦戦を免れんほどの強者であったように私には感じられたよ。
 だが、あの男は相応しくなかった。
 私が最後に成すカタチは女性体が好ましいものでね」

「とんだ変態ね。
 二十七祖ってのはこんなヤツばっかりなのかしら?」

「知らんよ。私も祖の全てを知っているわけではないのでね。
 話を戻そう。そう、一つ、喩え話をしようか」

 黒い闇が鳴動し、カタチを成さんと伸縮しているよう。

「二年前だ。
 そこの騎士王はかつて裏切りの魔女に囚われたそうだな」

 脳裏によぎる微かな疑問。
 何故、

「何故、私がそんな事を知っているか、か? 簡単だろう。
 私が再現した噂の中にその魔女があったのだからな。
 噂とは発端のあるもの。その発端となった人物の記憶を再現しているのだから、その程度の記憶を持っていても不思議は無いだろう」

「よく喋ること。
 で、何が言いたいわけ。さっさとしてくれる?」

「ああ、すまない。
 だがその時のセイバーは必死で令呪に逆らい、牙を剥く事はなかったのだったな。
 では、問おう。
 もしその時、セイバーが敵となって立ちはだかったのなら。
 君たちはそこで何を思う」

 ────もしセイバーがわたしたちの敵として立ちはだかったのなら?

 それは考えたくもない事。
 もしあそこでセイバーがキャスターの令呪に負け、敵として立ちはだかっていたら。
 わたしも士郎もここにはいないだろう。
 セイバーが必死で耐えてくれたから。必死で逆らってくれたから。
 わたしと士郎は今ここに存在し、再度呼び出されたセイバーもここにいる。

 ────でも、もし。もしセイバーが敵だったら…………

「っ凛! ダメです、この者の言葉に耳を傾けては───!」

 だが遅い。


 ────ソウ、不安ニ思ッタナ?────


 ドクン、と心臓が脈打つように闇は鳴動し、確固たるカタチを形成していく。







「────しまっ、た」

 ソレは既にただの闇ではなく。

「礼を言います。凛、セイバー。
 これでようやく、私としてカタチを得ることが出来た」

 凛たちの眼前に佇むは最優の騎士。
 かつて月の輝く夜に目を奪われた金糸の髪も、銀の鎧も、聖緑の瞳も、透き通った声も。
 それは凛の側にいるセイバーと全くの同じ。

「──────嘘」

「そう、────私は幻影の夜に降る、虚言の王。
 だがそこには真も偽も、正も誤も関係がない。
 私が私としてここにある以上、私は確固として此処に在る」

 下げられた手に宿る不可視の剣。それすらも対峙する騎士と同一。

「ですが私という存在が確固としてある以上、貴女という存在は不要です。
 タタリが生者と成る時、其処にオリジナルがあってはならない。
 三騎士が一角、剣の英霊、サーヴァント・セイバー。
 その魂を聖杯にくべよ。そして、私が至るべき道の礎となりなさい────!」

「────っ、セイバー!」

 一足で凛は後ろへ飛びのき、代わりにセイバーが飛び出す。

 駆ける銀光と銀光。弾ける剣戟。
 二人のセイバーが、──────激突する!









後書きと解説

ようやく最終幕。
ここまで長くなる予定はなかったんだけど……それはまあいいや。

今回色々と不可思議なモノが出てますが。
細かい事はお気になさらず。
色々画策してますが、最後は勢いで押し切りたい雰囲気。

ちなみにこの回のタイトルが総タイトルと同じなのは、全編通して三人の主人公が初めて揃った回だから。
ほんの少しの邂逅ですが、開幕のタイトルとしてはいいかなぁ、と。






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