正義の烙印 Act.08









/Determination


「────」

 禅城の屋敷を辞し、冬木へと戻る道中、時臣は綺礼より遣わされたアサシンの報告を耳に入れ、その足で冬木教会へと赴いた。

 静かに目を伏せ黙祷する時臣の前には、身綺麗に整えられた父の朋友である言峰璃正神父の遺体が安置されている。
 事の一部始終を綺礼より聞き及んだ時臣は、涙こそ流しはしなかったものの、深く胸を抉られる思いであった。

 ──フュルベール・カノヴァス。

 時臣が軽視していた存在が、まさか己にではなく璃正神父に災いを齎したなどとは考えたくもない事であった。もしあの時、時臣が率先し彼の者を討つべく動いていれば、彼はその天寿を全う出来たかもしれないというのに。

「すまないな、綺礼。璃正さんの死は、私にも些か以上に責任がある」

「いえ、導師は最善を尽くしました。このような事態を招いたのは、私の迂闊によるものです」

 綺礼が時臣に告げた璃正の死に関する情報は、フュルベールの襲撃により璃正は命を散らせたという一点限り。事の細かな内容──直接の死因が綺礼にある事は伏せられ、時臣も自らの父を亡くした綺礼に追求するような真似をしなかった。

「綺礼。事が落ち着き次第、璃正神父の遺体は手厚く葬ってあげて欲しい。私も、その時は参列させて貰いたい」

「はい。父も喜んでくれるでしょう」

 異端のマスターの手により亡くす必要のない惜しむべき命を亡くしてしまった……時臣にとって、その結果だけが何よりも重要だったのだ。

「それで、その女が持ってきた招待状というのは?」

 死者への追悼を終え、荒れ果てたままの礼拝堂ではなく綺礼の自室へと連れ立って二人は入る。ソファーに腰掛けた時臣の前に、その書簡は提示された。

「…………」

 わざわざ文章の全てを血で認めてあるのも滑稽だが、内容も慇懃無礼な物言いで、時臣の神経を逆撫でする事請け合いであった。

「招待状……? ふん、これはどちらかと言えば挑戦状だろう。一体この女は何を考えている?」

 時臣には馬鹿馬鹿しい内容としか思えなかった。こんな無謀を起こすメリットが何ひとつとして考え付かない。聖杯を求めるものの戦いなどでは断じてない。これは、快楽主義者の戯言だ。

「私も同意見です。ですが、事実として招待状はここにあり、そして猶予もそれほどありません。あの女の物言いを思えば、ブラフである可能性も低いでしょう。早急に手を打たなければなりません。
 そこで、まずは私の提案を聞いて頂きたいのですが」

「ああ、構わない。話してみてくれ」



「……なるほどな」

 綺礼の提案を聞き届けた時臣は思案顔で頷いた。

「確かに、その辺りが妥当だな。あの女をこれ以上野放しにしておけばどんな被害が出るか想像もつかない。璃正さんのような犠牲はもう出すわけにはいかない。出来る限り速やかに抹殺し、あるべき聖杯戦争の形を取り戻すべきだ」

「はい」

「ただ問題があるとすれば……綺礼、君の立ち位置か」

 現在、綺礼はまだアサシンを引き連れるマスターという認識が他のマスターにはある。いや、ロード・エルメロイ組が消えた事で真実を知る者は──表向きは──居ない筈だが、綺礼が時臣より離反したマスターというのは周知の事実である。

 その上で監督役を兼任する、というのはルール上あまり良くはない状況だ。つまりは審判が参加者になるという事なのだから。これほど横暴な事もない。

「その辺りについても考えがあります。ただし、導師をこれ以上手助け出来なくなるようなやり方ではあるのですが」

 綺礼の諜報活動はこれまで時臣に随分と情報を齎してくれた。それをここで失うのは痛手だが、今宵で封印指定のマスターを抹殺できれば、後は雁夜のサーヴァントの能力だけが不明にあるだけ。

 時臣とセイバーの実力はこれまで幾度となく示されている。情報戦の段階は既に逸し、これからはより直接的な戦闘行為が舞台の大半を占めていく事になるだろう。
 雁夜のサーヴァントについても、直接見た限りではセイバーよりかなり格を落とすサーヴァントであった。むしろ格下過ぎて不気味なくらいだが、起死回生の宝具を所有していたとしても、使わせなければいいだけの話。

 後はウェイバーに鎌をかけて聞き出したライダーの真の能力か。こちらもセイバーが真の実力を発現させれば、向かうところ敵はあるまい。楽観ではあるが、今現在の趨勢は間違いなく時臣を見ている。

 ならばここで、綺礼の後ろ盾を失っても問題はないか。監督役として動くのなら、それはそれでそちら側からの情報も期待できるのだから。

「ふむ、分かった。綺礼、君の思うままに動いてくれて構わない。今夜の一件、全て君に預けよう。土地の管理者である遠坂の名において、一任する」

「ありがとうございます、導師」

 綺礼の目礼を受け止め、そして時臣は一つ話を切り出した。

「引いては綺礼、君が先程提示した作戦だが、私は直接参加できないかもしれない」

「と、言いますと?」

 時臣もまたこれより自分が臨む責任の在所を語る。先延ばしにしていい問題でもない。街全体を巻き込むかもしれない闘争に馳せ参じられないのは如何ともし難いが、綺礼の作戦が全て巧くいけば、時臣が顔を出す必要性がない。むしろ、他のマスター達も易々とは姿を見せないだろうから。

「……なるほど。いえ、問題ありません。導師よりの一任を頂いた以上は全て任せて頂いて結構です。今夜の戦いは、どのみち相手方に勝利などないのですから」

「ああ、そこは重々承知しているよ。見せてやってくれ、五騎のサーヴァントを敵に廻す事の意味を」

 それで話は終わった。時臣は自らの為の闘争へと赴き、綺礼は父を巻き込んだ不届き者に誅を下す為に指揮を執る。
 荒れ果てた礼拝堂の入り口で、二人は今一度向き合った。

「綺礼。璃正さんの事はまことに遺憾だったが、私はこれまで通り、遠坂と言峰の友好を続けていきたいと思っている」

「はい、願ってもないお言葉です。父も、自らの死で我らの仲が引き裂かれる事など望んではいないでしょうから」

「宜しく頼む。では、私は一度自宅に戻らせて貰う。ああ、そうだ。暇が出来たら一度我が家を訪れてくれないか。君には渡したいものと、伝えておきたい事があるからね」

「畏まりました。全てが終わったその後にでも」

「では、さらばだ綺礼。今宵の君の采配、期待しておくよ」

「尽力させて頂きます」

 そうして時臣は教会を去る。父の朋友の死を悼み、息子との友誼を固く結び、師としての信頼を強く寄せて。

 だから気付かなかった。気付けなかった。その最後に──時臣の背を見送る綺礼が、歪に嗤っていた事を。



 冬木教会にほど近い森林の中に、闇に埋もれる影が二つ。暗い視界の中でも白々と踊る仮面が、もう一つの仮面を野太い木の幹に押し付けその首を締め上げていた。

「……貴様。何故、綺礼様を守ろうとしなかった?」

 問い詰める側の白面は、細腕の女性のアサシン。問い詰められる側のアサシンは、線の細い男性のアサシンだった。

「ぐっ……あの女がマスターかどうかなど、我らには分かる筈もないだろう」

「それでもサーヴァントを連れていれば気配くらいは察せるだろう。それともそれすら察せない程に貴様は無能なのか?」

「ち、違う。気配なんかなかった。あの女、サーヴァントを連れずに乗り込んできたのだ」

「ならば尚更だ! 綺礼様の父君である璃正殿が乱心された際、すぐさま始末出来た筈だろうがっ!」

 女性のアサシンの詰問は会話を交わす度に強くなる。綺礼に命じられ別の案件に駆り出されていた彼女は、綺礼の窮地に参ずる事が出来ず、付近の監視を任されていた今現在詰問されているアサシンの不手際を糾弾する。

 確かに、一般人への無用な被害を出す事は固く禁じられていたが、綺礼自身の命と秤にかけては比べるまでもない。マスターたる綺礼が殺されればサーヴァントであるアサシンは現界を維持できず、聖杯に託す祈りさえも霧散してしまう。

「それとも何か? 貴様は、元より綺礼様を見殺すつもりであった、とでも?」

「が、あぁ……!」

 ギリギリと締め上げる腕により力が込められる。その細腕の一体何処にそんな力があるのかと、思わずにはいられない程の万力めいた圧力。

「お、おまえは、本当にその願いを知りたいと思うのか?」

「何……?」

 突如投げ掛けられた問いに女性のアサシンは訝しむ。

「我らの願い──確固たる自我を、本当に知りたいと、思っているのかと訊いている!」

「無論だ。その祈りこそ我ら百の貌のハサンが総意。その答えを知る為だけに、このような俗世に舞い戻ったのではないか」

「お、俺は、そんなもの知りたくなんかないんだ! 確固たる自我、唯一の自我なんて知ってどうなる!? もし仮に我らの中の誰かがその原初の自己であったのなら、それ以外の者の自我は何処へ行く!? 俺は一体、何者になるんだ」

「貴様がその一である可能性もあるだろう?」

「そうじゃない確率の方が高いという話だ。俺はそんな惨めになんかなりたくない。一つの身体に無数の自我。有り得ない存在であろうとも、俺が俺でなくなるなんてのは、耐えられない……!」

「…………」

 確かに、その可能性はゼロではない。元より彼らの人格は分かたれたもの。初めから二つ以上あった可能性もあるだろうが、恐らく最初は一つだった筈だと皆が思っている。
 つまりは今ある──殺された者も含め──八十を超える人格の中に、唯一の本物がある筈だ。そして聖杯により知り得ない答えが齎された時、残りの人格は存在意義さえ失ってしまう。

 男の恐怖するものこそその結末。一になった時、他の人格は統合され消えるのか、ただ残され捨て置かれるのか……何れにせよ、悲惨な末路である事には違いない。

「違うな──間違っているぞ、貴様は。今この状態を見てみろ。我らはその肉さえも分かたれ、確固たる一人の存在として活動している。
 意思こそ私の下に統合させて貰っているが、それはあくまで我らが能力の運用面に関して有用であるからだ」

「…………」

「聖杯が真に万能の願望器であるのなら、我らが一を知る事も、この自我を維持したまま本物の己になる事さえ可能ではないのか?
 宝具程度で実現できる奇跡を、聖杯が叶えられない筈がないだろう?」

「じゃあ、俺は──聖杯を手に入れれば、本物の俺になれるって、そう、言うのか?」

「ああ。貴様は隠密には長けているが口下手だからな。言えないのであれば、私から口添えしてやってもいい。いや、むしろ他の連中もその程度の望みの一つや二つ持っているだろうからな。別におかしなものでもない」

 その言葉を聞き、男は少しだけ安堵の溜め息をついた。

「だが」

 直後、女の首を掴む腕に一層の力が込められる。それこそ、捻じ切らんばかりに。

「げぇぁ、う、がはぁ……!?」

「貴様が綺礼様を見殺しにしようとした事実に変わりはない。それが頭の足りない勝手な妄想からの判断であっても、我らが主を亡き者にしようとした意思は万死に値する」

「が、ぐっ……お、マエ、俺を、殺す、気か!? 自分、自身を、ソの手で……!」

「貴様程度、我らが一の末端も末端だろう。大任を仰せつかったにも関わらず、役目を果せないどころか謀反さえ企てる下衆など、ハサンには必要──ない」

 小気味の良い音を立てて頚椎が捻じ切られる。抵抗していた四肢もだらりと垂れ下がり、死を受け入れた肉体は徐々に霧散していった。

「我らはハサン・サッバーハ──稀代の暗殺者である。我らが総意は聖杯を手中に収める事にあり。その障害と成り得る者は、たとえ同胞であろうと許しはしない。
 私に従え。我らが意思に集え。個は群の為にあり、群は祈りの為にある──!」

 聞き耳を欹てているであろう彼の協力者に向けて彼女は宣誓した。彼女がハサンの中でも特異な位置づけにあるのは誰もが認めているところであるし、それ故に敵も多い。

 未だ肉体が一つであった頃ならいざ知らず、個々人に分かれた今代では、それぞれが腹に一つや二つで済まないものを抱え込んで画策している。
 今し方始末した者はその中でも下位にある屑であったが、彼女以上に頭がキレて計算高い者もいる。そんな輩は、この状況さえも強かに俯瞰しているのであろうが。

 アサシンの統括という役を負い、綺礼の側近を務める彼女もまた、その立場に相応しいだけの実力を有している。

 皆の意思は確固たる一の求め。その意味は同じでも、誰しもがその一足らんと願うのなら衝突は必然だ。
 綺礼の下に仕え、更に時臣の下にも仕えているという事実には納得のいかない者も多いだろう。だがそんな輩を束ねる彼女だからこそ、時に冷酷に自分自身すら厭わずに殺してみせる。

 彼女の心の中もまた複雑な色が交じり合う。初めは無論、総意を抱いていたが、果たして今もその心に偽りはないと言えるのか。
 同じ迷い、同じ苦悩を持つ綺礼に召喚され、その姿を見れば見るほど往年の自らに重なって見える。同情、憐憫、同族意識。言葉は違えど意味は同じ。このハサンは、綺礼に心酔している。

 だからこそ反逆の意思を許さない。彼と彼女は同じ悩みを持ち、分かち合う。彼に聖杯を望む意識はなくとも、必ず──必ず答えを求める筈であると。

 そうして。女は綺礼よりの召集の念を聞き、影の如く闇に紛れた。



 夜気が冷たさを増していく今日日、冬木大橋に吹き荒ぶ寒風もこの上ない強さで吹き付ける。自慢の一張羅と整えた髪が乱される事に不満を覚えながらも、時臣は遠坂の屋敷を目指し練り歩く。

 ふと見上げた空は、だんだんとその怪しさを増していき、今にも降り出しそうな勢いであった。

 ……今夜は、荒れるかもしれんな。

 時臣の胸をざわつかせる言い知れない予感。街全体を包み込む空気が既に昨夜までと違っている。
 ロード・エルメロイの敗退を知る者はまだ少ない筈だが、誰しもが戦いの予兆を感じているのかもしれない。昏迷を増す闘争の場の行く末を肌で実感しているのかもしれない。そして、あの女の思惑もまた、街を塗り替えるに足る災いだ。

「時臣さん」

 思索を続けていた時臣の背後から、名を呼ばれて振り向けば、いる筈のない者がそこにいた。

「葵……?」

 時臣の妻にして凛と……桜の母である遠坂葵。禅城の邸宅で別れた筈の愛する妻が、何故かこの冬木に降り立っていた。

「何故こんなところに君がいる?」

「凛に話は聞きました。あの子についての……話を」

 向き合ったまま時臣は嘆息する。凛は別段話そうと思ったわけではあるまい。つい口が滑った、という程度のものであろう。
 あの子は常に凛々しくあるのだが、ひょんなところで抜けている。そこが時臣をして感服する才覚を持ちながらに危なっかしい一面であるのだが。

「時臣さん、教えてください。貴方は、一体何をしようとしているの?」

 これまで時臣のやり方に全く口出しして来なかった葵の初めての詰問。桜を養子に出す際ですら固く口を噤んだ葵。貞淑であり夫を立てる事を大事とする、古き時代の良き妻が、初めて時臣に疑問を投げ掛けた。

「私はね、葵」

 時臣は、魔術師の観念と一般人の観念が逸脱している事を理解している。葵も特殊な血統の持ち主ではあるが、魔道を歩んできたわけではない。故に彼らの間にも齟齬があり、けれど時臣は己を絶対とし揺ぎ無い信念の下にこれまで選択を続けてきた。

 魔術師が堅物であるとされる所以はそこにある。魔道の家系に生まれ、魔道を歩み、魔術師となった者には、他の人間の思考など理解出来る筈もない。自らを誇り唯一と信奉するのなら、あるいはそれは妄信的な在り方である。

 その点、時臣はまだ理解がある方だ。人並の苦悩を理解し、努力を積み重ね、辟易するような連中を厭という程見てきた。そして葵という妻を娶り二子を生した今、誇り高い志は常に持ち続けているが、柔軟な心得もあると本人は認識している。

「私はただ、娘達の幸福な姿が見たいだけなんだ」

 だから親としての当たり前の願いを理解し、魔道に生まれたが故の苦悩も理解する。相容れない二律背反の想いを相克と成し、その上で最上の選択を選んだ。選んできた──筈だった。

「覚えているかな、間桐雁夜という男を」

「え、ええ。覚えています、幼馴染でしたから」

 何故その名がこの場で出るのかと訝しんだ葵だが、続けられた言葉に息を呑んだ。

「此度の戦いに、あの男も参戦している。一度は背を向けた魔道に縋りつき、聖杯を求めている。その真たるところは分からないが──あの男とは既に一度対峙し相応の痛手を負わせた」

 それが両者の了解による闘争ならば、部外者が口を出す資格もない。葵はただ時臣の言葉に耳を傾けた。

「その際、あの男は憚った。完全に屈服させてやったというのに、獰猛な肉食獣のような視線だけは、地に伏しても変わらなかった。
 そして雁夜が私に投げ掛けた問いが──君や凛の耳に入った事に繋がっていく」

 葵は一年前、海浜公園で雁夜と一度出会っている。その際、もし桜に会えば優しくしてあげて欲しいと言ったが、まさか彼がマスターとして戦いに赴き、そして時臣と戦っていたなどとは思いもしなかった。

 そして時臣の口より語られる間桐家における桜の現状。悲痛とも取れる修練を受け、その成果は桜の為ではなく、臓硯の為のものである──可能性を。

「そん、な────」

 口元を手で覆い、狼狽える葵。我が子と引き裂かれるだけでも身を貫く思いであったというのに、せめて幸せな人生を送って欲しいと願っていたのに。雁夜の、時臣の語る桜の居場所は──ただの地獄だった。

「あっ、ああ……!」

 崩れ落ちかけた葵を支える時臣。葵は、時臣以上に我が子を愛していたのだろう。だからこそ、そのあってはならない惨状に、心の全てを引き裂かれた。

「なんで、なんであの子が、そんな目に……」

 もはや零れ落ちる涙を止める術はなかった。一度は心より押し殺した感情が、堰を切って溢れ出る。
 諦観など出来る筈がない。いないものとして思える筈などないではないか。自らの腹を痛め、愛する人との間に生まれた愛の結晶を、どうして忘れる事が出来るのか……!

「うぁ、ぅ、ああああああああ……!」

 時臣に縋りつき止め処ない涙を流す葵を優しく抱きとめる。そうとも。時臣とて、彼女の涙など見たくはない。誰しもの幸福を願い道を選んできたというのに、ならばその涙は──誰の為のものなのだろう。

「葵」

 思う存分泣き腫らし、今はすすり泣いている妻の髪を撫で上げる。上を向いた瞳は、まだ雫を溜めていた。

「まだ真実は分からないままだ。雁夜が私を惑わせる為に妄言を吐いたという可能性もゼロではない。だから私は──確かめに行く」

 それが時臣の責任の取り方。我が子の幸福を願い、地獄へと突き落としていたとするのなら。あの老獪の掌の上で踊らされていたとするのなら。桜が────時臣に救いを求めているのなら。

「私は──桜を連れ戻そう」

 全てが雁夜の言う通りであった時、時臣はその決意を断行する。父としての責務を果たすべく、間桐の翁との闘争も辞さない考えだ。

「あなた……」

 葵もまた、理解している。仮に全てが巧く行っても、あくまで一時的な処置でしかない事を。桜の幸福を……魔道に生を受けた者の咎を思うなら、いずれはまた引き裂かれる事になる。

 だがそれでも。声も上げられずに泣いている我が子を捨て置く事など出来はしない。二度とは抱けぬと思っていたあの子を、今一度この腕で抱き締められるのなら。愛する人の決断を、支持しよう──と。

「分かりました……私は、あなたの帰りを、待ちます」

 時臣の腕の中から抜け出て、葵は宣誓する。

「ああ。すぐにでも禅城の屋敷に戻った方がいい。今夜の冬木はかつてない程に荒れるだろうから」

 不意に一歩を踏み出し、時臣は葵の唇を奪い取る。葵も素直に受け入れて、二人は愛に代えた。

「────あなた……」

「駅まで送ろう。この街は何処に鼠がいるともしれないからな。綺礼の召集には……まあ、間に合うだろう」

 時臣は葵と共に来た道を引き返す。
 確認した時間は、間もなく午後十時三十分を回ろうとしていた。


/Foreboding


 厚い雲に覆われていく空を、一人の男が見上げている。

 ──衛宮切嗣。

 昨夜悪辣な手段に拠ってランサー、ロード・エルメロイ、そしてソラウを亡き者とした暗殺者が、煙草の煙を燻らせながらに流れの早い雲を見つめる。

 彼はこの日を休息に当てていた。緒戦より連日連夜──ろくな休みもなく続けていた闘争を一段落とし、身体のリフレッシュ、銃火器の整備、現在の街の趨勢などを調査し一旦仕切り直す事とした。

 ともすればそれは悪手であったのかもしれない。昨日同様に動き続けていれば、刈り取れた命もあったのだろうが、これより先を見据える事を優先した切嗣の判断は、この時既に詮無い事と成り下がっている。

 つい、と縁側から視線を滑らせた先──土蔵には、彼の妻であるアイリスフィールが横たえられている。

 ランサーを倒し、聖杯の器を担うアイリスフィールがサーヴァントの魂を一つ収容した為だ。サーヴァントを倒すと言うことは、アイリスフィールを壊していく……または在るべき形に戻していく工程だ。
 人間としての機能は聖杯として機能する時、余分となる。器に水が満ちていくだけ、アイリスフィールは感覚、意識、身体機能を奪われていく。

 昨夜ランサー達を消し去り、この屋敷に戻った時、アイリスフィールは居間で倒れ伏していた。すぐさま土蔵に運び込み、魔法陣の上に横たえる事で意識は徐々に回復してきていたが、今はまた眠りに落ちている。
 初めて膨大なサーヴァントの魂を呼び込んだせいで、巧く制御出来ないのだろう。

 たった一騎でこれなのだ、後数体を倒し聖杯に注がれれば、アイリスフィールの意識も完全に消えてなくなる。
 切嗣が召喚の際に触媒とした聖剣の鞘。もしあの鞘の加護があれば、そこまで機能を落とし込む必要もなかったのだろうが。騎士王を招来出来なかった時点で鞘は無用の長物と化している。

 何らかの効果はあるのかもしれないと切嗣は隠し持ってはいるが、これまで何の効力も発揮していない。やはり所有者の魔力がなければ発動しないという事なのだろう。

 余談ではあるが、昨日この屋敷に帰りつく直前……否、ランサーを討つと決め、屋敷を辞したその時点で、切嗣は屋敷に帰り着いてもアイリスフィールの姿はないものと観念していた。

 何故かと言えば、言峰綺礼とアサシンの存在があったからだ。

 アインツベルンの森を逃亡した際、アサシンの存在は確認している。その状況下で、切嗣を追っている綺礼が追跡を行わない筈がない。車を隠す際に尾行対策を行っていたが、その程度で誤魔化せるのなら暗殺者の英霊の名が廃るというものだろう。

 故にランサー達を討つ為にアーチャー、そして舞弥を必要な駒として運用すると決めたのなら、アイリスフィールの守りが疎かになるのは必然。その隙を綺礼が逃す筈がないと思っていたのだ。

 アイリスフィールを人質とすれば、切嗣を誘き出す上で恰好の餌となる。聖杯を宿していると知らない以上は殺せない人質に意味を成さないが、それでも奪っておいて損のないものであった筈だ。

 夫として妻を想う気持ちを殺して殺して殺し尽くし、ただただ戦局を有利に進める為に愛する妻を危険に晒す覚悟。
 この闘争が終局を迎える時、必ず別離がある彼らであっても、人としての機能を捨て去れない切嗣は自らを機械と思い込む事で事を完遂した。

 だが綺礼は動かなかった。アイリスフィールの姿がなければ諦観できた筈の想いが、時が過ぎるほどに戻ってくる。
 もはや止まる術を失った切嗣なら、何度でもその心を封殺しよう。身を引き裂かれる痛みに耐え、必然の別離の先にある──恒久の平和を求めて。

 しかし奇妙なのは綺礼の動向。衛宮切嗣を追い求める綺礼が、駒を一つ取り損なった。何処かで切嗣の動向を監視していながら動かなかったその不気味さ……それが故に今日一日を休息と情報の収集に当てた意味でもあった。

 ……考えすぎなのかもしれないな。

 身に沁み付いた警戒心。切嗣の全てが警告を発するあの男には、特に気を配りすぎているのかもしれない。
 だがまあ用心に用心を重ねておいて損をする事はない。獲物を刈り取る為の最重要な所作は待つ事だ。これまでのように、焦って刈り取る必要はない。

 一人ずつ確実に──消していく。

「ん……?」

 足場を踏み固めた直後、煙草の灰が風に攫われていく向こう──夜闇の中に一発の花火が花開いた。

「切嗣。今のは……」

「ああ」

 居間より姿を見せた舞弥に頷きだけで答える。指先より落とした煙草を靴底で踏み躙りながら、一つの予感を胸に抱いていた。

「監督役からの召集か。ふん……一体何をする気だ」

 睨む夜空に華やかな煙が舞っていく。一般人には認識できない呪香を織り込んで構成された花火。響く音は魔力のパルス。
 その意味するところは緊急を要する監督役からの召集令。

 現在時刻──午後十時四十五分。


/Draft


「このような場所で済まないが、少し立て込んでいたのでね。許して貰いたい。なお、監督役である言峰璃正は逝去された。よって、息子である私が監督役代行としてこの場に立たせて貰っている。
 私の立場について、皆一過言あるであろうが、今は私の話を先に聞いて欲しい。もっとも──口を利ける輩がいるとは思えないが」

 あくまでも無表情を装い荒れ果てた礼拝堂の祭壇に立つ綺礼は、瓦礫の山に向かって話しかけている。召集の信号弾を打ち揚げてから約三十分、集い来た姿なき聴衆の気配の数を確認し、やおら綺礼は切り出した。

「皆に集まってもらったのは他でもない。つい数時間前、私の下に一人の参加者よりこのような書状が届けられた」

 眼前に翳すようにフュルベール曰くの招待状を翳すと、物陰からがさがさと音がした。使い魔の目で直接に確認しようとしているのだろう。

「内容は各々が確認してくれれば有り難いが、一応の確認としておこう。しかし、直接口にするには些か憚られる文章であるので、要約させて貰う」

 わざとらしく咳払いをし、綺礼は続ける。

「これはある一人のマスターより届けられた諸君への挑戦状だ。今夜零時、その者はこの冬木に大量の死者を放つという。挑戦、と言ったのは、書状によればこの街を魔都と化したくなければ自分を止めてみろ、と認めてあるからだ。
 ……そうだな、簡単な言葉で言えばかくれんぼか鬼ごっこだ。我々はこの街の何処かに潜むそのマスターを捜し出し止める。止められなければ、明日の朝を迎えた時、この街の住人のほとんどが消え失せる公算となる」

 そこまで一息に言い切り、綺礼は少し間を保つ。使い魔の目と耳から得られた情報を──各々のマスターに考える時間を与える為だ。

「宜しいかな? 私はこれを悪意ある挑戦と受け取った。本来秘匿されるべき神秘を露見させ、あまつさえ無用な犠牲で街を染め上げようとするその挙動……マスターとして以前に神秘に携わる者としてもはや許してはならない悪行である」

 崩れ落ちてはいても、荘厳さを失わない礼拝堂に響き渡る綺礼の声。重々しくも何処か神秘的な響きを持つ音が、荒廃した神の家にあってなお妖しく轟く。

「よって私は監督役権限を用い、ここに宣誓したい。本来ならばこのような命令を下すなど言語道断ではあるが、双方のキョウカイの意思を慮れば、我が言は総意であると受け取って貰いたい。
 即ち────現在生存している全サーヴァントを動員しての件のマスター、及びサーヴァントの抹殺令をここに宣言する」

 つまりは、このような挑発的な行為により悪意を煽り神秘の露見に加担し、あまつさえ街を地獄へと塗り替えようとする輩を最優先で始末するという決断。
 これより一時、全サーヴァントは互いの干渉行為の一切を中断し、標的をただ一人と定めて行動する──というわけだ。

「ちなみに、この命令に拒否権はない。居ないとは思うが、聖杯に祈りを託すような者が神秘の露見を良しとする筈がないだろうからな。
 仮に召集に応じない場合、罰則を設けさせてもらう。魔術師にあっての第一義務を放棄する者を、我が教会は聖杯の所有者とは認めず──これ以後の参加権を剥奪とする。それでなお従わない場合、これより行われる掃討作戦が、自らの身に降りかかると思って貰って結構だ」

 横暴極まりない作戦内容ではあるが、参加者は皆順ずるしかない。もしフュルベールの思惑がなったのなら、あるべき聖杯戦争は破綻し、一般の捜査機関や教会の手が介入する。そうなればもう参加者同士の戦いでは済まされない。

 いや、聖杯戦争自体が取り潰され、下手を打てば荒廃した冬木そのものが教会の管理下に置かれる可能性さえある。
 聖杯を手中にせんとする限り、この作戦への参加は必須条件。誰もが己の言い分を口に出来ないままに従うしかなかった。

「……ふむ。では以上だ。現在午後十一時十分。各マスターはサーヴァントを派遣し、二十分以内に冬木教会前の広場に集合せよ。
 ああ、それと。マスターの直接の参加は任意とする。これ以後続く聖杯戦争を思えば、姿を晒したくない者もいるであろうからな」

 いる筈のない仇敵の顔を思い浮かべ、綺礼は微かに笑みを零した。

「では解散とする」

 綺礼の宣言と同時にずるずると這いずる音や羽ばたきが聞こえてきた。綺礼は一通り去った頃合を見計らい、自室へと戻った。

「さて、後は……アサシン」

「はい」

 白面の暗殺者が蝋燭の灯りが揺らめく影に顕現する。

「今夜の戦い──おまえ達にはかなり働いて貰う事になると思う。こちらの手を明かすのは巧くないが、聖杯戦争が破綻してしまっては意味がない。祈りを持つおまえ達にしても同じだろう?」

「はい……」

 サーヴァント・アサシンも他の英霊達と同じように願いを宿す。聖杯を手に入れる事こそが至上命題。綺礼の下、引いては時臣の下についていたのはその為だ。

「まあ、この場なら他に聞き耳を立てる者もいないか。アサシン、私は──」

 その後に続いて語られた言葉に──アサシンは貌を失ってなお、驚きを露にしたに違いない。あるいは、それとなく予感めいたものを感じ、『やはり』という思いがあったのかもしれない。

「綺礼様……貴方は……」

「言うな。まあ、おまえの胸の内に留めておけ。他のアサシンには知らせるな」

「はっ」

「それと。この後他のサーヴァントが集う場で私が口にする事は一切信用しなくていい。事を巧く運ぶ為の弁舌だと思ってくれ」

 それはつまり、綺礼はアサシンの立場を危うくするような事を他のサーヴァント、マスターに向けて放つという意味だ。ただそれは本心ではなく、自らが動きやすいように口にするブラフ──

「畏まりました。私はただ、綺礼様の命令に忠実に従うまでです」

 綺礼が重用する女性のアサシンは頭を垂れた。複数の人格を持つ今代のアサシンはその数だけ思考がある。それを取り纏め綺礼に報告する役目を負うのがこのアサシン。
 彼女の言は百の貌のアサシンの総意と言っても過言ではないのだが、この場だけはその限りではなかった。

 綺礼の思惑、アサシンの望み。そして彼女自身の考えが交錯し、口を衝いたのは己の意志だ。腹に一つや二つでは済まないものを抱える群体の暗殺者にあって、彼女は確かに──綺礼の在り方に心酔していた。

 己と同じ自我なき自我に葛藤し、苦悩を繰り返して答えを探し求める。その痛ましい姿が往年の自らと重なって見えたのだ。

 彼が必要に拠って暗殺者のサーヴァントを喚んだのだとしても、百の貌を持つアサシン──我らを招来した事には、必然の意味があったのだと。

 ならば彼女だけでも主の命を完遂する。手足の半分を失う不手際を働いておいてなお、未だ従順に彼らが従っているのは彼女の存在があってこそ。

 綺礼は確かに────アサシンを手懐けていた。

「では、私は導師との連絡を取る。おまえは暫し休んでおけ。連絡が終わり次第、続きを話そう」

「了解しました」

 影に溶けていくアサシンを目の端で追い、綺礼は俯いて嗤いを零す。着々と──これまで手探りで暗闇を歩いていた綺礼の前に、辿るべき道筋が構築されていく。



「なんだよこれ……一体どういう事だっていうんだ?」

 教会での内訳を聞き終えたウェイバーは狼狽を露にした。一体全体どうなっているのか全く以って分からない。あの神父は言うだけ言って話を終えるし、ウェイバー側からは質問すら出来なかったのだ。

「くそっ……とりあえずは詳しい話を訊きに行かないと……っておい! オマエいつまでそんなもんやってんだよ!」

 ごろりと部屋の中央に寝転びコントローラー片手にテレビ画面を嬉々した表情で見ているライダーは、昼間購入したゲームに夢中だった。

「おい、こら、訊けってば!」

「おう、待て待て待て待て。今いいところなんだ、もう少しで……」

「そんな場合じゃないって言ってるんだよッ!」

 興奮も露にウェイバーは意図せずにゲーム機本体のリセットボタンを押した。

「おっ!? おおおおおおお、おい坊主! なんて事しくさりやがるッ! まだ一辺もセーブしとらんかったというのに! ああ、余の二時間の征服の記録が……! そこになおれ貴様! たたっきってやる!」

「性格変わりすぎだろ!?」

 ギャーギャーと喚きあい、結局は落ち着くところに落ち着いて、ライダーは事の一部始終をウェイバーから聞き終え、顎鬚をぼりぼりと掻いた。

「なるほどな。そりゃまた厄介な事をする奴もおったもんだ。ちっ、余の楽しみを邪魔しおって……」

 一々突っ込んでいると時間がないのでウェイバーは話を切り出した。

「とりあえず、教会に行くぞ。詳しい話はその時訊けばいい」

「ふむ……まあ確かにそんな畜生を放っておくのも胸糞悪い。さっさと片付けてしまうか」

 窓を開き足をかけながらキュプリオトの剣を引き抜くライダー。豪快なる一閃によって空を断ち切り、現われたるは勇壮なるチャリオット。
 ラフな現代衣装を戦支度に代え、もはや馴染み深くなった御者台に二人は乗り込み、一路──空を駆って冬木教会を目指した。



「ふん……茶番にしては臭すぎる演技だったな」

 嘆息と共に毒を吐き出す。屋敷の居間に集った舞弥、そしてアーチャーは切嗣より状況を聞き終えていた。

「それで切嗣。どうしますか?」

「ああ、まあここは従っておくしかないだろう。褒賞を規定せず厳しい罰則だけを設けるやり方は汚いが、上手くはある。これでは易々とは反故に出来ないからな」

 それこそ全マスターとサーヴァントに狙われても勝てると憚るくらいの力量がなければ無碍に出来ない命令だ。切嗣自身もまさかここまで大それた真似をするマスターがいるとは思っていなかった。
 これまで巡り会わなかったのはただの偶然か、この時を待っていたのか……何れにせよ向こうからの挑発である以上はこちらには討つだけの大義名分がある。

 あるべき聖杯戦争を壊そうとする者を討つ。神秘の露見に加担する者を討つ。そして外道を討つという名目があれば、一時的な監督権限の行使も可能。どちらにしても、綺礼の方法論は時間のないこの段階では上策であるだろう。

「アーチャー、おまえは教会に向かえ」

 ポケットから新品の携帯電話を取り出しアーチャーに放り投げる。霊体化する際に何度も放棄しているのでこれで幾つ目なのかは分からない。

「了解した。その言い分では、切嗣は来ないのだな?」

「ああ。マスターの参加は任意と言っていたからな」

 この辺りも狡猾だ。もしマスターが強制参加であった場合、切嗣は確実に赴かなかっただろう。その際のリスクと天秤にかけてではあるが、あるいは舞弥を向かわせる真似をしたかもしれない。
 何れにせよ、綺礼はこう告げている。今宵は切嗣と見える時ではない──と。

「教会前で話を聞くことがあれば、携帯は通話状態にしておけ」

「了解した。では、行って来る」

 居間を飛び出し、闇の彼方へと消えていく背中を見つめる。とりあえずはこれでいい。後は切嗣の取るべき行動と──

「舞弥は念の為アイリを看ていてくれ。もしかしたら、今日でかなりの数のサーヴァントが消えるかもしれない」

「分かりました」

 そう言って、舞弥もまた土蔵に向けて居間を出て行った。

「さて……それにしてもあの男……少しだけ妙だな」

 綺礼と対峙して以来数日が経過しているが、ここまで大規模な作戦をあの男が指揮している事自体が妙だ。
 前任の監督役は死去したそうだが、それにしても手際が良すぎる。

「やはり遠坂が一枚噛んでいるのかもしれないな……」

 その辺りはもう疑ってさえいなかったが、こうもとんとん拍子に話が進んでいては綺礼の独断とは思えない。そして──

「あの笑みは、一体なんだ……?」

 全ての使い魔が去ったと思ってか、綺礼が礼拝堂を辞する前に見せた笑み。こっそりと残していた使い魔が捉えた綺礼の表情は、いつか見た苦悩に満ちたそれではなく、何処か歪んで見えたのは……切嗣の気のせいだろうか。

 つい先程警戒しすぎているのかとも思ったが、やはり気を抜くわけにはいかない。あの男に対しては、切嗣も全力で当たらなければならない。今回の作戦にしても、やり方が汚すぎる。

「言峰綺礼。貴様は一体、どこまで読んでいる?」

 そう、綺礼の作戦の裏にある謀略。切嗣の動きを読んだ上での作戦だとするなら、余りにえげつない男だ。

 マスターの参加は任意。けれどサーヴァントは全員が招集される。つまり、教会に姿を見せないマスターには、サーヴァントによる守護がない。
 それは切嗣にとって恰好の獲物となる。綺礼の言により一時的な休戦の体裁が執られてはいるものの、厳密にはマスターの行動に制限がされていない。

 形の上──サーヴァント同士は互いを敵視しないまでも、マスター同士は自由。この状況を作り上げれば、切嗣がどう動くか、綺礼には分かっていたのかもしれない……

「チッ。踊らされているようで癪だな。だがまあ、状況は有効活用してやるさ」

 たとえそれが切嗣と綺礼の対峙の場を整える為の準備段階であろうとも。元より切嗣が取るべき策はただ一つなのだから。



「中々の演説だったよ、綺礼」

 遠坂邸の自室へと戻った時臣は綺礼とのやり取りを可能とする魔導通信機に語りかける。

『いえ、やはり父のようには行きません。場を取り仕切るという事をこれまで余りした事がありませんので』

「謙遜だよ綺礼。君は充分に良くやっている。後はそう──結果を出せば上等だ」

『心得ております』

 時臣がこれより赴くのは教会ではなく間桐邸だ。間桐の御老人には既にアポイントメントを取り付けてある。不可侵の条約を結んではいるが、こうも快諾されてはやはり時臣も気が気ではない。何処まであの老獪は知っているのか……

「では綺礼、後の状況はそちらに任せる。何かあれば連絡を。事が事ならアサシンを寄越してくれ」

『はい。────導師』

「何かな?」

『衛宮切嗣にはお気をつけ下さい。この状況ならば、奴は必ず動きます』

「…………」

 まるで相対した事のあるような口ぶりであったが、時臣は綺礼が切嗣と矛を交えている事を知らない。恐らくはこれまでのやり口と経歴を洗ったものから導き出された解であろうと見切りをつけた。

「ああ、忠告は有り難く受け取っておく」

『では失礼します。御武運を』

 そして通信は遮断された。

「セイバー」

「はい」

 茫洋とした影が実体を帯び、形を形成する。闇よりもなお黒い漆黒の甲冑が時臣の隣に現れた。

「今宵の戦い、私は赴けない。よって君が私の代わりを務める事になる」

 本来なら、時臣も赴くのが筋であるのだが、状況が状況である。この戦の中、サーヴァントの余計な横槍なく話し合いの場を持てる機会などそうはない。故に信を置く弟子と従者に全てを委任する。

 もし何らかの不測の事態に陥ったとすれば、それは全て時臣へと還る責任だ。その事を承知した上で時臣は自らの“闘争”へと赴く決意に代えた。

「であれば、敵の首級を持ち帰るのも君でなくてならない。分かるね?」

「はい。了解しています」

「とはいえ、まあ君はそれでも騎士であるからな。私の予測が正しければ、陣頭指揮を執るのは」

「ライダー、ですか」

「ああ。仮にも王を名乗り軍略のスキルを持つ男であるからな。ふふん、サーヴァントが複数のサーヴァントを従えての行軍など至上初めてだろうな。
 どのような結果になるか見届けたくもあるが────まあ致し方ない」

 自らの決断であるのなら、責任を請け負うべきだ。時臣は在るべき戦場を放棄するのだからその程度は飲み込まなければならない。

「無理は言わない。例のマスターとサーヴァント、確実に抹殺してくれ」

「御意に」

 朧と霞んでいくセイバーの姿を見送る。これで表向きの体裁は取り繕った。

「では、行くか。責任を──果たす為に」

 手には礼装を握り、心には確かな想いを。どのような結末が待つにせよ、遠坂時臣は自らに課した咎を果たす為に、行動を開始した。



 間桐雁夜の驚愕は、綺礼の作戦概要だけに留まらず──遠坂時臣の動向についても齎された。

 安ホテルで一夜を明かし、時臣の動向を備に観察し続けた丸一日。極小の蟲が見聞きした情報を総括すると──

「時臣が、桜を……?」

 雁夜は頭を抱えた。確かに、アインツベルンの森で突きつけてやった桜の現状だが、こうも容易くあの男が動くのか? 自らを絶対とするあの糞野郎が、まさか桜の為にこの状況下で単独行動を行うなど……

「ありえない……」

 慮外。むしろこの趨勢なら、土地の管理者としての責任を果たすべく教会に姿を現しそうなものを、その責任を放棄してまで、桜を救うと、そう、言うのか。

「くそっ……」

 雁夜の心が掻き乱される。時臣は憎き敵だ。憎悪を燃やして殺し尽くしてしまいたい相手だ。だがもしも本当に、時臣が桜を臓硯の魔手より救い出そうと言うのなら、

「俺は、俺はどうすればいい……?」

 時臣と手を組み、臓硯を打ち倒すべきなのか。臓硯に組し予定通りに時臣を殺せばいいのか。あるいはただ、趨勢を見守り続けるか。
 否、傍観だけは出来ない。もし雁夜の介入無きままに状況が終了し、時臣が桜を救い出したとする。そうすれば、間桐雁夜は終わる。戦う意義を失くし、生きる力を失い、抜け殻のように朽ちていく。

 今雁夜を衝き動かしているのは桜を救うという願いと、時臣へと憎悪だ。相容れない二つの感情を相克の螺旋と成し、朽ちた屍を駆動させている。だから、そのどちらもが失われた時、雁夜は確実に命を散らせる。

 生への執着など既にない。だが、彼女らの笑顔を見るまでは、死んでも死に切れない。

「また面倒な事になってきたみたいね」

 ベッドの上に横になっているサーヴァントに雁夜は視線を滑らせる。口とは別に、どこか余裕のある風体だった。

「どの道私はその教会に行かないとダメなんでしょう?」

「ああ。聖杯を掴むという道を放棄するわけには行かないからな」

 未だに真名も能力も知らない己がサーヴァントがこの作戦に役に立つのかまことに疑わしい限りだったが、流石に易々とはやられないだろうと高を括り話を続ける。

「じゃ、問題は雁夜の方ね。どうするの?」

「…………」

 訊かれてすぐに決断できるのなら、苦労も苦悩もない。この時間のない段階で雁夜は選択を迫られる。
 いつか踏み外した道を、今度こそ踏み外すわけにはいかない。

「俺は……」

 桜を救う。その一念に迷いはない。だが、同時に時臣に協力するというのは些か以上に難しい。あの男を目視した瞬間、きっと狂ったように襲い掛かるだろう。もはや理性で抑え切れるような段階ではない。

 更に、臓硯に反旗を翻す意味。あの男が、雁夜を信用している筈がない。求めたものとはまるで違うサーヴァントを招来した出来損ないのマスターに期待などかけてはいない。だが聖杯を持ち帰るのなら、あの男は容易く桜を手放すだろう。そういう男だ。

 雁夜の倒すべき相手は誰であるのか。戦うべき相手は、果たしてどちらなのだろうか。

「どっちでもないんじゃない?」

 その思考へ、女の言葉が割り入った。

「どういう意味だ」

「怖い顔しないで。どちらか、って秤にかけてる時点で自分で選択肢を狭めているようなものじゃないの。もっと大局的に物事を見れば、分かるでしょう?」

「…………」

 雁夜も言われて理解した。確かに、そうだ。どちらか。そう思っていた時点で雁夜は既に囚われていた。

「ああ、そうか。ならば俺は──俺を貫こう」

 自らの心の中にある矛盾。その解消を、この土壇場で求めたところで解決など出来る筈もない。元より雁夜は、そんな器用な男ではなかったのだ。
 だから雁夜はその矛盾を受け入れ、その上で選択する。どちらかではない道を。

「良い眼よ、雁夜。惚れちゃいそう」

「黙れ。おまえの戯言にはうんざりだ」

 ふふ、と怪しく笑う女をそのままに、雁夜は立ち上がる。このホテルからは教会の方が近い。間桐の屋敷を目指す雁夜はもう出なければ間に合わなくなるかもしれない。

「それじゃあね、雁夜。お互い生きてたらまた逢いましょう」

「おまえは一応死んだ身だがな。ああ、今回ばかりは再会を願っておく」

 身体は戻れずともいい。その心が、この外の世界に戻ってくるのならそれで構わない。絶望の淵で待つあの子を携え、彼女に幸福の足掛かりを与えられれば──それで雁夜は構わない。

「雁夜」

 扉に手をかけた時に感じた柔らかな感触。抱きつかれていると、感覚が既に鈍くなっている雁夜は遅れて理解した。

「何をしている」

「相変わらず素っ気無いわね。もう少し堪能したら?」

「生憎ともう性欲を漲らせるような身体でもないんでな。そんな力があれば憎悪に変えている。だから──」

 不意に、顎先を取られ振り向かされた先で。女の顔が間近にあって。雁夜は、唇を重ねているのだと、何処か醒めた気持ちで思った。

「んっ──、ふぅ……」

 熱い吐息を吐き出す女を見つめ、雁夜はそれでも揺るがない。雁夜の力は、自らを支えるだけで精一杯だ。

「キスって浮気にはならないわよね?」

「知るか。というか、俺はおまえの男に殺されるなんて御免だからな」

 垣間見た夢に出てきた屈強そうな男は、見るからに雁夜では勝てそうにはない勇者であった。謂れのない嫉妬で殺されるなんて、馬鹿らしいにも程がある。

「本当、ムードないわね。そんなんだから別の男に獲られるのよ」

「放っておけ」

 ふん、とそっぽを向いたのは図星だったからかもしれない。あの男の執拗なアプローチに比べれば、雁夜は確かに二の足を踏んでいた。

「ま、今回のはそんなのじゃないから。きっと大丈夫。これから戦地へと赴く戦士に贈る元女神さまからの激励って事で」

「元……?」

 まだ完全には素性を解してはいない雁夜は首を傾げたが、遮るように女は口を開いた。

「さあ、いってらっしゃい。貴方の全てを賭けて、取り戻してきなさいな」

「言われずとも。じゃあな」

 最後の最後まで素っ気無い態度を崩さず、雁夜は己の戦場へと向かった。残された女は独り、扉を長く見つめ、

「がんばれ」

 そう──小さく、微笑みと共に呟いた。


/Gather Servant


 教会での綺礼の召集令よりきっかり二十分後の午後十一時三十分。暗雲立ち込める空の下に、壮観な図が完成していた。

 漆黒に身を包む剣の騎士──セイバー。
 赤き外套を羽織る射手──アーチャー。
 勇壮なる手綱を握る騎兵──ライダー。
 白面が月下に踊る暗殺者──アサシン。
 妖艶さを持つ狂戦士──バーサーカー。

 敵手である存在──基本七クラスの上で数えるのならキャスターに該当するサーヴァントと、既に脱落したランサーを除く五騎ものサーヴァントが一同に会した。

 また、この場に姿を見せたマスターは、仕切り役である綺礼と、ライダーを伴ったウェイバーのみ。他のマスターは、それぞれの思惑へと奔走している。

「皆揃っているようだな、ではまず段取りを説明させて貰おうか」

「待て」

 口火を切ろうとした綺礼を遮ったのはアーチャーだった。ただそれも、綺礼にとっては予測の通りの反応だ。

「説明の前に、おまえの立ち位置を明確にしておきたい。言峰綺礼、現在おまえはアサシンのマスターでありながらに監督役代行という枠に収まっているようだが、その現状、どう説明する?」

 ウェイバーもそういえば、と思い至る。参加者でありながら審判を司る位置づけというのは些か以上に卑怯な立場だ。

「ふむ、それは君のマスターからの進言かね?」

「さあな。答える義務はない」

「なるほど。無論、その為の方策は考えてある。今日この場で私が監督役の立場を優先しアサシンを放棄するのは余りにも愚策である事は分かっていると思う。
 よって明朝九時、今宵の戦が終結し次第、私の身の振り方を参加者に提示する。その折には今日と同じく教会に使い魔を派遣してくれればいい。この場にいないマスターには、各々が伝えてくれたまえ」

「ふん……まあいい」

 明らかな誤魔化しとも言い切れないはぐらかし方だが、宣言した以上は何かしらの行動を起こすという事だろう。もし状況を放棄したのなら、綺礼は新たに派遣されるであろう監督役より手痛い罰則を負う事になるのだろうから。

「では他に些事がなければ話を始めたいと思うが」

 綺礼は教会門前から居並ぶサーヴァント達を見回し、誰も口を開かない事を確認してから説明を始めた。

「現在の状況は先程提示した通りであるが、最大の問題は敵の居所だ。はっきり言えば、この面子が束になって倒せないものなどそれこそこの世には数えるほどしかいまい。よって我らの勝利は八割方確定している」

「だけど敵を見つけない事にはどうしようもない、って事か」

「そうだ」

 ウェイバーの引継ぎに綺礼は頷き、更に続ける。

「ただ闇雲に捜し回るのは明らかに効率が悪い。それならば、最初から君達をこの場所に集める必要性すらもない。故に──ライダー」

「おぅ?」

 ウェイバーと共に御者台にどっかりと腰掛けていたライダーが突然名指して呼ばれ、けれど驚きもなく反応した。

「おまえには陣頭指揮を執って貰いたい」

「ほぉ……」

 ただキャスターとそのマスターを討てと命ずるのなら、わざわざ貴重な時間を割いてこのような場を設けない。
 ただの先の取り合いでは恐らく、甚大な被害が出る。未然に防ぐ為にはこちらも相応の指揮力を発揮し、全員が無駄なく動ける状況を作り上げる必要があった。

 その筆頭に挙げられるのがライダーだ。征服王を名乗るライダー──イスカンダルはその手腕により随一の帝国を築き上げた。軍略においても数々の画期的な戦術を生み出し、世界にその名を轟かせた男だ。

「この場を取り仕切る上でおまえ以上の者はいないと思うが、どうか?」

「ふぅむ。まあ別に構わんがな。やるからにはキリキリ働いてもらう事になるぞ、貴様ら」

 居並ぶサーヴァントを睨め廻すライダー。セイバーは兜の下で何を考えているのか不明であり、アーチャーは苦笑を漏らしただけ。アサシンもまた無言を貫き、バーサーカーだけが口を開いた。

「あら、征服王さんともあろうお方が女子を扱き使おうって言うの?」

「イヤなら余の戦車に乗って高みの見物とでも行くか? 荷物か手慰みかどちらかを選ばせてやるが?」

「ふふ、遠慮しておくわ」

 クスクスと笑うバーサーカーと大笑するライダー。その間でウェイバーは、この二人は今まで出会わなくて良かったと嘆息する。妙に波長が合っているようだし、もしかち合っていればどんな言葉が飛び交うのか分かりもしない。

「意見がなければライダーに任せるがいいか?」

 綺礼が採決を取っても特に反論はない。誰もが自らが指揮を執るよりも慣れた者が執る方が確実だと思っていた。

「ではライダー、後は任せよう。私は補佐に回る」

「おう。じゃあとりあえずだがな、目標の姿を見た事がある奴はいるか?」

「恐らく、私だけだろうな。あの女は最初の一夜だけこの冬木に留まり、その後は隣市に身を隠し力を蓄えていたようだ。夜──この冬木市を出た事がなければ、まず出会ってはいない。
 ただ敵はマスターであり、サーヴァントを従えている。近づけば気付けるだろう」

 マスター同士が互いを感知し合うように、サーヴァントも互いを知覚する。この状況を遊びと捉えている節がある敵マスターは、自らが発見される可能性を残しているに違いなく、その最たるものがサーヴァントというわけだ。

「ふぅむ……」

 刻々と時間が過ぎていく。刻限まで残り十五分を切っている。最悪でもそれまでにはそれなりに指揮系統を統括した状態に持っていかなければならない。

 だが現状、この広い街で人一人を見つけ出すという事は、砂漠でダイヤのたとえに似ている。指揮を巧く纏め上げても、後は運による遭遇の可能性も期待と考慮にいれなければならない。

「如何せん数が少ないな……サーヴァントとはいえ、これだけの数だけじゃあどうあってもそれなりに時間がかかるぞ」

「アサシン」

「はっ」

 綺礼の呼び声に応じるように、教会周りより現れる無数の白面。そのどれもがこの場に最初から居たアサシンと同じ面をつけており、けれど体格や性別が異なる存在であった。

「お、おい……なんだよこれ! これ全部アサシンか!? こんな奴らに、ボクらは狙われてたって言うのか!?」

 狼狽えるウェイバーの吼え声はもっともだが、綺礼が本当に本腰を入れてアサシンを運用していれば生き残っているのは切嗣くらいのものだっただろう。本来一枠しかない英霊の座に無数にあるという異常は、それだけ高いアドバンテージである。

「おい貴様、手の内はさっさと明かしておけよ。でなきゃ兵なんぞ率いれるか」

「出来れば隠しておきたい手札だろう? 誰だって切り札は最初に見せたくはないものだ」

「ふん、喰えん奴だ。だがまあ、これならいけるだろう」

 ライダーを除く三騎の英霊、総勢四十に及ぶ暗殺者の英霊。これだけの数があればやれるとライダーは口にする。これだけの数になれば、充分に軍略の域だ。

 ふわりと手綱を引き、神牛がライダー達を乗せたまま空に浮く。まばらに灯る街並みを遠景と見通し、地形をその眼に焼き付け、頭の中で戦略を構築する。
 己が手駒の能力についてはライダーも詳しくはない。晒していない能力を持つ者など、幾らでもいるだろう。

 だが此度の戦いは戦争ではない。敵の発見だ。実力よりも優先されるべきは索敵範囲と機動力。後は各々の連絡手段を構築すれば、充分に運用可能。

「じゃあ、概要を説明するぞ」

 降り立ったライダーは手際よく指揮を執る。

 各サーヴァントの索敵範囲と機動力を考慮し、陣形を構成。最も速度のあるアサシンの半数を先遣とし死者の駆逐に当てる。後衛に綺礼を据え、大将であるライダーと密に連絡を取り合い全体の俯瞰とアサシンの運用を行う。
 本命の索敵範囲を徐々に縮めつつ、現れるであろう死者の群を順に駆逐していく布陣。

 その他諸々、およそ寄せ集めのメンバーを指揮しているとは思えない手際の良さで次々に指示を出していく。

「ま、この辺りが妥当だろう。これ以上詰めるには時間も兵力の確認もなけりゃ無理だ。後はまあ、俗な言い方だが現場の判断という奴だな」

「上等だ。バラバラに散るよりもよほど効率は良い」

 迫る刻限を前に一応の体裁は整った。

「んじゃあ、ま。鼠捕りと行こうぞ!」

 ライダーのチャリオットを先頭に各員が散っていく。方々に散り行く遊撃要員であるアサシン。上空より大体の位置を確認しながら携帯で綺礼に指示を送りつつ、出陣の布陣を作り上げる。
 その手際は見事の一言だ。即席の面子でこれだけの指揮を執れるものもそうはいまい。

「────時間か」

 綺礼が呟く。その刻限、僅かに顔を覗かせた月明かりが合図であるかのように、遥か上空からライダーの進軍命令が下る。

「征くぞ者共! これより開戦である────!」

 午前零時────状況が、始まる。


/Murder Game


 静まり返る街並みをすり抜け、時臣はその門前に立った。

 遠坂の屋敷より程近い場所に聳える一軒の巨大な洋館。聖杯戦争の原点たる御三家が一──マキリの名を継承する間桐邸の前に立つ。備え付けのインターホンを鳴らせば、皺枯れた声が返ってきた。

『参ったか。鍵は開いておるからの、入ってくれ』

 間桐臓硯の声を聞き、時臣は構築されている結界を抜け、屋敷の中へと踏み入る。

「待っておったぞ、遠坂の」

「このような夜分に申し訳ない。折り入ってお聞きしたい事がありまして」

「ふぅむ、そうか。まあ積もる話もあるじゃろう、とりあえずは客間へと案内させて貰おうか」

「ありがとうございます」

 にこやかな笑みを浮かべる時臣と、何処か威圧的な嗤いを浮かべる臓硯。互いが互いの腹の中を見せもせず、厚い猫の皮を被って表向きの体裁を取り繕う。
 これはあくまで話し合いの場であると、玄関先で両者の了解は得られた。時臣にしてもそれはありがたい申し出だ。この屋敷は既に臓硯のテリトリー。戦うにしては余りにも分が悪いフィールドだ。

 それに時臣は雁夜の話を全て鵜呑みにしているわけではない。真実を己が目で見届ける為に敵地へと踏み込んだ。
 しかし雁夜の弁が嘘出鱈目であり、この屋敷へと誘い出す罠であったとしても。雁夜の弁が真実であり、桜を救い出す決断を下す事になろうとも。

 どちらにせよ──戦いは避けられないものであると思ってもいる。

 堂々と握り締めるステッキがその証だ。臓硯も時臣を迎える際にちらりと一瞥をくれていた。どのような用件で時臣が訪れたか、知ってはいるようだ。

「鶴野よ。茶を用意してくれんか」

「はい。少々お待ちください」

「いえ、お構いなく」

 この辺りもただの社交辞令。間桐家の長男である間桐鶴野は臓硯の命令に恭しく従い、茶の世話をする為に客間を辞した。
 時臣はソファーに腰掛けたまま油断なく周囲を見渡す。何処か鬱屈とした印象を受ける客間。電灯が灯っている筈なのに、それでも薄暗く感じるのは何かの錯覚か。日の当たる場所を拒む吸血鬼のように、臓硯が笑った。

「ふむ。そういえば、外は何やら騒がしいようじゃが、何かあったのかの?」

「ええ。少しばかり常識を逸したマスターがいましてね、その討伐に皆駆り出されているといわけです」

「ほほぅ。お主は出向かなくて良かったのか? マスターとしてだけではなく土地の管理者としての責務もあるだろうに」

「ええ。優秀な弟子と有能なサーヴァントに全て任せてありますので。私が直々に赴く必要などありますまい。
 何らかの不備があった場合の尻拭いくらいはするつもりですが。まあ、万に一つもそんな事はないでしょうがね」

 あくまで優雅の体を崩さない時臣。既に腹の探り合いは始まっている。弱みを見せず、あくまでも対等に──否、むしろこちらが上であると思わせる風体を取り続ける。

 鶴野が持て成した紅茶にも時臣は手をつけない。遇されたものを無碍に扱うのは行儀が悪いが、今日この場だけでは別。敵地で飲む茶ほど、苦いものもあるまい。

「──さて、臓硯さん。遠坂と間桐の間に交わされた不可侵条約がありながら、こうして招いて頂いた事に感謝します」

「なに、そのような条約の前にワシらは盟友──遥か二百年も前に契りを交し合った仲ではないか。廃れ行く我が家系に、養子まで出して貰っておきながら、無碍に出来る筈もあるまいて」

 やおら切り出した時臣に、臓硯は笑って応える。別段忌避するような内容ではないのか、話の矛先を逸らそうともせずに、むしろ先を促してさえくれた。

「ええ、話というのはその養子──間桐桜についてです」

 ここであえて間桐という名称を用いたのは、あくまで桜は既に間桐家に籍を置く存在だと時臣も認めている、と確認させる為だ。

「……ほう? 桜がどうかしたかの? 今のところは順調に間桐の流儀を学んでくれているが?」

「少しばかり妙な話を小耳に挟みましてね。遠坂より出された桜は間桐家の後継者として魔道を学ぶのではなく、臓硯さんの傀儡として遊ばれている──とね」

 鋭い眼光を視線に乗せて、核心を単刀直入に衝き入れた。迂遠な物言いは逆効果。自身に数倍する時を生きる妖怪を相手に、口車で勝てると思うほど時臣は愚かではない。
 問うべきを口で問い、質すべきは自らに刻み込んだ魔道にて決着を着ける腹積もりであった。

「カカ! それはそれは異な事を。何処の阿呆がそんな戯言を憚ったかは知らぬが、名誉毀損もいいところじゃなあ。
 ワシは正しく桜に教育しておるよ。魔道の何たるか、間桐の魔術の何たるかをな」

「ふむ……。まあ確かに、私に教えてくれた者もモノがモノでしたのでね。戯言、虚言、罠など幾つもの可能性は考慮に入れておりました」

「うむうむ。そうじゃろうそうじゃろう。あるいは誰かが間桐と遠坂の仲違いを狙ったのかも知れんのぅ。情報提供者に吹き込んだ者がいるとすれば、そうさの。アインツベルン辺りが妥当か。
 我らが争い最も喜ぶのは彼奴らであるからの。此度の聖杯戦争のマスターも、外道であると聞き及んでいるのでな」

 まるで意に返さないとばかりに言葉を並べ連ねる臓硯。但しその隙を──時臣は見逃さない。

「ところで臓硯さん。何故貴方は今私に情報を齎した者とアインツベルンを乖離して話されたのですか? 確かに、我らが合い争えば彼らが最も利を得るでしょう。ならば単純に、彼らからの情報とは思わなかったのですか?
 あるいは────臓硯さんは私に情報を齎した者が誰であるか、御存知ですかな?」

「────」

 余りにつまらない失態であった。情報の取捨選択。自らが知り得る事と本当の当事者しか知り得ない事。その乖離さえ出来ないのであれば、時臣の思う壺であった。

「ふぅむ……まあ、この程度は出来ぬとな。いやいや、すまんかった遠坂の。どうやらワシはお主を安く見過ぎていたようじゃな」

 応じる臓硯の一手は挑発。時臣を格下と見ていたと憚る事で、自らを相対的に上位に置くと共にプライド高き時臣の心を煽り立てる。
 だが、その挑発こそが安過ぎる。常に優雅たれと戒める時臣に、そんな戯言が通じる筈もない。

「つきましては間桐の翁。事の真贋を──私自身の目で確認させて頂きたい」

 遂に結論を口にする。この問答により、臓硯の腹に抱えているものが見えてくる筈だ。

「……なるほど。して、桜の様子を見て、どうするつもりじゃ?」

「私はただ、私自身に科せられた責任を果すのみです。魔術師としての責、魔道の頭首としての責、そして──父親としての責任をね」

 その為にこそ時臣はこの屋敷に踏み込んだ。土地の管理者としての責任を弟子とサーヴァントに預け、自らの咎を解消する為に。

 この場で臓硯が取るべき手はただ一つ。時臣と桜を逢わせない事。事が事実であれば尚更──そして違う場合でも拒絶するだろう。これ以上先は間桐の管轄であり時臣が踏み込んでいい領分ではない。
 もし仮に時臣が遠坂の屋敷に第三者が踏み込んだとして、同じ問答を繰り広げたとするのなら、確実に実力で排除する。

 他家に一々と口出しされてホイホイと受ける馬鹿が頭首になぞなれる筈もない。臓硯が詰問するとすれば、最初期の段階──養子に出す段階でこそ事実の確認をするべきだったと憚るべき。

 遠坂の手を離れ、間桐に入った桜は既に時臣の手の届かないところにある。そして臓硯の応答、問答を承知の上で時臣は乗り込んだ。
 いつでも動けるように手足には知らず力が篭り、左手はステッキに象眼されたルビーを撫でる。

 闘争は不可避──死を賭して、時臣は自らの責任と向き合う決意をしたのだから。

「よろしい。では桜と逢って行くが良い」

「…………なっ」

 だからこそ、臓硯の方が一枚上手であった。

「どうした? 我らが工房に案内致そう。ついて来ぬか」

 杖を支えに立ち上がった臓硯を、半ば呆然と時臣が視線を滑らせる。

 ……甘かった。こんな展開は、予想していなかった。

 魔術師にとって神秘の塊である工房を他の魔術師に見せようとするその異常。他家の問題に口出しをした部外者を招き入れたその異常。時臣が謀るには、臓硯という男は存外巨大であったらしい。

「……わかりました。お願いします」

 知らず声のトーンが落ちる。これより先は、本当の意味での魔窟。時臣ですら歯が立たないかもしれない牢獄へと自らで踏み込む。

 一つ呼吸を刻んで普段通りの顔を取り戻す。そうとも──目の前にいるのは化物だ。生に執着し、聖杯に寄生する文字通りの妖怪。時臣など足元にも及ばない年月を生き抜いた老獪だ。

 それでも。時臣は歩みを止めない。身に刻んだ魔道の果て、我が子の幸福を願う父は──死の底で向き合わなければならない咎と出逢う。



 深海の底にたゆたう闇のように静まり返る街並みの中で、既に状況は開始されている。日付の変わる刻限、今日から明日へと変遷する時間に、闇を生きる死者の群は解き放たれ、平穏を地獄へと塗り替える為に進軍する。

 先行する白面のアサシンは、ビルの壁面を霊体のまま疾走し、死者を目視したと同時に実体化を果してダークを投擲する。
 腐り溶け落ちる死肉を引き摺る死者の首筋に寸分違わず突き刺さる短刀。ぐらりと揺れた死者はそのまま仰臥し──けれどすぐさまゆっくりと立ち上がりだした。

「…………」

 仮面の下でアサシンは訝しむ。人体の急所に確実に命中しておいて息を吹き返すなど、有り得ない。サーヴァントでさえ首や心臓を貫かれれば死滅する。

 死徒と呼ばれる存在は復元呪詛という呪いを以ってして時間を巻き戻し傷を治すと言われているが、目の前の死者にその兆候はない。黒塗りのダークに首を貫かれたまま、意志など灯らない虚ろな瞳で前だけを見据えている。

 異常。有り得ない怪異を前に、それでも稀代の暗殺者は冷静に跳躍を果し死者の後ろを取り、突き刺さったダークを掴んで引き抜いた。
 骨まで既に溶けかかっているのか、大した手応えもなく首を寸断された死者は、それでも──前に向かって動き続ける。

 デュラハンでもあるまいし、首を削ぎ落とされて生きていられる生物など──

「前提が、違うのか」

 くぐもった声を発し、両手に短刀を掴んだアサシンは、今度こそと四肢を両断し完全に動きを縫い止めた。
 びくりびくりと跳ねる動きをする死者だが、手足がなければもう動けない。再生の兆候もなく、これでその行動は阻害された。

 だがその事実は面倒極まりない結果だ。この死者を倒す為には殺すのでなく動きを止める攻撃の方が有効。殺人に特化するアサシンにしてみれば、そんな回りくどい行為は面倒極まりなかったが、やらなければ朝日は拝めない。

 アサシンの目を通して見ているであろう綺礼には既に情報が齎されているだろうし、連絡はすぐさま全体に伝播する。彼はそのまま、次なる獲物を求めて闇に飛び込んだ。

「妙だな……」

 開始より二十分弱。遥か高空──戦車の上からサーヴァントの眼力で街全体を俯瞰し、携帯で綺礼とやり取りをしつつ各アサシンへ、そしてセイバーらに指示を出し続けるライダーが嘯いた。

「何がだよ? って言いたいけど、ボクにだって分かるぞ」

「うむ。敵の数が異様に少ない」

 高層ビルの乱立する区画を疾走する眼下のサーヴァント達は、目に付いた死者を駆逐して行ってはいるが、明らかに数が少ない。通りに一体か二体程度しかいないのでは、どこが大量の死者だと言うのだろう。

「それに、街も妙に静かだな……」

 午前零時を回っているとはいえ、現代では人の営みが休まる時間はない。こちらとは対岸の深山町ならまだしも、発展途上で都市としての形を形成しつつある新都にしては、余りにも人気がなさすぎる。それこそ──街自体が死んだように眠っている。

 サーヴァントが行軍する上でそれは好都合ではあるのだが、明らかに妙だ。死者しかいない街。まるで既に──死都となってしまったような……

「おい言峰とやら。我らは謀られたかもしれんぞ」

『なに……?』

 現代利器を片手にライダーは冷やかに告げる。

「確かにその書状、零時に開戦とあったよな?」

『ああ、間違いない』

「だがもしそれすら嘘だったとしたらどうする? 余らを一つところに集めておいて、もっと早くに事を起こしていたとしたら」

「おい、まさか……」

 ウェイバーが最悪の想像をする。そう、そもそもからして招待状と銘打たれた書簡には何の信憑性もないのだ。それすらも虚偽で彩られており、もっと早く──それこそ一時間も二時間も前に死者が街に解き放たれていたとしたら……

 ────既にこの街が、地獄の釜と化している。

「そんな馬鹿な!? 少なくとも、ボクらが教会に向かう道中にはそんな連中いなかっただろ!?」

「その辺りまで織り込まれてたとしたら、余らの負けくさいが……流石にそりゃ狡猾に過ぎる。おい、全員の進軍速度を上げろ。対岸の町の方が危ういかもしれん」

 綺礼に指示を飛ばしつつ、ライダーは神威の車輪を繰って先行し、未遠川上空へと迫る。

『ライダー、先行するアサシンより情報が入った。やはり深山町の方が敵数が多いようだ』

「おう、こっちでも確認した。うじゃうじゃいやがるな、これは」

 橋を渡り終えた先から見下ろす暗闇に沈んだ深山町。そのそこかしこに明らかに普通の人間ではない風体の死者が群がり闊歩している。暗闇に灯る赤い瞳。意志なき人形が、生ある者を引き摺り込もうと闊歩する。

「セイバーらに橋を超えさせろ。新都にはアサシンを数名残し掃討の続行を、残りは全員でこっち側の敵を駆逐するよう指示しろ」

『了解した』

 ライダーもまた空を滑空し、低空飛行を続けながらに目に付く死者を轢き殺していく。遅れて町に侵入したアサシン、セイバー、アーチャーらも即座に戦闘態勢に入る。

 手にした剣で目に付く死者を片っ端から切り裂いていくセイバー、縦横無尽に道路や民家の屋根を走りながら手にする弓矢で穿ち続けるアーチャー。最速の機動力でもって速やかに敵の首級を、四肢を刈り取っていくアサシンの群。

 道路を埋め尽くす死者の列も、人外の存在である英霊の前ではただの木偶。切り払われ穿たれ削ぎ落とされて少しずつその数を減らしていく。
 無論、街の規模を思えば目の前の連中など何十分の一かも知れないが、こちらも有能な頭数は揃っている。

「民家の中も索敵範囲に入れておけ。奴らが人を食い物として増殖するのなら、中にいる確率も相当だろうからな」

 とりあえずは、順調。出遅れにより幾らかの民家には既に被害が出ているだろうが、街一つ潰されるような損害はこのまま行けば出ないだろう。
 元より犠牲をゼロで済ませるなど不可能な作戦だ。街に対して運用できる人数、敵の数が膨大に過ぎる。

 更にそもそもからして、敵の狙いが分かりにくい。一般の魔術師でさえ楽に狩れる程度の死者を街に放ったところで、サーヴァントを相手にすればどうなるかなど目に見えている筈だ。
 数の暴力で押し切ろうとしたのかもしれないが、撫でる程度で刈り取れる敵ならば、並み居る英霊達の敵ではない。

 それともこれ自体が何かのカムフラージュであり、目的の主眼は別のところにあるのだろうか。それならば、この余りに稚拙な作戦にも納得がいくが……

「とりあえずは本命の位置を特定したいが、おい坊主」

「なんだよ?」

「何か気付くような事はないか? 余らでは気付かないような小さな違和感が」

「違和感……」

 もう一度高空に馳せた戦車から身を乗り出して眼下を見つめるウェイバー。深海に沈んだように暗闇に閉ざされた街並み。薄い霧が舞う夜。曇天はその厚みを刻々と増して行き、いつ降り出してもおかしくはない状況。
 颯爽と走る人影はこちらの軍勢であるセイバーやアーチャー達。一刀の元に薙ぎ払われ朽ちていく死者の数は、それこそ数えるのも馬鹿らしい。

 その中に妙なものを探し出す。いや、この状況から既に異様だが、更にその中にある違和感を──時折感じる確かな胸のつっかえを探そうと目を凝らし……

「そうか……この街──!」

『ライダー、悪い報せだ』

 ウェイバーが何かを言おうとしたところで綺礼からの通信が割って入る。

『新都の南方──隣町から続く公道に、大量の死者を確認したと報告が入った』

「な、なんだって……!?」

「チッ、そっちが本命か」

 敵がどこまで読んでいるのかは知らないが、ライダー達を一度深山町に惹き付けておいて更なる大軍団を新都へと侵入させる。こちらの動きを翻弄しようとする策か。

「なるほどな。やはりこいつら、元から目的なんかないな。ただこの状況を愉しむ為だけに駒を動かしておる。
 余らを翻弄し、うろたえる姿を見てどこぞでほくそ笑んでおるのだろうよ。胸糞悪い奴もおったもんだ」

「ど、どどどうすんだよ!? こっちもまだ全部倒し切れてないのにあっちにはまだ大群が──ひぎゃ!?」

「ええい、やかましいわ。おい言峰、他の連中の指揮──貴様に任せるぞ」

『何……?』

 綺礼の訝しみは当然だ。実際の指令を出しているのは綺礼でも、指揮を執っているのはライダーだ。後方よりのサポートを任された綺礼に、現場上空から全体を俯瞰して指示を出し続けていたライダーの代わりは務まるまい。

「ライダー、おまえ……まさか」

 久々のデコピンを喰らい赤くなった額を擦りながらにウェイバーが呟く。

「おう、余は敵の本丸を叩く」

『……目算はついているのか?』

「ああ、任せろ。この死者連中、頭を潰せば消え去るような類だろう?」

『そうだ。これらは死者であって死者ではない。死徒が血を吸い作り上げられる眷属ではなく──ただの死体。朽ちた身体を動かしているだけだ』

 ────死霊魔術(ネクロマンシー)

 死者に堕とし死徒に成る吸血鬼の初期段階ではなく。正しく人間の成れの果て。命を終えて消えた灯火は灯る事無く、残った残骸を組み上げ術式を以って駆動させる操り人形。古来より続く人を弄ぶ魔術の典型だ。

 だからこそ急所への攻撃は意味を成さない。死んでいる者を殺すなど、それこそ有り得ない力でもなければ不可能。
 そう──この戦いの主題は綺礼が教会で宣誓した通り鬼ごっこでありかくれんぼ。蔓延る死者の駆逐はあくまで次善。最善は操り主の始末にある。

『操り人形は糸を切られれば動かない。操る者を殺せば動かせない。原理は同じだ。術者を止めれば死者はただ土に還るのみ』

「ならその方が手っ取り早い。被害拡大の抑制と足止めさえ果たしておけばそれでいい。三十分もかからず仕留めてやる」

 暫しの黙考の気配の後、綺礼は答える。

『分かった。ならばこちらは任されよう。確実に頭を潰してくれ』

 そうして通信は切断され、ライダーは携帯を閉じた。

「おまえ……本当に当てがあるのかよ?」

 この広い冬木から人一人捜す事の難しさ、姿も顔も知らない人間を見つけ出す困難さ。分からないライダーではない。
 これまでの戦況から、敵を見つけ出すヒントでも得たというのだろうか。

「たわけ。サーヴァントの仕事は敵を蹴散らす事にあるのなら、見つけ出すのは貴様の仕事だろう」

「は、はぁ────!?」

 あっけらかんと、そんな事をのたまった。

「坊主先程何か言いかけたよな? あれは何かに気が付いたんじゃないのか?」

「それ、は……」

「ほれ、なら言ってみせい。余は貴様の発見に賭けたのだ。大見得切った以上は我らが総大将を討ち取らんわけにもいくまいて」

「おまえな……」

 そんな理由で、自らの指揮権を放棄したというのか。ライダーが指揮を執り続ければ確かに被害は何れ喰い止められるだろう。綺礼がやるよりも巧く、そして早く。
 ただそれは被害を喰い止めるだけで防げるわけじゃない。今なお何処かで見知らぬ誰かが食い荒らされ、傀儡と成り下がっている事だろう。

 より大きな被害を防ぐ為には敵の頭を叩くのが最善。後顧の憂いなく頭を潰さなければ何度でも死者は蘇る。

「…………」

 それでも、ウェイバーは不安だった。何の公算もなくウェイバーの発見に賭けたライダーの思惑。自らに課せられた重責。この土壇場で、何故ライダーはウェイバーにそんな重大な事を託そうとするのだろうか。

「案ずるな、坊主は余のマスターだろう? ならば胸を張って己が主張を口にせよ。
 臆するな、我らが敵を討たねば街が消えるとしても問題などない。倒せばいいだけの話だろう?」

 そんな楽観は既に聞き飽きた。この男は、こんな風を装いながらに狡猾だ。馬鹿な振りをしながらその実強かに全体を俯瞰する実力を持っている。でなければ、世界を馳せようなどと夢を見ず、彼に付き従おうとする臣下もいなかった筈だ。

 馬鹿な夢を現実とする為の強さを持つ男──征服王イスカンダル。彼がウェイバーに期待を賭けたという事は、それなりに勝算を見たからだろう。

「本当、おまえには呆れる。おまえに付いていった連中、後で後悔したんじゃないか」

「さあな。他の連中の心情など余に測れるものか。余はただ余の思うままに、世界を駆け抜けたまでよ」

 ああ──だからその在り方こそが、眩しいのだ。
 そして少しでもその輝きに近づけるように、共に担えるように──ウェイバーもまた、己の役割を果たさんと欲する。

「ライダー、ボク達最初に気付いたよな、街が静か過ぎるって」

「ああ、それがどうかしたか?」

「あの時はもう街の人達が襲われた後なんじゃないかと思ったけどそうじゃなかった。だとすれば、余計におかしいんだ。この静か過ぎる街の在り方が」

 深山町はほとんどが闇に沈んでいるが、この町のあり方からすれば然程おかしな事でもない。日付の変わった刻限、大半の住人が床に就いているだけの話。
 新都はまだ明るく人工の光が灯っている。けれど人の姿はやはりなく、影絵の街のようにただ在るだけだ。その異常──その街の静けさにこそ、敵マスターの居所を示すヒントがあった。

「街は眠らされているんだ。抗魔力を持つボクら魔術師やサーヴァントならともかく、普通の人達は魔術によって眠らされている」

 並み居る魔術師達でもすぐさま気付けないような極少量の眠りの魔術。街全体に薄く引き伸ばされた霧に混ぜ込まれた魔術の香りは、高空より俯瞰していたウェイバーだからこそ違和感に気が付けた。

 ただこれほど大規模、街全体を眠らせる魔術などそう容易なものではない。超巨大な魔法陣を敷く、あるいは複数の基点を作成するなどの入念な準備がなければ、現代の魔術師でも街一つ眠らせるなど難しい。

 しかし綺礼が言うにはこの夜まで敵のマスターは冬木にいなかった。だとすれば、そんな陣を敷く時間とてなかった筈だ。

「だけどこの街にはそれ以外の方法がある。この土地には街全体に根を張り、一つ処に帰順する霊脈が流れている」

 簡単な話。川上から毒を流せば、下流に住む者達はその毒の影響を色濃く受ける。その毒こそが眠りに誘う魔術であり、静けさの正体。知らず眠りに落ちる住人、この街の最上流に位置する霊脈の拠点こそは──

「──柳洞寺。そこにきっと、マスターがいる!」

 にやりと。ライダーが笑う。

「ふん、坊主。やれば出来るじゃないか?」

「あんまり当てにするなよな。確かに柳洞寺はこの街一番の霊的拠点だけど、他にもそれらしい場所はあるんだ。あくまで一番可能性が高いだけって話で、しかも仕掛けだけ施して本人はいない可能性だってあるんだから」

「相変わらずその後ろ向きな思考だけはどうにかならんのか。行っていなけりゃ他を捜せばいいだけの話だろう。虱潰しに当たれば、いつかはぶつかる」

「そんな悠長な事言ってる時間はないけどな」

「まあ──行けば分かろう!」

 力強く手綱を引けば、神牛が嘶きを以って応える。空を掴む蹄と車輪は雷光を発し一路──円蔵山に構える柳洞寺へと走り出した。



「チッ────」

 舌打ちをしつつキャレコ短機関銃を乱射する切嗣。午前零時を回り屋敷の外へと躍り出て──アーチャーに隠し持たせた携帯が拾った音声に齎された情報から、遠坂邸へと出向いた時には既に遅かったらしい。

 舞弥からも連絡は受けていたが、念の為と暗闇に閉ざされた洋館の周囲を油断なく睥睨してみたものの、やはり人の気配らしきものはなかった。
 ついで間桐邸に向かおうとした矢先に無数の死者が列を為し切嗣に襲い掛かってきて、その迎撃の為に銃を抜いた。

 主戦場が新都ではなく深山町になった事は切嗣にとって面倒極まりない事であった。教会に集合しなかったと思われる遠坂時臣、間桐雁夜の両名はどちらもが深山町に根を張る一派だ。

 その背を撃つのは容易くとも、こうも横から邪魔立てされては屋敷に近づく事さえままならない。一体一体の戦闘力は大した事はなくても、数の暴力は人間であり魔術師である切嗣にとっては手痛いダメージになりかねない。

 今は距離を取りつつ駆逐し、迂回しながらに間桐の屋敷を目指しており──

「あれは……」

 その最中に、一人の人影を発見した。
 草臥れたパーカー、何処かぎこちない歩み。背を丸めたままそれでも一心不乱に坂道を登っていく後姿。

 ……間桐雁夜、か?

 切嗣は雁夜との直接の面識がない。情報として顔写真も見た事があるが、背中を向けている現状では分からない。たとえ見たとしても、変わり果てた雁夜を雁夜と認識できるかどうかは微妙なところであったが。

 何れにせよこの街の置かれている現状から推測される人物は数少ない。街全体が眠っている今、活動している人間は等しく“こちら側”の人間だ。確認など不要、無防備に晒したその背中を撃ち抜くと──魔銃を引き抜き、

「クハハハハハハッ!」

「────っ!?」

 突如背後より聞こえた哄笑に咄嗟に反応し、切嗣は側転で以って繰り出された魔術をやり過ごした。

 未だ死者の蔓延る街に、二人の男が対峙する。切嗣の前──三十メートルほど下った先に立つ男は、両手に炎を纏わせている。恐らくはその炎を活用し、切嗣に攻撃を仕掛けてきたのだろう。

 ただ、切嗣には男の風体に心当たりがなかった。炎を主武装とする時臣とはまるで違う何処かギラついた瞳が印象的な妙齢の男。
 視線を滑らせ令呪の反応を確認する。相手がマスターであるのなら、何かしらの反応がある筈だったが、一画を失ったままの令呪には何の兆しもない。

 ならばその存在はイレギュラー。聖杯戦争に関与しない第三者。あるいはお零れを狙いに来たハイエナか。

「いや、違うな……」

 切嗣は自らの考えを即座に否定する。心当たりがない。その言葉こそが嘘。切嗣は知っている、炎を扱う術者の存在を。緒戦を終えた朝──教会墓地で発見した、見知らぬ誰かの魔術痕を。
 ハンターとしての嗅覚が告げている。目の前のこの男は同業者──命を刈り取る事を日常とする同類であると。

 ……マスターかと思っていたが、違うのか。まあいい。敵対するのなら、刈り取るまで。

 冷えていく心をそのままに、熱い視線で敵手の一挙手一投足を捉える。手にするは魔術師殺しの魔銃。

「残念だが。僕と出会った事を不幸と思え」

 敵に意志の確認すらなく。邪魔立てする全てを狩り尽くすと、衛宮切嗣が地を蹴った。

 左手に構えた短機関銃の掃射。応じる魔術師は炎を壁のように展開し、銃弾の悉くを相殺する。全ての弾丸を落としきった直後、右手に炎の槍が顕現し、切嗣を刺し貫かんと飛距離を伸ばす。

 およそ槍と呼ぶには長すぎる炎の一撃。切嗣は後退からの横っ飛びで、民家の塀を壁代わりに姿を隠す。

 そのまま距離を保ったまま町中を駆け、蔓延る死者を掃討しながら逃げ続ける。

 数多の魔術師を相手取ってきた切嗣にとって、初見であろうとも披露された魔術の分析は他の魔術師を圧倒するほどに的確で早い。今の一撃から読んだ相手魔術師の能力は──炎を編み上げる能力者。

 遠坂時臣のように純粋に魔力を炎に変換するような術者ではなく、一度炎の糸を成して目的物を構成する。相手の持つ針がその証左と言えるだろう。

 この手法による利点は精密にして的確な能力行使が可能な事。時臣のような純粋な炎術師は一点突破的な攻撃よりも周りへと被害を拡大する破壊工作向きの能力だ。
 その点、あの魔術師は消費魔力量を極力抑え、確実な敵への一撃を可能とし、糸という形から無限に形状を変化させる事が出来る。

 ……少しばかり面倒だが。時臣よりはやり易い。

 物理的な攻防手段と炎の特性を併せ持つ相手魔術師の能力は確かに厄介だが、精緻なまでの能力が逆に裏目に出る。時臣のように超高温で弾丸が触れるよりも先に燃え尽きるような事はなく、防がれ、それから炎の特性が弾丸を燃やすのならば、切嗣の魔弾は確実に奴の魔術回路を破壊する。

 後はどれだけ魔術回路を励起させられるかだが、その辺りもなれたもの。キャレコ短機関銃の掃射、コンテンダーに込めたスプリングフィールド弾で段階的に敵の防御を厚くさせて止めとばかりに魔弾を放つ。

「ガッ────!?」

 炎の盾が銃弾を防いだ瞬間、魔術師の回路は破壊され、身体を内側から崩壊する。魔術師殺しの異名を体言する魔弾。相手が純粋な魔術師であればあるほど厄介な能力で、此処にまた一人犠牲者が生まれた。

 確実に止めを刺す為に至近距離より短機関銃を構える。もはや魔術を使えない倒れ伏した魔術師には何一つとして脅威はない。

 そう──ない筈だった。

「…………っ!?」

 瞬間──構えた銃を乱射し、突如として飛び跳ねるように起き上がった魔術師目掛けて弾丸の雨を繰り出す。踊り狂うように道路の上で手足をばたつかせる魔術師から距離を取り、切嗣は目の前に起きた異常を観察する。

 切嗣の魔弾が直撃した時点で、魔術師は魔術を扱えず、それどころか身体的な損傷も多大なものとなる。それこそ、すぐさま起き上がるなどという行為は不可能事。ならば何故目の前の魔術師は、起き上がったのか?

「ィ……、ぁ……う、ォォ……」

 呻き声を上げて起き上がる魔術師。四肢を貫かれ、身体の到るところに被弾してなお、立ち上がる。その異常の正体こそ──フュルベールの魔術。

「……そうか。おまえはもう、生きていないんだな」

 その身体には既に自由意志が存在しない。奏者である魔術師の傀儡として、動いているだけ。四肢が砕けようと関係ない。脳が飛び散ろうと意味がない。奏者が生きている限り──死ぬ事すら許されない。

 他の死者とは一線を画す不死性を与えられた魔術師。その能力故の重用なのだろうが、これだけ壊されてもまだもがき続けるなど、一体どれだけ強力な死霊魔術によって繰られているというのか。

「…………」

 さしもの切嗣も気分が悪い。死者に手向ける言葉など持たない切嗣だが、そんな真似をする魔術師には吐き気を覚える。
 切嗣は目的の為に死を遣わす事は多々あるが、それは全て己の信念の為だ。多くを救うという信念。その為に自ら悪を被る。

 だが目の前のコレは、純粋な悪意によるもの。ただの悦楽、快楽の為に死を冒涜する反吐の出る魔術。
 ────その悪は、決して許していいものではない。

「ゥ……、アァ、……コロシ、て、クれ……」

 死者の零す渇望の言葉。生きる事を否定され、死ぬ事すら許されない。生にも死にも属さない悪夢。ならばその悪は、切嗣の理想に反する敵だ。

「僕にはおまえを殺せない。だが────」

 ありったけの弾丸を目の前の魔術師目掛けて放ち、蜂の巣にする。それこそ四肢が立たないように肉を裂き、骨を砕き、木っ端微塵と化す。それでも。目の前の人間だったモノは──死んでいない。

 血の池に仰臥し、身動き一つ取れなくなった魔術師を一瞥し、切嗣は背を向ける。教会代行者でもない切嗣では、神の御業による魂の浄化など不可能。よって、倒すべき敵は絞られた。

 遠坂時臣、間桐雁夜に先んじて倒すべき悪。地獄を謳う狂信者。この悪夢をこそ──衛宮切嗣は殺しの対象と見定めた。



 道に蟠る死者を蹂躙しながら、ライダーとウェイバーを乗せたチャリオットは円蔵山の麓へと辿り着いた。

「なんだ、この瘴気は……」

 見上げるソラに蟠る魔力の火。暗闇に灯る紫紺の色。周囲を覆い尽くす闇色の森が、戦慄くように風に揺れている。天へと続く石段が──まるで、地獄へと転がり落ちる坂道のようだ。

「行こう、ライダー」

 意を決し二人は戦車を降り駆け出す。柳洞寺には特殊な結界が展開されており、正門──つまりはウェイバーらが目指す入り口以外からはサーヴァントは侵入できないようになっている。

 いや、無理を押せば出来なくはないが、ステータスにペナルティを負う事になる。その為通常なら正門を潜る為に階段を昇り来る。ならば罠を仕掛けるには充分であるし、待ち伏せの籠城戦を行う上ではこの柳洞寺を超える要塞はない。

 しかし相手もまた完全な迎撃体制は築けていない筈。その好機を活かす為、ライダー達は街の掃討を綺礼に託し、本丸を落としにかかった。

「っ──、はぁ」

 罠らしい罠もなく、長い石段を昇り終える頃、ウェイバーはぜいぜいと息を切らす。自らの体力不足を痛感しながら、視線だけは高く前を見据えた。

「────ほぉ」

 ライダーが眼前に広がる境内を見渡しながらに呟く。きっちりと敷き詰められた石畳。彼らの眼前に現れた二人の人影を見ながら顎鬚を掻く。ウェイバーはただ、目を見開き呆然とするばかり。

「そんな、なん、で……」

 伽藍の前に姿を見せた二人の人物。一人は男。ありきたりな現代衣装に身を包んだ男。往来を歩けば何処にでもいそうな優男。けれどその存在密度が、違う。ライダーの目もその男にこそ向いている。

 逆にウェイバーはもう一人の人物に目を奪われていた。慎ましい体型。ウェーブのかかったブロンドの髪。翠緑の瞳。白い肌。

「あら? 意外に早かったじゃない?」

 凜とした声音が軽やかで、それでいて何処か楽しげに木霊する。

「なんで、アンタが、ここにいる……」

 何かの見間違いではないかと目を瞬かせてみても、目に映る光景は変わらない。無愛想に口を引き結んだ男と、三日月に嗤う少女。

「リディア……リディア・レクレール……」

 ここ数日。この街で、ウェイバーと知り合った一人の少女。
 普通である筈の……魔道となんて何の関わりもないと思っていた、友達と呼んでくれた女の子の名前を──ただ、呟いた。













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