剣の鎖 - Chain of Memories - 第一話









 ──────駆ける。翔ける。駈ける。

 先程まで水底のような闇にたゆたっていた街を照らしている月はない。薄い雲にその輝きを阻まれ、街は深海のような常闇と静寂に包まれていた。
 その暗黒の夜を切り裂くように走る青影が一つ、誰の目にも留まる事無く大地を蹴る。

「しっかりしろ、バゼット! まだ死ぬんじゃねえぞ!!」

 怒号とも檄とも取れる言葉を発するのは青の従者。透けるような青の髪と僅かに灯る人工の明かりに揺れるピアスを振り乱し、ただひたすらに走り続ける。
 その顔に映るのは焦燥と当惑。切迫した感情が本来有り得ざる程の玉の汗を額に浮かばせている。

 ────だがそれも当然。
 彼の腕の中で荒い呼吸を繰り返す女性の身体には、左腕がないのだから。

「ラ、ンサー…………」

 暗がりの中にあってなお映える鳶色の髪。その美しい髪も額に浮かぶ汗によって顔に貼り付き、苦悶の表情と唇から零れる白く早い吐息が彼女の異常を物語る。
 荒い呼吸をそのままに、薄く開いた口からはその名が呼ばれ、微かに開いた瞳が己の従者の姿を捉える。

「しゃべんな! 待ってろ、すぐ治療してやるから!」

「ごめ…………な、さ………」

 切迫した表情ながら、自分はまだ彼と共にあるのだという心がバゼットの顔に僅かながらの安堵を見せる。消耗が激しく、これ以上意識を保つ事が出来ないと悟ったバゼットは、後をランサーに託し不甲斐ない自分を呪いながら眠りについた。

 状況は刻一刻と悪化していく。
 特に出血が酷い。応急処置はしたのだがそれも長くは持つまい。今すぐにでも本格的な治療を施したいところだが追手の危険性を考えれば今この場で治療するのは巧くない。だから充分な距離を取り、安静に出来る場所が欲しかった。

 そして街中を駆けるランサーにはその場所に心当たりがあった。以前バゼットとの地形把握でこの都市を回った時に見つけたもう一つの空き家。その場所を目指していた。

「まだだ。まだ、終われねえ────!」

 街道を走っていたランサーはその言葉と共に身体を一層深く沈め、両脚をバネのように駆使し跳躍する。
 もちろん、腕の中で眠る主にかかる負担を最小限に抑えながら。






歪曲する運命/Prelude I




/1


 ──────それはほんの数分前の出来事。

「おい、バゼット。本当に大丈夫なんだろうな?」

 ランサーは訝しげな表情と共に疑いの言葉を投げかける。
 まだ聖杯戦争は始まっていないとはいえ、どこに危険が潜んでいるかは解らないし、好戦的な輩なら既に動き出していてもなんらおかしくはない。
 なればこそ、他人との余計な接触は出来る限り避けたいという考えをランサーは進言したのだが、返ってくる言葉は、

「はい、大丈夫です。彼とは旧知の仲ですから。
 何度か背中を預けて戦った事もありますし、何より彼は今回の聖杯戦争の監督役です。中立の場にあるべき人物が私達に危害を加える事はないでしょう」

 ランサーは嘆息する。
 その絶対的な信頼。無垢なまでの邪気の無さ。何より彼女の顔が余りにも嬉しそうだったから。

「…………しゃあねえな。だけどオレは霊体化して側についてるぜ。これだけは譲れねえ」

 マスターに相手を警戒する気がないのならば、自分がそれを行うしかない。実際、自分さえしっかりしていれば人の身によって降りかかる害など些細なモノだ。

 ────だがその考えこそが命取りなのだと知るのに、そう時間はかからなかった。





 背後より一閃。
 殺意も敵意も悟らせる事なく、バゼットの腕は宙を舞った。

 何をされたのかすら解らず、バゼットはただ己に先ほどまであった筈の左腕を見つめた。
 声が出ない。何故、そこに腕がないのか。一体私は何をされたのか。
 理解にすら数秒。意識の浮上と共に身を蝕むのは想像を絶する痛み。常人ならそれだけで狂乱してもおかしくないほどの痛みに襲われながら、バゼットはたった一つの意思を飛ばした。

 斬りつけた男の目的はバゼットの殺害ではない。
 故に崩れ落ちる眼前の女性には目もくれず、血の華を咲かせながら空に舞う腕を手に取ろうとした瞬間。

「てめええええええええええええええええええ!」

 具現化する暴風。
 その手に握られた紅い魔槍が閃く時、対峙する男の身体は突風に煽られるように宙を飛んだ。

「ぐっ──────!」

 吹き飛ぶ身体。苦悶の表情。漏れる呻き。
 体勢を乱した男は為す術もなく壁面へと叩きつけられ、舞い降りた腕はランサーの手によって掴まれる。

 ものの数秒の間の出来事。つい先ほどまでは何ら異常のなかった部屋は、一瞬で異界へと様変わりした。
 その地に立つのは怒りに濡れる狂犬がただ一人。崩れ落ちたバゼットの腕からは際限なく血液が漏れ出し、血溜まりを作り続けている。吹き飛ばされた男は今なお立ち上がる事が出来ていない。

 静寂が支配する空間。唯一人立つランサーに思考の猶予は無い。
 即座にこの男を殺し、一刻も早くバゼットの治療を行わなければ命に関わる。

 だが────

「チッ────まだいやがる」

 作戦の失敗を悟った神父服の男の命だろう。何者かが屋敷内に踏み入った気配を感じた。
 だがここで戦うのは余りにも巧くない。バゼットの怪我はそれこそ今すぐにでも治療を施さなければならない傷。
 戦うという選択肢が消えた今、残された道は一つしかなかった。

 ランサーは腕とバゼットを抱え、傷口に最速で治癒のルーンを刻む。
 媒体の無いルーンではそれこそ効果は最小限。止血程度の効能しかあるまい。だがこのまま血を流し続ければ出血多量死は明白だ。故に応急処置は施さなければならなかった。

 窓を割り、足を掛ける。それと同時に天に頂く月が翳りて、幽冥に空が堕ちる。それはまるで、この主従の行く末を暗示するかのような昏闇だ。
 カタチを失ったガラスはパラパラと重力に引かれ、階下へと落下していく。光のない世界に置いて、その破片が映し出す輝きは有り得なかった。
 風が出ている。破壊された窓から異界たる空間に冷たい風が入り込み、淀んだ空気を洗い流すかのよう。

 その世界(ヤミ)世界(ヤミ)との狭間で。
 憤怒の形相が見据えるのは瓦礫に塗れている怨敵。


「覚えておけ────貴様は必ず、オレが殺す」


 それだけを言い残し、月光さえ届かない奈落へと飛び込んでいく。





「くっくっ────無様だな」

 ゆっくりと開かれる扉。手入れの行き届いていない屋敷の扉は立て付けの悪い音を響かせながら開かれた。
 訪れたのは神父服の男の命により屋敷内へと踏み込んだ者だろう。追う気があったのかすら定かではないほど、のんびりとその者は室内に踏み入った。

 その者はふむ、と頷き、風の吹き込む黒い闇を一瞥した後、部屋の中央の床へと目を向けた。それはこの場で起きた出来事を物語るには充分すぎる色彩だった。未だ乾ききっていない赤い血溜まりだけが惨状の痕を残している。
 更に視線を移し、片隅にある瓦礫の山より、ようやく身体の痺れの取れた神父服の男が立ち上がろうとする様を愉快気に見下ろしていた。

「まったくだ。
 反応さえさせないとは最速のサーヴァントの名も伊達ではないな」

 立ち上がった神父服の男は纏わりつく埃を払いながら、窓の外を眺める。木々のざわめきしかそこにはない。襲撃した相手の姿形は既に黒に溶けている。
 だが神父服の男の顔には作戦の失敗による苦渋の色はなく、吹き飛ばれた事による痛みに顰める顔でもなかった。

 能面のような表情に張り付くのは愉悦。
 ただ歓喜しているように、歪に口元を吊り上げた表情があった。

「────ほう?
 失敗したというのに、何ぞ面白い事でもあったのか」

「クランの猛犬が最後に見せたあの表情……視線だけで殺せそうな眼光……心地の良い殺気。くく、どれをとっても素晴らしい」

 神父服の男は己の言葉とランサーの表情を思い浮かべ、ぞくりと身を震わせる。

「ふん、相変わらずの変態め。
 で、どうするのだ。駒を一つ取り損なったようだが?」

「構わん。取れればいい、程度のモノだったからな。むしろ愉しみが一つ増えた事を神に感謝すべきだろう」

 くつくつと笑い、祈りを捧げるように十字を切る。
 貴様のような神論者がいてたまるものか、という言葉を飲み込んだもう一人の人物は無表情のまま踵を回し、神父服の男も倣うように後に続いた。

「では戻るとしよう。この失敗がどこまで響くかは定かではないが、これ以上派手に動くのは当分控えねばならない。
 ─────解っているな、ギルガメッシュ」

 ギルガメッシュと呼ばれた男は不快気に相手を見やり、

「我に指図するな。我を動かせるのは我だけだ。
 しかし…………今は動くまいよ。
 開演前より我が動いては興が削がれる。宴は最後にぶち壊すからこそ愉快なのだ」

 響くのは哄笑。
 深い闇色の世界に、ただ哄笑だけが響き渡っていた。





/2


 沈殿する意識。
 切り落とされた思考が、ゆっくりと浮上していく。

「っ…………私、は……」

 薄っすらと開かれた瞳。滲む景色が徐々に晴れ、目の前に広がるのは最近になって見慣れた天井だった。この冬木を訪れてから毎夜見続けた天井が変わらず視界に映る。
 頭がぼんやりとして、前後の記憶が酷く曖昧だ。とりあえず身を起こそうとして、自分の身体が微動だに出来ない事をバゼットは知った。

「お、起きたか。やれやれ、峠は越えたみてえだな」

 横合いから聞こえてくるのは懐かしい声。
 この数日を共にした、本の中でしか知らなかったその人の声。

「ラン、サー?」

 首だけがどうやら動き、視界にその姿をどうにか収めた。
 ランサーはどこからか引っ張り出してきた椅子に腰掛け、頭を掻きながら安堵の息を漏らしている。
 彼の後ろにある窓からは雲の遮りがなくなった月の淡い光が、明かり取りの役割を存分に果たすべく、痩躯の槍使いの姿を美しく染め上げている。

 静かな夜だ。

 僅かに吹く風が鬱蒼と生い茂る木々の間を通り抜け、葉を揺らす音だけが響いている。それ以外の音も月と星以外の灯りもない。自然な世界にあって不自然な部屋でバゼットは横たわっている事を自覚した。

「おう、調子はどうだ?」

「え、ええ。身動きは取れませんが、意識はあります。ランサー、状況説明をお願いできますか?」

「あいよ。ここは以前に見つけたもう一つの空き家だ。覚えてるだろ? 外見だけじゃなくて間取りまでまったく同じで助かった。
 んで、今は二月一日。アンタは丸一日寝てたってワケだ」

 丸一日も……寝ていた……何故?
 それに拠点を移動するような緊急の事態なんて……

「──────っ!」

 フラッシュバックのように、バゼットにとってはつい先ほどの出来事が脳裏を掠める。
 男。訪問。歓喜。斬撃。切断。逃亡。気絶。いくつものの単語が映像となって鮮やかに、克明に、蘇り始めた。

「そう、か。私は…………」

 そこでようやく現状を把握する。
 身体全体が何かに縛られたように動かないが、特に酷いのは左腕。感覚すらないその場所に目をやり、ああ、私は腕を切り落とされたのだと納得しようとして────

「あ、れ。腕……ある?」

 その不思議が、自然に口から零れ落ちた。
 捉えた現実を直視する。感覚こそないが、自分の身体と切り離された部分とが繋がっていた。

「おう。腕持ってかれてちゃアウトだったが、どうにか取り戻せたんでな。
 オレのコイツ──」

 ランサーが指差すのはいつも風に揺れていた銀色のピアス。バゼットが彼の召喚の触媒として用いたお揃いのルーン石のピアスの片方が、今はその耳についていなかった。

「──を使ってどうにかくっつけられた。
 だがまだ外皮がくっついた程度だ。神経も繋がってないから、腕の感覚は無いだろ?」

 それに僅かながら首を縦に振るバゼット。

「ま、今はゆっくり休め。どうせ動けないだろうけどな」

 それだけを言って居住まいを正したランサー。
 その姿を数秒眺めた後、とりあえずより詳しく自分の置かれている状態を把握すべく、バゼットは己の身体を注視してみることにした。

 身体全体には斬られた直後に受けた錯乱しそうな程の痛みは既に無い。外傷も左腕以外にはなく、あったとしてもランサーが治療してくれたのだろう。
 感謝の念を一つ胸中に収め、見やるは左腕。

 肩口から指先に向かうまで自分の白い肌が曝されている。
 腕の肩寄りの部分にうっすらと線のようなモノが走っており、そこが切断部分なのだ、と図らずも理解できた。その上に淡い光を放つ文字が刻まれている。おそらくはランサーの刻んだルーンだろう。

 そして感覚のないはずの掌に何かが収められている。
 見なくても解る。感覚がなくとも感じられる。これはランサーのピアスだ。ただ握っているだけで暖かな光を発するソレは、傷口の刻印に呼応するように光を放ち続ける。

 ランサーが習得している十八の原初のルーン。
 神代にて失われしそのルーンと神代の地より受け継がれるルーン石のピアス。
 その二つを以ってようやくバゼットの左腕は繋がっていた。

「ランサー」

「ん?」

 気だるげな声。だけど今はその声が酷く心地よかった。
 だがそれもここまで。

「ありがとう……ございました。それと……すみません」

「あ?」

「私が……不甲斐ないばかりに」

 結局心弾ませていたのは自分だけだった。
 彼とはいつか巡りあえる。またどこかできっと出会える。そんな思いを持ち続け、遂に彼から直々の推薦状が届いた。喜び勇んで駆けつけてみれば、『相談したい事がある』とまで言ってきた。
 今までまったく頼りにされなかった反動だろうか。そこに警戒の色はなく、あまつさえ忠告をしてくれたランサーの言葉さえも放棄した。

 その結果がこれだ。
 腕を切り落とされ、繋がったとはいえ当分の間は身動きさえ出来はしまい。
 たった一つの思いは裏切られ、ランサーとの約束も任務の遂行すら困難。

 なんて無様。

 始まりの前に終わるなんて、惨めにも程がある。
 涙すら流れてこない。
 身を焦がすのは後悔の念。自分の甘さを、迂闊さをただ呪い続ける他なかった。

「ま……アンタが自分を責めるのは解るけどな。自分一人だけを責めるなよ」

「────え?」

 視線だけを動かし言葉の主を見る。
 銀光に濡れる青い髪をそのままに、ランサーは背もたれに預けた身体を向き直すことなく、何もない空の一点を見据えたまま言葉を続ける。

「オレにも責はある。
 マスターを守れねえ不甲斐ないサーヴァントってな」

「なっ…………! それは違う!
 貴方は私に忠告し、助けてさえくれたのに! 貴方が自責の念に駆られる必要は無い!」

 精一杯の声でバゼットは叫ぶ。
 彼には責はまったく無い。あるのは忠告を無視した私なのだ、と。

 だがランサーはそんなバゼットの思いなど知らぬ素振りで、椅子に預けていた身体をバゼットの横たわるベッドの方へと向き直し、自虐に濡れる、弱さを隠し切れないワインレッドの瞳を直視した。

「だからよ、おあいこだ。アンタもミスったし、オレもミスった。二人のミスでこの結果。
 なら今はそれを受け止めて、先の事を考えようぜ」

「先、の事?」

「ああ。まだ始まってもねえのに終われるワケねえだろ? それともマスターは、ここで降りるって言うのか?」

 口元には笑み。それは本当に、後ろを振り返らず前だけを見ている者の笑みだった。そして見つめる赤い瞳。絶対の自信を湛えるその瞳と、月の灯りを反射し片耳に揺れるピアスがこの上なく幻想的に思えて。

「──────ふ」

 自然、笑みが零れる。
 ああ、本当に。このサーヴァントはいつもこうだ。どんなに打ちひしがれても、躓いても彼は何でもないような言葉で私を励まし、前だけを見ていた。
 今起こった結果を受け止めて、そこから真っ直ぐに先だけを見つめている。

 だけどそれは居心地の悪いものではなかった。
 いつも気持ちを真ん中に置いている彼だからこそ出てくる言葉。どんなに信頼しあった相手だろうと、敵となればすっぱりとその気持ちを落とし打ち倒す。そこに後悔の念も未練もない。ただ結果を受け止めて、それでなお前に進む。

 自分とは違うその在り方を、ただ悪くないと思ったから。

 ────私は彼のマスターだ。
     ならば私がいつまでも気持ちを引き摺っている訳にはいかない。

「いえ、まだです。まだ何も始まっていない。まだ何も終わっていない。ここで降りる訳には、行かない!」

「ハッ────それでこそオレのマスターだ。
 ま、気張るのはそれくらいにしとけ。本当はまだ辛いだろ」

 その言葉に緊張の糸が切れたように瞼が重くなる。
 実際無茶をしていたのだ。腕を斬られた翌日にこれほどの時間語らうなど。

「はい。すみません、もう少しだけ……眠らせて、もらい……」

 沈む感覚に身を任せて、バゼットは己の意識を手離した。





/3


「さて……と。行くか」

 椅子より立ち上がり、ベッドで眠る主を一瞥する。
 等間隔で上下する胸。過不足なく、ゆっくりと繰り返される呼吸。表情にも苦悶の色はない。とりあえずは落ち着いているようだ。

 音を立てないように扉をすり抜け屋敷の外へと出る。
 天頂にありながら雲に翳る月の薄い光を浴びつつ、僅かの間思考する。

「まずは……アレを回収しねえとな」

 そう決めると、一足で屋敷を建てる為に斬り抉られた空間から未だ暗い闇を残す森林へと飛び込んでいく。

 戦うと決めたとはいえ明らかに出遅れるのは必死。ならば少しでも多くの情報を集めておく為にランサーは独り闇を駆ける。それが一つ。
 もう一つが前の拠点、あの神父服の男に襲われた屋敷に置き忘れてきた───持ってくる余裕などなかったのだが───バゼットの魔術礼装の回収である。

 アレの有る無しでバゼットが戦線復帰した際の戦力に大幅な違いが出る。
 人でありながらサーヴァントに拮抗、あるいは勝ち得ることさえ出来る可能性。それを放置しておくわけにはいかなかった。

 そこにまだあるという保証は無い。もしかしたら罠が張ってあるかもしれない。己が不在の間に主が危険に曝される恐れすらある。それでもランサーは出来る限りの策を巡らし、今後の為の武器の回収に走る。
 何よりも、共に戦うと決めた背中を預けあえるパートナーの為に。

 ランサーの足を以ってすれば今の拠点から前の拠点への移動など苦にもならない。早々に辿り着いたランサーは茂みにその身を隠し、まずは外から屋敷の様子を窺うことにした。

「…………灯りはついてねえし、人の気配もねえな。
 そのまま帰ったか、罠を張ってどっかから見てるかのどっちかだな」

 実際あれから丸一日経っている。
 既にこの場にはいないと判断するほうが無難だが、可能性は否定できない。

「ま………行けばわかるか」

 回りくどい行動は必要ない。一人ならどんな相手からも逃げ切る自信はあるし、戦闘になっても負けるつもりは毛頭無い。
 高速で大地を駆け、屋敷の裏手へと回る。見上げるのは階上。脱出時に破壊した窓はそのまま放置され、足元には砕けたガラスが散らばっていた。

「────よっと。
 こりゃ本当にそのまま出て行きやがったな」

 階上へと一息で昇ったランサーは室内を見回す。
 砕け散った窓ガラス。中央に乾き黒みを帯びている血痕。部屋の一角に瓦礫の山。開け放たれた扉。目の前にあるのは惨状の痕跡のみ。罠がありそうな雰囲気も人の気配も微塵もない。
 そう看破したランサーは部屋の中へと踏み入り、目的の物を探し始める。

 それはすぐに見つかった。部屋の隅に立て掛けられる形で置かれた円柱状の筒。フラガの家に伝わる魔術礼装。
 これさえ確保できればこの場所に用はない。ラックと呼ばれるその金属の筒を背負い、後は拠点へと帰還するだけなのだが────


「────こんばんわ、サーヴァント。
 こんな夜更けに、こんな場所で何をしてるのかしら?」


 ────唐突に。
 夜に木霊する鈴の音が響き渡った。

 進入した窓から降り立った地。眼前数メートル先には厚手のコートを着込んだ少女の姿があった。
 暗闇に映える銀糸の髪。僅かにつりあがった口元には妖艶ささえ漂わせ、何より目を惹く紅の瞳がその色とは正反対の冷たさを湛えている。

「お嬢ちゃんこそこんな辺鄙な場所に何の用だ、と言いてえところだが」

 ────見られていたか。

 実際今の拠点とここまではかなりの距離がある。その過程で一般人には見られずとも、同じ側の人間になら見えていてもおかしくはない。
 適当に当たりをつけてランサーは視線を少女からその脇へと向ける。

「紹介するわ。
 わたしのサーヴァント・バーサーカーよ」

 主の命に応じるように具現化する黒。
 少女の二倍近くはあろうかという巨大な影。そこに佇むだけで見る者全てを圧倒する程の存在感を持つ巨躯の従者がその姿を現した。

「まさかこのタイミングで敵マスターと出会うとはな。まったく、運があるのかねえのかわからん」

 舌打ち一つ、右手を空にかざし真紅の魔槍を手に取る。
 出会った以上、刃を交えず逃げ出すのは性に合わない。生死を賭ける戦いこそが望みなのだから。

「あら、運は良い方だと思うけど?」

「へえ。その根拠とやらを訊いてもいいか?」

 純粋な好奇心からの問い。
 それに少女は年相応の柔らかな笑みと仕草を見せ、

「だって貴方はわたし達に倒されるもの。それって余計な戦いをせずに消えれるってことよね?
 良かったね。わたしのバーサーカーは強いから、苦しまずに死ねるよ」

 年不相応の、容赦のない言葉を発した。

「────ハッ。いいね、その絶対的な信頼。余程自分のサーヴァントに自信があるみてえだな」

「当たり前じゃない。わたしのバーサーカーは最強よ。貴方なんて塵芥と変わらないんだから」

 不敵に微笑んで少女は舞うような軽さで一歩後退する。
 少女とは反対に戦いの予兆を察したバーサーカーが主を庇うように一歩前に歩み出る。ぎちりと、黒い巨人が得物を握り締める音が厭に大きく聞こえて。

「塵芥かどうかは、やってみなくちゃわからねえだろ」

 ラックを森の方へと放り投げ、槍を斜に構え戦闘態勢へ移行する。
 丁度良い。敵の情報収集も目的の内。
 なればこそ、今の段階での撤退という二文字は彼の中には存在していなかった。

「んじゃ────行くぜ?」







 刃と刃の打ち鳴らす剣戟音は、始まりの鐘の前に奏でられる前奏曲プレリュード
 指揮者と奏者しかいないその舞台で、音響はただひたすらに夜の闇に吸い込まれていく。

 開幕前の前哨戦を、此処に。













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