剣の鎖 - Chain of Memories - 第十五話









「なっ……お、おまえ」

 呻きにも似た狼狽の声が慎二の喉元からせり上がる。
 怯えを孕んだ瞳が見つめるのは下方。そこには一人の男の姿があった。それはまったく予想だにしていなかった──少なくとも慎二の中では──登場人物。だがしっかりと記憶に残っている、昼間、遊戯の邪魔をしてくれたムカつく奴。

 階下より上り来るのは青き槍兵──ランサーだった。赤い槍を携えて、上空を見据えながらゆっくりと上ってくる。
 長い石段の中腹よりやや下で足を止め、数段上に位置取るライダー、そしてその更に奥で待つ侍とを睥睨した。

「──今宵は客の多いことだ。
 して、そこの青髪の男……ランサーか。貴様は如何なる用でここへ参った」

 山門の前に佇む侍が問いかける。
 そこに敵意は無く、殺意も無い。澄み渡る静寂の水面のように無形。

「ああ、オレの用はおまえだ、アサシン。
 まさかキャスターの膝元に居やがるとは思わなくってよ。探すのに手間取っちまった」

 それに、紫紺の侍は心底嬉しそうに唇を歪める。

「はは、そうかそうか。私への客が二人も訪れるとは、今宵は真に良い夜だ。
 しかし……これはまいった。
 見ての通り、先客があってな。もてなす事など出来ぬが、暫し待ってもらえるか」

「ああ、構わねえ。
 アポなしの訪問なんだ、こっちの無粋を通す気はさらさらねぇよ」

「な、何なんだよ……何なんだよおまえ!」

 くつくつと笑いあう侍とランサーとのやり取りが気に食わなかったのか、慎二が息を荒げる。しかしそれも無理なき事。間に挟まれる自分達を無視した会話など、慎二には許容出来る筈もない。
 そんな主をライダーは苛立たしげに見やる。
 この男は自分の置かれている状況を理解できていないのか。上に侍、下にランサー、その間に位置する自分達は挟撃の目に遭っているというのに、状況を悪化させてしまうような言動は慎むべきだ。

 同じ境遇にあってもこの二人の見ているものはまるで違うものだった。それでもライダー自身も己の不手際を責めずにはいられない。何故、ランサーにこれほどまでの接近を許してしまったのか、と。

「おうライダー。昼間にあったばかりだな。そっちのガキ、それがおまえのマスターか?」

「な、が、ガキだとっ……!?」

 わなわなと震えだす慎二。その眉根も刻々と釣り上がり、この無駄にプライドの高い男をこのまま放っておけばどのような行動にでるか、ライダーにすら判らない。
 不本意ながらマスターとサーヴァントの関係を貫いてきたライダーも、この状況下で彼に横柄を働かれては不味いと思い、あまり言葉を発しない口を動かす決意をした。

「ランサー、貴方は一体どういうつもりですか?」

「あぁ?」

「先程のアサシンとのやり取り、それがどこまで本気なのか、ということです」

「どこまで? んなもん全部に決まってるだろう。
 テメエとアイツが先に戦りあってたんだ、そこに横槍は入れるつもりはねえ」

 昼間、ランサーが衛宮士郎を助けた事とこの場合とでは大きく違う。未だ手合わせをしていないセイバーのサーヴァントをマスター殺しで亡き者にしようなどとするやり方は、気に食わなかったから止めただけ。
 それがサーヴァント同士の戦いであるのなら話は別だ。ランサーにとって望むものは強き者との命を賭けた死闘。敗れ去るならそれも必定。敗北を喫し、消滅した者になど微塵の興味もなく、勝ち残った方を打倒すればいいだけの話なのだから。

「──ではランサー。私達がこの場からの撤退を選択した場合、貴方はどうしますか?」

「な、何勝手なこと言ってんだよおまえ! 誰がそんな命令をしたっていうんだ!」

 慎二の苛立ちなど意に返さず、ライダーは上と下、両方に注意を払いながら逃げ出す隙を探していた。
 この場でのこれ以上の戦闘続行など意味はない。ランサーの言葉とて、どこまで信用できるかわかったものではない。突如掌を返し背後から狙い撃たれないとも限らないし、漁夫の利でこの男だけが得をするのも容認できない。
 更に言ってしまえば、この状況が自分達を見据える二人のサーヴァントによって仕組まれたものとも考えられる。
 ライダーは慎重に慎重を期し、注意深く両者の挙動を探っていた。

 だがそれはあくまで建前。状況分析の結果でしかない。
 ライダーにあるのは唯一つ。ライダーはこのマスターを抱えた状態でこれ以上死地に飛び込めるほどの境地にはまだ至っていなかった。
 この不本意な主従の先にあるもの、守るべき者の為にも。

「いいぜ。逃げるってんならオレは止めねえ。おい、アサシン。おまえはどうだ?」

「私は元よりこの門を守る事しか出来ん。去るのならば追うことはない」

 あっさりと。ライダーの思惑の上を二人のサーヴァントの言葉が通り過ぎていった。
 この二人が一体何を考えているのか、ライダーには理解しがたい。サーヴァントが出会ったのなら、どちらかが消え去るまで戦いは続くもの。それを自らの意志で相手の撤退を許すなど、選択の埒外にある行動だった。

「──だが。タダで逃がすのもなんだ。オレの横を通りたければ、一つ質問に答えろや」

 だが事はそう上手くは運ばない。しかし既に戦局は移り変わっている。この交渉を上手く進めれば、被害を最小限に抑えられる。ならば答えなど一つ。

「……いいでしょう」

 ライダーの頷きにランサーは鼻を鳴らし、己の肩を手にする朱色の魔槍で叩きながら睨みつける。その一挙一動を見逃さないとばかりに。

「学校とか言ったか。あそこに張った結界、アレはテメエの仕業だな?」

「──────」

 確かに、それはライダーの手によるものだ。結界内に存在する全ての他者を蹂躙し、己の力へと変換する鮮やかな血に染まる神殿。
 しかしどう答えるべきか。ランサーの口調は疑問も混じっているが、半ば以上は確信があっての問いかけだろう。ただその確信を質す為だけの問い。知られているのであれば、本当の事を口にしても構わないのではないか。
 何より最悪なのは、この場で果てること。それに比べればその程度の不利益は────

「はっ、ふざけるなよおまえ! 何様のつもりなんだよ、何でそんな問いに僕達が答えなくちゃあならないんだ!
 横を通りたければ答えろ? 馬鹿だろおまえ。そんなの無理矢理通るに決まってるだろうが!」

 まるで存在を無視され勝手に話を進められた腹いせか、敵意を剥き出しに慎二は叫ぶ。場の流れなど知ったことではないとひとしきり声を荒げた。
 ライダーはもう頭を抱えるしかなくなっていた。これでおそらく交渉は決裂。ランサーとは戦わざるをえなくなった。いよいよとなれば、宝具を行使しての離脱さえ考慮にいれなければならない。
 だがランサーは怒りを露わにした慎二を見やり、凶暴な目付きで睨めつけた。

「うるせぇぞガキ。
 誰もテメエとなんざ話してねえんだよ。黙ってねえとその首掻っ切るぞ」

 赤き獣の如き眼光を受けた慎二はヒッ、と情けない声を上げてその場に尻餅をついた。ただ睨むという行為だけで、殺意を突きつけるという威圧だけで、慎二の心はまるで心臓をその槍に貫かれたかのような絶望で染め上げられた。
 五月蝿く囀る者は怯えをその瞳に宿し、ただ震えているだけ。

 天に頂く月が翳る。
 僅かな時間、静寂を取り戻した柳洞寺の石段に風が吹く。

「で、ライダーさんよ。答えはイエス? ノー? まあその小僧の反応で大体わかっちまったがな」

「……その通りです」

 ランサーの問いになど答えず、逃げ出すことも出来た。林を突っ切り、煙に巻く事も出来たかもしれない。だがそれらはあくまで可能性。慎二を抱えた状態で最速を誇るランサーのサーヴァントから逃げ切れるかと言えば、多く見積もっても三分以下。
 だからここはこれが最善。そう自分に言い聞かせて、ライダーは答えを返した。

「やっぱりそうかよ。……アレを張れと指示したのは、おまえか?」

 ランサーの瞳が慎二を見る。先刻ほどの殺意は見られないが、一度その覇気に押し潰された者にとっては、それで充分なまでの威圧感。
 故にその問いに答える声はない。ただガチガチと歯を鳴らし、身を襲う恐怖から逃れるように首を振るだけだった。

「まあ答えたくなけりゃそれでいい。ただ一つ、忠告は聞いておけ。
 アレは発動させるなよ。何の為に張ったかは知らないが、アレを動かせばおまえはあの学校にいるマスター全てを敵に回すぜ。もちろん、オレもな」

 ランサーが昼間、あの場所にいたのはただの偶然ではない。マスターからの指示を受け監視として潜んでいたからである。
 そして無論、先の言葉にも嘘はない。解呪しようとしたアーチャーのマスターは動くだろうし、セイバーのマスターは……まあ多分。といったところ。

「さて、オレからの話は終わりだ。
 約束は守る。逃げたきゃ逃げてくれていいぜ。そこの情けねえマスターを連れてな」

 ライダーは蹲る慎二を抱え、一度だけ上を見る。そこには変わらず、事の行く末を見守る侍の姿があった。
 視線を戻して何も語らず、ライダーは石段から跳躍する。元より高低差のある位置取りであったから、一度だけ近場の木を足場とし二段跳びでランサーの頭上を跳び越える。

 柳洞寺の麓に降り立ち、もう一度山門を見上げた。見下ろす形で二人のサーヴァントがこちらを見ている。
 はっきり言ってしまえば、これは屈辱だ。だが誇りよりも守るべきものがある。だからこの場は泥を啜り、逃げを打つ。

「────この借りは、必ず」

 その言葉を残し、ライダーのサーヴァントは夜に消えた。







「よかったのか?」

「ん?」

 頭上より掛かる声に気の抜けた声を返す。見上げれば、侍がこちらを見下ろしていた。

「事情は知らん。しかしあのサーヴァントは何かやらかしたのであろう? それを見逃してよかったのか」

 確かに、後の被害を憂うのであればこの場で倒してしまう事こそが最善だったかもしれない。だが現実を見れば、まだ結界を張っただけだ。その弊害は多少出ているが、そこまで面倒を看きれるほど手は空いていない。
 忠告はした。これでなおその力に頼るというのであれば、容赦の欠片もなく屠ればいいだけの話。

「ここへはおまえと戦いに来たんだ。アレはついでだ、たまたま居合わせたからちょいと質問をしてやっただけ」

 石段を上がり、間合いを詰める。
 相手の得物と己の得物。その射程を見極めたギリギリの位置で足を止め、槍を構える。

「──忘れろよ。戦場にそんなつまらねえ話の種は不要だろ」

 心地の良い殺気を浴びながら侍が笑う。
 風が止み、ざわめきの中にあった木々が押し黙る。代わりに雲の切れ間から白い月がその顔を覗かせた。

「いやはや、無粋だったのはこの私の方か。
 問答など無為。
 口にすれば、詰まらぬ言葉に成り下がる。咲かせるべきは話の花などではなく──」

 ────我らが剣が奏であう、大輪の花。






思惑の集う処/Ricordanza VII




/1


 ────時間は遡る。

 衛宮士郎が教会の門扉を叩いた頃、それを遠方より監視する者の姿があった。
 新都一の高さを誇る建造物、センタービルの屋上、冬の寒風が吹き荒ぶその場所に彼女らは陣取っていた。
 そのうちの一人、男の方が嘆息混じりに口を開く。

「……凛。君の義侠は買うがな。やはりこの行動は無意味だ。
 君がいつも口にしている言葉があっただろう。なんと言ったか……。確か、心の──」

「──心の贅肉だって言いたいんでしょ。わかってる、わかってるわよ。
 でもね、借りっぱなしは好きじゃないの。しかもそれがわたしの落ち度なら尚更」

 昼間、遠坂凛は衛宮士郎のサーヴァントに見逃された。ただその前に凛は己のサーヴァントであるアーチャーを嗾けずに帰したのだから、その時点でおあいこだ。これはセイバーも言っていた事だし、凛も理解はしている。
 それでも腹にすとんと落ちて来ないのだ。彼女がアーチャーを帰したのは彼女の矜持からだが、相手にも同じものを求めたつもりはない。
 だから凛にとってはその見逃されたという事実だけが気に食わない。借りは返す。それ以外の念など今の彼女にはなかった。

「まあ、これ以上は何も言うまい。言ったところで聞かんだろうし、また言い合いにでもなって令呪を使われてはたまったものではないからな」

 くつくつと楽しげにアーチャーは笑う。まるでこの少女との会話がこの世のどんな喜びよりも至上のものであるかのように。
 だが凛はそんなアーチャーを不満そうにじと目で見ていた。

「……何よ。それじゃまるでわたしが融通の利かない上役みたいじゃない」

「おや、気づいてなかったのかね。まるでも何もなくそうだろうよ。顎で使われる下っ端の身にもなって欲しいものだ」

「む。じゃあ不満があるなら言いなさいよ。わたしはそこまで傲慢じゃないわ。貴方の意見だって尊重してあげるわよ」

「………………」

「……あ、アーチャー?」

 苦い顔をして黙したまま動かないアーチャーと微妙な顔つきで見上げる凛。
 ちらりとアーチャーの瞳が動く。
 主のその顔を見やり、クッ、と笑いを噛み殺して、

「いや、不満などないさ。私は君の騎士なのだ。姫君のお望みくらいは叶えてやらねばな」

「なっ────!」

 ぼっ、と火を噴き出しそうな勢いで凛の顔が赤くなる。
 遠坂凛はこういう不意打ち的な言動や直球な物言いに対して免疫がない。それを理解した上で、アーチャーはからかい混じりに皮肉っているのだ。

 頬を紅潮させた凛の臆面も体裁もない罵詈雑言が乱れ飛ぶ。それはこの場に自分達しかいないと分かっている上なのか、そうでないのかは定かではないが、いつもの凛ならまず出てこない、口にするのも憚られるような文句だった。

「ふむ、しかしそう息を荒げるものではないぞ。
 君もそろそろ良い年頃なのだ。淑女の嗜みくらいは身に付けておいた方が後の──」

 睨めつけ吼える凛の罵詈雑言をさらりと聞き流していたアーチャーの目つきが変わる。
 その只ならぬ雰囲気を即座に感じ取った凛は剥き出しにした感情を押し込め、鋭い眼光が射抜く先を見据えた。
 が、凛では魔力で視力を水増ししたところで教会付近の状況を把握出来ない。ここに陣取っているのは新都一帯を射程に収められるアーチャーの鷹の眼を頼っての事だった。

「動きがあったぞ。衛宮士郎とセイバーが教会から離れてすぐだ。おそらく、バーサーカーのサーヴァントと鉢合わせた」

 こうもすぐに動きがあるとは思っていなかったのだろう。凛はアーチャーの言葉に目を丸くし、そのあと暫し考え込む仕草をした後、核心を問う。

「状況は……?」

「セイバーとバーサーカーが交戦中だ。相手のバーサーカー、かなりのものだ。白兵戦では私は元より、あのセイバーでも苦戦は免れん。それを察したのだろうな、少しでも自分の有利な足場に持ち込む事に成功したようだ」

 だがそれも長くは続くまい。セイバーの力量は知らぬ。けれど、あのバーサーカーが相手ではどのような英霊だろうと正当な手段では勝ち得る事は難しい。
 そこまで読み切り、アーチャーは風にはためく真紅の外套をそのままに、左の手に黒色の洋弓を具現化させた。

「凛、どうする?」

 それは主の返答も行動も解っている上での問い。いや、それは問いかけなどではなく戦闘開始の指示を待つ兵士の横顔。

「アーチャー、この場所から援護を。わたしは現場に向かうわ」

「了解した。
 しかし私が行くまで姿は見せない方がいい。でなければ昼間の二の舞になりかねん」

「わかってる」

 去っていく主の背中を僅かに視界に収めた後、アーチャーは戦場へと視線を戻す。
 既に戦いは終局に向けて走っていた。圧倒的なパワーを有するバーサーカーと不可視の剣を携えたセイバー。どちらが上かなど見比べるまでもない。

 バーサーカーを守護する概念など関係なく、アレは根本的な生物としての存在規模が違いすぎる。決して変わる事のない食物連鎖の上と下。喰う者と喰われる者。それくらいの開きがある。
 だがそれはあくまで単体としての話。この場にアーチャーが居るのはその差を詰める為でもある。無論、本意ではないのだが。
 凛が辿り着くよりも早く決着を見るとアーチャーの戦術眼は睨んでいたが、相手も同じく世界に名を残す英霊、その差を、その常識を覆せるだけの力を有していた。

「────なに?」

 刹那に巨人が沈黙した。心臓を深々と貫いた剣は、確実にバーサーカーを死に至らしめている。最優の名を冠する剣の英霊。なればあのバーサーカーとて打倒しうる宝具を持っていても不思議ではない。よって驚きはそれではない。
 ならばアーチャーは何を見て疑問と驚きの混じった言葉を吐いたのか。それはバーサーカーでもセイバーでも、貫いた剣でもない。
 僅かな時間だけ垣間見た、あれは────

「……オレは、ヤツを知っている……? いや、しかし……」

 何か、何かが引っ掛かり腑に落ちない。
 記憶の齟齬。
 脳裏では噛み合わぬ歯車が不協和音を鳴り響かせ、幽かに浮かぶその映像は断絶されノイズが酷く、鮮明には程遠い。

「……ふん。アレが何者であろうと構わない。オレの目的は唯一つなのだから」

 雑念を振り払い、呪を紡ぐ。それと共に現れる一本の剣。
 この弓兵にとって手にする弓に番えるべきものは真実、矢と呼べるものではない。
 番える鏃は剣。
 あの鋼鉄の肉体をも貫ける程の神秘を内包する、数多くはない宝具の一。

「凛に感謝するのだな、衛宮士郎。オレがおまえを助けるなど、本来有り得ぬ事だ。
 しかし、それも一度だけだ。
 助けるのはたったの一度。その後は、オレの好きにさせて貰うぞ」

 この場所から戦場まではキロ単位の距離がある。だがその身は弓の騎士。遥か遠方で繰り広げられる戦いの場が大方の英霊にとっての戦場であろうと、この場所こそが弓を引く者にとっての戦場、唯一この身だけに許された独壇場である。

 引き絞られる弓。
 バーサーカーは確かに沈黙した。だが戦いはまだ終わりを告げていない。それを知るのはバーサーカーのマスターとこのアーチャーくらいのものだろう。
 勝負は一瞬。アーチャーがどれ程の狙撃の名手であろうと、ただ放つだけではその時には届かない。

 故に魔力を篭める。
 限界まで張り詰め、軋みの声を上げる弦。発射の時を待つ鏃。鷹の眼が見据えるのは刹那すら遠いゼロ秒後の世界。
 狙い、射止めるのは、瞬間の極限。

 ────確定された未来を。弓の英霊(アーチャー)の一撃が塗り替える。





/2


 まさにそれは流星だった。
 月明かりの亡くなった夜の空を翔ける銀光。耳を劈く轟音を鳴り響かせ、風を巻き込み、闇を切り裂きながら飛来する一条の光。
 隕石の如く直下するそれが、彼らの戦場の外からの狙撃だと、一体誰が気づけただろう。

 数キロの距離を僅か一秒で詰める埒外の攻撃。しかも完全な奇襲だ。
 そんなもの、反応出来る筈がない。対応出来る筈がない。いかなサーヴァントといえど理解の外にある攻撃は甘受しなければならないのが世の理。
 だがそれを────理性ではなく、本能で察した者がいた。

「■■■■■■■■■■■■──────!!!」

 それは有り得ざる動きだった。
 振るわれた豪腕。既に止まる筈がないほど加速した死の一撃は、確定した結末へと邁進していた。
 だがその見えない光線が。その有り得ない弓矢が。自分を死に至らしめる一撃だと直感した時、その軌跡を捻じ曲げた。

 がごぉん、と宙を征く隕石同士の衝突のような激しい衝撃音を轟かせ、光と岩塊はぶつかりあった。衝突は余波となって立ち並ぶ墓石を、乱立する木々を戦慄かせる。
 上がる咆哮。それは雄叫び。
 バーサーカーは結末を塗り替えた。セイバーの消滅をアーチャーが塗り替え、バーサーカーの死を己の手で塗り替えたのだ。
 幾度となく上書きされる未来予想図。まさに一瞬、しかし永劫のように思われた攻防はその結末で終結を見た。

 だがしかし。未だ戦いは終わっていない。セイバーが飛び退きバーサーカーから距離を取り、蹴り飛ばされた士郎が身を起こす。バーサーカーは不可能を可能とせしめた反動か、僅かな時間その動きを止めていた。
 だがセイバーは追撃をしない──いや、出来なかった。
 バーサーカーとの攻防で身体中が軋み、悲鳴を上げ休息を欲している。今挑みかかったところでろくなダメージを与えることなど出来ないだろう。
 そして何より、何故自分の身が健在なのか、何が起こったのか。戦況を把握するには時間が圧倒的に足りていなかった。

 その中にあって。士郎だけが動いていた。いや、足は動かず宙だけを睨んでいる。視線の先は奇しくも新都の中央、アーチャーの狙撃地点であるセンタービルの方角。見える筈のないその先を、士郎は確実に捉えていた。

「次が来るぞ────!」

 士郎自身、何故そう叫んだのかは判らない。射手が見えたわけでもなく、そもそも先の一瞬の攻防を士郎は理解出来てない。それでも、それが狙撃であることを看破せしめたのは理性でも本能でもない、もっと奥底にある衛宮士郎が捉えた奇跡。

 跳ねるように、止まっていた時計の針が動き出す。
 セイバーは主を一瞬視界に収めた後、その言葉を信じ戦場より離脱する。バーサーカーは鈍重な音を響かせ、体勢を立て直す。見据えるのは遥か彼方の虚空。
 士郎もこのままこの場にいては巻き込まれると判断したのか、セイバーと同じ方向に離脱しようとし、

「────っ!」

 ただ一人、動けずうろたえる少女の姿を目視した。
 そう、その少女があるからバーサーカーは動けない。主を連れて戦場を離れる事もバーサーカーなら不可能ではない。しかし、射手が主もろとも己を狙撃してきたら?
 射手の狙いがバーサーカーであるのは初撃で看破済み。だがいかにバーサーカーといえど少女を抱えたまま迎撃できるほど、この超遠距離射撃は手緩いものではない。だから相手が己を狙うよう仕向け、真正面からの勝負を挑むのだ。

 だが少女の位置は危うい。バーサーカーからさほど離れた位置ではない。このまま放置しておけば、いずれ確実に巻き込まれる。

「────くそっ、間に合え!!」

 士郎が踵を返し、進行方向を切り替える。助ける為とはいえセイバーに蹴られた脇腹は痛んでいる。だがそんなもの知ったことか。ここでその少女の手を取らなければならないと、強迫観念にも似た思いが士郎を突き動かす。

「────えっ!? や、ぁ、きゃあっ!?!?」

 当惑する少女を余所に士郎はその腕を引っ掴んで駆け出した。
 そしてその刹那に轟く第二射の砲音。
 夜空を別つ光の螺旋。
 誰もが目視出来ぬその剣の形状。それは華美に彩られた碧色の柄と白く輝く螺旋状の刀身から成っていた。

 バーサーカーが再度唸りを上げるのと同時に振るわれる、岩盤の如き剣。
 二度目となる衝突の瞬間。
 衛宮士郎が少女を庇うよう抱いて地を蹴った瞬間。

 ────世界より音が消失した。





/3


 今宵行われた二つの戦い。その主戦場のどちらもが静けさを取り戻した頃。
 ただ一人、そのどちらにも介入しなかった者がある。名をキャスター。魔術師の英霊として冬木に召喚された魔女である。

 彼女は深山町の果て、円蔵山の中腹に建てられた柳洞寺に居を構えている。
 夜そこへ踏み入ろうとする者は門番たる侍によって悉くが迎撃され、未だ境内まで辿り着いたサーヴァントはない。
 彼女は一人、その拠点で二つの戦いを眺めていた。街中に跋扈する魔女の使い魔の眼を借りて六騎のサーヴァントの戦いの全てを見つめていたのである。
 観戦を終え、沈黙が流れ続ける室内において、魔女は妖しい笑みを湛えていた。

「ふふ、中々見ごたえのある戦いだったわ。ただどちらも野蛮人のそれでしかないのだけれど」

 その中でもとりわけ目を引いたのはやはりバーサーカーのサーヴァント。顛末だけを見れば敗北とも取れる結末だが、次、もし彼らが相対する事があれば、同じ結果にはならないだろう。
 油断があったわけではない。ただ最強の自負がこの結末を描いただけだ。本来なら、その慢心とも受け取れる余裕は次へは繋がらない。だが彼の主従はそれを成し得る力を持つのだから、侮りは禁物だ。

 何より、もしこの場所がバーサーカーに襲撃を受けた場合。撃退するのは容易ではないだろう。アレは猪突猛進だが、それ故に手に負えない。
 しかも今のアレは手負いの獣だ。剥き出しの牙を以って敵と認識した者の全てをその暴力で破壊し尽くす。
 たとえそうでなくとも、まともに打ち合う術のないあの門番では刹那の時も持ち堪えられまい。キャスターの援護があっても互角以下。完殺など到底無理な話だ。

「……これだから、野蛮人は嫌いなのよ」

 キャスターはサーヴァント中最弱。それは本人とて自覚している事。だからこそ、彼女は策を巡らせる。
 魔術師の英霊ならば当然知っている、足りなければ余所から持ってくるという基本的な魔術理論。搦め手の常套手段、その先駆けとして街中に張り巡らされた霊脈からこの地へと魔力を蒐集している。

 間もなく、この土地はキャスターの神殿となるだろう。そうなればいよいよ彼女は動き出す。足場を固め、彼女の神秘を実現できるだけの魔力が貯蔵された時、彼女の戦いは始まるのだ。

「まずは……そうね。先を見据えるのであれば、あの筋肉達磨を殺せる駒がいるかしら」

 己の城へと引き込んだところでキャスターではバーサーカーを殺しきれない。ならば殺しきれる駒、あるいはキャスターが呪を紡ぐ時間を稼げる尖兵が必要だ。
 無論、バーサーカーそのものを手駒に出来るのが最良である。だがそれは叶わぬ道理。己の力量を見誤らない彼女は、今打てる最高の布石を思索の中から掬い上げる。

 思い描くのは四角い盤面。その上に配置された七つの駒。
 今、最弱の駒が最強を目指し歩を進める。

「私の手駒になるのは────あなたよ」

 魔女は呟き、妖艶に嗤う。
 貝紫のローブが翻った一瞬の後、そこにあった筈の彼女の姿は元から存在していなかったかのように、消え失せていた。







 ──空には煌々と冴える澄んだ月。
 賛美を歌う鳥達は眠りにつき、清冷な風は草木を揺らす。

 戦火は遠く。葉の擦音さえ届く(しず)かな夜。
 英霊達の(とき)の声は既に過ぎ去り、緩やかに時を刻んでいく。













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