剣の鎖 - Chain of Memories - 第十七話









 月下流麗。
 月の下で踊るのは紫紺と群青。閃くのは銀の清流と紅の奔流。

 両者は互いの持つその長大な得物で相手の得物と切り結ぶ。敵は正面、故に刺突に重きを置いた戦い方をするのはランサー。その点の嵐に対するは弧の旋風。神域にあるランサーの槍捌きに、アサシンは己の信じる最高の剣舞で以って対抗する。
 点に対する弧。届く筈がない。間に合う筈がないその槍に、それを上回る速度で返る奇跡の刃。ランサーの刺突が神速なら、アサシンのそれは一体何だというのか。

 美しく翻る銀光をランサーは紙一重で躱す。それはまさしく首の皮一枚の差だったのだろう、青い鬣がさらりと攫われていく。
 奪われ闇に散った幾本かの髪をものともせず、その程度くれてやるとばかりに刺突を繰り出す。だがそれも、いつ手元に戻ったのかすら定かではない長刀によって流された。

 奔る刃は一撃必殺。首だけに狙い定められたそれは迎撃せざるをえない剣。その一瞬、確かにランサーの槍は止まり、その一瞬の後には次の剣戟が繰り出されている。
 刹那から刹那へと紡がれる必死の攻防。その中に活を見出し突き出す槍は、悉くが長刀によって受け流され、あまつさえその剣速を引き上げる糧にされる。

 あれほど長大な得物が相手では、ランサーの槍という長柄のアドバンテージもあまり意味をなさない。両者は互いの間合いを維持したまま、烈火の気勢で鬩ぎ合う。
 それでも徐々に追い詰められているのはランサーか。退いては進むの繰り返しの攻防であろうと、相手は不動。押し返されているのは自分の方だ。

「チッ、やりづれぇ……な!」

 一旦後退し、再度石段を蹴り上げるランサー。己の身体すらも槍と化し繰り出す一撃でさえ、アサシンの首を刎ねるには至らない。

「誉め言葉と受け取ろう。いやしかし、心躍る」

 口元に笑みを宿してアサシンは更に剣速を引き上げる。
 有り得ない。やりにくいどころの話ではない。刃を合わせたが最後、打ち合ってしまえば相手のペースに問答無用で引き摺り込まれる。いや、並みの使い手であれば初撃で首が飛んでいることだろう。

 都合五分。その閃光に耐え抜けたのは、ランサーが生き残る事に特化したサーヴァントであるからだ。生前の不利な戦場での戦いは当たり前、数多の死地から生還し、その中で培われた熟練の戦闘経験と持ち前の比類する事あたわぬスピード。それがランサーを死中に在りながらなお生かし続ける業である。

 ならばそれを上回るこの男は何者か。この男にはランサー程の戦闘経験も脚もない。あるのはただ技術。生まれてこの方、剣だけに生き、剣を一心不乱に振るい続けたという歴史を持つだけの男。
 だがそんな彼だからこそ届いた境地が確かにあった。
 持って生まれた天賦の才。しかしそれは生まれたての剣と同じ。それを鍛えて鍛えて研ぎ澄ませて。長い長い時間をかけて、一人の男の一生をかけて鍛え上げられた目も眩む程に輝く奇跡の剣。人の身で神の頂に踏み入った鬼才。それがこの男の剣技の正体。

 それはなんたる異様か。アサシンの剣は剣舞を披露する度にその鋭さを増していく。限界を知らないギアのようにトップを超えてなお加速していく。有り得ない。これは存在していい剣ではない。
 ならばこの剣士の剣は奇術の類か。否、断じて否。それはどこまでも純粋なただの剣。

 ──アサシンは、ただ剣技だけでランサーの培ってきた全てを凌駕する。

 されどそれも道理。アサシンにとっては剣技こそが全てであるのだから、ランサーに対抗する術は唯一つしか有り得ない。
 然るにその異様。そうそう理解しえるものであろうか。

「クソがっ────!」

 アサシンの剣閃を弾くのと同時。次の刃が首を刎ねる刹那に、ランサーは大きく後方へと跳躍して間合いを外し距離を取る。乱れた呼吸を正そうとするも動悸は激しく、巧く呼吸が刻めない。それほどまでに、アサシンの剣はランサーを圧迫していた。
 だというのに階上に立つ侍はどこまでも威風堂々。汗の一滴すら見せず佇み、提げられた剣はただ敵の襲来を待つのみだ。

「────迅い」

 ランサーは間違いなく最速の英霊だ。それは何も脚ばかりではなく槍の扱いとて同位。視認すら不可能な槍閃。不動であろうと絶え間なく繰り出せる速度を有している。
 そんなランサーだからこそ、この相手の剣は脅威である。己の槍を越える速度を持つ剣など、生前有り得た筈がない。力で上回る者はいた。戦上手な者もいた。奇怪な能力を駆使する者もいただろう。そしてその悉くを打倒してきた。
 だがスピードだけは誰にも負けない自信があった。そんな男が吐露した言葉、それは心からの惜しみない賛辞に他ならない。

「詰まらんな、ランサー」

 だがこの時。アサシンは切っ先を僅かに下げて、その見目麗しい風貌を歪ませる。

「貴様は先程、私と戦う為にこの地を訪れたと言ったな。
 ああ、その言葉に嘘はなかろう。だが含むところはあると見た」

「……テメェ、何が言いたい」

「貴様は私を殺す気がない。打倒する為に訪れたのではない。戦う為と殺す為では過程と結果が大きく違おう。
 ふん、その程度の気概では私には届かぬ。興醒めだ。手加減しての果し合いなど、児戯に等しい」

「………………」

 無論、ランサーは手加減などしていない。今もてる最高の槍を遣わしアサシンと切り結んだ。否、そうしなければ、この場にランサーの姿は既にない。ならばアサシンの見抜く真意はそこではなく。

「隠すなよ、ランサー。
 その槍の秘めたる真価、見せねば次は貴様の首が飛ぶ事になるぞ」

 交錯する対の瞳。
 アサシンは言う。本気を見せろと。槍の力をここに示せと。
 サーヴァントの全力とは英雄のシンボルである宝具を用いた時である。それに比べれば技の競い合いなど前戯に過ぎない。くだらない力の探り合いなど無為。命を賭けた一瞬の閃きを見せてみろと、アサシンは言う。

「やなこった」

 だがそれを、ランサーは笑い飛ばした。
 元々今宵はその首を獲りに来たわけではなかった。自分を除く六騎のサーヴァント、その最後のサーヴァントの実力を測る事がランサーの目的であった。
 無論、討ち取れればそれに越したことはないが、先程の剣戟。それだけで相手の実力の幾割かは見て取れた。癪な話だが、単純な技の競い合いでは勝利は遠い。純粋な技量は明らかにこの男の方が上だ。同じ土俵で戦っては勝ち目は薄い。
 ならばランサーの可能性は、アサシンの言う宝具の使用以外に有り得ない。だがそれすらランサーは拒絶した。

「ふむ、そうか。ならば────」

 言葉より速くアサシンが飛ぶ。山門前よりほとんど動かなかった剣士が、敵との間合いを一息で詰めようと石段を蹴る。
 突然の接近に虚を衝かれ、否応なし繰り返される剣戟の嵐。

 再度始まる二人の攻防。両者の間にある僅か一メートルばかりの空間には火の花が乱れ咲き、先程と変わらぬ結末へと邁進する。だがその只中にあって。常に首を刈りにきていた銀閃が、ランサーの胴に向けられた。

 跳躍。その左方より迫る一撃を回避する為、ランサーは右方へと跳躍した。だがその浅はか。一瞬の後に理解する。
 アサシンの剣閃が止まる。追撃など余裕で可能とする僅かな時間を、アサシンはその構えを取る為に使用した。

 いつの間にか、頭上にいた筈の剣士はランサーと同じ足場に移動していた。そこで初めて見る今まで無形の剣を貫いてきた剣士が取る一つの構え。こちらに背を向け、両手で構えられた長刀は大地に水平。その鋭い眼光だけが、ランサーの姿を捉えている。

 直感……いや、これは経験だ。わざわざ足場の有利を捨ててまで垣間見せるこの剣士の秘めたる必殺剣。ランサーに蓄積された経験が、その一撃を振るわせてはならないと、最大音量で警鐘を鳴り響かせる。

「出し惜しんだ貴様の浅慮だ。その首──今宵、この場に置いていけ」

 刀が揺れる。
 その剣の間合いは五尺余。この石畳の上は射程圏内だろうが、その奥までは流石に捕捉出来まい。ランサーの後ろは林といえど、下がれない訳ではない。いかな必殺の剣であろうと間合いの外のものをも斬れる道理はないのだ。そう──ただ一歩。一歩後退すればこの剣は躱せる。
 しかしランサーは何を思ったか、僅かに足場を整えただけで後退はしなかった。

 だがそこは既に死地。生者の存在を赦さない、絶対的な死だけが降る場所。
 月の雫を払うように、剣士の刀が闇を斬り裂く。
 それは奇跡を人の力のみで体現する、この男だけに許された究極の一。

 閃いた太刀は悪魔めいた速度で槍兵へと肉薄する。その余りに鋭利で優雅な刃に心奪われる暇すらない。
 視認すら難しい悪夢を前に、ランサーは命を刈り取る牙には見向きもせず、もてる朱槍を力の限り突き出していた。

「────ガッ、──ッッ!!」

 血飛沫が舞う。赤い紅い血の雨が、二人の間に降り注ぐ。
 かたや渾身を込めた必殺の剣。かたや最速で突き出しただけの刺突。それは判り切った結末だ。有り得ない剣筋で放たれた円の軌跡。振るわれた一撃はランサーを絶命させるには充分な太刀筋だった。だというのに────

「クッ──成る程。侮ったのは、私の方か」

 アサシンの左肩を貫く槍。
 血を滴らせ、深々と貫いたその槍は、主の命を繋ぎ止めた王者の槍だった。

 アサシンの放った剣閃。それは進むことも避ける事も赦さぬ刃の檻。その中を掻い潜り撃ち込まれた刺突。分があったのは明らかに前者。それでもなお、ランサーが存命し続けているのはその槍が生み出した一つの未来。

 もしアサシンの相手が常道的な剣を担う者であったのならば、この結末はありえなかっただろう。その剣を撃ち込む為には一歩、どうしても踏み込む必要があるからだ。だがその踏み込みに際しアサシンの剣は振るわれる。それでは遅すぎる。
 しかしランサーの得物はアサシンの刀を上回る長さを持つ槍である。アサシンに届く範囲の間合いであれば、その槍を限りなく使い切れば届かない道理はない。

 加えていえば、アサシンの行動自体が失策であった。この男はサーヴァントの多くが攻性であるのに対し、防性のサーヴァントである。敵に立ち塞がる城壁であるなら無敵だが、動いてしまえばその摂理は崩れ去る。
 勝負を急いたアサシンは無理矢理に必勝の舞台を作り上げ、必勝の機会を逃したのだ。足場の不備をそのままに、繰り出した技は不完全。それでもランサーが逃げを打てば捕らえられていた事だろう。

 最速の英霊の放つ、最速の一刺。それがアサシンの剣筋を歪め、描くべき剣閃の一つを妨害せしめた事は奇跡以外に有り得ない。いや、ランサーは自ら攻勢に転じることで、その奇跡を手中に掴んだのだ。

「ぐっ────くそったれが……」

 だがその代償。決して安いものではない。
 震える脚に力を込めて、槍を支えとし階下へと跳躍する。

「はっ──、がぁ……────!」

 着地の振動でギチギチと鳴る肢体に力を込める。どっと噴き出す赤い液体。
 確かに、ランサーはアサシンの秘剣を防いだ。
 しかし防御を攻撃に回した以上、完全に放たれた一の太刀と不完全とはいえ奔った二の太刀から身を守る術がなかった。

 アサシンには左肩を貫いただけの丸い穴。支障はあろうと戦闘続行は不可能ではない。一方ランサーには、その左腕自体が存在せず、左脚にもぱっくりと切り裂かれた大きな傷がある。それは脚が繋がっている事さえ疑うほどに鋭利で深い傷痕だ。

 だがそれで事足りる。致命の一撃をこの程度に抑えられたのなら、それはこの上ない僥倖と言えるだろう。
 生きているのなら、たとえそこが如何な死地であろうと生還してみせるのが槍の英霊(ランサー)最大の特長であるのだから。

「……勝負は預けるぜ、アサシン」

 ボロボロの身体はこの上なく無様だが、その瞳から光を消すには至らない。睨みつける眼光は射殺さんばかりの鋭さで、仇敵を貫いている。

「行け、ランサー。今宵はこれまでだ」

 呟いて、侍は山門へと足を向ける。左肩に開いた傷口から零れる赤色が、雅な陣羽織を染めている。アサシンはそれを拭うでもなくただ山門を目指し歩を進めた。
 その後姿を目に焼き付けた後、ランサーは傷だらけの身体を霊体と化し、戦場より消え去った。







 敵の去った山門に腰を下ろす。血をだくだくと吐き出すこの傷も、時を待たずに塞がるだろう。あのランサーの傷でさえ魔力があれば癒すことも不可能ではない。いや、しっかりと癒して貰わなければ困るのだ。

 仰いだ空には、月がない。いつの間にか雲間に隠れたようだ。それどころか星さえ見えない。砕かれた宝石をばら撒いたような星達を、薄い雲が覆い隠している。
 それはなんと無粋な空か。この胸を打ち続ける高揚感。それを鎮める為に夜空を仰いだというのに、これでは治まりそうにない。

「くっ────くっ、くははははははははははは!」

 笑いが零れる。当たり前だ。必殺の構えで放った、己が生涯をかけて築き上げた剣が敵を仕留め損なったのだ。これが笑わずにいられるものか。
 ならばさて、この笑いの元は一体なんなのか。防がれた事への苛立ちか? 技を出し切れなかった自分の無様さへの当てつけか?
 いや、いやいや。これはそんな負の感情から来るものではない。

 そう──私は今、この上なく嬉しいのだ。

 燕を斬る為だけに編み出した秘剣。たとえそれが不完全であっても、あの男の気概があの瞬間、確かに自分のそれを上回った事は疑いようのない事実。だからこそ防がれた。だからこそ仕留め損ねた。
 もし己に足りなかったものがあるとすれば、それはまさしく経験だ。長柄と打ち合うのが初めてなら、秘剣を人相手に使ったことすら初めてなのだ。
 だがそれとて当たり前。元よりあの剣は燕を斬る為だけのものであり、先の一戦は己さえ知らぬ事実が露見した結果だ。ならば今宵の結末は必定であったか。

 それでもランサーは殺せただろう。槍に肩を貫かれ、バランスを崩しながらも放った剣はランサーの戦闘能力を大いに削いだ。一薙ぎ。あの結末の後、一薙ぎすれば勝利はこの手に掴めていた。
 しかし必殺の構えで剣を振り抜いた以上、正しく必殺でなければならない。それを受けてなお生き延びたのなら、我が剣は敗れたという事。敗者が一方的に勝者の命を奪うなど、そんな無粋な真似を出来るものか。

 ああ、なんと喜ばしい。このような俗世に喚び出された不幸を呪いもしたが、今はあの魔女に感謝しよう。あのような強き者達と殺し合えるという、この身に許されなかった無念を晴らせる、またとない機会を得たのだから。

 更にあれと同等の力を持つ者が他に三人いる。その全てと殺し合える。
 この剣が、どこまで届くのかを試したい。世に祀られる英傑どもに、たかだか一百姓の剣がどこまで通じるか。試さずにいられない。
 とりわけ願うなら、同じく剣を宿す者との死闘こそを望みとしよう。

 ────心置きなく、命を賭けて────

「クックック、笑いが止まらん。まこと喜ばしい。
 ああ……今宵の勝負、貴様の勝ちだランサー。貴様は我が秘剣を受けてなお生き延びたのだ。勝ち逃げは赦さん。待っている、待っているぞ」

 不遇の剣士の哄笑は、いつまでも鈍色の空に木霊していた。






戦況考察(後)/Intermezzo II




/1


 時は還り、二人しかいない古びた屋敷。
 身体を起こしたままのバゼットはその柳眉を寄せて低く唸る。

 昨夜の出来事はバゼットも既に承知している。身体は動かずともその身に宿る魔力量に違いはなく、送り込んだ魔力によってランサーの負傷はほぼ完治した。
 だが帰って来たランサーの姿は今だ網膜に焼き付いて離れない。群青の鎧を染め上げる血の赤。死んでいてもおかしくない傷、いや……生身であったのなら確実に息絶えていただろう。身体がエーテルで編まれたサーヴァントである事と、ランサー自身の生き汚さが消滅の時を遅らせてくれたのだ。

「改めて思い返してみても……恐ろしい話だ。戦好きの貴方に戦いたくないとまで言わせる暗殺者の英霊(アサシン)など……」

 傷を癒したランサーより告げられた事実。
 それが物陰から隙を覗い、四六時中狙われ続ける本当の暗殺者ならば分からない話ではない。だが正面きっての命のやり取りを望みとする彼が躊躇うほどの暗殺者など、俄かには信じ難い。

「ありゃあアサシンなんてタマじゃねえ。
 どっちかっつーとセイバー寄りのサーヴァントだ。そんな英霊がなんでアサシンなんてクラスに押し込められたのかは知らねえが」

 あの剣閃、最後に放たれた軌跡は不完全だった。アレが宝具によるものならば、そんな不手際はありえまい。そもそも最初からあの剣士からは微弱な魔力しか感じなかった。ならばあの魔剣は宝具によるものではなく、あくまで剣技。
 まったく、どこまでも人を莫迦にしたような野郎だ。本当に人の力のみで英霊と渡り合える技量を宿すなど……。

「あーいう手合いは遠くからずどん、と倒すに限る。身も蓋もねえが、あの場所での白兵戦じゃどのサーヴァントもアイツには勝てねえ……ああ、あのバーサーカーが本当に攻撃を無効化できるなら可能性はあるか」

 忌々しげに呟いて煙草を取り出す。
 嗜好品としてチェスと共に購入してきたそれにライターで火を灯す。吐いた息は寒さゆえの白さではなく、特有の匂いを含有する靄。紫煙が生まれ、空気に染みを残していく。

「煙草を吸うのは構いませんが、窓は開けてください。匂いが籠もります」

「へいへい」

 椅子より立ち上がって窓を開く。すると少し肌寒い朔風が室内に入り込み、淡い色のカーテンが揺れる。その冷たい風の中に白い靄は掻き消された。
 ランサーはそのまま窓際に立って外の世界を眺望する。今日もよく晴れている。青に白い斑を垂らし、その中央には燦然と輝く大きな光。煙草を咥えたままそれを見上げて、少し目を細めた。

「……ふむ。となると、厄介なのはバーサーカーのみですか。そのアサシンも私が戦列に復帰すれば打倒するのも難しくはない。
 切り札を持つ相手は私の得意とするところですから。貴方がアサシンにその切り札をもう一度引き出させれば、それで我々の勝利です」

「………………」

「どうかしましたか?」

「いや。アンタがそういう方針を取るなら文句はねえよ」

 煙草を僅かに揺らして灰を散らす。白い粉塵は風に攫われカタチを無くして飛んでいく。

「……含みのある言い方ね。一対一では戦りあいたくない相手だ、と言ったのは貴方じゃない。なら私をサポートとして連れて行くべきでしょう」

「んー、だから異論はねえって」

 そう告げるランサーの横顔に先程の剣呑な雰囲気は既にない。本心は計りきれないが、それでも本当に異論はないのだろう。
 風の吹き抜ける室内のおいて、青い髪が風に揺れている。ほんの半日ほど前の血の赤を思わせない、澄んだ青。

「………………」

 それでももう一度やりあえば、昨夜のような結末は絶対に有り得ない。技量で圧倒され、今度は万全を期した状態であの魔剣が放たれるだろう。それを撃たれてしまえば流石のランサーとて回避も迎撃のしようもない。
 元よりあの場所はあの剣士にとって至上の足場なのだ。平地であったのなら、あの剣にあれほど苦戦はしなかった。だが嘆いたところで意味はなく、剣士が門番を自称した以上、山門を離れまい。ならば敵地に攻め込むこちらは相手の有利を覆せるだけの策と準備をして臨む事が求められる。

 その中から導き出したのがバゼットの持つ魔術礼装を使う事。それがランサー達が考えうる最大の突破口だ。
 ────だが、それでも。

「まあいいわ。とりあえず、私の傷が癒えなければアサシンには挑めません。その奥にいるキャスターにも」

 柳洞寺はサーヴァント殺しの地形である。サーヴァントは正門からしか中に入れず、その門を守護するのは屈強な剣士。
 たとえるなら、これは城攻めだ。外堀は水で満たされ、城への侵入には橋を渡る他にはない。橋を渡ったところであまりに頑丈な門に阻まれ侵入は容易くない。けれども道がそこしかない以上、必ず門を破らなければならない。

「ですがその布陣を敷いているという事は、逆にその場から離れる可能性も少ないということだわ。迎撃だけで事足りるというのに、わざわざ危険を冒してまで外に出てくる理由がない」

「だろうな。だからこそ面倒なんだが。他の奴らが潰しあった後で残った奴を迎え入れて殺すっていう算段か」

 ふむ、とバゼットは頷いて自由な右手でチェスの盤面へと手を伸ばす。適当に七つの駒を選びその内二つを並列させ、後の五つはバラバラに配置する。

「キャスターとアサシンが手を組んでいるのはほぼ確実でしょう。でなければそのような布陣はありえませんから。この二組はどちらもマスターが判明していない。現状では打倒は不可能でしょうから傍観します。もし攻め込んで来るのであれば話は別ですが。
 後の五騎……私達を除けば四騎ですが、これは全てマスターも判明しています。そして手を組んでいる組は今のところはないのですね?」

「オレの知ってる限りじゃな」

 バゼットはチェスの駒を弄びながら思考を巡らせる。
 確かに二人掛かりで挑めば、アサシンは倒せるだろう。だがそれは二対一を想定した場合だ。もしそこにキャスターが介入してきたら?

 いや、一度瀕死を負わされてなお挑むのなら、勝てるだけの策を用意しての事だとキャスターならば気づくだろう。二対二になってはあちらが有利と言わざるを得ない。
 彼女は封印指定の執行者として己の力に自負はあるが、魔術師の英霊に選ばれる程の実力者を相手取り、倒し得るのかと問われれば。

 答えは否。万全を期した状態でかつこちらの用意した必勝の戦場に引き込めれば可能性はある。だが攻めるのはこちらで、柳洞寺は魔女の神殿だ。
 かといってランサーでさえ苦戦するアサシンを一人で凌ぎ切れるかと問われればこちらも難しいと言わざるをえない。
 加えて敵にはマスターもいる。並の魔術師が相手ならそれこそ気にも掛ける必要は皆無だが、相手はマスター。令呪によるバックアップを可能とする以上、無視できない存在でもある。

 数の上では圧倒的不利。ならばまだこちらの戦力を侮っているうちに陣より出たところを撃破するか。誰かがキャスター組を倒すまで静観するか。
 いや、そんな受け身な姿勢は望めない。出てこなければ意味がなく、もし他のサーヴァントが全て倒されてしまえばその機会すら逸する。

 これがバトルロイヤルの難しいところだ。誰を優先して倒し、誰を残すか。誰と誰を潰し合わせ、どの程度まで介入するのか。たとえ一人で五騎のサーヴァントを倒したところで最後の最後で敗れてしまっては意味はない。
 ──終局の時に己の脚で立っていた者こそが、真の勝者であるのだから。

 何にしてもせめてあと一枚、駒が欲しい。それは何もキャスター組だけの為ではなく、その一枚があればバーサーカー戦も有利になる。だが手元にそれだけの駒はない。
 盤面に落とした視線をそのままに、バラバラに配置した駒の一つをひょいと持ち上げ、適当な駒と並列させる。
 これで二つ寄り添う駒が二組。他の三つは単騎となった。

「そう……我々は魔術師だ。利害さえ一致すれば……」

 簡単な話だ。駒が足りないのなら、余所から持ってくればいいだけの話……。





/2


「サーヴァントに優劣はなく、ただ能力の違いがあるだけです」

 いきなり始まったギルのサーヴァント講座。どうしてこんな話の流れになったのかはとんと記憶にないのだが、別に聞いて損はないので聞いておこう。
 それにしてもこの盤面の状況……どうするべきか。圧倒的劣勢に追いやられ、チェックメイトも間近な感じ。
 次はギルの番なのでどうしようもないのだが。とりあえず話を続けよう。

「……その能力の違いが優劣ってやつじゃないのか?」

「いえ、言うなればこのチェスの駒と同じです。それぞれの駒が違う能力を有し、違う役割(クラス)を与えられている。しかし────」

 ギルは盤面へと手を伸ばし、黒い騎兵(ナイト)で俺の白い女王(クイーン)を倒した。

「チェス最強の駒であるクイーンであろうとも、それを倒せるのは何も同じクイーンだけではない、というコトです」

 なるほど。
 力量的に劣っていようとも、然るべき状況に追い込めばどんなに弱いサーヴァントであろうと強いサーヴァントを倒すことも不可能ではない、という事だろう。

「まあ、言われてみればそれもそうだよな。じゃないと最初に強力な英霊を召喚した奴の勝ちになっちまう。……相性とかもあるとは思うし、限度もありそうだけど」

「ええ。ですから力量の高いサーヴァントを従えたところでそれを上手く使いこなせなければ宝の持ち腐れってヤツです」

「で、結局何が言いたいんだ?」

 相変わらず前振りが長くてもったいぶった話し方の好きな奴だと思う。でも大体タメにある話なんで結局最後まで聞き入ってしまうというか。
 と、次は俺の番なので視線を落とし状況を探る。……これはもうダメだな。

「ボクではバーサーカーを倒せません」

「────は?」

 上げた顔はどんな表情になっているのか、自分では良く判らない。
 それにしてもバーサーカーに勝てない? 今までの話の流れを考えるのならそこは自分に有利な状況を作り上げれば勝てるって話じゃないのか?

「ええ、確かに。昨夜のように有利な足場と状況を作り出せば一度は殺せます。でも殺した後に殺し返されます。
 チェスで表すなら、さっきクイーンを倒したボクのナイトがルール上復帰不可能なクイーンによって倒されるといった感じでしょうか。
 ああ──昨夜の一戦はボクの負けです。バーサーカーのマスターが意思を一つ違えていれば、あの偶然は起こりえなかった」

 言葉には、感情というものがない。それでもギルはひょいひょいと盤面の駒を動かし、退場した筈の白のクイーンで黒のナイトを倒して見せた。チェスはルール上、一度倒された駒は盤上に復帰できない。殺されれば生き返らないという事だ。

 だが昨日の夜のバーサーカーとギルとの戦い。ギルの剣は確実にあの巨人の心臓を貫いていた。生者は言うに及ばず、サーヴァントといえど核たる心臓を潰されて生きていられる道理はない。
 ならばアレは確実に死んでいた。それでなお動いたという事は。

「死者の蘇生……?」

 馬鹿な。死者蘇生は魔術の領域にあるものじゃない。詳しくは知らないが、魔術師の到達点たる魔法の領域にあるものの筈だ。
 そんなデタラメはルール外のルールに他ならない。

「それがバーサーカーの宝具です。神の祝福(のろい)によって与えられた不死性。おそらく、十二回殺さないと倒せません」

「な────」

 十二回? あんな化け物を十二回も殺せだって? 無理だ。思い出せ、あの異形を。アスファルトを軽々と粉砕し、人をまるでボールか何かのように吹き飛ばし、夜空を染めるほどの爆発に巻き込まれても傷さえ負わない。そんな怪物を一人で十二回も殺しきれるサーヴァントなんて……ちょっと待った。

「なあギル。どうやってそれに気づいたんだ?」

 俺に認識出来るサーヴァントの能力表には、バーサーカーの真名も宝具名も記されてはいない。確かにバーサーカーは蘇生らしき行動をして見せたが、それでも十二回と決定付ける要因が見当たらない。ならギルとバーサーカーは生前知り合いだったとかで面識があったから分かったとか?

「いえ、昨日が初対面です。ですがそれを知る事が出来たのは、ボクのちょっとした能力というか。まあ親の七光りみたいなものなんですけどね」

 よく判らない事を言って曖昧な笑みで微笑んだ。

「それに看破出来たのは巨人が蘇生した後、自分が殺される直前でしたから。モノとして存在しないものを発動前に見るのは難しいんですよねー。殺したと思って油断したのかな。やだなー、油断はあっちの専売特許なのに。
 うーん、それにしてもボクの鑑識眼もまだまだかな。見つけたいものほど見つからないのも昔からだし……」

「鑑識……? 見つ……?」

 理解できない事をぶつぶつと呟いている。俺はもう眉を寄せることしか出来ない。
 と、俺の困惑に気づいたのか、こほんと一つ咳払いをして居住まいを正す。

「話が逸れました。で、ここからが本題です。
 今のボクは大きく能力を制限されており、自分でも未だ何故こんな状態なのか把握しきれていません。本来の力が出せればバーサーカーにも遅れを取ることはない筈ですが、現段階ではどうあっても勝てません」

「……それは俺が半端なマスターだからとか、強引な召喚だった事に起因するんじゃないのか?」

「可能性はありますが、断定する証拠が足りません。それに今の力でやるしかない以上、無いものねだりをしたところで意味はないですから。
 それでも話したのはこの状態でもなんとかやっていけるという楽観が崩れた事と、やはりマスターには知っておいて貰った方がいいと思ったからです」

「………………」

 言葉がない。証拠はないというが、十中八九、俺の魔術師としての能力、マスターとしての適性の低さが影響を与えていると思う。

 無力。

 今の俺は限りなく無力だ。魔術師としてもマスターとしてもギルの力になれない。それどころか足を引っ張る始末だ。ランサー、アーチャー、ライダー、バーサーカー。四人のサーヴァントと対峙して俺は何を成した?
 分かってる。ただの人間じゃサーヴァントには勝てないなんてこと、とっくに身に沁みて理解している。それでも、守られるだけなんて嫌なんだ。
 なら俺に出来る事を、俺にしか出来ない事を見つけなければならない────

「マスター?」

「──あ?」

 ギルが不思議そうに小首を傾げている。いかん、意識が飛んでいたらしい。小さく頭を振ってクリアな思考を取り戻す。

「何でもない。で、何だって?」

「ですから、目下最大の敵であるバーサーカーの対策です。アレを倒さない事には聖杯戦争の最終的な勝利はありませんから。
 昨夜は足場の有利となる地点が近くにあったから助かりましたが、もし次、一対一で遭遇してしまえば撤退すらも難しい」

「……一対一じゃなければいいって事だな?」

 昨日はアーチャーの狙撃に助けられた。同じように一対一では勝てなくても、勝てるだけの仲間を集えば打倒も難しいものではなくなるだろう。
 あのサーヴァントの実力を知れば、俺達以外にも他のマスターと手を組もうとするマスターがいてもおかしくないからな。

 それでも聖杯を手に出来るのは一組だけであり全員がそれを狙う以上、最終的には敵対関係に発展する恐れがある。
 あくまでバーサーカーを倒すまでの協定関係がいいところか。もちろん組んでくれる相手がいればの話だけど。

「手を組む……か」

 呟いて、俺は誰の手なら取れるのか、そんな事を考えていた。













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