剣の鎖 - Chain of Memories - 第十八話









 一通りの作戦会議を終え、ランサーは屋敷を後にした。
 昨夜、ランサーの持ち帰ったもう一つの事実。学校に張られた結界のマスターとサーヴァントを突き止め、脅しまでかけたらしい。それがいかような手段で行われたかは定かではないが、ランサーの口ぶりから察するにそれなりに効果はありそうだ。
 しかし、もしもの可能性もある。念の為、ランサーにはこのまま斥候を続けてもらうことにした。

 余計な犠牲はあってはならない。無関係な、何も知らずに生きる人々を巻き込もうとする輩は見過ごせないし、助けられる命ならば助けなければならない。この感情は協会の魔術師としての責務であり、バゼット自身の本心でもあった。

 彼にそう伝えると気だるそうに返事をしてすぐに席を立った。その背中を見送って、今はこうして思索の中にいる。
 ランサーはなんだかんだと言いつつ精力的に働いてくれている。本気の殺し合いを望む彼にとっては不本意だろうが、こちらとしては有り難いことこの上ない。
 無論、サーヴァントはマスターに絶対服従なので上辺は従うしかないのだが、そんな強要に似た関係は好みではない。

 長い時間、憧れ続けたアイルランドの光の御子、クー・フーリン。親愛なるその名を世界に残す大英雄と共にあるのだ。ならば自分も、相手に誇ってもらえるようなパートナーで在り続けなければならない。いや、在り続けたいと思う。

 ほう、と短く息を吐いて背を預ける。ベッドの傷んだスプリングが軋みを上げてギシギシと唸る。
 開け放たれた窓からは風が零れ、淡い光がくすんだ床を照らしている。ざわめきの中にある木々の薫りが室内を満たし、穏やかな時間が過ぎていく。
 今が本当に戦争の最中にあるなどと、この時だけを見れば考えられない。

 それでも、その事実は覆らない。この身は勝利を勝ち取る為に派遣された魔術師だ。誰一人成し得なかった偉業を成し遂げ、聖杯を持ち帰る。その為には、常に勝利への道筋だけを考えていればいい。それ以外の考えも行動も不要。なのに、一人になるとどうしても余計なことが脳裏を掠める。
 ランサーといる時は知らず気を張っているのだろう、そんなものは疲れるだけの相手だと解っているというのに。

 くすりと笑みが零れる。
 ああ……なるほど。私は、あの憧れの英雄の前では見栄を張りたいのだ。彼にそんなことを言おうものならきっと笑い飛ばされるに決まっている。だけれど、それほどまでに私は────

「……まったく、馬鹿馬鹿しい」

 また笑みが零れた。でもきっと仕方ない。本の世界でしか知らなかった人が現世にいて、しかも自分のパートナーなのだ。
 喚べるという確信はなかった。けれどももし彼の英雄を喚び出せたのなら、畏れるものなど何もないと。そして願いは届き、彼は私の呼び声に応えてくれた。奇跡という他にないこの現象を前にすれば、頬が緩むのも詮無き事だろう。

「まあ尤も。思い描いていた人物像とはかけ離れていたのだけれど……」

 所詮彼を知る術は後世の人が書き記したものでしかないのだ。脚色があったり、誇張されているのは当たり前の事。しかし、あれほどまでに奔放でだらしのない男だとは終ぞ思わなかったが。

「………………」

 だがまあ、それでいいのだろう。歴史とは得てして“そういうもの”なのだ。理想像通りの人物であったのならきっとこんな関係は築けなかっただろうし、今の在り方を由とする自分がいる。自惚れかもしれないが、彼も同じ気持ちだと信じたい。

 そんな巡り巡る思索の中からふと、ある事柄が浮かび上がる。

 幾度となく繰り返し読んだアルスターの猛(クーフーリン)犬の英雄譚。幼少期、何にも夢中になれなかった自分が唯一つ没頭できた昔話。夢想の中にいる間だけ、自分も同年代の子らと同じなのだと実感できた一冊の本。
 その中に一つだけ、解せないものがあったのを今になって思い出した。

「────老魔術師(ドルイド)は語った。
 この日、幼き手に槍を持つ者はあらゆる栄光、あらゆる賛美を欲しいままにするだろう。
 この土地、この時代が海に没するその日まで、人も鳥も花でさえも、彼を忘れる事はない」

 バゼットは目を閉じ、記憶の糸を手繰っていく。

「五つ国に知らぬものはなく。
 彼を愛さぬ女はおらず、彼を誇らぬ男はおるまい。槍の閃きは赤枝の誉れとなり、戦車の嘶きは牛奪りを震えさせる」

 紡がれる詩に淀みはない。
 柔らかな笑みを湛え、まるで、それが当然のように言葉は続く。

「いと崇き光の御子。
 その手に掴むは栄光のみ。命を終える刻ですら、地に膝をつく事はない」

 そこまで口にし僅かにバゼットの顔色が変わった。
 苦悶にも似た、険しい表情。それでもバゼットは最後の一節を謳い上げる。

「……だが心せよ、ハシバミの幼子よ。
 星の瞬きのように、その栄光は疾く燃え尽きる。
 何よりも高い武勲と共に。
 おまえは誰よりも速く、地平の彼方に没するのだ────」

 それはクーフーリンが赤枝の騎士になる前の話。
 幼年組なる騎士予備軍のようなところに所属していた彼自身と彼と齢を同じくする子らの元に、一人のドルイドが現れ予言を残した。
 別段それは彼だけに向けられたものではない。ただ今日という日に武者立ちする者を占った結果がそうであっただけの話。

 川瀬に浮かんだ占いは栄光と共に破滅さえも予言した。国一番の栄光を手に出来る代わりに、その者は誰よりも早く命を亡くすのだと。
 集まった少年たちはみな恐れて動かなかったのに、占いに無関心だった彼だけは迷うことなく王の下に駆け込んで、今すぐ自分を戦士として認めてくれと言ったという。

「結果として彼──クーフーリンはこの日、成人の儀を終え戦士となり、予言通りに最高の栄誉をその手に掴み、予言通りの非業の死を遂げた」

 今なお語り継がれる逸話。栄光と破滅に彩られた、いと気高き戦士の物語。
 それが世間一般の彼に対する認識だ。だがバゼットは違った。

 運命の日より彼の道は平坦ではなくなった。でこぼこだらけの苦難の道。たとえその先に輝かしい栄光が約束されていようと、果たして人はそう簡単に破滅への道のりを選べるものなのか、と。
 人はその誇り高い結末にこそ関心を抱くが、バゼットは始まりに執着し疑問を抱いた。

 長らく、彼が何故その選択をしたのかが分からなかった。その日に武者立ちしなければまた違う結末があっただろう。しかし彼は迷うことなく戦士になった。
 短命の運命は恐ろしいが、その代償としての栄光を良しとしたのか。栄光だけに目を奪われて、短命の運命には気を配らなかったのか。

 ──その答えを、昔、一人の男がくれた。

「……言峰、綺礼」

 言葉にして、身体を芯から凍りつかせるような悪寒に包まれた。咄嗟に掻き抱くように右手で左腕を掴み、僅かに力を込めてしまう。

「……っ」

 痛みが駆け抜ける。治りかけの左腕に無用な負荷を与えてしまった結果、全身に電流のような痺れが走った。けれどそれは喜ぶべきものなのだろう。最初は感覚すらなかった左腕に痛覚があるということは、確実に治りかけている証拠なのだ。
 でも素直には喜べない。あの夜の事を────思い出してしまったから。

「何故……などと考えるのは……無駄、か」

 今度は撫でるように優しく傷口に白い指を這わせ、翳った表情のまま視線を落とす。薄っすらと未だ痕を残す切断面を見ても、憤怒や憎悪、怨嗟のような負の感情は浮かんでこなかった。
 今の感情を端的に表すなら……そう、悲しみだろうか。

「なんて、弱い。こんな傷を負わされたというのに、憎めない……」

 六年前の春に一つの出会いがあった。彼女は封印指定の執行者として。彼は異端審問の代行者として。
 出会いは敵同士。共通の敵を討つという、ただそれだけの共闘関係。三度だけの協定。僅か、時間にして十日にも満たない擦れ違いの邂逅。
 だというのに、彼と共にある時は何故か心休まる安息があった。

 その男は他者を必要としない、孤高の強さを持った人だった。それまで知り合ってきた人間の中で、唯一人尊敬に値する人物だと思っていた。
 そんな、他者と交じり合わない男に頼られた事がこの上なく嬉しかった。
 けれど歓喜は一瞬にして絶望に塗り替えられ。命からがら助かったこの身が宿すべき念は何処にもない。殺されかけ、ランサーさえ奪われかけたというのに。

 それでも私は────彼に敵意を抱けない。

 その事実に気づきたくなかった。だから考えないようにしていた。直面している戦いの展開ばかりを想像し、根底に流れる感情に気づかない振りをし続けた。それは逃避だ。不都合な現実から目を背け、都合のいいものだけを目に映す。
 傷を負わされた翌日、ランサーに言われたのに。彼の在り方に共感できたのに。一人になると、どうしても心が弱くなる。

 ────もし今、彼と対面することにでもなったら、私は、

 ……戦えるだろうか。
 彼を完全な敵と認識し、勝利の為に打ち倒せるだろうか。

 言葉にはせず、心の中で呟いただけで迷いが生まれる。出口などない迷宮で、永遠に彷徨い続ける罰を課せられた咎人のように。重く想いが圧し掛かる。
 自分は弱いと分かっているのに、その弱さを直視できない。見てしまえば、動けなくなりそうだったから。

 惑いを抱えたまま、払拭できないまま、バゼットは逃げるように毛布の中に身体を滑り込ませた。
 息をすることが厳しい。脳裏に焼き付く全てのものを消し去りたい。この毛布が、割れない殻のように強固だったら良かったのに。

 それでも。

 遠くない未来に、二人の出会いはあるだろう。
 この戦いに参加し続ける限り、その遭遇は必然よりも確かなシナリオ。

 いつか、偶然から生まれた出会いが必然の願いを生んだように。
 今度は望まない出会いが、誰かの望みによって叶えられることになるだろう。






脆弱な心、偽りの剣/Intermezzo III




/1


「────ふっ!」

 静謐な空間に乾いた音が木霊する。竹刀と竹刀がぶつかり、弾け、またぶつかり合う。攻勢に出続け、絶え間なく竹刀を振り抜いているというのに、結局胴薙ぎを受けてたたらを踏むのは俺だった。
 その生まれた隙をこの眼前の相手が見逃すはずもなく、

「くっ────!」

 ぱぁん、と一際大きな音が響いて。手にしていた竹刀を打ち上げられた。

「いっつ〜……」

 赤くなった手の甲を擦りつつ、腰を下ろして溜め息をつく。
 俺に勝った相手、ギルはといえば吹き飛ばした竹刀を拾いに行っていた。

「くっそー、なんで勝てないんだろ」

 幾度目かの鍛錬で疲労はそれなりに蓄積している。ごろんと大の字に倒れ込み、木目のある天井を視界一杯に収めた。背中にはひんやりとした床独特の冷たさがあって、火照った身体には心地良い。

「これでも一応、英霊ですから」

 にぱにぱ笑顔で両手に竹刀を持ったギルが戻ってくる。覗き込むように竹刀の片方を差し出し、それを受け取った手はまたも落ちた。

「それは判ってるんだけどさ。手加減されても勝てないのはなんか、納得いかない」

 むっとして見えない空を仰ぎ見る。
 ギルの剣技は俺でも捉えられるレベルの剣だ。校庭で見たランサーの槍捌きと比べるのなら、天と地ほどの差があると言っても過言ではない。……槍と剣を比べるのはお門違いな気もするが、まあそれはいい。

 ランサーの槍は俺程度の目では追いきれない程の速度がある。昨日会ったバーサーカーは他者を一方的に蹂躙出来るだけの力がある。技量ではアーチャーが……なんだか気に入らないけど、アイツはひたすらに戦いが巧いのだ。ムカつくけど。
 ギルの剣はそのどれでもない、あしらわれるような感覚。巧いことは巧いと思うけど、何か理解できないものがあるのだ。

「ボクの剣は他の英霊、ランサーやバーサーカーに及びません。単純な戦闘という行為ではアーチャーにすら劣るでしょう。
 それでもボクが戦えるのは、偏に武器のおかげです」

 アーチャーとの戦いは視えない剣で相手の攻め手を封じ、圧倒的な膂力を持つバーサーカー相手には空間ごと凍結させる剣を持ち出し動きを封じた。
 つまりギルは己に足りないものをその手に握る武器によって補強する。戦況を見極め、相手に応じて担う剣を取り替えるのだという。

「そんなにいっぱい剣ばかり持ってる英雄なんて思い当たらないな……」

 一体幾つ持っているのかすら定かではない。俺が今まで見たのは……全部で三本か。おそらく、そのどれもがギルにとっての宝具ではない。

「タネが判らないから手品は面白いということで。仕組みの判ってしまった空想はつまらないですから」

 元々追求するつもりはない。ギルには俺の指示に従うより臨機応変にやってもらった方が何かと都合が良さそうだし。

「……ん? ちょっと待てよ。おまえが他のサーヴァントと戦えるのは武器のおかげだってのは分かった。じゃあなんで竹刀で戦ってる今、俺はおまえに勝てないんだ?」

「単純に実力の差でしょう」

 ぐっ……。元も子もない。
 単刀直入にして根本を貫くどうしようもない答えだ、それは。

「元々英霊と人間という差がある上に、お兄さんの剣には型がない。身体は充分に鍛えてあっても、剣を握ったことはそれほど多くはないでしょう?」

「ん、まあそうだな」

 切嗣が生きている間はそれなりにやってたけど、型とかそんなものは教わらなかったし、切嗣も特別剣技に優れていたわけじゃないからな。
 剣道有段者である藤ねえ辺りに教わっておくべきだったか……? ……いや、ダメだ。あれは本能で敵を倒すタイプだから型とかそんなものはない。あっても一子相伝、藤ねえと同類にしか継げないものだろう。
 何より、虎竹刀の封は解いてはいけない。

「型……か」

 つまりは俺の剣はただ我武者羅に振ってるだけってことだ。それなりに考えて振るってるつもりでも、実力が上の者から見ればあまりに拙いものだろう。あくまで素人のものである以上、それじゃあ戦乱の世を生き抜いた者達に敵うべくもない。

「よし、もう一回やろう。今度は負けない」

 ぐるんと身体を起こし、立ち上がる。距離を取り向かい合って対峙したまま、思考だけを回転させる。
 型。それは一朝一夕で身に付けられるものじゃない。それでも、より巧い人の剣を模倣するだけで多少は意味があるはずだ。

 思い出せ、これまで見たものの全てを。相手がサーヴァントであるのなら、こちらもサーヴァントの剣技を模倣すればいい。出来るかどうかでは既に問題ではない。やるかやらないか、それだけだ。

 ふ、と息を吐いて腹に力を込める。想像しろ。記憶を辿れ。死地で繰り広げられる、サーヴァント達の戦いを。
 ランサーの槍は不可。得物が違うし、見えないものは真似のしようもない。バーサーカーは論外。アレは力だけで戦う者だ。ライダーはおそらく、戦闘に特化した者ではない。あの脚を以って敵を撹乱するのが戦術のはず。

 この三人には届かない。人の域を逸脱した者を唯の人が真似できる筈もない。ならば残るは唯一人。甚だ気に入らないが、アイツの剣なら模倣できる。俺でも届きそうな剣技でアイツは他のサーヴァントと渡り合っていた。
 校庭で遠目に見、土蔵で打ち合い、庭で間近で見た剣だ。真似ろ。盗め。

 ────そう、アーチャーの剣を模倣(トレース)しろ!







 士郎は正眼に構えた剣を振り上げ、裂帛の気合と共に大きく踏み出す。一息の間に間合いを詰め、攻勢に出る。
 相手から打って出てくるのはいつもの事。セイバーは士郎に先手を取らせてから試合を始める。だが此度の一撃、何かが違う。

 繰り出される剣戟をやり過ごし、そのおかしな点を探し出す。
 五合。十合。二十合。
 これまで決意の夜から幾度となく互いの剣を合わせ、一度として三分と持たなかった魔術師が今回は長く持ち堪える。今までは隙あらば大きく振りかぶり、己の隙を露呈していた輩が、わざと隙を見せてもそれほど深く追い討ちをかけてこない。

 近接戦闘において相手の作り出す隙は大抵が罠である。相手を誘い込み、逆に隙を作り出させ、一撃の下に穿つ。刹那に繰り広げられる攻防において、素人がその差異を探し出す事は難しい。なればこそ、これまで彼が剣の騎士に勝てなかったのは必定である。

 しかしこの一戦。彼はセイバーの誘いに乗ってこない。間断なく竹刀を繰り出してはいても、そのほとんどが牽制の域を出ない攻撃だ。一撃一撃全てを必殺で繰り出すほど愚かな相手ではなかったが、これほどまでに慎重な戦い方は過去なかった。

「──────」

 セイバーは己がマスターの繰り出す剣に見覚えがあった。然もありなん、それは召喚の夜に相対したアーチャーの剣である。あの時も、アーチャーは防戦に重きを置いて勝利の瞬間を模索していた。
 この相手、衛宮士郎はその時の剣舞を模倣している。それがいかなる方法に拠るものかは推して図れないが、まさしくその剣技はアーチャーのものである確信があった。

 繰り出される剣にアーチャーほどの鋭さはない。重さもない。得物が違えば体躯の差もある。加えて経験と修練が決定的に足りていない。
 だがそれは紛う事なき弓兵の剣。未熟でありながら、遠い頂へと手を伸ばす剣の舞は清廉ささえ窺わせる。

 例えるなら、それは粘土細工。これまでただ掌で捏ね繰り回しただけであった粘土細工に一本の針金を通したようなもの。放っておけば崩れ去れる筈のものが、ただそれだけの行為で十二分の強度を得る。
 風が吹けば倒れる脆さが、嵐にさえ耐用出来るよう大地に根を下ろした。

 それを、少年は面白いと思った。
 口には出さず、ふぅん、と一つ頷きを胸中に収め、眼前の相手へと思考を移す。赤い瞳が捉えるのは眼に映るものだけではない。その奥、彼にしか視えないモノを見通すように射抜かれる。

 交差する剣戟にはつい一戦前の不自然さはない。凡庸な打ち込みであろうと、その全ては意味のある打ち込みだ。一手は次の手を見越した振り抜きであり、更に次へと繋ぐ牽制。最終的な勝利の為に幾重にも折り重なる連撃。
 芯の通っていない剣に芯が通った。それもただの芯ではなく、己に合った芯だ。それならば、それだけで衛宮士郎は一段階上の剣士へと昇華される。

「ぐっ────!?」

 だが甘い。その程度で届くほど、英霊の座は近き世界では在り得ない。
 相手の出方を窺い続けていたセイバーの剣が勢いを増し、攻勢に打って出る。わざと隙を作り出し、相手を誘い込んでいた動きは消え、もてる力と技で相手を屈服させる段階へと移行した。

 その突然の反撃に士郎は焦りを見せながらも確実に迎撃する。まるで、竹刀が意思を持っているかのように淀みなく動きセイバーの剣と鍔競り合う。
 苛烈と呼ぶには程遠い、人の領域での剣の応酬。七分以上続けられた攻防はしかし、セイバーの剣戟に対応できなくなり、痛恨の一撃をもらって昏倒した衛宮士郎の敗北で幕を閉じた。





/2


 意識を失っていたのは五分ほど。繰り出される雨のような連撃を捌ききれずに大きくバランスを崩したところへ放たれた脳天直下の一撃。あれほどの一撃を見舞われて五分で済んだのは僥倖と取るべきかはさて、今はどうでもいいか。

 アーチャーの剣を模倣した模擬試合の後、昼食を挟みその後も続けられた鍛錬。二時を過ぎた辺りで不意にギルが剣を止め、『今日はこれくらいにしておきましょう』と言った。
 自分でもよくわからないくらい調子が良かったからもっと続けたかったが、休むのも鍛錬のうち、との事。
 まあそう言われては仕方がない、元々今日は身体を休める為に学校まで休んだわけだし。

 頭を切り替えて夕食の下準備でもするかと思い立つ。最近は桜に世話になりっぱなしだからな、今日くらいは俺がちゃんと作らないと。
 しかしここ数日目まぐるしく慌しかった為か、ろくな買い物すらしていないことに冷蔵庫を開けてから気がついた。体調不良である──事になっている──俺を案じて桜が作り置いてくれた昼食分でほぼ全ての食材を使い切ってしまったのだろう。

 休日に先を見越して買い込んでおかなかった自分の落ち度だな、これは。
 というわけでタイムセールにはまだ早いが買出しに行く。美味い料理はまず入念な下準備があってこそなのだ。

「はぁ、それにしても」

 引っ張り出した自転車のペダルを漕ぎながらゆっくりと坂道を下りていく。カラカラと回る車輪の音をBGMに吹きつける風の冷たさを身体全体で実感する。慣れ親しんだ道を行くのは身体に任せて頭は別の事を考えていた。

 模倣して以降、自分でも驚くほどに身体が動いてくれた。まるで自分の身体じゃないかのように、竹刀が意思を持っているかのように。それでもギルにさえ届かなかったが、昨日までの自分と比べれば驚くほどの進歩である。

 しかし腑に落ちない。いくら模倣とはいえ“出来すぎている”。普通、思い描いた動きを真似たくらいで腕前が上がったりはしない。そんな事がまかり通れば今頃世に剣の達人がゴロゴロいるだろう。
 だからこそおかしい。即席であんなにアーチャーの剣が身体に馴染むなんて……。

「……む。もしかして俺、ムカついてる?」

 果たして何に対してか。決まってる、ムカつくアイツの剣が馴染むこの身体にムカついているのだ。
 いや、それでもこの僅かな期間での上達は嬉しいものがある。それがたとえ借り物の強さであろうと、俺には力が必要なんだ。

「でも……足りない」

 アーチャーの剣を模倣して、なんとかカタチだけは取り繕ってみたが到底及ばない。戦おうと思うならせめて後一つ、必要なものがある。
 それは武器。サーヴァントを倒せないまでも身を守れる武器は欲しい。土蔵でアーチャーと打ち合った時のように、木刀に強化だけじゃすぐに使い物にならなくなるだろう。

 それこそまともにやろうと思うなら神秘で武装したサーヴァントと同等な武器でもなければ話にもならない。でも現代にそんな物は希少だし、もしあったしても魔術協会とか聖堂教会が押さえているだろうしな。

 お手本は身近にあるのだ。ギルが足りない能力を武器で補うように、俺も同じように出来ればいい。
 ……ギルに借りる? いや、無理だろう。貸してくれるかどうかがまず問題だし、もし借りられてもきっと俺じゃ扱いきれない。宝具は担い手が使って初めて輝く武装だ。素人が手に取ったところで宝の持ち腐れ、その辺の棒切れと変わらない。
 俺でも扱えそうで、かつ宝具並に強固な武器────俺だけの武器……。

 そんな、思考の渦に囚われていたのが拙かった。

「きゃっ」

 気がつけば自転車は交差点に突入しており、しかも目の前には少女の姿。小さな路地から出てきたであろう少女は丁度俺の前で動きを止めていて、か細い悲鳴を上げていた。それに気づかず、余計な考え事をしていたせいでまともに躱す時間すらなかった。

「──────くっ!?」

 拙い、と思った瞬間、全力でブレーキを引いて無理矢理にハンドルを切る。キキキキッ、と甲高い音を撒き散らしながら乗っていた自転車はあらぬ方向へと転進し、

「うぁあああああああああああ!?」

 がっしゃーんと派手に電柱にぶつかった。

「いててててて……、」

 横転し、投げされた身体を起こす。空転する車輪の音が妙に大きく聞こえる。というか痛い。まともに転んだのなんて何時振りだ。
 いや、そうじゃなくてまずは少女の無事の確認だ。

「もうっ、危ないわね。ちゃんと前を見て運転しないとダメじゃない」

「うっ……。ごめん、ちょっと考え事して、て……?」

 陽光を遮られ視界が僅かに暗くなり、かけられた幼さを残す声に反射的に答えて顔を上げる。非は前を見ずに運転していたこっちにあるのでお叱りを受けるのは当たり前だが、そんな事より。

「え、イリヤ……スフィール?」

「────こんにちわ、お兄ちゃん。また会ったね」

 覗き込むように柔らかく微笑む銀の髪の少女。
 それは間違いなく、昨日の夜、俺達と戦ったイリヤスフィールだった。













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