剣の鎖 - Chain of Memories - 第十九話









 硬質な道路の上に座したまま、俺はその少女を見上げる。
 さらさらと風に溶けてしまいそうな銀の髪を揺らし、両手を腰に当てて覗き込むように見つめてくる赤い瞳。

「…………」

 呆と現状が理解できないまま目を丸くする俺がお気に召さないのか、昨夜……イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと名乗った少女は唇を尖らせてむぅ、と唸る。その後はっと何かに気づいたように、

「……お兄ちゃん? まさか、どこか怪我でもしたの?」

 心配そうに眉を顰めた。

「いや、怪我はない……けど」

 ようやく意識が追いついて、何とか言葉を紡ぎだす。その頭でもう一度少女の顔を見上げて、唐突に、炎の中に佇む巨人の姿を幻視した。

「──────!」

 ばっと身体を起こし少女より距離を取る。彼女はこれでもギルが目下最大の敵と認めたバーサーカーのマスターだ。なんでこんな場所にいるのかは知らないが、敵であることには変わりない。己の迂闊を呪いながら腰を落としていつでも駆け出せるように身構える。

 そんな俺を少女は小首を傾げながら見つめている。
 その瞳は、『ねえ、一体何してるの?』と言わんばかりの痛い視線。なんだかこれじゃ俺の方がおかしな人じゃないか。

「ねえ、一体何してるの?」

「……直球か。いや、そうじゃなくて。ええと、イリヤスフィール……だっけ?」

「うん、覚えててくれたんだね! あ、でも言いにくかったらイリヤでいいよ!」

 パァっと明るくなる表情。その笑顔には昨日のような敵意や殺意、不敵さが微塵も感じられない。そう、まるで年相応の少女であるかのように。
 けれども昨日の出来事をなかった事になど出来ない。落とした腰をそのままに、視線を強くする。

「まさか……ここでやる気か?」

「? おかしなコトを言うんだね。お日さまが出ているうちに戦っちゃダメなんだから。
 それで、お兄ちゃんの名前は?」

「────は?」

「だから名前。昨日言ったのにもう忘れちゃったの? 次会ったら名前教えてねって」

 確かに聞いたけど。ちゃんと覚えてるけど。

「……衛宮士郎。言いにくかったら士郎でいい」

 問われたのなら答えなければなるまい。それにこっちが一方的に名前を知ってるってのも話にくいだろうし。
 士郎士郎と口の中で反芻する少女。…………何か、大事なものを胸の奥にそっと仕舞い込むような呟き。その姿はあまりに無防備で、敵意の欠片さえ感じられない。

「なあ、イリヤスフィール」

「ん? なぁにシロウ」

「本当に戦う気はないのか?」

「ないよ? 今はバーサーカーも連れて来てないし、シロウもセイバーを連れて来てないでしょ?」

 ケロリと言うイリヤスフィール。ううむ。嘘をついているような雰囲気はないし、本心からそう言っているとしか思えないな。
 それこそ殺そうと思うのならとっくに殺されていてもおかしくはない。通りには偶然にも他の人影はないんだし。

「じゃあ一体何してるんだ? こんなところで」

「シロウを探してたの」

「俺を……?」

「うん、シロウこの辺りに住んでるんでしょ? だからそのうち会えるかなって」

 そうしたら本当に会えたの、と微笑むイリヤスフィ……ああもうめんどうだ、イリヤ。
 地方都市とはいえ冬木もそれなりに広い。深山町に限定したって当てもなく彷徨って俺と遭遇する見込みなんて高が知れてるだろうに。
 住所を知ってれば直接家に訪ねる方が確実だが、あんまり巧くはないな。あのギルが何ていうかなんて分からないし。

「シロウはどこに行くつもりだったの?」

「俺? 俺は夕飯の買出しに商店街まで」

「ショウテンガイ?」

「えーっと、そうだな。色んなお店が集まってるところだ」

「ああ、さっき通ってきたところね」

 って何を普通に話してるのか俺は! 俺とイリヤは聖杯戦争のマスター同士でつい昨日殺し合いをしたんだぞ? それがなんでこんなほのぼのした会話なんてしているんだ。
 そりゃ今のイリヤにその気はないとしても、いつ気が変わるかなんて分からないんだ。ここはこっそり逃げ出すのが得策────

「ねぇ、それわたしもついていっていい?」

「はぁ!?」

「ね、いいでしょシロウ!」

「────ぃい!?」

 ガバッと飛びついて腕に絡むイリヤ。一体今度は何のつもりなんだ!?

「えぇい、一体なんなんだ! 何がしたいのか全然わかんないぞ、おまえ!」

「きゃっ!」

「まず────!」

 振り払った腕からイリヤの手が離れ、そのままよろめいて倒れそうになる。すかさず手を伸ばしてイリヤを支えて、ゆっくりと地面におろした。
 ぺたんと座りこんだ少女のこちらを見上げる目が丸から線へと移り変わる。

「────ふぅん、シロウはわたしのことキライなんだ?」

 その紅玉のような瞳は無垢な少女のものではなく、マスターとしてのものだ。
 ……断言しよう。この少女、イリヤスフィールはたとえ昼間の往来であろうと、殺すと決めたら殺せるものだ。

「……わかった。好きにすればいい」

 抵抗の余地なし。
 はぁ、とため息をつく俺とは対照的にイリヤはまたも笑顔を咲かせる。

「じゃあいこっ! 早く早くー!」

 軽やかなステップを踏む少女には疑いの欠片もない。俺が好きにすればいいと言った言葉をどこまでも信じて、裏切られるなんて思ってもいない。

「俺も……まだまだ子供なのかな」

 その信頼を裏切れるほど俺はまだ大人になんて成りきれていない。
 横倒しになったままの自転車を起こし少女の後を追う。見上げた空は、何一つ変わることなく澄んだ青さを湛え続けていた。






過去からの呼び声/Intermezzo IV




/1


 イリヤを連れてスーパーへ。いつもなら肉や魚、野菜類などは顔馴染みのお店で買うことにしているが、今日だけはここで全て揃えてしまう事とする。イリヤと並んでそんな面識の深い場所に行ってはどんな誤解をされるかなんて分かったものではない。

 いや、それを言うならこの場所とて拙い。同じく夕食の材料を買いに来たであろう主婦の皆々様が好奇の視線を向けていらっしゃるのがありありと分かってしまう。さて、俺達は一体どういう風に見られているのだろうか。

 兄妹では通じまい。何せ髪から目から全く違うのだから誰がどう見ても同じ血を引く者には見えないだろう。では友達? いやいや、小柄なイリヤとまあそれほど背の高くない俺ではあるが少なくとも同年代には見えまい。
 そうだな、いいとこ海外から遊びに来た知り合いの子とお兄さん……ってところか? 悪い方には考えないようにしよう。うん、そうしよう。

「ねえシロウ。シロウの今日の夕食は何なの?」

「いや、まだ決めてない。モノを見てから決めようと思って来たからな。イリヤは好きな食べ物、何かあるか?」

「わたし? そうねえ……」

 んー、と唇に指を当てて悩む少女。その口から出てきた料理の名は俺の知らない料理名だった。どうやらドイツ料理っぽいけど俺の専門は日本食だしなぁ。桜あたりなら分かるのかもしれないけど。

 食材を物色しつつ、イリヤと他愛もない話をする。既に馴染んでしまっている自分自身にいまいち掴みきれない感情があるにはあるが、どうやら今のイリヤはマスターではなく一介の少女であるらしい。
 ならば深く警戒するよりも自然体でいる方がいいだろうと自己完結して夕食の献立を手早く決めていく。

 そんな俺の心情を知ってか知らずか、イリヤは物珍しそうにきょろきょろとしている。山積みにされた卵のパックに感嘆の声を上げたり、見たことのないものを見つけると、これは何? と問いかけてくる。

「それは玩具付きのお菓子だ。海外ってこういうのないのか?」

 日本のそれは最近ではかなり凝っていると聞く。お菓子がメインなのか、玩具がメインなのか分からなくなるほどに。いや、それは昔から変わってないか。

「知らない。こういう場所に来たのだって初めてだし」

 手に持っていたお菓子の箱をそっと戻してまた新しいものを探しにいく。その後姿を見送って、さっきまでイリヤのいた場所を注視する。

「……別に、懐柔しようってわけじゃないからな」

 しげしげと見ていたお菓子の箱を取って籠の中へ。この程度では、財布も痛むことはないだろう。







 とりあえず夕食の買出しは完了だ。両手に持った袋を自転車の籠に入れて、一緒に出てきた少女を見る。

「で、おまえ本当に一体何がしたかったんだ?」

「ぅん? シロウってば本当に人の話聞いてないのね」

 はて、と首を傾げる。何かこの少女の行動の動機になるような事を聞いたことがあったっけ?

「昨日言ったでしょ、シロウに興味が沸いたって。だから普段のシロウがどんなコトしてるのか見てみたかったの」

「ああ……そういえば。それで、どうだったんだ?」

「何が?」

「だから感想。別に面白くもなんともなかったろ」

「そうでもないわ。知識と経験は違うもの。それが未知のものならなおさら。知らないってコトはね、知るっていう喜びに満ちていて、それだけで楽しいもの」

 なんだか難しいことを言うイリヤ。

「あー……つまり楽しめたってことでいい?」

「うん。で、次はドコに行くのシロウ!」

「いや、買い物はこれで終わりだけど」

 えー、とあからさまな非難の声を上げるイリヤ。そういわれてもな、これ以上は持って帰れなくなるだろうし財布にそれほど余裕があるわけでもない。と、そこへ鼻腔をくすぐる甘い匂いが漂ってきた。

「ん、ちょっとここで待っててくれ」

 自転車の傍にイリヤを待たせて道路の反対側へ。甘い匂いの元、江戸前屋で大判焼きを購入。手渡された袋には焼きたての温かさがあった。

「イリヤ、まだ時間あるんだろ? ちょっと話をしないか」

 昨日の去り際、イリヤが口にした名前。切嗣という名。それが本当に俺の知る衛宮切嗣のものであるのなら、その真意を知りたい。
 しかしこちらの真剣な態度など意に介した様子もなく、

「お話? いいよ。あ、あっちに公園があったよね。そこでしましょ!」

 ただ、その話をするという行為に喜びを感じているように、イリヤは駆け出した。







 誰もいない公園に着いて、切嗣の話を切り出した途端、重い沈黙が流れ出した。ペンチに腰掛け、ついさっき買った焼き立ての大判焼きを差し出して、おずおずと受け取った少女の表情は優しかったというのに、今では硬い、石膏で塗り固めたような険しい表情になっていた。
 沈痛な静寂の中、二の句なんて継げる筈がない。この沈黙が、少女の俺の質問に対する答えだと分かってしまったから。

 寒空の下、齧り付いた大判焼きだけが温かくて、甘い。少女の手の中にある同じものを見れば、空に浮かぶ月のようにそのカタチを保ったままだった。

「────ウソつきなの」

 そんな静寂を打ち破ったのはイリヤだった。

「え────?」

「だから、キリツグはね、ウソつきなの」

「切嗣が……衛宮切嗣がイリヤに嘘を吐いたのか?」

 こくりと頷くイリヤ。
 沈黙を是としたイリヤだったから、これ以上の話は聞けないと思っていた。無理強いするつもりはなかったし、話したくないことを話させるなんてのは趣味じゃない。
 それでもイリヤは言葉を紡いでくれた。何も知らない俺ではあるけど、少女の言葉には出来る限り応えたかった。

 子供にとって、大人の嘘は大きな影を落とす。無垢であるが故にひょんな嘘から誰かを信じられなくなったり、言葉の全てに疑念を抱くようになる事だってある。それが、大切な約束であればあるほど生まれる影は大きくなる。

 切嗣が吐いた嘘がどんなものかは俺は知らない。それでもおそらくだが、イリヤにとっての切嗣の嘘はまさにその類のものだ。信じたものに裏切られる事は、子供だからこそ許容し難い。

「シロウはキリツグにウソつかれたコト、ない?」

「俺か、俺は……」

 冗談めかしたものはあったかもしれない。それでも、明確な嘘と呼べるものがあったかと問われるなら。

「なかったように思う」

 きっぱりと口にした。
 少し、悲しげな顔をするイリヤと目を合わせていられなくなって空を見上げた。あの火災の中から見上げた泣いている空はなくて、綺麗に晴れ渡っている。

「俺の知ってる切嗣はどうしようもない人だった。ふらっと出掛けたかと思えば何ヶ月も帰って来ないなんてことはザラだったし、家に居れば居るでほとんど何もしない人だったからな」

 まあ土産話は面白かったし、切嗣のそんな不精な性格のおかげで、俺は自分の面倒は自分で看なきゃならなかったから必然的に家事全般をこなす事になったんだが。いや、それも今では十分に役に立ってるけど。
 きょとん、として目を丸くしたまま見上げてくるイリヤを一度だけ視界に収めて話を続ける。

「そんな人だったけど、悪意のある嘘は吐かなかったと思う。だから切嗣がイリヤに言ったことも、守りたくても守れなかったんじゃないのかな」

 僕は魔法使いなのだ、と名乗った時も、魔術の教えを請う時も、最後の──縁側での会話の時も、切嗣は切嗣だった。俺の知る切嗣とイリヤの知る切嗣の違いは判らないけど、少なくとも俺の中ではその全てが真実だ。

「……そうだね。約束を守れない“理由”が在ったとしたら、しょうがないよね」

 立ち上がって、小走りに公園の出口へと向かうイリヤ。
 もう帰るのか、と思ったけど、手前でくるりと舞うように振り向いて、

「それでも──それでも、わたしは許せない」

 明確な拒絶をした。

「ねえ、シロウ。シロウはわたしがなんでこの町に来たか、知ってる?」

「……聖杯を手に入れる為、じゃないのか?」

「うん。アインツベルンのマスターとして、聖杯の成就は全てに優先される事項。だけど、イリヤスフィールの目的は別にあるの」

 ────わたしの目的はね、キリツグとシロウを殺すコトなんだから。

 そう、最後に告げて。
 イリヤスフィールは公園から立ち去った。







 イリヤのいなくなった公園で、一人きりになった公園で、ベンチに座ったまま暫し頭を抱える。イリヤの言ったことの真意が汲み取れない。イリヤは言った。マスターとしてではなく、イリヤという個人の目的として切嗣と俺を殺意の対象としていると。

「…………」

 二つある買い物袋の小さい方をごそごそと漁る。取り出したのは、玩具付きのお菓子。箱についてる小窓から中を覗けば、造詣の細やかな小さな鳥が収まっている。

「結局、渡しそびれちまったな」

 次会った時渡そうか。会ってくれるかな。貰ってくれるかな。憎しみの対象から、受け取ってくれるだろうか。
 空を見上げる。赤みを帯び始めた空が、今は少し恨めしい。

「なあ、切嗣(オヤジ)切嗣(オヤジ)言ってたじゃないか、女の子には優しくしなきゃダメだって。泣かせたら後で損するって。
 なのにさ、一体あの子にどんな嘘吐いたんだ? あんな────」

 ────今にも泣き出しそうな顔で、俺と切嗣を敵だと言わせるほどの嘘を。

 イリヤと切嗣の関係は結局判らずじまい。それでも分かった事もある。だから明日も、ここに来よう。また会えるなんて保証はない。先にマスター同士として出会ってしまうかもしれない。それでも、あんな顔を見せられて、放っておける筈がない。

 イリヤは明確な悪意を持った敵じゃない。話せばきっと分かってくれる。切嗣の言葉がイリヤを縛り付けるのなら、その息子である俺が解いてやるべきだ。切嗣の代わりにはなれないけど、俺は俺としてイリヤに接することは出来るんだから。





/2


「アーチャー、気づいてる?」

 凛の囁くような声に短くああ、とだけ返ってくる。

 放課後。人気の消えた廊下を凛はある目的を持って一人歩いていた。その目的とはこの学校を覆う結界の基点たる呪刻の破壊……いや、正確に言えば妨害である。
 校内を下から上へと虱潰しに練り歩くこと二時間。外はすっかり夜の帳が降りており、静かな夜気で満たされ喧騒も消え失せた後だ。

 一向に姿を見せない結界の主に対して凛が出来る事は限られていた。根本からの破壊が不可能な以上、少しでも発動を遅らせ威力を弱める為に呪刻に集まる魔力を霧散させる。しかしそれとて凛にとっては副次的なものだ。本当の狙いは別にあった。

 夜の校舎を歩くのは何度目だろうか。静まり返った四角い空間にかつんかつん、と反響する靴の音がやけに大きく聞こえる。一度も振り返らず、凛は階段を上っていく。行き着く先は屋上、最終到達地点である。

 鉄製の扉を開ければ、星空が出迎えてくれた。誰もいない屋上へと出て、凛は僅かばかり空を見上げて深く呼吸をする。冷たく澄んだ空気を取り込んで、肺に溜まった腐乱した空気と入れ替えて、屋上にある最後の呪刻を素通りし、そのままフェンスへと歩み寄った。

 フェンスに手をかけて少し、思索を巡らせる。
 凛の抱えるもう一つの懸念事項、衛宮士郎は今日、学校に来なかった。懸命な判断だ。もし昨日と同じように無警戒で登校すれば、それこそ此度の聖杯戦争の脱落者第一号になっていただろう。あれだけ忠告してなお聞かないのならば、致し方のないことだと言える。

「ああ……もうっ!」

 がしゃん、とフェンスに八つ当たり。一体なんでこんなにアイツを気にするのか。もう借りは返したのだから、次出会えば倒すべき敵として相対すればいい。そこに他の感情の挟み込む余地などない。魔術師同士の戦いにそんなものは必要ない。

 わかってる。わかってるのに。
 ────アイツが今日来なかった事に、安堵している自分がいるのは何故だろう。

「ほんとう……一体何だってのよ……」

 ざわついた気持ちを押し殺す。考えるな、くだらない、瑣末な事だ。あんなヤツにイライラする理由なんかない。
 そう、そうだ。今朝、あんなヘンな夢さえ見なければ……

「──そこのヤツ。いい加減、姿を現したらどう?」

 振り返り、睨み付けるような視線が向いた先は扉。凛がその手で押し開けた扉だ。裡で渦巻いた感情の捌け口とするように、吐き出された言葉には棘があった。

「こそこそと付け回すなんていい趣味してるじゃない。だけど、そんな下手な尾行で気づかれないとでも思ってた?」

 声には怒気が篭っている。果たしてそれは何に対してのものなのかは考えるつもりもないし、考える必要もない。意味もなければ意義もない。あるのは本命がわざわざ自分から現れてくれたという事だけだ。

 呪刻の洗浄中、ずっと付き纏っていた絡みつくような視線。気色の悪い、まるで隠すつもりなどない不躾な視線を受け流せるほど、今の凛は心中穏やかではない。
 視線が一般の生徒でない事などとうに看破済み。ならば視線の主とは、この学校に潜むもう一人のマスターに他ならない。

 動きがあるとしても明日、と読んでいた凛にとってこの邂逅は喜ばしい。
 問題があるとすれば、わざわざ見つかる為としか思えないほどの執拗な尾行の裏にあるものだ。余程の自信家か、それとも。

「そう怒鳴らないでくれよ。せっかくの美人が台無しじゃあないか、遠坂」

 言葉と共に錆び付いた音がして開かれる扉。
 人工の闇から天然の灯りの下に、ゆらりと現れたのは、

「……慎二?」

 ライダーのサーヴァントを連れた、間桐慎二であった。
 予想外の人物ではあったが、相手は既にサーヴァントを連れている。凛はアーチャーを即座に現界させて、奇襲に備える。

「ちょっと、慎二。なんでアンタがサーヴァントを……?」

 間桐慎二が魔術師ではない事など凛も知っている。だから解せない。サーヴァントを召喚し従えられるのは魔術師のみ。たとえ魔道の家系に生まれようとも魔術回路を持たない慎二では使役出来ない筈である。
 だからこそ、これまで凛は慎二を警戒してこなかった。間桐のマスターである可能性を持つもう一人の人物が令呪を持たなかった時点で、一般人と遜色のない慎二がマスターに成り得る可能性など考えもしなかった。

「そんなことはどうもいいじゃないか。コイツは僕に従うサーヴァント。それ以外の理由が今必要かい?」

 口元に厭な笑みを貼り付けたまま、慎二は傍らのサーヴァントの肢体に指を這わす。漆黒のサーヴァントは微動だにせず佇んだまま。
 そんな、数メートル先に立つ両者を睥睨した凛は、

「……そうね。じゃあアンタはわたしの敵ってことでオーケー?」

 余分をすっ飛ばして結論だけを衝きつけた。
 そうだ、慎二の言うように余分な理由は必要ない。敵が誰であろうとそれがサーヴァントを従えた者であるのなら、打ち倒す敵とだけ認識すればいい。
 それはアーチャーに問われた時に出した決意の証。違える気などない、しかし迷いを生じさせる答え。

「待て待て待て待て、待ってくれよ遠坂。逸るなよ、僕は戦いに来たわけじゃない、古き盟友と話をしに来たんだ」

 戦う意思を滲ませる凛の瞳を直視した慎二が慌てて言葉を紡ぐ。『古き盟友』という単語に、凛は僅かに反応を見せた。

「ああ、話を聞いてくれる気になったかい? それじゃあその目を止めてくれないか。いつ攻撃されるか分からないなんてのは、落ち着かないからね」

 ケラケラとどこか余裕を垣間見せる慎二の態度に凛は少し疑いを強くする。特に慎二の脇に控えるサーヴァントに対する警戒は緩めず、アーチャーにも同じく無言の指示を飛ばし現状を維持する。

「それで、話って何かしら? わざわざ二百年も前に取り交わされた盟約を持ち出すからには、相応な話なんでしょうね?」

 上辺の警戒を解いて、内心の疑いは晴らすどころか強めて会話を続行する。視界に敵を納めておけば、万が一も有り得まい。たとえ凛が見逃そうとも、アーチャーの眼から逃れられる筈などないのだから。

「おいおい、その言い方じゃあまるで廃れちまったみたいじゃないか。僕らは共犯で同志なんだぜぇ? もっと好意的にしてくれよ」

「……ふん。そんなカビの生えた盟約が何だっていうの。
 わたしが取り交わしたわけでもないし、そもそもが聖杯戦争がこんな儀式だって知れた時に袂は別ったも同然じゃない」

 始まりの御三家と呼ばれる、聖杯戦争の発端である三つの家系。アインツベルン、マキリそして遠坂。確かに、始まりは同じだったのかもしれない。利害の一致、志の同調、何が決め手となったかは今では知る術はないが、三家は互いの手を取り合った。
 それが今では互いが互いを敵視し、血で血を洗う凄惨な殺し合いをする仲である。始まりの時にあったであろう関係は既にない。

「そうでもないだろ? ほら、君の父君はその廃れた盟約に従い、マキリの要請に応えてくれたんだからさ」

「────……っ!」

 凛の顔色が変わる。ここでその話を持ち出すのか。

「それで、一体何の用なのよ。さっさと言いなさい」

 くだらない話であれば有無を言わさず討つ、と語らずとも理解出来るほどの敵意を放つ凛。対する慎二は乾いた笑い声を上げて、

「なぁに、簡単な話さ。
 ────桜を、遠坂に返そうかと思ってね」

 そんなコトを口にした。

「……────え?」

 それは、思いも寄らなかった言葉。
 間桐慎二の紡いだ言霊は、遠坂凛を揺さぶるには十分すぎる響きがあった。













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