剣の鎖 - Chain of Memories - 第二十一話 気がつけば、陽は傾きかけていた。 人気のない公園。錆び付いた鉄と砂で構成される荒涼とした公園で、俺は思いのほか長い時間、物思いに耽っていたらしい。いや、それともあの少女……イリヤと共にいた時間が長かったのか。 どちらでも構わないか。明日、たとえ無意味であってもこの場所を訪れるということだけは決められたから。 「……ふう」 ベンチより立ち上がり、深く呼吸をする。地平の彼方には、赤く燃え盛るように太陽が輝いている。僅かに目を細めて見やってから、今度は溜め息をついた。 「こりゃ怒られるかなぁ、色んな意味で」 俺が商店街を訪れた当初の目的は夕飯の買出しだ。けれどもこの茜色の空は、時の経過の深さを物語る。 つまりは夕飯の準備をするには遅すぎる時間だってことだ。 そうなればもう開き直ってしまった。買い物袋の詰め込まれた自転車を押しながら今一度商店街を練り歩く。夕飯の準備が遅れるのはこの際仕方がないとしても、あの虎を説き伏せるだけの交渉材料は必要だ。 ただでさえ学校を休んだ日に飯が遅れたなんて藤ねえに知れれば、それこそ咆哮だけでは済むまい。 故に、量で説き伏せる事しか思いつかない。言葉での問答など無意味だと理解より深く理解出来ているのだから、ならば後は物量に訴えるしかないだろう。満腹の猛獣はたとえ獲物が目の前を通り過ぎたとしても襲わないって言うからな。 問題があるとすれば、空腹時には言葉しか武器がないって事だろうか。 と、そんな物騒なコトを考えながら歩いていると、その人物の姿が目に留まった。見えるのは後姿だけだが、見間違える筈もない。 「アイツは、また……」 僅かに溜め息を零して、頭を抱えた。別に家にいろとは言っていないが、何処かに行くなら伝えるべきなんじゃないだろうか。この前みたいに……念話紛いのことも差し迫っていない今なら出来るだろうに。 もう一度息をついて、足を速める。そこでようやく、その少年が一人ではないことに気がついた。 本来そんなことは有り得ない。前を行く二人は会話をしながら歩いているのだから、気がつかない筈がない。強いて言えば、ギルの居住まいというか雰囲気が華々しすぎて、隣を歩く少女の印象が薄れていたというか。 ギルは容姿からして格別に目立つ。本人が意識しているかは知らないが、ただ歩いているだけで人目を惹くだろう。対してその少女はどこまでも普通で、人ごみに溶け込んでしまいそうな雰囲気だった。 ただそれでも、毒々しいまでの華やかさを持つギルの隣を歩くのなら、こんな少女の方が似合っているのではないかと、なんとはなしに思った。 黄金の大樹に寄り添うように咲く、一輪の質素な花。 ────三枝由紀香という少女は、そんな印象を俺に与えていた。 その願いの意味は/Intermezzo VI
/1 「あれ、お兄さん?」 「……あ、衛宮くん」 と、こちらから声をかけるより先にギルが俺の存在に気づいたらしく、振り向きながらそんなことを言った。 同じく振り向いた三枝は変わらずほにゃっとした表情で、両手に買い物袋を一つ提げていた。ギルも同じように一つ買い物袋を持っていることから、三枝の荷物持ちでもしてたんだろうか。 「よ、こんにちは、三枝。それとギル、おまえまた勝手に出歩いてるのな」 「いやぁ、ちょっと散歩でもしたい気分だったものですから」 「まあ、いいけど」 にぱにぱ笑顔に騙されたわけじゃないけど、特に追求するほどのことでもないのでこの話題は打ち切った。 「それにしてもお兄さん、まだ帰ってなかったんですか? これから夕食の支度をしたんじゃ結構な時間になりそうですけど」 「……言うな。俺だってそのことで少し頭を痛めてたんだから」 はぁ、と露骨な溜め息をついてこれから起こり来るであろう災厄を出来るだけ考えないように頭を振った。そこへ、「あの……」と俺達の会話に入ってこれていなかった三枝が声を上げた。 「衛宮くん、体調はいいの……?」 「へ──体調?」 「うん。今日英語の授業があったんだけど、藤村先生なんだか元気がなかったの。でね、それは衛宮くんが休みだからだって鐘ちゃんが言ってたから」 あ、そうだった。俺は今日体調が優れないって理由で学校を休んだんだったっけ。こんな時間に学校を休んだヤツが私服でうろついていたらそりゃ何事かと思うか。 それにしても藤ねえ……一応教師なんだからそんなコトで生徒を心配させるなよな。 「ん、ああ、身体の方は大丈夫。朝方ちょっと気分が悪かっただけで、今は何の問題もないよ。明日からは普通に学校に行けるだろうし、藤村先生を深刻な顔にさせるような重病でもないから」 「そっかぁ、良かったぁ」 本当に、心の底から安堵しているかのような笑みを三枝は浮かべた。さして深い仲でもない他人の事に、ここまで真摯になれるというのは、ある種の才能みたいなものか、あるいは三枝の持つ魅力なのだろう。 加えて周りにいる人を同じような安堵感というか優しい気配に包ませるのも。 だからこそ、その嘘は胸に痛い。世の中には騙してはいけない人間というものがいるのだと、三枝を見ていると思い知らされる。 「ところで、衛宮くんも夕飯のお買い物?」 「ああ、ウチも食い扶持が多いからな。最近また一人増えたし」 「それはボクのコトでしょうか。ええ、確かに。お兄さんの料理は中々に美味しいですけれど、ボクは由紀香の料理も食べてみたいかな」 「え、わ、わたしの……?」 「うん。きっと由紀香の作る料理は美味しい。材料に拘らなくとも、かける手間暇と、何より籠める心さえあれば料理はどこまでも美味しくなる。 由紀香は食べる側のコトを考えられるヒトだから、由紀香の料理が美味しくない筈がないんだ」 「相変わらずだな……コイツ」 ぼそりと呟く。俺や藤ねえ達に接する態度と三枝に接する態度が妙に違うように感じるのは、俺の気のせいではないだろう。 確かに、コイツはくだらない嘘を吐くような人物ではないと知っているが、本心からの言葉でそこまで言えるのはまあ、ある種の尊敬の念を抱かざるを得ないというか。ほら、三枝が赤くなったぞ。 「え、え、そ、そんなことないよぅ。衛宮くんの料理は美味しいって、クラスでも評判なんだから。それと比べたらわたしの作るものなんて」 「いや、そんなことはないぞ。俺の料理……弁当なんてあり合わせだし、何より女の子の作る弁当と比べるなんて畏れ多い」 そりゃもう価値が違う。俺の弁当が路肩に転がる石ころなら、三枝の作る弁当は宝石みたいなものだろう。そもそも、生まれた瞬間からして別次元の存在である。 それよりも三枝のクラスにまで広がる俺の弁当の噂とな。これ以上刺客が増えるのは勘弁願いたいところなんだが。これからはより迅速に生徒会室に逃げ込まないと拙いかもしれない。 「え、あ、う、はわぁ……」 ぷしゅーと音を立てて、熟しすぎた林檎のように耳まで真っ赤にした三枝が声にならない声を上げた。 なんていうか、拙くないか……? 話題、話題を変えないと。 「そ、そうだ。ずっと気になってたんだが、なんでギルと三枝が一緒にいるんだ?」 二人の面識なんてそれこそ校庭の一幕くらいのものだろう。さして関係のないギルと三枝が並んで買い物なんてのは、珍しいと言えなくもない。 何よりギルはサーヴァントだ。願いを携え、現世に舞い戻った英雄の果て。こうして気ままに出歩いていることすら珍しいのではないか。 そんな俺の疑問に答えを返してくれたのは三枝ではなく、ギルであり、 「そんなに深い理由はありませんよ。先ほど話したように、散歩をしていると由紀香の姿が見えたもので。 ボクが見かけた由紀香は買い物袋二つに学生鞄なんて、どう見ても由紀香の許容量以上の荷物を持ってましたし、そのまま放ってはおけないでしょう? また転ばれでもしたらコトですし。 ────何よりボクは由紀香に好意を持っていますから。見かけて声をかけない理由はありません」 さらりと、そんな事を口にした。 「──────」 「──────」 息を呑む気配は二つ。もちろん自分のものと三枝のものだ。 コイツ……今なんて言った? 好意を持っている? それは慕う意味での好意ではなく、愛情としての好意なのだろうか……? それでまた話が違ってくるのだが。 というか、話題を変えようとした俺の思惑は何処へ……? 三枝、固まっちまったぞ。 「え、あの、ギル……くん?」 ようやく紡ぎだした三枝の言葉は言葉にすらなっていなかった。何が言いたいのか、本人すらきっと分かっていない。 ギルの瞳に邪気はない。本心からの純粋なまでの告白だ。ギルの意図は知れないが、三枝にとってみればこれほど純真な言葉を向けられたことは初めてなのかもしれない。 「ああ、由紀香、返事は要らないよ。ボクはただ、自分の気持ちを口にしておきたかっただけなんだ。ボクがこの場所に居られる時間は限られてる、だからこの出会いを忘れないように、言葉にしておきたかっただけなんだ」 儚げな笑みを浮かべて、ギルはそう告げた。 「ギル……」 そうだ、ギルは聖杯戦争の為に呼び出されたサーヴァント。聖杯戦争がいつまで続くかは知らないが、それでも期限はあるだろう。 聖杯という巨大な補助装置があってこそサーヴァントは現界していられる。マスターという楔があったところで現界出来るだけの魔力提供がなければ消滅するのは道理。聖杯が消え去ってしまえば、聖杯戦争が終結してしまえば、その時がサーヴァントがこの世を去る時なのだ。 ギルはそれを理解した上で言葉にした。 たった二回程度しか会っていない少女に向けて────君に逢えて良かったと。 「ギルくん……外国に帰っちゃうの?」 だけど、三枝から零れた言葉はそんな見当違いな言葉だった。しかし事情を知らない三枝では、それも詮無きことだろう。 「うん。長くても一週間程度だと思う。一週間後には、元居た場所に還らなきゃいけない」 「そっか。ギルくん……帰っちゃうんだ」 悲しげに顔を伏せる三枝。惜しむような口調に籠められた言霊は、ギルにはきっと届いているだろう。 「由紀香。君にはそんな顔をしないで欲しい。周りを温かな気持ちにさせる君の笑顔は代え難いものだから、由紀香には笑っていて欲しいんだ」 俯いた三枝に向けて、ギルはいつもと変わらない笑みを湛えていた。自分のように、笑ってくれないかと。 /2 三枝の家の近くだという交差点まで二人で送り届けて、帰路に向かう。 三枝は笑ってくれた。悲しさは隠しきれていなかったけれど、それでも笑顔を湛えてくれた。最後に、別れの前にもう一度会うという約束と共に。 「ギル」 帰り道。もう言い訳の利かなくなった時間帯を二人して歩いている時に、その名前を呼んだ。返ってくるのはいつもと変わらない、なんでしょうという返事だった。 「聖杯ってのは、何でも願いを叶えてくれるんだよな」 「ええ、そう聞いています」 「だったらさ。この世に残るなんていう願いだって、きっと────」 聖杯という言葉には、今まで嫌悪感しか抱いてこなかったが、そんな理由に使われるのなら、それもいいのではないのか思い始めていた。 「そうですね、それもいいかもしれません。 ここ数日、気ままに外の世界を見て回りましたが、どこもかしこも新鮮で、楽しいものだった。サーヴァントの中には二度目の生を願いとするものもいると聞きますし、この世界に実体を持って足跡を残すのもいいかもしれませんね」 「じゃあ────」 「────でもきっと、その願いは叶わない」 赤みより青みを帯び始めた空を見上げながら、まるで悟っているかのようにギルは言った。それは確定された未来であり、変えられない結末であるかのように。 「なん、で」 「ボクにも解りません。ただ、なんとなくそんな気がするんです。きっとその願いは、みんなの願いとは相反するものであると。誰も望まない結末だけが、その願いの先に待っているような────」 「じゃあ、じゃあギル。おまえの願いはなんなんだ? サーヴァントは願いを宿して召喚に応じるってあの神父は言っていた。おまえにも、この世界に何か未練のようなものを残しているんじゃないのか」 死後にでさえ望む願いなんて、それこそ生前の未練だろう。生きている間に叶わなかった願いを、こんなくだらない殺し合いに参加してまで叶えたいという未練。果たせなかった約束を、死後にまで引き摺っているのではないのだろうか。 「そうですね。未練……というほどのものかは判りませんが。ボクはただ、失いたくなかっただけなんだと思います。 だけどその失ったものを取り戻したいワケじゃない。亡くしたものはもう還らない。そんな当たり前のコトは理解できていますから」 語る言葉は要領を得ない。それでも、その言葉には何か、忘れてはならないような響きがあった。 「だからボクに願いがあるとしたら、それはただ、見つけたいだけなんだと思います」 降りた沈黙は屋敷に帰り着くまで続いた。 そしてそこで待っていたのは心配そうな表情の桜と飢えた虎だった。 『学校休んだくせにどーこほっつき歩いているのよ、このバカ士郎! 帰ったらきっとあったかーい晩ご飯が用意されてると思ったのに、冷蔵庫の中まで空だなんていうのはどういう了見なのよぅー! お姉ちゃん、吼えちゃうんだからー!』 と一喝されて、それで気は紛れてくれた。 ギルが何を考えているかなんてのは、俺にはきっと分からない。その願いだって俺には理解出来ない。でもギルは俺と共に戦うことを選んでくれた。だからきっと、その先に答えがあると思う。なら俺は、今俺に出来ることをこなしていくだけだ。 巻き込まれたから始まった俺の聖杯戦争。誰かを巻き込む輩を止めるという俺の意思はより強固に、そして確かにこの時────別の思惑を孕み始めていた。 /3 間桐桜と藤村大河が衛宮邸を後にし、変わる事無く、その後行われた日課となりつつある竹刀での模擬戦を終え、一人自室より抜け出し庭へと出た。 静まり返る夜の中、立ち尽くすように庭園の中心で月を見上げる。欠け始めた白月の輝きが目に眩い。 澄んだ夜気を肺に取り込んで、今度は屋敷を見た。サーヴァントに眠りは必要ない、という話だったが、セイバーは床に着いているだろう。 死者であり元が霊体であっても、その霊体に戻れないセイバーの身体には肉体的な疲労は蓄積する。いつ届けられるか分からない戦地への招待状に備え、身体を休ませることとて必要な事由であると彼ならば理解しているだろう。 それを言うのならば衛宮士郎とて同じだ。今日という一日に戦いはなくとも、模擬戦や考える事柄の多さに知らず疲れは溜まっている筈。日の終わりをそんな形で迎えてしまっては学校を休んでまで休養に徹した意味がない。 けれど、衛宮士郎は此処にある。 ここ数日慌しかったせいもあって疎かになっていた鍛錬を行うべく、屋敷の一角に作られた土蔵へと赴いていた。 “鍛錬は毎日欠かすな”という養父の教えを忘れた事は片時でさえなかったが、繁忙を理由にした怠慢は自身でさえ許す事の出来ないものだ。衛宮士郎が理想に向かう道筋は、此処にしかないというのに、それさえ疎かにするなど。 それに今まで欠かさず続けてきた事をやらないというのは、何か足りない感覚に陥るから不思議だ。あって当たり前のもの。欠け落ちたもの。だから今日はその不足した“何か”を取り戻す為に鍛錬を行うのだ。 土蔵の暗闇と嗅ぎ慣れた匂いに迎えられ、扉は開かれた。 僅かばかり室内を見渡し、まるで変化のない慣れ親しんだ場所に安堵とも取れる笑みを零して中央に座す。 「──────」 深く大きく一つ息を吸い、吐き出す。呼吸を正し、姿勢を正し、意識は自分の内へと向ける。体内に異物を差し込む感触はいつになっても慣れないが、この痛みこそが自身が目標へと近づけているのでは、と感じられる数少ないものである。 ────深く、深く。 世界にはこのとき、己だけしか存在しないかのように雑事を忘れ没頭する。自身の世界に埋没し、この身体は或る一つの魔術を成すだけの歯車となる。 しかし、脳裏にはその映像がある。 微睡むように、揺れるように。 不確かな視界の中に浮かぶ────唯一つの名も知らぬ剣。 ぼやけた意識。見たこともない、おそらくは豪奢な剣は、この時に限っては雑念でしかない。振り払うようにより深く自身の中へと沈み込んで、惹き付けられる剣のイメージを掻き消した。 「 呪文と共に、手に握られた木刀へと魔力を通わせる。行うべき事はいつもと同じ。木刀の構成材質を解明し、補強するだけ。 工程はいつになくスムーズに進んだ。ここ数日、強化の工程で失敗した試しがない。異変の原因は分からないけれど、少なくとも武器足りえる力を制御できるということは、何一つ持たない衛宮士郎にとってみれば僥倖だろう。 「……────ふぅ」 瞳を開けば、手の中の感触がよりリアルなものとなって感じられた。原材料である木材以上に硬質な物体へと強化された木刀を目の前にして、士郎の表情は翳りを見せた。 「足りない。これじゃあ、ダメだ……」 鉄の硬度を得たところで、木刀は変わらず木刀である。英霊達の持つ武具と比較するには余りにも稚拙。これではただの木刀だった頃と大差はないだろう。打ち合えば、一分と持たず圧し折られるのは目に見えている。 人間の身体能力では英霊には届かない。そんな何度となく繰り返し思い知らされた事実は理解に過ぎている。それでも、戦える力が必要だった。 届かないと知ったところでそう簡単に諦められるほど、衛宮士郎という人間は物分りのいい人物ではない。 「でも俺はこれしか出来ないしな。強化は基礎にして極めるのは困難な魔術の一つっていうけれど、俺じゃあとても」 手の中にある木刀を揺するように振ってみて、何か他に出来ることは無いかと思案を巡らせる。しかしそんなものがあれば、ここまで苦労はしなかった。 衛宮士郎に出来る魔術はたった一つだけ。誰よりもそんな事を理解しているのは士郎自身に他ならない。 「…………」 そんな中、ふとソレが目に留まった。いつだったか、息抜きの為に拵えた……というより作ってみただけのストーブ。 こんこん、とノックするようにストーブの上部を小突けば甲高い音が反響した。それもその筈。このストーブには中身が入っていないのだから。 「構造解析も、そのイメージも出来るっていうのに、出来たのは外見だけを似せたハリボテだったっけ」 物の構造を見抜く、という衛宮士郎が特化した才能は、一般的な魔術師にとってみれば無駄でしかない。なぜなら彼らは物の全体像から必要箇所を見抜くのではなく、その要点だけを見抜くものであるからだ。その点、士郎の把握能力は全体像から要点を探し出すという確かに無駄だらけの能力ではある。 しげしげとストーブを見つめる士郎。鉄の檻の中には空気しか詰まっていない、外見だけの模造品。消えることのない複製の産物。しかし──── 「……そうだな。ものは試しって言うし」 それは気の迷いか、ただの思いつきか。 養父である衛宮切嗣に“その魔術は効率が悪いから強化にしろ”と言われて以来、久しく本気で取り組んだことのない魔術。巧くいかない強化の合間に、偶に行う息抜き以外で使用したことのない、衛宮士郎が自らの力だけで思いついた魔術の名は。 ──── 魔術師にとって呪文とは自己に変革をもたらす一要因でしかない。 たとえ呪文の言葉が同じであっても、受け取る本人の意思が言霊の意味を正しく理解しているのなら、呪文などたった一つで事足りる。 そも衛宮士郎に、複数の呪文を持つ意義など存在しないのだが。 「──────」 士郎にとって魔術の発現は常に死と隣り合わせである事を意味している。この数年間で何度肝を冷やしたか分からないほどだ。 それでも彼は魔術に固執する。自分を救ってくれた誰かのようになる為に。いつか、この力が誰かを救える力となるように。 沈み込んでいく意識の中、イメージするのはアーチャーの持つ剣だった。 士郎自身、何故これほどまでにあの剣に惹かれるのは解らなかったが、それでももしこの手に剣を執るのなら、あの剣が望ましいと思っていた。 ライダーと雑木林で戦った時でさえ思ったことだ。ランサーに助けられる直前、もしこの手にあの剣が握られていたのなら……まだ戦えたのではないか、と。 だから士郎は二振りの剣をイメージする。 一度ならず二度垣間見た剣だ。構造の解析・把握を得意とする士郎にとって、その数字は充分に過ぎる回数である。 「── 異変はそれこそ、すぐに現れた。 体内に氾濫する魔力の波。 「は──、ぁ……っ、くっ────!」 今回士郎の挑んだ魔術はストーブの複製とは訳が違う。英雄の半身とも言える宝具。その奥底に多量の魔力を内包する奇跡の具現を再現しようなど、半人前の魔術師には到底及びもつかない領域のものである。 身に余る魔術は術者を滅ぼす……そんな事さえ知らない士郎の身に襲い掛かる、突然の反動と代償。 それでも──もう後には引き下がれない。 魔術の発動は銃に似ている。 魔術回路の認識が撃鉄を起こさせ、呪文の詠唱が引き金を引く事と酷似する。つまりは一度引かれた引き金は戻らず、起こした撃鉄はただ銃口より弾丸を撃ち出す役目を担うのみであるという事だ。 いや、しっかりと身に付けた魔術であれば、途中でのキャンセルでさえ可能とするだろうし、熟練の魔術師であればなお容易なことであろう。 しかしこのとき、衛宮士郎にそんな考えなど微塵もなかった。荒れ狂う魔力に体内を蹂躙され、思考すらまともに働いてくれない。だからこの苦痛より逃れる方法で思いつけたものは、魔術式の完成以外になかった。 「ぐ…………あぁぁあああぁ……!」 このまま氾濫を許せば、廃人となるであろう事はこれまでの経験から目に見えている。溢れかえる魔力の渦を出来うる限り抑え付け、行き場となる新しい道を探し出す。 けれども、そんなものは存在しない。魔術師は定められた数の魔術回路しか持たず、簡単に増やせるものではないからだ。名のある魔術師達ですら次代にその業を残す際、時には人ならざる方法を以って増やす魔術回路を、しかもこんな危機に直面した瞬きの間に増やすことなど、たとえ奇跡が起きようと有り得ない。 ならば今在るもので何とかするしかない。 衛宮士郎に認識できる数少ない魔術回路には既に余剰分を受け入れる隙間などない。それでも、彼にはやるしかなかった。 「はっ……ぎっ……、がぁっ!」 折れた背中は接地するかしないかの間際まで折れ曲がっている。けれども見開かれた瞳は土蔵の床など見つめていない。ただ体内にのみ意識を割いている士郎に、割かざるを得ない士郎に、その少年の存在になど気づける筈もなかった。 「はっ、ぁ、ぁ、あ……ふ」 制御しきれない魔力は、勝手に行き場を捜して道を求める。ない筈の道に、識らない回路に無理矢理に魔力は流れていく。 自身でさえ理解出来ない現象を前に、士郎はイメージを確固たるものへと変えていく。イメージするものは剣。認識の及びもつかない槍捌きの全てを迎撃した刀剣。己の召喚したサーヴァントと斬り結んだ、二刀一対の夫婦剣。 脈打つように鳴動する意識の中、 干将と莫耶。ある夫妻の名を冠する無骨な剣。 弓兵であるあの騎士が何故好んでこの剣を手に執るのかは判らなくとも、剣に含有される全てのものは把握できる。だから後はその把握した全てをカタチにするだけだった。 バラバラのパーツを繋ぎ合わせ、一枚のパズルを完成させるように。 衛宮士郎は己が世界で、 「──は…………ぁ、はあ……」 ばたりと床に倒れ伏し、吐き出された熱の感触に安堵する。 「今のは……本当に、マズかった…………」 気を僅かでも緩めていれば、今の自分は死に体となって倒れ伏していただろう。それほどまでに今の反動は過去に例を見ないほどの大きさだった。 額には冷たい汗が大量に水滴となって浮かび、零れ落ちる。なのに身体は沸騰した鍋のように熱く、背中に感じる大地の冷気が今だけは心地いいものに感じられるのは錯覚ではないだろう。 「……あ、れ?」 ふと、手の中に覚えのない感触がある事に気づいて、発条仕掛けの人形のようなぎこちなさで首を向けた。 「──────」 士郎の手の中にあるのは、赤い騎士の持っていた剣だった。数瞬前、己の中でイメージした剣だった。左の手には黒き陽剣・干将。右の手には白き陰剣・莫耶。 引かれた引き金、落とされた撃鉄。銃口より放たれた魔術式は、確かに完成を見たのだ。 「……でもこれは、違う」 生まれたての剣を見て、士郎はそう零した。これは違うと。アーチャーの持つ剣でなければ、自身のイメージした剣でもない。特に莫耶の方は殊更違和感を覚える。ならばこの剣は何であるのか。 「あ……」 そう考えるより先に、その剣は掻き消えるように霧散してしまった。 呼吸を整えて、身体を起こす。何故剣が消えたのかは解らない。過去同じように複製したモノは変わらずこの土蔵の中にあるというに、あの剣だけが消えてしまった。その意味を考えようとして──── 「ぁ、ぎっ…………!?」 どくん、と。心臓が一際大きな鼓動を打った。次いで痙攣したかのように震える四肢。何処かへ消え去った体内の酸素を求めて、ひゅーひゅーと音を立てる呼吸器。身体が、業火の中に突き落とされたように熱い。 「なん、だ……こ、れ」 起こした身体は吸い寄せられるように床に戻り伏し、蹲るように背を丸めたまま、身体の異状に耐えようとする。 痛烈な痛みは、魔術の発動時に感じた異変がぶり返したかのように身体中を這い回る。それも不出来とはいえ剣が完成して、油断していた時に襲ってきたこの異状は先ほどの非ではない。 「──、──、────ぐっ……!」 痛みを堪えるように唇を噛み、身体が静まるのを待つしか、今の士郎に出来ることは無かった。荒い呼吸は繰り返され、汗は滝のように流れ落ち、水溜りを作り出す。 視界さえも途絶えそうな痛みを堪えながら、このまま意識を失ってしまえば楽になれるだろうと思ったけれど、それはもう引き返せない道のような気がして、意識の糸を手離さないようにするだけで精一杯だった。 「が……、くそっ。なんだって、こんなに、喧しいんだ……」 無論、暗い世界に囀るのは闇夜に生きる者達のささやかな息遣いだけである。近所迷惑な暴走の音も、家族団欒の楽しげな声も既にない。 士郎の耳に届くのは裡より来る奇妙な音だった。キィキィとも、ギチギチとも取れる妙な音は、まるで刃物と刃物が擦れ合うかのような不快な音色。その音の前では鼓動さえも小さく感じ、気にもならない。 「本当……なんなんだ、これ…………っ」 噛み締めていた唇がより一層強い力で噛み締められ、薄皮が切断されて赤い血液が零れ落ちる。赤い雫は先に落ちた水溜りへと流れ、透明な水面に歪を生じさせる。 血の味。鉄の、錆び付いた鉄の味。こんなものが体内を巡っているのかと、いつもなら思わない事を考える。口腔を蹂躙するその味は、まるで耳朶に木霊する音響を増強させるような苦味があった。 キィキィ。ギチギチ。 その意味を考えろとばかりに反響する擦過音と口内に広がる鉄の味。 聴覚と味覚より否が応にも連想されるものは剣だった。最近になって夢に見るものや、幾つかの剣を見る機会を得たこと、そしてたった今造り上げた二振りの剣が、なおそのイメージに拍車をかける。 体内から聞こえ、感じるというのも性質が悪い。瞼の裏に思い浮かべるのは、とても人の身には有り得ざるものなのだから。 「はぁ……、くっ。これじゃあ、まるで────」 ────まるで、この身体が──── 冴え凍る月の下に、彼の姿はあった。 漏れる事のない暗闇の奥で苦痛に耐える主を一瞥して、声もかけずにその場を去る。 「──── 呟きを聞き届ける者はなく。 風に攫われたその音は、庭園を満たす夜気ですら灼熱の劫火であるかのように感じられるほどの、冷たさを持って紡ぎ出された。 web拍手・感想などあればコチラからお願いします back next |