剣の鎖 - Chain of Memories - 第二十四話









 鮮血の中にただ一点、眩いばかりの白色が生まれた。主の願いを聞き届けた令呪の一画の消滅と共に輝きは生じそれは成る。
 極光はやがて色を失い砕け散り、晴れた閃光の中より現れたるは、

「────マスター、状況説明を」

 身に着けた衣服は戦闘に適したものではなく、身を守るというより身を飾るという風が強い現代衣装。それを、異国より訪れたかのような風貌を持った、いと幼き少年が身に着けているのだから、なおおかしく。
 けれども彼こそはサーヴァント。黄金色の風格を纏う少年……衛宮士郎が招きしサーヴァント・セイバー。

 少年は強制召喚の驚きなどまるで無いかのように立ち上がり、一刻も早く状況を把握しようと努めるように周囲に目を配った。
 それは彼の第一声にも現れており、彼の機転の早さは召喚主である士郎にとっても有り難いものであった。

「結界が発動した。今はまだそれだけしか分からない。でも一分一秒でも早く結界の主を倒したい。力を貸してくれ」

「もちろんです。その為にはまず敵の位置の把握を────」

 セイバーが言い終わるより先に、扉の向こう──階下より大きな物音が反響した。この結界内で自由に動くことの出来る者は魔力で防護した魔術師か、人外の存在たるサーヴァント以外に有り得ない。その他の生徒達は恐らく、身動きすら出来ていない筈だ。

 そんな状況下で轟いた物音。音の発生源……考えるまでもなく、自分達以外のマスターとサーヴァントの行動の末のもの。
 つまりは既に、戦端は開かれたという事を意味しており────

「……っ! マスター、何処へ!」

 その事実に思い当たった瞬間、士郎は駆け出していた。

「もう戦いが始まってる! なら少しでも早く止めないと──!」

 振り向きすらせず駆け出した士郎は鋼鉄製の扉を勢い良く開き、その勢い以上の加速を以って階段を駆け下りていく。主の後姿が小さくなっていく中、招きに応じたばかりのセイバーもまた駆け出していた……いや、駆け出さざるを得なかった。

 マスターが聖杯より賜れた令呪によって互いの存在を認識できるように、サーヴァントもまた互いを認識する術を持っている。
 その探知できる精度・範囲は個人の資質や与えられたクラスに因るが、なんらかの戦闘行動、あるいはその前段階に入っているとすれば、この学校の敷地程度ならどのサーヴァントとて感知することが出来る。

 セイバーが召喚直後より巡らせた意識が捕捉した数は実に────四騎。

 決して看過していい数字ではない。いつかのように広陵とした場所ならばともかく、この限られた空間内に自身を含み五騎ものサーヴァントが集結しているその異常。
 一つ間違えば学校の敷地ごと消し飛びかねないほどの戦力。その全てが互いを敵と認識しあう戦場。
 立ち回りを考える必要がある。更には、恐らく現状を理解した上で発動させられたであろう結界の意図。ただの阿呆か、それとも……。

「見極める必要があるかな……色々と。ともかく────」

 既にマスターが独断専行していい状況ではない。事態を収拾したいのならどこまでも慎重に、かつ大胆な行動が必要だ。マスターが後者を意識せず行うのなら、自分の領分は前者だろう。

 僅かに燻り続ける感情を隅に追いやり、駆け抜ける足に一層の力を込める。
 彼の胸中には一つの念。もし自分が全力を出せるのなら、たとえ四騎を相手にしようとも互角以上に渡り合える自信があり──けれどももしそうならば、あの夜に我らの道は別たれていただろう、と。






奪われたもの/March III




/1


 放たれたそれは紛うことなき弾丸だった。黒色の球体は彼女の突き出された繊細な指より生じ、寸分違わず目前にまで迫っていた骨の化け物を打ち砕いたものの、遅れて上がった白煙もすぐに掻き消えて、その奥より迫り来る第二陣を映し出した。

 結界が発動する直前、教室の席に着き普段通りの振る舞いで午後の授業の開始を待っていた遠坂凛だったが、唐突に視界が赤く染まった時には魔術師としての彼女が前面に押し出ていた。

 倒れ伏していく生徒の波の中、彼女は即座にアーチャーを現界させ、冷徹に現状把握に努めた。
 アーチャーからはサーヴァントの配置を、自らは結界の基点──無数にある内の一点、発動の際に媒介にした最も強い力場──を張り巡らせた感覚野で探索する。

 その基点はすぐに見つかった。校舎一階、特別室の立ち並ぶ一角から強い魔力の波動を感じ取った。つまりはそこに、結界を張った張本人がいる。

 そうと分かればこの場所にいる意味もない。速やかに移動し打倒するのみ。
 アーチャーが先行し教室より飛び出す。その後を追うように凛もまた駆け出したが、扉に手をかけた瞬間、振り返って、見てしまった。

 呻きの声を上げるクラスメイト。誰もが今日も平凡な一日だと信じて疑わなかった筈なのに、容赦もなく異常は具現化して彼らを襲う。
 彼らは何故自分たちが苦しいのかさえ理解出来ていないだろう。常識の外にある現象……理不尽な暴力。抗う事さえ、助けを求める事さえ許されない地獄。

 凛は唇を硬く噛み締める。救えない。今ここで彼らを救うことは出来ない。いくら深く関わりを持とうとしなかったとはいえ、彼らは凛のクラスメイトなのだ。助けたくない筈がない。

 しかし今、彼らに手を差し伸べるということはより多くの人を見殺しにすることと同義なのだ。救い方に貴賎はなくともやるべき事は決まっている。
 視線を自らの掌に落とす。小さな手、あまりにもこの手は小さい。けれども、この手で救えるものがあるというのなら、やれることがあるというのなら、自らの精一杯を注ぎ込むのだと彼女は決意しているのだから。

「行くぞ、凛。振り返るな、今の君にそんな無様は不要だろう」

「言われなくても分かってる。一刻も早く、このクソッタレな結界を張ったヤツをぶっ倒してやるんだから……!」

 先行していたアーチャーを追い越し駆けていく主の背中を見やりながらアーチャーは苦笑する。
 遠坂凛は自らの分を弁えている。その上でいつも最上の選択をして、なお輝かしい結果を残す。どこぞの分も弁えず喚くだけの小僧とは違う。

「ああ、全く。君はいつもそうだった────」

 呟いて、アーチャーもまた大地を蹴る。その手には二対の剣。導かれるように惹かれ合う双剣を手に、赤い騎士は郷愁の念と共に主の後を追う────







 かくして時間は戻る。
 駆けた赤い主従を待ち受けていたのは目的とした結界の主などではなく、造り物(ゴーレム)の軍勢だった。窮屈な廊下に犇めき合うゴーレム達を切り払いながら凛とアーチャーは階下へと下る階段を目指す。

「鬱陶しいわね、こいつら……!」

 眼前で舞うアーチャーの剣戟の隙間を縫うように後方よりガンドを繰り出し続ける凛だったが、倒しても倒しても数を減らさない敵に業を煮やした。それというのも、倒した矢先に向こうに見える階段より次々とゴーレムが登り来るのだから始末が悪い。

 アーチャーが双剣で道を拓き、その援護を後方より凛が行う。各個撃破を旨とするこの戦術では数の暴力には分が悪い。アーチャーが宝具を使えるのなら一掃も可能だろうが、記憶がないのであれば無理というものだ。それも、アーチャーというクラスを考えればこの狭窄な空間では最大限の威力を発揮出来はしないだろう。

 ────まあ、もっとも。たとえ使えようとも現状では凛が許可しないのだが。

「アーチャー、どいて……!」

 凛の怒号を剣の一閃の直後聞き届けたアーチャーは、一瞬だけ後ろに控える凛を見た。翳された左腕には幾何学模様のようにも見える魔術刻印が燦然と輝く中、懐へと忍び込まされた右手が掴み出したものがなんであるか、アーチャーは迷いなく認識し、

 次の瞬間には閃光が轟音と共に廊下を埋め尽くし、後に残ったのは白靄に煙る見慣れた空間だけだった。
 凛の腕より放たれたのは風呪を織り込んだ大粒のトパーズ。それも聖言を用いての一撃だったのだから、竜の牙より製造されし魔女の手先など、見る影もなく消え去って当然の威力を誇る。これこそが凛の切り札……秘伝の宝石魔術に他ならなかった。

 敵のいなくなった廊下の奥を見やりながら、僅かばかり凛は足を止めていた。
 それというのもただ一つ、おかしなことがあったからだ。竜牙兵は以前対峙した通り、魔女の使い魔である。その未だ素性の知れない魔女がこの場にいるのは良しとしても、今の竜牙兵の行動には疑問が残る。

 凛が教室を飛び出した直後、待ち受けていたかのような配置。数の暴力に訴えた凛の行軍の阻害。それも基点のある階下よりの進軍だったのはただの偶然だったのか? 以前と同じように、何か裏があるのではないのか?
 いや、考えたところで答えなど出る筈もない。行動の先にこそその解があり、今は一刻も早く一階へ向かう事こそが肝要だ。

「行くわよアーチャー。もうわたしたちの邪魔をするヤツは──」

「────凛!!」

 未だ晴れない白煙の中。突如生まれた風が、走り出そうとした凛へと肉薄する。だが割って入った赤い外套の手によって直撃を受けることはなかった。
 虚を衝かれた凛は動けず、庇うように差し出した腕の隙間からその衝突を目撃する。鈍く響き渡った鉄の音。漆黒の風と紅の防壁との激突。

「ライダー!」

 白煙を突き破るかのように迫り来た漆黒の風の正体──すなわちそれは目視すら出来なかったライダーの突進に他ならなかった。十字に構えられたアーチャーの双剣を叩き割らんとばかりにギリギリと攻め続けるライダーの鎖の杭。
 しかしそれも数刻。奇襲が失敗に終わったと見るや否や、ライダーは潔く距離を取った。

 対峙するアーチャーとライダー。赤く染まった校舎の中で唯一色を失っていないかのような黒を纏う妙齢の女性。長く地にもつかんばかりに伸ばされた紫紺の髪が微風に揺らいでいる。
 ただその口元が艶やかに笑みを湛えていた事が、酷く凛の癇に障った。

 この状況下で笑える感情が気に入らない。為す術もなく倒れていったクラスメイト達を嘲笑うかのようなその妖艶さが癪だ。
 苛立ちが逆巻いていく中でも彼女の心は冷静だった。笑う意味、笑える状況。推測が積み重なり結論を築き上げる。

「……────そう。貴女が、この結界を張った犯人」

 ただの殺人狂ならば推測が外れてしまうが、それはない。あの慎二に苦言もなく付き従っていたところを見ればその辺りの察しはつく。それでもこの状況下で笑えるオマエは明確な敵だと、遠坂凛の冷徹な視線が黒色の美女を射抜く。
 悪質な結界を着々と用意し、発動の時を喜んでいるような狂人は前述の人外と変わりなどないと。

「慎二は? アンタのマスターの慎二は何処にいるの。どうせ身を隠しながらこの状況をほくそ笑んでる辺りが関の山でしょうけど──」

 いや。間桐慎二という人物の性格を鑑みるに、正反対の行動こそが彼には相応しいのではないか。足元で足掻く獲物を蹴り飛ばすことが至上の喜びだとでも言いたげに性根の腐った慎二のことだ、それくらいはやりかねない。
 隠れて見ているだけなんていうのは、少なくとも凛の知る間桐慎二の行動としては若干弱さを伴う。

 さりとて、凛の問いかけなどまるでなかったかのように無言を貫くライダーはどこか不気味さを伴ったまま佇んでいる。
 答えがないのならそれでもいい。慎二を捕らえて結界の解除をさせる方が楽だっただろうが、口を割らず近くに姿もないのでは仕方がない。

 慎二ではこの結界を発動する事も維持する事も出来ない。
 ならば眼前で不敵に微笑むライダーさえ倒してしまえば、この鮮血の結界も止まるという事────!

 凛が指示を飛ばすよりも速く、赤い外套が廊下を駆ける。手にした双剣の片方を盾のように構え、もう一方を得物として肉薄する。呼応するように飛び出すライダーも牽制の意味合いをもった釘剣の投擲を行い、追随するように疾駆する。

 両者の激突は凛にしてみれば思慮の外にあるものだ。三次元に足場を使い、蜘蛛の如くアーチャーに迫るライダーがライダーなら、不動のままその全てを捌き切るアーチャーもまた歴戦の雄の如し。

 それでも両者の拮抗しているかのように見える争いはしかし、アーチャーに僅かに分がある。結界より吸い上げた養分を糧とするライダーではあるが、如何せん吸収率が悪い。
 不完全なままでの結界の起動。発動直後の戦闘ともなれば当然の結果ではあるのだが。その程度、分からぬほどの莫迦ではあるまい、とアーチャーは独白する。

 ただ速度と力とで迫るライダーに対し、持ち前の戦闘経験で応戦するアーチャー。地力で勝るアーチャー相手に攻めあぐねるライダーの一瞬の隙を衝いて攻勢へと出る。
 近接戦闘を好むアーチャーではあるがその本質はやはり弓兵。ライダーに競り勝った直後に剣を投擲し、ライダーが後退したのを見計らった刹那に弓矢を具現化する。

 構えられた弓から放たれる矢は同時に三穿。縦一列に並んだまま飛行する音速の矢を、ライダーは釘剣による薙ぎ払いと持ち前の機動力によって迎撃する。
 一度距離を離したが最後、そう簡単には近づかせないアーチャーは、取り出す矢を増していき、精密なまでの弓術によってライダーを釘付けにする。

 最中に生まれるタイムラグ。ライダーが空中に身を躍らせ間一髪で躱した矢が遥か中空に消え、ライダーの視線が矢からアーチャーへと矛先を変えるより先に取り出したのは牽制の為の矢ではなく、必殺の威力を秘めた宝具の矢。
 掠めただけで大きな傷痕を生じさせるであろう必滅の切り札。アーチャーが終始握っていた戦況の全てはこの瞬間へと辿り着く為の布石。

 引き絞られる矢。如何なサーヴァントといえど空中での無理矢理な進路変更は出来はしない。空気でも蹴れない限り、アーチャーの一刺しは間違いなくライダーを貫く筈だった……のだが。

「え……!?」

 凛の当惑。敵のあまりにも意外な行動が、アーチャーが弦を離すタイミングを見誤らせたのはライダーの計算だったに違いない。





/2


 ドーム状に広がる赤い結界。血よりなお赤い鮮血に染まる校舎の中で、それは一際異彩を放つ紅だった。

「なに、を」

 凛の目に映るその異常。アーチャーによって敷き詰められた布石の数々が生み出した必勝の一瞬。空中に磔にされたも同然のライダーへと後一手、構えられた弓より指を離せば決着を見ると誰もが信じて疑わない瞬間に────あろうことか、ライダーは自らの首を斬りつけた。

 それも刃を這わせるなどというレベルではなく。強く深々と、頚動脈すら切断するほどの傷を、躊躇いなくライダーは自傷した。

 当然の結果として生まれる血飛沫。如何なサーヴァントといえど傷つけられれば血を流すし、致命の一撃ならば絶命もするだろう。
 故にライダーの行動は理解不能だった。敗北を悟っての自刃か、あるいは狂ったが故の凶行か。どちらにせよ、ライダーの行動は凛とアーチャーに一瞬の迷いを生じさせ──その一瞬は。あまりにも長すぎた。

 絶世の美女が微笑む。赤い赤い血飛沫を自らの急所より噴き出しながら、それでも彼女は笑っていた。

「しまっ……!」

 凛がそう叫んだ時には全てが遅かった。傷をそのままに、着地の瞬間を得たライダーは足が地に着くと同時に再度蹴り上げ、窓の外へと身を投げ出す。破砕音と同時に投擲させる釘剣は殺傷を目的としたものなどではなく、よりアーチャーをその場に留める為のものなのだと凛とて理解できた。
 理解できたが故に、腹立たしい。敵の異常な行動に動揺してしまったのは仕方ないとしても、その後の自分の情けなさといったらない。露骨なまでの舌打ちをして、砕かれた窓ガラスの外を見やる。

「アーチャー、ライダーは?」

 下へ落ちたのか、と問う凛に、アーチャーは構えていた弓矢を消失させながら視線を上げた。

「いや、落ちていない。むしろ登っている」

 ガラスに滴る血はライダーが身を投げた時に傷ついて出来たものではなく、あの首を掻き切った時に生じたものだ。そんな致命の傷を負いながら、ライダーはなお壁面を登る程の気力があるのか。
 そんなものがあるはずがない。ならばライダーの行動は上に登るというよりも、空に向かって堕ちているだけではないのか。そんな益体もない思考より現実へと戻ったのはアーチャーの硬い声のお陰だった。

「追うぞ、凛。ヤツの行動は異常だ。自らを傷つけたのはまだいいとしても、上に向かう理由が分からない」

 そうだ。凛の感知した結界の起動ポイントは階下、一階にある筈だ。ここは三階。ここよりも一階ならばより魔力の密度が濃く、傷を癒せないまでも塞ぐ程度のことは可能かもしれない。
 その場所ならばライダーはより実力を発揮できるだろうし、そう考えればこの場所に姿を現したこと自体がおかしなことになる。何より、その基点を放棄してまで向かった先に一体何があるというのか?

 考えたところで意味などない。今では基点に向かうことすら無意味だ。凛では呪刻の破壊など出来ないのだし、結界を止める手段は二つに一つ。ならば今は一刻も早く、ライダーの後を追うことが重要なのだ。







 凛が四階へと駆け上がっている頃、丁度反対側に位置している階段を駆け下りる影があった。屋上より降りてきた士郎は脇目も振らず階段を駆け下りて、三階に踏み入ったところで足を止めた。
 思いの外、動かない左腕が煩わしい。いつもなら数秒で駆け抜けられる階段も普段以上の時間を要した。刻一刻と悪化していく状況を止めなければならないというのに、

「クソッ、こんな時に……!」

 階下より登り来る化け物に驚くよりも、時間が無常にも過ぎていくことに焦燥が募るばかり。武器すらも持っていない今の士郎では到底太刀打ちできない敵を前にし、無謀なまでの突貫をするほどには士郎も愚かではなかった。

 ────いや、武器ならば在る。
 この身に宿る魔術回路に火を灯し、最高速で回転させればあの時のように──

「ダメだ……」

 キチリと。刃を軋む声を聴く。
 左腕を握り締める。恐怖などない。けれどもし、あの時以上の反動が士郎の身に還るのであれば、戦いにすらならない。それでは無意味。たとえ現状を突破できる武器を手にしていようとも、その武器に耐え切れぬ身体では、突破出来なければ死ぬ事と同じだ。

 士郎は内心、自らの無力を毒づく。しかし、このまま対峙していても結果は同じ。敵が階下より迫るということは、その先にこそ本命の敵がいる筈なのだ。踏み止まる事も、崩れ落ちる事も変わらない。一か八か。やらなければ、道はない────!

「────投影(トレース)

「そこまでです、マスター」

 脇を通り過ぎる疾風。言霊と共に振り抜かれた一閃は間近まで迫っていた敵の一団を薙ぎ払う。意識など持たない筈の傀儡にあっても、その少年より感じるモノに鬼気迫るものがあるのか、足を止めた。
 黄金の風を引き連れて士郎の危機を救った、セイバーのサーヴァント。庇うように立ったその姿は外見の幼さなど微塵も感じさせず、屈強な戦士のようだった。

「ギル!」

「はぁ、全く。一人で突っ走っていくならせめて戦う準備くらいはしておいて下さい。実際に戦えるかどうかはともかくとしてもね」

「む……ぅ。すまん」

 セイバーの呆れきった表情から自分がどんな莫迦なことをしようとしていたのか、ようやく思い知った。
 世界が染まった時、真っ先にセイバーを呼んだのは何故だ。自分一人の力では太刀打ち出来ないからではなかったか。ましや負傷を抱えた身であるのなら、なおのこと。

 血の昇っていた頭を叩く。今なら分かる。自分がこんな行動に出た理由──きっと、結界発動直前に取り交わしたアーチャーとの問答。

 正義の味方。

 自らの信ずるその理想の為に、衛宮士郎は駆け出さざるを得なかったのだと。

「マスター。せめて身を守れる程度の武器を確保してください。丁度近くに教室がありますから、何かしら使えるものを。
 ──ああ、さっき使おうとした魔術は止めてください。あれをもう一度見てしまえば、ボクも考えなければいけなくなる」

 ぞくりと、士郎の背筋を這い上がる寒気。それがセイバーより発せられたものであると気づく前に、眼前に立っていた少年は奥に控える敵軍へと突撃した。
 振るわれる剣風。崩れ落ちる骨の音。小柄さゆえの持ち味を遺憾なく発揮して敵の懐へと潜り込んだセイバーは縦横無尽に不可視の剣を振るい続ける。

 パートナーの勇姿を見やりながらも、士郎は先ほど発せられた言葉の通りに行動し、教室内にあった用具入れより手頃な武器を調達する。
 無理矢理に折ったモップの柄を右手に持ち、体内に流れる魔術回路を意識する。背筋を走る熱さに朦朧としながらも、強化の魔術は確実にカタチを成した。

 士郎が強化を終え教室から戻る頃には、先程まであった骨の群れは灰燼と化したかのように姿形を失くしていた。

「準備は出来たようですね。なら行きましょうか」

「待ってくれ。行くっておまえには敵の居所が分かっているのか?」

 魔力探知の不得手な士郎では余程近づかない限り、いかに令呪を持とうともマスターを感知できない。サーヴァントはいわずもがな。

「敵のマスターの位置は分かりません。が、サーヴァントの位置なら把握できます。
 サーヴァントは全部で四騎。この上、四階に二騎……今さっき上がったようですからボク達とは入れ違いになったようですね。残りの二騎は階下にいるようですが、と。どうやら外に出たようです」

 ふと横に続く廊下を見れば、遠く、向こう側の階段付近に戦闘の傷痕が刻まれていた。ここで何者かが戦闘を行い、上階である四階へとその戦場を移したのだろう。ならば階下も同じ筈だ。手詰まりになった両者は戦闘の場を広い校庭へと求めたのだと。

 果たして、本命はどちらなのか。この場に半数以上のサーヴァントが集う異常はこの際わきに置いておくとしても、目的である結界の主の姿を未だ士郎達は確認していない。敵が分からず、戦場は上下に一つずつ。どちらに向かう事が上策なのか──

「上に行こう。そっちの方が近い」

 一刻を争う状況の中、外へと飛び出したという二人のサーヴァントを追っていては、追いつく頃には最終局面か、あるいは既に終わっている可能性がある。何より、一度外へ出た後もし外れだった場合また四階へと戻っていてはどちらにしろ間に合わない。
 近い方を選ぶ。ある種賭けのような選択ではあったが、セイバーも同じ腹積もりだったのか、力強く頷いてくれた。

「急ぎましょう。今のボク達は後手に回っている。少しでも挽回しないと」

「ああ、分かってる」

 駆け出す二人。残された時間は少なく、また出来る事さえ限られていようとも、その中で足掻き続ける事こそが今出来る最上の策。





/3


 振るわれた槍は、横一文字にそのローブを引き裂いた。切り払われた貝紫のローブはサーヴァント・キャスターのものに相違ない。

 二階の窓より進入したランサーも凛達と同じく、骨作りの化け物に襲われたが背後の心配のないランサーにしてみればその程度、立ち尽くす木偶と変わらない。
 誘うように階下より襲い来る竜牙兵どもを薙ぎ倒しながら進軍するランサーがその最奥で見たのは、結界主であるライダーではなく、召喚されて間もなく戦りあった魔術師の英霊に他ならなかった。

 幾らかの言葉を交わそうとも全く要領を得ないやり取りに苛立ったランサーは結局、力で押し通ることに決めた。
 攻防は、なかったと言っていい。神速を誇るランサーの脚力を以ってしても、悪辣な魔女を追い詰めることは困難を極めた。繰り出される魔術の雨を旋回させた槍で防ぎきり、繰り出した槍は空を切るばかり。
 ロクな戦闘を行わず、十分な距離を保ったまま出現と消失とを繰り返すキャスターは相当にやり辛い相手と言えた。

 ────おかしい。

 ランサーの脳裏を掠める微かな疑問。眼前にいる筈のキャスターからはまるで戦意を感じない。ランサーを打倒しようという気迫。命のやり取りを行う者には、必ずついて回る張り詰めた緊張感。それらが微塵も感じられず、また何より、この相手にはランサーの血が昂らない。

 こんなものは戦闘などではない。命を賭ける、サーヴァント同士の戦いなどでは決してない。逃げ回るだけの魔女にそれだけの期待を持っていた自分が情けなく、つまりこの相手は戦うに値しない……路肩に転がる石くれと相違ない。

 しかし石くれとて目に付けば煩わしい。ならば早々にこの邪魔者を片付けて、本命を獲りに行くのみ────

「鬼ごっこは、終わりだ……!」

 いつしか戦場は校庭へと移り、その更に奥、結界発動直後にランサーの現界した雑木林に移行していた。
 立ち並ぶ木々はランサーの豹脚を止めるには至らずとも、魔術の恩恵により逃げ延びていたキャスターにとっては致命的だった。

 ここは狭い廊下でも広すぎる校庭でもない。廊下ではランサーの脚力は制限させ、視界の開けた校庭では手に取るように分かったランサーの姿も、木々に阻まれごく一瞬ではあるがキャスターの視界より消失する。その一瞬を見逃すほど、ランサーは甘い男ではない。

 目前にまで迫ったキャスターのフードの奥を覗き見るように、ランサーの視線が鋭利となる。振るわれた槍は寸分違わずキャスターを切り裂き────後に残されたのはただの黒い布切れだけだった。

「────ハ」

 自嘲にも似た笑み。確かに、相対した時のキャスターは間違いなく本物で、確実な感触を伴っていた。しかし最後の一瞬、キャスターがぶれたように見えたのはやはり、錯覚ではなかった。

 つまりは、

「女狐に化かされたってことかい」

 最初に認識していたはずだ。彼女は魔女、古来より魔女の逃げ足は早いと相場が決まっているように。人を騙す術にも長けているのだ。

 その目的の意味を考える。明らかな誘導。ランサーを校舎から引き離すことが目的だったとしか思えない、キャスターの行動。キャスターには、まだ目的がある────

「しっかしまぁ、もう無理ってなもんだ」

 ぐるんと回した赤槍で肩を叩きながら、仄暗い林の中より校舎を見上げる。四階に集うサーヴァント達。蚊帳の外へと放り出されたのはつまり、自分だけであると。
 忌々しげに唇を噛むランサーであったが、潔さはサーヴァント随一だ。化かされた己が悪く、悪態はついてもここからでは既に手出しは出来ないと承知している。

 その潔さに些か余裕を見せるランサーにはまだ期待があった。この展開がキャスターの仕組んだものであるのなら、あの二人が黙ってはいないだろうと。

「気張れよ、小僧ども。アイツが何企んでるか知らねえが、どうせロクな事じゃないんだろうからな」

 見上げる空は未だ赤く。痩躯の槍使いは一人、戦場を去った。







 凛がその場所に辿り着いた瞬間、世界を覆っていた赤色が消失した。元の色合いを取り戻す校舎。役目を既に終えたというように、未練の欠片もなく掻き消えた結界の安堵は、その光景によって塗り潰された。

「桜ぁ!」

 未だ横たわったままの生徒達であったが、結界の基点が一階にあるのならここは最も影響の薄い一年生のクラスだ。誰一人として死んではいないし、呼吸の荒い者も多くはない。けれど奪われた体力の回復には時間が必要で、意識の浮上にも時間は足りない。

 そんな生徒達の奥、開け放たれた窓に足をかけたまま微笑むライダーの腕の中に、その少女の姿があった。
 薄い髪色に、いつの日かの約束のリボンを結わえた少女。十一年前に別たれた二人の姉妹の片翼──間桐桜がライダーの腕に抱かれていた。

「──ご安心を。彼女は眠っているだけです」

 ようやく口を開いたライダーの第一声。艶のある声色に意識を囚われる事などなく、裡より出でる感情を制御する。
 分かっている。もし桜が息をしていなければ、その胸の上下が止まっていたのならば、何があろうともおまえは遠坂凛に殺されていたのだから。

「遠坂凛。この状況を作り上げた時点で、貴女達に為す術はありません。“私達”の邪魔を──いえ、私の邪魔をしないで下さい」

 だろうな、と凛の後方に控えたアーチャーは思う。確実な人質だ、あれは。凛が魔術を放つよりも速く、アーチャーが矢を射るよりも速くライダーは桜の首を掻き切れる。
 首といえば、ライダーが自ら傷つけた筈の首筋。そこにある筈の傷が既にないというのは一体どういうことなのか。

 いや、今はそんな事はどうでもいい。敵の手中にマスターの実妹が落ちたという事実は覆らない。しかし、ライダーは殺せる。アーチャーならばこの距離でもライダーは殺せるだろう。ただ引き換えに、失うものがあるという事を除けばだが。

「ライダー……どういうつもり? 桜を人質にして、わたしたちを脅迫でもするつもり?」

「いえ。“私達”の目的は既に完遂されています。これ以上この場で貴女達に危害を加えるつもりはありません」

 ライダーの言葉は凛の想像とはあまりに違った。人質をとってのこちらの戦闘放棄、並びに聖杯戦争への不干渉あたりをつきつけてくるものとばかり思っていた凛であったが、その返答は予想の外。
 もしそんな交渉ならばこちらにも打つ手がなくもなかったが、ライダーの言葉を吟味する暇もなく、その黒は具現化する。

「ふふ、お嬢さん。というわけだから、これで“私達”は退かせて貰うわ」

「なっ……キャスター!? 一体どういう……!!」

 脳裏を埋め尽くす疑問の数々。その解を弾き出す事を許さないとばかりにキャスターだったモノがカタチを失くし、ライダーとその腕に抱かれた桜とを包み込む。

「さよなら、勝気なお嬢さん。いつかまた、戦場で会いましょう────」

 消えた筈の魔女が微笑む。そんな別れの言葉は実現しないとでも言いたげな、妖しいまでの笑み。黒い霧に包まれていくライダーと桜の姿を再度見て、駆け出そうとした凛の肩をアーチャーが硬く呼び止めた。
 ──もう無理だと。間に合わないと。

「桜ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 黒靄が掻き消える寸前、凛が最後に見た光景は、穏やかな眠りの中にある、桜の横顔だった。













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