剣の鎖 - Chain of Memories - 第三十話









 人工の灯ではない、天然の火だけが燈る一室。一面を石造りによって形成された、質素で無骨な部屋。遥か遠く、錐状の屋根の天頂に打ち据えられた十字架が月光に照らし上げられるその下に────二人の男の姿がある。

 この余りに簡素な部屋に似つかわしくないソファに腰掛けて、これもまた相応しくないというのに、けれどその中心で日の当たる場所で見るよりもなお赤い輝きを放つ高級酒が男達の前に並んでいた。

「……不味い」

「おまえの持つ酒と比べる事自体が無駄だろう。世界中の酒を選りすぐったところでおまえの目に適うものなど一握りもありはしない。私のような者にその手の美酒が回ってくる筈も無い」

 顔を顰めた男はグラスをテーブルへと戻し、部屋の片隅にあるキャビネットへと目を向けた。

 物のほとんどない言峰綺礼の自室に鎮座するそれに蓄えられた酒類の数々はどれもが一級品と呼んで痴がましいというものではなく、むしろこれだけの数を揃えた事を誇りにしてもいいというくらいのものだ。
 けれど黄金の髪の男にしてみれば、その全てがそこそこ美味い程度、であるのだから始末に負えない。それというのも、並べられたボトルらに勝る酒を自らの蔵に蓄えているのだから尚更だ。

「ふん……だがまあ、明けやらぬ宵の最中に飲む程度には丁度良い。何より、酒よりも美味い肴があるとなれば、な」

 再度グラスを手に取り、煽るように赤い液体を流し込む。嚥下は速やかに、空となったグラスにはすぐさま新たな液体が注がれて。もう一人の男もまた僅かに自らのグラスに口をつけた。

「肴、か。それは衛宮士郎に関する事か?」

 神父の言葉に黄金の男の目が細く鋭利になる。対照的に、口元が歪に吊り上るのを綺礼は見た。

「惜しいな。あの雑種にも関係はあるが、奴だけに限った事ではない」

「あの時、衛宮士郎に何を吹き込んだ?」

「何も吹き込んでなどいない。ただ少しばかり、場を盛り上げる為の助言を施してやっただけだ。
 今頃、この街最大の霊脈の上では面白い事になっているだろうよ。幾人のマスターとサーヴァントがかち合うかは読み切れんが、それでも山場としてはそれなりの成果を残すぐらいには盛り上がろう」

「……珍しいな。おまえにも見えないものがあるのか?」

「当たり前だ。この世全てが見え尽くしてしまっては全く以って面白みの欠片も無い。十を識り、十を理解しては早々に飽きる。半分程度の理解で世は充分に回り切ろう。未知というのはな、それだけで面白い」

 答えの解っている計算式に意味は無い。結果だけを見続けては成長は無い。過程にこそ価値はあり、過程を経るが故に果てがある。たとえ山の頂の高さを知っていても、道程までも把握しきっては詰まらない。僅かだろうと未知は残しておかなければ退屈だ。

 予期しない事態。想像だにしない結末。それらこそが、この世の全てを手に入れた英雄王の退屈を紛らわせる手段である。

「余裕か、油断か。この男を倒すものがあるとすれば……あるいはそんな偶然なのかもしれんな」

 神父の呟きは赤い液体に溶けていく。手にしたグラスがゆらゆらと揺れて、その鏡面に向かいに座る男の表情を映し出す。
 愉悦。歓喜。糸を手繰る人形師の如く。舞台の演出家の如く。裏で手を引き、何も知らずに表舞台で踊り続ける人形達を俯瞰する。

 真っ白な台本に綴られるストーリー。それが男の描いたとおりの結末を迎えた時こそ、愉悦は最上のものとなろう。今はその想像だけで口端を吊り上げるのみ。

「……一つ、気になる事がある」

 男の愉悦の表情が疑惑へと変わる。視線だけで続きを言え、と促した。

「間桐桜の事だ」

「あの娘がどうかしたか」

「何故、キャスターは間桐桜を攫った? 彼女の事情は私も良く知っている。が、幾ら持って生まれた才が稀有なものであっても今の彼女はそこらの魔術師と比肩しても取るに足らないレベルにある。
 凛と同等の才を持っていても、研鑽を積んだ時間が違う。伸ばすべき箇所が違う。身に適応しない間桐の魔術に身を窶しているのだから、それも当然と言えるのだが」

 そこで一度言葉を切り、グラスを傾ける。嚥下と共に呼吸も整えられて、核心を衝く言葉を紡ぐ。

「そんな女を──そんな女のどこに、あの魔女は何を見出した。サーヴァントを奪うだけで充分な戦力になるものを、そのマスターまで危険を冒して手に入れた意図。間桐桜にそれ程の価値があるとは思えないのだ」

「解らぬか。貴様ならば判りそうなものなのだが。あの娘はな、“マキリ”なのだぞ?」

「──────」

 言峰綺礼の手が止まる。グラスの中で僅かに赤色が揺れた。

 間桐。マキリ。浅からぬ因縁を持つ言峰綺礼にとって、その言葉は瞠目するに足る重みを持つ。
 思い返すのは十年前。若かりし日、苦悩と共に臨んだ大きな戦。目の前に座す男と出会った、忘れ去る事など出来ない記憶の跡。正式なマスターとして参戦した、第四次聖杯戦争に深い憎悪を携えて参加していたあの男もまた間桐であり。そして……。

「──老獪。今回もまた、裏で手を引くか」

「日の下も歩けぬ下人の為す事だ、今はまだ捨て置けば良い。我が往く道の邪魔になるのなら、肉片の一つとて残さず屠り去ろう。
 しかし、あの娘は別だ。放って置けば、街一つでは済まなくなるやもしれんぞ?」

 男の表情が引き締まる。常に享楽に身を窶してきたが故に、風体に余裕を垣間見せ続けていた男が呟く真摯な言葉。この男がこれほど危険視するのも珍しい。唯我独尊、大体不敵を地で往く男の見せる警戒心。決して見逃して良いものではない。

「それを知っていて、おまえは何もせず手を拱いているのか?」

「たわけ。あの娘が目醒めるとしても、それは今回ではない。
 今はまだ小さく燻り続ける闇の焔。大きく花咲かせるのも一興だが、現時点では触れぬ事が最上の一手よ。弾の込められていない拳銃など、恐ろしくもない」

 それはつまり──弾を込める何か、きっかけがあれば今すぐにでも撃鉄を落とせるのではないか。そのトリガーが、今回の戦いの中にないと断言できる確証などない。あるいは、魔女が彼女を攫った理由がそこにあるとすれば……?

 脳裏を掠める想像を言葉にする事無く、言峰綺礼は思索に耽る。そして巡り巡る思考の渦を断ち切ったのは、黄金の男の一言だった。

「全て繋がり、絡み、縺れ、解けてしまえばいい。此度の聖杯戦争の行く末などに更々興味など無いが……これだけの要素が揃っているのだ。せいぜい我を愉しませるだけの演舞は披露して欲しいものだな」

「ふん……? おまえは聖杯に興味は無いというのか?」

「ああ。人の創造せし願望機の成れの果てなど、今の我が関心を寄せるほどの代物足りえる筈も無い。
 だがまあ、万物全て我の所有物だ。聖杯とて例外ではない。誰とも知れぬ輩に掠め取られるくらいならば、我が所有してやるのが世の理屈であろう。あるいは、我の目に適うほどの道化がいれば、もしかするやもしれんが」

 ニタリと。先程までとはまるで毛色の違う、情欲にも似た艶やかな笑みを浮かべる黄金の男。

「その為のモノか、“アレ”は。“アレ”に関しては、私も些か程の興味も無いと言えば嘘になってしまうが」

「だろうよ。人の不幸を己の幸とする貴様にとって、“アレ”の最期の瞬間は最高に甘美な愉悦をもたらしてくれようからな。
 故に希望の火は吹き消してはならん。摘み取るのは最後の刹那。願いが最上級にまで膨れ上がり、瞬間、絶望へと染め替えられる時の表情は想像するだけで腹の底から笑いが込み上げてくるというものよ」

 クク、と噛み殺した笑みを凄惨に浮かべ、空となったグラスをテーブルへと戻した男はソファにどっかりと落としていた腰を上げた。

「様子でも見てくるか。今の“アレ”に以前の輝きは無くとも、我を愉しませる部品としては以前より上かも知れぬ。だがまあ、残念と言えば残念ではあるが。“アレ”は、我の物であったというに。
 ……フン、下らんな。今更だ、こんな感傷は」

 綺礼は遠のいていく靴音を聴く。
 いつの間にか一本空けきってしまった秘蔵の一品の最後の一杯を惜しげもなく嚥下して、背凭れへと一層身体を預ける。

「相変わらずか。執着も、そこまで行けば執念と呼ぶ方が相応しい。けれどもう戻る事などないと、誰よりも理解しているのはおまえだろう、ギルガメッシュ」

 過去より未来へと続く道は無数にあれど、過去に向かう道は一つとして存在しない。上流から下流へと流れる水のように、時もまた止まる事無く流れ続ける。
 万物に等しく与えられる、関与など出来るはずもない“時”という概念。それは彼の英雄王を以ってしても抗えない唯一無二のものである。

「さて。では見せてもらおうか。おまえの紡いだ物語の続きとやらを」

 瞳を閉じる。映るのは暗闇ではなく、遠く離れた木々の隙間に零れる月明かり。耳朶に轟くのは無音の静寂ではなく、剣戟の衝撃。戦いの音色。
 座したまま、言峰綺礼の黒い心が、戦場の只中へと歩んでいく。






誇りを賭けて/Rondo IV




/1


 その光景を、瞳に焼き付ける。

 僅かしかない灯りの下、繰り出される銀光と赤光とが炸裂し、闇を祓い疾駆する蒼と黒は激突する。現代に在らざる、二騎の英霊の衝突。聖杯により再現された、神話の創生。その在り得ざる情景をバゼットは瞳に写し取る。

 追いかける視線は縦横無尽。一息で駆け抜けるには広すぎる境内を突破し、伽藍までも道として走り抜ける両者のスピードに際限は無い。早く。速く。疾く。何処までも己のギアを回転させて、対峙した獲物を狩る事のみに没頭する。

 山門より僅かに離れた場所に位置したまま瞳だけを動かすバゼットをしても、目前で繰り広げられる戦闘は見失わないようにするのが精一杯であった。一度見失えば、もう捉えきれない。そう思わせるほどに、ランサーとライダーのスピードは加速の一途を辿っていた。

 最速を誇るに足る両サーヴァントの死闘。バゼットを唯一の観客として演じられる舞踏はしかし、ただの戦闘行為と呼ぶには足りえなかった。
 バゼットが認識する人と人との戦闘とは、対等でなければならない。均衡していなければならない。凌ぎを削り合い、僅かな隙を、必勝の一瞬を狙い澄ます駆け引きめいたものである。

 傾いた天秤では為しえない、ある種の高揚感を生み出す戦闘という儀式。目前の光景はならば一体、なんであるのか。
 釣り合いの取れない秤。その意味するところを良く知っている。これは、バゼットが封印指定の魔術師を追う時の状況に酷似する。つまり──眼前の二人の舞踏は対等の“戦闘”などではなく、一方的な“狩り”であった。









「────くっ!」

 苦悶の声が漏れる。吐息の主たるライダーの逸らした筈の顔より血が吹き出す。紫紺の髪を巻き上げて、麗しき美貌に傷を残す一閃。頬を掠め、紅の閃きを繰り出したランサーは手にした槍になお力を込め、無造作に得物を払う。

「がっ……!」

 間一髪、釘剣でランサーの払いを凌いだライダーであったが、為すがままに吹き飛ばされる。空中という姿勢制御の難しい状態での防御は間に合っても勢いまでは殺しきれずに、転がるように境内の石畳をライダーの肢体が叩く。

 トン、と軽い音を立ててランサーが着地する。無言のまま、這いずるように地に伏したライダーを見やる瞳だけが鋭さを増す。けれどその奥に宿る色は喜色などではなく、呆れにも似た無関心だった。

「こんなものか。つまらんね」

 踏み込みが甘い。加速が遅い。反応が鈍い。今のライダーの何もかもが、ランサーに及びはしなかった。

「隠してるものがあるなら早目に出しな。でなきゃさっさと殺すから────よっ!」

 ランサーが弾ける。石畳を踏み砕き、瞬きの間に最高速へと到達する脚力を以って、未だ体勢の整え切れていないライダーへと朱槍を奔らせる。

 ライダーもまた、ランサーの踏み込みを視認した瞬間に弾け飛ぶ。崩れた姿勢もそのままに、無理矢理に行われる真横への跳躍。繰り出された一の閃は躱せた。けれど、次ぐ二の閃は躱せない。

「ぁあ……っ────!」

 点より線。線より点。繰り出される刺突と薙ぎ払い。槍という得物を最大限に活用したランサーの戦闘技術はライダーを容易く追い詰める。
 理に拠った行動ばかりではなく、本能に従うが故の閃き。定石を覆す動物的直感。場数が違う。血を流した量が違う。見てきた戦場が違う。戦闘という分野において、現在のライダーが勝ち得る要素が全く以って見当たらない。

 だから、その決着は必然だ。

「────……っ!」

 押し殺した短い悲鳴と共にライダーはまたも石畳に這い蹲る。呼吸は荒く、隠している筈の視界がぶれる。感覚器が揺れている。ライダーより数メートル先に着地したランサーは乱す呼吸もなく、飄々と間合いを詰める。
 見下ろす視線は、酷く冷たい。氷のように冷やかに見据えられ、それでもライダーは四肢を支える事しか許されない。

「ま、仕方がない。もう少し熱いバトルを期待していたんだが。前会った時から思っちゃいたが、テメエから感じるその余りに弱すぎる魔力。満たされてねぇな」

 ライダーは答えない。震える四肢をなお震わせて。力の限りランサーを睨みつける。

「あの坊主がマスターじゃなあ……同情するぜ。せっかく喚び出されたってのに、あんなのが主じゃねえ……そりゃ仕える気も失せるってなもんだ。
 だがそれとこの決着とは別問題。オレ達の目的はまだ奥にある。これ以上煩う必要性もない。次に期待するとするか」

 朱色の槍が穂先を揺らす。後一歩。大体に詰められた間合いは後一歩でライダーに致命傷を負わせるに足る距離まで近づいて。

「────その意見には同感だけど。彼女に落ち度はなくてよ?」

 光。閃光。魔力の弾丸。突如として具現化した黒い影より生まれた無数の光弾を、視認より早く反応した身体が旋回させた槍で捌く。遅れて差し向けられた第二射は認識を以って行った後退により避けきった。

「……キャスターか。ふん、このタイミングでの登場とは。ちっとばかり遅すぎるんじゃねえか?」

 既にライダーは満身創痍。流石のランサーとてサーヴァント二人掛かりであったのならこうも容易くライダーを組み伏せられなかっただろう。
 手を組んでいる筈の魔女と蛇。終始警戒を怠らなかったランサーであるが、彼女の庭であるこの場所では認識すら誤魔化せるらしい。さりとて、もう遅い。今更姿を現したところで現状はそれほど悪化しまい。

「本当にそう思うのかしら? 私が今まで姿を現さなかった理由。今現した理由。それを考えるのが先ではなくて?」

「アサシンの野郎はアーチャーに足止め。ライダーは瀕死。今更キングが顔を見せたところで、チェックメイトは変わらない。むしろテメエから姿を現したのは、好都合だ」

 ランサーの余裕を垣間見せた抗弁に、キャスターは笑いを漏らす。クスクスと、嘲笑うかのように。

「そうね、この状況をチェスで表すのは面白いわね。アサシンは差し詰め城壁(ルーク)で、ライダーは騎士(ナイト)というところかしら。
 でもね、私が(キング)? ふふ、私はサーヴァント。いくら王足ろうとしても、王には成り得ないただの駒。私はただ王の傍を守護する女王(クイーン)よ」

「どっちだろうと構うものか。テメエを倒せばそれで詰みである事に違いはない」

「此処まで言ってまだ解らない? これだから野蛮人は嫌いなのよ。理解しなさい。私がクイーンであるのなら────」

 刹那。影が走る。距離を取ったまま言葉遊びに興じるランサーとキャスターのどちらでもなく。また、彼らに接近するのでもなく。

「────……バゼットっ!」

 そう、境内で行われる戦いを唯一人傍観していた、ランサーのマスターへと肉薄する朽ちた影。認識を超えて、繰り出された拳は奇妙な軌跡を描いて放たれた。

「がっ……ぐ────っ!?」

 油断していたわけではない。ランサーの戦いに目を奪われていたわけでもない。常に尖らせていた気がその影を捉えた時には既に間合いに踏み込まれていて。反応が僅かでも間に合ったのは、己が従者の叫びのお陰だ。

 しかし。数日とはいえ実戦より遠ざかっていたバゼットは確かに、以前のキレを失っていて。その結果、ボディへの直撃を許してしまった。

「ぬ────」

 首を獲りにいった筈の拳。影が漏らした一言は奇襲の失敗を意味し、それが故に距離を取った。取らざるを得なかったと言い換えても良い。憤怒の形相で疾走するランサーを視界に納めてしまってはそれも仕方あるまい。

「バゼット!」

「……ぐっ、大丈、夫です。ガードは、間に合いました、から」

 膝を折りかけたバゼットを支えるランサー。言葉とは裏腹に苦悶の色を浮かび上がらせるバゼットの表情。獣の眼光が揺れ動き。マスターを痛めた影を、刺し貫く。

 バゼットを仕留め損ねた影は軽やかな足運びでキャスターの隣へと移動する。
 影は痩躯の男だった。淡い月光に照らされているのは、色のない顔。能面のような、無表情。たった今、その拳で相手を傷つけたというのに、感情を全く垣間見せないその様は、人として何処かズレていると認識させる。

「テメエ、何者だ」

 間合いの外まで遠ざかった男からは魔力を感知出来ない。魔術師としてあって然るべきそれを持たず、けれどキャスターと共に立つ姿は彼女のマスターにしか見えない。しかしそんな事は有り得ない。魔力を持たない唯の人間には、英霊を従える事など……。

「ふふ、だから言ったでしょう?」

 魔女が嘲笑う。女王(サーヴァント)を使役する(マスター)。両者の関係は詰まるところ、そういう事だ。理由の如何など関係なく、事実としてその証があるのだから。

 空間の跳躍。極限まで魔法に迫るその魔術を、己のみならずそのマスターまで転移させる力量。そして計り知れない痩躯の男の力量。痛んだマスターを背に戦い切るには、僅かに分が悪い。

「────では宗一郎、下がりましょう」

 魔女の言葉に男は無言のまま更に一歩後退する。キャスターのローブが揺れて。空間が歪曲する。

「逃げる気か」

「逃げる……? 冗談、私の庭で私が臆すものなんてないわ。けれど私は他に用がある。貴方の相手はしてあげられないわ」

 はためいたローブが黒く染まり二人を包む。
 魔女の言葉は何処かおかしい。今此処で姿を眩ました所で、結局バゼット達は魔女を追うだろう。痛んだとはいえ、致命傷ではない。癒す術を持つ以上は撤退という選択肢は選ばない。

 ただの時間稼ぎにしては、中途半端な対応。消え去りつつある魔女の用件。目的。今まで全く姿を見せなかったマスターを露見させてまでランサーの足を止めた、その理由。そして今、立ち去る理由。

「気をつけなさい。手負いの獣は、手強いわ」

「何……?」

 キャスターが痩躯の男と共に消え去るのと、ランサーが疑念の言葉を漏らしたのはほぼ同時だった。────そして、その魔力の高鳴りも。

 ランサーとバゼットの視界に映るのは、既に瀕死に陥った筈のライダーだった。立つ気力すら挫いた筈の騎兵が今、その四肢を大地に衝き立て牙を剥く。
 獰猛な獣が、獲物を狩る時に見せる臨戦態勢。それに酷似したライダーの姿勢は、逆巻く魔力の波に包まれていた。

「バカな……。あれほどの魔力供給、一体どこから────」

 バゼットは口にして戦慄した。そんなもの、決まっている。マスターからの供給は微量でしかなく、他の人間の魂を捕食しての簒奪でもなければ、考えられる事由など一つしか有り得ない。

 ────魔女。

 彼女自身の保有魔力はそれほど多量ではなくとも、この力場に満つる魔力の全てを我が物とするキャスターならば、可能。神代に生きた裏切りの魔女に蓄えられた知識の中に、使い魔から使い魔へと魔力を供給を行う術があっても不思議ではなく。
 あるいは。魔術師である彼女だからこその曲芸か。使い魔である前に、彼女は魔術師。ならば。

「ハ────どちらにしろ変わりはない。離れて傷癒してろ、マスター」

 ランサーが立ち上がり己が主より距離を取る。バゼットを視界に納めたまま、相手に出来る敵ではないとランサーの直感が警鐘を鳴らす。目の前の女は先程までの騎兵とは別人。そう考えなければ────やられる。

「以前出会った夜、言いましたねランサー。借りは返すと。今が、その時です」

 目も奪われる微笑を零し、淡い紫の髪を靡かせて騎兵が突貫する。対する槍兵は足に根を生やしたかのように微動だにせず迎え撃つ。
 有り得ぬ筈の第二局面。最速の誇りを賭けた戦いの第二幕が、此処に開く。





/2


 音もなく黒は集束する。

 柳洞寺へと至る石段、荒涼とした境内では未だ、サーヴァント達による攻防が止むことなく続いている。二つの戦場の内の一つへと、僅かな時間だけ姿を見せた魔術師の英霊が、これ以上の関与など必要ないと見てか、自身の居城へと帰還を果たした。

 魔女が息をついて、フードに手をかける。外されたフードの下には、美しい顔があった。薄い紫色の髪を少しだけ編んでいて、少女のような瞳が微かに揺れ動く。呼応するように、奇妙に少しだけ尖った耳が動いた。

「ありがとうございました、宗一郎様。これで万事全て上手くいきます」

「いや」

 返された短い言葉。キャスターは眉一つ動かさぬ主を見つめ、けれど変化などない表情より視線を切った。

 柳洞寺に住まう者達は既に眠りに就いている。間近で崩落が起きようと決して目を醒ます事などない、深い深い眠りの中へ。
 外で剣戟を響かせあう者達は無意味な生奪を好まない。故にキャスター諸共に伽藍ごと吹き飛ばす、などというおよそ考えられる中で最善といえる選択肢を選ばない。いや、選べない。だからこそ、彼らは今宵この地に踏み込んだのだから。

 真実を語るなら、今夜の襲撃はキャスターの思惑より外れる事だった。ライダーを手に入れ、その真の主である間桐桜までを連れ去り、後は少しずつ時間をかけて外堀から埋めていくだけだった。

 サーヴァントが三騎揃った時点で、単騎で踏み込んで来る愚かしい無謀者などいないと思っていた。それがどうだ。彼らは決して協力関係にあるわけではないのに、共通の目的の為に手を取り合った。それも、余りに短すぎる時間の中で。

 キャスターは歯噛みする。何もかもが上手くいっていた筈。一体何処で歯車が狂いだしたのか。
 ──時間にして三日。後三日もあれば、正式な決着など見ずとも聖杯はキャスターの手に降るところであったというのに。

 だが今はそれもいい。結局、同じ事だ。今宵を勝利で飾れば、聖杯戦争の勝者さえ確定する。そう思えば、力も入るというものだ。

 主より切った視線が見据えるのは、寝台に横たえられた少女の姿。灯りのない室内の暗闇の中でさえ映える、黒よりなお濃い純黒のドレスを身に纏い、何も知らずに少女は穏やかな夢を見続ける。
 魔女は歩み寄り、愛でるように頬を撫でる。今はまだ、安らかな夢を見続けてくれればいい。時が満ち、毒林檎を口にするその時まで。

「キャスター」

 低く、抑揚のない声が無音に響く。

「何でしょう」

「おまえにとって、間桐桜は何だ?」

 キャスターは未だ、痩躯の男に真意を伝えていない。この都合五度目の聖杯戦争を逸早く終わらせる為の奇策、己ではない誰かが用意し、けれど使う時期を計っていたであろう少女の正体。
 それを今言うべきか、言わざるべきか。キャスターは男に信頼を寄せている。決して無闇に他言するような輩でもなし、むしろその情報を伝える事により彼を危険へと突き落とす事になるのではないかと、キャスターは危惧する。

 それでも。この男が自ら発した言葉に、キャスターは答えを返したかった。

「……この娘は、聖杯です」

 キャスターの言葉の意味するところを、痩躯の男は知り得ない。ただ、この少女を匿う必要性が何処まであるのか、もしもの場合、捨て置く事も視野に入れていいものか。きっとそんな打算しか男の質問に意図はなく。

「そうか。ならば、手離せないのも頷ける」

 サーヴァントの望みとは聖杯を手中にする事。今はまだ覚醒しきっていないとしても、キャスターがこの少女を聖杯と断言した以上、目的とした聖なる杯に違いはなく。ならば痩躯の男は、是が非でもこの少女を守り通すだろう。
 ────自身の望みの為ではなく、彼女の願いの為に。

 そんなやり取りの最中でさえ、キャスターの警戒網は張り巡らせている。さながら巣を張る蜘蛛の如く、己が陣地へと踏み込む輩を絡め取る為に。そしてその網に、蝶がかかる気配を感知した。

「……また。今夜は本当に、来客の多い日だわ。しかも今度は、盗人紛いの輩のようね」

「敵か」

「はい。けれど貴方が出向くまでもありません。私一人で充分に滅ぼせましょう」

「そうか。ならば必要となれば呼べ。それまで自室に戻っている」

 キャスターの返事を待たず、男が闇に溶ける。本当に其処に居たのか疑うほどに、音もなく姿を消した。
 消え去った男の姿を暗闇の中に見ようとするかのように、キャスターの視線は闇の彼方に送られ続ける。けれどもう、男の背中は見えない。

「私は負けられない。この大切な時間を、守り続ける為に」

 魔女の独白は決意の証。彼女とて、戦う意義を持ち、生き残る理由がある。この戦いの結末は詰まるところ、他の者の願いを如何に押しのけられるか。自身の望みを何処まで誇り続けられるかに懸かっている。
 その点を鑑みれば、彼女の意思は強固である。何しろ目に見えない未来を夢見ているのではなく、今この時が続く事を願い続けているのだから。

 暗色のフードを被り直し、魔女はまた、戦地へと赴く。





/3


「ぎっ────、クソがッ!!」

 怒号を発し、迫る一撃を耐え凌ぐ。
 ライダーの繰り出した回し蹴りを受け、ランサーは噛み締めた歯を砕かんとばかりに裂帛しながらも堪え切れずに吹き飛ばされる。

 境内で行われていた攻防は未だ続き、けれど情勢だけは確かに以前とは違う結果を見据えて奔走していた。

「────チッ、なんてヤロウだ。これじゃまるで、完全に別人じゃねえか」

 地滑る形で無理矢理に己の身体を制止した槍兵のぼやきは、騎兵の口端に笑みを浮かび上がらせる。ジャラジャラと鳴る鎖の音色は途切れる事無く鳴り止まず。手にされた釘剣は敵の眼を抉り抜こうと鋭さを増すばかり。

 再度投擲される騎兵の剣。槍兵へと一直線に放たれたそれは、目前で軌道を変えてランサーの真横より肉薄する。剣を槍で弾いた刹那に、眼前へと迫るライダーの速度は尋常ではない。目視したその瞬間に繰り出されている圧倒的なパワーにスピードを上乗せて繰り出される肉弾攻撃。

「ぎ、ぎぎぎぎ、がァ……!」

 余りにも重いそれは、ランサーの膂力では耐え切れない。前面に立てた朱槍で無理矢理に耐え、弾き、いなし、距離を取る。けれどすぐさま追撃を繰り出せるライダーの身は余りに軽い。何処にそんな力を持っているのか疑いたくなるほどに、今のライダーの身のこなしは軽すぎる。

 息もつかせぬ連撃。境内を舞台に、所狭しと走り回る彼らの攻防はしかし、絶大な魔力の加護を受け続ける騎兵に軍配が上がる。

「……やる。けどな、これでいい。オレは、こういう戦いを待ってたんだ」

 全力をして、けれど勝ち得る隙を中々見出せない攻防。一瞬の判断ミスが招く命のやり取り。自らの限界をチップにして、己が力の極限を上回る絶好機。

 これだ。これを待っていた。背筋を悪寒が走る。心臓がバクバクと音を立てて煮え滾った血を全身に張り巡らせる。だというのに、頭の中は酷く澄んでいる。冷静と言い換えても良い。この敵から勝利をもぎ取る手段を、ただ冷徹に、俯瞰するかのように考え続ける。

 けれど弾き出される答えはいつも同じだった。サーヴァントの戦いとは結局、行き着くところは変わらないのだと痛感する。

 ────手にした槍が戦慄く。

 赤い鳴動は、ランサーの血の滾りに呼応する。拍動を響かせて、大気中に流布される魔力を根こそぎ奪い取り。漂う夜気を凍り付かせて、この星が遥かな太古に抱いた氷れる世界へと誘う。

「ランサー、遂に」

 痛んだ箇所の治癒に全力を割くバゼットの呟き。己が従者の見せる、必殺の構え。その意味するところを知らぬ筈がない。
 英霊の半身にして、英霊を英霊足らしめる唯一無二の絶対兵装。ランサーの宝具は、見せたからには相手を必ず仕留める文字通り必殺の槍。

 彼がそれを見せる気になったのなら、彼女らの勝利は揺ぎ無い。勝利を絶対付ける魔槍の鎌首が今────擡げようとし、

「────残念ですが。私の方が、速い」

 予兆もなく。ライダーの宝具(ひとみ)が、発動し(ひらかれ)た。

「な、に……」

 カラン、と音を立てて落ちる眼帯。麗しき美貌を覆い隠し続けてきたその奥に、彼女の宝具があった。水晶の瞳の中心に据えられた奇異なる瞳孔。円状ではなく、四角く切り取られた灰色のそれは、視る者を魅了する魔眼に他ならず。

「バカな。石化の魔眼などと……!」

 現代に在り得ざる神秘に、流石のバゼットも狼狽を隠しきれない。ライダーがその瞳を露にした瞬間から、彼女らの身体は石化を始めている。
 石化の魔術とて現代ではその使い手は希少であるというのに、一工程で術式を完成させる魔眼を持つ者など有り得ない。特例中の特例、禁忌に触れるその魔眼を持つ者を、けれど彼女は一人だけ知っていた。

「────ゴルゴン三姉妹が末女……メドゥーサ。美の女神の嫉妬を買い、地に貶められた怪物」

 絶世の美貌を誇り、海神にさえ寵愛を受けし大地の女神。けれど彼女の末路は凄惨なものである。神格を奪われ、姉である二人の少女らを呑み込んだ彼女の結末は、英雄に打ち倒されるという悲劇。
 人々の憎悪により祀り上げられた反英雄。正規なる英霊とは一線を画す存在たる彼の女神が、聖杯に招かれたという事実を今は追跡する余裕などない。

 足元より昇り来る魔力の波は、形を得てバゼットの自由を縛る。蛇の唸りを上げて、刻一刻と魔が迫る。
 一縷の望みをかけてライダーより視線を切ってはみても全くの無駄だった。

「私の瞳は私の瞳を視たものではなく、私の瞳が視たものの自由を奪う。発動すれば、決して逃しはしない」

 騎兵の言うとおり、一瞬でも彼女の視界に捉えられてしまってはもう、レジストする事が出来ない。強力な対魔力の持ち主ならいざ知らず、現代魔術師の中でも高位に位置するバゼットですら不可能。同じサーヴァントであるランサーを以ってしても、全く為す術もなく動きを封じられている。

 バゼットの傷を完全に癒しきらぬまま、皮膚だけでなく肉体の内側すらも石と化していくライダーの瞳。けれど眼前に立つランサーの方が僅かに、その速度が早い。
 立ち位置。意図してかどうかは判らずとも、ランサーはバゼットを庇うようにして立っている。主を守るように。少しでもライダーの視界に入らぬように。全身で彼女の洗礼を受けながら。

「ラン、サー……」

 その姿を、酷く愛おしいと思った。バゼットはまだ動く手を伸ばし、大きな背中に追い縋ろうとして、

「心配すんな、バゼット。オレは────負けねえ」

 その声を、確かに聴いた。

 激情を音にしたかの如く、戦慄きを上げて突き刺される槍。石畳を容易く砕き、その下に埋まる大地を抉り飛沫と化しながら、動かぬ足をそのままに、両の手で担った朱槍で自身を中心とした円を刻む。

 大地に刻まれるは傷痕だけではない。相棒の穂先を繰り、刹那の内に描き形成されるは魔法陣。赤い灯火を抱きながら、加護の光が顕現する。
 神代にあった十七の文字。今は意味さえ失われた秘蹟が円環状に加速する。一つ一つの光は弱くとも、相互に干渉し合うルーンの輝きは、宝具の眩さにも劣らない。

 そうして生まれた光が、黒い衝動を駆逐する。

「……そんな。レジスト、する気ですかッ!」

 ランサーはただの槍兵ではない。体得した槍術もさることながら、その身に魔術の知識を宿すが故の英霊である。
 今は失われし原初のルーン。その全てを繰るランサーならば。その全てを防護へと廻せるのならば。たとえ上級宝具の一撃とて防ぎ切るだけの魔術的要素を持つ。

 故に。

「テメエの失態だ。自由を奪うのなら脚からじゃねえ。一撃で、心臓を止めておけ」

 蒼が弾けた。既に自由を奪う石の力はない。最大戦速を以って、ランサーは境内を疾駆する。
 瞬きの間はライダーにとっては永遠のように思えて。ランサーのとっては刹那よりも遠い停止した世界のように感じられた。

 完全に動きを封じた筈の石化の魔眼(キュベレイ)を、よもや宝具ですらないただの魔術によって破られた衝撃は騎兵の思考を奪うには充分すぎた。
 ランサーが迫っている。そう理解した時には、全てが遅すぎて。赤い閃きは彼の言葉通りにライダーの心臓を刺し貫く。

 ────そう、殺し殺される両者が確信した瞬間、極光は生れ落ちた。

 蒼い帳を染める白光。境内の奥、伽藍の更に向こうにある池の付近より生まれた輝きは空を染め上げ、戦地に赴いていた彼らの視界すらも奪い去る。

「………………ッ!」

 同時に生じたのは隙と好機。光を直視したランサーの眼は一瞬とはいえ色を失い、背を向けていたライダーには左程の影響はなく。騎兵にとっての絶対的な死地は思わぬ好機に救われた。

 遠ざかるライダー。余りに開きすぎた距離は仕切り直すにしては、遠すぎる。裕に三十メートルは離された間合いの先で、ライダーは何時かのように四肢を大地に衝き立てる。牙のような鋭さを持つ爪が大地を掴み。

「勝負は預けます。次こそは、貴方を屠り去る」

 何のつもりだ、とランサーが問うよりも先に。新たなる光が放たれる。ライダーを包む真白の輝き。ただでさえぼやけた視界を更に覆い包む閃光を前にしては目を開け続けることなど出来ず。刹那の後には、黒色の騎兵の姿は掻き消えていた。









 残されたランサーとバゼット。消え去ったライダーは既に、何処へ向かったのかすら定かではなく。

「一体何だってんだ」

「ランサー!」

 ランサーの呟きを掻き消して、バゼットの声が轟いた。痛めた箇所を庇ったまま、それでも速められた歩で歩み寄る。

「悪ぃな、マスター。どうやら詰めを誤ったらしい」

「いえ、構いません。ライダーが消失したお陰で私の石化も解けましたし、彼女の真名、並びに宝具も看破出来ました。もし再戦があったとしても、私達が敗退する要素が見当たりませんから」

 ランサーの視線がバゼットの肩に掛けられた筒状のものを見やる。確かに、もう負ける要素はない。最後にライダーの見せた光だけが若干の影を落とすが、それでも充分に勝利を取れる。

「今はそれよりも、最初に生じた光が気掛かりです」

「ああ、あれさえなけりゃライダーの首級は獲れてったのに。何処のどいつだ、邪魔をしやがったのは」

 悪態をつきながらもランサーの表情に憂いはない。むしろ先の戦いに満足を残せたかのように微笑む。そして、これからも続く闘争に。

「……どうやら、あっちも終わったらしいな」

 鋭利な視線が捉えるのは数分前に潜り抜けてきた山門だった。昇り来る者の気配には見覚えがある。あの若き魔術師と赤い弓兵が勝ち残ったという事は、門番を務めていたアサシンは敗れ去ったという事を意味していて。

「消えたか、アサシン。まだテメエには返してねえ借りがあったってのに。だがこれも聖杯戦争の定めか。強い奴が勝ち、生き残る。争いはいつもそうだ。シンプルだが、それだけに良い。
 ────で、どうするバゼット。戦るのはどっちだ?」

 撤退の二文字はない。今なお癒され続けるバゼットの傷も間もなく完治する。そうなれば消耗はさほど大きなものではない。連戦は確かに厳しくとも、ここで引き下がれる主従でもない。

 向かう先は二つに一つ。一時限りの休戦協定を結んだバゼットと凛ではあるが、明確な期限は定めていない。あるとすれば、山門を潜り抜けるまでは戦わない、という不戦条約くらいのものだ。
 ならば凛とアーチャーが山門を潜り終えた瞬間に奇襲をかけてしまえばいい。戦闘準備の整わない状態からの連戦。それも、後方は奈落とあっては迂闊な攻勢には出られない。

 もう一つはこのまま先に進むこと。極光の正体がなんであるかは判らなくとも、そこに何者かが居る事を証明している事には違いはない。
 最たるものはキャスターであろう。姿を消した魔女の目的の結果があの光にあったのならば、もしかすると時は既に遅すぎるかもしれないが。

 更に言えば、このまま進む事は後顧の憂いを残す事になる。後方に敵を残したままの進軍は危険すぎる。挟撃されてしまっては流石に拙い。

「────迎撃します。先の光も気になりますが、不安の芽は摘んでおきたい」

 バゼットの掌に嵌められた革手袋が軋みを上げる。

「そう来なくちゃつまらねぇ。アーチャーのヤロウは何かと気に食わねぇからな。ここいらでケリを着けるのも悪くはない」

 朱槍の穂先が踊る。
 終局へと加速する柳洞寺での攻防。けれど最終幕は、未だ遠い。













web拍手・感想などあればコチラからお願いします






back   next







()