剣の鎖 - Chain of Memories - 第三十二話









 赤い背中を追い、石段を駆け上がる。不可解な決着を見たアサシンとアーチャーの一戦が僅かに彼女の心に尾を引いている。
 勝てない相手ではなかった。勝てていた相手だった。けれど、相手の方が勝利への渇望が強かった。だから紙一重、首の皮一枚の差でアーチャーは消え去る筈だった。戦闘の全てを把握仕切れなかった凛にもそれぐらいは感じ取れていた。

「──────」

 気に食わない。アサシンに何が起こったのかはもう解らない。アサシンは行けと言い、アーチャーは進むと決意した。今更戻って「ねえ、なんで最後に手を止めたの?」なんて聞けるわけがない。

 それは死を賭して戦った者達への侮辱に他ならない。騎士道精神なんてものを振りかざす気は更々ないけど、敗者より生を摘み取ったからには、それ以上の物を奪い取るのは気が引ける。というか、優雅じゃない。

 遠坂の家訓である優雅たれという言葉を無碍に出来ないし、したくもない。如何なる手段であっても勝利を手にしたのなら堂々としろ。散っていった者達が誇れるくらいに胸を張って前に進め。
 それが、夢半ばで破れていった者達への最大の餞となる。だから今は、このソラの続く先を見据えて。長く遠い石の階段を踏み越える。

 途中、二度ソラが瞬いた。

 そうして。酷く長い距離を歩んできたかのような錯覚をする石段を超え、ようやく辿り着いた山門を潜り抜けた先には、思いもがけぬ二人が待っていた。
 いや、実際はそうでもない。彼らは彼女らを踏み台として魔女の元へと走ったのだ。ならば勝っていなければ困る。姿がなければ困る。

 なせなら────そうでないと、借りを返せない。

 ざっ、と砂を払う音を立てて足を止めた。アーチャーが僅かに前に、凛を庇う形で眼前にいる二人組を睨みつける。斜に構えた格好は、互いにその背中を預けあっているよう。お揃いのピアスなんかして、まるでもう何処のバカップルかと見紛う。

 しかしその姿は、信頼の証であろう。既に得物を具現化して肩に寄り掛けた赤い穂先。夜に溶け込む黒のグローブ。彼らの心は既に戦闘のそれに移っている。此処で一戦終え、凛達が昇り来るの待っていたのだ。
 火のついた闘争心を燃やし尽くせず、燻り続けていた。故に、こうして新たなる敵の襲来を待っていた。

 この場所で行われた戦闘がどんなものだったかなんてのは、知らない。ただ凄惨に打ち壊された石畳だけが物語るものがあるが、既にもう過去の出来事。これから起こる事に全くの関与がないその出来事に頭を巡らせるのは時間と体力の無駄遣いだ。

 挑むべきはこれから。この敵の打倒なくして、進むことあたわない。ただその前に。問い質しておかなければならない事があった。







 ライダーを撃退──言い換えれば取り逃がした──後、バゼットらは静かに佇んだ。目的はもちろん、下方より昇り来る主従の討伐にある。
 突如生まれた白光の正体、消え去ったライダーの意図、感じられる別のサーヴァントの気配。諸々気になることはあるけれど、今はその雑念を頭の片隅に追いやる。そう、それらは今はただの雑念でしかない。

 これより臨む戦闘行為になんら関わりのない雑事。一度拳を打ち鳴らしてしまえば余計な事柄は全て吹き飛んでいく事だろう。それが戦闘者たる彼女らの思考回路。

 後数秒もしないうちに階下より敵は昇り来る。状況次第だが、一触即発も有り得る。ならば有事に備えいつでも戦端を開ける心構えが必要だ。
 ピリピリとした緊張感がバゼットの身体を走る。久方振りの実戦だというのに、思いもがけぬ不意打ちにより傷を負わされた。ランサーとライダーの戦いへ、何の関与も出来なかった。

 この身は、マスターとして此処に在る。だというのに、足を引っ張る始末である。ブランクは言い訳に過ぎない。魔女の居城において、隙を見せた自分こそが悪いのだ。失態は取り返す。これ以上の無様は召喚に応じてくれたランサーに申し訳が立たないのだから。

 そんな、張り詰めた気配を感じ取ったのかは判らないが、ランサーは言葉もなくバゼットへと歩み寄り……その背を預けるように立ち山門を睨んだ。

「ラン────」

 口から飛び出そうになった言葉を必死で呑み込んだ。上げた視線が見つめたものが酷く真摯で、けれど何処か温かみのあるものだったから。
 ランサーが背中を預けてくれた。その意味を、考える必要などなく感じ取った。戦士が背中を預けるという意味。それを、誇りへと変えられる自分が在ったのだから。

 きつく結んだ口元を一度だけ、緩ませて。すぐさま引き締めた。倒すべき敵の到来を、感じてしまったのだから。

「待っていました、遠坂凛」

「それはどうも。わざわざ悪いわね」

 叩き合う軽口は、口火に過ぎない。

「で、貴女がここにいるってことはもちろん、キャスターは倒したんでしょうね?」

 言外に私達を踏み台にしたんだからそれくらい当然よね。と、凛は不敵に微笑んで。バゼットもまた微かな笑みを零した。

「……残念ながら。この境内で思わぬ敵に出くわしまして。てこずっている間に、ほら。対象は既に柳洞寺より消え去ったようです」

「……ふん。あれだけ大口叩いといてそれ。協会の魔術師さんは当の魔術はからきしで口だけ達者なのかしら?」

 それが強がりだと、凛自身解っていて口にした。弱みは見せられない。目の前の女魔術師は策略を用いるタイプではなさそうだが、だからこそ付け込まれる隙を与えたくない相手と言えた。
 称するのなら、獰猛な獣。相手が自分より劣っていると見るや否や襲い掛かられる。鋭利な牙を剥き出しにして、喉笛を噛み千切るだろう。

「──試してみますか? 口だけ達者な魔術師の力量を、その身を以って」

 鋭さを増すバゼットの視線は氷のナイフの如し。
 しかしながら凛の戯言は真に遺憾ながらもある意味真実を射抜いている。ライダーにかかずらったが故にキャスターは何処かへと消え去った。凛に対し脅迫紛いの休戦協定を申し出ておきながらこの様なのだから、思うところはあるにはあった。

 が、それとこれとは別の話。下らない挑発を受け流せるほど、バゼットもまた心中穏やかではなく、人間出来ていなかった。

 それが故に凛は内心危機感を募らせる。まさかこんな安っぽい挑発に乗るとは露ほども思っていなかったからだ。
 魔術協会に属するような人間は正しく人間では在り得ない。他者からの中傷など軽く受け流せるほどに強固な自我と、稀薄に成り過ぎた自身とを併せ持つ変人共。それが凛の認識する怪物の巣窟たる協会の人間の在り方だった。

 それを思えば、目の前のバゼット・フラガ・マクレミッツという妙齢の女性は些か人間臭過ぎる。そう───魔術師という自分と、少女という自分を両立する遠坂凛に似ている気がした。

 生唾を飲み、凛は魔術刻印を回転させる。目的とした桜の行方も気掛かりだが、今はそんな事を言っていられる場合でもない。この敵を駆逐せずして明日の朝日は拝めない。だからこその戦闘意思。

 凛のその様を応と受け取ったバゼットもまた握り締めた拳にルーンを刻む。胸の前で構えた拳をそのままに、未だ無手のままのアーチャーを微かに盗み見た。
 アーチャーは無傷といえば無傷だが、内包する魔力の量が見るからに少ない。恐らくはアサシンとの戦闘で相当量の消費を余儀なくされたのであろう。

 バゼットと同じくアーチャーの状態を読み取ったランサーは、不満そうな顔で槍を一薙ぎにする。夜気を切り裂いた赤い熱を含ませた槍が構えられる。

 そんな状態で撤退を選ばずここまで来た気概だけは買おう。だが、向かってくるのなら容赦はしないし、出来ない。これは試合ではなく、殺し合いだ。容赦は隙を生み、手加減は侮辱となる。
 戦るのならば全力で。死を賭して、命を懸けて。心ゆくまで殺し合おう────

 不完全燃焼に終わった先の戦いの代わりにとばかりに殺意に火を灯し、いざ仕掛けるかという刹那に。その声を聴く。






血染めの剣/Rondo VI




/1


「────遠坂っ!」

 境内で対峙していた主従の耳を劈く第三者の声。今宵、柳洞寺へと踏み込んだもう一つの主従、士郎とセイバーの姿が月光の下へと映し出された。

「……タイミングがいいのか悪いか。しかしこれで、役者は揃った」

 視線を伽藍の奥より現れた二人へと傾けたバゼットは呟く。言葉すらなく行われようとしていた戦闘、一触即発の緊張感を突き破るに相応しい登場だ。
 懸念していたもう一騎のサーヴァントがこうして自ら姿を現したのは彼女らにとっては僥倖といえた。この広い境内なら挟撃の心配はない。存分に力を振るう機会もあるだろう。まあそれも、状況次第ではあるが。

 対照的に、顔を顰めているのは凛だった。凛の思惑の中に、ここでの衛宮士郎の登場は有り得ない、有り得てはいけないものだった。何故ならば桜がこちら側に属している事を知られるのは、凛も、おそらく桜自身も本懐ではない。
 だからこそ彼には何もしない事を望んでいたというのに。

「……まあいいわ。来ちゃったものは仕方ない」

 あっさりと事実を受け入れる凛にとって、おそらくそんな希望的観測はまさしく儚いものでしかなかったようだ。そもそも桜が毎日通っている場所は当の衛宮士郎の自宅である。そんな彼女が忽然と姿を消したとあっては、自称正義の味方のこの男がじっとしていられるわけもない。

 許容できないものがあるとすれば、それはきっとこの偶然。時を同じくして三人ものマスターが柳洞寺に乗り込むなど、出来すぎている。いくらかの偶然はあろうが、影に誰かの作為を感じないでもない。

 もし踏み込んだのが凛とアーチャーだけであったのなら今はまだ戦いの最中か、あるいは既に敗北を喫し亡き者か、地獄よりも地獄らしい責め苦に苛まれていたかもしれない。それを思えば、今の状況は喜ばしい偶然と受け取る事さえ出来そうだ。だがそれも、これからの展開次第ではあるが。

 既にこれからの事に思考を移しているバゼットと凛を余所に、士郎は対照的な二人の女性の顔を見比べ不可解な面持ちでいた。だがそれもやがて真剣な顔つきへと変わり、距離を保ったまま境内の只中へと移動した。
 三者の立ち位置は均衡、四角い境内に正三角形を描くように間合いを保つ。山門を背に凛とアーチャー、伽藍を背にバゼットとランサー。そして鬱蒼とした林を背に士郎とセイバーが並び立つ。

 奇しくも揃ったのは七騎の中の三騎──俗に三騎士と呼ばれるクラスを冠する者。

 睨み合い、というほどものではない奇妙な沈黙が数分ばかり続いた。二組であったのなら先のように如何様な手段も切り出せる。しかしそれが三組であったのなら、躊躇せざるを得ない。会話にしろ戦闘にしろ、口火を切る者は残る二組に注視される。
 良い意味でも悪い意味でも、軽率な行動は慎まざるをえない。何をきっかけに状況が動くのか判らない現状で、もし一対二にでもなってしまえば苦戦を免れないのだ。誰しも、自ら不利なる状況下に陥りたいと思うまい。

 それが故の静寂と緊張感。
 ────が。そんな沈黙を無駄と言い切れる女性の姿がある。

「腹の探り合いは好きではありません。遠坂凛、そして衛宮士郎。貴方達に問うべきは唯一つ。────貴方達は私の敵か否か」

 口火を切るには、充分すぎる熱を伴った言葉を紡いだのはバゼット。銀色のピアスを風に揺らし、睥睨する瞳には確固とした意思を宿して返答を待つ。
 見敵必殺を信条とするバゼットらしからぬその言葉は、最大限の譲歩である。この場で首を縦に振り、聖杯戦争から降りるのならば見逃すという、この上なく不敵な発言。けれど裏打ちされた信頼と実力を伴うが故の暴言である。

 現に凛は気持ちの悪い汗を肌で感じている。返答はともかくとして、彼女の脳内では彼我の戦力差を踏まえた上でのシュミレートが行われているのだろう。導き出される結論は、敗北。敗因は、自身。
 アーチャーとランサーの実力は目に見えて離れてはいない。一度は本当の実力を見せずにランサーと戦りあったアーチャーならば、微かな勝機だろうと手繰り寄せるだけの戦術眼を持っている。

 但し、それはアーチャーとランサーが戦った場合の話だ。彼らが戦うという事は、マスター同士も対峙せざるを得ない。むしろあの女ならば否が応でも凛を狙ってくるだろう。バゼットと凛がかち合えば、敗北は必至。瞬きの間くらいは耐えられようが、瞳を開いた刹那に視る事になるのは自身の脳漿を撒き散らす破壊の拳であろう。

 それほどまでに、戦闘者としての実力が違う。凛は学問として魔術を修め、魔術師足らんとしている。行き着く先は魔術師ならば誰もが目指す根源である。
 対するバゼットは戦闘を行う為の手段として魔術を修めている節がある。そうでなくとも彼女のそれは戦闘に特化しすぎている。戦闘を極身近なものとした者だけが持つ鍛え抜かれた肢体。身体も魔術も目的と手段、用途が余りに違う。人としての性能が違う。

 何度試行を繰り返そうと凛ではバゼットには勝てない。そう結論付ける他なく、けれど凛は不敵に微笑んだ。前提がまず、違うのだ。今この場にいるのは凛とアーチャー、バゼットとランサーだけではない。

「ちょっと待ってくれ」

 そう、この場にはもう一人、何をするのか解らない危険分子がいる。

「敵か否かとか、そんな物騒な物言いは止してくれ。俺はただ知りたい事があったからこの場所に来たんだ。アンタ、ええと……」

「バゼット。バゼット・フラガ・マクレミッツです」

「そのバゼット……さんが、何で俺の事を知ってるんだ? 俺はアンタの事は知らないんだけど」

 状況をまるで省みない士郎の発言には流石のバゼットも苦笑を零した。彼には緊張感の欠片もないのかと思いながらも、言葉を返した。

「ええ、私は貴方の事を良く知っています。敵地へと赴く前に地形の把握、得られる限りの敵足りえる者の情報を収集するのは当然として──この聖杯戦争においては、過去のデータを参照する事さえ出来る。
 その中で、始まりの御三家に並んで要注意人物として見ていたのが、衛宮士郎──貴方です」

 バゼットの言葉に士郎は解せない面持ちで眉を顰める。士郎が聖杯戦争へと首を突っ込んだのは、偶然だ。確かに魔術師という参加条件は満たしてはいたが、開演前より参戦の意思を表明した覚えなどない。何より、土蔵での出会いがなければ、こんなものが行われる事など露ほども知らなかったのだから。

「衛宮くんが、要注意人物? そんなわけないでしょう。こんな半人前のどこに注意を払うって言うのよ」

「ええ、確かに。こうして面と向かって会うのは初めてですが、中々どうして。へっぽこですね」

「へっぽこよ」

「ぐっ……おまえら。人として言っていい事と悪い事ってあるんだぞ。そういうのは思ってても口に出して言っちゃいけないんだぞ」

 反論しつつも、事実は覆らない。バゼットは元より、凛の足元にすら及ばない士郎の魔術師としての能力、知識は彼女らの言葉を肯定する。けれどバゼットはふるふると首を横に振った。

「しかしこうして見えた後でも、私の彼への評価は変わらない。彼自身には元々着眼している事はありませんでしたから」

 ならばバゼットの言う士郎への警戒の正体とは。

「……その顔は知らないようですね。ならば聞くといい。
 遡る事十年前。先の聖杯を巡る争い……第四次聖杯戦争において、その最終決戦まで残った者。過去四度の争いの中で、最も冬木の聖杯に近づけた者。それが、衛宮士郎の養父──衛宮切嗣だからです」

「────なっ、……切嗣が、参加者!?」

 音は衝撃を伴って士郎の脳髄で炸裂する。
 どうして気付かなかったのか。聖杯を祀る地に、魔術師がいたという意味。それがただの偶然によるものだと想像して、真実より目を逸らした。事実には、教会で過去にも聖杯戦争があったという事を聞いた時点で気付くべきだった事柄だ。
 妄信した関連性。関わりなどないと、今思えばどうして思い込めたのだろう。

「当時の彼もセイバーを召喚し、参戦していたようです。偶然にしろ、同じセイバーを引き当てた遺志を継ぐ者にも、警戒を抱くのは何も不思議な事ではないでしょう?」

 なお言えば、今こうして見えているという現実がバゼットの認識に拍車をかける。既に魔女の気配がないということは、凛でもバゼットでもない、この少年こそが諸悪の根源を退けたという推論に思い至る。
 彼自身の手腕でなくとも、今この場所に立っているという時点で、この上ない幸運に守護されている。運は何よりも手強い。時に強大なる幸運は運命、ひいては因果すらも覆すのだから。

「私には予感がある。この第五次聖杯戦争の台風の目となるのは貴方だ、衛宮士郎。良くも悪くも、貴方の行動が他の参加者を翻弄する。
 だからこそ私は貴方を────この場で討ち斃したい」

 順当な手段に拠るのならば、バゼット達は最後まで勝ち残れるという自負がある。だからこそ予期出来ない不安要素こそを速やかに刈り取るべきである。前回の参加者の息子。それも聖杯に王手を掛けた父を持つ子とあらば、それがたとえ親の七光であろうとも、受け継いだものは駆逐するに値する。

 これ以上語るものはないと、バゼットは下げていた拳を再度胸の前で構え直し、軽くステップを踏む。身体は思うより軽やか。先の一戦での負傷もなんら問題なく完治している。これならば、誰を相手取っても遅れを取る事はない。

「ちょ、待て! 何がなんだか解らないぞ!?」

 狼狽する士郎の脳内はぐるぐると結論の出ない思考で満たされている。切嗣が参加者だという知らなかった事実。バゼットが己を敵と認識した事実。そして何より、このままでは桜の消息を掴む手掛かりさえ失うという事実に。
 整理のつかない頭のまま、戦闘を行えるほど器用な男では士郎はない。

「覚悟を決めな、坊主。あの時見逃してやったってのに、今度は同じ土俵に立ってんだ。それなりに覚悟を決めた上でのものだろ?
 つーかよ、男なら挑まれた戦いに異議を唱えたりすんじゃねぇよ」

 旋回させた槍が士郎へと刺し向けられる。迸る敵意と殺意は高揚感となって両者の間に渦を巻く。
 同時にセイバーもまた引き抜いた剣を構えた。いつかと同じ不可視の剣。彼の瞳にも明確な意思が宿る。キャスターとの一戦の後、境内へと踏み込むと結論付けた時に、この対峙は避けては通れないものになっていたのだと。

「ランサー」

 視線は敵と認識した二人を見据えたままバゼットは短く名を呼んだ。

「…………おいおい、本気かよ」

「もちろん。拠点を出る前に言った筈ですが。私は今、この昂ぶる身体を持て余しているのだと」

「ったく。好きにしろ。けどな────」

「ええ。勝ちます────!」

 言葉とほぼ同時。石畳を強く蹴り上げたバゼットは疾風となりて境内を駆け抜ける。僅かに遅れてスタートを切ったランサーは持ち前の瞬発力ですぐに主と並び立つ。
 併走する主従が向かうのはもちろん、定めた敵である衛宮士郎とセイバーだ。高速接近するバゼットとランサーの鬼気迫る表情にもう戦闘は避けては通れないと見たか、士郎も腹を括り手にした木刀を構えた。

 一直線にバゼットは士郎へ、ランサーはセイバーの元へと肉薄する。と、思われたその時に。クロスを描いて両者は穂先を交える敵を入れ替えた。

「────っ!」

 予期せぬ交替劇。そんな事は本来在り得ない。生身のマスターがサーヴァントに挑みかかるなど無謀の極み。サーヴァントにはサーヴァントを、マスターにはマスターをぶつけるのが聖杯戦争の常識だ。
 理をまるで無視して疾走するバゼットは自らの申し出でこの配役を取り決めた。人の境地へと辿り着いたサーヴァントを相手取り、自身の力量を試すなどという武人の気質を振り翳す気などない。

 欠片もないと言えば嘘になるが、確固たる勝算があるが故の配役交替である。衛宮士郎ではランサーに傷一つ負わせられない。だがバゼットはセイバーを痛める程度の力量はあるのだ。
 速やかに敵を屠り去る上で、これ以上の配役もあるまい。だがバゼット自身はセイバーとの戦闘を楽しみにもしていた。
 最優と称される騎士のサーヴァント。その実力を、己が拳で確かめる為に。己が初めて拳を見える相手が最強の称号を持つ者ならば、心高鳴らない筈もない。

「マスター!」

「ハァ────!」

 セイバーが叫ぶのと、バザットが息を吐いて踏み込みを強めたのは全くの同時。
 烈火の気勢でセイバーへと迫ったバゼットは両の拳を用いての連撃を繰り出す。生身の人間なら一撃で粉微塵と化す凶器を十、二十とセイバー目掛けて振り抜き続ける。
 マスターの身を案じながらも、魔術により強化されたバゼットの拳は無視できるレベルでは既にない。セイバーは乱打の壁を迎撃する為に、両手で担った剣を盾としても、後退しながらの防戦を余儀なくされた。

 セイバーが大地を蹴り後退する瞬間に、ランサーもまた士郎へと接近していた。猛禽のような鋭さの瞳はいつか暗がりで見たものと同じだった。殺される。殺される。殺される。何をしようと確実に滅させる。その口元が、何で笑っているのか解らない。

「ふっ!」

 けど今は、この手に武器がある。セイバーもまた戦っている。何も成しえないこのちっぽけな掌で出来る事。それは、最後まで無様でも足掻く事。ならば臆したまま、死を享受する事など出来ようか────!

 目視すら許さぬとばかりに突き出された超高速の刺突。大気を切り裂き真空を生み出すに足る想像を絶する槍兵の一撃を、拙いながらの木刀で受け止めようしたその刹那に、風が吹いた。

「え」

「主役を気取るのは勝手だが、ならば舞台上にいる全ての役者に気を配る事だな。出なければ、こうして思惑を阻まれる」

 赤い風が吹いた。赤い背中が目の前にあった。両の手に白と黒の夫婦剣を担う、弓兵らしからぬ男が士郎の目の前に立っていた。交叉させた剣を盾として、ランサーの槍を防いでいた。

「アーチャー。おまえ、なんで」

「つけ上がるなよ、衛宮士郎。私がおまえを助けたなどと、戯けた考えは持たぬ事だ」

 その通りだ。赤い騎士が衛宮士郎を助ける事など在り得ない。言い知れぬ不快感。募る敵愾心。一目見たときから相容れないと互いに認識し合えたこの男が、敵にも等しい衛宮士郎を救う事などあってはならない。

 あるとすれば、マスターたる凛の指示によるものだろうが、当の本人もアーチャーの行動に驚きを隠せない様子でいる。ならばランサーを塞き止めたのは、アーチャー自身の意思である。

「ハ。面白い。別に構わないぜ、アーチャー。オレはテメェが相手でもな」

 刺し穿った槍になお力を込めて火花を散らす。このまま手も足も出せないマスターを狩るよりも余程楽しめると、ランサーは嘯いて。

「君も勘違いしているようだな、ランサー」

 二対の剣で槍を絡め取ろうと巧みに動き、アーチャーの考えを瞬時に悟ったランサーはさせまいと突き上げをお見舞いする。
 散った火花はすぐさま新たなる火種を生み落とす。いつかの再現のように繰り出される刺突の嵐を、いつかと同じように捌き切る。

「いいぜアーチャー。だがな、この間のようにいくと思うな──!」

 ランサーの腕にルーンが輝く。制約を受けていた以前とは違う、全力での槍捌き。高速を超え、音速を超え、光速を捉えなお加速する最速のサーヴァントの本領。
 人の身に在らざる神域での高速戦闘。それはアーチャーでは受けきる事も捌き切る事も不可能な未知の領域。だが今の彼に、そんな常識は通用しない。

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 常に冷静で冷徹な男が咆える。肉体の限界を超えてなお酷使する様は血飛沫すら上げかねない。浮き出る血管は今にも破裂しそうな勢いで、それでもアーチャーは振るう腕を止めない。止められない。
 今退く事は、何を置いても許されないとばかりに、鬼すら哭かせる程の気迫を以ってランサーと熾烈を極める。

 尋常ではないアーチャーの鬼気迫る表情、おかしな程に高められた戦闘能力に、流石のランサーをしてこのまま続けるのは巧くないと悟らせた。
 士郎を背に不動のまま切り結び、ランサーを一度後退させる程の気勢を以って剣戟を高く響かせた。

 一拍の間。攻防の風穴に、アーチャーの言葉だけが残響する。

「ランサー。君に衛宮士郎は殺させん」

 肩で息をしているアーチャーとは対照的に、ランサーは微かに息を弾ませている程度。それも高揚感から来るもののように感じられるから始末に負えない。

「そう言われると、是が非でも殺したくなるのが心情ってもんだぜ?」

「無駄だな。なぜなら────」

 熱を帯びていたアーチャーの声音が変わる。肩で息をし、滴らせていた汗が一斉に引いていく。
 高められた心が落ちて堕ちて、何処までも陥落て。昏い絶望の淵で縋るように呟かれた言葉は真実、氷の言霊。伸ばした手が、希望へと辿り着く奇跡のように。

「────なぜなら。衛宮士郎を殺すのは、このオレだ」

 赤い、紅い華が夜に咲いた。













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