剣の鎖 - Chain of Memories - 第三十三話









 予感はあったのかもしれない。

 全く目視すら不可能な速度で放たれた一撃を、不出来な剣でなんとか受け止めなければならないと思った瞬間。受け止めなければ一秒の後に待つのは無残な死に様だと直感し、何が何でも止めてやると腹を括った刹那。

 夜空に空孔を開け、光を導く月より降りる光が遮断された。士郎より幾分背の高い赤い背中。髪は光に晒されるまでもなく白に近い。
 赤い風が吹いた、というのはあくまで形容でしかない。騎士の纏う外套がただその色であったからこその形容である。

 しかし、衛宮士郎はその背中を見て怖気を感じた。アーチャーが停止すると同時に吹いた風には身を切り裂くほどの冷たさと、気持ちの悪い温かさとが同居していた。まるで本物の血風が吹いたのではないかとさえ疑った。だから問うた。

「アーチャー。おまえ、なんで」

 返された言葉は至極当然。水と油は混じり合わない。誰もが理解する世の真理。時間をかければいずれ解け合うなどという希望的観測すら出来そうにもないくらい、彼らは互いを忌避していた。

 だからその後の光景こそが異様だった。絶対に捌けないと思わされるランサーの裂帛の刺突でさえ、アーチャーは防ぎ切る。天井知らずの槍衾でさえ、手にした二対の猛攻で互角に比する。

 それこそ不可能。人には限界がある。生まれ落ちたその瞬間ですら、平等という価値はない。流れる血潮が違えば至れる境地すら違う。ランサーとアーチャーでは、絶対に互角に渡り合えない。
 神の血の流るる槍兵と、あくまで凡人でしかない弓兵ではいかな戦闘経験を積もうとも決して覆しきれない壁がある。

 だというのに。あの赤い騎士はその壁を、ただ信念でのみ壊しかけた。

 退けない。負けない。譲れない。感情を吐露したまま、激情に身を任せたアーチャーの剣捌きは鬼神と呼ぶに相応しい。士郎では到底至れないと痛感させられる凡人の極致をなお上回る人の心。
 ただ負けたくないという意気を右腕に。絶対に退けないという精神を左腕に。瞳には決して譲らないという思いを込めて。赤い騎士は抗えぬ運命に反旗を期した。

 その間、全く身動きが取れなかったのは見惚れていたからだと言っても良い。アーチャーの一太刀一太刀が鮮明に脳裏に焼き付いていく。もしこれだけの力が己にあれば、と心の何処かで願ってしまっていたのかもしれない。

 だから気付くのが遅れた。アーチャーが遠坂凛の命令ではなく、自らの意思で衛宮士郎を庇ったという真意に。

「────なぜなら。衛宮士郎を殺すのは、このオレだ」

 その凍り付いた声音を聴いた瞬間、止まっていた時が動き出した。ぐるりと振りかえった騎士と目があった。瞳の奥に宿るものは、何もない。灰色をした瞳孔には、消えてしまった蝋燭のような虚しさだけが停滞していた。

 煌いた白刃が断頭の鎌と化した時。自分が、切り裂かれたと認識した時。ようやく、アーチャーは敵なのだと、衛宮士郎は真に理解した。






射ち堕とされた理想/Rondo VII




/1


「が────、ぁ」

 右肩から左脇腹へと袈裟に肉の割ける音がする。同時に、人の動力源である血液が噴水のように噴き出した。胸より咲き誇る紅の翼。零れ落ちる雫は翼を形成する一枚一枚の羽であった。
 空を仰ぎ見ながら踏鞴を踏んで、自分に何が起きたのかをそれでも正しく認識しようとする士郎に逆向けられる黒刃。これで終いだとばかりに上がる裁断の大金槌を、月光の中に見て。

「士郎────!」

 セイバーでも、バゼットでも、ランサーでもなく。凛が吼えた。
 きっと無意識だったのだろう。いつものように姓ではなく名で呼んだのがその証。凛自身何故叫んだのか、きっと判らない。けど、今叫ばなければならないと、何かに衝き動かされるように吼えたのだ。

 凛の叫びは朦朧とした士郎の脳内で残響する。声は反響を繰り返し、水底に沈みかけた思考を無理矢理に引っ張り上げる。

 目の前には裁決を下す剣。衛宮士郎がこれから築き上げる罪を裁くと、出会ってはならない男が剣を執る。何故そんな事を知っているのは知らない。ただ、切り裂かれた瞬間に見えたのだ。
 吹き上がる血潮の隙間に、走馬灯のように駆け巡る記憶の断片。屍の道を往き、血の河を延々と渡り続ける日々。救いたいと伸ばした手を、路肩に転がる石くれのように蹴り上げられる苦悩の連続。

 ただ救いたかった。ただ助かって欲しかった。報償なんて必要ない。悲しみに沈む涙が一つ消え、笑顔が一つ咲くのならそれで良いと思えただけなのに。
 手を尽くしても救われない。身を捧げようと報われない。何をしようが結局同じ。多くを救いたいと望むのならば、僅かばかりは見殺せと誰かが囁きかけてくる。

 そんな現実は認めないと強がってはみても、それが現実だと惨状が語りかけてくる。それでも必死に足掻き続けた、或る騎士の物語。

 永遠に偽装された刹那の中で、そんな夢を見た。

 その夢はきっととても重要な事柄だ。だけど今は、今だけは夢を頭の片隅に追いやらなければ。振り下ろされようとしている刃をなんとかしなければ、そんな夢を見ることさえ許されないのだから。

 手にしていた木刀は衝撃で掌から滑り落ちていった。まるでこの剣はオマエが担うべきものではないと告げるように。
 徒手空拳では防げない。両腕を犠牲にしては守れない。この後には、まだ助け出さなければならない人が待っている。だから伸ばす腕を失うわけにはいかなかった。

 ならばどうする。決まっている。とある法典に記された有名な記述。思い起こすまでもない。相手が剣で向かってくるのなら、剣には剣で対抗すればいい。
 イメージする。いや、イメージする必要性とて既に無い。なぜならば。形にしようとしている現物が今まさに目の前にあるのだから────!

「……なにっ!?」

 ぎぃん、と鈍い音を立てて断頭の刃が塞き止められる。力の入らない脚に無理矢理力を込めて踏ん張りを利かせ、お陰でより一層勢いを強めた噴水に嫌悪を思うよりも先に、在りえぬものでも見たかのようなアーチャーの顔が脳裏に焼きついた。

 士郎の手の中にはアーチャーと同じ剣がある。干将・莫耶。いつか身を引き裂かれる代償と共に生み出した複製品。アーチャーの手にしたものと比べれば余りに不出来な、けれど士郎の一命を取り留める程度には巧く作り出せた。

「オレの剣を真似たか。だがそんな出来損ない、二度は防げまい!」

「ギィ…………が、ぁぁっ!」

 刃が砕ける音がする。脳髄で稲妻が炸裂する。瓦解と共に消え去った二対の剣は、幻のように夜に消える。違う。消えるわけがない。本当にあの剣を模倣したのなら、消え去る筈などない。

 投影とは、真作に比する影。

 己のイメージしたものを極限まで本物に近づける魔術理論。目で見た情報を解析し、分析し、蓄積する。そうして集められた情報を己の魔力で編み上げる、全く以って効率の悪い魔術。
 ならば剣が破壊されたという事は、士郎のイメージと真作との間に絶対的な齟齬があったという事。あるいは、士郎自身が自分の作り出した剣を本物に及ばないと認識してしまったか。

 いずれにせよ、二度はない。三度迫る夫婦剣。今度は十字に切り裂く為か、両の手の剣が同時に迫る。
 見ろ、視ろ、観ろ。解析し、分析し、蓄積し尽せ。イメージするものは影ではない。真を超えるものでもない。全く同質にて異質。空想を以って現実を塗り潰す侵蝕行為。
 衛宮士郎に唯一つ許された刹那の行動選択とは、ただただ己自身との戦いに他ならないのだから────

「いい加減にしとけよ、テメェ」

 再度士郎が剣を想像し創造し終えた刹那、轟いたのは雷鳴だった。暗黒の夜を切り裂く赤き稲妻。秒にも満たない速度で放たれた神速の槍は赤い騎士を貫いて余りある。
 衛宮士郎に向けようとしていた刃を無理矢理に進行方向を切り替え、筋繊維が捩れる音と共に硬質な響きも伴った。

「……邪魔をするな」

「知るか。邪魔したのはテメェだろ。舞台がどうたら役者がどうだの言ってやがった癖しやがってテメェだってオレのこと無視しただろうが。
 何よりもだ。三度剣を振り上げて、殺せなかった時点でテメェの負けだよ」

 一度目は深く傷つけた。無論、その一矢で以って命を零すつもりであったが、思いの外殺気が漏れていたらしい。二度目は防がれた。出来損ないの鉄屑で、長き歳月を共にしてきた夫婦剣を防がれた。三度、今度は剣を砕いた。
 四度、そう。四度剣を振り上げて、アーチャーは衛宮士郎を殺し切れなかった。比べるのも莫迦らしいほどに実力差のある二人。それでも、衛宮士郎は未だ存命しているという事実だけが確固としてある。

「言った筈だ、邪魔をするなと」

「────っ!」

 赤い騎士の瞳は揺るがない。一度斬って殺せぬのなら、何度だろうと斬ってみせよう。貴様が死ぬまで何度だろうとこの腕は剣を執る。我が本懐を成し遂げる為ならば、障害足り得るものの悉くを射ち祓おうと。

 そうして生み出される無数の剣群。

 暗闇に咲いた銀の花が青き槍兵へと集中する。一刀一刀が致命傷足りえる剣と見るや、ランサーは獣の如き俊敏さで遠ざかった。矢避けの加護を持つランサーをして、回避を選ばざるを得ない広範囲にして強力な剣という名の矢束。

 時を同じくして、彼らの背後で打ち鳴らされていた剣戟もまた鳴り止んだ。相争っていた二人に降り注ぐ剣の輝き。
 距離を離さざるを得なくなった両者が足を止めたその場所に、再度剣は姿を現す。空中に静止する剣群は数知れず。セイバーとバゼットの頭上にも音もなく浮遊していた。

「動くな。動けば殺す。そう──誰もだ」

「アー……チャー! アンタ、わたしにまで、剣を────!」

 凛の頭上にすら剣は浮かぶ。いや、彼女の周りに浮遊する銀色の輝きはセイバーらに向けられたものよりも多い。逆巻いた剣の意味するところは、アーチャーがこの場で最も警戒する相手が凛である証明に他ならない。

「凛の腕にはまだオレを縛るモノがある。この行動とて、恐らくは君の意思に反するものなのだろうよ。が、二度は使わせん。今一度オレの行動を抑制されるよりも先に、剣が君を刺し貫く」

「……ふん。マスターに牙を剥くってこと。そうまでして衛宮くんを殺したいわけ?」

「ああ、殺したい。今にも死にそうな虚ろな目をしていようとも、完全にこの手で殺し切るまでは油断ならん。
 だから……頼むよ、凛。何もしないでくれ。オレに、君を殺させないでくれ」

 唇を固く噛み締めた主を一瞥した後、赤い騎士は再び士郎へと視線を戻した。

「────、────っ、────ぁ、ア……っ」

 濁々と零れる血流は既に死んでいてもおかしくない量に達する。震える足は今にも崩れ落ちそうなほど心許無い。視線は定まっているのかどうかすら判らない。ただ、両手に握った二振りの剣だけは、固く堅く、手離さないと握り締められていた。

「さて。何か言い残す事はあるか?」

 言って、我ながら陳腐な物言いだとアーチャーは自嘲する。だがせめてもの情けだとばかりに、返される言葉を静かに待った。

「ふざッ、けんな、こっ、の、ヤロウ……!」

 血を吐きながら零された言葉はなんでもない悪態。けれどそれも道理。士郎には、何故ここまでアーチャーが自身に固執するのか解らない。嫌悪はある。忌避してきた。けれど、そうまでして確実な死を齎そうとする理由が解らない。
 いや、それはいい。聖杯戦争という争いに身を置くと決めたときから、誰にどんな形で付け狙われるか判らないと覚悟だけはして来たのだから。

 然るに士郎の吐いた言葉の理由。それは。

「遠坂に、刃を向けるなっ! おまえは、おまえはアイツのパートナーだろう!」

「衛宮くん……」

「……何を言い出すかと思えば。所詮マスターとサーヴァントの関係など、利害の一致でしかない。サーヴァントは現界に必要な魔力をマスターからの供給で貰い受け、マスターは聖杯戦争に勝ち残る戦力をサーヴァントより提供される。
 その間柄に、他に必要なものなどあるまい。情の挟み込む余地などない」

 かつて、神父の言った言葉が思い出される。あの言葉と全く同じ事を、目の前の男は口にしている。両者の関係はギブアンドテイク。そこに致命的な溝が生じれば、反旗を翻されると。
 だが遠坂凛はそんな真似をしていない。葛藤はあれど、純粋に勝利を掴む事だけを目指して邁進してきた。ならば今の状態は、アーチャーの我侭に過ぎない。

「ああ、そうとも。オレは聖杯など必要としていない。他者の介入など以ての外。貴様を殺すのは、オレ自身の手でなければ意味がない」

 そうして。万感の想いを込めて、紡ぐ。

「オレがこの世に舞い戻った理由……万に一つの可能性を賭してようやく、ようやく訪れた待望の時。それこそ、衛宮士郎の存在否定に他ならない」

 元より聖杯などには興味はない。他の聖杯を巡る争いでは無理なのだ。此度の戦に、衛宮士郎が参戦するこの戦こそに意味があると。

「いつか言ったように、多くは語らん。何も掬い取れない無様な手で、なお剣を執ると言うのなら。その身を以って、識るがいい────!」





/2


 戦闘とは呼べない戦いを俯瞰する。

 アーチャーが振り抜いた剣を拙いながらの護身術と不出来な剣で受け止めるその様は余りに無様。勝利など有り得ない。打倒など夢のまた夢。サンドバックのように、ただただ当り散らされる連撃を必死で受け止める事しか許されない。

 それも持って数分だろう。剣と剣が衝突する度に衛宮士郎の担う剣には罅が入り、数度受ければ砕け散る。そう多くはない魔力量が枯渇するまで後数分。
 が、先に肉体の方が参るだろう。身体より零れ落ちる血量は既に致死量。今すぐ治療を施そうとも、数日は天井の染みを数える生活になるのは目に見えている。

「……止めないのですか、セイバー」

 落ち着いた声音。たった今まで拳を振り抜いていたとは思えない冷静な声色はバゼットの口より零れ落ちる。頭上のギロチンの刃が落とされる時を今か今かと待ち望んでいるというのに。

 自身の戦いを邪魔された憤りもあるのだろうが、三つ巴となった時点で想定していた状況でもある。横槍はあって然るべき。何よりもアーチャーは警告を発した。ならば、その警告に従う内は手を出しはしまい。
 自身のマスターですら敵に回してなお殺すと誓ったこの戦況を、どうにかするのはバゼットではないと心得ていた。

 そう、どうにかするのなら、殺されようとしている者のサーヴァントであるおまえだろうと、その問いを口にしたのだ。

 最優を冠したサーヴァントの頭上にもまた剣は在る。だけれども、その程度で止められるほどサーヴァントという人外共は易くない。ランサーが足を止めているのも、恐らくは彼には彼なりの考えがあってのものだろう。
 しかしセイバーは、セイバーだけはこの状況を見つめていていい筈がない。主が消え去れば自身もまた同様に消え去るのみ。聖杯に託す望みがあるのなら、是が非でもマスターは守り通さなくてはならない筈なのに。

 静かに。セイバーは剣を担ったまま佇んでいた。

「………………」

 真剣さを帯びた瞳は瞬きすら惜しいとばかりに瞠目され、彼らの一挙手一投足を見つめている。瞳を通して脳内に描かれる演劇を、死してなお焼き付ける様にと。

「ボクにはどうしても許せないものがあります」

 誰に話しかけるでもなく、自問するように騎士が謳う。

「無様なもの。滑稽なもの。色褪せたもの。それらはこの世界に蔓延り続けている。昔には必要不可欠であったものも、今の世の中では掃いて捨てるくらいに溢れている。溢れすぎている。
 価値あるものは失われ、意味あるものは沈んでいく。そうして表層に残るのは、こんなにも荒唐無稽なガラクタの世界」

 それでも、愉しむ事は出来るだろう。退屈を紛らわすくらいには役に立とう。意味も価値もなくたって、そこに在り続けるのはそれらを必要としている人がいるという事。

「だからこそ、多いという事を嫌悪する。雑多にあっては光るものも光らない。価値在るものとは、希少であるからこそなんです」

 彼の生きた時代ならば、不必要とされるものなど余りに少なかった。けれど今の世界はどうだ。利便に走り、苦労を減らす為だけに、絶対に必要でもないものをさも必要であるかのように製造し消費し続ける。
 それこそ湯水の如く。湯水とて限りはあるというに、それらこそが無限足りえるなど有り得ない。

「今目の前にある光景は、その典型だ。彼らの扱う魔術は、ボクのボクじゃない部分が否定する。価値ある真作を模倣する贋作群。我が物顔でそれらを振るう彼らこそ、真作を持つ者に対する不敬であると」

 砕け散った刃は既に三対。限界を超えた肉体。限界に近い魔術回路。死に体に極めて近い士郎には、もう既にアーチャーの姿が見えているのかすら危うい。

「でも────それとは別に、愛でるべきものもある。人の身にあって人ならざる大望に手を伸ばす滑稽。届かぬと知ってなお足掻くその無様。卑小なる願いを携える者よりも、そんな道化こそを愛おしいと思う」

 そしてそんな愚者を愛してあげられるのは……







「ギィ、……がぁっ……く、……ごほっ」

 一際甲高い衝撃音と共に、とうとう士郎は地に膝を付く。膝を付くというのは生温い。剣を破砕され、吹き飛ばされた士郎は踏鞴を踏み、情けなくも倒れ伏した。
 肌に触れる自身の血が温かい。大地の寒冷さと巡る血流が失われていく冷たさには、その温かこそが証明だった。

 死ぬ。

 覆しようのない事実がとうとう脳裏を掠め始めた。意識は既に霞んでいる。口は小刻みに震え、呻き以外の声など漏らせない。耳鳴りは止まず、何かを囀るアーチャーの声も届かない。
 加えて、頭の芯がガンガンする。身体は既に死に体。以前よりは巧く作り出せた模倣の剣も、過負荷に耐え切れず今にも焼き切れてしまいそうな魔術回路が持たなければもう作り出せない。

 それでも。それでも、頭に響いてくるものがある。一番厄介なものはこの映像、声、記憶だった。赤い騎士と剣を合わせる度に見知らぬ光景を頭に叩きつけられる。知りもしない言葉を投げかけられる。

 見えているのだろう。理解しているのだろう。それが、これからオマエが歩む道だと。

 無差別に殺されていく人々。ただ平穏を謳歌していた人々に降りかかる災厄という名の惨劇。その中で一人、必死に足掻き続ける男。救えない人を救おうとして、救えた筈の人を犠牲にする。救える人を救おうとして、まだ息のある助からない人を見殺しにした。

 ────止めてくれ。

 どちらが正しいのかは判らない。そもそも戦場という特殊な環境において、善悪を、正誤を問う事に意味などないのかもしれない。けれど男は問う。何故だと。何故、救われないのだと。

 ────止めてくれ。

 何かを得ようというのなら、何かを取り零さなければならない。全部を掬い上げる事など出来ない。惨状がある以上、最低一人には死んでもらわなければ割に合わない。それがおそらく、世界というモノが定めた不文律。
 それでも男は足掻いた。足掻いて、足掻いて、必死に足掻いて。最期は孤独な丘の上で慟哭する他なかった。

 ────もう、止めてくれ。

 見果てぬ夢を追い続けた日々に後悔などない。けれど、そう。もっと力があれば。世界を変えられるほどの力があれば、救えたのではないのかと思ってしまった。
 だから彼は、求めた。力を。世に祀ろう英雄達のような絶対的な加護を。たかだか数百人の命を救う為に、彼は永劫の奴隷となる誓約書にサインをしてしまったのだ。

「己が罪を此処に処す。衛宮士郎などというモノは、初めから存在するべきではなかったのだ。あの日託された呪いがある限り、衛宮士郎に生きる価値もないのだと、解ったのならば此処で潔く死ね。
 ────オレの手で、衛宮士郎を終わらせる」

「────いいえ。そんな事は、わたしが許さない」

 鈴の音色。遠く、距離を保ったまま右腕を翳す少女の姿。頭上にある断頭台の刃を意にも介さず、堂々とした立ち振る舞いでアーチャーの意識を惹き付けた。

「凛。もういいだろう。君とコイツは何の関係性もない、ただの敵だ。敵マスターを手に掛ければそこのセイバーも消える。聖杯を掴もうというのなら、オレの行動の何処に非があると言う?」

「そうね。アンタが衛宮くんを手に掛けようって理由が私怨だったとしても、彼がここで脱落するのならわたしにとってはプラスと言えるわ。
 私怨ならば余計に、わたしが口を出す権利もないんでしょうけど」

「そう理解してなお令呪を向ける、その意図は何だ」

「もちろん、気に食わないからよ」

 真っ向から視線をぶつけ合う二人の間に呵責はない。ただ純粋な意見の食い違い、闘争に至る過程が相容れないと瞳が語る。
 私怨で戦うというなら、それもいい。サーヴァントはそれぞれ生前に叶わなかった願いを宿して現界に応じる。中にはそういった輩もいるだろう。だけれど、そのやり方が気に食わない。怨恨というのなら尚更だ。こんな不意打ちめいた卑怯な手段で取った首に、何の意味があるという。

 感情をぶつけたいのなら真正面から。組み伏せるのなら堂々と。対峙する相手の心を圧し折って、完全無欠の復讐こそを完遂せよと凛は語る。

「まったく……こんな時でも君は遠坂凛なのだな。
 だが、どうする。君が令呪にオレを縛る命令を下すよりも先に、頭上の剣はその腕を刈り取るぞ」

「ええ、本当。こんな時でもアンタはアンタのようね、アーチャー。冷静沈着なのもいいけど、時には事を急く事も必要よ? 出ないと、仕損じるから」

 アーチャーが訝しんだその時に、爆音が轟いた。
 誰もがその音に気を取られ、振り向いた。不意に山門付近より上がる白煙。破砕したと思われる木屑がぱらぱらと散り落ちる中、燻った闇を覆う白靄が晴れるよりも先に飛び出した疾風を、境内にいた誰しもが異形の姿として認めたのだった。

駆けなさい(Los)、バーサーカー!」

「なっ────」

 突如として現れた鈍色の巨人が疾走する。肩に幼い少女を乗せたまま、風を切って境内中心に陣取ったアーチャーへと肉薄する。

「チッ……何故、このタイミングでイリヤが────!?」

 唸りを上げて接近するバーサーカーを前にし、アーチャーは言葉少なに具現化した剣を見舞う。出来合いの剣は、容易く巨人の手にした岩塊によって打ち落とされる。
 巨人の疾走は止まらない。一層の加速を以って迫る脅威は、多量の魔力を消費し尽くしたアーチャーでは敵わないと瞬時に判断させ、飛び退かせた。

 しかしそれこそが失態。瀕死の衛宮士郎を掬い上げる大きな手。空いていたバーサーカーの肩に担がれた士郎は微かな視界の中で少女を見た。

「イ…ィ…ヤ。なん、……で」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。すぐに治してあげるから。
 ────アーチャー。シロウは殺させない。シロウはわたしのなんだから」

「イリヤ……」

 呟いて、赤い騎士は己がマスターを見た。不敵に微笑むその様は、イリヤの到来を知っていたようだ。恐らくは山門入り口付近に潜ませておいた使い魔の目を通し、彼女らの接近を知ったのだろう。
 それが故の先程の行動。山門より意識を絶つ為。出来うる限りバーサーカーの接近を悟らせぬように。あえて令呪を翳して見せたのだ。

 そんな折、動いていたのは彼らだけではなかった。境内にいたもう一組の主従であるバゼットとランサーもまた動き出していた。
 アーチャーがバーサーカーに向けて剣を放った瞬間を息を合わせたように疾走する。

 アーチャーの剣群は自動発動型の宝具ではない。主の命令があって始めて意思を得る傀儡のようなもの。ならば絶対の脅威を撒き散らすあの巨人を前にして、バゼット達にまで向けた剣を操作し切るなど不可能だと知らされた。

「ランサー」

「ああ、退くぜ。もう戦闘なんて状況でもない」

 今宵の戦場は荒れすぎた。これ以上の戦闘行為は得策ではないし、恐らくはもう終わっている。意義のない死地に身を晒し続けるほど、彼女らは酔狂ではなかった。

 巨人の肩に座する少女もまた従者に撤退の命を下す。その最中に、士郎の従者であるセイバーを見た。

「──────」

「──────」

 紅い双眸が互いを見、視線は交わされるも、言葉は紡がれなかった。

「行くわ、バーサーカー」

 イリヤスフィールとバーサーカー、そして士郎が境内から消えていく。けれどセイバーの追走はなかった。佇んだまま、凍れる時の中にいるように。冷徹な瞳だけが、灰色の背中にある少年を見据えていた。





/3


 そうして、三人だけが残された。

 固く結った唇に確固たる意思を乗せて、見据える瞳は変わることのない遠坂凛。これ以上の戦闘はないと踏んでか、手にしていた不可視の剣を消失させ、静かに状況を見守るセイバー。そして、その二人に背を向けたまま佇む背徳の騎士。

「さあ、アーチャー。こんな真似をした理由、たっぷりと聞かせて貰うわよ」

 幾らかの話は聞こえていた。けれど、まだ確証には至らない。問い詰めたい事は山ほどある。怒鳴り散らしたい事が万とある。けれど。

「くく、はは、はははははははははははははは!」

 哄笑が響き渡る。真白の髪を掻き上げて、蒼月を嘲笑うかのような高らかな笑い声。

「ああ、なんという無様。ここまで場を荒げておいて、たった一人の人間すら殺しきれないなんて。クク。ああ、確かに凛の言う通りだ。真正面から向き合わなかった愚者が犯す失態としては、これ以上の笑い話も他にない」

 自嘲は既に狂気の域に達する。笑う、どころの話ではない。アーチャーのそれは慟哭に近い。咽び泣きたくなる感情を押し込めて、悲劇を喜劇と掏り返るように。

 一頻り声を荒げたアーチャーは、何も語らず山門を目指して歩き始めた。

「ちょっと、アーチャー! アンタどこ行く気よ!」

 凛の呼び掛けにも足は止まらない。ただ、返される言葉だけはあった。

「私はマスターに剣を向けた不忠の騎士だ。それが今更、どうしてぬけぬけと主の下へと戻れるという。
 君に剣を向けた時点で、私は私の感情を優先した。主を守り通す役目を放棄して、敵となったのだ。ならばもう、帰る場所などあるまい?」

 顔は背けられたまま、語られた言葉は正論でもある。守るべきものに剣を向けてしまったのだから、もう守り通す資格などないと。

「だが、この覚悟だけは違えない。我を貫き通すと決めた以上、私は私のやり方で目的を完遂する」

 それは、完全な訣別の言葉だった。
 アーチャーは凛の元を去る。胸に灯した殺意は今なお消えず、燻り続ける。いつかこの焔を消し去ると、その為だけに動くと赤い騎士は宣誓し、主に背を向けたまま崩れた山門に手をかけた。

「さよなら、凛。君と居られたこの日々は、本当に楽しかった」

「アーチャー!」

 叫びはもう、届かない。夜に透ける様に血に濡れた騎士は姿を眩ませた。その最後に、穏やかな笑みを残して。

「ぁんのバカ……! 令呪使ってでも呼び戻して……っ!」

「無駄ですよ、そんなこと」

 軽やかな足取りで歩み寄り、もう一人残された騎士が微笑みを湛えていた。

「……セイバー。無駄ってどういうことよ、無駄って。というか、なんでアンタまだここにいるワケ。衛宮くんは──」

「無駄だから無駄だと言ったまでです。あの決意は覆せない。たとえ、そう──貴女であってもね。それほどまでに、アーチャーの怒りは深く昏い」

 凛の言葉を遮りセイバーは謳う。

「そんな事知ったこっちゃないわよ。こっちはね、聖杯戦争やってんのよ聖杯戦争。それが何、なーにが“さよなら、凛”よ、あのバカ! あんな顔見せられて、放っておけるかってのよっ!!」

 がぁーと捲くし立てる凛にはどうやらセイバーが敵として映っていないらしい。
 何故この場に彼が居るのかは判らなくとも、今なお彼は衛宮士郎のサーヴァントであるという事には変わりはないというのに。そんな事にすら気付けないほど、心乱されているという事か。

「まあまあ、落ち着いて。それはともかくとしても、今令呪で彼を呼び戻してもいい事なんてありません。決意は変えられず、また同じ事の繰り返しになるだけです」

「じゃあどうしろってのよ! サーヴァントもなしでこの戦争に勝ち残れるわけないじゃない! アイツがいないと、わたしまで──!」

「ええ、だから提案です。────良ければボクと組みませんか?」

「………………は?」

 にこやかに、黄金の髪の少年は口にして。黒髪の少女は唖然となった。







 ────漸く、長かった夜が終わりを告げる。













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