剣の鎖 - Chain of Memories - 第三十八話









 明けて翌二月九日の朝。

 凛は苦虫を噛み潰したかのような表情を隠す事無く自宅のソファーに腰掛けていた。
 それというのも昨夜、間桐臓硯より聞かされた言葉のせいだ。目の前のテーブルには自分で淹れた紅茶が芳しい香りを立ち昇らせている。頭の中の白靄に似た揺らめきを見やりながら、凛は足を組み変えた。

 柳洞寺よりライダーの手によって救い出された筈の間桐桜が、今度は言峰綺礼の手により攫われた。

 臓硯の言を鵜呑みにするのなら決して看過していい事態ではない。仮にも監督役を任ぜられた男が自ら聖杯戦争の只中へと踏み込み、あまつさえ参加者を連れ去るなど。ルールを無視しているどころの話ではない。

 中立を保つべき立場にある監督役の暴挙。まずはその理由を探らなければならなかったけれど、そう簡単な話ではない。言峰教会を中心とした一帯は戦闘行為の禁止を厳命とされており、使い魔を使役しての監視すら危険を伴う。
 もし発見されてしまえば、ある程度のペナルティを課せられるだろう。そんなものは気にも掛けるつもりはない凛だが、遠坂の家訓に背く行為に当たる。

 凛は今回の参加者の中でもっとも綺礼と近い立場にある。好かない相手ではあるが、直接出向いて話を吹っ掛けるのが一番手っ取り早い。が、もし桜を攫ったのが事実であるのならそう簡単に口を割る筈もない。

 巡り巡る中断し、溜め息をついて空を仰いだ。見えない青空を仰ぎ見て、

「セイバー」

 仮初の従者の名を呼んだ。

「なんでしょう」

 まるで呼ばれる事を読んでいたかのような素早さでセイバーは扉より姿を現した。霊体になれないという彼はいつか見た現代衣装を身に着けて微笑みのまま佇んでいた。凛は仰いだ顔をセイバーへと向け用件だけを淡々と口にした。

「慎二、まだ寝てる?」

「さあ。あれから部屋から出てきた気配はありませんでしたけど」

「連れて来て。寝てたら叩き起こしてもいいから」

 有無を言わせない凛の物言いに若干の苦笑を浮かべつつ、了承の意を凛に伝えてセイバーは間桐慎二の眠る部屋へと足を向けた。

「はぁ……ほんと、余裕ないわ」

 セイバーのいなくなったリビングに凛の呟きが木霊した。およそ開幕前に思い描いていた戦況とは掛け離れた現状が彼女から優雅さを奪い去っていた。
 魔術師同士の競い合い。英霊による激闘。そこには互いの誇りを賭けた気高い戦がある筈だった。父もまた、そんな戦いの中で命を散らしたのだと思っていた。

 それがどうだ。魔術師とは呼べないような素人が参戦し、自身の喚び出したサーヴァントは離反し、あまつさえ今はその素人が喚び出したサーヴァントと手を結んでいる。
 加えて無関係だと思い込んでいた桜はマスターで、安否は未だ不明のまま、連れ去った下手人は兄弟子にして監督役ではないかときた。

 ここまで来ればもう笑い話だ。一体何がどう曲がり間違って、誰の意図でこんな状況が生み出されたのか。しかも今の状況でさえ、転がり落ちる坂道の途中のような気がしてならない────

 そんな思索の中、ドアが開かれた。ガチャリと開かれた向こう側には二人の男の姿。柔和な笑みを崩さないセイバーと、いかにも不満げな表情をした慎二の姿とがあった。

「おはよう、間桐くん。昨夜はよく眠れたかしら?」

 凛の挨拶を黙殺して、慎二はセイバーに促されてソファーに腰掛けた。拘束などまるで施されていない慎二は尊大に背凭れへと両手を伸ばした。

「下らない挨拶なんかいらない。さっさと用件だけ話せよ遠坂。とっくに脱落した僕なんかに聞きたいことなんてもう何もないだろうに。一体何の用で呼び出したのさ」

 どうやら慎二は既に達観の域にあるらしい。マスターとしての権利を剥奪され、本人は預かり知らないところではあるがライダーもまた消え去った。つまるところ間桐の第五次聖杯戦争は幕を降ろしている。
 少なくとも間桐慎二の夢は終わったのだと、自覚があるのかどうかは定かではないが気付いているようだった。

 慎二のそんな様を見やりながら、凛は紅茶を手にとって一口含む。嚥下の後、瞼を閉じて落ち着き払った態度で告げた。

「昨日の夜、貴方の御爺さまが来られたわ」

「────っ!?」

 びくりと肩を震わせる慎二。目聡く慎二の怯えようを見て取った凛は間桐家における臓硯の立場を理解する。

「貴方が従えていたサーヴァント、ライダーはやられたそうよ」

「……そうか。だから、なんだ? 僕にはもう、関係ない」

 露骨に視線を切る慎二。歯噛みしているのが凛にも判った。そしてそれが、どんな意味かも。

「そう。ついでに、本当のマスターである桜がね、攫われたらしいわ」

 一拍の間をおいて告げる。既に冷め始めている紅茶の向こう側にある顔を凝視するも、慎二はまるで無関心を装うばかり。

「で、何? そんな事を僕に言う為にわざわざ呼びつけたってわけ? ハン、下らない。僕の聖杯戦争はもう終わったんだ。もう僕は部外者なんだよ。ライダーが消えようと、桜がいなくなろうと僕に何の関係もない!」

 声を荒げる慎二。冷やかな視線を傾ける凛。背後に控えるセイバーもまた、追って生まれた無言の静寂に身を任せていた。

「そうね。貴方にはもう関係ない。マスターですらなかった貴方には、最初から入り込む余地すらなかったんだからね」

「…………っ!」

「でもね、マスターとしての貴方がいなくなっても、桜の兄である貴方はいるでしょう?」

 だから、妹がいなくなっても知らないなどとを、絶対に口にするなと凛は無言の意思を瞳に乗せた。
 慎二は凛の直視に耐え切れず視線を逸らす。背凭れに預けていた両腕は膝の上で絡めて組まれ、項垂れるように頭を垂れた。

「……知るか。知るもんか。アイツがどうなろうと僕には関係ない。あんなヤツ、いなくなっちまえばいいんだ……!」

 慎二の慟哭は凛の与り知るところではない。慎二が何に対して憤っているのか、何をその胸の内に秘めているのか判らない。だから彼女は自らの感情に身を任せた。
 叩きつけるようにティーカップをソーサーに戻し身を乗り出す。テーブルを挟んで向かいに座っていた慎二の胸倉を渾身の力で掴み、その濁り切った瞳を覗き込んだ。

 交錯は真実数秒にも満たない刹那の間。この時だけは、慎二も目を逸らす事無く凛に挑みかかった。もし今目を逸らしてしまえば、何かが瓦解してしまうのだと訴えるように。

 殴りつけるように慎二の服から手を離した凛。二人は言葉もなく居住まいを整えて、沈黙の降りたリビングで視線を交わすことはなかった。
 そんな痛々しい静寂に耐えかねたのか、凛の後ろに控えていたセイバーが問うた。

「で、どうするんですか?」

 何が、とも何を、とも言わない。無表情に見える微笑みの奥で、彼は彼なりに現状に得るものなどないと判断したのだろう。
 そんなセイバーをじろりと見やった凛は、露骨に溜め息をついて、慎二を再度視界に収めた。

「慎二。もう貴方は関係ないと言ったわね。ならこの家から出て行きなさい。この家に居続ける方が余程危険だし、昼間なら襲われる心配もないでしょう。
 それでも怖いと言うのなら、一週間ばかり自室に篭っていなさい。そうすれば、全部終わっているから」

 諭すような口調の凛。慎二は俯けた顔を上げようともせず凛の言葉を聞き入って。ガタリと、席を立った。
 哀愁にも似た虚ろさを背中に漂わせる慎二。ドアノブに手をかけたところで、動きに淀みが生じた。

「……遠坂。最後だ。御爺さま……いや、臓硯は僕について何か言っていたか?」

「何も」

 凛の応答を受けて、慎二の肩が僅かに震えた。

「はは、そうか。そうだよな。あのジジィにとって価値があるのは桜だけで、僕には石ころ程度の意味もない。
 ライダーを与えたのだって、所詮遊びだったんだろうさ。子供に玩具を与える、なんてもんじゃない。ただアイツに戦う気がなかったから、僕に渡しただけ」

 自嘲とも取れる独白。間桐慎二の聖杯戦争に幕を引くように、搾り出した懺悔の言葉。魔道の家系に生まれながら魔術師足り得なかった一人の男の末路。それは何とも呆気ない、終わりだった。

「じゃあな。おまえがまだ続けるって言うのなら、臓硯には気をつけておけよ。サーヴァントがなくなったから諦める、なんて割切の良い蟲じゃないからな、アレは。
 妄執と怨念の塊みたいな化け物だ。せいぜい足元掬われないように気張ってみれば」

 その最後に。忠告めいた揶揄を残して、間桐慎二は遠坂邸を後にした。







「良かったんですか、あれで」

「……いいのよ。彼の戦いはもう終わった。ならもう関わるべきじゃないし、関わりのある場所に身を置くべきでもない。じゃなきゃ、桜みたいになるかもしれないから」

 慎二の腰掛けていたソファーに今はセイバーが腰掛けていた。
 先の一連のやり取りは、きっと必然だったのだ。間桐慎二の過去を凛は聞こうとも思わないし、慎二とて話そうとしなかった。だからぶつかり合うのは必然で、道が分かれたのもまた必然。

 終わった者は続ける者に言葉を残し、静かに去った。きっと、これは彼女の優しさで。ならば後は、己の信じた道を進まないと。

「────いくわよ、セイバー。教会へ。言峰綺礼の運営するその場所へ」

「その前に、一ついいですか?」

「……なによ、人がちょっと意気込んだところを潰す気?」

「いえ。そんなつもりはありませんけど。そろそろちゃんと聞いておかなければいけないかなと」

「なにを?」

 セイバーの大きな瞳が怜悧に光る。

「僕が貴女に要求したもの。僕でさえも知りえないもの。この地で戦争(まつり)を営んできた貴女の家系だからこそ知っていて然るべきもの」

 それは。

「──十年前。今の戦いの前身である第四次聖杯戦争に関する、貴女の知り得る限りの委細を今、聞いておかなければならない」






英雄王/Oratorio I




/1


 結論から言ってしまえば、凛の知る第四次聖杯戦争の内容はそう多くの事柄を孕んではいなかった。当時まだ凛が幼かったという点を差し引いても、後世に残されたものはあまりに少ない。

 凛の父である時臣がそうしたものを文書として残さなかったのは、自身の勝利を確信してのものだったのかは、今ではもう知りようもない事だ。
 ただ次代への遺産、聖杯が成らなければ再び起こるであろう聖杯争奪戦への足掛かりさえも残さなかったのは、彼の不手際だと言えなくもない。

 遠坂時臣が遺したのは唯一つ。遠坂凛という少女に己の生き方を身を以って教え説いた事であろう。

 よって凛がセイバーの要求に応えられたのは、自身が目で見て肌で体験した追憶と、追って聞かされた兄弟子である言峰綺礼からの僅かな伝聞だけであった。

「────て、わけなんだけど。どう? 少しは参考になったかしら」

 深山町と新都とを結ぶ大橋を渡りながら、凛は傍らを共に歩くセイバーに問いかけた。顎に手を当て、難しい表情で凛の話に耳を傾けていたセイバーは、表情を崩さないままに応えた。

「ええ、参考になりました。全貌を聞けるとは思っていませんでしたし、充分です」

「そう、なら良かったわ。というか拍子抜けよね。仮とはいえ主従関係を結ぶんだから、もっとエグイ交換条件を衝きつけてくるものだとばかり思ってたから」

 たとえば金銭に纏わるものとか。と凛が零した言葉は橋を駆け抜ける強風に攫われていった。

「そうですか? 別に険悪なムードを作りたいわけじゃないですし、そんな要求は出しませんよ」

「ま、いいけどね。けどなんだってそんな事知りたかったわけ? サーヴァントってもっと戦ってれば幸せ……ってヤツばかりでもないか。でもわざわざ過去の聖杯戦争の状況を聞きたがるなんてのは、珍しいわよね」

「まあ、でしょうね。本来六十年周期である聖杯戦争では、過去の事例はほとんど意味を為しません。たとえ為すとしても、それはサーヴァントに、と言うよりもマスターにしか関係のない事ばかりでしょう。
 けれど今回は違う。十年しか時を待たずに開かれた魔術師の宴。……何かが気に入らないんですよ」

 かすかに引っ掛かる蟠り。目に映らない事態の進行。知らず廻る戦いの輪。そして、自らがその輪の外に置かれたかのような疎外感。
 正体不明の焦燥感が、セイバーの胸の中で刻々と沈殿していっていた。しかし凛の話を聞けた今、胸に沈んでいた黒い何かが少し、水面へと姿を見せ始めていた。

「……いや、最初から判っていた筈だ。あの場所に、訪れたその時から」

 独白は風に溶ける。上げられた視線が見据えていたのは、未だ遥か彼方にある筈の、神の住処だった。





/2


 高台の上に座す真っ白な造りの建物。天頂に十字架を打ち据えられた教会は、いつかと変わらないままに静かに佇んでいた。

 凛は決してこの場所が好きではなかった。父の亡き後、幼少の日々に後見人となった言峰綺礼の元で暮らさずに、一人遠坂の屋敷で長い日々を過ごしてきた。

 凛が頑なに教会での住まいを拒んだのは、何故だっただろうか。もちろん魔術師として生きると決めた以上、遠坂の家に集められた蔵書が必要なものであったから、という打算もあっただろう。
 今の彼女ではきっと思い返せないだろうが、ちょっとした憎しみが発端にあったのは違いない。

 十年前、父と共に戦いに望んだ兄弟子。別れの際に、凛は綺礼に問いかけた。父を守り通してくれますか、と。けれど綺礼は首を縦には振らなかった。子供心にそれは、許し難いものがあったのだろう。
 幼いとはいえ、既に魔術師として修行を始めていた凛にしてみれば、綺礼は後からやって来た余所者で、偉大なる父の傍というポジションを奪い取った恋敵。好きになれなかったのも頷ける。

 発端が何であったかと問われれば、きっとこの時の出来事であろう。その後は、ただ父の遺志を継いで立派な魔術師になる事に一生懸命だけだったに違いない。

 凛は一際大きく息を吸い、吐いた。この門を潜るにあたり、こんなにも緊張するのは初めての事かもしれない。ただ話を聞きに行くだけ。大義名分を謳ってみても、心の中で何かが叫ぶ。それで済むのなら、きっとあの男は言峰綺礼などではないと。

 セイバーもまた、精悍な瞳で空を見上げていた。黄金色に輝く十字架は、空の青とのコントラストでなお荘厳なイメージを抱かせる。

 初めてこの場所を衛宮士郎と訪れた時より、セイバーは忌避していた。理由は判らず、ただこの場所は好くないと。
 何度訪れようと頑として潜らなかった神の門。ただ神という存在を嫌悪しているという理由以上に、近寄りがたい魔の気配に満ち満ちている場所へ、ようやく踏み込む覚悟を心に秘めた。

 胸をざわつかせる悪寒の正体。真実が、この奥にある。

 軋む音を風に乗せて、凛は扉を開いた。真っ先に視界に飛び込んできた祭壇には目的の人物の姿はなく、見渡した礼拝堂にもまた敬虔な信者の姿はなかった。礼拝堂には、シンと肌を刺す冬の気配だけが閉じ込められていた。

 用心深くもう一度辺りを探った凛は、声に普段通りの音を乗せて響かせる。

「綺礼、居ないの?」

 厭に大きく響いた凛の声音。返ってくる声はない。耳を劈く静寂が、少し痛かった。

「居ないのか、居留守を決め込んでるのか。半々ってとこね」

 ずんずんと奥へと歩んでいく凛。勝手知ったる知人の家に、無断で踏み込んでいく気軽さで、凛は礼拝堂を抜け中庭へと出た。セイバーもまた無言のまま追従する。

 開けた視界には楚々と色づく草花。何度か目にした事のある風景に違和感は全く感じられない。さて、綺礼の部屋は何処だったかと思案を巡らせて、セイバーがある一点を凝視しているのが目に留まった。

「どうかした?」

 そう問いかけつつセイバーの視線の先を探る。ただの壁。少なくとも凛からは真っ白な壁があるだけのように見えた。
 教会の内部は相当に入り組んでいる。そう何度も足を運んだ事のない凛にとって、綺礼の自室が何処かなどは曖昧な記憶でしかない。だからセイバーが見つめていた場所も、ただの壁があった筈なのに。

「……え、階段? しかも何、これ……」

 近づいて見下ろした地下へと続く階段は、明らかに隠されるように壁と壁の隙間に作られていた。凛の記憶にこの場所に階段などない。教会は外観と内部構造に違いがあると良く言われるが、これはそんな常識で括れるものではない。

 眼下へと続く道は、明確な負の気配に覆われている。不吉な、踏み込めばもう二度と大地を踏めないと思わせるほどに、濃密で甘美な誘惑。死を覚悟した者は、こんなものを見ているのだろうな、と何とはなしに思った。

 神を祀る場所には全く以って似つかわしくない。神々しさと無縁の、ある種墓場のような雰囲気が、地下から零れだしていた。

「……何なのこれ。アイツ、一体何を隠しているっていうの?」

 凛の中で綺礼への懐疑がより深くなっていく。こんなものを見に来たわけじゃない。ただ桜を救いに来ただけ。臓硯の言葉を確かめに来ただけだというのに。一度目にしてしまった以上、引き下がる事など出来はしなかった。

 意を決して闇に飛び込む。死出の旅路のように長く続いている階段。かつんかつんと響く靴音。反響は残響し、次の一歩によって更なる音を積み重ねる。
 半ばを過ぎた辺りで見上げれば、もう入り口はかなりの高さにあった。どうやら半円を描いて地上と地下を繋ぐこの階段は、尖塔の螺旋階段を思わせた。

 そうして。辿り着いたのは石造りの部屋。その光景に凛は息を呑んだ。入り口にあった負の気配は既に無い。恐らくは地下聖堂と思われるこの場所を満たしていたのは──暗黒に色づく聖なる気配だった。

「────女の、子?」

 聖堂の奥。祭壇の前には、一脚の椅子があった。決して豪奢ではないただの椅子に座しているのは、漆黒の鎧を纏った一人の騎士。人形めいた白貌に、黒い眼帯のようなものをしている。
 凛がソレを少女と断じたのは、薄く金色がかった髪の長さ故である。後頭部にて纏められた美しい金砂の髪と小柄な体躯ゆえである。甲冑とはあまりに不釣合いな容姿が、凛の瞳を捉えて離さない。

 そして何より目を惹いたのは、彼女の手にする剣だった。手を添えられ、地面へと突き立てられた黒くも美しい剣。この世のありとあらゆる美を凝縮したかのような壮麗さと、この世の何よりも気高い強さとが、彼女の手の中にあった。

 その堂々たる居住まい。全く微動だにしない漆黒の騎士は、雰囲気と相まって、まるで玉座に座する王のような威厳と気品とを放っていた。

「…………」

 息すらしていないのではと思わせるほどに静かな少女の姿。神の手によって創られた彫像めいた美のカタチから目を離せずにいた凛を現実へと引き戻したのは、ジャラリという鉄の音だった。

「なっ……! キャスター!?」

 黒い騎士の座す祭壇より右手。壁面に天と地より伸びる鎖に手足を縛り上げられている暗色のローブ。それは、つい先日挑みかかった柳洞寺の主だった。
 黒い騎士があまりに鮮やか過ぎた為か、この時まで凛はキャスターの姿にまったく気付けなかった。が、こちらはまだ人としての機能を保っているようだった。ボロボロのローブより覗く見目麗しい女性の顔。一度として目の当たりにした事のなかった魔女の素顔は、少女の面影を残していた。

「は……ぁ」

 微かな吐息が漏れる。時折びくりと跳ねる手足が、キャスターはまだ“生かされている”のだと克明に物語っていた。

 明らかに異様な光景。人形のような騎士の姿をした少女と、今にも命の灯火を吹き消されてしまいそうな程に儚く脈打つキャスター。一体何が……どうなっているのかもはや凛には理解できない。

 いかに教会の秘蹟を用いたとしてもこうも容易くサーヴァントであるキャスターの自由は奪えない。どうゆう状況下で言峰綺礼がキャスターを捕縛するに至ったかは不明だが、今重要なのはそこではない。

 ────何故、生かしたまま捕えているのか?

 中立にあるべき男の裏側は、凛が思うよりもなおドス黒いものだった。常々底の知れない男だとは思っていたが、これほどとは思わなかった。もはや疑う余地もない。綺礼は監督役という立場を利用して、何かを成そうとしている────

「ようやく我が門扉を叩いたかと思えば、盗人の真似事か。いや、その豪胆さは実におまえらしいがな」

「────っ!」

 頭上より降る言葉。振り向いて見上げた先、地上より微かに射し込む光を背に、十メートルはあろうかという高さからその男は見下ろしていた。

「綺礼……!」

「久しいな、凛。全く、あれほど催促の電話を掛けたというのに、顔を見せに現れたのは既に半ばを過ぎた頃。しかも、わざわざこのタイミングでとはな。恐れ入る」

 乾いた靴音が聖堂に満ちていく。ゆっくりと、だが確実に言峰綺礼は階下へと歩を進めていた。凛からは暗がりで綺礼の表情をよく窺い知る事は出来なかったが、声には喜色が混じっていた。

 じりじりと近づいてくる気配に状況の悪さを確認する。幸いにも、こちらにはセイバーがいる。綺礼が武力行使に出たとしても遅れを取る事はない。ならば今は、出来る限りの情報を引き出す事に終始する。

「ほんと、久しぶりね綺礼。でも挨拶なんて所詮形而上のものでしょう? 聖堂教会(そっち)の決めた事に魔術師(わたしたち)が付き合ってやる道理もないし。そんな暇があるなら少しでも多くの情報を得る為に奔走するわ」

「確かに。だが出来の良い弟子が別れの挨拶もなく死んでしまっては、流石に私も胸が苦しい」

 どの口がそんな言葉を吐くか、と悪態をつきかけて呑み込んだ。
 綺礼は階段も半ばを過ぎていた。後数秒もしない内にこの地下聖堂で対面する事になるだろう。という凛の予測とは裏腹に、綺礼はそこで足を止めた。丁度祭壇の正面に当たるあたり、凛の真向かいから見下ろせる場所で。

「さて、凛。おまえは一体、この場所で何をしている?」

 厳かに開かれた唇。零れ落ちた音は何時になく冷たく、色というものを帯びてなどいなかった。聞く者の精神が脆弱であったのなら、それだけで気圧されてしまいそうな圧迫感を伴って。

「それはこちらの台詞よ。綺礼、貴方一体何を企んでるの?」

 凛は動じない。冷たく降りかかる瞳を睨みつけ、四肢に強く力を込めて立ち向かう。

「キャスターを捕えている理由は? この女の子は何者なの。──桜は、何処にいるの?」

 最後の言葉に、綺礼の片眉が僅かに吊り上った。

「……そうか。いや、だが早すぎる。ならば……」

 ぶつぶつと何事かを呟いてから、綺礼は再び凛を見下ろした。ついっ、と滑らせた瞳が捉えたのは、傍らに控えていたセイバーだった。

「…………?」

 セイバーを見、奇妙な違和感を覚えた綺礼であったが、続く凛の声音に霧散された。

「答えて、綺礼。仮にも監督役である貴方が、どうしてここまで深く聖杯戦争に介入しているの。下手を打てば魔術協会(わたしたち)聖堂教会(あいつら)の問題にまで発展しかねない事態だってこと、解ってる?」

 聖杯戦争という大儀礼を中立の立場にて監督する責務を負うのがこの教会を任せられた者の務めだ。同じ魔術師であったのなら、公平な判断を下せないが故の教会の介入。
 だがそれはあくまで見届けるだけのものの筈。キャスターを捕え、間桐桜を拉致するなど越権行為にも等しい。

 もしどちらかのキョウカイに知れれば、厳重な処分は当然として、冷戦状態にある協会と教会の関係に一石を投じかねない。
 それほどの事態と認識してか否か、綺礼は能面のような無表情を貼り付けたまま冷やかに見据えていた。

「何故か、か。もちろん、必要な事だからだ。
 此度の聖杯戦争は以前までのものとは違う。不安定な要素が多すぎる今回だからこそ、正しく儀式を続けられるように取り計らうのは私の務めだろう?」

「だからといって、サーヴァントを匿ったりマスターを連れ去ったりするのはやりすぎじゃない。中立を謳う監督役なら、異分子の排除は己の手を下さずに他のマスターにやらせるべきでしょう」

 凛は知らないが、前回はまさしく凛の口にしたような状況が確かにあった。神秘の秘匿を忘却したある一組の主従が行った残虐非道な行いを戒める為に、綺礼の父である璃正は保有する令呪を賜わすという条件の下に他の参加者による排除の命を下した。

 本来であれば璃正の判断こそが正しい。監督役はあくまで場を律するのが務めであり、自ら手を下してはいけない。審判の介入行為は、どの競技でも等しくルール違反に値するのだから。

 だというのに、綺礼は首を振った。

「何か勘違いしているようだが。今おまえの目の前にある光景には、私は一切関与していない。その少女もキャスターも私の意思でこの場所に匿っている訳ではない」

「……は? アンタこの教会の神父でしょう。そのアンタが知らないわけ……」

 その時だった。かつん、と一際大きく轟いたのは乾いた靴音。静寂を打ち破る残響を放ちながら、男は姿を現した。

 後光のように木漏れ日を背負う黒い衣装。なお眩く輝く黄金の髪を光の中に透かし、紅い双眸だけが冷徹に酷薄に眼下を睥睨していた。

「ソレは我の物だ。触れてくれるなよ雑種。手元が狂ってしまうかもしれん」

 歪な笑みを浮かべ、男は階下へと踏み入った。
 凛はその男の姿を目視してから妙な感覚に囚われていた。姿形を見る限り、男はどう見ても人間だ。確固とした肉体を持つ現代人。
 だというのに、心の中に渦巻いているこの恐怖は何だというのだ。絶対的な力量差を持つサーヴァントの殺意に当てられた時のような圧迫感。抗えない絶望感とが胸の中を過ぎ去ってゆく。

 一歩として動けず、呼吸すらままならない迫力の中で、凛は自分自身を保つ事が精一杯だった。そして何時の間にか男は綺礼の傍まで降りてきており、綺礼は男を一瞥して溜め息にも似た息を一つ落とした。

「……おまえが姿を見せるのはまだ先の手筈ではなかったか、アーチャー(・・・・・)

「なっ……!?」

 どくん、と心臓が脈打つ実感。空想が現実へと昇華されていく感覚。図らずも、自らの陥った窮地の意味を理解してしまったが故の焦燥感。

「ああ、確かにそう貴様は言っていたな。だが我を扱き使うだけ使っておいてそれはないだろうよ。
 それにこの場所にある我の所有物を見られてしまった以上、そう易々と帰すつもりなど貴様にもあるまい?」

 男の言う所有物とは祭壇に座す少女か、囚われのキャスターか、あるいはその両方か。アーチャーと呼ばれた男は凛には全く視線を向ける事無く、傍らに控えているセイバーにだけ視線を注いでいた。

 セイバーもまた挑むように睨み返す。この場所に踏み入る前より感じていた胸の淀み。その正体と遂に邂逅を果たしたのだと、身体の芯が理解している。

 交じり合う二対の双眸。炎威の色に、氷の如く冷たい視線を乗せて、互いに譲らず睨み合う。男は口元を歪ませ、セイバーは固く結んで。

「────ようやく見えたな、セイバー。いや、英雄王(ギルガメッシュ)よ」

 ゆっくりと。だが確実に。第五次聖杯戦争は終局に向けて加速していた。













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