剣の鎖 - Chain of Memories - 第三十九話









「ギル……ガメッシュ────?」

 呟いて、傍らにいる金髪の少年を凛は見た。言峰綺礼にアーチャーと呼ばれた男は確かにこの少年……セイバーを見てそう呼んだ。
 凛の言葉にセイバーは何も答えない。ただ固唾を呑むように唇を引き締めて、階上から見下ろす男を注視していた。

 男もまたそれ以上の説明など不要と思ってか、歪な笑みを浮かべるのみ。

 凛の脳内で高速で計算が積まれていく。ギルガメッシュ。古代メソポタミアのウルクに君臨したという絶対なる暴君がセイバーだという事実は、凛には全く意味あるものとは思えなかった。
 確かに不可解な戦闘方法を行う者だとは思っていたし、決して高いステータスを持つわけでもないのに他の英雄達と渡り合ってきた点を鑑みれば、決しておかしなものでもない。ないのだが。

 それ以上に重要な事柄が、凛の胸を占めていたから。

「綺礼。貴方、言ったわね。その男が、アーチャーだって」

 区切り確認するように強く口にする。
 聖杯戦争に喚ばれるサーヴァントは七クラスに一人ずつ。基本となる七つのクラス以外のエクストラクラスが混ざる事は時折あるが、同じクラスが重複するという事は過去に例はなく、また有り得ない。

 遠坂凛の召喚したあの赤い騎士が今回の聖杯戦争のアーチャーである限り、この目の前の男がアーチャーである事は有り得ない。が、綺礼はそう呼び男もまた応えた。導き出される答えなどたった一つ────

「いかにも。我は十年前の戦いより現代まで生きてきたサーヴァント。自らの足と、自らの肉体でな」

「なっ……」

 そんな話は聞いていない。第四次聖杯戦争には勝者はいない。ならば、こうしてサーヴァントが現界し続けている筈などない。ましてや、確固とした肉体を得ての受肉など……

 そこで凛はいや、と首を振った。目の前に現実としてサーヴァント級の男がいる。その事実を捻じ曲げずに認めて視線を上げた。

「……綺礼。アンタ、最初からそのつもりだったの?」

 綺礼が怪訝そうな視線を凛に送る。

「そのつもりとは、どういう意味だ?」

「どうもこうもないでしょう。十年間もサーヴァントを隠し続けて、この機を待っていたんでしょう? わたし達が争っているのをほくそ笑みながら眺めて、最後の最後で横取りするつもりだった」

 ただの出来レース。最初から、この言峰綺礼という男は全うな聖杯戦争を行う気などなかった。徐々に数を減らし、疲弊していく参加者を監督役という立場から傍観し、いざ聖杯に手が届くと言う間際において最大のカードを切る。
 審判の乱入。それは先の一連の行いよりもなお酷い、悪い夢のような絵空事だった。

「凛、君はもう少し聡明だと思っていたが。またしても勘違いだ。私にはそんなつもりは毛頭ない」

 だというのに。そんな事を口走った。

「この男は確かに十年前より現界しているアーチャーだ。だが彼と私は厳密に言えば主従関係にはないのだ。
 私は彼に共感し、彼もまた私に共感した。言うなればただの同士。それ故にこの教会を貸し与えているに過ぎん。私の命令で動くような男でもなし、私はあくまでこの闘争を見届けるのみだ」

 厳かに語られた真実。言峰綺礼はあくまで見届けるだけと口にした。説くように差し出されていた手を胸のロザリオへと導いて、

「まあもっとも────アーチャーが戦うというのであれば、止めるつもりさえもないのだがね」

 ぞわりと。全身の身の毛も弥立つような耽美な笑みを浮かべて宣言した。

「というわけらしい。そこな雑種は逃げ果せたくば逃げるがいい。しかしセイバーは逃がさぬ。我も久方ぶりの争いだ。せいぜい愉しませよ」

「凛さん」

 ここにきてようやく、セイバーが口を開いた。消え入りそうな小さな声で、囁きかけるように続ける。

「どうやらもう、避けられないようです。残念ですが、僕は貴女を守りきる自信がない」

「冗談。自分の身くらい自分で守るわよ。貴方は貴方の戦いに専念なさい」

 柔らかな笑みを零すセイバー。と同時に背後に赤い泉が浮かび上がり、石室の中心に風が生まれた。乱気流はやがて収束し、セイバーの手には不可視の剣が握られていた。

 ざ、と強く大地を踏み締める。どちらともなく互いの敵を認識し、今にも挑みかからんと臨戦態勢に入っていく。
 張り詰めた緊張の糸。静寂だけが支配する地下聖堂。茫洋とした灯りが揺れる。口火を切ったのは、セイバーだった。

「ふっ────!」

 腹に込められた力を足の裏より推進力として弾き出す。階上にて威風を纏い佇む黄金の男目掛けて、セイバーは風を切るように駆け上った。
 セイバーのスタートに遅れること僅か。切られた戦端に答えるように、言峰綺礼は凛の待つ階下へと飛び降りた。駆け上がるセイバーと飛び降りた綺礼の交錯はない。互いを敵と認識しながらも、今戦うべき相手は他にいるのだと両者は悟っていた。

 綺礼が着地したのとほぼ同時。セイバーは下段に構えていた視えざる剣を振り上げる。眼前にまで迫った男目掛けて、一切の余力なく全力で叩き込む。
 恐らくはその刹那より少し前。男はポケットに差し込んだままの手を一切出す事無く、歪んだ口端をなお捻じ曲げながらセイバーを見据えていて。同時に、揺らめいた背後より一振りの剣が姿を現し、射出された。

 がきん、と響き合う剣戟。銃口より放たれた弾丸(けん)はセイバーの斬撃を受け止め、生まれた間隙を衝き軽やかなステップと共に男は飛び退いた。

「この場所での戦いは好まぬ。上へ行くぞ、セイバー。綺礼、貴様も荒らしてくれるなよ」

「ああ」

 有無を言わせぬ断言で以って男はセイバーと綺礼に指図する。短く答えた綺礼は凛と対峙したまま振り返りすらせず佇む。
 セイバーはといえば、縮めた距離を離させないとばかりに追い縋り、不可視の剣戟を叩き込まんと駆け上がってゆく。

 間断なく射出され続ける無数の剣はセイバーの剣の全てを叩き落し、主である男を階上へと引き上げていく。
 薄暗闇と淡い光の間、地下と地上とを隔てる場所に至ってすら、セイバーは男に致命傷どころか傷一つ負わせられずに戦場の遷移を受け入れる他なかった。

 いつしか両者は地下聖堂より姿を消し、後に残ったのは凛と綺礼。そして囚われのキャスターと、得体の知れない黒い騎士。
 地下では長らく師弟として過ごしてきた二人の呵責、地上では因縁めいた関係を持つ二人の闘争とが、今、火蓋を切って落とされた。






真相/Oratorio II




/1


 ぼんやりとした闇を飛び出し、教会の中庭にて二人は対峙した。下段に構えた不可視の剣を握り締め、階段を上りきったところで足を止めたセイバーと、葦の短い草花が茂る中心に尊大に構える男。

「さて。我が誰か、無論理解していような、セイバー」

「ええ、もちろん。この場所を最初に訪れた時より感じ続けていた違和感、位相のズレ。多重存在による世界の修正か。何よりも、僕自身が貴方が何者であるかを理解せずにはいられなかった」

 肯定と否定。そう思いたくなくとも、身体が、魂が結論を衝きつけてくる。おまえは同じだと。目の前にいる男と、自分自身は決して覆せぬ因果の鎖によって繋ぎ止められているのだと訴える。

 故にこの対峙こそ必然。セイバーが衛宮士郎の手により召喚されたその時から、あるいは十年前、アーチャーと呼ばれた男が受肉を果たしたその時から、二人の遭遇は他の誰でもない、自らによって示されていたのだと。

 だからこそ、わざわざ解を口にする必要すらない。セイバー。アーチャー。互いに意識下で理解している。呼応と共鳴、絶叫を響かせる魂の躍動を以って。

 すなわち。我らこそは原初の王(ギルガメッシュ)

 身の丈や言動が違おうとも、黄金の輝きを放つ魂魄までは騙せない。自らを法と謳う絶対者。何人たりとも覆せぬ、威風を纏いし地上の覇者。数多の英霊達の頂点に立つ、最強の存在であると。

 男の周りに浮かび上がる赤い歪曲。一つ二つと数を増していく揺らめきに中に、鋭利な白銀が幾つも顔を覗かせる。そのどれもが世に名を馳せた剣。ただの一振りであっても膨大な魔力量を誇る剣を男は、無数に展開させていた。

「セイバー。貴様は目障りだ。我と同じ称号を掲げるだけでは飽き足らず、その無能さで足掻く様が疾く我の癪に障る。
 解るか? 天上天下遍く世界に我は唯一人。英雄王という称号も、最強と言う歌声も、ギルガメッシュという名ですら貴様には過ぎたものだ」

 不愉快を露にし、男は目に映る剣を増していく。

「それはお互い様でしょう? 僕もまさか、前回より未練がましく現世に執着し続けている僕自身がいるなんて思ってもいなかった」

「ハ。人の生とは、執着の塊だ。何かに固執するが故に生を望み、生に固執するが故に死を恐れる。遍く民の頂点に立つ者として、我もまた執着せずにはいられない。
 それに貴様とて見てきただろう、この醜悪な世界を。我が世界において、塵の蔓延る様を目の当たりにしておきながら捨て置く事など出来る筈もあるまい」

 それこそが英雄王が語る正義。英雄ならば誰もが持ちうる譲れないもの。この男にすら存在する、変えられない信ずるもの。

「故に我は決定を下した。塵を排除し、美しい世界を取り戻す。それが、この世全てを手に入れた我の責務だ」

 破壊によって愛を生む。醜くもがき続けるだけの生ならば、いっそ死を以って幸福を賜わすのだ。醜悪に、穢れに塗れたいと愛すべき王の庭を、王の裁断を以って今一度栄光を取り戻す。

 それが王の決定。十年余、人の世で生きてきた王者の下す、審判の鉄槌だった。

 同じ存在であるセイバーをしても、その判断に即座に否と答える事は出来ない。いや、同じ存在であるからこそ、僅かであれ男の言葉に共感を覚えてしまう。

 僅か半月にも満たない時とはいえ、確かにセイバーは世界を見てきた。自らが王として君臨した世界から余りにも変わり果てたこの世界を。雑多な物に溢れ、積み上げられていく塵の山。当たり前だと言うように、人は世界を穢していく。

 だからこその排除。だからこその掃除。ただ美しくあれと願う世界のように、王もまた天上にある至玉を愛でるように世界を愛す。
 その、余りにも美しい心の在り方は、何人であろうとも揺るがせられない絶対なる決定だった。

 だというのに、セイバーは静かに頭を振った。

「確かに、貴方の言う言葉は一つの真理だ。この溢れに溢れた世界において、僕はただ増え続けるだけのモノを許容できない。
 だけど──だからこそ僕はあえて否と唱える」

「ほう? 我と同一でありながら、違う解に辿り着いたという事か? 良い、申してみよ」

「そんなに難しい事じゃない。世の粛清、人の選別に現段階において僕自身は余り興味がないというだけ。そして──それ以上に目障りなモノがある」

 男の手が上がる。セイバーの言を、応と受け取ってのものだろう。セイバーもまた、前傾姿勢でいつでも飛び込める体勢へと構え直している。

「くく、はははははっ! そう、そうだ。確かに貴様の言うとおりだ! 今この刻限において、我が裁決を下すのは雑多な塵共に対してではない!」

「ええ。僕達が今最も許容できないもの。それこそ────」

「おまえだ」
「おまえだ」

 重なり合った二人の声を合図とし、戦端は切って落とされた。

 庭の中心に佇んだまま、男は掲げた指を高らかに打ち鳴らし、背後に控えていた剣群を撃ち出した。同時にセイバーは弾かれたように駆け出して、整然と打ち立てられている支柱の影に飛び込んだ。

 乱れ飛ぶ石片。セイバー目掛けて繰り出される剣の嵐は支柱をまるで豆腐か何かのように削り取りながら推進する。
 セイバーもまた一箇所に留まらず、中庭を中心として作られた回廊を動き回りながら機を窺っていた。

「逃げ回るだけでは我は倒せんぞ? そら、貴様は最優の称号を冠したセイバーなのであろう。ならば我に肉薄し、その視えざる剣で一太刀浴びせて見せよ!」

 男の繰り出す剣群は雨ですら生温い。嵐の如く渦を巻き、縦横無尽に乱れ飛ぶ。駆け、弾き、躱しながら機を計るセイバーであったが、この男に隙などない。
 尊大に踏ん反り返り、自らの手を下さずに意に従う剣を射出し続けるだけの能力であろうとも、そのシンプルさ故に打開が難しい。

 湯水の如く溢れ出る武具の数は、考えるだけ無駄だろう。周囲には弾き返された剣が大地を抉り、壁に突き刺さったままの白刃が乱雑に埋められている。

 一撃一撃が必殺の剣の嵐。けれどその戦い方は、セイバーとて熟知している。

「はぁ────!」

 短く息を切って、いつかのように視えざる剣を男目掛けて投擲する。人力による推進力では大した加速を得られない。男は無造作に引き抜いた剣を同様に投擲し相殺した。

 手元より武器を失くしたセイバーは剣の投擲と同時に物陰に身を潜め、次なる剣を引き抜いた。先のとは違う、形ある刀身を持った一振りの剣。

 物陰より躍り出ると、セイバーは次いで繰り出された男の剣に向けて手にした剣を振り上げた。閃いた軌跡は鮮やかに、太陽を照り返す美しい氷の道を作り上げ、放たれた剣を絶対零度の内側へと閉じ込めた。

「ほう」

 男は氷漬けにされた己が剣を認めて、更なる雨を差し向けた。
 降り注ぐ巨大すぎる雨粒が、振るわれる氷の剣によって塞き止められる。時には盾として行く手を阻み、時に剣自体を閉じ込めて。
 矢次早に繰り出される剣。氷の彫像と化した剣を貫き砕き、飛沫となって周囲に氷の華を咲かせてゆく。

 けれど現状は全く変わらない。男は一歩すら動かずに、セイバーは未だ回廊より抜け出せない。

「ふん、やはりな。貴様、セイバーというクラスに囚われているな?」

 聖杯戦争の英霊召喚のシステムにおいて、同じ英霊が同時に存在する事は稀有な例ではあるが、不可能な事ではない。
 そも英霊を召喚するに際し、聖杯はクラスという器を設けている。その器に見合うだけの英霊を召喚し、使役する事こそが冬木における聖杯戦争の苛烈さにある。

 更に言うのなら、喚び出される英霊は“座”と呼ばれる世界の外側にある英霊本体のコピーに過ぎない。本物の機能と記憶を有する、紛う事のない本物の移し身。
 ならば複数のクラス適性を持つ英霊ならば、クラスという器の許す限りその座を得る事とて決して有り得ない事ではないのだ。

 だがクラスという器には限度がある。グラスに限界を超えて水を注ぎ込めば溢れだすように。許容量以上の英霊はクラスという器には入りきらない。

 ────だがもし。仮に、本来入りきらない筈の許容量を持った英霊が、適性のクラスがない状態で無理矢理に召喚されたとしたら?

「通常であれば召喚は失敗し、何も喚び出されないだろうな。けれど貴様……いや、我にはそれが可能だった」

 あるいは、不完全な召喚が功を奏したか。英霊は全盛期の姿で召喚される。ギルガメッシュという名の英霊の全盛期がアーチャーのものであるのなら、セイバーの姿は一体なんだという話になる。

「簡単な話だろうな。器に入りきらぬというのなら、入りきるまで容量を削ぎ落とせば良いだけだ。能力、宝具両面において制限をかける事で、貴様はセイバーという位に据えられたのだ」

 それが故に。セイバーは男の剣群に対抗できない。召喚されたその日の夜に確認した、王の財宝による宝具の掃射ができないという欠点。
 同じ英霊でありながら持つべき本来のスペックを有した者と、制限という枷を嵌められたセイバーとでは同一の英霊であるが為に実力差を覆す事あたわない。けれど。

「ならば僕は、セイバーとしておまえを打倒しよう」

 更なる剣を背後より引き抜いて、セイバーは二本の剣を手に取った。アーチャーの本質が宝具の殲滅掃射にあるのなら、セイバーとしての戦法は、持てる宝具の力を引き出して立ち向かう事。

 原初の世界。世界が未だ一つであった頃、その全てを統べた王であるギルガメッシュが持つ多くの宝具は象徴となる名を持たない。後の世に流れ、英霊達のシンボルにまで鍛え上げられた無数の宝具の原典。
 故に、彼らが必須とする真名の解放なく振るえる王者の剣群は、セイバーの呼び声に応えてくれる。究極の一を持たない者が手にする原典の力。

 ただ弾丸のように射ち出すだけの武具であれば、彼らこそが浮かばれない。王者たるものその程度、全て担えなくてなんとする。

「ならば挑みかかって来るがいい。貴様のその全て、悉くを撃ち堕とそう。疾く(キサマ)は、(オレ)の手で死ね────!!」

 吹き乱れる暴風の中。セイバーは手にした剣を頼りに、嵐の中心へと立ち向かう。





/2


 同刻。地下聖堂。

 頭上では凄烈な争いが始まったのだと、微かな木漏れ日の漏れる扉から否応なしに無常な剣戟が響いてくる。
 しかしこの場で対峙する凛と綺礼は全く上の様子を意に返さない。彼らの戦いは彼らのものであり、自らは今、目の前の敵をこそ打倒すべきなのだと理解していた。

 微音が零れる静寂の中、口火を切ったのは綺礼だった。

「さて、凛。まず初めに聞いておこう。おまえは私と戦うつもりか?」

「何を今更。中立の立場を放棄して、わたし達の争いに加担した時点でアンタは違反者。この冬木を預かる管理者として、綺礼、アンタは罰則の対象よ」

 ふむ、と綺礼は頷いた。
 もし凛が協会に今回の事を密告したとすれば、上層部は必ず動く。教会に対し非難をぶつけ、これ幸いとばかりに攻め詰め寄るだろう。
 ただし。言峰綺礼が正しく聖堂教会からの派遣者であったのなら、という前提だが。

 綺礼は教会に籍を置くと同時に協会とも内通している。前者は父である璃正の子であった時より長く滞在し、後者は時臣に師事した時からの関係だ。
 公式上は現在の綺礼の立場は教会側だ。でなければ冬木の監督役を任されない。しかしその裏で、協会にもツテを持っているという特殊な立場上、凛も易々と協会に報告など出来なかった。

 何よりもだ。こんな極東の辺境で行われる儀式程度で、迅速な対応など望めない。この地にはこの地に根付く組織があり、大規模な外来の入国には彼らの審査を必要とする。それでは間に合わない。遅すぎる。

 明確に敵と断じられた綺礼ならば、今後は隠れ蓑などなく動き始めるだろう。聖杯戦争も終結は間近。遅くとも一週間以内に全てが終わっている。
 その時を待っていては綺礼を罰する機を逃す。ならば土地の管理者の権限において、遠坂の名の下に、今、この敵を罰する事こそ最良であると。

 綺礼の側にしても同様だ。本来監督役への戦闘行為は厳罰に値する。けれど過程を調べられては綺礼も困るのだ。
 以上の観点から、両者は互いに暗黙を了解とする。この場では何も無かった。監督役は正しく審判を下し、参加者は正しく自らの魔道を貫いたと。

 よってこれより起こる闘争は、世間には露見しない、あくまで師弟の私事である。

 綺礼の僧衣がばさりとはためく。柄しかない黒鍵を二本、両手に携えた。

「戦うと言うのなら容赦はせん。私には結末を見届ける義務があるからな、このような場所で朽ちるわけにもいかん」

「上等。こっちだってね、アンタなんかをのさばらせて置けないっての」

 凛の左腕に刻まれた魔術刻印が煌き、徐々に回転数を増していく。同時に、綺礼の黒鍵に刀身が現れる。ぎらりと輝く刃は、神の洗礼を受けた白銀。ひゅん、と一振りし、綺礼は身体を僅かに傾けた。

「来い、凛。兄弟子として、おまえが師父にどれほど近づけたか見てやろう」

 歪みきった笑みを浮かべた綺礼の言葉を皮切りに、戦いは始まった。たん、と軽いステップで左方へと飛び退いた凛は狙いを定めた左腕を突き出して、ガンドの掃射を行った。
 一瞬にして放たれた黒の弾丸。数にして六。その全てを認めた綺礼は、躱すでも弾くでもなく、弾丸の只中へと飛び込んだ。

 間近に迫るガンドを綺礼は余す事無く睥睨し、両手に担った黒鍵を振りかぶる。右手で一閃、左手で二閃。残る三つの弾丸の内一つ、最も迫っていた二発を華麗な体捌きで回避せしめ、残る一発を身体を回転させた反動による一閃で以って消し飛ばす。

 全てを捌き切った綺礼に僅かな硬直が生まれる。その隙を見逃す凛ではなく、再度掲げた腕より先に倍する十二発の弾丸を繰り出した。

 先程よりも間近で撃たれた弾丸。数も倍とあってはさしもの綺礼も捌き切る事など不可能に近い。ならばと、綺礼は今度は身体を屈め跳躍によって全弾回避を試みた。
 決して広くはなく、また狭くもない地下聖堂において、綺礼の跳躍は目論見どおりの結果を残した。風を切って壁面へと衝突した十二の弾は、拳大ほどの弾痕をまざまざと残して消え去った。

 ぐるりと僧衣を翻し、綺礼は再度大地を蹴る。彼の手にした黒鍵は元々投擲用の武器である。けれど彼は手にした剣を用途通りには使えない。なぜなら凛の背後に、漆黒の騎士が座しているからだ。もしあの少女を傷つけようものなら、後でアーチャーに何を言われるか判ったものではない。

 綺礼が地を蹴った瞬間、凛と綺礼の距離は既に四メートル弱程度。凛にとってこの距離は余りにまずい。詠唱を必要とする魔術は既に使用できる距離ではなくなっている。連射の効く魔術刻印を用いてのガンドの連続掃射。
 綺礼を近づけさせぬように、凛は左腕を突き出したまま迫る綺礼の姿を追う。

 と、同時に右腕はポケットへ。この場での戦闘を予期していた凛は既に必殺の魔術を身につけていた。

「ぬ────」

 その予備動作から何を行おうとしているのか、綺礼は瞬時に悟る。遠坂の家系は代々宝石魔術を重んじている。時臣は言うに及ばず、凛もまた同じ血統を有する以上、最強の攻撃手段は宝石によるものだ。

 綺礼の防御能力では、凛が行うであろう魔術に対応しきれない。ならば無理矢理にでも行使を阻止する以外に道はなかった。綺礼は手にした黒鍵の数を増す。

 マシンガンの如く弾け続けるガンドの雨を綺礼は弾き、いなし、躱し抜く。全盛期に比べれば幾らか質を落としたとはいえ、元より身につけた体術は絶技に迫る。常人では有り得ぬ動き、速度で以って綺礼は凛の攻撃を掠らせもしなかった。

 が、それでも綺礼の勝機は凛の魔術を止めなければ有り得ない。凛が手にした宝石に起動の為の魔力を流し込んでいく。
 凛の顔に勝機が宿る。手にした宝石を振り上げて、後は対象目掛けて投げつけるだけ──

 時間にして秒にも満たない間隙。瞬きすら遠い刹那の中、言峰綺礼の動きは常軌を逸していた。

 未だ鳴り止まない散弾の全てを防ぎきっていた男が見せる一瞬の離れ技。構えた右腕を扇状に開いた黒鍵を盾に見立てて疾走する。剣の束をすり抜ける弾丸を右腕を犠牲にし防ぎきり、凛との決して詰め寄れない筈の間合いを一瞬で詰めて見せた。

 八極拳の秘門、活歩。

 綺礼に拳法を師事していた凛をして知りえなかった綺礼の秘技。驚愕は隙を生み、勝利は掌を滑り落ちていった。
 振り被られた凛の腕を絡め取り、綺礼は素早く背後に回る。

「ぐっ……あっ────!」

 右腕を本来曲がり切らない方向へと捻じ曲げられ、凛は激痛と共に手にした宝石を取り落とす。綺礼に容赦はない。そのまま凛の腕を捻じ切ろうとして──

「────っ!」

 今度は綺礼が息を呑む番だった。一体何処に隠し持っていたのか、凛は左に握り締めた小粒の宝石を、己すら巻き込んで発動した。
 聖堂を染める眩い白光。一瞬の間に生まれた光は間も無く収束し、後には二人の姿は健在だった。

「っは────、は、ぁ……──ぁあ、ふ、ぅ」

 所々破けた衣服。焦げ付いた肌。けれど凛の腕は未だ健在で、しかし痛めたのかだらりと下がったままだった。
 対照的に綺礼の衣服に痛みはない。先のガンドにより右腕には負傷を負っていたが、宝石魔術によるダメージはなかった。凛が宝石を発動する一瞬前、綺礼は凛に詰め寄った歩法を用い離脱を成功させていた。

 魔術の力量を比べるのなら、ただ修めただけの綺礼の魔術と長らく蓄えられてきた遠坂の魔術とではレベルが違う。けれど単純な体術、過酷な代行者としての経験を持つ綺礼に総合的な戦闘能力では及ばない。

 幼少より師事してきた凛だからこそ、綺礼の戦闘方法を知っている。だから自分の土俵を守り続ける。綺礼が最も能力を発揮出来る間合いを避け、自らが最高のポテンシャルを保てる距離を。

「良い動きだ。初手の宝石を囮に私を懐へと潜り込ませ、最初から握りこんでいた二撃目で諸共に吹き飛ばすつもりだったか? 自らは防護の魔術で遮断して」

「……さあね。けれど、ふん。やっぱりそう易々とは倒れてくれないか」

「であれば、最初から抵抗などしない。さあ続けよう」

 隙のない構えを取る綺礼。凛は一つ舌打ちし、腰に隠し持っていた短剣を引き抜いた。魔剣アゾット。ある錬金術師が生み出したとされる魔術礼装。父である時臣が綺礼に譲り、凛へと手渡された短剣を左手に構え腰を落とした。

 鋭利に光る短剣を見やり、綺礼は笑いを零した。腹の底から漏れる、醜悪な笑み。

「凛、その剣は私がおまえが正式に遠坂の頭首を襲名する際に渡した品だったな」

「ええ、貴方を倒す上でこれ以上の剣もないでしょう? 不肖の弟子を取った亡き父の無念とわたしの研鑽。その身で味わうといいわ」

「くくく、はは、あははははははははははははははははははははははは!」

 突如として大笑する綺礼。奇異な、決して人の浮かべ得るような笑みではない哄笑。世の全てを嘲笑う、ドス黒い感情の爆発。これほどまで、綺礼が感情を表に出した様を凛は一度として見た事がなかった。

「クク、ハハ。不肖の弟子? 亡き父の無念? くく、実に的を射ているな!」

 綺礼の笑いは止まらない。事の真相を知る綺礼だからこそ嗤わずにはいられない。人の不幸を蜜とする悪魔であるからこそ、凛の物言いは滑稽に過ぎて溢れる声を押し留める事など叶わなかった。

「ああ……さぞかし無念であったろうな、我が師は。悲願とした聖杯に至れず、無念のうちに命を落とした。いや、無念を感じる暇すらなかったかもしれない」

「綺礼……? 何を────」

 事ここに至り綺礼の愉悦は最高潮に達した。次の一言を口にした瞬間、この少女は一体どんな表情を見せてくれるのだろうか。一体どんな言葉を向けてくれるのだろうか。考えただけで、恍惚に似た昂ぶりを感じた。

「────なぜなら。その剣は、おまえの父を死に追い遣った刃であるからな」

「────────」

 愛しく抱いてきたアゾット剣。父の遺したものは数あれど、凛は必死に剣に魔力を込めてきた。父が綺礼に託し、凛へと受け継がれた形ある遺言に。
 追憶。父の墓前で綺礼より渡されたアゾット剣。父の無念を知り、父の遺志を継ぐと誓ったあの日。悲しみに暮れる涙はこれが最後だと零したその裏で、この男は──きっと、嗤っていた。

「見物だったぞ、師父の死に様は。まさか私に反旗を翻されるなど露ほども思っていなかったという顔だった」

 その瞬間。凛の何かが、確実に音を立てて途切れた。

「きれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいぃ……!!」

 後も先も関係ない。胸に渦巻いた激情が、凛の足を怨敵へと向けさせた。振り上げた刃に込められたものはもはや怨念。抑えきれない悲しみと怒りとが綯い交ぜとなった憎悪は凛の理性を奪い去った。

 戦術もなく挑みかかった凛は綺礼にとって格好の獲物に過ぎない。凛が繰り出すであろう凡庸な一撃を躱し、意識を断つ一撃を見舞えば決着だ。呆気ない幕切れだったな、と嘆息を漏らした刹那。

 教会全体を震撼させる激動が、地下聖堂をも覆い尽くした。













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