剣の鎖 - Chain of Memories - 第四十話









 その日、その時の彼女は幾分不機嫌だった。

 この土地の把握はとっくの昔に済ませてある。食料の確保や、土地に根ざす土着の魔術師の館に奇襲をかける以外に陽の高い時間に外を出歩く必然性を見出せなかった。

「ナンセンスです、ランサー。目的もなく街中をぶらつくなど、敵に発見される危険性が増すだけです。全く以って必然性が感じられない」

 往来の道端で歩み足を止める事無くバゼットは愚痴を漏らした。隣にはランサーの姿。戦闘衣装ではなく、いつ、何処から調達したのかも不明な周囲に溶け込む現代の衣服を身に纏いバゼットと並んでいた。

「必然性? そりゃあるだろ。息抜きだよ、息抜き。昨日漸く金星上げたんだ、今日くらいハメ外そうぜ。戦いばかりじゃ肩筋張って力でないだろ」

「まあ……そうだけど」

 むっ、としつつもバゼットは同意した。確かに戦いばかりの連続では知らず疲れも蓄積する。アジトに篭り続けているのとっくに飽きていた頃合だった。

「ですが、何処に行こうというの?」

「何処だっていいさ。とりあえず、腹ごなしといくか」

 ほら、と駆け出したランサーが振り向きバゼットを誘う。太陽のように輝く笑顔を湛えたランサーはいつか、本の中で思い浮かべた幼子と同じだった。
 一つ嘆息を漏らし、バゼットもまた駆け出した。そう、たまにはこんな日常も悪くは無いだろう。戦いに明け暮れた日々を置き去りに、今日だけは、彼と共にいつもと違った時間を共有しようと思った。







 だがそんな彼女の思惑も長くは続かなかった。そう、この街は戦場だ。どれだけ意識を遠ざけようと、その事実からは逃れる事など出来はしなかった。

 ランサーにあちらへこちらへと連れ回され、いつしか街中を離れ閑静な住宅街へと出ていた。静けさに満たされた舗装路を二人は並んで歩き、唐突にその気配を感じとった。

 どちらともなく視線を上げる。なだらかな坂道の先、高台へと続くその先から、戦闘の気配が零れていた。

「ランサー」

「ああ。どっかの馬鹿がやりあってやがるな。こんな真昼間から」

 何時の間にかランサーは身に付けていた現代の衣服から戦闘装束へと変えていた。視線に力が篭る。先程までの気を抜いていた瞳とは違う、戦闘者特有の鋭い瞳へと。

「バゼット、おまえは戻ってろ。偵察ならオレだけで充分だ」

 たん、と地を蹴りランサーが跳躍する。同時に、彼の身体は空に透けるように薄らいでゆく。霊体化して偵察を行うつもりらしかった。

「待ってくださいランサー、私も行きます」

 ランサーが足を止める。振り向かず、言った。

「やめとけ。オレらまでこんな時間から戦いに加われねぇだろ。何よりもだ、気配の漏れてる場所、判ってるか? 覚悟はあるのか?」

 ランサーの言葉を受けて、はたとバゼットは思い知らされた。坂道の先、高台には見知った人物の居住する家がある。教会。あの日────背後よりバゼットを斬り付けた……あの男が。

「…………っ!!」

 ぎちりと音を立ててバゼットは唇を噛み締めた。滲んだ血が口の端から伝い落ちた。

「……判りました。ランサー、貴方に偵察を任せます。ただし、戦闘行為の一切を厳禁とします。何があろうとも」

 了解、と気軽に答え、ランサーの姿が掻き消えた。ほぼタイミングを同じくして、頭上より轟音が生まれた。
 それに気が付いた様子も無く、バゼットは俯いて拳を強く強く握り締めていた。

「……情けない」

 正面から自分の弱さに立ち向かえない、自分自身の苛立ちを込めて。






聖なるかな/Oratorio III




/1


 既にその場所は、庭園などではなかった。かつて美しく整えられていた箱庭が、今は凄惨な戦場となって彩られている。
 否、今やこの場所を戦場と呼ぶ事すらおこがましい。打ち立てられていた白柱は無残を晒し、周囲には火の輪が踊り、黒煙を高く燻らせている。穿たれた穴倉は数知れず、突き立てられた剣の数はもはや十や二十できく筈もない。

 ならばこの場所は墓所。乱れ立つ剣を墓標に見立てた、死霊の庭に他ならない。

 その中心に君臨するは絶対者。舞い上がる焔を纏い、黄金の鬣を風に揺らす英雄の王。ただ双眸に宿る紅蓮は静かに、無機質な色を浮かべていた。

「度し難い……」

 熱の広がる死地において、英雄王の敵対者であるもう一人の男を見据えた。幼い身体に傷ついていない箇所はない。手にした煌く剣は大地に突き立てられ、どうにか主の身体を支えている。
 血に塗れた柄を握り締めた掌からはぽたりぽたりと雫が零れる。白銀の剣を伝い、生命の音を零していくように、大地に血溜まりを作り続けていた。

「は……、ぁ────っ、ぁ……ごふっ」

 ごぽりと血の塊が吐き出された。震える手はなお剣を握り続けていても、心が決して折れずとも、肉体的な損傷は彼に行動を許さなかった。

 ものの数分間で彼は死に体となっていた。繰り出される剣の雨を掻い潜り、炎を司る得物を振り抜いた。雷を放つ射出宝具を解き放った。手にした武具には大理石さえ容易く切り裂く剣があった。死神の鎌があった。

 ────しかし。そのどれもが黄金の男には通用しなかった。

「滑稽を通り越して、度し難いぞセイバー。貴様、一体何を考えている?」

 この光景はまさしく想像の通りの帰結。完全な力を有するアーチャーと、不完全な能力しか持たないセイバーの埋めようもない力の差。絶対的な溝が生み出す、超えられない両者の壁。

 いかにセイバーがセイバーらしく振舞おうと、アーチャーには同じ術で応じるだけの能力がある。奇に衒うならいざ知らず、ただ宝具の能力に頼っただけの無様な戦術で、王の慧眼をやり過ごす事など出来はしない。

 故にアーチャーは憤怒を露にする。無様さ故ではなく。同じ存在でありながら、こうも容易く組み伏せられる程度の底の浅はかさに。

「幼いが故の身体能力の低下、同じく身に宿る魔力量の差。更には、聖杯の寄る辺による制約。これだけの制限化にあっても、貴様が我と並び立つ者であるのなら、せめて一矢報いるのが礼儀であろう!」

 セイバーの見せる無様は等しくアーチャーの無様。だからこそ許せない。だからこそ度し難い。王に辛酸を舐めさせるその無礼、死ですら生温いと知っての狼藉かと吼え猛る。

 当のセイバーは応える声を持たないかのように、絶え絶えの息を切らせながらも瞳に宿る強さだけは逸してはいなかった。
 己の非力さを知っている。己の制約を理解している。それでもなおこの男に立ち向かうと決意したのは、等しく彼も王であるからだ。

 存在がたとえ同じであろうとも、思考回路までは同一ではない。セイバーにはアーチャーが理解できない。良き王であらんとした彼にとって、アーチャーの謳う“正義”が決して認められるものなどではなかった。

 彼は死に瀕してなお剣を執る。与えられた制限化においても、セイバーなら巧く立ち回れただろうが、彼はそうしなかった。千ある財を知を以って使役し尽くせば、一時程度はアーチャーより隙を奪い取れる自信はあった。

 けれどセイバーはそうしなかった。奇襲など意味はない。奇を衒っても勝利ではない。欲するのはアーチャーの消滅という名の勝利ではなく。その心を折る──自らの矜持を賭けた戦いであると定めたから。

 決してこの心は折れてはいないと、砕け散りかけた身体を財の手を借りて奮い立たせた。

「……ふん」

 今にも崩れ落ちそうなセイバーを見やり、アーチャーは鼻を鳴らし右手を掲げる。生じた歪に手を差し込み、掴み出したのは鎖だった。英雄王が無二の朋友、エンキドゥの名を冠した神を律する支配の鎖。

「せめてもの慈悲だ。我が朋友に抱かれ、朽ちて逝け」

 鋼鉄の響きを庭園に響かせ、空間ごと縛り上げるように鎖は縦横無尽に駆け巡る。為す術もなく絡め取られたセイバーは十字架に磔にされた聖人の如く、四肢を縛り上げられたまま中空へと祀り上げられた。

 次いで生まれた暴風。英雄王の引き抜いた奇異な剣から発生する風の勢いは凄まじい。乱立する剣を吹き飛ばし、砕けた石柱の破片を粉砕し、紅蓮の炎すら掻き消した。
 風を呼び、風を引き込み、更なる風を生む剣ならざる剣。英雄王が所有する数多くの宝具の中の頂点に君臨する至高の剣。銘無き剣であるが故、王は“エア”と呼ぶまさしく覇王の剣が産声を上げていた。

 王の持つ至上の宝具。その二つを持ち蹴散らす事こそ最大の返礼。聖杯の起こした本来有り得る筈のない邂逅に幕を引く決定打。原初を体現する宝剣を手懐けて、振るわれる風が世界ごと全てを両断する──

 そう思われた時。教会全体を包む激震が彼らを襲った。

 訝しんだ王は辺りを睥睨した。轟音を響かせ崩れ落ちていく白い岩塊。これまでの戦いの影響か、支柱を数多く失った教会の壁面には無数の傷痕が刻まれている。音は亀裂をより強大なものとし、大地を割るかの如く脆い部分より壊れていく。

 間も無く教会は崩落する。誰の目から見ても明らかだった。

 王は露骨な舌打ちと共に手にした至高の剣を収め、セイバーを捕えていた鎖さえも解き放った。王の赤い双眸が見据える先は地下への階段だった。

「……これまでか。今アレを失っては余りに興が醒める」

 くず折れたセイバーには一瞥もくれず、王は背を向けた。壊れた玩具にはもう用などないと言うかのように。







 時を同じく、地下聖堂にも崩落の余波が起こっていた。地上ほどの規模ではないが、もし完全に崩れ落ちるとすれば地下の方が危険が大きい。天井が崩れ去れば、最悪生き埋めにされかねないのだから。

 突然起きた震動は狂気に駆られた凛に僅かばかりの理性を取り戻させ、死地への踏み込みを留まらせた。迎え撃つ覚悟であった綺礼もまた、これ以上の戦闘行為は得策ではないと判断してか、間合いを空けようと地を蹴った凛を追従しようとはしなかった。

「アーチャーめ。えらく派手にやってくれたものだ」

 抑揚のない低い声が崩落の中に微かに響く。未だ構えを解かない凛ではあっても、自身の置かれた状況と恐らくは地上で起きている戦闘がこの場所にまで派生してきたのだとは理解できた。

 けれど、胸に渦巻いた感情は騙せない。目の前の男が父を死に追いやった。父は決して復讐など望んでいないだろう。凛にもし望むものがあるのなら、それは魔術師としての悲願に他ならない。けれど、娘としての想いが沸き立つ憎悪を燃え上がらせていく。

 ただ同様に、現在の状況を冷静に見ている彼女自身が居たのも事実だった。それでも、激情の余波は震動にすら勝るとも劣らず凛を衝き動かしかねないものだったが。

「これまでだ、凛。この場所は何れ崩れ落ちる。死にたくないのなら去れ」

「……そうしたいのは山々だけどね。こっちにだって退けない理由があるの。綺礼、アンタは絶対許さない」

「吼えたければ吼えればいい。掴みかかりたければ掴みかかって来い。だが今のおまえには無理だ。
 冷静さを欠いた者ほど御しやすいものもない。怒りに身を任せ父の無念と共に眠りたければ別だがな。それに────」

 ふと綺礼が視線を上げる。未だ閉ざされていない地上への扉から、セイバーと共に出て行った筈のアーチャーが全く変わる事のない姿で降りてきていた。

 悠然と歩を進めるアーチャーがこの場所に姿を現したということは、セイバーは敗北を喫したのだろう。正規の契約手順を踏んでいない凛にはセイバーの生死も状況も皆目検討のつかないものであったが、その程度は読み取れた。

 絶望的な状況下において、凛は死を甘受出来るほど達観もしていなかった。握り締めた短剣をなお強く握り、前後に迫る敵を睥睨し。

 けれどアーチャーはまるで凛など目に映っていないかのように、一瞥もくれる事無く脇を通り過ぎた。

「傷はつけていないだろうな?」

 アーチャーは綺礼の後ろにある玉座に目を滑らせる。これだけの崩壊の中に在りながら凛と綺礼の戦闘の最中にあっても微動だにしなかった黒い騎士を視界に収めていた。

「ああ。だが時間の問題だな。どこかの無法者が我が教会をこれほど破壊してくれたお陰でな」

「言うな。多少興が乗りすぎたが故だ。もっとも、今ではそれも泡沫の夢であったかのように感じられるがな」

 言って、ぐるりとアーチャーは顔を後ろに振り仰いだ。炎の赤色が初めて凛を見た。

「疾く去ね、女。目障りだ」

 背筋を凍りつかせるアーチャーの言葉に凛は思わず一歩後じさる。喉を出かけた声を噛み殺して、凛は階段へと走り出した。
 どうしようもない敗北。敵に見逃されるその無様を、噛み切った唇より溢れた血と共に飲み込んだ。

「……ああ、忘れていた。凛、おまえの危惧していた間桐桜の所在だがな。この教会にはいない。危害を加えるつもりも一切ない。だから安心して逃げるといい。
 それと。私はおまえか衛宮士郎に聖杯を手に入れて欲しいと思っている。だからせいぜい頑張ってくれ」

 かけられた声にも脇目を振らずただただ長い階段を駆け抜けた。口の中を蹂躙する血の味は、惨めな自分を表す敗走の味がした。







 地上へと躍り出た凛を迎えたのは瓦礫の山だった。一体どんな戦闘を行えばこれほどの破壊を生み出せるのだろうと呆れにも似た辟易を零し、その少年の姿を認めた。

「セイバー!」

 声を上げても、駆け寄り揺すっても微動だにしない。所々が破けた衣服は血塗れで、露になった肉は赤黒く変色している箇所までもある。辛うじて息はあるようだったが、自らの力で立ち上がるどころか意識の回復すら望めそうになかった。

 ただの人であれば死に体となっていてもおかしくは無いその傷で、なおセイバーを生かしているのはサーヴァントという特性だ。そしてもう一つ。サーヴァントが持ち得る実体と霊体とを変移する術をこの少年が持ち得ない事も知っていた。

「よっ……と。あら、思ったより軽いわね」

 元より赤い衣服に血の付着を厭わずに、凛はセイバーを背負った。静かな寝息は、状況を無視しさえすれば未だ幼さを残す少年そのものだった。

 小さく零した笑みをすぐさま振り払い、凛は出口を目指して歩を進めた。恐らくだが、綺礼もアーチャーも追っては来ない。アーチャーはえらくあの少女騎士にご執心のようだったし、綺礼は綺礼で嘘か本当か判らずとも凛に聖杯を委ねたいと言っていた。

 あの男の言ほど信じ難いものもなかったが、今だけは信じてみよう。今この状況でそんな事を口にした意味を重ねて。

 やがて中庭を抜けようかというところでふと凛の脳裏に浮かんだ厭な事実。崩落を始めているこの場所からの脱出は急務だが、戻る場所をどうするか。無論、遠坂邸への帰還が最上だが、こんな血塗れの少年を背負ったままで未だ日の高い街中を闊歩すればどのような目に遭うか、想像に易い。

 一先ず何処か人目のつかない場所に身を潜めて、夜になるまで待つしかないか。と凛は結論付けた。
 そうして。礼拝堂を抜け、広場へと足を踏み出したところで凛は足を止めた。止めざるを得なかった。

「ぁん? 誰かと思えば嬢ちゃんか」

「……ランサー?」

 蒼い痩躯がそこにあった。ニヤリと笑みを浮かべた、ランサーのサーヴァント。







 崩れ行く地下聖堂。美しさを誇っていた教会が、ただの鉄屑の塊へと変わっていく様は実に感慨深い。形あるものは何れ全てそのあるべき形を保てずに崩れてゆく。
 長らく時を過ごしていたこの教会。父である璃正が命を散らせた教会の崩壊を目前にしても、今の綺礼はただ形を失くしていく建造物に深い感慨を覚えるだけで、悲しみも寂しさも胸に沸き立つことはなかった。

 それは恐らく、この男も同じなのだろう。座したまま動かない少女の頬を愛でるように優しく指を這わす。男にはこの少女しか目に映っていない。

「起きろ、セイバー」

 男の声を合図として、少女が重く決して開く事のなかった瞼を開いた。色素の薄い瞳はどこかまだ虚ろで、焦点があっていない。糸に釣られた人形のように感情の無い瞳が僅かに揺れて、けれどすぐさま虚空を眺め始めた。

「覚醒はまだか」

「そのようだ。だがまあ問いかければ意識を開くし、命令を下せば従順に応える辺り、“あの”セイバーとはとても思えんが。我にしてみれば都合がいい」

「それとて致し方ないだろう。おまえと違い、この少女はこの世全てを呪う悪意に呑み込まれたのだからな」

「……ふん。しかし直に目覚めるであろうよ。悪意に犯され、なお自我を完全に失っていないのは、この世の全てと比してなお尊いと信じる理想があるからだ。
 王としての在り方を履き違えた、けれどだからこそ儚くも眩いもの。愚か故に美しい、我しか愛してやれぬその破滅。
 聖杯へと手が届くその時こそ、十年前の続きを始めよう」

 王に促され立ち上がる黒い少女。幽鬼のような足取りで、追随するように並び立つ。

「綺礼。我はもう飽いた。多少は愉しませてくれると踏んだアレですら、我の失笑さえ買えなかった。
 詰まらぬ茶番はもう終わりだ。早々に聖杯を降ろし、此度の喜劇に幕を引く」

「好きにするといい。凛にばれてしまった以上、もう身を隠し続ける必要性もない。私はただ、全てが終わった後に来る者の生誕を祝福するだけだ」

 王の手が翳される。虚空より飛び出した剣が、もう一人、この地下聖堂に囚われていたキャスターの胸を貫いた。
 沸き上がる絶叫。悲鳴。衝撃は血を撒き散らし、華を咲かせて枯れ落ちた。

 王があの夜、キャスターを殺さずに捕えたのは、利用価値があると踏んでいたからだ。だが今ではもうその価値はない。手駒を弄し踊り狂う者を眺める余興にも些か飽いた。彼を愉しませるものはもう、聖杯の降臨による破滅しかない。

 ならば後は、己が手で終止符を打つだけだ。圧倒的な暴力で以って、此度の聖杯戦争に決着を。そう決定が下された以上、キャスターには存在価値も利用価値も失われていた。だからこその一閃。

 地より吼え猛る慟哭と迫る崩壊の足音の中、彼らは廃墟になりつつあった神の社を後にした。





/2


「助かったわ。ありがとう」

 場所を移し、郊外に程近い森の中。近隣住民もあまり近寄らない森林内に、凛は身を潜めていた。

「なぁに、気にすんな。ついでだ、ついで」

 ランサーには敵対心の欠片も無く、それどころか痛んだセイバーを担ぎこの場所まで連れて来てくれた。
 以前学校で出会ったとき言っていた言葉を思い出す。ランサーの望みはあくまで死力を尽くした闘争の中にこそ在る。だから瀕死にまでなったセイバーには何の価値も見出していないのだろう。

「ところで貴方、あんな場所で何してたの?」

「ただの哨戒だよ。昼間の戦闘はすんなって厳命されてるんでね。街をぶらぶらしてりゃ明らかな戦闘の気配が漏れてやがる。何処の馬鹿が昼間っからやりあってんのかと思ってちょいと覗き見しようとしたらよ、丁度良く嬢ちゃんが出てきたってワケだ」

「そう……。まあ、そうよね。教会を崩壊させるほどの戦いをしていれば、感づかれない筈もないか」

 木に拠り掛けた少年を見やる。出来る限りの治療は施したけれど、未だ目を覚ます気配も無い。あの騒乱を起こすほどに力を使ったのだ、無理も無い。

「で、何があった?」

 赤い瞳が降り注ぐ。獲物を前にした獣じみた鋭い双眸。一々細かい事情は必要ない。全ての核心を衝く一言を口にした。

「別に隠す必要も無いか。というか、知っておいて貰った方がいいし」

 一つ嘆息を零し凛は一部始終を話す。もし心構えなくあの主従にぶつかったのなら、十中八九敗走する羽目になるだろう。本来いる筈のない者。立場からの警戒心の緩み。幕の下りる最後の場面ではなく、今真相を知る事が出来た事実を良しとするしかない。

「へぇ。いる筈のない八人目、ね」

 十年前から現界している受肉したサーヴァント。正しく聖杯戦争を行おうとする者にとって、これ以上の例外もない。逃げ回り生き残った者ならばいい。だが勝ち残ったのなら、話は別だ。聖杯へと手が届くその間際、伸ばした手を足蹴にし横から掠め取るような真似をするなど許せる筈もない。

 いや、凛が推測する限り、あの男はそんな真似はしない。堂々と、正面から奪い取りに来るだろう。それだけの実力と存在感を兼ね備えた強敵であると認識していた。

「ま、関係ないわ。ソイツがいようがいまいがやる事に変わりなんかない」

「そうね。貴方ならそう言うと思ったわ」

 この男の心構えは実に心地よい。苦悩なんて知らないのではないかと勘繰ってしまうほどなのに、どこか憎めないのだから。

「そういう嬢ちゃんはこれからどうするんだ? もちろん続けるんだろ?」

「当たり前よ。こんなところで引き下がれるわけないじゃない。ほんと、頭の痛くなる事ばかりだけど」

 結局息巻いて教会に乗り込んでおいて得られたのは手痛いしっぺ返しだった。言峰綺礼の本性と第八のサーヴァントの存在を確認できたのが、不幸中の幸いといったところか。

「そうかい。ま、せいぜい頑張んな。次逢う時はちゃんと戦りあおうぜ」

「ええ。返り討ちにしてあげる。貴方のマスターにも言っておいて」

 あいよ、と笑みを浮かべてランサーは背を向けた。ちらりと、一度だけ視線を横たわったままのセイバーに滑らせる。

「なあ……アーチャーの野郎とあの坊主はどうした?」

「衛宮くんは多分アインツベルンの城にいると思うわ。アーチャーは……」

 言い澱んだ凛ははそれ以上の言葉を紡げなかった。あの男が今何処で何をしているのかなど、判らない。ただ胸に焼き付けた刻印を消し去る為だけに行動しているのだろう。
 ざり、とランサーが強く枯れ葉を踏んだ。凛は落としかけた視線をもう一度上げて、槍兵の背中を見つめた。

「心配すんな。その内アイツも引っ張って来てやる。オレの前で主君を裏切った大馬鹿野郎には、地に頭こすり付けて謝罪させなきゃ気が済まねえからな」

 じゃあな、と凛の返答など待たずランサーは去った。

「本当、お節介なんだから」

 ランサー……クー・フーリンの逸話については凛も少なからず知っている。その壮絶な命を散らすまで、決して仕えた主君を裏切らなかった忠義の騎士。蛮勇と叫ばれるあの時代において、誇り高くも自らの信念を貫いた一本の槍。

 なるほど、ならばあの男ほど、英雄という言葉が似合う者もそういまい。そんな癖に、妙にさばけているというか、人懐っこいというか。

 溜め息を一つ零して頬を叩く。気合を入れ直し、高く遠い空を見上げた。ランサーに引っ張って来て貰う必要など無い。同じこの空にいる限り、必ず見つけて謝らせてやると、硬く決意した。





/3


 夜半。

 昼間の内に言峰の教会の崩壊の報は世間へと浸透していた。但しその内実は隠蔽され、老朽化が進んでいた為とだけ報じられた。

 捜査の手も一般の捜査機関が入らず、全て聖堂教会……言峰綺礼の息の掛かったものの手で行われた。
 本来禁じられている筈の教会という中立場での戦闘行為もお咎めなどない。彼らの最優先すべき目的は神秘の隠匿ただ一点。表向きに老朽化が原因と報じられた時点で、それ以上の関与など考える必要性も無い。

 監督役たる言峰綺礼が咎を下さぬ以上、今回の一件は決して衆生には広まらず、また参加者たるマスター達にも知れ渡る可能性はない。

 そんな中、言峰綺礼の隠し続けていた地下聖堂への入り口もまた、彼らの目には留まることは無かった。故意かあるいは事故か、地下へと続く階段は瓦礫により完全に封鎖され、また衆目に晒されにくい位置関係にあった為にそれもまた致し方の無い事だった。

「…………っ、──……ァ」

 だから、彼女の存在もまた誰に知られること無く一夜を過ごす羽目となった。

 ギルガメッシュの手により穿たれた剣は変わらず彼女の胸を深く抉ったままだった。奇跡的に崩れた天井の瓦礫の直撃を受けずに済んだキャスターは、誰に知られることも無くただ呻きを漏らし続けていた。

 もう体内より吐き出す血など無い。残った魔力など微々たるもの。今手足を縛り付けている鎖が何かの拍子に外れでもしたら、頭から地面に落ちて微かに残った命の欠片を零してしまいそうだった。

 早く楽になってしまいたい。早く殺して欲しい。石ころでも何でもいい。一撃。小さな衝撃を与えてくれれば、それだけで命を散らせるというのに。それでもまだ彼女は生き永らえていた。

 幸か不幸か、この場所は冬木でも強い霊脈の上に建造された建築物。魔力の恩恵を受けるには絶好の場所だった。
 死にたいと望みながら、醜く生にしがみ付いて地脈から魔力を吸い上げる。吸い上げた傍から胸に穿たれた穴より霧散して、また吸い上げるという悪循環。

 決して増えない命の水嵩。崖先に指一本でぶら下がる危険な状態。けれど、それでもキャスターは必死に生にしがみ付いていた。

 消えたくない。死にたくない。まだ世界には未練があった。失いたくない人がいた。蔑みしか与えられなかったいつかの時代、けれどこの世界で、本当の温もりを知ったから。
 幾ら命を繋ごうと、もう自分には願いは叶えられない。聖杯へは届かない。その先に夢見た平穏は手に入らない。けれどせめて、最期にあの人の顔を見たかった。

 来る筈などない。何事にも無関心だったあの人が、まさか自分がこんな場所に囚われているなどとは思いはしまい。それ以前に、誰かを助けようと思うことがあるのかすら判らなかった。

 そう、判らなかった。キャスターには、あの人が何を考えていたのか最期まで判らなかった。ただそれでも。あの人の温もりが好きだったから。ただそれだけで、今の自分には充分だったのだ。

 その時、何かが崩れるような音がした。不均衡な足場に乗っていた岩塊が崩れたのだろうと思ったけれど、次いで響いて来たのは足音のようだった。
 五感すらままならないキャスターにとって、それはあくまでそんな気がしただけだった。もう気配を探る力すら残されていない。ただその虚ろな闇の中で、それは己の目の前で足を止めたような気がした。

「……そう、いちろう……さま?」

 無論確信などない。でも何故か、そんな気がしたのだ。魔術的な要素など欠片も無く、人としての感覚すら失われたキャスターがそう感じた要因は一つ。何故か、心が叫んだのだ。

 目の前にいるであろう誰かは声を発しない。いや、もしかしたら誰もいないのかもしれない。その可能性の方が高いだろう。こんな場所にわざわざ訪れようとする者などいる筈もないのだから。

 それでもなんとか、曖昧な感覚を総動員して顔を上げた。虚ろにしか映らない視界。完全に天井の崩れた場所があるのか、微かな灯りが差し込んでいるのだけは判った。

 焦点などもう合う筈もない視界にはやはり、人の姿などなかった。淡い期待を寄せた胸中に落胆の色を滲ませた時、その感触を思い出した。

「…………ぇ?」

 ぼろぼろの身体を包む柔らかな温もり。あの夜、ずぶ濡れの自分を抱いてくれたあの人と同じ温もりを、失った感覚の先で感じ取った。

「ぁ、……あぁ…………っ!」

 零れたのは感嘆と、涙。脳は目の前にあの人はいる筈はないと理解しているのに、身体が否定し預けてくる。温かな感触を。柔らかな温もりを。
 包み込まれるように腕に抱かれ、咽び泣く。声にならない必死の懇願。

 死にたくない。消えたくない。まだ私は、貴方の傍に居たい。

 届かない声を張り上げて、魂に刻んだ想いを叫びに変えて。ただ、愛しい人の名を響かせる。目の前にあるものが幻だろうと構わない。偽物だろうと構わない。この身体を包んでくれる温もりが真実ならば、他の全てなど偽りで構わない。

 胸を裂く想いを吐露。幼子のように泣き叫ぶ彼女をより強く温もりが抱いた。

 最上の幸福と、絶望にも似た状態の中、透けるように彼女の身体は消えていく。命を繋ぎ止めるだけで精一杯だったものを使い切り、一時の夢の代償だとばかりに己の身体を奪っていく。

 避けようのない消滅を間近に控え、キャスターは虚ろな瞳を少し上げた。その瞳には確かに、想い人の姿が映っていた。どんな奇跡が起こったのかなんて知らない。一番望んだものは手に入らなかったけれど、この人の腕に抱かれて逝けるのならばと、最期の祈りを口にした。

「宗一郎さま……愛しております…………」

 しっかりと笑えた自信がない。けれど、一番伝えたかった言葉は伝えられた。もう見る影も無い自分の姿。後はもう、風に攫われるように消えるのだと理解して。

「そうか」

 その最期に。そんな、聞き慣れた音を拾った。一際強く抱き締められた。さよならは言わない。伝えるべきはきっとありがとうの言葉。もう口も開けないから、精一杯の笑顔を浮かべた。

 今度はちゃんと、笑えた気がした。







 今宵もまた一つ、命が消えて闇が踊った。

 天高く、深海にたゆたう街並みを見下ろす白月の下、蒼い闇の中に浮かぶ赤い外套。どこまでも無機質な鈍色の瞳が、見えない筈の生まれた闇を見据えているようだった。

「桜……」

 呟いた声は誰にも届かない。強風に煽られ、意味さえも失って。透けるように、消えていった。













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