剣の鎖 - Chain of Memories - 第四話









「───こんばんわ、お兄さん。貴方がボクのマスターですか?」

 凛とした声、しかし外見相応の幼さを残した声で少年はそう言った。

「え………マス……ター……?」

 問われた言葉を口にするだけ。
 脳が理解に追いつかない。
 この少年が何を言っているのか、何者なのかすら判らない。
 ただ今の自分が判る事と言えば───自分はこの少年に助けられて、そしてこの少年もまた、外に飛び出したあの男と存在を同じくする者だという事だけ。

「…………………」

 それ以上の言葉が出ない。
 少年もこちらを窺うように観察するばかりで、口を開こうとはしなかった。

 ────その状況をなんと言えばいいのか。

 沈黙と視線だけが数瞬交錯した後。

「────お兄さん?」

「え……あ、え?」

 未だ気が動転している俺は言葉にならない声を発し、少年はその様になるほど、と何かに納得して頷いた。

「まだ現状を把握できていないようですね。
 ですが構いません。
 貴方からボクとの繋がりを感じますし、契約は既に完了しています」

「な……契約ってなんの────!?」

 俺だって魔術師の端くれだ。その言葉がどんな物かは理解できる。
 だが少年は俺の問いになど答えず、頷いたときと同じ神妙な顔つきで視線を背けた。

 ────向いた先は外への扉。
     その奥には、未だ双剣を構えた男の姿がある。

「ボクはあの人の相手をしてきますので、お兄さんはここでゆっくりしてて下さい」

 言うが早いか、少年は先程と同じ視えない何かを携えて、土蔵の外へと飛び出した。






遠い天明/Nocturne II




/1


「──────」

 呆然としていたのは一瞬の間だろう。
 だが気がついた時には既に少年の姿はなく、冷たい風だけが吹き込んでいた。

「くっ」

 腕の痛みも滴る血さえも忘れ、立ち上がって少年の後を追う。
 相手をする……? バカな。あの少年があの男に勝てる筈がない。俺はあの男の戦いを見ている。あの───人の限界に到達しうる剣舞を。
 それをあんな華奢な身体で、ましてや俺より幼い子供がどうしてあの男を打倒出来よう。

「やめ────!」

 ろ、と叫ぼうとした声は、その音で封じられた。

「な…………!?」

 我が目を疑う。
 今度こそ、何も考えられないぐらい頭が空っぽになる。

「なんだ、アイツ────」

 響く剣戟。
 月は雲に隠れ、庭は元の闇に戻っている。
 その中で火花を散らす鋼と鋼。

 土蔵から飛び出した少年に、赤い男は無言で襲いかかった。
 少年はその一撃を携えた“何か”で払いのけ、更に繰り出される双剣を迎撃し、巧みに敵の懐へと飛び込んだ。
 それと同時に赤い男が僅かに後退しつつ踏み込んだ少年へと剣を繰り出し、その間合いへの進入を防いでいた。

「──────」

 信じられない。
 あの少年は、その体躯の差を何事も無いかのように覆し、赤い男と互角に打ち合っている。

 ────戦いが、始まった。

 先程の俺と男のやりとりは戦闘ではない。
 戦闘とは互いを仕留めることの出来る能力者同士の争いである。

 その意味では両者の争いは戦闘だった。
 見惚れるほどの剣技を間断無く繰り出す赤い男もそうならば、その全てを迎撃しあまつさえ踏み込もうとする少年もそうだった。

 一進一退の攻防。

 体躯の差、手数で勝る赤い男の優位性は通常ならば揺るがない。だが少年の携える不可視の武器。それがその優位性を揺るがしていた。
 近接戦闘において視えない武器というのは余りにも有利なものだ。相手の間合いが計りきれなければ、必要以上に踏み込むことなど出来はしない。
 目測を誤れば即、死に直結する戦闘で無闇にその間合いに踏み込もうとするのはただの愚か者だけだろう。

 故に赤い男は迎撃に重きを置いた戦い方をしている。
 散っては咲く事を繰り返す火花。それを睨みつけながら相手の得物、その動きの全てを読み尽くさんと剣戟を高く響かせる。

 だが迎撃だけでは勝利は得られない事など、あの男なら承知している筈。
 ならば男は必ず勝負に出る。
 その勝負の瞬間を、一瞬の隙を、必殺の時を待ち続けているに違いない。

「ハァ─────!」

 赤い男の気勢が更に増し、剣速をなお加速させて少年へと繰り出す。
 それを渾身の力で防ぎきった少年は即座に体勢を立て直し、赤い男に向かって右手一つで視えないそれを振り上げる。
 その一撃を男の左手の黒い剣が肩口で絡めとり、もう一方の白い剣がその肢体を切り裂かんと空を薙ぐ─────!

「危な……………!」

 間に合わない。
 男の剣は寸分違わず少年の身体を両断する。
 そう確信した時────

 ぎぃんという衝突音。

 両者の動きが一瞬だけ停止し、その様を俺へと見せつける。
 男の薙いだ白の剣は、少年の左手に逆手で握られた二本目の武器───今度は視認出来る飾り気の無い剣───で間一髪防がれていた。
 その剣は柄と僅かな刀身だけがその姿を覗かせており、剣先は背後の何も無い空間によって遮断されているのが奇妙といえば奇妙だった。

 その激突の数秒後には両者は距離を取り、お互いを睨み合う。

 ────理解の上を行く攻防。
 今日二度目となるその戦いを、俺は知らず魅入っていた。

「──────」
「──────」

 少年は俺を庇うように庭に立ち、赤い男は不遜な態度のままこちらを見据える。
 誰もが口を開かず無言。無音。

 ────風だけがその戦場に音をもたらす。

「……貴様、本当にセイバーか?」

 そんな中、男が聞き慣れない言葉を口にする。
 それに少年は不可視の武器を携えたまま、

「さあ、どうでしょう?
 あいにくボクは相手に自分の手の内をひけらかすほど無能ではありませんから」

 挑発とも取れる言葉を発した。

「そういう貴方は剣は持っていてもセイバーではありませんね。
 そうでしょう────アーチャー?」

 剣士(セイバー)……弓兵(アーチャー)……。それがお互いの呼称なのだろうか。
 アーチャーと呼ばれた男はクッ、と喉を鳴らし両手にあった剣を消失させた。

「ふん…………まあいい。
 これ以上の時間は割けん。この場は退かせてもらおう」

「──────! 逃がすとでも?」

「止められると思っているのか」

 言葉を吐くのとほぼ同時、赤い男は大きく後退し弓を構えるように空に両手を添える。
 その一瞬後には襲われた直後に見た黒の洋弓と……五本の矢を両手に所持していた。既座に番えられた矢は俺と少年とを同時に狙い撃つように空を切る。

 いや───違う。

 ヤツの狙いは俺だ。俺を狙うことで彼の足止めをし、自分は屋根へと駆け上がっていく。
 どうすることも出来ない。
 動きながら間断なく放たれる矢。それを回避しようとしても、上を取っているあの男は僅かに射線をずらせば、すぐさま俺を狙い撃てる位置にいる。それに俺が無闇に動き回れば少年にこそ危険が及ぶ可能性がある。

 為す術なく立ち尽くす俺とは裏腹に、空中から矢は途切れることなく放たれ続け、それを少年は俺の前に立ち迎撃する。

 そして屋根の上へと辿り着いた赤い男は、さっきまでの矢とは違う………剣。
 そう、刀身が捻れている剣を弓に番えた。

「───────」

 言いようの無い不安が胸を包む。
 アレは……拙い。
 校庭で感じた嫌悪感よりは幾分かマシだが、アレも同種の不安を俺に抱かせる。

 ギシッ、という弦の張り詰める音。

「────逃げ………!」

 咄嗟に口から出た言葉を咀嚼する。
 逃げる? 何処に?
 ────無理だ。逃げ場など何処にもない。
 俺と少年がこの場を離脱する方が早いか、あの剣が放たれる方が速いか。
 考えるまでも無い。

 男の口元が歪に吊り上がる。
 だが─────

「………………」

 俺を一瞥して、アーチャーと呼ばれた男は屋敷の向こう側へと消えていった。







 静けさを取り戻した庭に立つのは、未だ状況を理解できていない俺と突如俺の目の前に現れた少年だけだった。

 はあ、と肺に溜まったモノを吐き出し、その少年を見る。
 さっきまでその手にあったと思われる不可視の武器はいつの間にか消え、両手には何も握られていなかった。
 そして少年の瞳が見据えるのは虚空。アーチャーと呼ばれた男が逃げた方向ではなく、塀の向こうをただ睨んでいた。

「………なるほど。そういうことか」

 何事かを呟いて、少年はくるりとこちらに向き直り、

「お兄さん、怪我はありませんか?」

 そう、にっこり微笑んで言った。

「え、ああ。大丈夫だ」

 さっきまでの雰囲気は消え、見た目相応の笑みを見せる少年に答えを返す。
 助けられる前、襲撃された時に受けた矢での一撃による怪我はあるが、それ以降に受けた傷は無かった。

「ダメですよ、嘘ついても。
 その怪我は…………うん? ああ、なるほど。自己治癒の魔術をかけてるんですね」

「は? いや、そんなことは────」

 言われて視線を矢を受けた箇所に向けてみると、確かに傷口が塞がりかけていた。
 と言っても受けた直後に比べれば塞がっている程度のモノで、とりあえずの処置は施さなければならない状態だ。

「ま、なんでもいいです。
 先程も訊きましたけど、お兄さん、今自分が置かれている状況判ってないですよね?」

 それにこくりと頷く。

「ではボクの知る限りの事をお伝えします。
 ……そうですね。ここは冷えます、屋敷の中へ入りましょう」

 見事なまでに仕切って、俺の返事すら待たずに少年は屋敷へと歩いていった。
 ……まあ、何でこんな目に遭ってて、アイツは一体何者なのかを教えてくれるって言うんなら構わないけど。
 それに命を救われた恩人でもあるからな、うん。

 ────だけど。

「そういえば俺……アイツの名前、聞いてないな」





/2


「ハ────なるほどね」

 衛宮邸より百メートル余り離れた家屋の上。遠見(ケーナズ)のルーンで二人の戦いを俯瞰していたランサーが呟いた。

 本来ならばその戦場へ乱入するのもやぶさかではなかったのだが、珍しくこの時間に起きていた、見逃した少年の行方を追えと命を下した張本人───バゼット・フラガ・マクレミッツ───がラインを通し、両者の力量を測るように告げてきた。

 実際ルーンのほとんどをバゼットの方へ回している現状で、連戦しかも下手を打てば二対一になる戦いを避けたかったというのも、ランサーとバゼット二人の合意だった。

 ランサーは死力を尽くした戦いを望んでいるが、命を無駄に散らせる戦場に降りる気は毛頭ない。それにやるならばやはり一対一が望ましい。周りを気にする事なく、全力で相手を打倒する戦いこそを望んでいた。

「アーチャーが最後に見せようとした一撃…………オレの存在に気づいて、撃たずに消えやがったな。
 ま……それだけじゃねえだろうけどな」

 ランサーの勘が告げている。あの男は、たとえ自分がこの場におらずとも矢を放たずに去ったであろう、と。
 それがその威力ゆえか、逃走という一手を選ぶ段階で奥の手を見せることはない、という考えなのかは分からないが。

「それにしても……あの小僧……本当にセイバーか?」

 七騎のサーヴァントの中でも最優と謳われるセイバーのサーヴァント。
 過去四度行われたこの聖杯戦争でも、幾度となく勝利の一歩手前まで駒を進めてきた三騎士の中でも随一の使い手。
 だが今の戦いを見る限りではそれほどの使い手でもない。アーチャーと渡り合えたのはあの視えない剣のおかげだ。
 素でアーチャーを圧倒できるランサーならば、不可視というアドバンテージを生かす暇を与える事無く、勝利は自ずと手中に収まるだろう。

「まあ────本気じゃなかった、と言えばそれまでなんだが」

 アーチャーとて最後こそ弓を使ったが、そのクラス名が偽りでなければ近接戦闘より遠距離からの狙撃を得意とする筈だ。
 まだ幕は開けたばかり。互いが互いの腹を探り合う準備段階。

「────おもしれえ。
 待ってろよ、サーヴァントども。一人残らず、相手をしてやる───!」

 凶暴な笑みを顔に貼り付け、音も無く屋根を蹴る。
 胸を占めるのは闘争心と欲望。
 自らの願いが眼前にあることに歓喜し、ランサーは独り闇に溶けていった。







 痛む傷口の手当てを終え、居間で座して待っていた少年にお茶……見た目考慮で紅茶を出したのがつい先程。
 それに少年は「すいません、ありがとうございます」と、にへらと笑い、優雅に紅茶に口をつける。それに倣い、自分も久しぶりに飲むインスタントの紅茶で冷え切っていた体内を温めているのが今だ。

 ─────カチ、カチ、カチと時計の針だけが進んでいく。

 紅茶を飲み終えた少年は、何を切り出すでもなく、俺の家を物珍しそうにぐるぐると眺めていた。

「……………………」

 カッチ、カッチ、カッチ。

 ……気まずい。
 そりゃ助けられたとは言っても相手は名前も知らない子供だ。話があるって言ってたし説明をしてくれるんだろうけど、一向に切り出す気配がない。
 ならいっそこっちから話を─────あ。

「なあ、ちょっといいか?」

「はい、なんでしょう?」

 くるくると動いていた目が俺に焦点を合わせる。

「ありがとう」

「え?」

 驚きに真っ赤な目を丸くしている。
 俺、別に変なことは言ったつもりはないんだけど。

「まだ礼を言ってなかったと思って。
 助けてくれてありがとう。
 あのままじゃ俺、どうなってたかわからなかったからな」

 実際見通しが甘すぎた。
 相手の実力は判っていた筈なのに、武器を得る為に自分から袋小路に逃げ込むなんてのは間違っていた。
 確かに身を守るモノは得られたけど、結局俺の力はそこ止まり。あのまま続けていたらまず間違いなく今この場に俺はいないだろう。

 だが少年は俺の思いなど知らぬ素振りで、

「感謝の言葉なんて必要ありません。
 マスターを守るコトはサーヴァントの務めですから」

 まるで俺を守った事が義務であるかのように言った。

「えーと……さっきから何度か聞いているけど、そのマスターとかサーヴァントとかって一体何なんだ?」

 いや、俺だって半人前とはいえ魔術師だ。多少の事は理解できる。
 少年が俺をマスターと呼び、土蔵の中で聞いた契約という言葉。それらから察するにこの少年は使い魔の類に間違いない。

 だが使い魔とは、魔術師を助けるお手伝い的なモノだと聞く。大抵は魔術師の身体の一部を移植され、分身として使役されるモノを言うのだとか。
 それ故に、出来るだけ魔術師に負担をかけないよう、あまり魔力を必要としない小動物が適任とされる。

「ああ、そうでした。お兄さん、何も知らないんでしたね。
 すいません。ちょっと見たことのない造りの家だったんで興味を惹かれちゃって忘れてました」

 ────のだが、にぱりと微笑むこの少年はどう見ても人間だ。しかも明らかに主である俺より戦闘能力では優れている。
 そんな相手を縛り付ける魔力なんて俺にはないし、そもそも使い魔を使役するだけの魔術回路もない。

 ……まあ一人で思い悩んでも仕方がない。説明してくれるって言うんだから、それを聞いてからもう一度良く考えよう。
 思考を切り替えて、少年の言葉に相槌を打つ。

「ん、そうなのか」

 そりゃそうだよな。
 金髪赤目、どう見ても現代風じゃない衣服を身に纏う異国の少年、って感じだ。

「じゃあそろそろ説明しましょうか」

「あ、いや、待った。その前に訊きたい事がある」

「なんですか?」

「名前だ。なんて呼べばいいのか分からないんじゃ、話しづらいだろ。
 俺は士郎────衛宮士郎だ。好きに呼んでくれ」

 俺の言葉に何事かを口の中で反芻すると、

「じゃあ、お兄さんで」

「………………………」

 そりゃ好きに呼んでいいとは言ったけどな。
 まあいいけど。

「それで、おまえの名前は?」

「うーん……そうですね」

 首を傾げ、本気で悩んでいるような素振りを見せる少年。
 なんで自分の名前で悩む必要がある?

「便宜上……セイバー、としておきましょうか。話の中でその辺りの詳しい説明もしますから」

「ああ……わかった」







/3


「────凛、今戻った」

 ゆらりと音もなく実体化したアーチャーがそう言った。

「遅かったわね。何してたの?」

 それに驚いた様子もなく、ソファーに腰を下ろし運んできたポットから自身のカップと用意しておいたもう一つのカップに紅茶を注ぐ。
 日付は既に変わり、一時を回っている。
 それでもなお、凛は着替えもせずにアーチャーの帰りを待っていた。

「とりあえず座ったら」

 そう促されて僅かの逡巡の後、アーチャーは凛の向かいのソファーに腰を下ろす。
 座ったことを確認すると凛はアーチャーの前に紅茶を置いた。そうして自分もその淹れたての、今日何杯目かの紅茶を口元に運び────

「サーヴァントと戦ってきた」

 ────盛大に噴き出した。

「………………凛」

「あ、アンタ……! 今なんて言ったの!」

「……サーヴァント、おそらくはセイバーと戦ってきたと言ったのだ」

 ぽたり、ぽたりと垂れる雫を払うように髪をかきあげ、アーチャーは何でもないように口にした。
 凛はティーカップをテーブルへと戻し視線をあげる。そこには先程までの柔らかな空気をまるで感じさせない剣呑な雰囲気だけがあった。

「詳しく話して」

「元よりそのつもりだ。
 ああ……その前に一つ訊いておきたい事があるんだが、いいかな?」

「何?」

「あの小僧……学校で気絶していた男に、君はちゃんと記憶操作を施したのか?」

「………………………………………………………………………………………………………
 ……………………………………………………………………………………………………あ」

 心底しまった、という風に自分の顔を手で覆い隠す凛に、やれやれ……そんな事ではないかと思った、とアーチャーは腕を組んで溜め息を漏らす。

「また……やっちゃった。
 ああ、もう! それならすぐに行かないと……!」

「その必要はない」

 立ち上がり、コートに手をかける凛をアーチャーは一言の元に制する。

「なんでよ? 一般人に魔術の痕跡、神秘の欠片でも見られるような事は避けなければならない、っていう事くらいアンタでもわかってるでしょ?」

「もちろんだ。だから必要ないと言っている」

「?」

 頭の上に疑問符を並べながら凛は小首を傾げる。

「珍しく察しが悪いんだな。
 あの小僧────学校に倒れていた男は、こちら側の人間だ」

「──────!」

 凛の目が大きく見開かれる。
 学校に倒れていた少年……衛宮士郎がこちら側の人間……彼が魔術師だというアーチャーが告げた事実は、彼女を戦慄させるには充分だった。

 なぜなら────

「嘘…………アイツから魔力を感じた事なんてなかったのに……。しかもよりにもよってなんで……」

 魔術師はどんなに隠そうとも微かな魔力を帯びている。
 凛とて二年通った学校ともなれば、その残滓を残しているだろう。たとえ凛本人がその場に居らずとも、それなりの魔術師ならその残り香を感じ取ることなど造作もない。

 だが衛宮士郎はそれをまったく感じさせない。いや──それどころか、本人からすら魔力は漏れていないのだ。
 そんな事が可能なのは魔力を隠匿する術に長けているか、魔力殺しのマジックアイテムを所持しているかのどちらかだろう。

 前者ならば不味い。
 凛ほどの魔術師に気づかせない隠匿術を持つともなれば、相当の手錬れだ。後者でも道具作成に長けているという点は見逃すことが出来ない。

 そう、ぶつぶつと自分の世界に浸透していく凛を見やり、アーチャーは口元に小さな笑みを作って言葉を紡ぐ。

「ああ、凛。君の危惧は意味がない。あの男はズブの素人だ」

「───────へ?」

「自分が何を召喚したかもわからず、我等の戦闘を眺めているだけの男だ。
 あの顔を見れば誰でも理解出来る。
 まあ…………あれが演技であれば、確かに相当の手錬れと言えるな」

 皮肉の篭った声でそう言い、くつくつと笑う。

「……待って。
 つまり、セイバーを召喚したのは────」

「────凛の思い描いている通りの人物だ」

 そのアーチャーの言葉に凛はソファーに身体を預け、打ちひしがれたように項垂れた。

「どうしたのだ、凛?」

「はあ〜〜〜〜、そんな素人がセイバーを召喚するなんて……」

 あんなに宝石使って気合入れて召喚したのに……気合の方は空回りしちゃったけど……と聞こえそうで聞こえない声で呟く。
 そもそも素人がセイバーを引き当てるなんて一体どんなインチキ使いやがったのよコノヤロー、とらしくない悪態をついた。

「む。凛、前にも言ったと思うが」

 拗ねたような表情でアーチャーは凛を睨む。

「はいはい、分かってるわよ。貴方の事は信頼してるし、不満もないわ。
 で? セイバーってどんなヤツ? 強かった?」

 アーチャーに不満はない……が、自分が召喚する予定──少なくとも凛の中では──だったセイバーというクラスに興味、関心があるのだろう。
 凛はずいっと身を乗り出して、さっさと言えと言わんばかりに食って掛かった。

「凛……それは未練があるようにしか聞こえないな。それに顔が近い。
 ああ、まあそれはいいとして。セイバーは金髪赤目の少年……外見年齢は凛達より幾分か下、といったところか。
 腕は大したことはあるまい。あの視えない剣は厄介だが、それを差し引いても剣の腕は私と同等かそれ以下だ」

「………アーチャーより剣技で劣っているセイバー? それって本当にセイバーなの? アンタみたいに違うクラスのくせに剣を使ってるだけじゃないの?」

「詳しくはまだ判らん。クラス名すら明かそうとしない輩だったからな。周到なのか、ただ臆病なのかは定かではないが」

「ふーん……」

 最優と謳われるサーヴァント・セイバー。
 それがそんな素人同然の魔術師が引き当てたことによって、サーヴァント自体もそれに見合った英霊が呼び出されたのだろう、と凛は自己完結した。

 それだからこそ惜しい。もし自分がセイバーを引き当ててさえいれば、勝利はその瞬間に手中に収まったと言っても過言ではなかっただろうに。
 凛は小さく溜め息を吐き出すと、カップに今一度手を伸ばした。

「で、凛。もう一つ聞き忘れていた事がある」

「何? アンタ今日そればっかね」

「…………。凛、君の願いは何だ?」

 幼少よりマスターとなるべく育てられ、それに従ってきた遠坂凛。
 そしてこの聖杯戦争は遠坂の人間にとっての悲願。
 ならばそこに目的がある筈だ。
 主の望みを知らなければ剣は預けられない、とアーチャーは口にする。

「願い? そんなもの、別にないけど」

「────なに?」

 その返答に、在り得ないモノでも見たかのようにアーチャーは目を丸くする。

「馬鹿な。聖杯とはどんな願いでも叶える力、現実の世界を手に出来る力だぞ。それを求めるというのに何も望まないと言うのか、君は」

「ええ。別に叶えたい願いなんてないし。
 ああ、それとは別に貰える物は貰っておくけどね。聖杯がなんだかは知らないけど、いずれ欲しい物が出来たら使えばいいだけでしょう? 人間、生きていれば欲しい物なんて数限りないんだし」

「───では、君は何の為に戦うというのだ」

「そこに戦いがあるからよ、アーチャー。
 遠坂の悲願…………聖杯の獲得。そんな理由も多少は絡んではいるだろうけど、わたし一個人には関係ないわ。
 わたし───遠坂凛は、ただ勝利を手にする為だけに戦うの。この答えじゃ不満?」

 それにアーチャーはふう、と肩を竦める。

「む………文句でもあるっていうの?」

「いや……まいった。確かに君は、私のマスターに相応しい」

「………う」

 その言葉と真っ直ぐな瞳に見つめられ、凛は頬を僅かに朱に染める。

「い、一応訊いとくけど。なんでわたしが貴方のマスターに相応しいのよ」

「言うまでもない。君は間違いなく最強のマスターだ。仕える相手としてはこれ以上の者はない」

「そ、ありがと。貴方に言われるなら世辞って訳でもなさそうだし」

 と照れくさいのか、凛は顔を背けた。

「ふむ……良い答えを聞けたのは何よりの僥倖だ。
 では凛。今の君の言葉を前提としてこれを訊いておこう。あの男……セイバーのマスターは君と同じ学び舎の生徒なのだろう。大丈夫なのか?」

「………それはわたしが彼を倒せるのか、ってコト?」

「ああ。君は確かに優秀な魔術師だが、まだどこかで甘さを捨て切れていない節がある。
 それは確かに美徳と呼べる点かもしれないが、戦場では別だ。
 一瞬の気の迷い、敵に情けをかける甘さは、時に手痛い仕打ちとなって返ってくる」

 君は冷徹な一魔術師として、それら全てを捨て去り敵を打倒する覚悟があるのか。とアーチャーは続けた。

 見据えるのは真剣な瞳。主を案じているというのもあるだろう。だがそれ以上にその言葉はおそらく、アーチャー自身の経験から来ている言葉だ。
 たとえ見知った相手と敵対したとしても、戦うと決めた自分の意思を貫き、その相手を打ち倒すことが出来るのか、と。

「────────」

 凛はカップをゆっくりと戻し、瞳を閉じる。
 相手の言葉は真剣そのものだ。ならば生半可な言葉を返す訳にはいかない。数秒……あるいは数分にも感じられた時間。
 思考が巡る。自分が戦う理由、相手を倒す理由。覚悟。決意。

「────愚問ね、アーチャー。
 わたしにはわたしの戦う意思と決意、そしてそれを背負う覚悟がある。たとえ相手が誰であろうと、わたしの前に立ちはだかるというのなら…………」


 ──────殺すわ。


 真っ直ぐに。アーチャーの瞳を見据えて凛はそう口にした。

「……そうか。ああ、すまない。
 確かに君にこの手の質問は愚問だったようだ。許してくれ、マスター」

「構わないわ。
 それよりアンタばっか質問してズルイわよ。わたしからもさせなさいよね」

 唇を尖らせ、がぁっと吼える凛。
 まあ確かにこの質問攻めにはそろそろ辟易してくる頃だろう。だがアーチャーにとって、これは訊いておかなければならない問いだった。

「む。それは構わないんだが、まだ記憶が完全に戻っていない。その前提でなら、答えられる問いには答えよう」

「あ………そうだったっけ。
 じゃいいわ。今日戦ったサーヴァントの情報をもっと詳しく教えて頂戴。これを忘れたなんて言ったら承知しないからね」

「ふっ、そこまで呆けてはいないよ。まずランサーだが……」

 アーチャーの口元に笑みが浮かび上がる。

 これでいい。これでもう遠慮は必要ない。主がその覚悟を背負うなら、自分もその為の助力を惜しまず突き進もう。
 その果てにあるものは、まだ誰にも語る必要はない。

 歯車の狂いなど余りにも瑣末な事。“ヤツ”がいる。その事実だけがあれば他は不要。

 そう、成し遂げるべき目的はたった一つ。
 輪廻の果て、万に一つの可能性に賭けたこの世界で。



 ────我が悲願の成就を。













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