剣の鎖 - Chain of Memories - 第五話 ──────聖杯戦争。 そう名づけられた、この冬木市で数十年に一度行われる魔術師の祭典。 広義的な意味合いで言えば、聖杯を巡る争いは全て聖杯戦争と名づけられる。だが、ここ冬木の聖杯戦争はその中でも最悪の部類に入るだろう。 参加者は七名の マスターは己の呼び出したサーヴァントを使役し、他のマスターを殺しにかかる。そして最後まで生き残った者に賞品として与えられる物が、その名の通り聖杯だ。 それがどんなモノであるかは不明だが、勝者は望む願いを叶えられるという。 つまり冬木の聖杯戦争とは七人のマスターの生存競争。 聖杯という奇跡を賭けたバトルロイヤル。 他のマスターを一人残らず倒すまで終わらない、魔術師同士の殺し合いの名。 それが、セイバーの語った聖杯戦争という儀式の概略だった。 聖杯戦争/Nocturne III
/1 秒針の進む音だけが耳朶に響き、そんな些細な音さえも思考の邪魔に感じられる。 セイバーの説明は簡潔すぎて、実感を得るには遠すぎた。 聖杯戦争。 どんな願いも叶える聖杯。 魔術師、マスター。 使い魔、サーヴァント。 そして────殺し合い。 俺だって魔術師なんてモノなんだから、覚悟くらいは持ってる。 切嗣も言っていた。 魔術師の道は血に濡れている。だからその道を進むのなら相応の覚悟を持たなければならない、と。 事実、俺の毎日の鍛錬は死と隣り合わせだ。一歩踏み外せば、それだけで意識を持っていかれ、最悪、命を落とす危険性を孕んでいる。 そんな綱渡りを何年と繰り返してきたんだ。命を賭ける……なんて口にするつもりはないけど、それなりの覚悟を持って生きてきたつもりだった。 だがこんな事をすぐに把握し飲み込めと言われて「はい、解りました」と納得出来るほど俺は人間出来ちゃいない。 「で、お兄さん。ボクの説明は理解できましたか?」 静かに俺の沈黙を見守っていたセイバーが問いかけてくる。 「……言葉の上でなら。けど、納得なんて出来ないぞ。そもそもそんな悪趣味な事を誰が、何の為に始めたんだ?」 「さあ? その辺りはボクは知らされていません。 他の詳しいマスターに問い詰めるか、自力で調べるしかなさそうだと思いますけど」 「……………………………」 唐突に突きつけられた殺戮ゲームへの参加証。 殺し合いを前提としたゲームにルールもへったくれもないのだろう。だから俺みたいな半端者がその参加者として選ばれ、呼び出した存在に教えを請う状態となっている。 「セイバー。幾つか質問させて欲しいんだが……いいか?」 「ええ、どうぞ。 マスターがいつまでも現状を把握出来ていないのはボクも本意ではありません。分かる範囲で良ければお答えします」 口元に微笑を湛えたままセイバーはそう言った。 ありがたい。 「じゃあまず……サーヴァントってのはどういう存在なんだ? 使い魔の類なんだろうけど、セイバーはどう見たって人間だ。 それに俺にはセイバーを維持できるほどの魔力なんてないぞ」 人間大の使い魔なんて規格外も甚だしい。本来小間使いを任ぜられるのだから、維持の楽な小動物をメインとするのが使い魔だ。 いや、中には人間自体を使い魔とする魔術師もいると聞くが、それには相応の対価が必要とされる。 小動物のようなものなら意識を支配することも、維持することも難しくはないが、人間を使い魔とするのなら魔術師の魔力の大半を持っていかれる事になるだろう。 だがそれでは本末転倒だ。使い魔とは魔術師の助けとなるモノ。助けとなるべきモノが負担をかけては意味がないのだ。 ……とまあ、昔、切嗣に教えられた知識をおさらいしてみたものの、それは一般的な魔術師の場合だ。俺のような半人前ではそんな存在どころか、普通の使い魔さえ維持出来るかどうかすら怪しい。 だからセイバーは使い魔とは似て否なるモノだろう。 ────サーヴァント。それがどんな存在か知っておく必要がある。 「……そうですね。順に答えていきましょう。 まずサーヴァントという存在についてですが、これは過去の英雄達のことです」 「は────?」 「お兄さんが知ってるかどうかは判りませんが、英雄として名を馳せ、死後それでもなお信仰の対象となった存在は、輪廻の輪から外れ一段階上の存在へと昇華されます。 亡霊というより精霊や聖霊に近い、あるいは同格とされる存在……定義的には英霊とするのが一般的でしょうか。 で、それを引っ張ってきて使い魔としているのが、この聖杯戦争のサーヴァントです」 人間大……いや、人間そのものの魂……しかも過去に名を馳せた英雄? そんな存在を現世に呼び寄せ、それを実体化させる……。 「バカな……そんなこと、出来るはずがない」 使い魔どころの話じゃない。 精霊と同格ってそんな存在、まともな魔術師だって楽に呼び出せるモノじゃないぞ。 「どういう原理かは召喚されたボクも知りません。 でもこうしてボクは存在していますから、それが証明となります」 む……確かに。 実際に呼ばれたヤツがこうして俺と面と向かって話している以上、信じない理由は存在しない。それに俺は別にどんな構造でその召喚が行われているのかを知りたいワケじゃないからな。 ん…………? いや、待った。 「サーヴァントは英霊………ならおまえもその、過去の英雄なのか?」 どう見たって英雄には見えない。 いや、あの赤い男と打ち合ったところを見れば実力のほどは窺い知れるが……。 ていうか、こんな子供な英雄が過去存在していたのか? 「はい。まあ、それなりに有名だとは思います。この国での知名度はそう高くないかもしれませんが。 で、それがボクの今の呼称にかかってるんですが、説明してもいいですか?」 「ああ」 「英雄達は歴史を紐解いてみれば、そこに多かれ少なかれ、その名を残しています。そしてその記録には数々の情報が記されている事でしょう。 名を明かすというコトは、手の内を明かすコトと同義です。 だから英霊達はそのクラス名──ボクの場合はセイバーですね──によって真名を隠しているんです」 サーヴァントのクラスはその数と同じ七つ。 剣の騎士───セイバー 槍の騎士───ランサー 弓の騎士───アーチャー 騎乗兵───ライダー 魔術師───キャスター 暗殺者───アサシン 狂戦士───バーサーカー だと言う。 なるほど。ならばあの赤い男がアーチャーで、青い男はランサーか。そして有名な英雄ほど歴史に経歴や特徴、武器、能力、弱点などを残している。 それでその名、あるいは武器でもいい。それを知られれば生前苦手とした事項、あるいは致命的な弱点を探られる可能性がある。それを隠す為のクラス名……という訳か。 「まあ他にも色々あるんですけど、サーヴァントの存在については今のところそれくらいで良いと思います。 分からないことがあったら、その都度聞いてください」 「ああ、わかった」 「で、お兄さんがどうやってボクを維持しているかですけど。 ボク達英霊を現世に繋ぎとめるコトは高名な魔術師でも容易なコトではありません。しかしボクとお兄さんとは物凄く微弱ですがラインで繋がっています。 マスターとサーヴァントがそのラインで繋がっていて、魔力を僅かでも送ってくれるのならサーヴァントは自然消滅することはないでしょう」 ボク自身も一応、魔力を生成してますしね、と付け加えた。 ラインとは使い魔と魔術師とを結ぶ因果線のことだろうか。そんなモノがあるのかを探る為、目を閉じて意識を内界に向ける。 …………確かに、今にも切れそうなほど細い糸のようなものがセイバーに向けて伸びている事を認識できた。しかし。 「俺、おまえに魔力送ってるか?」 「一応は。ボクの許容量の一割にも満たないほどに微量ですが。ええと、こういうのなんて言うんだっけ。スズメのナミダ?」 「ぐっ……………」 言葉を飲み込んで思考だけを回す。 自分でも送っているかどうか分からないほどの微量。その程度でこれほどの存在を維持できるはずがないのだが……。 と、俺の表情を察したのか、 「繋がってさえいればとりあえずの問題はありません。 サーヴァントをこの世に繋ぎとめる依り代はマスター本人ですから魔力量は関係ありませんし、活動を行う魔力も聖杯戦争中は聖杯がマスターを補助しますので、余程のコトがない限り魔力切れで肉体を維持できず消滅、なんて事態にはならないと思います」 「そうなのか」 とりあえず安堵した。 俺が半人前なのは俺が一番自覚しているし、それを悔しく思っている。 だけどそれでセイバーが消滅の憂き目にあうのは心苦しい。しかしその心配が杞憂なのだとしたら、これ以上の事はない。 だが…………疑問が残る。人ならざる人を現世に呼び出し、更にはその維持にまで干渉できる聖杯という存在。 これは既に魔術なんてモノじゃない。確かにこれ程の神秘をこともなく実現している聖杯なら、どんな願いを叶えられても不思議じゃないが……。 「…………………………」 「どうしました? まだ何か分からないことでもありますか?」 「いや……。俺は聖杯戦争っていうふざけた殺し合いに巻き込まれて、おまえを召喚したっていうのは理解できる。 そしておまえとは既に契約しているというのも事実だ。だが……俺にはまだ、マスターなんて言われても実感が湧いてこない」 「ああ、お兄さんはボクを呼び出そうと思って呼び出したワケじゃなかったんですね。 それなら確かに、これほどまでに無知なのも頷けます」 ぐっ…………。 何気に辛辣な物言いだ。だが事実である以上、反論はない。 「そうだ。 俺はその聖杯戦争に自分から参加する為におまえを呼び出した訳じゃない。なんでか知らないけど、勝手におまえは飛び出してきたんだ」 「………………。 まあ過程がどうであろうと貴方がボクのマスターであるという事実は揺るぎません。 腕の何処かに令呪……傷のような痕はありませんか?」 「ん……これか」 左手を見る。 手の甲には赤い紋様のような刻印が刻まれている。 「令呪とはサーヴァントに対する絶対命令権にしてボク達を繋ぎとめる楔です。 サーヴァントを律すると同時に、サーヴァントの能力以上の奇跡を可能とする大魔術の結晶の名。 ですが使えるのはたったの三回。それに長期的な命令より、瞬間的な命令の方が効果は強力ですから、使う場合は良く考えて慎重にお願いします」 「…………………………」 つまり、これがある限り力量では圧倒的に優れているサーヴァントといえどマスターには逆らうことが出来ない、てことか。 サーヴァントはマスターからの供給なしには現界し続けることが難しいのだろうし、令呪が相手にある以上、迂闊な反目は許されない。 だが逆に言えば、これを失うということはサーヴァントはその行動の制限を解放され、マスターに付き従う縛りはなくなり、何をするか判らない、と。 そう────最悪の場合…… 「もし俺がこの令呪を放棄した場合、おまえは俺を殺すのか?」 今までの話を総合すれば、マスターとはサーヴァントを従える事が条件なんだろう。 そしてそれを可能としているのが、この令呪。 これを放棄すればマスターではなくなり、聖杯戦争への参加権を手放すことに……なるんじゃないだろうか。 自分でも飛躍し過ぎてる論理だとは思うけど、あながち間違ってもいないようにも思う。 無理矢理呼び出され、否が応もなく従わされ、さらにこっちの勝手な都合で契約の解除を行うような事になれば、何をされても言い訳の立つ瀬はない。 現に、 「それはつまり──戦うことを放棄する、というコトですか?」 背筋を走る寒気。 赤い瞳が俺を射抜き、殺意にも似た感情が突き刺さる。 「いや……まだ分からない。 いきなりこんなコトに巻き込まれて、説明を受けたとはいえ理解が追いついていない。 だけど……俺には、戦う理由がない」 どんな望みも叶えてくれるという聖杯。俺は別にそんなものは欲しくない。叶えてもらうような大層な望みも持っちゃいない。 やらなきゃいけないことは沢山あるけど、それは自分の手で行うべきことだ。誰かの手を借りたり、ましてや何かに望むようなモノじゃない。 だが俺の返答にセイバーは僅かに首を傾げ、 「うーん……。 とっくに戦う理由とか、そういう段階じゃないと思うんですけどね」 「……どういうことだ?」 「お兄さんがボクのマスターである、ということはアーチャーとランサー、そしてそのマスターにも知れていることでしょう。 つまり、もう既にお兄さんは彼等の殺しのターゲットになっているんですよ」 「…………………………」 「聖杯戦争は他の六人のマスターを倒すまで終わらない。 たとえここでお兄さんが令呪を放棄したとしても、相手がそれを納得し、お兄さんに手を出さないという保証はありません。 お兄さんだって、みすみす殺されたくはないでしょう?」 「それは、そうだ」 あの時だって思った。 俺はまだ何も成していない。生き延びたのだから、その義務を果たさないといけない。誓いを、理想をカタチにしなければならない。 「選択肢なんて有って無いようなものなんです。 生き残るには戦うしかない。 もう役者は揃っていて、舞台の幕は開いているんですから」 つまそれは既に七人揃っていて、今も何処かで誰かが戦いを繰り広げているかもしれないということ。 そして俺もその参加者だ。望む望まないは関係ない。もう俺は殺し殺される側の人間になってしまったという事実だけがある。 「──────と、言っても」 パン、と両手を合わせ、セイバーは居間に乾いた音を響かせた。 「まだ理解は出来ても納得は出来ていないでしょう。 ですから、数日良く考えてください」 「………考える」 「そうです。いま自分がどんな状況にあって、どうするべきなのか。戦うのか、戦わないのか。良く考えてから、結論を出してください。 その答えがどんなモノであっても、ボクはその決定に従いましょう。たとえお兄さんが令呪を放棄したとしても、お兄さんには手を出しません」 ────そして、その間のお兄さんの身はボクが守りましょう。 と口を結び、言葉を切った。 ……確かに考える時間は欲しい。 一日の間に色んなことがありすぎて理解が追いついていないというのも嘘じゃない。 まずは身体を休めて、それから考えても遅くはない……か。 「……わかった。 まだどんな結論を出せるか判らないけど、俺は俺なりに考えてみる」 それにセイバーはこくりと頷く。 「その間、この家は好きに使ってくれ。 飯は作るし、足りないものがあれば言ってくれればいい」 「はい。じゃあ、もう夜も遅いですし、今日はここまでにしましょう。 ボクはもう少し調べておきたいことがあるので、どうぞ、先に休んでください」 「わかった」 それで会話は終わった。 セイバーはふらりと外に出て行き、俺だけが居間に残された。 「とりあえず……休もう………」 ここにきて緊張の糸が解けたのか、どっと疲れがでたのか。急激に瞼が重くなり、身体の自由まで利かなくなる。 なんとか………部屋には……戻らない、と……。 暗く天蓋を覆っていた雲はいつの間にか霧散し、煌々と冴え渡る白い月だけが夜を照らしている。 その下────月明かりに濡れる庭園に、一人の少年が真円の星を見上げるように佇んでいた。 「さて…………どうでるかな。 ま、結果の判りきった事柄を考えるなんて無意味だけど」 煽るように言葉を紡いだほんの少し前の出来事を振り返る。 マスター……衛宮士郎には戦う理由がないという。だがそれは裏を返せば理由さえあれば戦うことを厭わないということだ。 それ故に大半の真実に嘘の欠片を混ぜ合わせた説明を行った。 仮にも自分を召喚した魔術師なのだから、しっかりして貰わなくては適わない。 「そう………貴方は戦わなくてはいけない。 戦う理由は既にあるんです。ただそれに気がついていないだけ……」 その“傷”が……その“理想”がある限り、衛宮士郎は逃げることを許されない。 たとえどんな説明をしたとしても、知ってしまった以上、関わってしまった以上、結局、衛宮士郎は己の意思で戦いに身を投じる事になるだろう。 だから彼はその背中を少し押して上げただけ。 行き着くところが同じなら、少しでも早く決断させる方が互いにとって良い結果となる、と彼は判断した。 「後はきっかけさえ見つければなんとかなる。 まあ……それはともかくとして。 せっかく現世に呼び出されたんだから楽しまないと損かな。ボクが生きた時代から様変わりしたこの世界を歩くのも悪くはない。 それに…………」 片手を中空に上げると背後の空間が揺らぎ、そこから一本の剣の柄がその顔を覗かせる。 そして指と指とを合わせ、命令を下すようにパチンと打ち鳴らす。 「────────」 しかしその響きに応じるモノはない。乾いた音だけが闇に響き、生まれた音は凍えるように冷たい風が攫われ消え行くのみ。 揺れる金糸の髪。閉じられる紅の眼。少年はほう、と息をついて、 「…………なんでこんなコトになってるかも知りたいし」 上げられたその手を下ろし、心臓を掻き抱くように掌を握り締める。そして開かれた赤き瞳が見据えるのは虚空。 遥か彼方────ここではない何処かに思いを馳せるように空を睨み続けた。 「まいったな。これは思ったより苦労しそうだ」 だからこそやるべきことは沢山ある。 幸いサーヴァントは人間とは違い、睡眠を必要とはしていない。最低限は取るべきだろうが、そんな悠長な事を言っている場合ではない。 「さてと。とりあえず、自分の陣地くらい把握しておかないとダメかな。 後は────アレも必要か」 それだけを空に呟いて、少年は歩き始める。 寒空の下。 それは月だけが見ていた一幕。 始まりの夜は、こうして終わりを迎えた。 web拍手・感想などあればコチラからお願いします back next |