剣の鎖 - Chain of Memories - 第四十二話









 広大な庭に起きた異変……侵入者の存在を一早く察知したのは森の主たるイリヤスフィールだった。
 傾けていたティーカップを音を立てる事無くソーサーに戻し、背後に控えていた二人の侍従に声を向けた。

「セラ、リズ」

「はい、お嬢さま」

「敵が来るわ。貴方たちは身を隠していなさい」

 恭しく礼を取るきりりとした双眸を持つ一人と、どこかぼんやりとした印象を受けるもう一人がたどたどしく礼をし、一切の異論なくサロンを辞した。

 彼女らはあくまでイリヤスフィール付きの侍従に過ぎない。身の回りの世話をする事こそが使命であり、戦闘行為は本質の外のものだ。
 戦えば並の人間を遥かに凌駕する戦闘能力を有してはいても、これより向かえ撃つ敵はサーヴァント。多少の心得があるくらいでは、到底太刀打ちできる相手ではない。

 それでも彼女らが主が危険に晒される可能性を捨て置いて去ったのは、イリヤスフィールを守護する存在ゆえに他ならない。

「バーサーカー」

 小さく呼んだイリヤスフィールの声に応え、姿無き巨人が喉を鳴らす。声にならないその声に、イリヤスフィールは勝ち鬨にも似た勝利の確信を感じた。

 そう、傍らにいるこのサーヴァントこそ最強だ。世に名を馳せる数多の英霊英雄の中でも最上位に位置する勇名を謳われる者。いや、そんな常識をさて置いても、揺るがぬ事実に変わりはない。

『バーサーカーは強いね』

 ああ、そうとも。いつか彼女が口にした、最初の言葉。嫌悪ではなく親愛を込めて謳われたその言葉こそ、最強の従者が守るべきものなのだから。

「行きましょう。まずはシロウのところへ」







 コンコン、と士郎に貸し与えている部屋を控えめにノックすれば、すぐさまどうぞとの返事が返ってきた。

「シロウ、病み上がりで悪いんだけど──」

 続けようとした言葉が、その光景に遮られた。

 ベッドより立ち上がり、痛々しいまでに巻かれていた上半身の包帯が床に落とされ、その下に隠されていた筈の肌を露出させている。
 まだろくに動けないものと認識していたイリヤスフィールにとって、士郎が自らの意思で立ち上がっていた事も驚愕に値したが、それ以上に目を丸くさせたのは胸にある筈の、あった筈の斬痕が、余りに薄れているその異常だった。

「シロウ……嘘、ありえない……」

 生身の人間ならほぼ即死、現場で一命を取り留めたとしても続く出血多量で手を出せない状態だった。そこから奇跡的に回復の兆しを見せた士郎の治癒能力の異常性が、ここに来て顕著になっている。

「イリヤ……ああ、これか。俺も驚いてるんだけど、なんだか治っちまってて。でもこの痕は中々消えそうに無いな」

 言って指を這わせる袈裟斬りの痕は、もはやほぼ完璧なまでに塞がっている。イリヤスフィールの目からすれば士郎の認識は生温い。後半日もあれば、その痕でさえも消え去ってしまいそうだった。

「何にしてもこれで戦える」

 ぐっと力を込めた右の拳を握り締め、椅子にかけてあった上着……真新しい白いシャツを羽織った。
 それからぐるぐると腕を回し、不備が無いかを確かめて、よしと一息ついてイリヤスフィールへと向き直る。

「どうしたイリヤ、ぼうっとして。敵、来てるんだろ?」

 はっと我に返ったイリヤスフィール。

「え、ええ。だけど、シロウ? なんで知ってるの? わたし、まだ言ってないよね?」

 森の全域を覆い尽くして展開された結界があるからこそイリヤスフィールは敵の存在を感知できた。士郎には敵を知る術など無い筈なのだが。

「ああ、そうだっけ。でも、感じるんだ。何か知らないけど、来るって。内側から呼びかけて来るみたいに」

 胸に手を当てて目を閉じる士郎。どくどくと脈打つ心臓の鼓動に共鳴するように、もう一つの“何か”が叫び声を上げている。来ると。本来、もっと早く見える筈だったものが、ようやく──運命を導くように……

 そんな得体の知れない勘めいたもので侵入者の来訪を予期できたなど、イリヤスフィールには到底理解し難かったが、追求はしなかった。何より、今の自分達にはそれほど時間は残されていない。

「シロウ、敵がどんなヤツらかは判ってる?」

「いや、そこまでは判らない。ただ、何かが来るって感じただけだ」

 そう、と頷いてイリヤスフィールは士郎に歩み寄り、その額に指を押し当てた。

「じゃあ自分の目で確認しておいて。シロウがどうしても戦うっていうなら、最低敵の姿くらいは知っておかないと話にならないから」

 言って、すぐに押し当てた指先が淡く光を放つ。イリヤスフィールが認識しているアインツベルンの森の映像を士郎の脳へと直接的に送り込んでいるのだ。

 目を見開いたまま、けれど士郎の目は古城の室内など映していなかった。灰色の森。生物の息遣いがまるで聴こえない朽ち果てた森の一角を捉えていた。
 男と女だ。両方とも黒い服装。男は身軽なそれだが、女の方は雄々しい甲冑を着込んでいる。速い。尋常ではない速度で二人は森を疾走している。森の敷地面積がどれほどのものかは知らなかったが、あれほどの速度で駆けられるのなら、どれだけ距離があろうとも猶予はなさそうだった。

 イリヤスフィールの指先が離れるのと同時に、士郎は本来あるべき視界を取り戻した。

「どう、士郎。ちゃんと見えた?」

「ああ……しかも男の方は、俺の知ってる人だった」

 桜の行方を捜していた日、教会からの去り際にアドバイスをくれた男。どこか威風を思わせる神々しさを持つ人物だとは思っていたが……

「イリヤ。あの人……いや、アイツはサーヴァントなのか?」

 士郎が出会っていないサーヴァントはアサシンのみ。とてもあの男が気配や姿を隠匿し対象の背後を付け狙うタイプには見えなかった。
 イリヤスフィールは僅かの黙考の後、自分自身が確かめるように呟いた。

「……彼らはサーヴァントでありサーヴァントじゃない存在。本来、居る筈のない存在。居てはいけない、イレギュラーよ」

 少し悲しげに、そして怒りとが綯い交ぜとなった感情が少女の口より零れ落ちた。






邂逅は必然の上に/Waltz II




/1


 士郎とイリヤスフィールが戦場として選んだ場所は、アインツベルン城のエントランスだった。充分な広さと高低差のある位置関係。少し後退すれば廊下に至り、障害物も多くある場所。自らの力を認識した士郎にとって、戦いやすい環境はこの場所だった。

 二人は中央階段の上から入り口の扉を見据えている。士郎に気配は感じられなかったが、イリヤスフィールの傍には霊体化したバーサーカーが控えている。
 敵が真正面からやって来る保証など何処にもなかったが、必ず来るという妙な自信が士郎にはあった。

 間も無く、扉は開かれた。荘厳にして巨大な門じみた扉が開かれ、自然光を背に、二人の敵が姿を現した。

 一人は男。金髪赤眼。黒いライダースーツを身に着けた、身体全体から自信を溢れさせている尊大な男。そしてもう一人──

 その女を目視した瞬間、士郎の体内で何かが弾けた。滾る血よりも熱い律動。巡り会えた事に歓喜するように、知らないソレが弾けて震えていた。

 言葉は語らず、互いが互いを睨みつける事数秒。男ではなく、女の方が先に動いた。

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。貴女の身柄を頂きに参りました。抵抗せずに、こちらに降りて来なさい」

「あら、いきなり随分な物言いね。私は貴方達をこの舞台に招いた覚えなんてないわ。前回の演劇はとっくに終わってるのよ? 幕が降りたら役者も一緒に消えなさい。アドリブで暴れまわる賓客なんて、私の台本に必要ないわ」

 イリヤスフィールは明らかに怒りを露にしていた。彼女らの、その存在自体に。

「どういう意味だ……イリヤ?」

「アイツらはね、確固とした肉体は持っていてもサーヴァントなの。それも、前回の聖杯戦争の生き残り。十年前から未練がましくこの世にしがみ付いている、亡霊よ」

 つまりそれは、存在しない筈のサーヴァント。本来招かれる七騎とは別の、第四次聖杯戦争から現代まで生き延びた、第八、第九のサーヴァントなのだと。

 これには流石の士郎さえも戦慄を覚えた。居てはいけない筈の敵。輪の外に置かれべき強敵が、今目の前に二人も存在している事に。

「ふん。造花のくせに良く囀る。そんなにお喋りが好きなのなら、我が存分に啼かせてやろう」

 男が片腕を中空に翳すと、背後が赤く揺れて無数の刀身が顔を覗かせた。その全てがイリヤスフィールへと差し向けられている。士郎は瞠目してその光景を見ていた。その歪を知っている。その戦い方をするヤツを、士郎は誰よりも知っていた。

「やめて下さい、ギルガメッシュ。貴方に暴れられてはイリヤスフィールごと殺してしまいかねない。それでは私の願いが叶わない」

「ならば好きにしろ。我は、余り物で我慢してやる」

 女の言葉を受け、ギルガメッシュと呼ばれた男は剣を納めた。

 静寂を取り戻した室内に、女のさて、という一言が木霊した。

「イリヤスフィール。先程も言ったが、貴女には私と共に来て貰いたい。抵抗しなければ何もしないと誓いましょう。しかし……もし抗うというのなら、少々痛い目にあって貰う事になりかねない」

 女の手にした黒い剣の柄に力が篭る。魔力が流れていくように、刀身に描かれた赤い紋様が色を帯びる。

 女の透き通る程に細く冷たい殺意を直に向けられてなお、イリヤスフィールは表情を崩さない。肩にかかった銀色の髪を払い、冷やかに女を睨み返した。

「力で押し通る……ね。嫌いじゃないけど、それは私のサーヴァントに勝ってからにして欲しいわ」

 具現化する黒。ただ存在するだけで他者を圧する威圧感を纏う巨人が、主の命の下に姿を見せた。
 イリヤスフィールを庇うようにして立ち塞がるバーサーカーと、黒い騎士との視線が交錯する。両者の間にある二十メートルばかりの空間に満ちていく戦闘の気配。研ぎ澄まされた一触即発の緊張感を、その一言が切り裂いた。

「ならば、そのサーヴァントには消えてもらう────!」

 踏み込みは床を破砕し、初速から最高速へと一気に駆け上がる。突風と化した黒い騎士を迎え撃つべく、バーサーカーもまた暴風となりて階下へと吹き荒んだ。
 衝突は一瞬。岩塊じみた巨大な剣を振るうバーサーカーと、漆黒に覆われた剣を振るう黒い騎士とがエントランスの中央でぶつかり、弾けた。

 驚愕を実感したのは当人達ではなく、激しい衝突を見守っていたイリヤスフィールと士郎だった。全てを粉砕して余りある膂力を持つバーサーカーと、年端も行かぬ少女との衝突が相殺に終わったという事実に。

 あんな細い身体のどこにそんな力があるというのか、バーサーカーの超重量の一撃を受けてなお痺れすらなく、再度踏ん張りを効かせた体躯から更に踏み込み、敵と見なした巨人目掛けて剣を振り下ろす。
 応じる岩塊。袈裟と横薙ぎの剣が激突し、火花を散らし鍔競り合う。技も術もない単純なまでの力での応酬。両者は一歩も譲る事無く自らのパワーに任せた裂帛を繰り返す。

 広々としたエントランスに轟音が木霊し続ける。立ち回りを演じる隙がなければ、思考を挟み込む暇すら有り得ない。
弾け合う剣と剣は互いの衝突さえも推進剤とし、剣に振るわれるように腕を振り上げ、振り下ろし続ける。

 足は根の生えたように一歩すら動かず、共に必殺とする間合いを維持したまま目視すら生温く、音さえも捉える速度と威力で得物を振るう。

 圧倒的な戦闘だった。士郎がこれまで見てきたサーヴァントの攻防の中で、この一戦は最も苛烈にして過酷だった。彼の従者であるセイバーはバーサーカーの前に立ち回りを演じさせられ、アーチャーの援護らしきもののお陰でようやく引き分けたのだ。

 そんな化物を相手に、あの少女は怯む事無く立ち向かっている。涼やかな口元だけを覗かせて、目も奪われる程の剣戟を高く高く響かせてゆく。

 ドッグファイトの様相を呈してきた絶戦ではあったが、見惚れている場合ではない。士郎がこの場にいる意味は、ただ傍らの少女を守護するものでも、戦いの行方を見守ることでもない。

 衛宮士郎には、衛宮士郎の戦いがある。

 イメージするものは、剣。何度となく複製を繰り返してきた夫婦剣ではなく、あの夜──アーチャーに切り裂かれた夜に、目に焼き付けた幾本もの剣の中の一振りだ。
 膠着状態になりつつある戦闘のフィールド目掛けて矢の如く放つは螺旋の剣。この一刺しは黒い騎士を絶命させるには至らない。ただ一瞬、コンマの間だけでも意識を奪い取れれば後はバーサーカーが仕留めてくれる。

 沈み込んでいく意識の中から、掬い上げた剣は士郎の背後より出ずる。翳した手に呼応して、弓道にて的を射るが如き精密射撃が放たれた。

 バーサーカーと黒い騎士が一撃をぶつけ合い、弾けた間隙。次の衝突を生む刹那すら遠い隙間を縫い、バーサーカーの肩越しから最も狙いを付け易い胴体目掛けて飛行する剣という名の矢。
 寸分違わず心臓を射抜く軌道。騎士が気付く。看破する。アレは致命傷には至らない。だが、無防備に受けていい一撃ではない。選択は二つに一つ。巨人が剣を加速させる。無視を決め込み迎撃か。後退か。

 思考の狭間。騎士は脳裏を埋め尽くした選択の全てを放棄して、身体の内側より湧き上がった“直感”に身を委ねた。

 サーヴァントの核を射抜く剣を視界の隅に追い遣り、まるでないものとして騎士は降り注ぐ岩塊目掛けて剣を合わせた。
 僅かに遅れて着弾する矢。いや、着弾する筈だった矢が──有り得ぬ場所より出でた剣に迎撃された。

 弾け飛んだ二本の剣は、今なお振るわれる暴風の中で、塵屑のように壁面へと叩きつけられた。士郎の投影した剣が、その身に損傷を負ったのか、風に透けて消えた。

「なっ……」

「下らん横槍を入れてくれるな、雑種。興が醒めるであろう?」

 声は爆音に掻き消されてなお、脳に響き渡った。士郎の視線が捉えた先には、あの男がいる。片手を掲げた、王者のような男が。

「どうしても邪魔をしたいのならば、我が相手をしてやる。でなければ、座して全てを見届けよ。神の仔に逆らってまで、己が祈りを貫き通す気高いものをな」

 耽美でありながら、醜悪である男の笑み。その視線は黒い騎士だけを見ていた。

 歯噛みしながらも士郎は次なる一手を打てなかった。必ず迎撃される。度が過ぎれば、今度はあの男の標的にされかねない。
 イリヤスフィールを危機に晒すという行為自体が、バーサーカーの意識を削ぐことに直結する。本能のままに行動するバーサーカーの最大級の行動理念とは、主の守護に他ならないのだから。

 狂える巨人が発揮出来る最大戦力は今、この状況こそが理想だ。対峙する騎士はバーサーカーを避けてイリヤスフィールを狙うという行為はしないし、背後の男も手を出さなければ傍観に徹する構えだ。
 ならば士郎もまた、行く末を見守るしか方法はなかった。

 エントランスの中央で吹き荒れる暴風の中心で、全く進展の見られなかった戦闘に、ここに来て異変が起き始めていた。

 ぶつかり合う剣戟に衰えはなく、むしろ加速すらしているように見える。だが、一撃を振るう速度に僅かばかりの差が生まれ始めていた。

「うそ……バーサーカーが、圧されてる?」

 イリヤスフィールの呟きは真実だった。強大なまでの力と力の鬩ぎ合い。互角に比する応酬であれば、決め手となるのは一撃の速度によるところが大きくなる。
 相手よりも一秒でもコンマの差でも速く剣を振り抜けられれば、相手は後手に回らなければならなくなる。一度防戦を余儀なくされてしまえば、後はじりじりと削り取られてゆくのみ。
 いかな膂力を持とうとも、先の先を常に奪われ続ければ決め手を欠いてしまう。

 今の両者の状態がまさにそれだった。黒い騎士は細腕に纏う膨大なまでの魔力を加速装置とし、本来持ち得ない程の剣速を実現させている。
 超加速した剣は単純な力に上乗せされ、更なる力と速さを連鎖的に生み出してゆく。湧き出る黒い魔力。底無しに思えるほどの圧倒的な魔力の加護を以って、黒い騎士は狂える英雄を徐々に圧倒し始めていた。

 後退を余儀なくされたバーサーカーはじりじりと追い詰められ、それでも振るわれる右腕に込める力を緩めない。戦術を生み出せないバーサーカーというクラスの最大の欠点が露になり、彼我の力量差を如実に生じさせていた。

「……こんなものか。所詮はただの狂犬に過ぎん」

 騎士の後ろの男が呟いた。趨勢は決まった。決定的な決着は未だ成らずとも、単純な戦闘力で及ばないのならバーサーカーに勝機はない。後はじわじわと命の灯火を溶かしてゆくのみ……

「ふふ」

 そんな中、イリヤスフィールが微笑んだ。妖しく、艶やかに。

「私のバーサーカーを舐めないでくれる?」

 少女が呟くと同時、全身が赤く発光し始めた。正しくは彼女の全身に刻まれた規格外の令呪が、宿主の声に応えたのだ。

「ねえ、もういいよ。────“狂いなさい、バーサーカー”」

 声は絶対遵守の命令となり従者の下へと走った。バーサーカーというクラスに押し込められながら、なお完全に狂い切ることなくこれまで戦ってきた巨人が今、ようやく在るべき本来の最大戦力を解き放つ権利を与えられた。

 天を衝き、地を裂く咆哮。狂乱に身を委ねたバーサーカーの赤い双眸がより一層の狂気に彩られ、音さえも置き去りにして、最強の一撃を繰り出した。

「…………っ!?」

 黒い騎士は持ち前の超直感と反応速度で突然の猛威に反応した。が、宝具の一撃にさえ匹敵する超威力の斬撃を余りにも唐突に、余りにも至近距離から繰り出されたせいで、回避するまでには至らなかった。

 叩き込もうとしていた剣を無理矢理に盾に見立て斬撃を剣の腹で受け止める。否、受け止め切れずに少女の矮躯は宙を舞う。更には壁面に叩きつけられ、どころか粉砕し貫通までせしめた。

 バーサーカーに追撃はない。未だもう一人の男が立っているからだ。傍観に徹していたとはいえ、いつ攻勢に出るか判らない以上、動けなかった。
 完全に狂いながらも、あくまで主の命を最優先に行動するその本能こそが、ギリシャ最大の英雄であるヘラクレスたる所以であったのかもしれない。

 静まり返ったエントランスホールに瓦礫が積み上げられていく音だけが残響している。

 士郎とイリヤスフィールが崩れ落ちた壁面に目をやった。半円型に刳り貫かれた頑丈な筈の壁面は脆くも崩れ落ち、外界である灰色の森を垣間見せていた。
 階上に位置している士郎たちの位置からは、騎士がどうなったのかは見て取れない。だが防御したとはいえ、下手をすればあの一撃で決着が着いていてもおかしくはない一撃だった筈だ。

 ほぼ唯一現状を正しく把握出来ているであろう男がついっと視線を外に滑らせる。かと思えば、すぐさまバーサーカーを射抜くように仰いだ。

「……腐っても同じ半神か。だが────」

 男が言い終わるよりも早く、穿たれた竪穴より漆黒の突風が吹き込んだ。魔力放出を推進剤として爆発させた、黒い騎士の奇襲攻撃。
 受けるバーサーカーは理性よりも本能が先に危機を察し、その突進を真正面から受け止めた。

「生憎と、その者の業はたかが魔術師のそれよりなお黒く深淵だ。舐めているのは、どうやら貴様らのようだったな」

 騎士の猛攻は止まらない。噴出される魔力の全てが彼女の運動の全てを支援する。限りない後押しを受けた激烈なる剣速は、先の剣戟を上回って余りある。
 先のようにじりじりとではなく、明らかに圧される形でバーサーカーが後退る。

 圧しているというのに、騎士の表情に宿るのは苦悶の色。葛藤と焦燥が綯い交ぜとなった得も知れぬ感情を隠しもせず、高く剣音を鳴らし、

「私の祈りは、聖杯でなければ叶わない。その為に……その為だけに私はこのような舞台に上がったのだ! 私の……私の邪魔をするなっ!」

 極大の魔力を放出し、剣に乗せ、繰り出された一撃は怨嗟と願望までも力に変えて、巌のような巨人に襲い掛かった。先程のお返しだとばかりに振り抜かれた一撃はバーサーカーを突き飛ばし、壁面へと叩きつけ粉砕し、外界へと放り出す。

 間髪入れずに後を追う黒い騎士は士郎とイリヤスフィールを一瞥した後、振り返りもせず姿を消した。





/2


「バーサーカー!」

 虚しく響いたイリヤスフィールの叫び。既に姿の無い従者を追おうと飛び出しかけた少女の手を、士郎が引き止めた。

「離して!」

「ダメだ。今追えば、バーサーカーの邪魔になる」

「──っ!」

「忘れるな、イリヤ。アイツらの狙いはおまえなんだ。それに、イリヤのサーヴァントはそう簡単に負けるようなヤツだったか?」

 士郎はあくまで冷静だった。バーサーカーの憂いはイリヤスフィールにこそある。守るべき者を背にしたままでは、絶対の防戦を余儀なくされる。
 マスターと引き離された今の状況ならば、バーサーカーは主の下へと馳せ参じるべく、全力で敵を打倒して戻ってくるだろう。

 だから信じる。だから守る。バーサーカーの代わりに、この少女を一時守り抜くのは自分自身しかいないのだから。

「ふん……? よもや貴様、我に楯突く気か?」

 突っ立っていた男が頭上を振り仰ぐ。見下ろされている事自体が気に食わないと言わんばかりの露骨な嫌悪を浮かべてはいたものの、口調はせせら笑うように軽やかだった。

「いつか貴様には言ったな。愚者は愚者なりに死にもの狂いで踊り続けろと。だが、それももう飽いた。
 やはり観ているばかりでは詰まらぬ。機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)ではないが、そろそろ幕引きとしようではないか。下らない三文芝居を終わらせるのに、この我自ら手を下してやると言っているのだ。その為には造花──貴様の心臓が必要だ」

 赤い波紋が三つ、五つと浮かび上がる。刀身を覗かせる歪。士郎の知っている、その波打つ境界線は全くの同一だった。

「おまえ……アイツと、セイバーと何の関係がある?」

 その問いに男は僅かに反応を見せた。士郎の言うセイバーは前回から存命している黒い騎士……セイバーではなく、士郎が召喚したギルの方だった。

「貴様が今更気にする問いではあるまい? アレが貴様を見捨てたのは必然だ。偽物にして贋作。我が許容出来ぬものの一つを宿す貴様ではな。
 だがもう無駄だ。────アレにはもう、戦う力など無い」

「なっ……どういう意味だ!」

「簡単な事だろうに。アレは我が討ち倒した。ただそれだけの事であろうよ」

 士郎が驚愕に目を見開いて、手の甲に視線を滑らせた。ある。赤い刻印が二画分、まだこの腕には浮かんでいる。心なしか色褪せたように見えたが、気のせいにして男へと向き直った。

「嘘を吐くな。アイツはまだ生きてる」

「そうか……契約者は未だ貴様だったな。確かに、我はアレにトドメを刺していない。しかし充分に致命傷だった。今頃は何処かで虫の息だろう。
 傷が癒える頃には、全てが終わっている。あるいは治癒に全力を傾けたのなら、戦う力など残されていまい。貴様のような雑種がマスターではな。尤も────」

 男の右腕が上がる。奏者を導く指揮者の如く。

「この場で貴様が潰えれば、それで全てが済む話だ」

 パチンと鳴らされた音を合図とし、五本の剣が一斉に殺到する。
 全てが致命傷足りえる宝具の矢。考える暇など無い。目視、解析、登録、検索、想像、創造。突き出した両腕を振るい、背後に投影した都合五本の、全く同一の剣群を矢束に変えて射出した。

「ぐっ……ギィ……っ!」

 衛宮士郎の数少ない魔術回路に膨大な魔力が流れ体内で氾濫する。キャパシティを上回る連続投影の影響か、体内で血管が千切れ意識さえも断線しかかる。唇を噛み切り、痛みで踏ん張りを効かせ、士郎はなんとか踏み止まった。

 両者の丁度中間点で剣群が弾け、綺麗に相殺された。バラバラと地に落ち突き刺さった剣を見やり、男は口端を吊り上げた。

「全く以って気に入らぬ魔術だ。価値ある宝物を真似た偽物など……。だが、戯れには丁度良い。そら、次を見舞うぞ。巧く似せて見せろ」

 次いで繰り出された剣は二本。戯れならば、早々に壊れてしまっては詰まらない。明らかに手を抜いて試すように撃ち出された剣の迎撃にさえ、士郎は血を吐いて迎え撃たなければならなかった。

「ぁ…………くっ、は、ァ……」

 足りない。魔力が根本的に足りていない。多少は創り慣れた夫婦剣ではなく、初見の武具の複製にはより魔力を持って行かれる。元より少ない魔力が目減りしていき、命すら燃やして士郎は剣製を続けなければならなかった。

 後ろには守るべき者があるから。本物の従者が戻るまで、この身に代えてでもこの少女を守る。いや、ダメだ。まだ、助け出さなければならない人がいる。日常で在り続けてくれたあの少女を取り戻すまでは、死んでも死に切れない。

 衛宮士郎の夢見る理想の姿。正義の味方。世の全てを救えるなどとは思っていない。だけどせめて、この手の届く範囲でも守りたい。その小さな願いでさえも、この矮小な自分では守れないのか。
 ただ笑顔があればいいと思えるだけなのに、この身には────それを成す為の力さえない……!

「あああぁぁぁあああああああァァァァァァァ……!」

 弾ける剣と剣。ぶつかり合う剣と剣。血を振り撒いてまで投影し続ける士郎に対し、男はあくまで冷やかな笑みを浮かべて愉悦を浮かべるだけだ。捕まえた虫の翅を一枚、また一枚と毟り取ってゆくように。命が潰える様を、己が恍惚として。

「シロウ! もういいから! もう止めて!」

 イリヤスフィールは身を乗り出して男目掛けて魔力の塊を撃ち出した。しかし男の正面に現れた鏡面のように透き通る盾にあっさりと塞がれ、どころか反射され己の魔力弾を相殺させられた。

「もう限界か? 戯れにもならんな」

 男の背後が一面、朱に染まっていく。現れる剣。剣。剣。数えるのも馬鹿らしいくらいの数の剣が壁面の如く展開された。
 未だ膝を屈していない士郎が目の前の光景を見やり、更なる血を吐いた。

 解析。分析。理解。

 脳が焼きついても構わない。身体が壊死したとしても勝手に治る。魔術回路がいかれたところで知るものか。想像し、創造し、想造しろ。衛宮士郎に出来る唯一の事。ならばこの程度で膝を屈する筈がない。

 この身はただその為だけに特化した魔術回路。こと剣製において、衛宮士郎が失敗する事など有り得ない。
 ただ致命的に、絶望的なまでに魔力が枯渇しかかっていた。それでも、負けない。それでも、死ねない。殺されてやるものか……! 俺にはまだ、やらなきゃいけないことがあるんだ……!

「投……え────」

「止めとけ。それ以上やるとマジに死ぬぞ、オマエ」

 その声が、士郎の消えかけていた意識を僅かに引き戻した。虚ろな視線を傾ける。バーサーカーと黒い騎士との攻防で穿たれた穴より現れたのは──青い騎士だった。

「ラン、サ……」

 とん、と軽い跳躍で士郎の元へと参じたランサーは、崩れ落ちてしまいそうな士郎の背を緩く支えた。

「おう、良くやった。サーヴァント相手に生きてるだけでも上出来だ。ここから先は、オレたちに任せろ」

 男の背後の巨大な門が物々しく開かれる。冷たい後光を背に、一人の女が立っていた。手に嵌められた黒の革手袋をを引き締めなおして、怜悧なまでに研ぎ澄まされた視線は黄金の男だけを捉えていた。

「ようやく追いつきました、イレギュラーのサーヴァント。貴方が何者で、何を目的としているのかは知らない。だが、その存在自体が害悪だ。
 正常にして在るべき聖杯戦争を行うべく、協会より派遣された正規の魔術師の名の下に貴方を排除します」

 色の無い声音で謳われた宣誓を、男は肩を揺らして応えた。

「クク、何時ぞやの魔術師と番犬か。ふん、思い上がりも甚だしいが、出来るものならばやってみるがいい。せめて我を愉しませるぐらいにはな──!」

 放射状に放たれた無数の剣を号砲とし、第二幕が始まった。













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