剣の鎖 - Chain of Memories - 第五十六話









 凛の振り下ろした刃は桜の胸を深々と貫き、中にいた“モノ”にさえ到達した。確かな手応えと奇声にも似た断末魔の叫び。二つの確信を得てから凛は素早く処置に及んだ。

 魔術刻印を最大回転で運用しての応急処置。穿たれた穴より滑り込ませた手で屍骸を引き抜き確認もせずに握り潰す。
 手を染め上げたグロテスクな液体を血塗れの上着で拭い、そのまま首に下げていたペンダントを引き千切った。

 大粒の赤い宝石。聖杯戦争前に凛が父が遺している筈の触媒を探している最中に見つけ出した希少な宝石。
 凛が魔力を込めに込め続けた十の宝石に勝る魔力を秘めた真の切り札。最悪の場面で使う事を想定して常に身に着けていた遺品が、こんな場面で使う事になるなんて思いも寄らなかった。

 いや……もしかしたら、これこそが必然なのかもしれない。父の遺した宝石で桜の命を救う。そんな事を想定していたとはとても思えないが、今はただただ父に感謝の念を抱く他ない。

 この宝石を残してくれてありがとう。桜の命を救う為に、使わせて貰います……

 祈るように胸中で呟いて、凛は穿たれた穴へ向けて宝石に込められた魔力の全て、凛自身が持つ知識の全てを投げ打って、治癒に全身全霊を傾けた。

 凛自身、痛めた腹部の回復はまだ完全ではなかった。その為か、治癒を施している最中にも玉の汗が浮かび続け、眩暈にも似た浮遊感が常に彼女を襲い続ける。
 けれど、今はまだ手を止められない。せめて桜の呼吸が回復するまでは、手を休める事など出来る筈もなかった。

「────はぁああ……」

 それからの数分間で、桜の心臓部は結合し傷の穴はほぼ塞がった。とりあえずはこれでいい。呼吸も落ち着いているし、胸も静かに上下している。後は細部を完全なまでに繋ぎ合わせれば、処置は完了なのだが、

「あれは……」

 その気配を目聡く察知してしまった。

 暗闇を切り裂いて向かってくる黄金の立ち姿。本当ならば凛が対峙する筈だった男が、この場面で姿を現した。
 目まぐるしい思考の中、浮かんでは消えていく疑問の全てを投げ打って、凛は治癒に集中した。

 ガチャリ、と黄金の具足が背後で音を立てる。まだダメだ。今治癒を止めれば、魔術刻印がサポートしてくれている部分が決壊し、再度血を吐き出しかねない。後十秒。後十秒だけあれば、目処は立つのに。

 覚悟を決めた凛の脇をすり抜けて、黄金の男は空に穿たれた孔の前に立った。

「え……?」

 まるで凛など眼中に入っていないかのような仕草。赤い双眸が射抜く先には祀り上げられた聖女と黒い孔。じっと睨みつけるように不遜を誇っていた男が口を開く。

「いつまでそんな場所に篭っているつもりだ。さっさと出て来い。でなければ、その孔ごと斬り裂くぞ」

 無論、凛に投げかけられた言葉ではない。男は未だ空を見つめ、決して目を逸らさなかった。そしてその時。黒い孔が、嗤ったような気がして。

 突如として孔の中から飛び出した銀色の鎖。泥を突き破り深々と大地を抉り固定された鎖の向こう側から更に何かが這い出した。

 大地へと降り立った人影。あの暗黒の孔の中から姿を現すなど、凛には全てが埒外に思えた。更にその容姿が、凛の困惑に拍車を掛けた。

「うそ……ギルガメッシュが、二人……!?」

 先に姿をみせた黄金は完全に無傷のギルガメッシュだった。つい今し方孔より姿を現した男は、上半身を覆う鎧が損壊し、ほとんど半裸の状態だ。更に腹、肩に胸とに、無数の傷の痕のようなものが見受けられ、その全てを渦巻いた黒い泥で補強していた。

 桜の治癒の目処が立ち、思考を回すだけの余裕が出来た凛は、素早く状況を理解した。

 二人のギルガメッシュ。その存在はあの教会での一連の出来事で知っている。ならば恐らく、先に現れた黄金の方がセイバーであり、肉体を黒い泥で埋めている男こそが──原因は判らなかったが──言峰綺礼が隠し持っていた前回から現界し続けていたサーヴァントなのだ。

 対峙する二人の英雄王。無手のまま互いを睥睨し、そして理解した。この戦いこそが最終局。全てに終わりを告げる一戦であることを。






朋友/Finale VI




/1


 王は深い闇の中にいた。

 懐かしい夢を見る。唯一無二の朋友と定めた男との悠久の日々。孤独であり孤高であった王の傍に並び立とうと背伸びをし、終には天上の神々の怒りを買ってしまい、ただの土塊へと帰された、ある一人の道化者。

 今なおその心は王と共にある。そして彼の末期に残された言葉を、王は決して忘れない。

『……ああ。また来たんだね、キミは』

 そんな追憶を遮る声。虚空に響いた声らしからぬ声に、王は確かに聞き覚えがあった。十年前、聖杯より零れ落ちた泥に呑まれたその時に聞いた声。この英雄王に、不遜にもおまえは誰だと問うた愚かなる者。

『契約者に見放され、その身体を穴だらけにされてなお、この無の中で自我を保てるなんてのは、やはりキミは規格外だ』

 当然だ。この王を縛れるものなど世に一つとしてありはしない。神々でさえも王を束縛することあたわない。唯我独尊。天衣無縫。このギルガメッシュに、世界を飲み込む程度の悪意が染められてなるものか。

 逆に呑み干してやる。使役してやる。我が軍門に下るがいい、この世全ての悪よ。さすれば貴様の存在意義を達成させてやる。

『好きにするといい、英雄王。残念ながら、この無はまだ不完全なんだ。十年前でさえ呑み込めなかったキミを、この無が呑む事など有り得ない』

 周囲に漫然とあった闇が王の身体を補修する。傷を埋め、命を埋め、けれどその魂だけは何人たりとも穢せない。

『だからキミは完膚無きまでにやられるといい。その孤高の心を折られた時、キミはこの悪意に呑み込まれる』

 声の戯言を一笑に付す王。有り得ない。有り得るものか、そんな事が。王の心を折るなどと、そんな事はあってはならない。
 ──朋友との誓い。無限に連なる孤独の中で、王は決してその在り方を変えてはならないのだ。でなければあの男が悲しむ。あの男の言葉に背いてしまう。

 あの男の末期の想いは、千の財と比してなお、尊いものであるのだから。

『そう、ならば行くといい。待っているよ、キミと同位の存在が。そして──違う解を見つけたもう一人のキミ自身がね』

 言って声は消えていった。代わりに聞こえてきたのはあの男の声だ。
 よかろう、ならば全てに決着を。そしてこの悪意を以って世の粛清を創めよう。雑多に溢れ返った塵の山を、在るべき更地へと返す良い時分だ。

 天の下、天の上。唯一人我あり。一人我のみ尊し。

 故に王は二人もいらぬ。この英雄王ギルガメッシュこそが唯一無二。同じ称号を掲げた紛い物は、疾く無に帰せ……!





/2


「きゃ……!」

 言葉もなく始まった二人の王の戦い。吹き荒れる剣の雨。縦横無尽に乱れ飛ぶ剣が、槍が、矛が、斧が、数多の武具が相殺を繰り返し弾け飛ぶ。

「ちょ、ちょっと……! こんなところで……!」

「女、邪魔だ。死にたくなければその娘を抱えて疾く去ね」

 セイバーが視線すら傾けずに呟く。言われなくても立ち去る。こんなところに大事な妹共々居続けては巻き添えを喰うだけなのだから。

「セイバー! 負けんじゃないわよ!!」

「誰に向かって口を聞いている。この我は、もう二度と誰にも屈さん……!」

 号令一声、数を増す剣の乱舞。不遜な態度。全く違う口調。だけどあの男はサーヴァント・セイバーだ。衛宮士郎の召喚した従者だ。
 教会での敗戦はもう二度と有り得ない。十全な、有るべき力を取り戻したセイバーならば、あの英雄王にさえ互角に比する。

「思い上がったな紛い物。我に負けぬ? 戯言は、死んでから口走れぃ……!」

 乱れ飛ぶ剣戟の中、凛が岩盤の下へと桜を背負い疾駆していくその最中、泥を纏った英雄王が歪みから引き抜いたものは乖離剣。英雄王が所有する中で最大の威力を誇る世界創生の剣。

 対するのなら、セイバーもまた同じ剣を引き抜かなければならない。エアを迎え撃つにはエア以外に有り得ない。

 互いに宝物庫から繰り出す剣の乱舞を休めもせぬままに、手にした剣を渦巻かせる。互い違いに回転する刃は風を巻き込み、更なる風を周囲に呼び起こす。

 二つの剣。世界を切り裂く風が高く舞い上がっていく最中に、天に祀り上げられた少女の背後にある孔が、その規模を一際大きく増していった。
 解放の声。怨嗟の呼び声にも似た重厚な音が漏れ出し、聖杯の成就にして降臨の時は近い事を告げている。震動は地下深くまで至り、王らの足元さえを揺るがす。

 だが彼らは決して揺るがない。互いが譲れぬ矜持の為、その存在を貫く為。絶対の王は目の前にいる同一にして異質たる己を見据えて剣を掲げる。

天地乖離す(エヌマ)────開闢の星(エリシュ)……!!」

 全くの同時に解き放たれた赤い風が、黒く染まる空を斬り裂いていく。





/3


 姉の背中に揺られる少女は深い深い眠りの中にいた。

 目を開いて身体を起こしても何処にいるのか不確かで、足場も無ければ天も地も存在しない無なる場所。
 この場所こそが聖杯の中。ユスティーツァ・リズライヒの体内とも呼べる、本物の聖杯の内側だった。

「こんばんわ、サクラ。いえ、もうそろそろ、おはようかしら?」

 そんな確信に似た理解の隙間に届いた可憐な声。振り向けば一人の少女が立っていた。雪色の髪。触ればきっとサラサラでふわふわの綺麗な髪を揺らして、真っ赤な瞳でこちらを見つめている。

「貴女は……イリヤスフィール、さん?」

「イリヤでいいわ」

 この中には全てがあり、そして何もない。だから初対面である筈の彼女らはより近く互いの事を知っている。
 なぜなら二人は、この聖杯戦争の為に祀り上げられた聖杯であるのだから。

「えっと……これは一体、どういう状況なんですか?」

「ふふ。ただの夢よ。世界から切り離された場所で見る泡沫の夢。意味なんてないし、ただちょっとお喋りがしたかったから」

 そう言って微笑むイリヤスフィール。桜にはそれでも良く判らなかったが、なんとなく頷いた。

「……うん。でもね、やっぱりそんなに時間はないみたい。私が取り込んだ分と、この戦いの中で消滅した分。更に貴女の中にある分を受け取ってしまえば、私は私でいられなくなっちゃうから」

 聖杯に満たすべき数は七。イレギュラーを数えても、今彼女らの直下で死闘を演じる英雄王の二人を除けば総計で七の魂がくべられる。その意味するところはイリヤスフィールの自我の消滅。ただ聖杯としてだけ機能するヒトの形をした器となるのだ。

 その時こそが成就の瞬間。二百年前、それぞれの悲願を夢見た者達が頂いた聖なる杯が完全な形で降臨する。

「そんな……! じゃあ、わたしの分はわたしが受け持ちます。そうすれば、イリヤさんの負担は軽くなるでしょう……?」

 もはや全てを理解している桜の提案。杯に水を満たす必要はない。許容量を七分に抑えたとしても形だけなら顕現させられる。
 桜の持つ中身をイリヤスフィールに渡さなければ、最後の一線は守りきれる筈だから。

「ダメよ、サクラ。貴女の中にはもう受け皿が無い。聖杯として機能する核を、リンが取り出しちゃったから」

「あ……」

 心臓に巣食っていた臓硯の本体。十年前に崩れ落ちた聖杯の欠片を媒介とし、紛い物の聖杯として機能させていたモノは既に取り除かれた。
 間桐の呪いと共に遠坂が手を下した桜の身体は、今やただの一魔術師と比べて遜色は無いと言える。

 この場所に桜が居られるのも、未だある残り滓とイリヤスフィールの力に拠るものだ。つまり、桜には何も出来ない。同じ聖杯であった身でありながら、本物の杯にしてあげられる事は何一つとしてなかった。

「でも……でも、わたし……!」

 何かをしたかった。誰かの力になりたかった。これまで助けられるばかりで、そして言いたい事も言えなかった自分はもうイヤなのだ。
 たとえそれが偽善でも構わない。自己満足でも構わない。暗い底から救い出してくれたあの人たちの為にも、桜は何かがしたかった。

「────じゃあ、我慢してくれる?」

「……え?」

 こればかりは何が言いたかったのかわからなかった。小首を傾げた桜を見やり、イリヤスフィールはクスクスと笑い声を漏らした。

「貴女の中身は貰っていくわ。リンが命を賭けて助けたんだもの、それを一緒に連れて行ったりしたら怒られそうだし」

 くるりと後ろを向いて遠ざかっていくイリヤスフィール。理解できないまま、何も出来ないまま桜はその背中を見続けて、

「でもサクラ。だから貴女に我慢して貰うわ。貴女を置き去りにして、私は私の至るべき場所に登り詰める」

 ただ……、と呟き、足を止めるイリヤスフィール。

「そんなことを絶対に許さないって人がいるのよね。何でもかんでも救ってみせるって息巻いて、でも現実からは目を背けないで、でもやっぱり出来なくても必死でやろうとするバカなヒト」

「あ……」

 知っている。桜にもその人物に思い当たる人が一人だけいた。一生懸命で、形振りなんか構わないで、ただ誰かの為になりたい一心で自分から窮地に飛び込んでいく、見ていてハラハラする人。

 命賭けの魔術の鍛錬を見て以来、何度止めて欲しいと泣きつこうとしたかわからない。でも、止められなかった。その姿が、余りに眩し過ぎたから。

「ほんと、危なっかしいわよね。見てるこっちの身にもなって欲しいわ」

「ですね。今度からはちゃんと、言ってあげないと」

 二人でクスクスと笑い合う。同じ人を想い、同じ笑顔を零して。

「じゃあ、そういうわけだけど、許してくれる?」

「はい。今回は譲っちゃいます。けど、その後は覚悟して置いてくださいね。絶対、負けませんから」

「言うじゃない。私も負けないわ。だってあの子は、誰よりも大切な弟なんだから」

 その言葉を聞き届け、最後に笑顔を咲かせた桜の姿が消え去った。唯一人残されたイリヤスフィールもまた、暗闇の中で微笑んだ。

 消えていく最中に。一つの想いを囁いて。

「昔から、お姫様(ヒロイン)を助け出すのは正義の味方(ヒーロー)だって決まってるもの。だから私はずっとずっと信じてるよ、シロウ」





/4


熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)……!」

 赤い風が衝突を見る瞬間、狭間に生じた花弁の盾。咲き誇るように開いた薄桃色の防御壁は、向かい来る英雄王の風を堰き止める。

「士郎……!」

 凛の叫びを背に岩肌を駆け上がっていく士郎。応える声はなかったが、その背中がなお雄弁に語っている。
 任せてくれ。必ず、やり遂げて見せると。

「さっさと終わらせて来なさい……!!」

 凛もまた声を張り上げ声援を送る。もう大丈夫。騎士王を下しこの場所まで辿り着いたのだとすれば、今の士郎には何も不安を抱くことはない。
 ただ前へ。胸に誇る誓いの示す道を、ただ真っ直ぐに走り抜ける。

「くっ……。おのれ、雑種の盾などに、我が剣が負ける筈など、ない……!」

 叫び上げる英雄王の声に呼応し、砕け散っていく花びら。後押しをするセイバーの風のお陰で多少は持ち堪えているが、そうは長くは持たない。

「ギル……!」

「来たか」

 黄金の背中を捉え、セイバーもまた振り向かずに応える。

「道は拓く。貴様が行け」

「ああ、わかった……!」

 駆け抜ける足を止めぬまま、士郎はセイバーを追い越し突き進む。程なく花弁の盾は砕かれて、振るわれた暴風もまた収束を見る。

「雑種……! 先に貴様が死にたいか……!」

 千の剣が王の背後で展開され、弾けるように放たれる。超高速で繰り出される剣を前にしてなお、士郎は決して怯まない。後ろにいる男が言ったのだ。道は拓くと。ならば、恐れるものなど何もない……!

「なに……!?」

 無数の剣が宙を疾走し、士郎目掛けて獰猛なる牙を向いたその時、虚空から奔ったのは数多の鎖。天と地を繋ぎ止める銀色の光が士郎を守るように走り抜け、襲い来る剣群の全てから守り抜いた。

「キサマ……そこまで堕落したか!」

 その光景に憤慨を見せるのは英雄王。天の鎖。王の最も信頼を寄せる朋友の名を冠する宝具を、そのような雑種を守る為に使役するなど笑止千万。

 だというのに、セイバーもまた違う意味での憤慨を露にする。

「下郎。我が朋友に刃を逆向けるとは、貴様の方こそ何と心得る」

「なんだ、と……?」

 およそ予期していなかったセイバーの言葉に、英雄王の怒りは頂点に達する。

「キサマァ……このような雑種が、紛い物が朋友だと!? 戯言も互いにしておけよ痴れ者がッ!
 英雄王が朋友は天上天下に唯一人! このような小僧など、断じて認めん……!!」

 降り注ぐ剣の雨と、縦横無尽に鎖が走り抜ける空間の彼方、黒い穿孔の真下にて激怒する英雄王の手にする乖離剣が、再度その猛威を振るわんと金切音を巻き上げる。

 英雄王にあって、セイバーの言はなにもかもが認められない。こんな小僧が、偽者が、英雄王の朋友などと謳うのはどの口か。
 そんな戯言は英雄王に対する侮辱。生涯の朋友に対する汚辱だ。その身を粉微塵と化しても雪ぎ切れない泥を塗った、貴様はここで朽ちて死ね。

 その猛りを前にして、セイバーもまた手にある剣を解放する。

「貴様こそ何を謳う。あの男の言葉を、末期の祈りを聴いてなお、そのような戯言をのたまうか!
 我が朋友の儚くも尊かった生き様を、否定する権利など貴様にはない……!」

 英雄王ギルガメッシュの朋友。エンキドゥの遺した言葉。

 “────この僕の亡き後に、誰が君を理解するのだ? 誰が君と共に歩むのだ? 朋友よ……これより始まる君の孤独を偲べば、僕は泣かずにはいられない……”

 これはただの解釈の違い。朋友を想う余りにその朋友を悲しませない為に孤高足らんとした一人の君臨者と。
 朋友の悲しみを悼み、その朋友が安らかに眠れるように新たなる朋友を得ようとした一人の王者の話。

 そんな小さく、そして決して交わらない断裂が、二人の王を別つ想い。どちらも朋友を想うからこそ零れ落ちた違いの形に他ならない。
 相容れない相克。義憤に燃える両者の間には、けれどそんなものは知ったことかと走り抜ける一人の男の姿がある。

「ウォオオオオオオオ……!」

 剣の雨が降り注ぐ中、銀色の鎖が張り巡らされた道の只中を、士郎は真っ直ぐに駆け抜ける。
 こんな紛い物を朋友と呼んだ者の為。己の信ずる正義の為。悲しませないと約束した少女の為。士郎は立ち止まらず、君臨する王の下へと疾駆する。

「……雑種の分際で! 貴様らは纏めて消え去れ……ッ!!」

 最大規模で咆哮を上げる赤い風。世界を別つ風の猛威に、セイバーもまた己が至宝を振り上げ対抗する。

 衝突する風。吹き荒れる余波で士郎を防護する鎖に亀裂が走る。英雄王の振り被る剣は際限がない。聖杯より直接魔力供給を受ける彼の王の出力は、士郎というパスを経由しなければならないセイバーを上回る。
 特に連撃においては、その違いが真っ向から差が生じてしまう。

 収束した風が更なる風を巻き起こそうと振るわれる。狂える英雄王の最大の一撃。宝物庫のバップアップさえも上乗せされた遍く宝具の頂点に位置する原初の地獄が今、生まれようとしていた。

 対するセイバーにはそれだけの力を引き出す魔力が残されていない。無理矢理に吸い上げれば、士郎が崩壊の憂き目を見ることになる。

 ……でも、大丈夫。あの背中を。朋友を信じて駆け抜けてくれたあの背中ならば、全てを託しても何ら問題などない。
 後は一声吼え上げるだけだ。魂を震わせて。腹の底からその名を呼んで。

「ゆけぇぇぇ……! シロォォォォォォォォォォ……!!」







 セイバーの吼え上げを背に、士郎は己が内へと沈み込む。

 あの中空洞で目を覚ました時、既にアルトリアの姿はなかった。けれど、代わりに胸に温かなものがあった。
 恐らく、彼女がくれた魔力。直接注ぎ込まれた自分のものでもイリヤスフィールのものでもないその魔力こそが、士郎が成し遂げたものの証明だった。

 実際のところはわからない。けど、信じたい。士郎の想いは彼女に伝わり、そして在るべき場所へと還ったのだと。

 だから、今度はその力を借りる。本物を何一つとして持たない士郎が唯一手にする、剣を収める鞘。
 衛宮士郎という無限の剣をずっと守り続けてくれた彼女の鞘。黄金の光を束ねた、あの騎士王を守護する究極の一を借り受ける。

 あと少しで届くその場所に、セイバーと同じでありながら違う王が君臨する。手には理解すら不可能な剣。赤い風と黒い泥に覆われたその姿に、士郎はこれまでの全てを込めて一撃を叩き込む。それで全てが終わる。この聖杯戦争に、本当の幕を引く。

天地乖離す(エヌマ)────開闢の星(エリシュ)……!!」

 振るわれた断罪の剣。彼の王の怒りを体現する、猛き風。刹那に目の前に展開された天の鎖。銀色の盾が英雄王の一撃を受け止める。

「────投影(トレース)!」

「エンキドゥゥゥゥ……!!」

 王は自らの朋友さえ砕かんと吼え猛る。己が手にする鎖以外は全て贋作。朋友でさえ有り得ないとばかりに。
 世界断絶の風の前に、脆くも銀色の鎖は砕け散る。だけど、充分。士郎が己が内からそれを引き抜く為に、充分すぎる時間を稼いでくれた。

完了(オフ)────!」

 左手に具現化する黄金の鞘。ありとあらゆる工程を省略し投影された彼女の鞘は、未だ残る彼女の魔力に呼応して主を守護する。
 赤き断層の風を薙ぎ払い、主の辿るべき道を作り上げる。

「バカな……! エアが敗れるだと……!?」

 士郎の右手の中には、既に同時に投影された剣がある。不可視の剣。朋友が託してくれた一刀を、自らの力で築き上げた一振り。二人を繋ぐ、絆の剣。

「そこをどけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……!!」

 左手には騎士王の鞘を。
 右手には英雄王の剣を。
 胸には尊く眩い理想を抱いて。

 ────衛宮士郎は、最後の敵目掛けて剣を振り降ろした。





/5


「────、…………っずぁ……」

 終わりは速やかにして成った。英雄王を袈裟に斬り裂いた不可視の剣。巻き上がる血飛沫は絶命の叫びを代弁した。

 仰々しく倒れ伏した傍らで、士郎も膝をついて息を荒げた。その只中へ、歩み寄るもう一人の英雄王……セイバーの姿。
 見下ろす赤い瞳と見上げる赤い瞳が交錯する。

「……フン。我は認めん。このような結末も、そこな雑種も」

 血濡れの英雄王の吐き出した言葉に、セイバーは雄々しく答えた。

「構わぬ。貴様と我は既に何もかもが違っている。故に我は貴様ではなく、貴様は我ではない。
 怒りもまた、無二の朋友を想えばこその憤慨であろう。ならば、ただ単に我らの違いはその受け止め方の差でしかない。
 この結末にしても、同等の力を有するが故の必然である」

 一と一がぶつかり合えば、互いに相殺しゼロになる。この戦いはそういう戦いで、単に士郎というプラス分を得ていたセイバーの勝利は、ある意味で予め定められていたものとも言えるだろう。

 セイバーの弁を聞き、英雄王が笑う。血を零しながら、その最期に。

「……ああ。だから我は、我が気に喰わんのだ……」

 そんなことを言い、透けるように消えていった。







 戦いは終結した。セイバー以外の全てのサーヴァントが消え去り、後は最後の始末を残すのみ。

「士郎……!」

「遠坂」

 身体を起こし、空にある孔を見ていた士郎の元に駆け寄る凛。桜は戦闘の及ばない場所に置いてきたのだろう。

「遠坂。戻って来てくれたところ悪いけど、先に脱出してくれないか」

 先ほどから響いている震動。この大空洞全体を揺るがす揺れは聖杯の降臨の余波だけではない。エアが巻き起こした風が斬り裂いたものは、この場所全体に及ぶ。
 直に崩れ落ちるだろう。上にいるバゼットも心配だが、流石にこの揺れを感じ取れば安全な場所に避難する筈だ。

「じゃあ、士郎。後は任せていいのね……?」

 真摯な瞳に見つめられ、士郎は力強く頷いた。

「ああ。最後の後始末は、俺とセイバーがやる。こんなもの、さっさとぶっ壊してイリヤを連れて戻るから。先に上で待っててくれ」

「判ったわ。絶対に戻ってきなさい。待ってるから。あと、セイバー。お疲れ様、アンタも良くやったわ」

「フン」

 そんなセイバーの様に苦笑しながら、凛は一足早く出口を目指して駆けて行った。

「じゃあ悪いけど、ギル。聖杯を破壊してくれないか」

「断る」

「はぁ……!?」

 にべもなく斬り捨てられた言葉に、士郎は困惑顔だ。士郎には聖杯を破壊するだけの出力を持つ宝具を投影できない。
 命を賭けてエクスカリバーを投影しようとも思えば出来ない事もなかったが、リスクが大きすぎる。エアという最大出力の宝具を持つセイバーなら、と思っていたのに。

「な、なんでだよ。おまえ、こんな聖杯欲しいのか!?」

「勘違いするな。幕を降ろすのは我であり我ではない」

 やおら背後の空間から取り出したの小さな小瓶だった。一体何をするものなのかと訝しんだ士郎の目の前で、セイバーは一息に小瓶の中身を煽った。
 それと同時に渦を巻いた風。白靄のような風がセイバーの全身を覆い隠し、晴れた視界の先には先ほどまでのセイバーの姿はなく、士郎が土蔵で召喚した姿の小さなセイバーの姿があった。

「あや……。普通このタイミングで代わるかなぁ。あれだけ息巻いといて、別れを告げるのは恥ずかしいとか、どんなキャラだっていうんですよ、ねえお兄さん」

「ギル……? いや、あっちのもギルだけど、こっちのもギルだよな?」

「ええ。この姿ではお久しぶりですね」

 士郎はようやく納得が言った。どんな仕組みかは知らないが、どちらもセイバーだったのだと真に理解しえた。

「さあ、ちゃっちゃと壊してしまいましょう。こんなものは、僕の蔵に納めるべき価値すらない」

「ああ、頼む」

 一歩前に歩み出たセイバーに向かって、士郎は左腕を突き出した。残る二画分の赤色の令呪。おそらく残存魔力がほとんどないセイバーに聖杯を破壊させる為には、令呪の力が必要だろう。

「ああ、お兄さん。使うなら全部使ってください。でないと、今の僕じゃエアは抜けませんから」

 その点さえも考慮して、あの青年体のセイバーはこのセイバーに身体を譲り渡したのだろう。セイバーの言葉に頷き、士郎は願いを乗せて呪を紡いだ。

「──第七のマスターが命ず。セイバー、聖杯を破壊してくれ」

 力が迸り、セイバーの身体に十全の魔力が吹き込んでいく。次いで歪みより引き抜かれる乖離剣。
 回転を始めた刀身を掲げたセイバーの背を見やりながら、士郎は更なる呪を謳う。

「──重ねて命ずる。セイバー、そんなものはぶっ壊せ……!」

 鬩ぎ合う風が断層を造り出し、空に穿たれた孔と魔術基盤である大聖杯さえも巻き込んで両断する。世界さえも斬り裂く剣。こちらと向こう側を繋ぐ門でさえも、容易く斬り伏せ消滅させた。

 完全に消え去った黒い孔。その孔に囚われていたイリヤスフィールが舞うように降りてくる。意識を失くした彼女を士郎が受け止め、これで完全に全てに決着がついた。後は脱出するだけだ。

「はい、これで全部終わりましたね。お疲れ様です」

 軽やかな口調は、いつかのセイバーと変わらない。令呪は消費し切り、聖杯も消え去った今、セイバーをこの世に繋ぎ止めるものは失われた。元あった場所に還るだけと言ってしまえばそれまでだが、こんなにも清々しい顔で言われるのは少しだけ悲しい。

「ああ、お疲れ。今更だけどさ……良かったのか? 聖杯壊しちまって。おまえが召喚に応じたのだって、何か叶えたい願いがあったんだろう?」

「やだな、お兄さん、僕の願いはもう叶えられました。この現世で得た二人目の友人。一人目の彼の想いを汲んだ、“この”ギルガメッシュの目的は果たされました。
 だから、未練なんてものありません。僕の言葉をちゃんと聞いてくれたお兄さんの想い一つで、僕は充分に満足です」

「……そっか」

 互いに距離を置き続けてきた二人が手にしたもの。最後の最後に掴み取ったものは、きっと本物の輝きだから。

「じゃあ早く脱出してください。僕のせいで巻き添えなんてのは、後味が悪いですから」

 セイバーはこの場で消えるつもりだ。既に足元から透け始めている。待つ時間はあるだろう。全てがこの場所から消えるのを待ってからでも、きっと間に合う。
 でも、行けと言ってくれたから。朋友と呼んでくれた者の言葉を無碍には出来ない。

 最後にその姿を目に焼き付けるように見つめ、士郎はイリヤスフィールを背負って駆け出した。
 崩壊の音が近づく。そこかしこで崩れ始めた大空洞の中心地より降りるその前に、士郎は一度だけ振り返った。もう半分以上透けているセイバーがずっと、こちらを見ていた。

「ギル……! 俺、おまえが俺のサーヴァントで良かった! おまえが一緒に居てくれて本当に良かったと思ってる!
 だから、忘れない! おまえって奴がいた事を、最高の友達がいたってこと、俺は絶対に忘れないから……! だから、おまえも……!」

 ────俺のことを忘れないでくれ。

 その言葉を届いたのかは判らなかったが。
 最期に──セイバーは輝かしい笑みを残して、静かにこの世界を後にした。













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