剣の鎖 - Chain of Memories - 第九話









 それは、五年前の冬の話。

 月の綺麗な夜だった。
 自分は何をするでもなく、父である衛宮切嗣と月見をしている。
 冬だというのに、気温はそう低くはなかった。
 縁側は僅かに肌寒いだけで、月を肴にするにはいい夜だった。

 この頃、切嗣は外出が少なくなっていた。
 あまり外に出ず、家にこもってはのんびりとしている事が多くなった。

 ……今でも、思い出せば後悔する。
 それが死期を悟った動物に似ていたのだと、どうして気がつかなかったのかと。

「子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた」

 ふと。
 自分から見たら正義の味方そのものの父は、懐かしむように、そんな事を呟いた。

「なんだよそれ。憧れてたって、諦めたのかよ」

 むっとして言い返す。
 切嗣はすまなそうに笑って、遠い月を仰いだ。

「うん、残念ながらね。ヒーローは期間限定で、オトナになると名乗るのが難しくなるんだ。そんなコト、もっと早くに気がつけば良かった」

 言われて納得した。
 なんでそうなのかは分からなかったが、切嗣の言うことだから間違いないと思ったのだ。

「そっか。それじゃしょうがないな」

「そうだね。本当に、しょうがない」

 相槌を打つ切嗣。
 だから当然、俺の台詞なんて決まっていた。

「うん、しょうがないから俺が代わりになってやるよ。
 爺さんはオトナだからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ。任せろって、爺さんの夢は」


“────俺が、ちゃんと形にしてやっから”


 そう言い切る前に、父は微笑った。
 続きなんて聞くまでもないっていう顔だった。
 衛宮切嗣はそうか、と長く息を吸って、

「ああ────安心した」

 静かに目蓋を閉じて、それきり、目覚める事はなくなった。

 それが五年前の冬の話。
 衛宮士郎の行く先を決めた別れ、衛宮士郎は正義の味方になると決まった夜の事。

 災禍の中から見上げた空は泣いているよう。
 ただその中にあって、あの光景は知らず胸に焼き付いている。
 死にかけの子供を抱いて、

 ありがとう、と。
 見つけられて良かったと。

 一人だけでも助けられて救われたと、誰かに感謝するように、衛宮切嗣はこれ以上ないという笑顔を零した。
 誰も助けてくれなかった。誰も助けてやれなかった。
 その中でただ一人助けられた自分と、ただ一人助けてくれた人がいた。

 だから、そういう人間になろうと思ったのだ。

 彼のように誰かを助けて、誰も死なせないようにする正義の味方に。
 それが子供じみた空想の絵空事でも、そう出来たらいいと夢見てしまった。

 それこそが衛宮士郎の行動原理。

 子が親の跡を継ぐのは当然のこと。だから幼いながらに強く誓った。
 果たせなかった夢を遺して穏やかに幕を閉じた男の代わりに、誰よりも憧れた男の代わりに、衛宮士郎は、

 ────彼の夢を果たすのだと。






暮れなずむ場所で/Ricordanza I




/1


「────────」

 懐かしい夢を見て、目が覚めた。
 窓からは鮮やかな朝の光が差し込んでいる。あの頃を夢に見たのは何時振りだろう。覚えていないけど、それはきっと昨日の出来事のせいで───……

「…………っ。いたたたた、」

 時計を見ようと身体を起こした途端、言い知れぬ痛みが全身を駆け巡る。倒れかけた身体を気力だけで支えて無様に倒れることだけはなんとか防ぎきった。

「……痛っ………なんだこれ。筋肉痛?」

 ぼんやりとした脳は無自覚な痛みで強制的に覚醒し、霞みかかっていた思考は一瞬の内に晴れ渡った。
 その頭で昨日の出来事を思い返す。

「えーっと……ギルと……ああ、そうか」

 鍛錬という名のしごきを受けたんだった。
 人とサーヴァントの違いを思い知れとギルは言ったが、その言葉どおりの結果となったのだ。勢いあまって飛び込んだ俺を竹刀一閃、無常にもそれだけで俺の意識は彼方へと飛んでいった。

 それもすぐに覚めたが目を開いて最初に見た、俺のあまりのだらしなさに閉口したギルの顔が印象深い。うわあ、弱いですねお兄さん……と口にだしてはいなかったが聞こえた気がする。
 ぐうの音も返せなかった事が胸にしこりを残している。

 だが気を取り直して鍛錬を続ければそれで喝が入ったのか、最初のように一撃で昏倒させられるなんてことはなくなった。力だけで見ればギルと俺はそう大差なかったのが幸いしたのか、受けきる事はそう難しい事じゃなかったからな。………まあ一撃耐えるだけで、すかさず打ち込まれる二撃目にやられるんだが。

 ただなんというか……終始相手のペースで戦っていたような違和感。取れると思った一撃でさえ予めそこに打ち込む事が見えていたかのような反応速度でギルは回避し逆にカウンターを入れてきた。

 そこで感じたのが“打ち込んでいる”つもりなのに“打ち込まされている”という感覚。それがずっと頭の隅に降っては消えていた。

 結局最後までその違和感を拭い去れず、俺はギルの術中で平伏せざるをえなかった。
 思いっきり手加減されてそうなのだ。ギルはアーチャーと戦っていた時のような攻めに転じる苛烈さを微塵も出さず俺をやり過ごした。

 つまりサーヴァントにとって人間など相手にする価値もない。蟻が人間に勝てないようなものだ。足元にも及ばないというのはまさにこの事。どれだけ意思が強かろうと、世の中には絶対に勝てないヤツがいる。それが解っただけでも昨日の鍛錬には意味があった。

「さてと、起きるか」

 若干の痛みはあるが、この程度で屈するほど柔な鍛え方はしていない。
 寝起き直後は油断してたから不意打ちを喰らったが、自覚さえしてしまえばいつも通りに振る舞える。

 時刻は六時前。
 耳を澄ませば小気味良い音が響いてくる。桜が朝食の準備をしているんだろう。
 さっさと起きて手伝いに行かないとな。







 ギルは食事中は自分からそう話す方ではないようで、一人で捲くし立てる藤ねえの相槌を打つのがせいぜいだった。それ故か、一人増えてもいつもどおりの騒がしさで朝食はつつがなく進められた。
 ただ一つ。気になった事があるとすれば、

「また新都でガス漏れ事故だって。なになに? オフィス街にあるビルで、フロアにいた五十人近い人達がまた同じような症状。
 帰りが遅い事に不信感を募らせた家族が会社に電話を入れてみるも、警備員はその惨状に気づかなかったんだって。何よこれ、職務怠慢なんてもんじゃないじゃない」

 もう、物騒だなあ。と呟いて、それで食欲がなくなったのか、藤ねえは三杯目のご飯から手を離した。
 朝のニュースで報じられた内容。ここ最近頻発しているガス漏れ事故が昨夜も起きたらしい。原因は急な都市開発による欠陥工事によるものらしいが……。
 学校の結界同様この時期、このタイミングで起こり続けている事故。この状況でこれが聖杯戦争と無関係だと確信出来るほど俺は楽観的ではない。
 それに憤りを感じながら視線を動かせば、ギルは淡々と食事を進めていた。藤ねえは箸を止めテレビを食い入るように見ており、桜も似たような具合で不安に表情を歪ませていた。

「士郎。あんた確か新都でバイトしてたよね?」

 その報道が終わり、CMが始まったあたりで藤ねえがそう言った。
 休んでいた箸も緩慢に動き始めている。

「ああ、そうだけど」

「しばらく休んだ方がいいじゃない?
 最近何かと物騒だし、夜一人で出歩くのはちょっと危ないじゃないかな」

「……………………」

 返せる言葉はない。
 戦いに身を置くと決めた以上、素直には頷けない。魔術師にとって夜こそが戦いの舞台なのだ。なら帰りが遅くなる言い訳にバイトという口実を失うのは巧くない。
 返事の代わりに食べ終えた茶碗の上に箸を置いた。

「……ほどほどにしときなさいよ。別にお金に困ってるってワケでもないんだし」

「ああ、あんまり遅くならないように気をつける」

 それで話は終わった。

 朝食が終わると藤ねえは一足早く家を後にし、俺と桜とで後片づけをした。
 その桜も朝練があるから俺よりも早く家を出ることになる。
 準備をしておいた弁当をカバンに詰め込み、学校へ向かう桜を玄関先まで見送る。

「じゃあ先に行きますね、先輩」

「ああ。朝練、頑張ってな」

「はい」

 花のような笑顔を咲かせ、桜は衛宮邸を後にした。

「………さて、と」

 まだ時間はある。
 居間に戻り、少し話を聞いておこう。







「無関係とは思えませんが、確証もありません」

 とはギルの言。
 確かに現場に行ったわけでも犯人を見たわけでもないからな。断ずる事は出来ないけど。
 淹れ直したお茶を自分とギルの前に置いてテーブルを挟んで向かい合う。

「まあ、ほぼ確実に他のマスターの仕業だとは思いますけどね。
 ですが今お兄さんが気にするべき事はそっちじゃなくて学校の方です」

「む。それは解ってるけど」

 お茶を啜りながら言葉を返した。
 何でもかんでも背負い込むと動けなくなる。だからまず目先の問題から片付けていくべきだ、という事だろう。一応だが事故のほうはまだ死者は出ていないようだし。しかし学校の方は発動すれば皆死ぬ。

「一応確認しますけど、学校に行かないという選択肢は?」

「ない。そもそも学校にマスターがいる現状で、何日も休んでたらそれだけで怪しまれるだろ。それに学校に結界を張ったヤツを止めないといけない」

 それが俺がマスターとして戦うと決めた最初の決意なんだ。
 ギルでは呪刻の破壊は出来ないと言っていたし、俺にもそんな芸当は無理だ。なら相手と直接話すことで解除させるか、打倒して無理矢理にでも止めるしかない。無関係な誰かを巻き込もうとする輩を、野放しには出来ない。
 俺の返答にギルは露骨な溜め息をついて、視線を真っ直ぐにこちらに向ける。

「じゃあボクの言葉をよく聞いておいて下さい。一つの間違いで死に瀕するところにいるって事を常に念頭に置いて。
 まずボクは霊体化出来ませんから、ずっとお兄さんの傍にいることは出来ません。ですが相手のマスターは確実にサーヴァントを連れているでしょう。
 そのマスターがお兄さんをマスターと知る人物ならなんらかのアクションを起こすと思います。知らないならば何事もなく一日を過ごせるでしょう」

 それは昨日聞いた通りだ。
 学校にいるマスターがアーチャーかランサーのマスターの場合、俺がマスターだと知っている。どういう行動に出るかは判らないが、サーヴァントも連れずにマスターが出歩いていれば何らかの反応を見せてくれるはず。それを見極めろというコトだ。……言うのは簡単だけど、誰かも特定出来てない人物に気を配れなんてかなり難しいぞ。
 で、相手が俺をマスターだと知らなければいつも通りの日常だ。俺はギル曰く魔力を発していないので、相手に感知される事がないらしい。俺も相手を感知できないから五分五分なんだけど。

「日中、人前では流石に相手も動かないでしょうけど、念のため常に周りには気は配っておいてください。
 最も危険なのは日が暮れ、一人になった時です。ボクが敵ならお兄さんが一人になれば必ず接触します。
 相手が接触してきた時は冷静に、今から言う対処法を思い出してください」







 それから数分。
 ギルの言葉に耳を傾け続け、念入りにその対処法とやらを教授してもらった。

「…………そんなんで出来るのか?」

「ええ、大丈夫です。先を見越せばこの段階で切り札は使いたくはない。ですが死んでしまっては元も子もありません。
 その辺りの判断はお兄さんにお任せします。ボクが提示した対処法はあくまで可能性を示す為のものです。それ以外の行動を敵が取ることもありえますし、何らかの不具合が起こる可能性もあります。
 ですから現場の判断で、その都度自分が最善だと思う行動を取ってください。そうすれば必ず活路は開けますから」

 そこまで言い切りずず、とお茶で喉を潤おしてギルは一息ついた。
 ……何故かは知らないが、その言葉には妙な説得感あった。正しいと思う事をすれば、必ず道は切り拓ける。だから自分を信じろ、と。

「わかった。善処する」

 ギルの言葉を噛み締めるように頷いてから立ち上がった。

「じゃ、行って来る。
 留守番頼むな。外に出るときはカギ閉めてってくれ」

 スペアのカギを渡し、ギルに見送られ屋敷を後にする。
 どうなるか……まだ分からないが、やれる限りは自分の力でなんとかするしかない。
 青の中に白の斑を残す空を仰ぐ。
 寒冷な空気を肺に満たしながら、少しの不安と共に歩き始めた。  





/2


 話し込んでいたせいか、坂を上りきった頃には七時四十分を過ぎていた。
 いつもより多少遅くなったが、朝のホームルームには充分間に合う時間だ。余裕を持って正門を通り抜け、校舎へと向かう途中。

「────────」

 何かおかしな違和感に襲われて、足を止めた。

「…………この感覚は……」

 間違いない。これは昨日、屋上で見つけた呪刻に近づいた時の妙な感覚だ。甘ったるくて粘ついた液体の中にいるような不快感。
 そのせいか、敷地内には活気がない。校舎に向かう生徒たちだけじゃなく、木々や校舎そのものも、どこか色褪せて見えるような錯覚だった。

 ギルの話によれば、この結界は魔力を注ぎ込み術者の意思で発動するタイプらしい。昨日は魔力が薄かったせいか、呪刻の近辺でしか感じられなかった感覚が、今日この段階で既に学校全体を覆っている。

「………………………ふう」

 目を瞑って一つ深呼吸。
 焦るな。まだ発動はしていない。学校全体を人質に取られたようなものだが、無駄に動いてこっちの思惑を感づかれちゃ全てが無駄になる。
 まずは相手の尻尾を掴む。それまで無闇に動き回るのは得策ではない。

 気を持ち直して歩みを再開する。
 校舎へと入り、三階に上がって教室に向かう。人で溢れる廊下。その雑踏の途中、廊下の壁にもたれかかっている一人の生徒が目に留まった。

 ──────遠坂凛。

 何をしているのか知らないが、腕を組んだまま背を壁に預け目を閉じている。
 教室はもうそこなのに、本当に何してるんだろ。

「……………………」

 特別親しいわけでもないので、そのまま遠坂の前を通り過ぎる。
 と、すれ違う瞬間。

「……そう。舐められたものね」

 なんて、呆れと怒りの入り混じったような声が聞こえた気がした。
 だがその音も同じく廊下にたむろする連中の雑談や朝の挨拶の声に掻き消され、本当に遠坂が呟いたものかどうかも怪しかった。
 振り返ってみても、そこには既にさっきまであったはずの遠坂の姿はない。教室はすぐそこだから、中に入ったんだろう。

「………………」

 その音が妙に気になったけど、それも教室に入ると上書きされた。
 教室にもあの違和感が漂っている。お菓子のような、微かに甘い香り。

「……今はどうすることも出来ないか」

 男連中に挨拶をしながら席に着く。
 ホームルームが始まるまでは後十分ほど。その間にぐるりと教室を見渡して、鞄のない席に気が付いた。

「慎二のヤツ、欠席か」

 そういえば昨日も部活を休んでいたっけ。
 ああ見えても慎二は几帳面で、神経質なまでに規則を守ろうとするヤツだ。そんなアイツが二日も学校にいないというのは、なんとなく気になった。







 昼休みになった。
 教室にいると人の弁当を虎視眈々と狙うクラスメイトに襲われる危険性がある為、弁当の日は大概この生徒会室にお邪魔する事にしている。
 ガラッと扉を開けてみれば、部屋には主たる穂群原学園生徒会長の柳洞一成が、

「……どうしたんだ、一成。なんかぐでっとしてるぞ」

 机に突っ伏していた。
 教室、授業中は模範生徒のような毅然とした姿勢を崩さなかった一成が、生徒会室では妙にだらけている。こんな姿はこの場所でもほとんど見た事がないんだが……。

「うむ……何故かは知らんがここ最近妙に眠いのだ」

「夜更かしでもしてるのか? お山は十一時には完全就寝じゃなかったっけ?」

 とりあえず椅子について弁当を広げる。
 一成は既に食べ終えているようで、机に顔を張り付けたまま動こうとしていない。

「うむ……就寝時間は守っている。だが最近寝付きが良くなくてな。いくら眠っても疲れが取れない。おかげで、ここ数日はすることがなければほとんど寝ている」

「なんだそれ。そんなんじゃ逆に眠くなくなるだろ」

「しかし寝ても寝ても眠いのだ。疲れを取る為に眠るというのに、目が覚めても疲労は消えん。だからまた睡眠を取るのだが………むう、後生だ衛宮。昼休みが終わる前に起こしてくれ」

 それきりすやすやと寝息を立て始めた。
 本当に疲労が溜まっているようだ。寝ても寝ても眠いなんて……なんかの病気なんじゃないか? あとは栄養が足りてないとか。肉はあんまり食えないみたいだし、そっち系の栄養が不足してるのかも。今度一成用に肉弁当でも作ってきてやるか。

 と、そんな事を考え、自分の弁当に箸をつけようとした時。
 コンコンと、扉をノックする音が部屋に響いた。

「おい、一成。客だ」

 ゆさゆさと一成の身体を揺する。
 寝てるのを起こすのは忍びないが、俺はここでは一応部外者だ。生徒会に用のある人間を生徒会に所属していない俺が出迎えるのはあんまり良くない。

「……生徒会は閉店セール中だ。客など放っておけ」

「……そのヘンな言い回しは置いとくとして、どうやらその客ってのが葛木先生みたいなんだけど」

「────むむ。それはまずい」

 その一言で一成は生徒会長の顔に戻り、ゆらりと立ち上がって応対に向かった。
 扉が開かれ、入ってきたのはやはり葛木先生だった。

「柳洞。今朝の弓道部の件だが────」

 と、生徒会室に俺がいる事に気がついて、葛木は言葉を止めた。
 葛木宗一郎は二年A組の担任で、生徒会の顧問でもある。すらりとした痩躯で厳格な態度を常に崩さない、この学校でもっとも厳しい教師である。
 だが何故かは知らないが、学年が上がるにつれ、葛木は生徒の間でも人気を博す教師となる。まだ二年たる俺はその領域には達していないのだが、三年になればこの男の良さというものが理解できるようになるんだろうか。

 俺がくだらない思索をしている間、一成と葛木はなにやら物騒な会話をしていた。
 聞こえてしまった内容を吟味すると、昨日から行方不明の生徒がいて、その生徒と最後に会っていたのが慎二だという事だが────

「邪魔をしたな。そういった事情もある。また下校時間が早まるだろう」

 用件だけを述べて、葛木は生徒会室から去っていった。

「……まったく。なあ衛宮、おまえ慎二を見なかったか?」

「いや、見てない。今朝は弓道場にも行かなかったし、アイツが休んでるってコトはおまえも知ってるだろ」

「そうか。それならいいんだが……」

 深刻そうに顔を曇らせる一成。
 ───まいったな。
 そう無遠慮に訊ける話じゃなさそうだが、どうも事は弓道部に関わる事のようだ。
 一成には悪いが、無理でも詳しい話を聞くべきだろう。

「一成。昨日から家に帰ってないとか言ってたけど、それって誰なんだ? いや、慎二のヤツも掴まらないってのは判ったけど」

「ん……? そうだな、衛宮も部外者という訳ではないし、知っておいてもいいだろう」

 そう前置きをして、一成は言葉を続けた。

「昨日の夜の話だ。
 弓道部の練習に出た娘が家に帰ってこない、という連絡があってな。至急、練習に参加した生徒達に話を聞いたところ、行方不明になった生徒と最後に話していたのは慎二と判ったのだ」

「──────」

 慎二と、話していた……?
 いや、待て。慎二は昨日の練習には参加していなかったはずだ。
 姿を見かけることはなかったし、美綴も慎二はサボリだと言っていた。それに弓道部のみんなとはちゃんと校門で別れた。

「ああ。衛宮もいたらしいな。話はその後だ。
 忘れ物をしたらしい一年生が道場に戻った時、慎二が道場の前にいたらしい。その時にな、慎二とそいつが口喧嘩してたそうなんだ」

「──────」

 嫌な予感がする。
 ……あの時、道場に残っている可能性があるとした、それは一人しかいないからだ。

「一成、肝心な話をぼかすな。
 ……それで、昨日から行方不明になってる生徒ってのは誰なんだ」

 一成は言うべきかどうかを僅かに思案して見せた後、俺なら大丈夫だろうと悟ったのか、それとも俺がすでにその人物に当たりをつけている事に感づいたのか、

「……うむ。美綴綾子、弓道部の主将だ。
 彼女は道場の鍵を職員室に戻した後、弓道場前で見かけられてから一向に行方が知れない」

 言いづらそうに、視線を逸らしながらそう言った。

「………………」

 美綴が行方不明。そして美綴と最後に会っていた姿を目撃されたのが慎二。その慎二も掴まらない……か。
 いや、待てよ……。

「慎二は家に帰ってないのか?
 桜なら慎二の行方を知っててもおかしくはないと思うんだが」

「────桜? ああ、慎二の妹か。
 すでにそちらにも事情を伏せて無断欠席の件を理由に、それとなく訊いてみたらしいのだが、昨夜は慎二も家に戻っていないらしい。だが間桐くん曰く、慎二は度々そういう事があるらしいからそれほど疑念に思ってはいないようだ」

「……そうか」





/3


 放課後。
 授業が終わると、教室にいた生徒達は足早に去っていく。
 例の事件の影響か、放課後の部活動は取り止めになっている為だ。

 図書室も閉鎖されたそうで、特別な用事のない生徒はみな帰路につく。
 二年C組の教室にはもう自分しかいない。
 他の教室も似たような物で、急がなければ校舎はじき無人になってしまうだろう。

「───────」

 やる事は二つ。
 一つは美綴の事。美綴が家に帰ってない、なんてコトを聞いて、何もせずにのこのこと家に帰れる筈がない。
 もう一つはこの学校にいるマスターの事。このペースで人が散っていけば、無人になるのもそう遠くはない。

 先に美綴の事からだ。人が皆いなくなってしまう前に、少しでも話を聞いておきたい。
 アイツはしっかりしたヤツだし、腕っ節もそんじょそこらの男よりは立つ。
 そんなアイツが行方知れず、というのはただ事ではないし、何より友人として放っておけない。
 まずは二年A組、美綴のクラスからだ。







 ──────が。

 結果は芳しくなかった。
 二年A組では、美綴はあくまで風邪で休みという事になっていたし、弓道場に足を伸ばしてみても何も判らなかった。
 それもそうだ。部活は休みなんだから、鍵も掛かっている。中に誰かがいるような様子もなかったし、『美綴はとっくに見つかっていて、聞いてみれば何でもない話だった』なんて縋る気持ちで生徒会室に赴いても無駄だった。

「……まいった。まさか生徒会まで休みとは思わなかった」

 これで美綴に関する情報を得る手段は全て絶たれた。後は最後に美綴に会ってたっていう慎二の行方だが、こちらも望みは薄い。いちおう桜にはそれとなく訊いてみるが、一成の話ではそれも……。

「手詰まり……だな」

 もう事の進展を待つしかないか。家に帰れば藤ねえがいるだろうし、何か聞けるかもしれない。
 となれば、後はもう一つ。

「マスター…………」

 この学校に結界を張ったヤツを見つけ出す。
 それもこっちから相手を見つける手段がない以上、向こうからの接触を待つしかない。相手が俺をマスターだと知っていなければ意味がないが、こちらはまだ可能性がある。
 ギルも言っていた。サーヴァントも連れずにマスターが出歩いていれば、他のマスターは必ずなんらかの行動を起こすと。日中はそんな気配は微塵も感じられなかったが、陽が落ちようとするこれからの時間なら接触してきてもおかしくはない。

 教室から見る外の世界は既に茜色。
 夕日は地平線に沈み始め、あと一時間もすればすっかり暗くなるだろう。

「──────」

 ここからは細心の注意を払わなければならない。
 最悪のパターンはノーアクションでサーヴァントからの襲撃を受けること。この手を取られたら全力で逃げるしかない。
 昨夜の鍛錬でサーヴァントの力は厭というほど思い知らされたし、一人では相手を倒すのは難しい事も理解できる。だが逃げるだけなら話は別だ。俺一人でもなんとかなるかもしれない。
 それに今朝知ったマスターとしての切り札の使い方。これを使えば対処は出来るが、あくまでそれは最終手段だ。

 鞄を手にとって廊下に戻る。
 赤く大きな太陽が、無人の四角い廊下を朱に染め上げている。
 足元から伸びる影法師は、床を伝い壁を這い昇り、自分の姿を長く大きく映し出す。
 落ちていく赤い光。
 それを当然のように切り取る黒い自分を見つめていると、

 陰と陽。

 そんな言葉が頭をよぎって、最初に浮かんできたのはアーチャーの持っていた剣だった。
 二度垣間見た、白と黒の夫婦剣。

 解析を以って見たヤツの剣の理念は異質だった。
 剣というモノを鍛つからには、そこには必ず何らかの創造理念があって然るべきなのだ。

 例えば竜殺しの剣ドラゴンスレイヤーの異名を持つ剣は、何も全てが竜を斬ったという逸話からその名を持つわけではない。中には“竜を殺す為に作られた剣”だってあるはずだ。
 モノを作る為の基礎。そこにはその剣の意図のようなものが存在する。報復の為の剣、殺す為の剣、誓いを立てる為の剣。その意図は千差万別だが、それは剣そのものの在り方を示す一つの導だ。

 だがあの剣にはそれがなかった。

 斬る為でも守る為でも、祀る為でもない。二振りの剣に意図はなく、ただ製作者の意思だけがあった。
 作りたいから作った。鍛ちたいから鍛った。その後の事なんか知るものか、俺はこの剣を作り上げたいから鍛つんだ。という作り手の心が響くよう。
 そんな子供じみた発想から生まれた二刀一対の夫婦剣の在り方を、俺は心から美しいと感じた。

「……持ってるのがアーチャーアイツじゃなきゃ、なお良かったんだけど」

 アイツとは絶対に反りが合わない。殺されそうになったとか、そんなことは関係なく一目見た瞬間にそう確信した。
 いわゆる天敵ってやつだろうか。実力じゃ天と地くらいの差はあるだろうけど、それでもアイツにだけは屈してなんかやらない。
 何故かは知らないけど、そんな思いが胸を占めている。

 と、いつの間にか三階の階段まで来ていた。
 危ない。細心の注意を払うってさっき決めたばかりなのに、もう注意力が散漫だ。
 これでは先が思いやられる。
 よし、と一つ頷いて歩みを再開しようとした時。

 ────階段の中腹、踊り場からかつん、という音が耳朶に響いた。

 視線を上げる。
 そこには、

「こんにちは、衛宮くん。
 ────時間はあるかしら? ないって言っても作ってもらうけど」

 黒く長い髪を僅かに漏れる風に靡かせている、一人の少女の姿があった。
 その夕風に乗って聴こえてきたのは、凛と鳴る澄んだ音色。
 残陽はその影を後光のように美しく照らし上げ、微かに窺える表情は天上の笑顔。
 その立ち姿はさながら女神のような振る舞いだ。

「………………」

 だが俺にはそうは見えなかった。
 いや、何も知らなければきっとそう見えていただろう。
 だけど俺は知っている。
 ……彼女だとは思っていなかったが、このタイミングならまず間違いあるまい。

 呼吸を正す。
 彼女の笑顔はいつしか消え、見下ろすカタチでこちらを睥睨している。
 その碧色の瞳を見つめ返し、

「────ああ。
 俺も話をしたいと思っていたところだ、遠坂」

 そう、精一杯の強がりを口にした。













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