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scene.01









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「やはり……聖杯は私を選ばなかったか」

 深山町、洋館の立ち並ぶ区画にある遠坂邸──その一室、館の主たる遠坂時臣の書斎にて彼は椅子に腰掛けながら、何も描かれていない自らの手の甲を窓から差し込む月明かりに透かしながら嘯いた。

 聖杯戦争。

 およそ二百年近くも前から続けられる、聖杯という名を借りた願望機……万物の願いを叶える奇跡の所有権を巡る争い。
 七人のマスターと七騎のサーヴァントの壮絶な殺し合いの果て、ただ一組の勝者にだけ胸に抱いた祈りを叶える権利が与えられる。

 これまで三度の戦いが行われ、その全てが失敗に終わった。誰の手にも奇跡は渡ることなく、己が悲願を叶え損なった者達の怨嗟だけが残された。

 そして今、この町で都合四度目の儀式が執り行われようとしている。

 戦いは六十年の周期で行われてきた。三度目までは確かにそうであったというのに、今度の四度目は何の不具合が働いたのか、十年遅れての開催と相成った。
 その時に向けて準備をしていた始まりの三家は大いに混乱し、しかし無情にも戦いは行われぬまま月日が流れ、今頃になってようやく聖杯はその起動を始めた。

 戦いが十年もずれ込めば趨勢も変化する。魔術師であるが故に肉体的な年齢はそう影響を与えないにしても、老いは身体のキレを確実に衰えさせ、思考に鈍りを与えて判断を狂わせる。全盛期を誇っていた実力にも陰りが見えても仕方がない。

「しかしこの遠坂に限って言えば、この開催の遅延は大いに喜ばしいものと言える」

 十年前に開催されていれば、間違いなく時臣本人が戦いに参じる事となっただろう。その意気込みはあったし、誰にも劣らぬ自負と磐石の布陣を用意していた。されどその準備の全てが水泡と帰し、それでも時臣はこれを天啓と捉えた。

 十年という歳月は確かに時臣より力と思考を奪ったのだろう。無論研鑽を怠った事などないし、魔術のキレには些かの衰えもないと言い切れる。
 時臣の真意は自身にはない。時の流れは無常であり老衰を刻むものであれど、同時にそれは成長をも促すものでもあるのだ。

「この五代遠坂家当主──遠坂時臣に成り代わり聖杯を巡る争いに臨むのだ、敗北など許されない。
 無論それだけでなく勝利は優雅に、そして敵の全てを打ち倒して勝ち取らなければならない。分かっているね──凛」

「────はい、お父さま」

 書斎の中心、薄い月光だけが染める室内に、少女は冷徹な瞳を湛えて立ち尽くす。

 遠坂凛。

 時臣とその妻である葵との間に生まれた長女。葵の特異体質も手伝って、彼女はおよそ考えられる限り最高の才能を持って生れ落ちた。
 凡俗であり修練のみで地位と実力を築いた時臣を、この歳で凌駕しかねないほどの稀有な才能。

 当然にして彼女はその才能に胡坐を掻いていた訳ではない。父と兄弟子の指導の下、血反吐が滲み死んだほうがましだと思えるほど過酷な修練に十年以上耐えて研鑽を積み、余りある才能により磨きを掛けた。

 結果、完成したのは完璧な魔術師。

 遠坂時臣など軽く凌駕し、時計塔に蠢く血の重みだけを尊ぶ貴族や化け物じみた天才達と肩を並べても何の遜色もない魔性。
 既にその名は時計塔にまで届き、彼女の到来に恐れを抱く者さえもいるという。それが遠坂凛という少女であり、第四次聖杯戦争に遠坂から参じるマスターの名だった。

「聖杯は遠坂のマスターとして私ではなく凛を選んだ。ああ、それは当然だ。聖杯に意思があり、自らを用い願いをより叶えやすい者を選定するのなら、名ばかりの当主よりも才能に溢れた凛を選んで当然だ」

 時臣は机の上で肘をついて手を組み、直立する凛を見つめる。

「凛、おまえは……いや、我々は必ず聖杯を手に入れなければならない。他の二家は元より外来の誰の手に渡る事もあってはならない」

「はい」

「聖杯は遠坂の悲願であり、同時に今やその用途を正しく行える者は我らをおいて他にいない。妄執に駆られたアインツベルンや原初の祈りを忘却したマキリにさえも譲り渡してはならない。聖杯を手に入れるのは、我々だ」

「分かっています、お父さま」

 凛の才能をもってすればどんなサーヴァントを召喚したところで最高のスペックを引き出せるだろう。しかしそれでも磐石ではない。十年の猶予を与えられたのは何も遠坂だけではないのだから。
 故に時臣はかつて自身が触媒にしようと調達した聖遺物を用い、凛に最強の英霊を喚び出させる腹だった。

 最強の存在の能力を余すことなく引き出せる最優のマスター。これでも充分に戦えるのだろうが、時臣は更にもう一つの姦計を仕組んでいる。

「入ってきなさい、綺礼」

「────はい」

 厳かに開かれる扉より室内に足を踏み入れたのは長身の男。僧衣に身を包み胸のロザリオを月明かりに輝かせる聖職者だった。

「君には凛のサポートを務めて貰いたい。無論、監督役としての任もそうだ」

「はい。父に成り代わり監督役の責務を果たし、その上で遠坂の勝利に力添えをさせて頂きます」

 本来ならば十年前、監督役を務める筈だった綺礼の父──璃正は既に逝去している。その為監督役の権限は息子の綺礼に引き継がれ、父と時臣の父との間に交わされた友誼に基づき綺礼は遠坂に肩入れしている。

 監督役という本来ならば公平なジャッジを行わねばならない立場の人間が一勢力に助勢するなど許されるものではないが、これは遊びではなく殺し合いだ。
 不正は暴かれなければ不正ではなく、そして勝利の為の方策を卑怯と謗るのは負け犬の遠吠えに過ぎない。

 勝利への道を磐石にし、使えるものは全て使う。その上で他者の悉くを叩き潰し、誰もが認めざるを得ない勝利を手にする。それが時臣が思い描く勝利の形であり、娘に送る父としての助力だ。

「綺礼、君には損な役回りを押し付けてしまう事になる。それは心苦しいものだが、どうか娘の勝利の為に力を貸して欲しい」

「導師、そのような心配は不要です。どの道私は聖杯というものに興味がない。この手に刻まれた令呪も、何かの間違いなのでしょう」

 璃正が逝去する直前に時臣と綺礼は引き合わされ、そして璃正たっての頼みもあり二人は知己となった。

 己自身の歪みを幼少期より自覚し、煩悶と共に生きてきた綺礼にとって魔術師の知人というのは初めてのものだった。
 父が敬虔な信徒であることもあり、綺礼は生まれついての教会の人間。異端と叫ばれる魔術師は打ち倒すべき敵であり、事実代行者として神の敵を滅ぼしたことは数え切れないほどである。

 歪みに対する許しも答えも得られぬまま、死別した妻との別れの折に自らが信じ続けてなお救われなかった信仰とさえ決別した綺礼にとって、時臣との出会いは新たなる出発であった。

 今まで敵方であった魔術師の側になら、もしかしたら求めるものがあるかもしれない……そんな一縷の希望、藁にも縋る思いで時臣に弟子入りを志願し、魔術の門徒となりその門扉を開いた。

 結果、得られたのはより深い絶望だけだったが、綺礼はその時既に世界の全てを諦めていた。求め欲するものはなく、探し求めても見つからない。ならばそれはこの世界にはないのだろう。ないものを探していたのなら、それはまさに無駄骨だ。

 そんな悟りにも近い心境を経た綺礼は物事に対する興味が薄れている。
 万能の釜にも奇跡にも用はない。求めたものを求めた形でしか返さないものでは綺礼の望みは得られない。

 聖杯が綺礼の何を見てマスターとなる権利とも言える令呪を託したのかは知らないが、この男はそれを得ても何の感慨もないまま、ただ事務的に時臣に報告しただけだった。

 時臣はこの令呪の発現がより遠坂の勝利を磐石のものとする為の助力であると言っていたが、それが真実であれ間違いであれ綺礼にはどうでも良かった。
 ただ何かに打ち込んでいる時は心の煩悶と向き合わなくて済む。未だ払拭されない迷いから目を逸らす事が出来る。ただそれだけで充分だった。

 ……この戦いもまた、私には何の答えも齎さない。ならば木偶のように導師の指示に従うだけだ。

 監督役でありながら参戦するマスターであるという異常な立場を遠坂を利する為だけに使うことに異議はない。唯々諾々と粛々と、自身に課せられた任務をこなすだけだ。

「最優のマスターと最強のサーヴァント。審判を司る者の支援と更にサーヴァントを一体使役可能。これだけの布石を以って、遠坂は勝利を掴む。
 凛、これで負けるようならばおまえはただの無能だろう。私を落胆させぬよう尽力しろ」

「はい」

「勝利の暁には聖杯獲得の栄誉と根源への切符、更には遠坂の家門もおまえのものだ。名目上の当主でしかない私はこれでお役御免というわけだ。私の肩に圧し掛かり続けていた重圧からようやく解放される日が訪れる」

 時臣が名目上の当主でしかない理由は既に魔術刻印を凛に譲り渡している為だ。実質的な当主の権利を持つのは何年も前から凛であるのだが、彼女が未だ修行中の身であった為、当主としての面倒を時臣が一手に引き受けていた。

 あと数年、戦争の開始が遅ければ名実共に凛が当主を継承していたのだろうが、戦いの開幕はもうすぐそこだ。可能性としては低いがこの戦いでの敗北……即ち死亡が考えられる以上はそんな儀を執り行う意味はない。

 全ては勝利した後。最高の栄誉と共に遠坂の家門を継ぎ、凛は歴代最優の当主となる。

「私もこれまで以上に最大限の助力をさせて貰う。凛、そして綺礼。君達の勝利を、心から祈っている」

 それで話は終わりだと、時臣は背を向ける。
 背中で部屋を辞する二人の礼を告げる声を聞きながら、窓越しに空を仰ぐ。

 煌々を冴え渡る蒼い月。
 凍るように冷たい色の光を浴びながら、時臣は亡き妻に想いを偲ぶ。

 ────見ていてくれ葵。
 私達の子は必ずやその手に勝利を掴むだろう。

 見守っていてくれ、凛の勝利を。
 祈っていて欲しい、凛の無事を。

 私はただ、それだけを君に願いたい。

 一人の父として夫して。
 そして魔術師として。
 時臣は月に祈りを捧げたのだった。


+++


「凛」

 青白い月明かりが泡のように舞い踊る回廊。時臣の書斎を先に辞した静かな足取りで歩く少女の背へと、神父は声を掛けた。

「…………」

 少女からの返答はない。彼女は無駄口を好まないし、何より言峰綺礼を蔑視している。いや、蔑視というよりは警戒という方が正しいか。

 綺礼が時臣に師事を願い出てから十年。彼はその全ての時間を自身の魔術鍛錬に打ち込んだわけではない。
 妹弟子である凛の教育にも一枚噛み、この遅れて開かれる第四次聖杯戦争で無事璃正より引継いで監督役に収まる為の工作として、教会での印象操作の為代行者として動いていた時期の方が遥かに多い。

 神の愛に疑いを抱き、信仰と決別した以上はただの事務的処理のように淡々と異端を排除するだけの仕事ではあったが、万物に対する興味の薄れている綺礼にとってみれば何かに没頭していられる時間の方が有意義ではあった。

 異端を排する事に躊躇はなく。凛に教育を施す時とて同様。凛や時臣が魔術師足らんとして感情を無為に表に出さないのとは違い、綺礼のそれは完全なまでの滅私。そこに綺礼の意思が介在しない。

 離れてみればこの男は良い聖職者として映るだろう。余計な先入観や感情を差し挟まない彼の言葉は、迷える子羊達にはさぞ心地良く響くのだろう。

 しかし長く綺礼と接してきた凛にとってみれば、この男ほど得体のしれない存在も他になかった。魔術師としての顔を見せる時の父時臣にですら、ここまで完全に思考の読めない無表情を見たことがない。

 父と共に一度だけ足を運んだ時計塔。その魔窟に棲む貴族や音に聞こえし天才と呼ばれた者達でさえ、ここまでの不気味さを放ってはいなかった。

 人が恐怖を抱くものの一つとして、理解の及ばないものがある。未知というのはただそれだけで恐れを抱くに足る感情の螺旋。
 視線の先にあるものが分からず、心の内を解する事など以ての外。人の皮を被った別のナニカ。そうであった方がよほど安堵の息をつけるというものだ。

 それでも言峰綺礼は人間だ。ましてや彼女のこれまでの研鑽に一役を買った兄弟子。無駄口を叩く趣味はなくとも、無視するという選択が彼女にはない以上、警戒を露に振り返るのが一つの落としどころだった。

 綺礼にしても凛のそんな視線など慣れたもの。目を輝かせて纏わり付かれるよりは余程心地良い。それを心地良いと思ってしまう自らの在り方こそが男を苛む因子ではあっても、それに対する解はないのだから無視を決め込む他にない。

「おまえはこの十年の遅延をどのように考えている」

「別段何も。私は聖杯に選ばれ令呪を託された。目の前に戦いがあり、戦う術があり遂げるべきものがある。だからそれを行うだけよ」

 そこに悲愴さはなく。ただ目の前の結果を当然と受けれ入れる少女の姿だけがある。これから殺し合いの渦にその足を踏み込もうと言うのに、未だ二十にも満たない小娘は歴戦の勇のような落ち着いた声音で言ってのけた。

「ふむ……ここで少しくらいは脅えた顔でもすればまだ可愛げがあるというものだが」

「お生憎様。無表情でそんなことを言うアンタにだけは言われたくないわ」

「だが凛。おまえは戦いというものがどういうものか、それをまだ身を以って知ってはいない。その覚悟の程は素晴らしいのだろうが、戦場を知らぬ小娘の戯言と一笑に附されても文句は言えん」

「……何が言いたいの、綺礼」

「分かっているくせに無知な振りは止めたまえ。もしここが戦場で私とおまえが敵同士であったのなら、おまえは既に死んでいるというだけの話だ」

 綺礼がその右手の甲に刻まれた令呪を月光に晒すと、それは幽鬼のように淡い光の中に現われた。
 青白い月明かりの中に浮かび上がる異様。御伽の世界から飛び出してきたかのような装束と、一目で分かるほどの圧倒的な魔力の気配。

 ────サーヴァント。

 過去英雄と呼ばれ歴史にその名を刻んだ古強者。歴史書は下より神話に伝説に英雄譚、果ては御伽噺や空想からすら喚び招かれる、世界の理より外れし者。彼らはヒトにあって人ではない、英雄と言う名の一つの伝説。

 この冬木の聖杯戦争における肝とも言える存在。令呪を宿す魔術師によって彼方より此方へと招かれし賓客。マスターと対を成すサーヴァントと呼ばれるもの。

 それが綺礼の背後に、音もなく現われ佇んでいた。

「…………」

 凛はさほど意外そうでもなく、静かな色をした瞳で現われた威容を眇めた。未だ自身の従えていないもの。これより従える事になるモノを観察するように。

「令呪の発現と共に戦いの幕は上がったようなものだ。悠長に構えていては血気逸った輩に足元から掬われかねん。
 まだ召喚を行っていなくとも、有力なマスターを排除してしまえばそれだけ自身の優位を手に入れられるのだからな」

 もし綺礼が敵であったのなら、あるいは僅かでも叛意を宿していれば、この場で凛を亡き者とするのは余りにも簡単な事だった。
 物事に執着のない綺礼だからこそ反逆など行う気は毛ほどもなかったが、凛を教育し彼女の能力を知る者が近しい立場にあり、令呪を宿し聖杯を欲していたら、間違いなく殺されていた筈だ。

 それほどに凛という存在は今回の聖杯戦争において有力な候補。サーヴァントを従える前に打倒出来るのなら多少の無茶を圧してでも消し去っておきたい大本命。

 それ故に綺礼は凛にこの時まで知らせることなく、時臣の指示により事前にサーヴァント召喚の儀を行っていた。
 これまで一切姿を見せる事のなかった彼だが、喚ばれてからこの方ずっと凛、引いては遠坂の屋敷の守護を担ってきていた。

 ……普段冷静な凛が僅かではあれ苛立っていた原因は、まさにサーヴァントにあるのだろうがな。

 内心でそう綺礼は嘯く。

 凛が綺礼の意味のない軽口に応じたのがその証左。明確な感覚ではなくとも、自らの周りに自身の知らない存在がうろついている事を無意識に感じ取っており、その苛立ちが彼女の平穏な心に爪を立てた。

 その嗅覚こそ驚嘆に値しよう。同時にそれを明確な敵ではないと判断したが故の放置であったのだろうが、それはある種凛の綺礼に寄せている無自覚な信頼とも呼べるのかもしれない。

 綺礼の不気味さを理解しているように、綺礼の物事に対する異常なまでの感情の希薄さをもまた凛は解しているのだから。それが何に起因しているのか不明だからこその警戒ではあっても、事実に対する理解は誰よりも早い。

「早急に召喚を行え凛。導師もそれを望んでおられる」

 綺礼の僅かな視線の傾きに頷き、背後にいたサーヴァントは現われた時のように音もなく消えていく。一言も発さぬまま、英雄は今一度その姿を眩ませた。

「言われなくても分かっているわ」

 チャリ、と胸元に提げた血のように赤い色をしたペンダントを握り締める。

 凛は別段臆したわけでも準備に致命的な不備があったわけでもない。触媒は父の用意した最強の英霊に縁のある品がある。ただ何事にも完璧を求める彼女だからこそ、自らの状態が最高の時にこそ召喚を行いたいと思っていた。

 冗談のような話だが、遠坂には実しやかに囁かれる呪いがある。万が一の失敗を避ける為にも、可能な限りリスクは減らせるだけ減らしておきたかった。
 サーヴァントは一度喚んでしまえば代えの利かない代物だ。目当ての英霊以外を喚んでしまっては目も当てられない。

 だから触媒も複数の英霊に縁のある物より個人の所有物であった物の方が良い。父の用意した物は所有物ではないようだったが、凛もまた目を通した文献の記述に添えば、彼の黄金の君をおいてこの触媒に招かれる者もいまい。

 時刻は夜半。凛の体調がピークを迎える時間帯は近い。

「すぐにでも召喚を行うわ。綺礼、まだ帰らないのならお父さまに伝えてきて。私は最後の確認をしてくるから」

「分かった、師には私から伝えよう。凛、ここ一番でミスをするのがおまえの悪い癖だ。心して臨むが良い」

 最後に睨みつけるような視線を投げ、凛はそれでも足音を立てる事なく暗闇の向こうへと消えていった。一人残された綺礼は闇の向こうを見透かすように、されど瞳に色を湛えぬままに言った。

「何事もなければ凛、この戦いの勝利はおまえのものだろう。だがそういう時こそ得てして何かが起こるものだ」

 そこまで言って、綺礼は僅かに口端を歪めた。これではまるで、何かが起こって欲しいと願っているようではないか、と。

「……馬鹿らしい。私にはもう、希望どころか絶望でさえ有り得ないというのに」

 全てに対する関心を失した神父は一人、淡い月明かりの中で独白を謳う。踵を返し、師の下へと報告へ向かうその最中、しかし彼は気付かない。

 自らに対する理解を得て以来、ほとんど感情を表に出した事のない己が僅かではあれ笑みを浮かべたその事実に。
 言峰綺礼にとってもこの戦いが一つの契機にして転機となる事を、この時の彼に知る術などなかった。


/2


 十一年前。

「その面、もう二度と儂の前に晒すでないと、確かに申し付けた筈だがな」

「聞き捨てならない噂を聞いた。間桐の家がとんでもなく恥晒しな真似をしている、とな」

 昼なお薄暗い間桐邸客室。
 淡い光がカーテン越しに差し込むだけの闇の中で、二人の男が対峙していた。

 一人は間桐臓硯。間桐……マキリに巣食う吸血蟲。語るもおぞましい延命術によって二百年近い歳月を生き抜いてきた妖怪だ。
 対する青年は臓硯の名目上の息子となっている雁夜。間桐の魔術を知り、魔術師の生き様を知り、そんな茶番には付き合っていられないと出奔した筈の男。

「何ゆえ今更になって間桐の敷居を跨いだ雁夜。魔道に背を向けた男が踏み入って良い場所ではないぞ、此処は」

「遠坂の次女を招きいれたそうだな。そうまでして間桐に魔術師の因子を残したいのか」

「カッ、その問いをまさか貴様が投げるとはな。ここまで間桐が零落したのは誰のせいだと思っておる。鶴野より余程高い素養を有していたお主が間桐を継いでいればこうまで落ちぶれることもなかったであろうに」

「そうして俺はアンタの傀儡として生かされ、果てにはこの血肉の一片をすら残さずアンタに喰われていれば良かったと、そう言うのか」

 この間桐臓硯が生き続ける限り、間桐という家系に終わりはない。但し臓硯の延命措置にも随分とガタが来ている。日に日に滴り落ちる腐肉は増し、魂の形が劣化している様が見て取れる。

 その形を崩すことなく維持し続けるには赤の他人の肉では不足だ。間桐臓硯と同じ血が流れ、同じ業を背負った間桐の魔術師の肉こそがもっとも良く馴染む。
 臓硯にとっては間桐の世継ぎは必要なくとも間桐の魔術師は必要なのだ。求めてやまぬ永遠の命。その形骸だけを真似た延命であろうとも。

 家に残った長男である鶴野は落ち零れにも等しい才しか有しておらず、その子の慎二に至っては遂に魔術回路すら備わらなかった。
 これで間桐純血の魔術師は絶えたも同然。それでも間桐に魔術師としての血を残そうとした臓硯は、遠坂より次女を招きいれた。

 姉に劣らず優秀な才能を持って生まれた遠坂桜。その胎盤から生まれる子はより良き間桐の術者が生れ落ちる事だろう。

「……魔術師の因子を残したいだけならばわざわざ養子を迎える必要などない筈だ。兄貴に適当な女でも宛がって、何人でも試せばいい。一人くらいは当たりが出るだろうさ」

「カカッ! やはり貴様も間桐の端くれよな雁夜。そんな発想が口に出来ることがその証左よ。しかしな雁夜、それではただのその場凌ぎに過ぎぬ。一代先延ばしたところで根本的な解決には繋がらぬ。そんなこと、お主も分かっておるであろう」

「…………」

「だからこその養子よ。桜は良質な苗床となろう。間桐の子を孕み、間桐の新たなる礎を築く良き母となるであろうよ」

「……っ、貴様……!」

 激情に駆られ振り上げた拳。されど目の前に立つ悪鬼には微塵の動揺もなく、落ち窪んだ瞳の奥に冷徹な色を湛え、雁夜を愉快げに睥睨している。
 この男は遊んでいるのだ。雁夜が二度とは帰らぬと誓った筈の家に戻った理由を察し、察していながら戯れている。雁夜自身から言葉を引き出す為に。

 死に損ないの老獪の茶番に付き合うのは御免だが、そうする以外に道がないのなら舞台に上がるまで。元より覚悟は決めていた。一度は背を向けたものに向き合う覚悟を。拳を下ろし、一度深呼吸した後、雁夜は今一度臓硯と向き合った。

「アンタは結局、間桐の繁栄になど興味はないんだ。ただ何処までも利己的に、自らの延命だけを望んでいる。
 しかしそれもその場凌ぎなんだろ爺さん。いずれ身体は朽ち果て、魂は腐り落ちる。俺でさえ予見できる未来を、アンタが見ていない筈がない」

「何が言いたい」

「聖杯」

 雁夜の核心を衝いた一言に、臓硯は諧謔めいた笑みを浮かべた。

「桜を養子に迎えて目指しているのは間桐の血統の維持なんかじゃない。いや、それも一つの理由なんだろうが本命は別だろう。
 この町に眠り、目覚めの時を待つ聖杯……万能の願望機。それを手に入れ、本物の永遠を手に入れることがアンタの目的だ」

 未だかつて誰も成し得ていない不老不死という命題。

 聖杯はその至難の業をすら容易く叶えてのけるだろう。でなければ万能の願望機、全てを叶える奇跡という触れ込みは偽りになってしまうから。
 それが偽りではないことは、臓硯の妄執めいた延命が示している。いずれ限界の訪れる延命、魂が軋むほどの痛みに苛まれながら、それでも生き足掻いているのは目の前に本物があるからだ。

 手を伸ばせば届く距離に求め欲した奇跡がある。願えば叶う万能の釜がある。ならば必死に足掻くだろう。泥を啜り霞を糧に、雲をすら掴んで這い上がる。

 間桐臓硯の策謀の全ては聖杯──それを巡る争いにこそ集約される。

「アンタは言ったな、桜の胎盤より良き術者が生れ落ちると。つまりはその代か……その次の代あたりで決死を掛けるつもりなんだろ」

「然り。特に今回に限っては間桐より出せる駒がない。鶴野程度の才ではサーヴァントを御し切れぬし、桜はまだ未熟に過ぎる。故に今回を見送り、次回こそが儂の本命よ」

「ならば聖杯を勝ち取れるだけの駒があればいいわけだな。
 だったら今回は俺が出る。そして聖杯を持ち帰ってみせる。それならば、桜にはもう用はないだろう!」

 六十年の周期で言えば来年が開催の年。いかに優れた才を持っていたとしても、魔術の薫陶などほとんど受けていない雁夜がサーヴァントを御せるレベルの魔術師になるには一年間という期間は余りに短すぎる。

 そんなことは承知の上で雁夜は憚った。間桐臓硯の秘奥をもってすればたった一年間でも使い物になる程度の魔術師には仕上げられる筈だ。何よりこの身は間桐の血肉で編まれたもの。臓硯の業は桜などよりは余程良く馴染むだろう。

 但しその対価は、恐ろしく高くつくことに間違いはあるまい。

「……お主、死ぬ気か?」

「今更になって心配か? そんな柄でもないだろう、反吐が出る。間桐の執念は間桐の人間が片をつけるべきだ。無関係な他人を巻き込むな」

 自らが魔道に背を向けたが為にこんな奈落に突き落とされた少女を救う。好きだった人の涙と、その子の絶望を背負い雁夜は立つ。
 これが己の撒いた種であり、足元より縛りつける鎖であるのなら。このくそったれな命を差し出し、せめてもの償いとしたいのだ。

「……ふむ。そういうことならば是非はない。最初からお主が間桐の秘術を継承しておればこんな面倒にはならんかったのだからな。
 お主が間桐の魔術を修め、間桐の魔術師として聖杯を勝ち取るというのなら、儂は最大限の助力を惜しむことなく尽くそうではないか」

「吐き気を覚える詭弁や御託はいい。さっさとしてくれ、時間が惜しい」

「そう急くでない。時間ならばそれなりにあろう。何せ、戦いの開幕は十一年も先のことなのじゃからな」

「な、に……?」

 それは雁夜をして目を見開くほどの驚愕。事実六十年の周期で言えば来年がその年に相当する。であるのなら、臓硯の言葉は腑に落ちない。

「……何を根拠にそんなことが言える? 開幕は来年の筈じゃ……」

「通常であればそうであろうよ。原因は儂にも分からんが、未だ冬木に眠る大聖杯に起動の兆しがないのだからどうしようもない」

 柳洞寺の地下深くに眠る大聖杯。聖杯戦争の大本とも言える仕掛けであり大魔術式。その起動がなければそもそも儀式自体が始められないのだ。聖杯はマスターとなる者に令呪を託さず、当然サーヴァント召喚の儀は執り行えない。

「この異変に気付いておるのは儂とアインツベルンくらいのものだろうて。遠坂の小倅は今頃来年に向けて奔走しておるだろうよ」

 しかし同時に感付いているかもしれない、とも臓硯は思っていた。時臣は凡夫なれどあの男が今座る椅子は決して先代の七光りで手に入れたものではない。凡庸なりの努力と研鑽を積み重ね、結果として相応の実力と地位を手にしている。

 それでも現段階では五分。以前を知らない時臣では気付けないものもあるのだ。

「アンタにどういう確信があるのかは知らないが、遅れてくれるのならこっちとしても好都合だ。俄か仕込みの付け焼刃で戦わなければならないと覚悟していたからな」

「お主の才であれば十年みっちり仕込めばそれなりのものにはなろう。ともすれば、遠坂の小倅に太刀打ちする事も叶うやもな」

「俺が……時臣に……」

 葵の幸せを信じて身を引いた雁夜の目に映ったのは、娘を失い眦に涙を浮かべる彼女の姿と、こんな地獄に突き落とされ絶望に暮れているだろう少女の姿。
 そしてそんな二人の姿を見て見ぬ振りをし続けている、どこまでも魔術師らしい糞野郎のしたり顔だ。

 その顔を歪めてやる事が出来る。地べたに這い蹲らせ、懇願の瞳を見下ろした時の心地を想像しただけで、油断すれば口元が吊り上ってしまう。雁夜を見下している時臣に一泡吹かせてやる事が出来るという思いだけで胸が早鐘を打つ。

「いや……」

 胸の中に湧いた恍惚を頭を振ることで霧散させる。想像を現実に昇華する為にはまず臓硯の仕打ちに耐えなければならない。そしてもう一つ。

「臓硯。開幕が十一年後であるのなら、それこそ桜は用済みだろう。俺はアンタが下すどんな命令にも過酷にも耐え抜いてやる。どうしても間桐の世継ぎが欲しいのなら、アンタの言いなりになって好きでもない女でも抱いてやるさ」

 ──だから桜は遠坂に、葵さんの下へ返すべきだ。

 そう告げて、次の瞬間雁夜の目に映り込んだのは、臓硯の冷笑だった。

「おう、そうじゃな。お主が事実として間桐の秘奥を継いでくれるのなら桜に用はない。優秀な胎盤を手放すには惜しいが、それと引き換えに十年後に勝負を仕掛けられるのならばまあ良いじゃろう。
 しかし雁夜よ。本当に桜を遠坂に返しても良いのか?」

「……何故そんなことを問う?」

「言わずとも分かりそうなものだがな。桜を遠坂に返したところで同じだと。あの小倅……時臣めは桜を引き渡したところでまたぞろ別の養子の口を探すだけだと、そう言っておるのじゃよ」

「…………」

 あれはそういう男じゃ、と臓硯は口を結んだ。

 確かに時臣の判断は魔術師として正しいのだろう。しかしそれは、父親としては致命的に間違っている。

 いかに魔術師として大成しようとも、家族と引き裂かれた上で成り立つ幸福など有り得ない。母子の望むちっぽけな幸福を犠牲にしてまで、才能とは開花させなければならないものなのか。

 桜がもし事前に問われていたとすれば必ず家族との幸福を選んだ筈だ。栄えある未来よりも、ただ家族と共にあれる幸福を望んだ筈だ。
 そして時臣の何よりの失敗は、よりによって間桐の手を握り返したことに尽きる。

 他の家系を知らない雁夜に言えることではないが、この家は地の底よりも深い奈落だ。この下があるとは到底思えないほどの無間地獄。絶望と怨嗟、慟哭を糧に蟲は哭き、悪鬼臓硯の掌で踊らされ続ける。

 だから雁夜はこう言うのだ。

「……こんな地獄にいるくらいなら、まだ他の家に迎えられる方がましだろう」

「そうでもあるまいよ。雁夜、お主が間桐の業を一手に引き受けるのなら、桜にはその継承をさせぬ」

「なに……」

「当然じゃろう。魔道の秘奥は一子相伝。例外はあれど基本はそうじゃ。雁夜が間桐を継ぐのなら、桜がその業を背負う謂れはあるまい?」

「なら桜は──」

「ああ、何も知らぬまま生きさせたいとかのたまうなよ? 既にあれは蟲蔵の底よ。お主がもう少し早ければその淡い願望も叶ったやも知れぬが、桜は既に魔道に片足を……否、全身を浸かっておるも同然しゃ」

「臓硯……キサマ……!」

「そう逸るな。どの道桜ほどの才ならば魔道の庇護なくしては生きられぬ。しかしそれは何も家系を継ぐ必要のあるものでもない。最低限魔術を理解し修めておけば事足りる程度のものじゃよ。
 それは才能を腐らせるにも等しい愚挙であり、遠坂の小倅はそれをこそ良しとはせんかったようじゃがな」

 つまりは雁夜さえ間桐の秘術を継げば桜はその業から逃れることが出来る。最低限魔術の知識を理解し技術を修めなければならないが、間桐の業を引き継がないのならば蟲に身体を犯される心配はない。

「桜の先天属性は虚数。間桐の秘術である使い魔……蟲の使役との相性は良くはないが、幸いにして魔術特性との相性はそう悪くはない。吸収を初めとした束縛、戒め、強制は虚数と通ずるものがある。伸ばせば充分に光るであろうよ」

「じゃあアンタは……桜を間桐の色に染め替えることなく、今の桜のままその才能を伸ばすって言うのか」

「間桐の子を孕ませるにはそうする他なかったのでな。特に枯れた慎二辺りと交じらわせるにはそうでもせぬと遠坂の因子が勝ってしまう恐れがあった。それでは間桐の属性に適した子は生まれない。
 が、お主ならば素養は充分だ。どれだけ桜の才を伸ばそうとも、刻印を継げぬ以上はいずれ頭打ちになる。それならば当主足る力量を備えたお主の方が勝るであろうよ」

「……その言い方じゃ俺が桜の相手になるように聞こえるんだが」

「そう言っておる。禅城の血の混じった桜の母体と、それなり以上の才を持つ雁夜の血が交われば、桜の才を腐らせてまで慎二に宛がうよりは、余程恵まれた才を持つ子が生まれてくれるであろう」

「…………」

 やはりこの間桐臓硯は化生の類だ。雁夜の想像など及びもつかない言葉ばかりが湧き出てくる。それでも雁夜はかつて一度この妖怪と対峙し、家督継承の拒絶と出奔を勝ち取ったのだ。唯々諾々と従い続けるのは柄じゃない。

「それも全ては俺が聖杯を掴み損なった場合の話だろう。聖杯さえ手に入ればアンタは俺にも桜にも用はないんだろ」

「無論。しかし儂も長く生き過ぎたせいか、どうにも心配性でな。石橋は叩いて渡らねば気が済まんのじゃよ。
 ────それで、どうする雁夜よ。今ならばまだ戻れるぞ?」

「愚問だよ糞爺。俺は間桐を継ぐ。十年の時間を掛けてこの身を研鑽し、聖杯を勝ち取るに相応しい力を手に入れよう」

「ならば対価として桜の身を差しだそう。当然魔道の加護は受けて貰うが、お主ほどの過酷は味わわずに済むであろう」

 此処に契約は成された。
 間桐雁夜は一度は背を向けた魔道に向き合う覚悟を胸に秘め、その身を犠牲に桜の無事を手に入れた。
 魔道から足を洗わせることは叶わなかったが、それでも奈落より引き上げることは叶った筈だ。

 桜の幸福が遠坂家に戻ることであると知りながら、時臣を今現在の力では打倒できない雁夜ではその望みは果たせない。
 儚い希望を胸に灯らせて家に帰しても、時臣は絶望の宣告を行うことは想像に易いのだから。

 ……待っていてくれ桜ちゃん。君の願いは、必ず叶えてみせる。

 胸に強固な意志を秘め、雁夜は奈落へと続く階段を下りていく。
 お姫さまを救い出す為に。
 自らが代わりになる為に。

 しかし雁夜は気付かない。
 桜の望む幸福の形と、雁夜が信じている桜の幸福の形が、決定的に違っていることに。

 矛盾から目を逸らしたまま、間桐雁夜は道の先で待つ煉獄での過酷に、長い時間耐え続けることになった。


+++


 そして現在。

 昼なお薄暗い間桐邸客間には三つの影。

 一人は間桐臓硯。十一年前からまるで変わらない容貌を湛えたまま、正面に座る二人をテーブル越しに見据えている。

 一人は間桐雁夜。十年という長い年月を掛けて才能を磨いたお陰か、その身体の表面上には異常はなく、ただ初期に蟲達の這いずりに耐えられず発狂しかけた時に色素を失った髪だけが、かつての彼と今の彼の目に見える相違だった。

 雁夜の右手の甲には赤い鎖状の紋様。マスターに送られる令呪が刻まれている。培った修練は身を結び、晴れて雁夜は間桐からのマスターとなる資格を手に入れた。

 最後の一人は間桐桜。二人の影に埋もれるように背を丸め、俯いたままの顔に掛かるのは長い前髪。視線はテーブルの一点を見つめたまま、身動ぎ一つしていなかった。許可なく動けば、鋭い鞭が飛んでくるとでも言うかのように。

「さて……第四次聖杯戦争(ヘブンズフィール4)の開幕は間もなくだ。雁夜よ、準備に抜かりはないな?」

「ああ。アンタの望みを叶えてやるよ間桐臓硯。そして俺は……俺と桜ちゃんの自由を勝ち取る」

 横目で見やる桜には反応らしきものはない。テーブルの一点を見つめたまま、置物のように動かない。

 十年を研鑽に費やした結果、雁夜は桜に拘う時間がほとんどなかった。一日の大半を蟲蔵で過ごし、修練に明け暮れた。
 空いた時間を見つけては桜の様子を見に行ったが、彼女は日を追うごとに顔に宿る影を増していった。

 雁夜が蟲蔵でのた打ち回っている時、桜に課せられた仕打ちを彼は知らない。確かに奈落に放り込まれ蟲共に嬲られるよりはましな修練であったのだろうが、それでも桜の身に課せられた過酷は悲痛に過ぎた。

 結局雁夜は甘かったのだ。間桐臓硯の底を見ていなかった。底だと思ったその先に堆積する闇の更に奥にある本当の底を見ることが叶わなかった。そんなものを見る時間があるのなら自身の研鑽に明け暮れた。

 結果、桜はその心を閉ざし、代償としてそれなりの仕上がりにはなった。直接的な戦闘では刻印を有する他家の者には劣るだろうが、その身に宿した膨大なまでの魔力は解き放たれる時を焦がれている。

 桜の閉塞の原因が自身にあると思いながら、決定的に思い違いをしている雁夜はそれでも前をだけ見据える。

「それで、他の連中については?」

「うむ。遠坂にアインツベルンは当然として、魔術協会からの枠も既に抑えられておる。残る外来勢については今のところ情報は皆無じゃな」

「時臣は出るんだろうな」

「いいや。生憎と令呪はその娘である遠坂凛に宿ったらしい」

 凛、という名前にぴくりと反応を示した桜。俯いたまま、耳だけは臓硯と雁夜の声を聞いているらしい。
 そんな様を見た臓硯は一人ほくそ笑み、雁夜は舌打ちをした。

「あの野郎……俺の十年はアイツに復讐を果たす為でもあったというのに。しかし……そうか、遠坂からのマスターは凛ちゃんなのか……」

 胸に渦巻くのはえもいわれぬ感情。桜を救う為には聖杯を手に入れなければならず、聖杯を手に入れる為には凛を倒さなければならない。
 それは二律背反。桜の幸福を望みながら、その傍らにあるべき姉を討たねばならないという矛盾への葛藤。

「まあいいさ。何とかする、してみせる。それが出来るだけの力は手に入れたつもりだからな」

「……ふむ。しかしそれでもどうじゃろうな。今回はどうにもきな臭い。どいつもこいつも腹に一方ならぬものを抱えているように思えてならぬ」

「はっ──他ならぬアンタがそんな戯言を謳うのか」

「まあ聞け雁夜。今回は儂も本気で聖杯を狙っておる。お主の仕上がりは儂の想像以上であったし、桜についても同様よ。これならば充分に他の連中と渡り合えるだろうが……それだけよ」

「何が言いたい」

「確実な勝利を手にするにはもう一手足りぬというところか。渡り合うのではなく圧倒出来るだけの戦力が欲しいと、そうは思わんか」

「……今更そんなものを用意出来るツテでもあるのか」

「既に用意しておる────桜」

「はい、お爺さま」

 言って桜は初めて顔を上げて、定まらぬ視線をそのままに、右手を僅かに上に向けて差し出した。

「なっ……それは」

 桜の右手の甲に描かれた三画の証明。春風に舞う桜花を思わせる呪印。それは紛うことなき令呪だった。

「馬鹿なっ……! 間桐のマスターは俺だ! 何で桜ちゃんに……っ、臓硯────」

 ぎちりと奥歯を噛み砕きながら、雁夜は憤怒の視線を臓硯に向ける。

 間桐臓硯は恐らく、初めからこれを狙っていたのだ。十年の遅延と雁夜の出戻り。そして桜の才を間桐に染め替える必要がなくなったこと。

 臓硯にとって桜は雁夜を釣る餌であると同時に期待に値する戦力の一つとして計算に入れている。本来ならば一陣営に一つしか宿らない筈の令呪を臓硯しか与り知らない外法を用いて桜に宿させたのだ。

「雁夜に桜。此度の戦では間桐からの参戦者はお主ら二人共よ。せいぜい気張り、儂に聖杯を齎すがいい」

 全てはこの悪鬼の掌の上。どれだけ足掻こうともそれすらも思惑の内。雁夜程度では出し抜けない老獪だ。

 くつくつと嗤う臓硯を前に、雁夜は歯噛みするしかなかった。


+++


 悪鬼臓硯の哄笑を背に、二人は客間を辞した。室内同様に薄暗い廊下を、どちらともが無言のままに歩いていく。
 最早蟲蔵に用はない。無間地獄で過酷にのたうち回る期間は既に終わっている。むしろ雁夜は既にあの場所に蠢く蟲共の大半を制御出来るまでに至っている。

 桜はと言えば、まるで幽鬼のような足取りでありながら、機械じみた正確さで自室へと歩を進めている。彼女に個人の意思と自由はない。臓硯の命がなくば一日中自室に閉じ篭っている事も有り得るほどだ。

 辛うじて許されていた通学も、開幕を間近に控えた現在は欠席している。何度か学校での生活について尋ねてみた雁夜だったが、芳しい答えは返ってこなかった。この暗い影を背負った少女にとって、間桐の屋敷も学校も変わらず救いなどないようだった。

「…………」

 彼女がこうなってしまった原因は己にあるのだと雁夜は思う。あの煉獄で喘ぎを上げている間、臓硯が桜に施した仕打ちは想像しか出来ない。けれど彼女の心は今なお暗く閉じてしまっている。
 もっと構ってあげられていたら。もっと傍にいてあげられていたら。彼女にこんな顔をさせずに済んだのでないのか、と。

 甘い言葉を囁く事も、希望を謳う事も出来はしない。淡い願望は目の前にある絶望に霞んでしまうから。それでも傍にいてあげられていたら、こんな曇った彼女の顔を見ずに済んだのではないかと思ってしまう。

 でもそれも終わり。これより臨む闘争の先には、明確な光が差す。願い持つ他の連中を駆逐し聖杯の頂に辿り着けば、この奈落とも決別を果たす事が出来る。

 その為に力を身につけた。地獄の釜で身を焼かれ続けたのだ。だから今こそ、救いの言葉を口にしよう。

「桜ちゃん」

 数歩先を歩く桜へと掛かる声。階段へと足を伸ばした彼女は、その制止の言葉に歩みを止め、くるりと振り向いた。
 その顔に宿るは陰鬱な色。長い前髪が表情を覆い隠しても、全身より滲み出る負の気配は隠しようがない。まるで咎のばれた稚児のように、身を竦め視線を下げている。

「はは……悲しいな。俺は桜ちゃんにそんなに怖がられてるとは、思ってなかったよ」

 びくりと身を震わせる桜。その様は完全な怯えを表している。まるで、臓硯を前にしたかのように。

「あの爺に何を吹き込まれたのか知らないが、そんなに怯えなくていい。俺は君に何かをするつもりはないし、以前のように接してくれると嬉しいな」

 蟲蔵に突き落とされたその日。雁夜が身代わりを決意したあの日。地獄の底で既に諦観しかけていた彼女をこの手で抱き上げた事を覚えている。
 もう大丈夫、と優しく声を掛け抱き締めた途端、溢れたのは大粒の涙。訳も分からぬままに間桐の家に連れて来られ、落とされた奈落で蟲共に嬲られるままだった彼女にとって、それは救いであっただろう。

 しかしその後が良くなかった。救うだけ救い、後は身代わりとして自身が地獄の責め苦を味わっただけ。救われた桜は今一度臓硯に絡め取られ、絶望で身を固めようとした少女に与えた一筋の希望は、悪鬼に付け込まれる隙となった。

 一度希望を望んだ後に訪れる絶望ほど過酷なものもない。希望があると縋り付いてしまった己を後悔し、より深く絶望に身を閉じる結果となってしまった。

 あの老獪に吹き込まれたのもあるだろうが、今の桜にとってみれば雁夜も臓硯と変わらない存在に見えている事だろう。間桐の正当な後継者を前に、臓硯の手足とも言える存在を前に、以前のように振舞えという方が酷というものだ。

 だから桜は動けないし顔も上げない。口を開くなど以ての外。ただ目の前の誰かが自分に対する興味を失くして立ち去ってくれる事を願うのみ。生きていく上での希望なんて、彼女にはもう何一つ残っていないのだから。

「…………ッ」

 唇を引き結び、手を震わせてスカートを握り締める少女の姿をこれ以上は見ていられないと、雁夜はその手を差し出した。
 いつかのように優しく、包み込むように。恐怖に震える少女が、少しでも心開いてくれるようにと。全てを拒絶した少女を、強く抱き締めた。

「……ごめん、桜ちゃん」

 桜はされるがままに抱き締められ、両の手はだらりと下がったまま動かない。そこに抵抗はなく、もしここで雁夜が情欲に駆られて手を出そうとも、彼女はされるがままに全てを受け入れただろう。
 そう教育を施され、身に刻まれた恐怖はトラウマとなって身体を縛る。抵抗の後に待つのは、より酷い仕打ちだと知っているから。

 しかし雁夜は絶望の鎧で身を覆った少女を優しく抱き締めるだけで。桜はそこでふと、視線を上げた。自らの頬を滑る、雫に気付いて。

「……雁夜、おじさん?」

 その名を呼ばれ、雁夜はより強く少女を抱き締める。ありがとう、と己の名を覚えていてくれた感謝を込めて。そしてごめん、と君をそんなにしてしまった己を悔いて。

「なんで、泣いてるの……?」

 雁夜は想いを言葉にはせず、ただただ涙を流し続けた。この十年で雁夜自身が変わったように、彼女もまた変わってしまった。母や姉と共に太陽のような微笑みを浮かべていた彼女はもういない。ただ全てを諦めてしまった少女があるだけだ。

 口先だけでの救いでは、きっと今の彼女には届かない。聖杯を手に入れて君を必ず救ってみせると言ったところで、きっとその心には響かない。
 それほどに少女の絶望は強固で、その闇が皮肉にも彼女を支えている。木偶のような形であっても、死という名の逃げ道にだけは足を向けずにいてくれるから。

 そっと身体を離す。眦に浮かんだ涙をはにかみながらに拭った。

「ごめんよ桜ちゃん。はは……年を取るとどうも涙脆くなっていけないな」

「…………」

 見上げてくる瞳は相変わらずの無色。そこに感情の色はなく、先ほどの疑問の色もまた既に風化してしまっている。ただほんの少し、震えが収まっているように感じて。それだけが雁夜にとって救いだった。

 流した涙を拭い、呼吸を整える。伝えたかった想いの全てを飲み込んで、雁夜は毅然として言った。

「桜ちゃん、君は部屋に戻っていてくれ。俺は少し、用事が出来たから」

 それに頷きを返し、桜は自室へと戻っていった。桜は間桐に対して従順だ。臓硯ほど酷な命令をするつもりはないが、こちらの頼みに素直に従ってくれるのは助かる。

 これより臨むのは熾烈なる戦いの宴。幾ら十年の研鑽を積んだとはいえ、長いモラトリアムを与えられたのは何も雁夜だけではないのだ。
 充分に戦えるだけの力を身につけた自負はあるし、身を苛んだ苦痛の数だけ強くなったと誇る事さえも出来る。

 この力は誰かを害す為のものじゃない。あの子を……今なお水底に沈んだままの少女を再び陽の当たる場所へと連れ出す為の力。その為ならば、憤怒も憎悪もありとあらゆる全てを力に変えて、ひたすらに疾走するのみ。

「だがまだ……足りない」

 桜の助力はきっと必要になる。己だけの力で他の連中全てを打倒出来ると思い上がっちゃいない。臓硯に踊らされるのは癪だが、彼女の力は有用だ。それでも力を借りるだけだ。矢面に立つべきはこの間桐雁夜だ。

 ……力が要る。全てを圧倒する、暴力が。

 彼女を守る為。
 あの子のいるべき場所へと連れて行く為に。
 こんな暗がりじゃなくて、陽の当たる道を歩いて欲しいと願うから。

 雁夜は一つの決意を胸に秘め、踵を返した。
 行く先は悪鬼待つ魔窟。
 聖杯戦争の始まりを知り、システムの一端を担った男の下へと。

 もう振り返る事さえ叶わぬ道を、歩んでいくと決めたから。


/3


 北欧のとある地方。

 一年を通して雪に閉ざされたままの極寒の森。根雪は何処までも地平を白く染め上げ、居並ぶ針葉樹は降り注ぐ僅かな陽光をすら遮り影を作り出す。
 冬のこの季節ともなれば連日連夜の猛吹雪が森を覆い尽くし、人の踏み入る事の叶わぬ魔境へと変貌する。

 そんな人里離れた森の奥に存在するのは一つの城。中世よりその姿を保ち続けた古城。それは千年余りの歴史と燃え滾る妄執が渦巻く狂信者の住まう塔だった。

 その城からは少し離れた森の中。年に数回とない珍しくも晴れた空の下。淡い光の中に粉雪が舞い散る幻想的な一幕。一人の少女が雪の妖精のように、真白の髪を風に躍らせながら軽やかにステップを踏んでいた。

「キリツグー、何しているのー? おそいよー!」

 少女は後方の人影に向けてひらひらと手を振り、振られた方の男は苦笑を浮かべ小走りに少女に駆け寄った。

「イリヤは元気だなぁ。僕はもう年かな、イリヤについて行くのがかなり辛いよ」

「またそんなこと言って。本当はぴんぴんしてるくせに年のせいにしてごまかそうたってそうはいかないんだからっ!」

「おいおい心外だな。僕が何を誤魔化そうとしてるって?」

「キリツグは外でこうして遊ぶより、お城の中でぐうたらしてる方が好きなんでしょ」

「う……まあ、否定はしないが。それでも偶に晴れた日くらいは、イリヤの我が侭にも付き合うさ」

「わがままなんて言ってないもーん!」

 はしゃぐ少女と嗜める男。

 少女の名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと言い、男──衛宮切嗣の娘だった。姓が違うのは切嗣が婿養子のようなものであるからだ。

「もう。こうして一緒に遊べる機会はもう当分ないかもしれないんでしょ。だから今日はいっぱいいーっぱい遊ぶんだから!」

「ああ、望むところだ。今日は遊び倒して、明日は一日筋肉痛でベッドの上を覚悟しておくよ」

「だいじょうぶだよキリツグ。私がちゃんとマッサージしてあげるから。じゃ、とりあえずあの一本杉まで競争ね! よーいどーんっ!」

 苦笑いと共に走り出した少女を追いかける。

 この少女と……実の娘とただ親子としていられる最後の一時。だから切嗣は娘に何処までも付き合う覚悟をして、冬の森の中を走り出した。


+++


 衛宮切嗣とアインツベルンの関係を端的に表すとすれば、それは契約である。

 アインツベルンの千年の妄執の結末──聖杯の成就による第三魔法の顕現。これまで三度行われた聖杯を巡る闘争の全てで敗北を喫した彼らは、千年の純潔を捨て去り部外の人間を招き入れた。

 それは誇りに泥を塗り込むようなものだ。魔術師としてのプライドを金繰りに捨てるにも等しい行い。自らだけの力では聖杯を勝ち取れないと悟り、彼らの持ち得ない戦闘能力に秀でた魔術師を迎え入れた。

 彼らの聖杯へと賭ける情熱。行き過ぎたきらいのある熱情は、胸に抱く無形の誇りよりも形ある実利をこそ優先した。そうまでして聖杯を欲したのだ。

 聖杯戦争の開催が十年遅れても、その熱意に陰りはない。むしろ与えられたモラトリアムを最大限に利用し、磐石の布陣を敷き詰めた。

 それは数日前の話だった。

『ようやくマキリの仕掛けた令呪システムの綻びを見つけた。それは綻びというには些細なものであり、むしろわざとそう仕組んであったかのような盲点だったが、それもあの翁を思えば無理からぬ話だ』

 アインツベルン城最上階。祭壇と玉座を併せ持ったかのような造りの広大な一室の最奥でアインツベルンの当主たるユーブスタクハイトは切嗣とイリヤスフィールを呼び出しそう話を切り出した。

『しかしこれで我らはまた一つ優位を得ることになる。即ち、一つの陣営からは一人のマスターしか選ばれないという前提を覆し、衛宮切嗣とイリヤスフィールをアインツベルンのマスターに仕立て上げる』

『…………』

 祭壇に立つアハト翁を、直立したまま無表情に見つめる切嗣の右手の甲には既に十字架を模した令呪が浮かんでいる。
 アインツベルンからのマスターは通常ならば切嗣一人であるのだが、ユーブスタクハイトは長い月日をかけマキリの構築したシステムを紐解いた。そしてその裏を掻いてイリヤスフィールまでをもマスターにする算段だった。

 それはまさに外法。反則と呼んでも過言ではない暴挙だ。七人が競い合う闘争においてその内の二人が手を組んでいるとすれば圧倒的な優位に立つ事が出来る。
 作戦の幅は広がり、勝利への道を近くする。外法であり反則ではあれど、絶対に勝利と聖杯を掴まねばならないアインツベルンなりに最善を望んだが故の逸脱だ。

『いいえ、アハト翁。その必要はありません』

 しかし、切嗣は揺るがぬ意思を瞳に湛えて、拒絶の言葉と共に祭壇に立つ老獪を睨めつけた。

『……それは、どういう意味だ』

『言葉の通りです。僕は単独で全てのマスターとサーヴァントを打倒することが出来る。ならばイリヤスフィールに無意味な負担を負わせる必要はない、そう言っているのです』

『……何故だ? イリヤスフィールは初めから“そのよう”に調整を施してある。聖杯として機能する上での負担も多少はあるだろうが、それも戦いが終盤に差し掛かる頃合だと見ている。
 なればそれまでの戦いを円滑に進める為にイリヤスフィールにサーヴァントを喚ばせて状況を有利に進めておくべきだろう』

『それが不要だと言っているのです。イリヤスフィールをマスターに仕立て上げては彼女自身の命をいらぬ危険に晒す羽目になる。アハト翁、貴方は聖杯の守り手であるイリヤスフィールが戦いの途中で命を落とすことになっても良いと?』

『それをさせぬ為のお主であろう。お主は我らアインツベルンの剣であり盾だ。聖杯を勝ち取るのも守り抜くのもその役目に含まれる。よもやこの段になって臆病風に吹かれたなどとは言うまいな?』

『ご冗談を。分かっていないようなのではっきりと言いましょう。僕の戦略を推し進める上で協力者など必要ない。それがたとえ歴代最高のマスター適正を持つイリヤスフィールであってもだ』

 言って切嗣は自らの胸に右腕を差し込み、霊媒治療の如く体内より異物を引き抜いた。

 それはばらばらに分散し、切嗣の体内に溶け込んでいた聖剣の鞘。目も覚める青と金で彩られた、この世に比するもののない聖剣をその身に収めていた鞘だった。

『無理を言って発掘を願い出たこの聖剣の鞘の加護さえあれば、僕はたとえ相手がサーヴァントであっても遅れを取らない戦いが可能だ。
 しかしイリヤスフィールを戦場に立たせ守りを考えなければならないのなら、この鞘は彼女に預けなければならなくなる』

 持ち主に脅威の治癒能力を授ける妖精郷よりの贈り物。無論、本来の持ち主との繋がりがなければ完全には起動しないが、聖杯戦争に限ってはそれが可能になる。
 この鞘を体内に埋め込み、持ち主をサーヴァントとして喚び出せば、マスターは擬似的な不死を得ることが出来る。

 死を恐れることがなければ踏み込めぬ一歩を踏み抜くことが可能になるし、決死の戦場であっても優位に立ち続けることが出来る。
 それこそ相手がサーヴァントであっても限界を超えた魔術行使が可能ならば、その頂に指先を掛ける事さえも叶うかもしれない。

 それほどにこの鞘は脅威の性能を有している。切嗣の考え出した最大のジョーカー。自らの性能を余すことなく引き出し敵マスターを駆逐する為の切り札。

 しかしイリヤスフィールが戦場に立つのなら、この鞘は彼女の守護に回さなければいけなくなる。万が一にも彼女を死なせるわけにはいかない以上、切嗣に選択肢はない。それは切嗣という戦力を半減以下に落とすほどの愚策だ。

 見返りとして得られるサーヴァントは確かに魅力的ではあるが、サーヴァントであるが故に敵の警戒も厳しくなる。切嗣というマスターでしかない駒を最大限に活かした戦術よりも上策であるとは、必ずしも言えないのだ。

 ユーブスタクハイトにしても、自らが勝負を預けたマスターが不要であると言う以上は無理に食い下がるつもりもない。
 彼にしてみれば聖杯さえ手に入ればそれで良いのだ。より優位に戦況を進める為に苦心したものとはいえ、要らぬと言われてしまっては是非もない。

 必ず聖杯を掴み取る──その約定さえ果たされるのならば、過程などに興味はない。

 そう告げて話を終わらせようとしたアハト翁を遮り、

『ねえキリツグ。私、一緒に戦いたいな』

 彼女──イリヤスフィールは、そんな夢物語を謳ったのだった。


+++


 真綿のような雪の上を駆け回り、短い昼の時間を精一杯使いきって遊んだ二人は。一際大きな傘のように開いた巨木の足元で身を寄せ合って座っていた。

 残照の如く降り注ぐ淡い陽光。冬の森でその温かさに包まれながら、切嗣が呟いた。

「……イリヤ。なんであんなことを言ったんだ」

「あんなことって?」

「アハト翁に呼び出された時のことだよ。僕と一緒に戦いたいだなんて……」

 結局あの場はうやむやのままに終わってしまった。切嗣にすればそんな子供の駄々のような我が侭に戦場で付き合う気にはなれないし、イリヤスフィールは嗜める切嗣の言葉の全てを『やだ』で押し切った。

 本格的な喧嘩になっても水掛け論にしかならないのは明白で、だから切嗣が一時折れることでこの時まで決断を引き伸ばしたのだ。

「イリヤ。これから僕が臨むのは遊びじゃないんだ。アインツベルンの千年の悲願は……まあ僕個人としてはどうでもいいが、聖杯は絶対に勝ち取らなければならないものなのは間違いない。
 他の連中も死に物狂いだろうし、イリヤを守りながら戦うのは難しいんだ」

「それでも私は冬木に渡らないといけないんでしょ? 私が──今回の聖杯の器だから」

 彼女の母、アイリスフィールの胎内にいる頃からイリヤスフィールは聖杯として機能するよう調整を施されてきた。
 それはアインツベルンとしても試作の段階と考えていたものであったが、この開催の遅延によりイリヤスフィールは正式にその任を負う事になった。

 無機物の聖杯では叶わぬ自衛機能を有するホムンクルス型の聖杯。イリヤスフィールの体内に埋め込まれているわけではなく、彼女自身が聖杯そのものなのだ。

 アハト翁の言う令呪システムの隙、というのもイリヤスフィールの特性があってこそ可能なものだ。マキリの秘術を完全に解せないアインツベルンは、イリヤスフィールの小聖杯としての機能を利用し令呪を大聖杯より横取りする腹だった。

「ならキリツグはどのみち私を守ることになるんでしょ? だったら私も一緒に戦わせて欲しいの」

「非戦闘員のイリヤとサーヴァントを従えて敵に殺しの対象として定められたイリヤとでは守る難易度が段違いだ。
 完全に守りきる為には聖剣の鞘を渡さなければならないし、そうすれば今度は僕の性能が低下する。そうするとよりイリヤを守ることが難しくなるんだ」

「鞘はいらないよ。私は自分のサーヴァントに守ってもらうから」

「そういうわけにもいかないんだ。万が一にもイリヤに死なれては困るんだから」

 自分でそう口にして、切嗣は唇を噛み締めた。

 どの口がそんなことを言うのだ。最後には犠牲にしなければならない命に、犠牲にすると覚悟した娘に、ただ自分の願いを叶える為にこの手で殺すまでは生きていて欲しいだなんて──

 ──何処まで偽善者なんだ、僕は……

 真綿の雪を強く握り締め、その冷たさが罰のように感じられた。

「だいじょうぶだよ」

 その手を包み込む、温かな掌。
 視線を傾ければ、そこに輝くのは柔らかな笑み。

「キリツグの願いを知ってるから。それは、どんなことをしてでも叶えなければならない願いなんだよね?」

「……ああ」

 自らの娘の命を捧げてでも、叶えなければならない尊い祈り。

「この森で過ごした……私とキリツグと、そしてお母さまとの思い出さえを失くしてしまっても?」

「……ああ」

 切嗣の妻でありイリヤスフィールの母であるアイリスフィールは既に亡くなっている。彼女は本来起こる筈だった十年前の戦いに向けて調整を施されたホムンクルス。なればその寿命も当然にして十年前。
 戦いによって使い潰される前提で鋳造されたホムンクルスに余計な延命機能を付与するほどアインツベルンは甘くはない。

 それでもアイリスフィールは五年を生きた。寿命を超え、機能の限界を超え、愛する夫と子と共にその生を精一杯に謳歌した。

 避けえぬ死によって別たれる結末は同じでも、彼女にとってその五年間は幸福なものであった筈だ。短く、そして儚き生であっても、精一杯に生き抜いた彼女の生き様を誰も穢すことは出来ない。

 しかし切嗣だけは違った。

 アイリスフィールの願いが夫と子の幸福であると知りながら、彼はその想いを裏切る。自らの理想の為に、我が子を聖杯として差し出すのだ。

 なんという独善。何処までも自己欺瞞。それが許されざる罪であると知りながら、切嗣は歩みを止めることが出来ない。
 自らの過ちによって犯してしまった最初の罪を購う為には、聖杯に希う他にもう手がないのだから。

 自分自身と、これまでの犠牲を裏切れない。裏切ってしまっては衛宮切嗣が瓦解する。それほどに、その罪は切嗣の根幹に根付いている。
 逃れえぬ鎖。避けようのない運命。自らの胸を絶望と悲哀で埋め尽くしながら、正しき行いを遂行する。

 理想と現実の軋轢で鉄の心を軋ませながら。いつか夢見たものを追いかけ続ける。それでも切嗣は人間だ。どうしようもなく人なのだ。そこらにいる誰かと変わらない、弱く小さな一人の人間。

 どれだけ心を固めても、ツギハギだらけでその隙間からは悲しみが零れてしまうから。

「──泣かないで。イリヤはキリツグの味方だよ」

 俯いていた切嗣に覆い被さる小さな影。回された腕から感じる温もりに、切嗣は嗚咽にも似た声を漏らした。

「ねえキリツグ。イリヤとお母さまと、三人で暮らした時間は、幸せだった……?」

「ああ……僕には、もったいないくらいに」

 自らには分不相応だと思っていた人並の幸福。アインツベルンでの二十年余りは、幸福に過ぎた。この微温湯で命尽きるまで幸せの中で揺蕩い続けられたら、どんなに良かったことか。

 その思いが過ぎる度、切嗣は自らの身体に過剰なまでに鞭打った。
 幸せの中で堕落していくことを恐れ、胸に抱いた理想が風化することを恐れ、死に物狂いで鍛錬に明け暮れた。

 ここは本来自分がいるべき場所じゃない。あくまで理想を叶える為の通過点。そう自分を戒め続けなければ、この先の過酷に立ち向かえなくなる。それほどに切嗣にとってこの幸せは長すぎた。

「そっか……うん。私も、幸せだった」

 だから。

「キリツグは悲しまなくていい。泣かなくていいんだよ。キリツグの祈りが誰に認められなくても、私だけが認めてあげる。ずっとずっと傍にいてあげる」

 それが叶わぬ願いと知りながら、少女は歌う。
 この誰よりも尊い願いを宿し、けれどどこまでも人でしかない大切な父を想い……

「キリツグが世界中の人を救って正義の味方になるって言うのなら、私はキリツグだけの味方になってあげる。
 キリツグの夢の邪魔をする奴らなんかみーんなやっつけちゃうんだから!」

 その為に少女は力を願った。孤独に世界の救済を夢見る男の隣に立ち、その夢の片棒を担ぎたいと願ったが故に。
 守られるだけのお姫さまなんていやだった。そんな無様に甘んじるくらいなら、一緒に傷つき支えあいたい。

 イリヤスフィールの人生に、幸福をくれた父の役に立ちたいと、そう願った。

「…………」

 それは余りに感情的で、非効率な行い。冷徹に任務を遂行し目的を成し遂げる切嗣の理にはそぐわない。今でもイリヤスフィールの参戦には反対だ。その思いは変わらない。

「……分かったよイリヤ。僕の負けだ」

 それでもこの少女の想いに報いたい。出来る限りの願いに応えたい。この戦いの果てに散ることを約束されている少女に少しでも幸福に生きて欲しい。
 それは余りに理にそぐわぬ余分。されど父として子を確かに想うが故の祈りだった。

「ほんとっ!?」

「ああ。ただし僕の言うことを守ること。勝手な真似はしないこと。無理はしないこと。ちゃんと守れるかい?」

「うん! 簡単だわそんなの! だって私淑女(レディ)だもの!」

「…………まあそれは置いておくとして。そろそろ戻ろう。アハト翁にも伝えなければならないし。段取りも少し変えなければならないかもしれない」

「なんでもいいわ! キリツグにまかせる! ほら、そう決まったら急ごっ!」

「うわっ……とっ──!」

 少女に手を引かれ男は雪原を駆け抜ける。
 戦いに向かう前の最後の一時。
 その幸せを噛み締めながら。
 終わってしまう幸福に、名残惜しさを感じながら。


+++


 それから数日。

 あの日以来、森はまた吹き荒ぶ六花に閉ざされた。曇天は何処までも遠く空に蓋をし、垣間見えた青空を見ることはもう、叶わなかった。高まる闘争の機運とは裏腹に、曇り行く彼らの心のように。

 冬の城のエントランスホール。大階段の脇から伸びる通路の先にあるサロンに、切嗣とイリヤスフィールの姿があった。

 少女はその背に二人の侍女を従え、淹れられたばかりの紅茶の薫りを楽しんでいた。長机を挟んだ対面に立つ切嗣は、イリヤスフィールの楽しげな表情とは対照的な渋面を貼り付け虚空を睨んでいた。

 それと言うのも未だ切嗣の中でイリヤスフィールをマスターとした上で戦う為の算段がついていないせいだった。

 当初の計画通りイリヤスフィールはただの連れ添いとして冬木へと赴いた場合、矢面に立つのも傷を受けるのも切嗣とそのサーヴァントだけで済む筈だった。
 他の連中がいかに有能なマスターでも、強力なサーヴァントを従えていようとも、戦い抜ける──勝てるだけの算段と用意が切嗣にはあった。

 しかしイリヤスフィールが切嗣と同じ舞台に立つと言うなら話がまるで変わってくる。アハト翁と口論になった時にも言ったように、聖剣の鞘の守護を絶対に死なせるわけにはいかないイリヤスフィールに渡さなければならない。

 作戦の根底にあったものが騎士王の戦力と鞘の加護にあった以上、立てた概要の全てを放棄して一から構築しなければならなくなる。

 具体的には聖剣の鞘をイリヤスフィールに預けるとして、騎士王を召喚するのはどちらが良いか。もう一体喚べるサーヴァントはどのクラス、どの時代の英霊が好ましいか。避けられない切嗣自身の戦力低下をどう補うか。

「…………」

 イリヤスフィールの懇願を受け入れた事を早まったか……とさえ思うほどに状況は芳しくなかった。

 口を曲げて唸る父を上目遣いで見やる赤目の少女は、紅茶のカップを音もなくソーサーへ戻した後、頬を膨らませて言った。

「もう、キリツグったらいつまで悩んでるの? 何度も言ったじゃない、私は自分のサーヴァントに守って貰うから、鞘はキリツグが使えばいいって」

「……今ではそうするのが一番なんじゃないかという気もしているよ」

 何せアインツベルンに招かれた時、聖杯戦争の概要を聞いた後、切嗣自身が世界中の文献を当たり、その中から選び出した最良と考えうる策だったのだ。
 理想の王の手から失われし最強の聖剣をその身に納めたという鞘。アーサー王の凋落はこの鞘を紛失した事に端を発すると言われるほどの貴重品。

 事実切嗣はこの鞘が発見されなければ別のサーヴァントを招来する腹だった。

 鞘がなくとも円卓の王はおよそ最優のセイバーというクラスにおいても上位に位置する英霊だ。彼自身の武勇と手にする黄金の煌きがあればどんな英雄が相手でも一方的に劣ると言う事はないだろう。

 ただし、文献などから考察される騎士王の気性と切嗣のやり方は恐らく、致命的に合わないしズレている。正統であり真っ当な騎士の王と騙しや裏切りが常套手段の切嗣では相性が悪くて当然だ。

 聖剣の鞘ほど強力な縁の品ならば、そんな相性の悪さを無視して召喚を行う事は可能だろう。そしてそんな致命的なズレに目を瞑ってでも得たいほどに鞘の加護は強力。それが切嗣が鞘に固執する理由だ。

「……仮に僕がアーサー王……セイバーを喚ぶとして。今度はイリヤにどのサーヴァントを喚んで貰うべきかでまた頭を悩ませなくてはいけなくなる」

 幸いにしてこの十年……前回から数えて七十年の期間で、ユーブスタクハイトは相応の数の触媒と成り得るものをかき集めていた。
 名立たる英雄の所有物や、歴史に名を刻まれた縁の品。有名どころの北欧神話やギリシャ神話を筆頭に、世界中の誰もが一度は耳にした事のあるだろう大英雄の触媒さえも保管されている。

 ただ名のある英霊を喚べばいいという単純な話ではない。これが個の戦いであるならそれでも構わないかもしれないが、今回に限ってはアーサー王個人やクラス間との相性も考慮しなくてはならない。
 セイバークラスの強力なサーヴァントを二体使役出来たしても、それでは今度は搦め手に弱くなる危険性がある。

 各地に伝わる伝承で主役とされる者達とて、違う神話の登場人物達が直接剣を交えた事がない以上、明確に最強であり無敵である英雄など決められない。そもこの聖杯戦争がそれを決する場でもあるのだから。

「…………」

 結局は堂々巡り。上手い案は中々出ない。当然だ、そもそもこんな事態を切嗣は勘案など毛ほどもしていなかったのだから。

「いや……」

 そこではたと、切嗣は自身の見落としに気付いた。そもそもの話として、何故ここまで頭を悩ませなければならないのか、と。

「キリツグ……?」

 イリヤスフィールは窺うように切嗣の瞳を覗き込む。突如として色を失った、父の瞳を。

「……僕は馬鹿だな。ああ、本当に。前提を既に間違えていると、何故今まで気が付かなかった」

 これは誰の為の戦いであり、何の為の戦いか。
 自分自身に課した役目を今一度思い出せ。
 自分自身のやり方を──衛宮切嗣の流儀を。

 ……こんなにも、心が鈍ってしまっている。

 それほどに、この城での幸福は長く、満ち足りていた。

 精密機械じみた殺人者でしかなかった切嗣の心。黒く渦を巻いていた心は、この城の中で色づいた。当たり前の幸福をくれた二人のお陰で。しかしそれは余分。衛宮切嗣が衛宮切嗣であり続ける為にはあってはならない余分だ。

 機械を正常に動かす為には歯車は少なくてもいけないし、多すぎてもいけない。不必要なパーツを無理に組み込んだところで、動作不良を起こすだけだ。
 冷静に。冷徹に。冷ややかに戦局を俯瞰し、己にとっての優位を構築し相手にとっての劣位を押し付ける。

 誰かを守る為の戦いなんて一度としてした事などない。
 だってこの掌は────誰かを殺す事でしか、救いを手に入れられないのだから。

 瞼を重く閉じ、開いた時にはもう瞳には迷いはない。為すべき事は明確で、目的としたものはもうすぐそこ。ならば万難を排しただ駆け抜けるのみ。

「イリヤ。アーサー王は僕が召喚する」

「じゃあ……私は……?」

「イリヤには────」

 切嗣は無感情な声で、喚ぶべき英霊の名と考えられるクラス名を告げた。


+++


 そして遂に儀式が始まる。

 聖杯戦争の足掛かりとなるサーヴァント召喚の儀。広い儀式場の中心に男と少女は背中合わせに立ち、互いに向かい合うのは各々の血で描いた魔法陣。

 捧げるべき聖遺物は一つは切嗣自身と融合し、一つはイリヤスフィールの手の中に。血と鉄で描かれた紋様を前に朗々と歌は紡がれていく。

「我は常世総ての善と成る者──」

「──我は常世総ての悪を敷く者」

 発光する魔法陣。踊る気流。咲き乱れるエーテルの嵐の中、二人は身に宿した令呪の高鳴りと門を開く感覚に身を任せる。

 彼方と此方を結ぶ道。その創造はあくまで聖杯自身が行うものであり、マスターはただ呼びかけるだけでいい。難しい手順も何もなく、定められた詩文を謳い上げればそれだけで事足りる。

 朗々と謳い上げられる小節。一字一句の間違いもなく。これより招かれるは絵本の中の主人公。御伽噺の中でしかなかった存在が、もう間もなく目の前に現われる。

 サーヴァントを聖杯を手に入れる為の道具と割り切る男に高揚はなく。少女の心の内は不明瞭。されどどちらともが感じている。令呪より伝わる熱の意味を。

 遂に最高潮を迎える乱流。二人は共に最後の一節を声高に叫び上げた。

「……汝三大の言霊を纏う七天」

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」

 詠唱の完成と共に咲き乱れていたエーテルが霧散する。突風が巻き起こり二人の視界を遮る。漂う靄。しかしそれも世界の外側より招かれた者が放つ圧倒的な気配の前に、ただのエーテル流などただの一足で吹き飛ばされた。

 白銀の具足が大地を打ち鳴らす。
 黄金の如き髪が風の残り香に揺れている。
 翠緑の瞳が、揺るがぬ意思を秘めて己を招きしマスターを見つめていた。

 そして同刻。
 白の少女の前にも彼女の喚んだサーヴァントが姿を見せる。

 風を踏んだかのような軽やかな着地。
 薫る甘い香の匂い。
 耳に残る、鈴の音。

「────問おう。貴方が」

「私のマスターかしら……?」

 幾千の時を超え、熾天より舞い降りた二人は、同時に己が主へと問いを投げ掛けた。













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