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scene.03












/8


 明くる日。

 十一月の朝ともなれば日の昇り始める時間も夏頃と比べれば随分と遅くなる。朝の弱い者にとっては苦痛以外の何物でもない起床の瞬間。
 陽の光という一日の始まりを告げる輝きが冬も差し迫っているという理由で寝坊をしているのなら、少しくらい寝過ごしても構わないだろうと誰もが思う時刻。

 遠坂時臣は太陽が何時昇ろうが自身に定めた起床時刻を守り、常日頃と変わらぬ朝の支度と朝食をもまた既に済ませ、書斎にて自らの手で淹れたばかりの食後の紅茶の薫りを楽しんでいた。

 優雅を信条とする遠坂において、意味のない自堕落は許されない。娘の模範となる父であるのなら尚更だ。幾ら事実上家督を譲ったも同然とはいえ、隠匿を決め込んだ老人のように時間に縛られない生活を彼は好まない。

 幼少時より実父に教えられてきた生き方。遠坂の家門を継ぐ者として当然の所作。役目を半ば果たし終えたとしても、今や身体に染み付いた習慣を変える事など出来る筈もなく、また変える気すらなかった。

 そんな時臣に不満な点があるとするのなら、今目の前で薫り高く湯気を燻らせる紅茶。常ならば侍従に淹れさせ自室へと運んで来て貰うところだが、全員に聖杯戦争を理由に暇を出している。

 魔術の薫陶を受け継がぬ者達とはいえ、彼女らも遠坂の屋敷に携わる充分な身内。魔術師は外敵に対して容赦がない分、身内には随分と甘い。
 無用の犠牲も好まないとなれば、何時聖杯を賭け争う連中に狙われるとも限らないこの屋敷に滞在させておく事は出来なかった。

 それ故に、この紅茶は時臣自身が淹れたもの。別段味に不満があるわけではない。家人の務めとして炊事に洗濯、掃除の全てを一通りこなせるだけの腕はある。
 彼が不満に思うのは、紅茶を淹れてから書斎に運んだせいで幾分熱を失っている事だ。横着をしたつもりはないが、このところ侍従に家事全般を任せていた事もあり、どうも要領に欠けるところがあると己の不明を恥じた。

 次はちゃんとポットを用意しておこう、とそんなまるで麗らかな朝の一時を楽しんでいた風のある時臣は、紅茶を一口含み、嚥下していく赤い液体で充足感を満たした直後、まるでスイッチで切り替わるかのように思考の表と裏を引っ繰り返した。

「ではまず、昨日の釈明から聞こうか、ガウェイン」

 細めた瞳は虚空を見据える。優雅に紅茶を愉しんでいた時臣の顔はそこにはない。あるのは魔術師としての面貌。
 何もない虚空に突如として現われる白の甲冑。霊体から実体への遷移。常に涼やかさを忘れなかった白騎士の顔に、今は僅かだが曇りが見て取れた。

「昨夜の一戦にて君の戦力は充分に把握させて貰った。セイバーとの見事な剣舞、そして聖者の数字を発動して以降の戦闘能力。素晴らしい。最優を誇る剣の英霊を相手取ってなお圧倒せしめたその実力には、惜しみない賛辞を送りたい」

「……ありがとうございます」

「だがだからこそ解せないな。その後に姿を現したバーサーカー。あれとの一戦は一体何なのだ? あの狂乱の英霊は、太陽の加護を得た君をも圧倒するほどの猛者なのか」

 傍目に見た限り、そうとしか映らないだろう。最高位のステータスを誇るセイバーを完封しておきながらバーサーカーを相手に手も足も出なかった不明。
 ステータスの一切を見通せない事がより一層の拍車を掛け、その正体は剣を切り結んだ本人にしか分からない。

 白騎士は引き結んでいた唇を僅かに開けて息を吐く。これより己の告げなければならない言葉に重みを感じながら。隠し通す事の出来ない、そのつもりもない事実を嘘偽りなく日の下に曝け出す。

「私がバーサーカーを相手に苦戦を強いられた理由は簡潔です。あの相手に対し、令呪を以って発動した“聖者の数字”はその効果を発揮しなかったからです」

 素の状態のガウェインの能力値は英霊の中でも優秀な部類に入る。並の英霊であれば圧倒出来るだけの充分な数値を誇っている。
 彼自身の剣技もその信条を反映したように力強く、時に愚直とさえ捉えられかねない程素直な剣筋だが、数多の戦場を切り抜けてきただけの冴えがある。

 何よりこの騎士にとっての真骨頂は太陽の輝く時間、全能力値を三倍に引き上げる“聖者の数字”に集約される。
 愚直すぎる剣も圧倒的な威力を誇れば敵の防御ごと斬り裂き、生半可な攻撃では傷の一つさえ付けられない防御能力は転じて攻撃面での優位性をより不動のものとする。

 一流の騎士ではあっても超一流には及ばない白騎士。されど全てを覆し圧倒する程の加護が彼にはあり、それを有効活用するだけの手段と策を持つマスターに引き当てられた事は彼の僥倖だろう。

 不運、最悪とも呼べる想定外は、あのバーサーカーの存在。ガウェインの優位を根底から揺るがす程の英傑。
 先の一戦にしてもガウェインがその心を平静に保てていたのなら、もっと善戦出来ていた筈だ。

 強力なまでの加護の弱点にして欠点。それは一度破られた相手に対しては二度とその効力を発揮出来ない事。
 令呪の強制を以って発動した“聖者の数字”であっても、その法則からは逃れられなかった。かつて破られた事のある相手に対しては、太陽は二度とガウェインを照らしてはくれないのだ。

「我が“聖者の数字”を真っ向から破った者は、後にも先にもただ一人のみ」

 太陽の加護を失った事による能力低下。
 正体不明の敵に対する理解と驚愕。
 ただ一振りの剣でありたいと願った彼の心を揺さぶる、あの闇こそは────

「────湖の騎士ランスロット卿。私と同じく、無謬の王に仕え、理想の騎士と謳われた男です」


+++


「…………」

 事の顛末を聞き終え、既に当事者の去った書斎。

 時臣は変わらぬまま椅子に腰掛け、机に付いた腕を組みカーテンの隙間から射す陽光が舞う虚空を見据えていた。

 ガウェインの語った真相。
 彼の優位性を揺るがす真実。

 永遠にして無謬の王。
 王の背に輝く太陽の騎士。

 更には理想を体現せし湖の騎士もまたこの第四次聖杯戦争に招かれているという事実。何たる数奇なる命運。仕組まれたのかのように同じ時の果てへと招かれた王とその側近。これを偶然と片付けるには無理がある。

 聖杯が何を思い彼らを招いたのか、参加者らがただより強い英雄を求めた結果なのか、あるいは彼ら自身の人生の結末に対する無念にも似た未練が、このような運命を手繰り寄せたのか……。

「……詮無い思索だ。答えのない問いには意味がない」

 彼らを巡る因果にどのような理由があれ、時臣がやるべき事には変わりはない。彼らの命運に決着が必要だとしても、その手を下すべきなのは彼ら自身だ。時臣はただ聖杯を巡る闘争にこそ想いを馳せるべきだから。

『導師、今お時間は宜しいでしょうか』

 不意に虚空に響く低い声。無音の静寂に閉ざされていた書斎にその無機質な声音が木霊した。

「ああ、大丈夫だよ綺礼。こちらの用件は一先ず済んだ。今後の課題は山積みだが、君との語らいに割く程度の時間はあると思うよ」

 書斎の一角、日の光の届かない死角に佇む蓄音機めいた機械。声の出所はそれだった。本来ターンテーブルのあるべきところに宝石仕掛けの意匠が施され、現在新都は冬木教会に腰を降ろす言峰綺礼との共振による長距離通話を可能にしていた。

 本来魔術師がこのような仕掛けを用いる事は少ない。僅かではあれ魔術の片鱗を宿すものを無為に使用する事自体を魔術師は忌避する。
 魔力の一滴の無駄も許さない……というほど頑固ではなくとも、必要のない魔力消費は極力抑えるべきだとされている。

 時臣も常ならば廊下に据えつけられている電話機を使用するところだが、この街は既に戦場。魔が渦巻く坩堝と化している。
 であれば魔術を使う事に抵抗はなく、躊躇もまた必要ない。何よりこの戦にはあの悪名高き魔術師殺しが参戦している。魔術を結果ではなく手段に貶め、代用出来る全てを科学で補う異端の魔術使い。

 この要塞と化した遠坂邸ではあれ、科学技術について最低限の知識を有していても切嗣ほどには精通していない時臣にしてみれば、この期に及んで電話機を使うという選択は有り得なかった。

 盗聴の危険を冒してまで魔力消費を制限し、監督役である綺礼との内通を露見させるなどという愚かな行為は許容出来る筈もなく。
 宝石魔術に対する深い理解と遠坂の秘術における薫陶がなければ盗聴どころか解析すら不可能なこの宝石仕掛けの通信手段こそが最上。それを理解し、事前に教会にも同型の仕掛けを搬入しておいた次第であった。

 これで心置きなく、誰憚る事なく愛弟子と会話を交わす事が出来る。

『凛はそちらに?』

「いや、あの子は今頃地下の工房だろう。日課の鍛錬を既に始めている頃合だからね。工房にも同型の仕掛けを置いてあるのは君も承知の筈だ。凛──聞こえているのなら返事をしたまえ」

『はい、お父さま』

 間髪を置かず返って来る少女の返答。この屋敷の中で優先されるべきは時臣の言葉。定刻通り行っていた日課にさえそれは優先される。

「鍛錬については少し置いておけ。今はこの会話に参加して欲しい。戦場を客観的に俯瞰していたおまえだからこその意見もあるだろう。何かあれば忌憚なく聞かせてくれ」

『分かりました』

 蓄音機の向こうで居住まいを正す音が聞こえる。それが消えた頃を見計らい、時臣は切り出した。

「まずは君達にも労いを。昨日は良くやってくれた。私が想定していたものと多少の違いこそあったが、全てが万事予定通りというわけにもいくまい。
 その上で作戦はほぼ工程の通りに行われ、実際に成果を出した。その点についてまず感謝の言葉を述べたい」

 昨夜の戦闘。その全てはこの場に声を募らせる三者の誰が欠けても為しえなかった。想定はしていたし、その上で作戦を練り上げた。
 これであの場に居合わせたアインツベルン、引いては盗み見ていた輩に対しても布石を一つ打てた事になる。

『いえ、導師。我々は戦場から遠く離れた場で眺めていたに過ぎません。矢面に立たれた導師こそが労われるべきでしょう』

「それは違うよ綺礼。作戦の立案者は私だ。ならばその責を負うべきなのもまた私であるのだ。矢面に立ったのは当然の事であり、なんら労われるべきものでもない……が、今は素直に感謝しよう。君の厚意はありがたく頂戴しておく」

 それでこの話は終わりだと言うように時臣は一旦区切る。師がそう言うのであれば綺礼には是非もない。

「では早速反省といこうか。ガウェインから先程聞いたばかりの話を、君達にも知らせておく」

 言って時臣は語る。バーサーカーの正体。太陽の加護の消失。千にも万にも上る世界中の英霊の中から、唯一ガウェインを御しえる強敵の出現。運命という名の縛鎖が、彼らの足元へと絡みつく。

 想定外と言えば想定外だが、世界を見渡せばガウェインを上回る英霊などざらに居る。凛が招来しようとした黄金の君を筆頭に、大英雄と称される者達ならば太陽の騎士へと手が届くだろう。

 限りない暴威によって蹂躙し尽くすのではなく、あくまであのバーサーカーとは致命的に相性が悪いというだけの話だ。他の連中に対しては、その優位性は一切の揺るぎも見せてはいない。

 何よりこの遠坂にはもう一騎、従えている英霊が居る。ガウェインただ一人で戦争を勝ち抜く必要はない。その背を守り、天に弓引く狙撃手があるのだから。

「凛、おまえの判断するところのアーチャーの戦力はどの程度と見る」

 時臣も実際にアーチャーの狙撃は目視している。戦場からの離脱に際しては助力さえも借りた。素性の不透明さ、未だ知れない真名、手にする宝具の名は語られぬまま。不安要素は数限りないが、昨夜の戦力は時臣もまた認めるところだ。

 凛に求めたのは射手の側から見る戦力分析。時臣はアーチャーのマスターではない。彼と言葉を交わしたのも数度のみ。これより弓兵を運用していく事になる凛だからこその視点を欲し解を求めた。

『現状では恐らく、お父さまが認識しておられる以上の答えは返す事が出来ません。私もまだアーチャーに対し猜疑の念を抱いていますし、ただ、その狙撃能力については評価もしていますが』

 今のところ唯々諾々と従ってはいても、何を切っ掛けに手綱を振り切ろうとするかは分からない。素性が不明である事はそれほどに厄介で、弓兵の底が見通せない以上は現状維持しか出来はしない。

『どうしても現段階で現状を打破しようとするのなら、令呪に訴える他に手段はないかと思います』

 記憶の有無に関わらず、令呪の強制ならば如何様にも縛り付けられる。小規模の奇跡とも言える令呪はそれほどに有用。ただし使い方を誤れば、主従の間に消えない軋轢を刻む事になりかねないが。

「……今はいい。アーチャーの現有戦力だけでも充分な作戦を提起出来るだろう。致命的なズレが見えない限りは、凛に全てを任せよう」

『分かりました』

 父がそう判断する事を承知していたように、凛の言葉にはブレがない。この時点での令呪の強制は、ガウェインに対する支援とは違い身を縛る鎖になる。聖杯を願う以上、表向きは不平不満は言って来ないかもしれないが、その内心に良くないものを募らせる結果となりかねない。

 そんな蓄積がここぞという時の裏切りに直結する可能性を思えば、現状維持こそが最善ではなくとも上等と言える。

「手の内の把握はこのくらいか。後は今後の動きについてだが、こちらもやるべき事は緒戦で済ませている。こちらから無理に打って出る必要もないが、警戒しておくに越した事のない相手もいるしな……」

 緒戦、姿を見せたバーサーカーがガウェインを狙ったその理由。彼があの湖の騎士ならばそれも頷けるが、同時に騎士達の仰いだ王もあの場には居合わせたのだ。
 狂気に犯される程の“何か”をその身に鬱積させた裏切りの騎士。彼を追い詰めたとされる王に先んじて同輩の騎士を狙ったその理由……。

 そしてもう一つ。

「綺礼、再三の確認で申し訳ないが、未だ通達のない参加者については何か情報は?」

『これと言って特には。霊器盤にて全七騎のサーヴァントの召喚は確認しておりますが、マスターについては何とも』

「…………」

 時臣は自分の采配が間違っていたとは思っていない。当初の予定通りであったのなら、今頃より悲惨とも言える状況下に置かれていたかもしれない。
 違えたかも知れない一手を後悔しても今更では意味がない。駒は盤上へと配置され既に局面は動いている。それを活かすも殺すも指し手の手腕に掛かっている。

「時に綺礼、君は何か用件があって連絡をくれたのではないのかな?」

 まさかこの時分に時臣と歓談がしたくてわざわざ連絡を入れてくるほど言峰綺礼は酔狂な男ではない。つい昨夜の反省と称した作戦会議を開いてしまったが、この会談もまた綺礼の連絡が発端だったのだ。

 今後について話し合う前に用件を聞いておいても損はない──そう思い、時臣は切り出した。
 そしてすぐさま理解する事になる。彼の告げる言葉が、これより先の思惑を一点へと収束させざるを得なくなる事を。


+++


 書斎にて声だけの作戦会議が開かれるその数分ほど前。
 つい今し方昨夜の顛末を己の口から語った白騎士──ガウェイン卿は廊下の一角で空を見上げていた。

 サーヴァントの実体化にはマスターの魔力を消費する。微々たるものだが、無駄な浪費は彼もまた好むところではない。本来ならばすぐさま霊体となり、屋敷の警備へと回るところだが、今の彼はそう出来なかった。

 この心の裡でざわめく陰りの正体。昇り始めた日輪の煌きでさえ消せない痛み。煩悶と渦巻く葛藤を抱えたまま、剣の振りをして消える事は出来なかった。
 己自身に課した誓いの為。こんなものを引き摺ったままではいけないと、今一度ただ一振りの剣へと立ち返る為に、十全な感覚がある実体のままで一時を過ごしていた。

 窓の縁を強く掴む。そう、こんな迷いを抱いたままでどうして主の剣などと吹聴出来ようか。剣に意思は必要ない。ただ主の意に応える剣であるべきだ。大きな一つの機構に組み込まれた、ちっぽけな歯車でいい。

「だというのに、何故この痛みは消えてくれない……」

 正しくあらんとする度に、誓いを見つめる度に、あの黒騎士の姿が脳裏を過ぎる。迸る憎悪とそれだけで射殺せそうな殺意。幾度となく打ち込まれた剣戟の苛烈さと、闇の奥で血走っていた瞳がちらついて消えてくれない。

 何が一体彼の騎士の身をあれほどに焦がしたというのか。
 何が彼の男をあんな狂気へと駆り立てたのか。
 どのような結論に至れば、あんな畜生へと堕ちる事が出来るというのか。

 ────貴公はまた、私の前に立ちはだかるのか、ランスロット卿……!

 それは白騎士の後悔の具現。かつて犯した罪のカタチ。二度目の生では繰り返すまいと心に誓った祈り。それが再び現われた。騎士としての道を貫き通したいと願う彼を嘲笑うように、生前よりもなお醜悪な姿で。

 全てから目を背けてしまえればどんなに楽だったか。騎士道を奉じるガウェインだからこそ自分自身を克己する為の戒めは許容出来ても、目の前にある己の罪から目を逸らす事は出来なかった。

「どうしたガウェイン卿、涼やかな君の面貌に見る影もない。そんな面をしてマスターと顔を合わせようものなら、太陽の騎士の名が泣こう。今すぐ己を律せないのなら、顔を洗ってくるがいい」

「アーチャー……」

 朧と姿を現す赤い外套。太陽の光を透かす銀髪と鋭い双眸を携えて、弓兵の英霊が隣に立った。

「何をしているのですアーチャー。貴方は今、この屋敷の警戒を任ぜられていた筈ですが」

「何、交代要員が中々顔を出さないのでね。心配になって探しに来ただけだ」

「…………」

 明確な時刻は時計のないこの廊下では分からない。が、アーチャーがそう言うからにはガウェインはそれだけの長い時間、思索に囚われてたという事だろう。なんという不覚。人を責める前に己の不明をまず恥じなければならなかった。

「……そうですか。申し訳ない。すぐにも警護に回りましょう」

「まあ待て。今の君に果たして屋敷の守りを任せて良いものか」

「それが役とあらばどのような精神状態であろうとこなして見せます。心配には及ばない」

「その言葉は既に己は十全ではないと告げているようなものなのだがな……。まあいい、別段交代したからといって何かやる事があるわけでもない。暫し付き合おう」

「…………」

「不服かね? どの道この時分に仕掛けてくるような輩はそういない。索敵能力ならば君よりも私の方が上だ。私の眼が見る限り、今この瞬間に危険は皆無だ」

 白騎士は据わった目で眼前の英霊を見る。赤い弓兵は口の端を僅かに上げ、ニヒルに笑った。

「つまり──少し話をしないか、という提案だ」


+++


 遠坂邸は深山町の洋館街の小高い丘の上にある。背後に山を背負い、正面入り口から伸びる道路を真っ直ぐに行けば直に間桐邸が見え、そのまま進むと深山町を南北に分かつ十字路へと行き着く。
 その立地上、屋根の上から町を見渡せば、深山町一帯が一望出来る。天気のいい日なら遠く未遠川に架かる冬木大橋の遠景をはっきりと見通せるだろう。

 但しそれは常人ならばの話であり、彼らサーヴァントにとってみればどれだけ悪天候だろうと大橋くらいまでは見通せるだろうし、鷹の眼を持つアーチャーならば鉄骨に穿たれたボルトでさえ把握する事が可能だ。

 つまり遠坂の屋敷の屋根の上は哨戒を行うのに適しているという事だ。屋敷を含む一帯が私有地という事もあり、守る分には楽な部類に入るだろう。

 これでもし敵に狙撃手がいればまた話は別だが、弓兵の英霊は遠坂の側にいる。警戒すべきは遠距離攻撃の手段を有しているであろうキャスターくらいのものか。大規模破壊を行える宝具を持つ輩までその対象にしては、どれだけ備に眼を凝らそうと意味がない。神経が擦り切れるだけだ。

 遠坂、間桐両家が市井に紛れるように暮らしているのはそんな攻撃手段を警戒しての側面もある。同じ魔術師ならば余計な被害とそれに伴う神秘の露見を嫌うものだ。住宅の密集するこの場所で対軍以上の宝具の使用に及べばその被害は甚大なものとなる。

 少なくともサーヴァントが屋敷の警戒をしている以上、そんな強硬手段に及べば間違いなく気付く。咄嗟の対処こそ迫られるが、そんなどうしようもないものまで警戒していてはおちおちと眠れさえしない。ある種の図太さで、彼ら両家の当主は今も変わる事なく我が家で過ごしている。

 先程までアーチャーが警戒を担当していたとはいえ、律儀なガウェインは屋根の上から町を一望し、サーヴァントの気配がない事を確認した後、不遜にも腕を組んで呆れた顔をしている弓兵へと向き直った。

「律儀なものだな。そんなにも私が信用ならないか」

「貴方に対する信用云々の話ではなく、これは自身に課せられた役目。マスターの命である以上、己が眼で確認するのは当然でしょう」

「生真面目なのは結構だが、行き過ぎればただの頑固だ。もっと肩の力を抜くといい」

 問われた事に一々真顔で答えを返すガウェインとは裏腹に、アーチャーは半ば茶化すように言葉で遊んでいる。まともに相手をしてはキリがないとばかりに白騎士は本題を切り出した。

「それで、何用ですアーチャー。まさか雑談がしたいというわけでもないでしょう」

「いいや、その通りだが? 本来ならば我々は語るべきを剣で語り、交わす言葉は牽制と挑発を滲ませた応酬であった筈だ。
 それが如何なる運命の悪戯か、こうして肩を並べている。折角の機会だ、彼の太陽の騎士と忌憚なく話をしてみたいと思うのはそれ程おかしなものだろうか」

 謙っているように見えてその実見下しているようでもあるアーチャーの口ぶり。その人を食ったような物言いは、かつて轡を並べた騎士の中にも似たような話術で煙に巻くのが得意な者が居た事を思い出した。

「私は主の為の剣。故に無用な問答など交わすつもりはありません」

「では無用でなければいいと。貴君は己を主の為の剣と言った。ならばその剣が迷いを宿していては、何時か主に仇なす事もあるのではないのかな?」

「……なるほど。轡を並べる者として、迷いを抱いた者に預ける剣はないと。そういう事ですか」

「理解が早くて助かるよ。マスターらのサーヴァントの運用法を勘案するに、卿が前衛で私が後衛だろう。弓兵という立場上、前衛が脆くては弓を引く事もままならないのでな。守るべきものを守れぬ剣に意味などないだろう?」

「安い挑発になど乗るつもりはありません。ですが貴方の憂慮もまた当然。迷いのある剣は己だけでなく主をも危険に晒す事でしょう。
 しかし貴公の手を煩わせるまでもなく、この身はただ一振りの剣です。迷いを抱く事すらも過ぎた身。ただ主の行く手を阻む全てを斬り倒すまでの事」

「そうか……では、同じ過ちを繰り返さぬよう期待したいところだな」

 言ってアーチャーは視線を遠く投げる。明け行く夜と昇り来る朝、その狭間から澄み渡る冬の空を望むように。

 弓兵が白騎士の何を、何処まで知っているのかは分からない。上辺だけでの言葉は誰の心にも響かない。他者を思う心がなければ届かない。何より心を持つ事すら不要だと言い切るガウェインを相手にしては尚更だ。

 過ちを繰り返して欲しくない? 当然だ、そんな事言われるまでもなく分かっている。私情に駆られ王を死なせた己の不明を恥じて、あるかどうかも分からなかった二度目の生では繰り返すまいと誓ったのだから。

 現実となった二度目の生。剣を捧げる主は違い、頂くべき王ですらなくとも、誓った祈りに間違いはない。
 先程まで胸で渦巻いていた煩悶も今や薄れている。全ては今代の主に優先される。過去からの呼び声に、今更耳を傾ける必要など初めからなかったのだ。

 如何にあの狂戦士が彼の湖の騎士であっても、王が彼を赦し、己もまた私情にて剣を振るうまいと律する以上、あの狂気はただ打ち倒すべき敵でしかない。
 理想の騎士が狂気に囚われた理由を勘案してやる必要などあろうか。その境遇を慮る必要があろうか。いや、ない。剣に意思がないのなら、倒すべき敵を想う気持ちもまたあってはならない。

 主の目指すべき先を切り拓く為の剣。ピースの一つ。組み込まれた歯車。それでいい。そうあるべきで、そうありたいと願ったから。

「…………」

 曇りなき瞳が弓兵を見る。太陽の熱を宿した澄んだ眼差し。日陰を生きた者にとっては眩しすぎる程の光。
 けれどそれは間違った輝きだと弓騎士は思う。滅私。忠誠。大いに結構だとも。彼の主が己の全てを賭けるに値する者であって、その間違いを彼自身が容認しているとすれば、の話だが。

 今多くを語ったところで白騎士の胸には届くまい。無謬の王と理想の騎士の登場は彼にとっても予想外のもので、正常な判断力を失している。
 ぶれていないように見えるのは原点に立ち返ったからだ。それは目を背けずとも、目を瞑るに等しいものだと気付いていない。

 だから今、告げるべきは一言だけ。

「何が間違っているか──まずはそこから見つめるべきだ。いらぬお節介だがな、聞き流してくれても構わん」

 それで用は済んだとばかりに弓兵は背を向ける。

「この時間の警護担当は君だ、後は任せよう」

 赤い外套が光に透けるように消えていく。一方的に話をしたいと言っておきながら、こんな顛末があって良いのだろうか。

「…………」

 元よりガウェインは多くを語るつもりはなかったのだから、無用に口を開く必要がなくなった事は素直に喜んでおくべきだろう。
 ただ、その最後に残された言葉がほんの少しだけ、気にかかった。

「私が……間違えている……?」

 弓兵の投げた問い掛けに対する答えを白騎士は持ち合わせない。間違えまいと己を律したというのに、一体何を間違えているというのか。
 そもそもからしてアーチャーの言葉を全て鵜呑みにしてはいけない。素性の知れない輩の声を真に受けていては立ち行かない。今はこうして肩を並べてはいても、何れは剣を交える事にもなりかねないのだから。

 心は深く深く沈み込む。思考は停止し、見つめるはただ前のみ。刃のように鋭利な瞳で高みより町を眺望する。明け行く空の彼方に何を見るのか、彼自身分からぬままに、一日が始まりを告げる。


/9


 昼なお薄暗い間桐の屋敷。

 窓に掛かるカーテンは外が晴天であるというのに閉ざされ、陰鬱な空間を作っている。光源はカーテン越しの陽光だけ。薄暗いのも当然だろう。

 意図して光を遠ざけているのには勿論理由がある。

 間桐臓硯──間桐に棲む大翁は吸血鬼だ。厳密に言えば違うが、それが“鬼”であろうと“蟲”であろうと大差はない。
 吸血鬼が苦手するものの筆頭は十字架やニンニク、それに陽光だ。あの翁は日の光を嫌っている。光を浴びれば灰になる、という程極端ではなくとも、習性として忌避し遠ざけている。

 そして彼の生み出した間桐の秘術である蟲もまた、陰鬱な闇を好む。地下にある蟲蔵は緑色の闇に包まれ腐臭に満ちている。求め欲した力を手に入れた雁夜にとって、あの地獄の底にはもう何の用もないのだが。

 そんな男は今、客室のソファーに身を埋めていた。手足をだらりと伸ばし、首もまた力なく垂れ下がっている。瞳は閉じられ、唇に動きはない。肌の色は青白く、身動ぎの一つもない様はまるで──

「雁夜よ。よもやお主、死んでおるわけではあるまいな?」

 屋敷の主がいつの間にか扉の前に立っていた。カーテン越しの陽光をすら煩わしそうに目を細め、視線は死んだように動かない男を向いていた。

「……死んでいると思う相手に声を掛けるほど耄碌したか妖怪」

 閉じていた目を眇め、虚空を見る。脇に立つ臓硯に視線を送らぬまま、何もない空間を呆と見つめた。

「それだけの口を叩けるようならば、サーヴァントの扱いにも問題はないようじゃな」

「ふん……」

 十年の研鑽で得た魔術師としての力はどうやら実を結んだようだ。狂化による魔力消費の増大はマスターへと多大な負担を強いる。過去バーサーカーのマスターとなった者達は皆その過負荷に耐え切れず自滅したらしい。

 そんな彼らとは違い、雁夜は今なお生きている。緒戦、バーサーカーを完全に御する事までは出来なかったが、死ぬほどの苦しみや身体に深刻なダメージを受けるまでには至らなかった。

「代わりにどれだけ蟲が死んだか分からないがな。アイツは魔力どころかその源さえ根こそぎ持って行きやがる」

 雁夜の体内に棲む刻印蟲。本来ならばそれは宿主に寄生し術者──臓硯に寄生者の存命を知らせるだけの使い魔。魔力を貪り、果ては肉すらも喰らい宿主に害為す文字通りの寄生蟲だが、雁夜の体内にあるそれは違う。

 間桐の秘術を体得し、蟲の扱いをも掌握した今の雁夜にとって、刻印蟲もまたその掌の上の存在。意思の操作は勿論、自己流に交配をし、魔力を貪るだけでなく生む存在へと造り替えている。

 云わばそれは雁夜が生まれ持った魔術回路とは別の魔力精製炉。平均的な魔術師ならば軽く凌駕する程度には、雁夜の宿す魔力量は多くなっている。
 そんな雁夜をして、バーサーカーを御するのは至難だった。これで格の低い英霊を狂化していればまた話は別だったかもしれないが、雁夜の喚んだ騎士は上位格。その名を広く世に轟かせる英傑であった。

 犠牲に見合うだけの能力値を誇り、事実彼の太陽の騎士を圧倒して見せた。あの状態ですらまだ、バーサーカーはその力の真価を発揮してはいない。全ての力を解き放った時、最優をも凌駕する狂気が具現化する。

 ……その時の俺が、その過負荷に耐えられるかどうかは別だがな。

 だから今、雁夜は無駄な魔力消費を少しでも抑える為にソファーに身を埋めていた。失った分の蟲をも精製しなければならず、余計な雑事に構っていられる暇はない。ようやく臓硯を視界に入れ、雁夜は嘯く。

「下らない話をしに来たのなら消えてくれ。今の俺にそんな余裕はないんだ」

「そう邪険にするでない。貴様一人でこの戦い、勝ち抜けるなどとは思っておるまい? バーサーカーの戦力は脅威ではあるが、他の連中も充分な策を弄しておる。
 真正面からの戦いには滅法強い貴様のサーヴァントも、絡め取られればどうなるか分かったものではない」

「……何が言いたい」

「────桜を使え。それでお主の負担は減り、戦況をより優位に持っていけよう」

「…………」

 それは桜もまた間桐のマスターであると知った時から、雁夜も計算に入れていた事。いずれ桜の手を借りねばならなくなるだろう、と。
 十年のモラトリアムが生んだ奇策は何も間桐だけの恩恵ではない。アインツベルンに遠坂も、それぞれ必勝の布陣を組んでいる。

「昨夜の戦いでお主も見たであろう? 遠坂からの正規の参戦者……マスターである遠坂凛のみならず、その父時臣もまた戦場に姿を現した。
 彼奴の従えたガウェインをバーサーカーは圧倒したが、それに横槍をくれたのは他でもない、アーチャー。娘の方が従えたサーヴァントよ」

 使い魔の目を通してでしかなかった雁夜には確信は持てなかったが、臓硯がそう言うからにはそれは事実なのだろう。遠坂の陣営は、こちらと同じく二騎のサーヴァントを従えている……。

「ガウェインに対してバーサーカーは相性、力量、共に優位じゃ。余程の事がなければそれは揺るがぬ。が、そこにアーチャーが加われば話は別だ。
 弓兵の矢の雨に晒されながら、一流の腕を持つ白騎士を相手取るのは、如何に最強を謳った湖の騎士とて容易くはなかろう」

 その為の桜と彼女のサーヴァント。遠坂が緒戦で二騎のサーヴァントを従えている事を露見した以上、これより先の戦いで隠す理由はない。前衛として白騎士を配置し、後衛に弓兵を据えるのは当然と考えられる。

 如何にガウェインに勝ろうとも、同じ英霊の援護を得た彼の太陽の騎士を相手にしてはバーサーカーといえど苦戦は免れない。
 更には相手取るべきは遠坂だけではないのだ。悪名高き魔術師殺しが、座して間桐の不利を捨て置く筈がない。僅かでも隙を見せれば、蛇のように絡め取られる。

 それでも雁夜は彼女が戦場に立つ事を良しとはしたくなかった。雁夜にとって桜は守るべき者。救うべき対象だ。彼女の力は必ず雁夜の助けになると分かっていても、あんな暗い顔をしたあの子にこれ以上の重荷を背負わせたくはなかった。

「大丈夫です、雁夜おじさん」

「桜ちゃん……」

 扉を開けて姿を現す間桐桜。何処から話を聞いていたのかは定かではないが、その顔には決意が見て取れる。長い前髪の奥に伺える瞳はいつかのように床の一点を見つめるのではなく、真っ直ぐに雁夜を見ていた。

「この“令呪(ちから)”は雁夜おじさんの助けとなる為にお爺さまに授けられたものです。そこに戸惑いはありません。それに……」

 光を覆う闇。昏い暗い底の感情。全てを諦めていた彼女はまた、間桐の闇に呑まれ使役される。
 だがそれ以外の感情を、雁夜は僅かだが見て取った。昏い瞳の奥に何かを。それが何かは雁夜には分からない。

 でもきっとそれは恐らく彼女の意思だ。言葉を発する事にすら脅え、常に下を向いていた彼女に宿った意思の力。それを無碍にはしたくない。どうせいずれは借りねばならなかった力なのだ。

 守るべき人の力を借りねばならない不甲斐無さ。嘆くべきは己の不徳で、恥じるべきは女を戦場に駆り立てなければならない己の弱さだ。

「……分かったよ、桜ちゃん、君の手を借りる。だけど、借りるだけだ。矢面に立つのは俺で、君にはそのサポートを頼む」

 ならば守ろう。

 このちっぽけな掌で、守りたいと願った君を。
 救いたいと足掻く、この己の心に賭けて。

「話は纏まったようじゃな」

 臓硯が落ち窪んだ瞳で雁夜を見る。異形とさえ思える面貌を歪に変え、憚った。

「では雁夜よ、お主に招待状が届いておるでな。渡しておこう」

「……招待状?」

 まさか文字通りのパーティへの招待状などではあるまい。この時期、この時分にそんなものを寄越すような奴がまともである筈がない。

「中身は念の為検めさせて貰ったがな。まあ、これに応じるかどうかは好きにせい。彼奴らにとっては儂らがどう転ぼうと構わぬ、という腹じゃろうからな」

 くつくつと嗤う臓硯より渡された手紙……招待状を乱雑に広げ目を通す。それは余りに荒唐無稽で馬鹿馬鹿しく、そして臓硯の言う通りのものであったが、雁夜もまた同じくその口元を歪めた。


/10


 時は半日程遡る。

 場所は冬木市西方一帯を覆う森林地帯。頭上に輝く天然の明かりと疎らに立ち並ぶ人工の明かりとが暗い森を照らしている。
 しかしそれも切り拓かれた森の入り口付近を照らすのみで、少し遠くへと視線を投げれば無明の闇が広がっている。一度踏み込めば、二度とは戻れないのではないかと思えるほどの深い黒色。

 緒戦を終えた直後の深夜未明、森を切り拓き敷設された国道を走る一台の自動車の姿があった。煌々と灯るヘッドライトが夜陰を切り裂き、人気どころか対向車すら一台も通らない闇の中を高速で駆け抜けていた。

 ハンドルを握るのは壮年の男──衛宮切嗣。普段と変わらない無表情を能面の如く貼り付け、ライトが照らす道の向こうを見据えている。
 後部座席には金髪の少女──セイバーの姿もある。背筋を伸ばし折り畳んだ膝元に両手を添え、瞳は閉じられたまま微動だにしていない。深い瞑想のようだ。それでも彼女は欹てた耳で周囲への警戒を行っている。

 彼らアインツベルンの一翼を担う切嗣とセイバーは緒戦、敗走を強いられた。明確に負けたわけではなく、勝負の内容だけを見れば拮抗していたし、最終的に押されはしたがその為に相手が切った札は多い。
 こちらが晒した手札は予期せぬ事態から漏れたセイバーの真名のみであり、差し引きで見てもプラスの面が勝っている。

 それでも切嗣にとってこの緒戦は敗北と同義だった。勿論初っ端から見えた敵を討ち取れるほど易い戦いなどとは思い上がってはいなかったし、討ち取る心積りもなかった。討ち取る為の手の内を晒していないのがその証左だ。

 ただそれ以上に気掛かりであり、敗北と断じる原因は、切嗣自身が想定していた作戦がまるで失敗に終わってしまった事に尽きる。

 最優を誇るセイバーの実力と暗殺を主とする切嗣自身が真っ先に姿を見せるという異常を利用しての衆目の集中。戦場に華を咲かせ自らを囮とし、今後の展開を優位に進める為の一手は、無残にも破られてしまった。

 令呪を使用しての太陽の騎士の顕現。最優を超える最強を追い詰めた漆黒の狂戦士。超遠距離からの狙撃で戦場を荒らした弓兵の慧眼。彼ら三者の能力の披露により、セイバーの最優はその陰に埋もれてしまった。

 これでは他の連中がセイバーと切嗣を最優先に狙う理由はない。せいぜいが同等の力を持つという認識止まりであって、どうあっても、是が非でもセイバーを優先的に打倒しなければならない、という結論には誰も至らないだろう。

 セイバーが特別劣っていたわけではない。太陽の加護を得たガウェインと斬り結べた事やアーチャーの狙撃に対応出来たところから見ても、優秀な部類なのは間違いない。
 ただ切嗣の想定以上に遠坂を始めとする参加者連中は、この十年遅れの第四次聖杯戦争に入念の準備で臨んでいたというだけの話だ。

 ともあれ当初の予定を崩された格好の切嗣は次善の策を講じなければならなくなった。幸いにして入手出来た情報は多い。これらを利用し次なる作戦を組もうと、一旦久宇舞弥に連絡を入れたところで、事態はまた急変した。

 彼女曰く──キャスターより連絡が入った、と。

 切嗣は舞弥の存在をキャスターには知らせていない。イリヤスフィールは何度か面識がある事もあって切嗣の助手程度の認識はあるかもしれないが、父は実の娘に対しても舞弥の連絡先を教えてなどいなかったのだ。

 つまり彼女の居場所、連絡先を知るのは切嗣以外には誰もいない。いない筈だ。だからこその不可解。ではキャスターは如何にして切嗣と舞弥の関係を知り、連絡を取るまでに至ったか。

 いや、切嗣にとってはそれが如何なる手段であってもどうでも良かった。気に掛かるのは何故キャスターが連絡を寄越したのかという一点だけ。
 まあその内容についてもある程度は推論が出来るし、魔女の浮かべる喜悦の口元が想像出来て余りあるが、コンタクトを取ってきた以上は無碍にも出来ない。

 いずれ一度は顔を合わさなければならないと思っていたところだ。魔女の知恵を借りるつもりはないが、こちらとしてもキャスターの構築している結界の具合を確認しておいて損はない。

 その為、切嗣は夜の国道を飛ばしアインツベルンの森へと向かっている。程なく森の入り口とされる地点へと辿り着き、車外へと降りてその先を見渡した。
 夜という事もあって森はその不気味さを増している。灰色の土と灰色の木々。色付く葉は既に枯れ落ち、冬の到来を告げている。

 ここから先は全てアインツベルンの私有地だ。この近代に入っても人の手が入らず森が森の形を残しているのは冬の一族が開発を拒んでいるからでもある。前人未到、とまでは行かずとも、好んで人が入り込むような森ではない。

 目的とされる拠点──北欧の冬の城を模した古城までは優に十数キロメートル。昼なお薄暗く、夜ともなればまともに歩く事さえ困難な道程だが、日が昇る頃合には辿り着けるだろうと当たりをつけて踏み込んだその時──

「……っ!?」

 瞬間、彼を不意の目眩が襲った。何が起きたのかと考察する間もなく、視界は歪み足元は崩れ落ち、気が付いた時には目の前に突如として古城が姿を現していた。

 ……いや、違う。僕達が飛ばされたのか。

 身体を襲った異常が消え、冷静な思考が戻ってくる。代わりに現われた目の前の異常について思考が巡る。物理的に城が飛んでくるわけがない。ならば森へと踏み入った瞬間、切嗣達が城のある地点まで強制的に転移させられたのだ。

 空間転移は限りなく魔法に近い魔術の一つだ。その論法については高次元を経由するともある地点とある地点の間にある距離を切断する事によって無視するとも言われているが、その理屈は理解が出来ない。
 切嗣にとってこの手の魔術は専門外であり、そもそも余りに高度すぎる魔術である転移系の魔術などそうそうお目にかかれるものでもなく、即座に理解が及ぶ魔術師の方が稀有だろう。

 辛うじて分かるのは、これは純粋な転移ではないという事だけ。恐らくキャスターの定めた境界を超えた場所ではこれ程の魔術は発動出来まい。
 城を中心として最大半径十数キロメートルに及ぶ大結界。その内側でのみ可能な転移。充分驚愕に値するものではあるが。

 いずれにせよこれで無駄な時間をかなり節約する事が出来た。切嗣は目の前に聳える巨大な門扉を戸惑う事なく開き、エントランスホールへと踏み入った。

 北欧の冬の城とほぼ同型の内装。華美に過ぎず質素に過ぎず、それでも己が力を誇示するかのような絢爛さで彩られた大広間。中央に伸びる大階段の上──二階部分に紫紺のローブを見咎める。

「ようこそ、いらっしゃい。ちょっとした余興は愉しんで貰えたかしら?」

 口元に妖艶な色を浮かべながらキャスターは謳い、一歩また一歩と階段を下りてくる。魔女の軽口には付き合わず、切嗣は目の前の現実についてを問い質す。

「……もう結界の構築は終えたのか」

 切嗣とセイバーより若干早く冬木入りしていたらしいとはいえ、それでもせいぜいが一日二日。この広大なアインツベルンの森の全てを把握、掌握した上で更に結界の基礎部分を構築したのだとすれば。
 キャスターの工房建築能力は図抜けていると言えるだろう。

「完全ではないですけどね。向こうで森の見取り図は見せて貰っていたし、下準備も大方済ませていたもの。後は組んだ予定の通りにものを配置するだけでしたから」

 軽く言っているがそれがどれほどの手間でどれほどの労力を必要とするかは一魔術師程度では計り知れない。そもそも工房らしき工房を持たない切嗣のようなタイプの魔術師から見れば、埒外という他にないくらいの途方もない作業だ。

「当面の対策として遮音や感知といった基本の結界の構築は終えてるけど、後は好きに改造させて貰うつもりよ。まだただの工房止まり。神殿にまで至らせるには、もう少し時間が必要。
 まあそれも──貴方達がきちんと契約を果たしてくれればの話ですけれどね?」

「…………」

 契約。それは切嗣とキャスターが手を組む上で交わした条件の一つだ。魔女が結界構築を終えるまでの間、切嗣とセイバーが衆目を集め時間を稼ぐ、という。
 そしてその目論見は緒戦で崩れ去り、善後策を模索していたところへのキャスターからの連絡。こうしてこんな辺鄙な森の果てまで足を伸ばしたというわけだ。

「既にある程度の策は考えている。上策が失敗した以上、こちらが負うリスクも増すが構いはしない」

「そう。まあ立ち話もなんでしょうし、サロンにで行きましょうか」

 背を向けた魔女を追い二人もサロンへと向かった。


+++


 城に滞在しているアインツベルンの侍従──ホムンクルスが淹れた紅茶がテーブルの上に薫る。三つ並べられた赤い液体に手をつけたのはキャスターだけだった。

 腰を落ち着けて話をするつもりがあるのがどうやらキャスターだけであるらしい。切嗣は長机に並べられた椅子には手も掛けず、壁際に背を預けている。マスターが座らない以上セイバーもまた座るつもりもないのか、こちらも直立してる。

「それにしてもセイバー。よく貴女、私の転移を受け入れたわね?」

 開口一番、水を向けられたのはセイバーだった。彼女自身、自らの立ち位置をマスターの剣であると定めており、切嗣もそのように扱っている。それ故にこのような作戦会議の場においても無駄な言葉を挟むつもりはなかったのだが、意見を求められては答えないわけにはいかない。

 セイバーの対魔力は最高位。およそ現代の魔術では傷の一つも付けられず、相手がキャスターであっても同様だ。魔術という式を用い、魔力を放つ類のものは全て彼女の肉体に届く前に四散する。

 ただそれも無意識に全てを弾いたり、無作為に遮断するわけではない。全てを無条件に拒絶するのでは、マスターが施す治癒系の魔術さえもその範疇に入ってしまうからだ。
 故に対魔力と一口にいってもそこにセイバー自身の意思が介在する。受け入れるもの、受け入れないもの。その取捨選択は本人の意思に委ねられている。

「私が転移を拒めば飛ばされるのはマスターだけだ。それは許容出来るものではない」

 転移の魔術といえど、セイバーならば拒絶出来た筈だ。ただその場合、強制的な転移に対する手段を持たない切嗣だけが飛ばされる事になる。それは相手の思う壺だ。マスターとサーヴァントの分断を容易にしてしまう。

 もし仮にセイバーがこのアインツベルンの森の主がキャスターだと知らなかった場合や明確な敵と断じていた場合、敵からの魔術的介入と判断し、あるいは反射的に拒絶していた可能性もある。

 現状、セイバーとキャスターは共闘の関係だ。マスター同士がそれを容認している。ならば明確な敵意のある術的干渉でないのなら、セイバーにとって拒絶する意味も理由もなかったのだ。

 何よりセイバーはキャスターがどのような手段で挑んで来ようとも返り討ちに出来るだけの力がある。

 剣の英霊を筆頭に槍と弓、俗に言う三騎士クラスが有する対魔力のクラス別スキルはそれほどにキャスターのサーヴァントと相性がいい。正面から戦う限り、どんな悪辣な罠を張り巡らせようと突破出来るだけの自負がある。

 だから魔術師の英霊を相手取る上で最も警戒するべき事は、マスターを狙われてしまう事だ。先の転移のようにマスターとサーヴァントを分断されてしまえば、如何に後者の力が優れていようと守りきれず、前者が優れていようと太刀打ちが出来ない。

 ならば共に虎穴に飛び込む方がまだ打つ手はある。遠く離れた場所でマスターの首を刎ねられたとあっては、為す術などある筈もないのだから。

「御託はいい。本題に入るぞ」

 切嗣が切って捨てる。

「緒戦、僕達の目論んだ衆目を集めるという策は失敗に終わった。どの陣営もセイバーは警戒に値するサーヴァントだと認識はしていても、真っ先に打ち倒さなければならない、と思わせるには至らなかった」

「…………」

 セイバーは黙し、僅かに唇を噛む。マスターの手足となり敵を討ち、与えられた指示を全うすべき存在がその責務を果たす事が出来なかった。
 彼女自身に落ち度はない。ただ、それ以上に相手の打った策略が上回っていたというだけの話であり、既に終わってしまった事。

 見つめるべき先は過去ではなく未来だ。過ぎ去ってしまった事象を検分する必要はあっても、何時までも引き摺る事はあってはならない。

「確認出来た敵は三騎。キャスター、おまえもあの戦いを覗き見ていたんだろう?」

「ええ、当然。太陽の加護を得た白騎士と、それを圧倒したバーサーカー、そして超遠距離からの狙撃を為しえたアーチャーね」

「正直なところ、バーサーカーについては後回しだ。身体の全てを黒い霧で覆い隠し、マスターの透視能力をすら無効化とする隠蔽能力がある限り、あのサーヴァントの素性は知れない」

「そうね……マスターにしても姿すら確認出来なかったし、何処の誰が差し向けたのかも不明。後回しにするって考えには賛成だけど、考察くらいは出来るんじゃない? ねえ、セイバー?」

 この段に来てキャスターは切嗣とセイバーの関係について大分理解が出来てきた。両者は聖杯の獲得という目的で一致し、足並みを揃えているように見えるが、違う。二人の間には見えない一線がある。己自身に課した線引きが。

 二人はその線を越えない限りは意見をぶつける事すらないのだろう。そしてそれは恐らくほとんどない。両者は共に自らの分を弁えているからだ。

 切嗣はあくまでマスターとして振る舞い、サーヴァントに必要以上に干渉しない。召喚時のように必要に駆られれば会話くらいはするのだろうが、このように第三者がいる場では極力話を振る事すらしない。

 消極的な無視、とでも言うのだろうか。わざわざキャスターの根城たるこの場所まで足を運んだのも、あるいは二人きりで会話をしたくなかったからなのではないか。
 そうまでしてセイバーを遠ざける理由にまでは、流石のキャスターをしても思い至らなかったが。

 そしてセイバーも同様。サーヴァントの分を弁え、マスターの方針に致命的なズレが見られない限りは口を挟まない。彼女は彼女なりに切嗣が己を忌避していると感付いているのかもしれない。

 二人の間に信頼と呼べるものはない。何処までいっても利害の関係。聖杯を掴むという大目標が一致しているからこそ共闘関係。切嗣自身がキャスターに持ち掛けた、条件付きの共闘と何ら違いがない。

 ……確かに合理的で無駄はないのかもしれないけれど。二人一組の戦いである聖杯戦争において、その合理さは何れ致命的な亀裂を生むかもしれないわね。

 ただ今はまだその時ではなく。事実この二人が足並みを揃えている限り、余程の強者とて容易には崩し得ないだろう。

「ガウェイン卿と縁の深い貴女だからこそ分かった事もあるのではなくて?」

 問いを投げ掛けられたセイバーは僅かに逡巡し、それから己の目から見たあの狂戦士について話し始める。

「マスターの目を以ってしてもステータスが見通せないとの事でしたが、それでも現実に目で見えたものは恐らく皆同じでしょう。
 あの狂戦士はバーサーカーにあるまじき練達の技を以ってガウェイン卿を圧倒していました。本来、力で全てを捻じ伏せる事が取り柄のバーサーカーが」

 膂力にしても狂化の恩恵を受けて強化はされている事だろう。それ以上に技の冴えが目を引いた、という事だ。理性を剥奪されては振るえない筈の技量。それを扱えるだけでもあのバーサーカーは規格外だ。

「そしてあの狂戦士は、聖者の数字を発動した状態のガウェイン卿を圧倒した。正直なところ、これには驚愕を禁じえませんでした。
 私の前にかつての忠臣が敵として立ちはだかり、夜に太陽の加護を得るというおよそ慮外の事態に剣先が乱れた事を差し引いても、ガウェイン卿は強い。だからこそ、あれはあってはならない戦いだった」

 太陽の加護を得たガウェインは文字通りの無敵だ。相手が如何なる大英雄であっても引けを取らないばかりか、圧倒出来るだけの力がある。
 最高位のステータスを持ち、生前の剣筋を知っているセイバーですら致命傷を避け凌ぐのがやっとで、毛ほどの傷も付けられなかったのだから。

 それ程に聖者の数字は驚異的なスキル。本来昼の限られた時間しか発動せず、この冬木の聖杯戦争と相容れない能力。打ち破る為には三時間耐え抜くか、宝具に訴えるしか有り得ない。

 しかしあの漆黒の騎士はそんな白騎士を一方的に押し込めた。涼やかな笑みを崩す事のなかったガウェインに、苦悶の表情を浮かべさせたのだ。
 本来ならば有り得ない事。ただ力で勝るだけでは決してあのような戦局には至らない。ならばそこに、仕掛けられたトリックがある。

 ……今にして思えば。あの時のガウェイン卿の顔は……そう、まるで。私が彼と見えた時のそれに、似通ってはいなかったか。

「セイバー? どうしたの?」

 言葉の途中で思索に囚われたセイバーに掛かるキャスターの声音。疑惑の色が混ざるその音に、セイバーは首を振り答えた。

「バーサーカーの正体については現状、答える事が出来ません。あの者と直接剣を交えるかガウェイン卿と再び見える事があれば、問い質すのもありでしょう」

 頭に浮かんだ推測を振り払う。そんな事がある筈がない。そんな事はあってはならないとでも言うかのように。

 セイバーはそれ以上を黙して語らず、どの道推測の域を出ない結論で早合点するのは不味い。正体を知る機会は今後幾らでもあるだろう。まずは目の前の、正体の知れている相手に対する対策だ。

「ガウェインの力は脅威ではあるが、回数制限のある代物だ。無限に、無制限にあの三倍状態を維持出来るわけじゃない」

 昼間に戦えばその限りではないのだろうが、ガウェインが参戦していると知れた以上、わざわざ昼間に遠坂に対し戦いを挑む馬鹿はいない。
 夜がメインの戦場である限り、あの力は有限だ。三画しかない令呪の補助がなければ発動出来ない、制限付きの無敵の能力。

 不可解があるとすれば、三度しか使えない能力を何故緒戦で晒したのか、という一点。

 バーサーカーの登場まで揺らぐ事のなかった遠坂時臣の表情。切り札を早期に晒す事に対する気負いが全くと言って感じられなかった違和。“あの”遠坂時臣が緒戦から自ら戦場に立ったという事実。

 “そうしなければならなかった”何かが遠坂にあるのなら、切り崩すならまずそこで、その裏にあるものを探らなければ彼の陣営は倒せない。

「遠坂に、今夜もう一度仕掛ける」

「勝算はあるの?」

「先程も言った通り、ガウェインの能力は有限だ。そう何度も使える代物じゃない。だからこそ戦いを挑み“使わせる”」

 弾丸の装填されていない銃身など恐れる必要のあるものではない。遠坂のシリンダーに残る弾丸は二発。それを使い切らせれば、素の状態のガウェインならばセイバーで打倒が出来る。

 ただそこに遠坂の仕掛けた何らかの姦計が存在するのなら話は変わってくる。けれどそこで怖気づいていては前に進めない。どの道危険を冒さねば渡れぬ橋だ、早いに越した事はない。

「ガウェインに気を配るのはいいけれど、もう一人忘れてない?」

 アーチャー。

 弓兵の英霊にして、衛宮切嗣を戸惑いもなく射抜こうとした下手人。太陽の加護を得ないガウェインであっても、あの弓兵の援護があってはセイバー単独での撃破は容易ならざるものとなる。加護のある白騎士なら言わずもがな。

 そもそもからして、遠坂が二騎の英霊を従えている事に切嗣は不審を感じている。令呪の創始者である間桐や聖杯戦争の根幹を知るアインツベルンならばともかく、遠坂にそんな芸当が可能なのだろうか、と。

 もし遠坂が意図的に令呪を二つ手に入れたのではないとしたら、もう一つは何処から来たのか? どんなカラクリを用い二人ものマスターを仕立て上げたというのか。

「セイバーがガウェインを請け負うのなら、アーチャーの相手は私が務めた方がいいと思うけれど」

 既にこの段になっては切嗣とキャスターの契約も半ば形骸化している。敵がサーヴァントを二騎従えている事が確定した以上、身内を牽制している場合ではない。
 セイバー単独、キャスター単独では白騎士と弓兵のコンビを破るのは難しい。一騎当千の実力者を二人同時に相手にする不利は、想像以上に重いものだ。

 だから切嗣もキャスターも無言の内に手を取り合う事を了承している。そうでなければこの戦いを勝ち抜けないと、どちらともが理解している。

「不要だ、おまえの手はまだ必要ない。敵が手札を晒しているからと言って、こちらが律儀に答えてやる必要はない。おまえはこの森を好きに改造でもしていればいいさ」

 キャスターの存在が露見すれば、そのマスターにまで疑いの手が伸びる。イリヤスフィールの存在はまだ隠し通すべきだ。少なくとも他の連中がまだ手の内を隠している現状で、晒すような札じゃない。

 現在時刻は深夜。今頃イリヤスフィールは温かなベッドで安らかな寝息を立てている事だろう。父の隣に立ちたいと言ってくれたあの子の力を借りるのはまだ早い。自らの力で出来るだけの策を打った後でも遅くはあるまい。

「それで、キャスター。この森をおまえ好みの神殿に造り替えるまで、あと何日必要だ」

「セイバーを殺せるレベル、という意味なら三日は必要ね。最短でも、二日は欲しいところよ」

 酷く物騒な言葉が出たが、それに切嗣もセイバーも拘う事はない。キャスターがそう言うからには文字通り最優の騎士を殺せるだけの仕掛けを施す自信があるのだろう。要する時間を勘案しても、妥当と言える。

 これまでの日数を合わせて五日前後。下準備も含めると二週間強。それだけの時間がなければ、魔術師の英霊では剣の英霊に対抗する事すら出来ないという事実でもある。

「一日だ」

 それを切嗣は、慄然と切って捨てる。

「今日中……最悪でも明日の朝までには完璧に仕上げろ。でなければ恐らく、この森に敵が踏み入ってくる」

「……酷い無茶を言うものね」

 確かに三日、というのは余裕を持ってスケジューリングした場合の計算だ。マスターに掛かる負荷や自らの消耗を度外視すれば、切嗣の言う期限には間に合うだろう。まさかそれを推測して今の発言をしたとは思えないが。

 ただそこまで言うからには彼なりの確信めいたものがある筈だ。明日の朝以降にキャスターの領域に敵が踏み込んで来るのではなく、アインツベルンの拠点に対して敵が仕掛けて来るという確信が。

「……貴方一体、これから何をしようと言うの?」

「僕は僕のやり方で戦う。それだけさ」

 衛宮切嗣は常と変わらぬ無表情で謳う。ただその表情に、僅かばかりの不敵な笑みを宿らせて。

「それじゃあ招待しようじゃないか。血で血を洗うパーティへとな」


+++


 朝を過ぎ、昼を超え、今一度夜が巡ってくる。人々にとっては眠りの時間、身体を休めまた次の日の朝に備える為の休息の刻限。
 しかし現在この街に集う魔術師達にとっては違う。夜は安らぎを齎す事なく、苛烈なまでの戦いを強いる。眠りに落ちる闇の中で、人知れず彼らは踊り続ける。目指したものを、その手に掴み取るその日まで。

 オフィス街に立ち並ぶ摩天楼の一角。周囲に突き立つ幾分背の低いビル群の中から一つ頭を飛び出した一棟の屋上に、衛宮切嗣の姿はあった。
 身を攫う強風の中にはためくコートの裾を気にする素振りもなく、口元に咥えた煙草の煙の行き先──遥か虚空を見つめている。

 今や深海に没したかのような街並み。僅かに灯る明かりは駅前が中心で、この街で一番背の高いセンタービルもその辺りだ。遠く見える教会とその麓の住宅街からは、ほぼ完全に明かりが途絶えている。

 本来ならば切嗣が立つこのオフィスビルにも、仕事熱心な輩によって未だ消えぬ明かりが灯っていた筈だ。今日に限っては、このビルを含めた周囲一帯からは、完全に人気が消えていたが。

 切嗣達は遮音や人払いの結界を施してはいない。ならば一体誰が今夜戦場と定められたこの場所に結界を張り巡らせたのか。
 答えは単純、切嗣達を誘蛾灯だとするのならば、周到な蛾がわざわざ戦場を整えてくれたのだろう。灯に誘われながら、その灯を食い破らんとする獰猛な蛾が。

「マスター」

 油断なく周囲を窺っていたセイバーが視線を細め振り返る。その先にあるのは屋上へと通じる階段。切嗣達も少し前に上ってきたものだ。
 セイバーの発声から数秒、立て付けの悪い扉が開かれ、そこから姿を現したのは他でもない、遠坂時臣と彼の従えた白騎士ガウェインであった。

 ビルの端付近に立つ切嗣とセイバー、扉を背にする時臣とガウェイン。時臣の手には先日も手にしていた樫材のステッキ。戦う準備は万端、と言ったところか。

「連日のお誘い痛み入るよ魔術師殺し。ただ、今日の誘い方は頂けないな」

 言って、時臣は懐より一通の封書を取り出す。切嗣自身にも覚えがあるもの──というより、彼自身が舞弥を経由して使い魔で教会へと送り届けたものだ。

 アインツベルン城での一件の後、冬木市内へと戻った切嗣がまず行った事が封書を送る事だった。
 認めた内容は単純明快──今夜零時、この場所で待つ。来なければ街の施設を無作為に爆破する、といった内容のものだった。

「先日、確かに忠告した筈なのだがな。街の平穏を乱すような無粋は慎んで欲しい、と」

 時臣の手の中の封書が一瞬で燃え上がる。生まれた炎は封書を焼き尽くし、灰となった残骸は風に攫われ消えていった。

 封書を直接遠坂邸に届けず、わざわざ教会を介して渡させたのには理由がある。遠坂時臣は一人のマスターである前に、この街の管理者だ。新都に根を下ろす教会とも深い関わりがある。

 この一件はマスターである時臣にではなく、管理者である時臣に対し送られたもの。それを強調する為にわざわざ教会の手を介させたのだ。
 街の安寧を司る者として、爆破予告などという穏やかならざる宣誓は無視出来るものではない。それも悪名高き魔術師殺しからの予告とあっては尚更だ。

 結果、時臣はこうして引き摺りだされた。遠坂が余計な一手を打つ前に、機先を制しこちらの用意した舞台へと強制的に上がらせたのだ。

「ああ、確かにそんな忠告を受けた覚えはあるが……僕が明確な返答をした記憶はないな」

「ならば今一度言おう。私が預かるこの街で余り派手に暴れてくれるな。無辜の人々を巻き込む事を、私は決して許しはしない」

 時臣がそう告げた瞬間──真夜中に閃光の華が咲く。
 遥か遠方、遠雷の如く鳴り響く爆発音。
 次いで目視したのは闇を煌々と照らす巨大な炎と、立ち昇る黒煙。

 オフィス街から少し離れた埠頭付近。
 火の手はそこから上がり、夜の黒色を上書きする、真っ赤な炎が一望出来た。

「き、さま……」

 衛宮切嗣の手には何らかの機械装置。恐らくは今し方起こった爆発を巻き起こす為の起爆装置だ。夜を染める赤色を背にしながら、魔術師殺しは嘯いた。

「それで、許さないのならどうするんだ管理者サマ? 今ので一体何人死んだかな」

 衛宮切嗣は犠牲を容認する。より大多数を救う為ならば、少数には死んで貰う事に躊躇はない。

 彼が聖杯を手にした暁に救われる数は世界の大多数。億にも上る数の人間だ。それに比べればこの街の人口など高が知れている。
 千や万を犠牲する程度で、億の人間が救えるのなら──衛宮切嗣は無辜の人々の血で己が掌を染め上げよう。

「…………」

 瞳に赫怒の念を宿した時臣は、手にしたステッキを中空に振るい業炎を呼び起こす。象眼されたルビーが闇の中に炎よりも赤い色を踊らせる。

「……ガウェイン。セイバーの相手を任せる。この外道は、私自らの手で誅罰を下さねば気が済まない」

「了解しました時臣。武運を」

「…………」

 白騎士の手の中に具現化する太陽の聖剣。セイバーもまた不可視の剣を呼び起こし、共にじりじりとビルの端へと移動する。
 ビルの屋上程度の広さではマスターとサーヴァントがそれぞれの戦いを行うには少々手狭だ。故にサーヴァント達は別の棟へと戦場を移すつもりのようだ。

「かつての王……いえ、セイバー。今一度貴女と剣を交えられる幸運に感謝を。そして今度こそ決着を着けさせて頂く」

「私も卿に問い質したい事があったところだ。付いて来るがいい」

 セイバーがまず離脱し、それを追う形で白騎士も夜の闇へと姿を消していく。後に残されたのは無手の切嗣と炎を輪のよう踊らせる時臣のみ。

 ……令呪は使わない、か。冷静な判断力は残っているようだな。

 ここで怒りに任せて令呪を切るような相手ならば容易であったのだが、時臣の芯は未だ冷徹な魔術師のままだ。今この瞬間に令呪を使う事が如何に愚策であるかを、重々承知している。

 ……使わないのならそれも好都合。どちらに転んでも僕達に不利益はない。

 ホルスターより黒鉄の銃身を引き抜く。魔銃トンプソン・コンテンダーを。

 緒戦は『見』に務めた事とアーチャーの横槍があった事もあり、切嗣はその実力のほとんどを晒していない。故にこれが彼自身にとっての緒戦であり、自らの性能を試す絶好の機会だ。

「外道衛宮切嗣。遠坂家五代当主遠坂時臣、正調の魔術師にしてこの街の管理を司る者として告げよう──おまえに明日はない。今日此処で斃れろ」

 時臣の宣告を一笑に附し、魔術師殺しは謳う。

「遠坂時臣、おまえは僕にとっての試金石だ。せめて踏み台程度の役割は果たしてくれよ」

 その挑発に乗ったわけではないのだろうが、時臣が無造作に腕を振るう。

「良くぞ言った。我が遠坂の秘奥──とくと味わうがいい」

 絢爛な炎がその顎門を開く。
 炎の殺到を以って第二夜、第二戦の開始の合図が告げられたのだった。


/11


 天高く輝く星は遠く、地に満ちる星もまた遥か水底。
 人にあってヒトならざる彼らの激突は、その狭間にて繰り広げられる。

 地上百メートル。軒を連ねるビルを一時の足場とし、逆巻く風を纏う星の聖剣と、夜になお煌く太陽の聖剣とが火花を散らす。

 今宵この一帯──オフィス街を包む形で人払いと遮音の結界が構築されている。外道衛宮切嗣と対峙するに際し、遠坂時臣は入念の下準備を終えて臨んだのだ。
 あの悪辣な男はそんな時臣の思惑を軽く飛び越え、結界の外、埠頭付近の何らかの建物を爆破し戦いの狼煙に代えた。

 街並みを染める赤い色も、夜を焦がす黒い色も、けれど今宵の戦場とは何ら関係のないもの。闇を切り裂くサイレンは戦場に立つ彼らの耳へは届かず、人々の目はこの宙の狭間へは届かない。

 切嗣の策略は、皮肉にも戦場の形をより確かなものとした。より目を惹く炎が上がった事で、余程の騒ぎが起きるか結界が綻びない限り、このオフィス街は人の立ち入れぬ死地となる。

 それを知ってか知らずか、白銀の少女騎士セイバーと白騎士ガウェインの戦いはその苛烈さを増していく。

 ビルの屋上を足場として空を渡る二つの影。切り結ぶは共に必死の一撃。一手を誤れば即座に地上へと墜落する空中乱戦。
 繰り返される衝突。神速の踏み込みからの音速の斬撃。空を舞いながら、刺すような一撃が乱れ飛ぶ。叩きつけるような斬撃を空中で喰らうも、壁面を蹴り上げて即座に復帰する両者。そんな途轍もない所業をいとも容易く繰り返す。

 打ち合った数は幾合か。身体に刻んだ傷は幾程か。マスターらとどれくらい距離を離れたか。彼らが足を止めたのは、未だ建造途中のビルの一つ。その無数に組まれた鉄骨の上だった。

 吹き荒ぶ風は冷たく、王と騎士の身を攫おうと強く吹き付ける。けれど二人はそれを意に介さず、互いから視線を逸らさぬままに剣の握りを強くした。

「ガウェイン卿」

 じり、と半歩前に進み、今にも戦闘を再開しようとしていた白騎士の動きを堰き止める少女の声。

 ガウェインにとってこの一戦は、正直なところ不利であった。主から令呪によって齎される太陽の加護がなければ、この白騎士は無謬の王に一歩及ばない。
 初戦を拮抗に持ち込めたのは、セイバーの側に微かに動揺が見られたからだ。かつて同じ時代に轡を並べた騎士が、その最期まで仕えてくれた騎士が己が敵として立ちはだかるという状況に。

 二戦目の今夜、それがない。そして戦場となった場所が致命的に悪かった。地に足をつけて戦うのならばまだ善戦が出来たものを、空中戦に持ち込まれては分が悪すぎた。
 セイバーはその身に宿す大量の魔力を放射し、空中でさえ自在に姿勢を制御し、時には無理矢理に軌道をさえ変えてくるのだ。そんな技量を持たない白騎士は、愚直に地を跳ね空を舞うしかない。

 その身に受けた傷は、白銀の少女騎士のそれに倍するだろう。致命傷だけは辛くも避けきったが、このまま続ければ何れ捌き切れなくなる。故にこの確固たる足場のある建造途中のビルの上、鉄骨の上で少しでも優位を築く為に仕掛けようとしたところを、セイバーが押し留めた。

 無視して切り込む事も出来たが、少女の顔に宿る色に足を止めた。悲痛とも、焦燥とも呼べそうな、そんなあってはならぬ表情に。

「如何されましたかセイバー。御身にそのような面貌は似つかわしくはない。かつてのように、涼やかな顔で眼前の敵を斬り伏せる事に何ら躊躇のない貴方は何処へ行かれた」

 王を王として崇拝していたガウェインにとって、そんな人並の感情を覗かせる王を訝しむ他にない。
 時に冷徹に、時に冷酷に。非情とも思える采配を振るい、国を導いてきた無謬の王。人々は、一部の騎士は彼女の在り方を非難したが、彼自身はそうではなかった。

 自らを騎士足らんと戒める太陽の騎士にとって、王という機構として駆動する人ならざる王に抱く畏敬の念は確かに本物であった。
 その心は死してなお変わらない。いや、なお強くそう想っている。私情に駆られ怨恨に塗れ、騎士の本懐を果たせなかった生前の不明を恥じるからこそ、王の在り方をより強く想い戒めとしていた。

 だからこそ解せないのだ。今目の前に立つ少女の顔に宿る色が。本来色さえもあってはならない王の無形。無感情に勝利と国の安寧を願った筈の王の顔に、ただ一人の少女の色が見えた気がして。

「……ガウェイン卿、どうか教えて欲しい。あのバーサーカーは何者だ」

「…………」

 その言葉に込められたのは、何れ敵対するであろう強敵の素性を知りたい、という理由ではない。ガウェインが直接対峙する事で直面した焦燥と狼狽に、この少女騎士もまた何かを感付いたのだ。

「……そう問われるという事は、御身は既に当たりを付けているのではありませんか?」

 でなければこんな問い方はすまい。

「太陽の加護を得たこの身が苦戦を強いられた理由……あの時の私が浮かべていたであろう表情に、御身は思うところがあったのではありませんか」

「…………っ」

 唇を噛むセイバー。それで確信に変わる。彼女の表情に宿るのは困惑だ。そうである筈がないという思いと、あってはならないという強迫観念が、けれど目の前にある現実が全てを語っている事を、今なお受け入れられていないから。

 それは王にあるまじき苦悩だろう。しかし既に彼女の騎士ではなく、たとえそうであっても王に尽くす騎士としての生き方を重んじる彼にとって、無闇に口を挟む事はしない。その在り方を問う事などあってはならない。
 理想と現実がたとえ乖離しようとも、ただ身に刻んだ忠を尽くす事。それが彼の選んだ生き様だ。

 ともかく、半ば確信しており、それでなお目を背けるセイバーの問いに答えない理由はない。主からも緘口令を出されているわけでもない。ならば問われた事に対しては実直に、誠実にあるがままを答えるのが彼の流儀だ。

「あの漆黒の狂戦士は、我が太陽の輝きを破った唯一の騎士────」

 白と並ぶ黒。
 アーサー王の片腕にして理想と謳われた誉れある湖の騎士。
 後年、裏切りの汚名を浴び、王の治世に拭い去れぬ咎を刻んだ背徳の騎士。

 彼こそは────

「…………っ!」

「…………っ!」

 騎士の名を口にしようとしたガウェインと、対峙していたセイバーにも奔る戦慄。二人が向き合うその側面、四角く組まれた鉄骨のその一辺の上に、突如として具現化する闇よりも黒き黒。
 茫洋とした立ち姿。輪郭を掴ませない影の揺らめき。滲み出る狂気と憎悪。手には無骨なまでの一振りの剣。そしてスリットの奥に爛々と灯る、赤い……紅い瞳。

「やはり……ランスロット卿。貴方なのですね……」

 悲痛を滲ませたセイバーの問いに、

「Ar……th、ur……!」

 獣のような底冷えのする唸り声で、黒騎士は答えた。


+++


 彼我の戦力差を測る上で有効なものの一つに、初手からの最大威力での一撃、というものがある。
 自らが持つ最大の攻撃手段を初撃から見舞う事で、相手の力量を測ると共に今後の動きを明確にする意図がある。

 無論、このやり方にはリスクも多い。全力で初撃を放つ以上、防がれては二の手が紡げなくなり、相手を調子付かせる事にもなる。
 ただ、通じるのであれば戦況の優位を築く事が出来、致命的な一撃であればそれだけで決着も着く。防がれるのであれば即時退却も視野に入れ、打開策を講じた後に再戦を挑むという手段もある。

 衛宮切嗣にとっての最大戦力──最も威力のある一撃とは、魔銃トンプソン・コンテンダーに込めた.30-06スプリングフィールド弾である。
 本来コンテンダーに装填出来ない口径の弾丸を撃てるように改造し、物理、魔術を問わず並の防壁などいとも容易く貫通するだけの威力を持つ最高の携行ライフル弾。切嗣はこれを出し惜しむ事なく繰り出す腹であった。

 開戦の合図を告げる言葉と共に、遠坂時臣の手にするステッキ──象眼された極大のルビーより呼び起こされた絢爛たる炎がうねる。夜霧を晴らす真紅の炎。触れる全てを焼き尽くす業炎が高く天に伸びる。

 瞬間、豪雨のように頭上より襲い来る炎の波濤から転がるように逃げ跳び、一瞬前に自身がいた地点を炎が包むさまを横目に、体勢を立て直した直後、コンテンダーからは必死の弾丸が繰り出された。

「────」

 音速をも凌駕する速度で放たれた弾丸。しかし相手は歴戦の魔術師。切嗣が引き鉄を引くその前に、既にステッキを振るい炎の操作を終えている。弾丸は発射の直後に射線上に現われた炎の壁に飲み込まれる。

 その炎に触れた瞬間、否──迫ったその時には既に、鋼鉄の弾丸は融解を始めていた。超高温の炎に突っ込んだその時にはもう標的を貫くだけの殺傷力など見る影もなく、弾頭から見る見る内に溶かされ、全てを炎に喰らい尽くされた一発の銃弾は、標的に到達する事無く跡形もなく赤き焔の中で消え失せた。

 後に残ったのは炎の熱気のみ。衛宮切嗣の最大戦力は、時臣の繰る超高温の炎によって阻まれた。

「良い一撃だ。並の魔術師では防ぎ切れまい」

「…………」

 時臣の肉体を穿つどころか、炎の障壁をすら越えなかった弾丸。鉛玉を主武装とする切嗣と、変幻自在に炎を操る時臣とは、決して相性の良い相手ではない。
 ライフル弾をも容易く溶かし尽くす程の炎熱。一線を退き、後継に道を譲ってなお彼の身に刻まれた魔術の薫陶は健在だ。

 周囲に踊る炎の残滓。揺らめく明かりが夜気を溶かし、冬の寒さを和らげる。けれど両者がその心に宿す熱は、その比ではない。

 切嗣は一旦コンテンダーをホルスターへと収めた。代わりに取り出したのはコートの裾に軽量化の呪符を張り隠し持っていた短機関銃(キャレコ)。威力ではコンテンダーに劣るものの、手数では勝る代物。だが、

「先の銃弾を防いだ私の炎に、ただばら撒くだけの鉛玉が通用するとでも?」

 ライフル弾の威力と速度を以ってしても貫けなかった炎の障壁を、キャレコに装填されている9mm弾が貫ける道理はない。
 科学の産物に然程詳しくない時臣の目から見ても、先の一撃は切嗣の誇る渾身のそれであったという確信がある。今手にするのは本来撹乱、ないし牽制用のサブウェポンでしかないものの筈。

 ……ならばこの男の狙いは時間稼ぎか?

 時間を稼げばセイバーがガウェインを打倒する可能性は確かにある。聖者の数字の発動していない状態のガウェインでは、彼のアーサー王を相手にして確実に勝てる見込みなどないからだ。

 かといってここで令呪に訴えるのは余りにも早計だ。第二戦、必勝を期す為に令呪を使うのは選択の一つとしてはありだろう。だがそれを行えば、初戦で見せた策の意味が消失してしまう。
 状況分析に長けた者が思考を巡らせれば、何れ辿り着かれてはならない場所にまで至られてしまう。

 あるいはそれこそが衛宮切嗣の狙いなのかもしれない。既にこの“遠坂”に対する不審を抱いており、その疑念を確固たるものにする為に今宵誘い出されたのだとすれば。

 ……外道ではあるが、この男のやり方は合理的だ。無駄がない。油断をすれば、僅かでも隙を見せれば食われるのはこちらの方だ。

 それにガウェインの側については一つ布石を打ってある。後は巧くやるだろう。ならば己は目の前の敵に全霊を割くべきだ。ステッキの握りを強くし、切嗣の初動を見逃さないとばかりに睨む時臣。

「…………」

 そんな思惑を巡らせる時臣とは裏腹に、切嗣はまだこの敵を打ち倒す事を諦めてはいなかった。

 初手の全力を阻まれた以上、態勢を立て直すべきところではあるが、切嗣にはまだ伏せたままの切り札がある。.30-06スプリングフィールド弾は確かに切嗣が携行する最大威力の弾丸だ。
 しかし最も威力の高い一撃が、そのまま切り札となるとは限らない。切嗣にとっての切り札は、ライフル弾を加工した魔術師殺しの魔弾。コンテンダーに込めるもう一つの必殺の凶弾なのだ。

 ……けれど僕は、遠坂時臣に対しては起源弾は使わない。

 切嗣の起源を込めた魔弾──それが起源弾。被弾した術者の魔術回路の励起具合によってその威力を変えるが、最大励起状態の魔術回路に撃ち込めば、確実に魔術師を屠る脅威の弾丸。
 事実、これまで三十七人の魔術師に対し使用し、その全てを過たず破壊してきた。文字通りの魔術師殺しである。

 魔弾の破壊対象は魔術師。ならば遠坂時臣とて例外ではないのだが、切嗣には一つの懸念があった。

 遠坂の魔術である宝石魔術──それは宝石に込めた魔力を術者の意図によって発動するもの。宝石とは言うなれば外付けの簡易な魔術刻印。込めた魔力の分だけ威力を増し、用途によって宝石の種類を使い分ける事で多様な色を魅せる魔術。

 切嗣の懸念とはまさにそれ。宝石魔術は基本的に術者の魔力を消費しない。無茶な使い方をすればその限りではないのだろうが、長い年月を掛けて宝石に蓄積させた魔力を主動力とする以上、それは当然の帰結。
 であれば、魔術回路の励起具合によってその威力を変える起源弾は、果たして遠坂時臣に最大の効力を発揮し得るのだろうか。

 時臣の生涯を掛けて魔力を蓄積されたであろうステッキの極大のルビーには、一体如何ほどの魔力が込められているというのだろうか。
 無論それだけではなく、切嗣のコンテンダーに対するキャレコのように、サイドアームとして別の宝石を隠し持っている事は想像に難くない。

 遠坂時臣自身に魔力を消費してまで魔術を使わせるには、どれだけの時間耐え抜けば可能となるか、切嗣には分からない。
 銃弾を溶かす程の炎を繰り、宝石魔術を主武装とする遠坂時臣は、魔術師殺し衛宮切嗣との相性は、文字通り最悪と呼べるものと言えよう。

 自らの切り札を晒し、かつ相手に痛手を負わせる確信のないこの戦場。あまつさえ余人に盗み見られている可能性を考慮すれば、この場で起源弾を使う意義はない。

 ……だがだからこそこの戦いには意義がある。僕の初戦を飾るのに、おまえは相応しい相手だ。

 先に動いたのは切嗣。腰溜めに構えた短機関銃の乱射。銃弾は横薙ぎの雨となって時臣へと襲い掛かる。
 受ける遠坂時臣はステッキを使うまでもないと思い至ったのか、懐へと伸ばした手が掴んだ三粒の宝石を、

「────Anfang(セット)

 起動の呪文と共に無造作に投げつける。

 両者の中央で弾ける魔力の高鳴り。一瞬にして炎の渦となった宝石達はばら撒かれた銃弾の悉くを飲み込み、全てを鉄屑へと変えた。
 銃弾をばら撒き終えた直後にはもう魔術師殺しは動いていた。屋上の中心で渦を巻く炎を迂回する形で時臣の側面を狙う。

 対する時臣も油断はしていない。自らの携行する最高威力の弾丸を防がれてなお挑んでくる以上、衛宮切嗣には勝算がある筈だ。
 何よりこの男は魔術師殺しと呼ばれるほどの殺し屋。時臣の調べた限り、衛宮切嗣というフリーランスの傭兵は、協会から依頼された異端の魔術師狩りのその全てを標的の殺害という形で完遂している。

 魔術師の習性を知り尽くし、探求の果てへと至る魔術をただの殺しの手段に貶め、魔術師には理解の及ばぬ科学の産物で武装する外道。
 だからこそ油断はあってはならない。この男を甘く見た連中は全て奴の凶弾に斃れて来たのだ。警戒してなおそれを凌駕し得る奇天烈ささえも持ち合わせていよう。魔術師という生き物にとって、この男は捕食者であると認識するべきだ。

 だがそれを覆してこその魔道の探求者。道半ばで倒れた者達の想いをすらその背に背負う者の誇りに賭けて、この巨悪に遅れを取る事などあってはならない。

 振るう腕。舞う炎。夜空に煌く宝石は数限りなく。それこそ湯水の如く。絢爛な炎が踊り風が逆巻き、空気が刃となる戦場。時臣は指揮者の如く腕を振るい魔術の薫陶を白日の下に曝け出し、魔術師殺しを追い詰める。

 ばら撒かれた銃弾は全て標的には届かず、繰り出すナイフや撹乱の為の発煙筒でさえその意義を為す前に消し去られる。
 遠坂時臣という魔術師を甘く見ていたわけではないが、近代兵器に拠った攻撃手段だけでは、やはり殺しきる事は叶いそうにない。

「……、は……」

 屋上を所狭しと駆け回り、駆け回らされ、遂にその一角へと追い詰められた切嗣。背後には背を支えるものはなく、一歩下がれば奈落へと転ずる背水の陣。
 足元より吹き上げる風が、まるで暗闇へと引きずり込もうと伸ばされる死者の腕のように絡み付く。

「…………」

 時臣には今もってなお油断がない。追い詰めた獲物を嬲る趣味もなければご大層な言葉を謳う事もしなかった。手にしたステッキに高鳴る魔力は今宵最大。瞳は射抜かんとばかりに切嗣の一挙手一投足を観察している。

 隙などなく、追い詰められたのは正しく事実。逃げるだけならば背中の虚空に身を投げてしまえばいい。着地の衝撃を殺す程度なら幾らでも手段はある。
 ただそれを許してくれるほど目の前の男が容易ければ、これほど追い詰められている筈もなく、最悪の場合地の底まで追ってきても不思議ではない。

 ……元より逃げるつもりなどない。己の力を測るのは、今まさにこの瞬間……!

固有時制御(Time alter)────」

 詠唱の開始と同時に打ち捨てられるキャレコ短機関銃。伸ばす右手が掴み取るのは未装填のコンテンダー。時臣が動く。腕を振るうその所作と僅か一節の詠唱だけで、今宵最大級の炎を夜空に煌かせる。

 だが遅い。炎が切嗣に殺到するその一秒前に、

「────三倍速(triple accel)……!」

 魔術師衛宮切嗣の秘奥は、既に発動している……!

「…………っ!?」

 龍神と化した炎がその顎門を開き、獲物を丸呑みにしようとした刹那。衛宮切嗣は一瞬にして姿を消した。よもや背後の空に身を投げたかと訝しんだ直後、目の端に影を見咎め驚愕する。

 炎がようやく地に満ちる。まさに刹那という他にない瞬きの間に、切嗣は時臣の側面へと移動していた。

「くっ……!」

 衛宮切嗣の発動した魔術や異常をすら凌駕する速力に目を見開いている暇はない。これまでの切嗣とは余りにも隔絶した今の切嗣に抗する為の手段を、それこそ一瞬で巡らし打たなければ、殺される。

 救いと呼べるものがあったとすれば、切嗣が勢いのままに時臣へと踏み込んで来なかった事だ。最大の油断──油断と呼ぶには余りにも悲痛な隙を衝く事が出来なかったのには理由がある。

 現在コンテンダーには弾丸が装填されていない。ただの手刀や銃底での殴打では致命傷は望めない。やはり確実に敵を葬り去るには最大の一撃が必要だった。
 先程までの攻防は、全て弾丸を込める隙を探してのもの。時臣には油断がなく、装填の隙間さえ見出せなかった切嗣にとっては倍速状態での装填作業でさえ致命的な遅れであり、時臣にとっては勝ち取った戦果だった。

 秒をすら切る速度で再度込められる.30-06スプリングフィールド弾。次の瞬間には時臣の視線を振り切り反対側へと移動している。
 しかし相手とて然る者。それが魔術の恩恵を得た結果であるのなら、己が対処出来ぬ筈がないと鼓舞し思考を巡らせ策を打つ。

 ステッキのルビーだけでなく反対の手に無造作に掴み取った宝石の群を出し惜しむ事なく消費し、屋上一帯を覆い尽くさんとばかりに極大の炎を招来する。
 どれだけ速く動けようと、足場がなければ意味を為さない。地を炎で満たしてしまえば封殺出来る。時臣が瞬時に弾き出した結論は、まさに切嗣の足を殺す為の最高の一手。

 だが誰が知ろう──衛宮切嗣の身には、その策をすら凌駕する加護があると……!

 銃弾の装填を終えた切嗣が時臣に向けて駆け出すのと一帯を覆い尽くす炎が生まれたのは全くの同時。切嗣が時臣との間合いを半分詰める間に、既に目の前には炎の壁が顕現している。

 当然前方だけでなく左右や後方、それこそ自身の足元にすら炎の舌は生まれている。時臣の策は瞬時に対応した事を思えば最善の一手。切嗣がただ迅いだけの魔術師ならば押し留められていた事だろう。

 だから此処から先は衛宮切嗣だけが為し得る異常。この戦いに臨む為に、聖杯を掴み取る為にこの救済の殺人者が編み出した至高の策略。今の衛宮切嗣の道行きを阻むものなど、何一つ有り得ない……!

「ばっ……!?」

 時臣が驚愕に目を見開き、馬鹿な、と声にする事すらも叶わぬ異常。あろう事か切嗣はその身を炎に焼かれながら、速度を一切落とす事なく時臣へと肉薄する。

 脅威の速力で絡み付く炎を振り切り、焼かれた端から再生を開始する彼だけの、この聖杯戦争においてだけ有効な最優の加護。聖剣の鞘の治癒能力は、時臣の炎が身を焼く速度を凌駕し宿主の命を守り抜く。

 そして遂に切嗣は時臣の眼前へと辿り着く。逃げる事も躱す事も、ましてや防ぐ事さえ許さぬ接射。銃口を額に押し当てて引き鉄を引けば、どれだけ優秀な魔術師とて防ぐ手立てなどあろう筈がない。

 時臣が目を見開く。死神が見える。暗い銃口の奥底から、今まさに撃ち出されようとしている銀の弾丸が、死神の携える大鎌に見えて。

 …………凛ッ!

 無意識に娘の名を心の底で呼び、道半ばで果てる己の不明と、未だ途上の娘の未来を、走馬灯のように想った刹那────

 銃口が差し向けられている遥か上。
 楕円の月に覆い被さるような、無数の黒点を望み。
 直後、黒く巨大な雨粒めいた何かが豪雨のように降り注ぎ、炎の中心にいた彼らを飲み込んだ。


/12


 未だ建造途中のビルの上。
 無数に組まれた鉄骨の上で三騎のサーヴァントが睨み合う。

 セイバーとガウェインは互いの対面に立ち、遅れて現われた黒騎士──バーサーカーは彼らの側面に立つ形だ。頭上から見ればそれは正三角形の立ち位置。共にそれぞれの間合いへと踏み込み、踏み込まれている現状、迂闊に動く事は出来ない。

 悪手を打てば二人に襲われ一方的な不利を被る。誰もが歴史に名を残す雄であるが故、尚の事動く事あたわない。

「…………」

 セイバーは唇を噛み締め、手にした不可視の剣を強く強く握り締める。バーサーカーの正体。ガウェインの告げた言葉と、言語を喪失しながらも発した狂戦士の呼び声に、最早違えようのない確信を得てしまった。

 ランスロット卿。

 円卓の騎士随一の使い手にして最強の一。騎士の模範にして理想、あるいは完璧と謳われた騎士の中の騎士。太陽の加護を得たガウェイン卿とさえ互角に切り結んだとされる比類なき英傑──人呼んで湖の騎士。

 後年浴びた汚名により、その名は裏切りの騎士として歴史に深く刻まれているが、その実力は疑うには値しない。何よりこの場にいる王と白騎士、どちらともが生前の彼の雄姿を幾度となくその目に焼き付けているのだから。

「久しいですね、ランスロット卿。貴公とよもやこのような形で合間見える事になるとは夢にも思いませんでした」

 ガウェインが涼やかな面持ちを変えず口を開く。

 彼は生前、この目の前の黒騎士に対する拭いようのない憎しみによって、晩節を汚している。肉親を討たれ、王を裏切った不忠の騎士に抱く憎悪は正当なものであろうが、この白騎士はそれを良しとしなかった。

 騎士は剣。騎士は王の治世を為す歯車。剣や歯車が個人の感情などというものを抱く必要はない。何より後年、王はこの裏切りの騎士を許していたのだ。王妃を奪い、国に亀裂を刻み、円卓を瓦解させた騎士に、それでも王は許しを与えていた。

 王が許しを与えてなお、私情にて黒騎士を憎悪し続けた事が白騎士の不明。激情に任せた剣は背徳の剣の前に敗れ去り、己の過ちが王を死の淵へと誘った。

 後悔して救われるものなどありはしない。それでもこの清廉なる白騎士は己の不忠を深く受け止め、二度目の生と呼ばれるものがあるのなら、今度こそは信じた道を貫こうと決意した。

 今の彼には積年の恨みなど一欠片もありはしない。目の前の黒騎士はただ己と主が聖杯へと至る道を阻む敵手でしかない、とそう割り切っている。
 それでも……そう、こうして言葉を掛けたのは、その姿が、余りにも痛ましいものだったからだ。

「ランスロット卿。一つ、問わせて頂きたい」

 涼やかな面持ちを変えず、普段と変わらぬ口調で白騎士は問う。

「何ゆえ貴公はそのように憎しみを迸らせているのです。目視出来るほどの怨恨、直視にさえ耐えかねる黒い憎悪……一体何が、貴公を狂戦士などという(そんな)存在へと堕としめたと言うのか」

 ガウェインにはまるで理解が出来ない。だってそうだろう、この黒騎士は理想の騎士と謳われながら、私情にて王妃と不貞を交わし、刑に処される王妃を強奪し、円卓の同輩を斬り伏せ、王の信頼に後ろ足で砂を掛けて逃げたのだ。

 それが己の意思によるものであるのなら、後悔などある筈もなく。ましてや、王がその非道とも思える行いに寛大なる免罪を施したというのに。
 本来ならば涙を流し膝を折り、己の不明を恥じ入るべきであり、ガウェインのように、王への畏敬を抱き騎士としての忠誠をより確かなものとするべきであるというのに。

 この黒騎士は、一体何をこんなにも憎悪しているというのか。

「……良いのです、ガウェイン卿」

「王……?」

 セイバーは静かな声で告げる。伏せた眦を狂気に身を窶す黒騎士に向け、乾いた口から精一杯の声を絞り出した。

「それほどに、私が憎いかランスロット卿」

 それも当然と受け止めるセイバー。

 ガウェインの糾弾が正しいのなら、ランスロットの憎悪もまた正しい。だって一番初めに裏切っていたのは、他ならぬ彼女自身であるのだから。
 女の身でありながら男として振る舞い騎士達を偽り、女の身でありながら王妃を迎え彼女の人生を狂わせた。

 あの時、あの時代。彼女が王として国を統治し、より良き王として振舞うにはそれ以外に選択肢などなかった。誰もが褒め称える理想の王、誰もが認めざるを得ない聖君で在り続けるには、選べる道など既になかった。

 理想の王が年端もいかぬ少女であっては誰もが認めてはくれない。理想の王の傍らには誰もが憧れる理想の王妃が在るべきだから。
 犠牲を強いる事には慣れていた。犠牲に倍するものを救えるのなら、少なくない数の涙を自らで間引く事も必要だと諦観していた。

 彼女の治世を崩壊へと導いたのは、そんな歴史の闇に葬られた涙達の反逆。強いられた犠牲に涙した誰かの、違えようのない怨恨だ。

 その形の一つが目の前に立つ黒騎士だ。

 理想と謳われ、完璧と褒め称えられた騎士はしかし、誰よりも人であった。騎士としてしか見てくれない人々の羨望は、人であった彼には余りにも重いものであり、騎士という生き方に殉じるには彼は余りにも弱すぎた。

 彼の苦悩を誰も知らない。知っているのは彼を愛してくれた女だけ。そんな女をすら永遠の慟哭へと叩き落し、自責の涙を生涯を終えるその時まで流し続けた彼女を救えなかった悔恨が、彼の身を狂気へと堕とした。

「…………っ」

 かつて朋友と呼んだ騎士が、心根では通じ合っていると信じていた騎士が、今こうして己に対する拭い去れない憎悪を迸らせて立ち塞がっている。
 膝を屈し許しを請えればどんなに楽だったか。恥も外聞も捨て泣き叫べればどれだけ救われたか。だが彼女は未だ王。王としての最後の責務を果たす為、この時の果てでの闘争に臨んだのだ。

 少女としての心を王という外套で覆い隠し、震える膝を叱咤して、手にする聖剣を突きつける。

「ランスロット……貴方の憎悪は当然だ。私はそれだけの事をしたのだから。だがだからと言って、此処で道を譲るわけにはいかないのだ。貴方の剣に、討たれるわけにはいかないのだ。私は私の祈りを叶える為──」

 そう……この祈りはきっと、彼をすら救うと信じて。

「──貴方を斃し、聖杯へと辿り着こう」

 瞬間、膨れ上がる憎悪の波。黒騎士を覆う漆黒の影はよりその色合いを強め、セイバーの言葉の全てを戯言だとでも嘲るように高まり行く。

 元より彼が狂戦士に堕したのは、そんな言葉に耳を傾けたくなかったからだ。誰の言葉も彼には届かず、語る口すら必要ない。上辺だけの言葉など不要。ただこの身を滾らせる憎悪に全てを預けてしまえばそれでいい。

 復讐の想念が満ちる。
 積年の怨恨が声を上げる。
 贖罪を斬り伏せる為に憎悪が逆巻く。

 ああ、この時を待ち侘びた。叶わぬと知りながらに望み続けた。この胸に抱く黒い感情の奔流を、ただ剣に乗せて振るえる時をどれだけ待ち侘びた事か。
 ありとあらゆる全てのものから目を背け。ただ悲嘆に暮れた彼女の為。この身を苛んだ苦痛を返す為。この身は狂気に身を委ね、この時の果てへと至ったのだから。

 そう、あの時。

 騎士としてではなく。
 人としてですらなく。
 ただの畜生として王を憎悪出来ていたら。

 あんな結末は、なかったのかもしれないのだから……!

「Arrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr……!!」

 凶獣の吼え声と共に戦端は開かれる。
 王と二人の騎士を巻き込む、第二幕が開かれる。


+++


 三つ巴という状況にも関わらず、黒騎士は膠着を無視して一直線にセイバー目掛けて鉄骨を蹴り上げる。軋む鉄骨。震える音響をすら置き去りにする速度で肉薄し、叩きつけるように手にする漆黒の剣を振り下ろす。

「ぐっ……!」

 迎え撃ったセイバーの具足がぎちりと軋む。足元がもし土であったのなら、それこそ踝まで沈んでいてもおかしくはない程の暴威。力任せに叩き付けただけの一撃で、彼我の戦力差を明確にする。

「私の存在を忘れないで貰おうか、ランスロット卿……!」

 清廉なる風が吹き抜け、夜空を渡る。太陽の輝きを宿した聖剣が、横合いから黒騎士を討たんと振り抜かれる。

「Gaa────!!」

 セイバーを力任せに弾き飛ばし、返す刃で迎え撃つ。散った火花は極大の星。今度は鬩ぎ合う事すらせず、巧みな剣捌きでガウェインの剣をいなして来る。

「ガウェイン……!」

「セイバー……! 貴方とてこの騎士の力量を知っている筈でしょう。此処は……!」

「Aaaaaaaaa……!」

 吼え狂う黒騎士。滲み出る狂気。憎悪は魔力を生み、魔力は彼を駆動させる動力となる。

 生前において、誰一人敵う事のなかった最高の騎士。今なお見通せぬステータスはおよそ考えられる限りの最高値に違いない。それがもし狂化によってなお増幅されているとすれば王と白騎士、二人掛かりでも勝てるかどうか。

 恐らく、彼こそはこの十年遅れの第四次聖杯戦争に招かれた英傑の中でも最強の一。最優をすら凌駕する黒の狂気。
 マスターが自滅してくれるのなら容易いが、そう簡単にはいくまい。誰もが最高の布陣で臨むこの聖戦、相手の自滅など望めない。そんな一縷の希望に縋るようでは、この狂気に太刀打ちすら出来ずに砕かれる。

 ならばまずはこの黒騎士をこそ討つべきだ。ガウェインはセイバーに対しては優位に立てる。対してこの黒騎士を個人で相手取るのは、聖者の数字を封じられている事もあり些か以上に荷が勝ちすぎる。
 セイバーにしても同様。彼女にしてみれば太陽の加護を得た白騎士も狂気に犯された黒騎士も同等以上に厄介な相手だが、後者の方がより辛い相手だと直感する。

 僅か一合を打ち合っただけで理解が及ぶ膂力の差。だがこれでなおこの黒騎士は全力ではないのだ。
 今この狂戦士が手にする得物は恐らくマスターが与えた現代の剣。名も知れぬ刀匠か、それこそ機械が打ったかも知れぬ程度のただの剣。宝具ですらない無銘の剣だ。

 その剣で宝具である聖剣と打ち合える異常も然ることながら、この騎士だけが帯刀を許されたあの剣を抜かせてしまっては、それこそ勝ちの目が完全になくなる。
 当代最高の騎士にのみ贈られる稀代の剣。セイバーが秘蔵する聖剣と対を成す、あの名剣を抜かれる前に決着を着ける……!

 黒騎士より距離を取った二人が全くの同時に左右から襲い掛かる。神速の踏み込みからの神速の斬撃。鉄をすら両断する鋼の一刀。それを、

「Arrrrrrrrrr……!!」

 狂気に染まる黒騎士は、セイバーの剣を手にする無銘で受け止め、ガウェインの繰り出した聖剣を、あろう事かその腹を掌底で叩き軌道を逸らした。

「なっ……!」

 驚愕は誰のものか。刹那の攻防。驚愕に目を見開いたその間隙を縫うように黒騎士は身を捻り、円を描く軌跡でセイバーの剣を弾き、無防備のガウェインをすら巻き込まんと殺意を迸らせる。

 白騎士は一瞬前に半歩を退き事なきを得るが、直後、今度はこちらの番だとばかりに黒騎士が踏み込んで来る。

「チィ……!」

 涼やかな顔に浮かぶ苦悶。初戦の焼き回し。振るわれる剣戟の全てはガウェインの振るう太刀筋の上を行き、なお力強く、流麗な剣閃を描く。狂気に身を侵されながらなお寸分の狂いなく放たれる必死の刃。

 かつて戦場で目に焼き付けた、美しいまでの太刀筋。見る者の心を奪う研ぎ澄まされた武錬。この騎士を相手にいつかは勝ちを奪えるだろうかと苦心し、それでなお必死に追い縋った夢の形。

「これ程の腕を持ち、何故そのような姿を晒すのか……!」

 騎士達の夢。理想の在り処。その背に人々の羨望を集めた筈の騎士の、堕落した姿は見るに耐えない。
 この白騎士が志す騎士の在り方も、元を正せば彼の背中に辿り着く。王の夢を担い、王の傍らにあり、王に朋友と呼ばれた或る一人の騎士の姿。

 誰もが憧れ、夢を見たもの。彼のような騎士になりたい、彼のような騎士でありたいと願った全ての人々を侮辱する、騎士道に背を向けたも当然の背徳。
 許せる筈がない。許せる筈があろうか。誰よりも騎士足らんとするガウェインにとって決して見過ごすわけにはいかない理想の堕天。

「騎士としての誇りを捨て、英霊としての典範すら忘却したか黒騎士よ! 貴公の背に夢を預けた者達の願いをさえ、踏み躙ろうと言うのなら……!」

 ただ私怨に胸を焦がし、私情にて剣を振るうのならば。

「貴公は、我が太陽の騎士の名に賭けて打ち倒そう……!!」

 白騎士の心に火が灯る。手にする灼熱の聖剣に、勝るとも劣らぬ太陽の輝き。

「ふっ……!」

 そして此処にはもう一つの光がある。手にする聖剣は星の光を束ねた耀き。太陽の輝きにも劣らぬ星の煌き。

「貴方の憎悪に貫かれるべき私だ、今更許してくれとは希わぬ。そんな資格さえも最早私にはないのだろう。それでも、譲れぬ願いがあるのだ。叶えたい祈りがあるのだ。ランスロット──私は卿を超え、その先に待つ聖杯へと辿り着く……!」

 二つの星は闇を祓い、打ち砕かんと夜に閃く。

 だが。

「Arrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr…………!!!!」

 その闇は、太陽の輝きも星の煌きをも飲み込む暗黒の光輝。宙に浮かぶ太陽も星も、全ては等しく無限の闇に抱かれその存在を許されるもの。
 その比喩を体現するかのように、黒騎士は唯一人で王と白騎士の剣舞を捌き抜く。

 致命を狙う一撃は悉く届かず、牽制の刃は見抜かれたように捨て置かれる。二人同時に斬りかかってなお捌かれ、時間差をつけても対応される。二人掛かりでなお互角。水面に映る月を切るかのように、その実体には一太刀すらも届かない。

 流石の黒騎士も二人を相手にしては致命傷を狙うのは難しいのか、攻勢は然程強烈ではない。されど二人で攻めてなお崩せぬ側と、一人で切り結んでいる側。優位にあるのはどちらなのか、判ずるまでもない。

 ガウェインをして、認めたくはなくともこの黒騎士の圧倒的な力量は認めざるを得ない。

 今でこそセイバーと擬似的な共闘を結んでいるが、彼が本来背を預けるのは赤い弓兵。初戦、弓兵の一射はさしものバーサーカーも対応せざるを得なかった。だから彼の騎士の援護があれば、きっとこの黒騎士に手が届く。

 三騎掛かりというのは気が引けるが、この敵はそれほどまでに強いと認めざるを得ない。

 ……しかし。

 今もって援護はない。遠坂の陣営がアインツベルンの誘いに乗るにあたり、時臣は当然として弓兵を白騎士の援護として据えている。
 本来ならばとっくにその援護を受けている筈なのだ。セイバーと切り結んでいた時でさえ不可解に思っていたが、この段になってなお援護がないとすれば、

 ……あちらもまた、予定外の事態に巻き込まれていると考えるべきか。

 黒騎士の刃に弾かれ共に距離を取るセイバーとガウェイン。援護がない以上、現有戦力でこの場を切り抜けなければならない。
 最悪の場合、宝具の開帳さえ視野に入れ、二人は幾度目かの突貫を開始した。


+++


 オフィス街より南西方向。新都中心部に程近い場所に立つ、この街で一番背の高いビル──センタービルの屋上に一つの影があった。

 吹き荒ぶ冬風に晒されながら、屋上の縁から眼下を望む一人の少女。彼女がこの場所に訪れたのは、そう命令されたからだ。
 彼女は反論の口を持たない。その行動の意義や善悪を問う事などしない。ただ人形のように唯々諾々と、下される命に従うだけ。

 だけど。

“これは命令じゃなくてお願いだ。俺の助けとなってくれると言った君に、頼みたい”

 命令と願いに違いなどない。あの家に住まう者が下す声に、彼女は従う他に生きる道はないのだから。

「此処から飛び降りたら、楽になれるのかな……」

 身を苛む魔の苦痛。誰かの声に怯え生き永らえて、それで一体何になる。今歩いているこの道の先に、彼女が望む救いなんてきっとない。
 一歩を踏み出せば容易く奈落の底へと飲み込まれる。無駄な抵抗をしなければ、頭蓋がかち割られて即死だろう。

「…………っ」

 だけど出来ない。彼女には空を飛ぶ勇気なんて、これっぽっちもなかったのだ。自らの喉元にナイフを突き付ける事さえも怖い。死んだ後に何があるんだろうと思う事さえ、彼女には怖かった。

 死に勝る恐怖はなく。ならば苦痛の中でもがき苦しむ方が何倍もマシだ。

 それでもこのまま、救いもなく光もない道を歩いていくのは苦しかった。生きている事に意義が必要なら、自分はきっと、あの時に死んでしまっているから。二回目の死なんてごめんだ。

『サクラ』

 彼女だけに届く声を聞く。ああ、そうだ。今の自分はただの木偶人形。操り糸で動いているだけの人形だ。でも人形だって、気に入らない事があれば操り糸に逆らう事もあるかもしれない。

 これは少女の、反逆と呼ぶには余りにもちっぽけな想いの発露。かつて分かたれた半身に対する、復讐の一幕。

 その────宣戦布告だ。

 立て付けの悪い音を響かせ屋上へと通じる扉が開かれる。姿を見せたのは予想通り間桐桜と同じ黒髪の、少しキツイ目をした一人の少女。

「こんばんは、遠坂先輩」

「…………っ!」

 現われた少女──遠坂凛は僅かに目を見開き、目の前の存在を認識した直後、身構えた。

 彼女にとってこの場に自分以外の第三者がいるのは想定外の出来事だ。油断をしたつもりはないし、警戒もしていた。センタービルは狙撃を行うのなら最上のスポット。それは初戦で証明されている。

 事前にこの場所を押さえられている可能性を考慮出来ないほど凛は暗愚ではない。故に誰もいない事を確認した後に、階段を上がってきたつもりだった。

 桜の姿を視界に納め、ようやく気付く。彼女の足元に描かれた魔法陣。恐らくはその効力により、自身の存在を隠匿していたのだ。

「……アーチャー」

『人の気配は感じなかった。魔力の気配も此処に来てようやく把握出来る程度。ふむ……どうやら彼女の魔術の腕は、相応に高いらしい』

 姿を見せぬまま暢気に答える弓兵。

「…………」

 ともあれ、声を掛けられて無視するなんてのは遠坂凛の流儀に反する。小さく息を吐いた後、居住まいを正した。

「こんばんは、間桐さん。夜の散歩かしら。女性の一人歩きは感心しないわね」

 この時、この場所で出会う輩がそんなものではないと知りながら、凛は軽口を謳う。まるで学園で級友と何でもない会話を交わすように。

「そういう遠坂先輩こそお一人じゃないですか。こんな場所に、何か御用でも?」

「ええ。私って高いところが好きなのよね。此処は街の中で一番高い場所だから、たまに来るの」

「そうですか、奇特な趣味をお持ちですね。私には分かりません。高いところに立てば、後は落ちるしかないのに」

「一回くらい落ちてみるのもいいんじゃないかしら。多分気持ちいいと思うわ」

「無理ですよ。私は飛べません。遠坂先輩みたいに、空を飛ぶ事なんて出来ないから」

 間桐桜には地を這う蟲がお似合いだ。天の星に幾ら手を伸ばそうと届かないように、空を飛ぶ鳥にすら置いていかれる。地べたに這い蹲り、空に恋焦がれながら、空を行く者を見上げながら、意味もなく消えていく地星。

 でもきっと。
 この手はきっと。
 必死で伸ばせば、天の星をすら引き摺り下ろせる。

 でなければ意味がない。
 あの地獄に耐えた意味がない。
 今こうして生き永らえている、意味がないから。

 今こそこの手を伸ばし──無意味な生に意義を求めよう。

「遠坂先輩。もう分っているとは思いますけど、私は貴女の敵です」

「ええ、知ってる」

 遠坂凛に揺らぎはない。かつて“妹”と呼んだ誰かが立ちはだかろうと、彼女の鋼鉄の心には一筋の亀裂さえも刻まれない。
 ただ冷静に。冷徹に。目の前の現実を受け入れるだけ。そして何の感慨もなく、目の前の壁を粉砕し道の果てを目指すだろう。

「私の今夜の役目は貴女の足止め。アーチャーの狙撃の妨害。ただそれだけです。何もしないでくれるのなら、こちらも最低限の事しかしません」

「……もし抵抗すると言ったら?」

「“させません”」

「────凛」

 アーチャーが主の許可なく実体化する。それが緊急を告げるものだと即座に判断した凛は身構え、ポケットの中から幾つかの宝石を取り出す。

「いや、動くな凛。既にこちらは相手の術中だ」

「────」

 凛が横目で見上げるアーチャーは忙しくなく視線を動かしている。まるで姿の見えない敵を探すように。

「どういう事」

「見られている。今はまだそれだけだがな。もし“直視”されれば、君は元より私ですらもただでは済まん」

「…………」

 恐らくは、間桐桜の従えているサーヴァントだろう。間桐の陣営が二騎のサーヴァントを従えている可能性は彼女も考慮していたし、父からも忠告を受けていた。十年のモラトリアムはそれほどに御三家にとって優位なものとして働いている。

 ならばあるいはこの結果も当然か。敵を迎え撃つ準備を済ませて待ち構えていた相手に対し、後手に回らざるを得なかった凛は初めから罠に嵌められていたも同然だ。むしろ自分から罠に首を突っ込んだに等しい。

 アーチャーの視野の広さと鷹の眼を以ってしてなお姿を捕捉出来ない敵。幾ら目の前の少女が無防備であるとはいっても、完全に監視されている状態で彼女を討つのは相当にリスクが高い。

 眼に強力な力を宿す英霊……魔眼の保持者。対魔力を有するアーチャーですら警戒するレベルのものともなればかなり高位の色を持つ魔眼だろう。この騎士がレジスト出来ないレベルのものに凛が睨まれれば、それこそ打つ手はない。

「…………」

 いや、それでも弓兵の目は語っている。姿さえ捕捉出来れば如何様にも対処は出来る、してみせると。己を招いた少女にいつか告げた最強の自負。その言葉を違えるつもりはないのだと、鷹の目は告げている。

「…………」

 ともあれ、それは裏を返せば敵を捕捉出来なければ何も出来ないのと同義だ。やれる事といえばアーチャーが間桐桜を射るのが先か、姿を隠しているサーヴァントが睨むのが先かという結果の分かりきった勝負くらいしかない。

 分の悪い賭けは嫌いではない凛だが、リスクと天秤に掛ける程度の分別はある。桜の言葉を鵜呑みにするつもりはないが、初手から仕掛けて来なかった事を思えば、彼女もまた現在相応のリスクを背負ってこの場に立っていると考えるべきだ。

 敵が魔眼で直視したとしても、即座に絶命するわけでもない。振るえる腕が、動く指があれば間桐桜を殺す程度やれる筈だ。相手もまたそれを警戒して、足止めに全力を傾けているのだとすれば。

「いいわ間桐さん。貴女の罠に嵌ってあげるわ」

 まだ序盤にも等しいこの段階で、無理をしては続く戦いに禍根を残す。アーチャーの戦力は有用だ。この場で間桐桜と相打つ形で失うには惜しく、凛もまた脱落してやるつもりはない。

 父とガウェインに対する援護は不可能になるが、同時に相手のサーヴァントもまたこちらに釘付け。ならば条件としては対等だ。分の悪い賭けに挑むのは、差し迫ってからでも遅くはない。

 そんな打算と計算を瞬時に弾き出し、凛はこの夜の戦いを静観する事に決めた。無論、アーチャーには敵の居所を探り続けて貰うが。

「そうですか、これで私も安心です。ほら、きっともう戦いは始まってますよ」

 遠く、オフィス街から伝わる戦いの余波。結界に遮断され音は聞こえなくとも、魔力の高鳴りは此処まで響いている。
 今の凛に出来るのは、父とガウェインの勝利を願う事だけ。遠く投げた視線の先で、繰り広げられているであろう死闘に想いを馳せる事だけであった。


/13


 切嗣と時臣がいたビルの屋上。その更に上。文字通りの空中に滞空する一人の男の姿がある。いや、その男は浮かんでなどいない。彼の足元には幾百、幾千の蟲が蟠る。耳障りな羽音を響かせ、その背に己が主を乗せて夜空に浮かぶ。

「…………」

 ──しくじった。

 無言のまま、戦場であった場所を見下ろす間桐雁夜は内心でそう嘯く。今なお燃え盛る炎の輪。多少勢いを落としたとはいえ、時臣が生み出した炎はなお健在。
 ただ一角、切嗣と時臣が交錯したその場所だけ、ぽっかりと穴を開けたように黒い円が覆っている。

 よくよく見ればそれは、雁夜が踏みつける蟲に数倍する量の蟲の群れ。二人の交錯を狙い撃つように降り注いだ黒い雨の正体だ。

 あの一瞬、切嗣の手にするコンテンダーの銃口が確実に時臣の頭蓋を捉え、後は指先に掛かる引き鉄を引くだけという僅かな瞬間。傍観に徹していた雁夜は、二人を纏めて亡き者にしようと己が魔術を繰り出した。

 だが果たしてそれは、本当に雁夜が狙って放ったものだったのか。聖杯戦争の勝利を望むのなら、アインツベルンが遠坂の一角を落とすところを見届けた後で仕掛けても問題はなかった筈だ。
 確実に敵を一人脱落に追い込むのなら、静観こそが正解であった筈だ。

 けれど雁夜は横槍を入れた。二人纏めて葬ろうと欲を掻いた。本当に? それだけの理由で?

 今冷静に場を俯瞰する立場に立って、分かる事がある。そう、あの一瞬。雁夜は時臣が斃されるのが許せなかったのだ。間桐と遠坂の因縁に何の関わりもないアインツベルンが引導を渡す事を許せず、雁夜の憎しみを一身に受けるべき時臣が己の与り知らぬところで斃されるのが我慢ならなかったのだ。

 聖杯を獲得するという決意より、時臣に対する憎しみが勝った。刹那の天秤の揺れは、後者にその傾きを落としたのだ。

 その狂気が、己が従えたバーサーカーが一足早く戦闘に入っていた事により流れ込んだ憎悪の奔流に起因するとは雁夜は知らない。あの黒騎士の尋常ならざる狂気に引き摺られたとは、雁夜には分かりようもない。

 いずれにせよ目の前の結果は覆らない。
 願望より私怨が勝った事に変わりなどないのだ。

 だからこそ、こんな生温い手段で戦いの場へと介入した。十年の研鑽を省みれば、余りにお粗末としかいいようのない結末。今の雁夜が本気で蟲を操作していれば、本当に纏めて葬り去る事も出来たかもしれないのに。

 結果────

「……よう、魔術師殺し。お招き頂き光栄に与るぜ」

「…………」

 炎の輪の外。屋上の縁。虚空を背にし立つのは魔術師殺し衛宮切嗣。彼はあの一瞬、降り注ぐ蟲の雨からその速力で逃れていた。時臣を確実に葬れる好機を捨て、回避行動を選択したのだ。

 その結果からも分かる事がある。衛宮切嗣の身に宿る脅威の治癒能力。恐らく、それは万能というわけじゃない。本当に全ての傷を癒すほどの代物なら、雁夜の雨に撃たれながらでも時臣を殺していた筈だからだ。
 逃げたという事は、逃げなければ不味いと踏んだという事。それを知れただけでも収穫ではある。

 そしてもう一人────

「いつまで寝てるつもりだ遠坂時臣。その程度の蟲に喰い散らかされるようなタマじゃないだろうアンタは」

 キチキチと鳴く蟲達の声が一斉に鳴り止む。瞬間、黒い穴にして山となっていた大量の蟲は、その下より生まれた炎に飲み込まれ灰燼へと帰した。
 炎の中からゆらりと立ち上がる時臣。その衣服は蟲に食われたのかボロボロで、けれど彼自身の身体には傷の一つも付いていない。雁夜を見上げる瞳は、憤怒とも憎悪とも取れる彼らしからぬ色を宿していた。

「怖い顔をするなよ。せっかく助けてやったっていうのに」

「……そんな事を頼んだ覚えはない」

「こっちも頼まれた覚えはないな。仮に頼まれたとしても聞いてやるつもりもないが」

 雁夜を乗せた蟲達が僅かに高度を落とし、蟲の主は屋上へと降り立つ。その周囲に自らの繰る蟲を侍らせながら。
 雁夜は時臣から視線を外し、切嗣へと目を向けると、こちらは無感情な瞳で場を眺めている。雁夜に邪魔をされた事をどう思っているのか読み取れない。

「邪魔をしたな衛宮切嗣。アンタの誘いに乗った上、邪魔をしてしまったのは悪いとは思っているが言っておく。この男は、俺の獲物だ」

「…………」

 間桐邸へと送られた招待状。その正体は切嗣が今宵仕掛ける一戦についての情報を自らリークしたものだ。その狙いはキャスターを動かす事なく、アーチャーの狙撃を封じる事だった。

 間桐が純粋に聖杯を狙うのなら、この誘いは好機であった筈だ。アインツベルンが遠坂に仕掛けてくれるというのだから、その援護と称し遠坂のもう一つの駒であるアーチャーを封殺してしまえばいい。

 遠坂、アインツベルン両家が二騎のサーヴァントを従えている事が確定した時点で、切嗣は間桐もまた同様の仕掛けを施しているとほぼ確信していた。
 理想は切嗣と時臣が交戦、セイバーとガウェインが交戦。そしてアーチャーを間桐が二騎掛かりで始末してくれる事であった。

 仮に切嗣らが遅れを取る事があっても、これで最悪アーチャーは確実に葬れる。あの弓兵の狙撃能力は余りにも厄介であり、出来る限り早くに排除すべきと踏んでいた。
 だが結果はどうだ。今もってなお夜空を横切る光の矢が一度も目視出来ていない事を考えれば、間桐のもう一つの駒がアーチャーを抑えているのは間違いない。

 しかしこの場、よりにもよってあの瞬間に雁夜が介入してくるのは、さしもの切嗣も想定をしていなかった。合理的で無駄を嫌う切嗣にとって、あの場面で横槍を入れるメリットなど考え付かない。

 雁夜が時臣に抱く私怨の深さを読み切れず、バーサーカーがマスターに引き起こす弊害にまでその目を向ける事が出来なかったのが彼の失策。それを失策と呼んでは余りに無体ではあるが、彼自身はこれを己の読み違えとして結論を下すだろう。

「時臣、おまえにも言っておく。おまえは俺が殺すんだ、他の奴に殺されるなんて無様はやめてくれ」

 結果として時臣を仕留め損ない、切嗣にも逃げられた現状、雁夜の介入はただ場を乱しただけに過ぎない。それでも得たものがある。己が殺すべき敵がまだ息をしている。優雅を信条とする男が雁夜を赫怒の瞳で睨んでいる。

 魔道に一度は背を向けた唾棄すべき男に、命を救われたという事実は時臣のプライドに障っている。この汚名を雪ぐには、この蟲の主を焼き尽くす以外に手立てはない。雁夜の安い挑発すら、今の時臣は容易くは受け流せない。

「ああ……私もまた決意したよ。君はこの手で誅を下す。そうでなければ、私はこの足で立って歩く資格すらない。娘に向ける、顔がない」

「そんな顔がアンタにあると思っているのか。娘を捨てた貴様に、彼女の涙を理解出来ないキサマなんかに……!」

 雁夜の身から沸き立つ憎悪に蟲達が呼応しその羽音を高くする。今なお己の決断に間違いなどないと、そも間違いにすら気付いていない時臣に、雁夜は迸る憎しみを向ける。ただ全ては、彼女をあの暗闇から救う為に。

 その時。

 ずん、と重い響きが彼らの足元から伝わり来る。それが何であるかと訝しむ間もなく振動はやがて激動となり、続く炸裂音の連鎖が彼らの立つビルの崩壊を意味するものだと気付かせるのに数秒も掛からなかった。

「衛宮、切嗣……!」

 時臣の叫びに答えず、魔術師殺しは背を向け戦場を一足早く立ち去る。

 此処に思惑は崩れ去る。標的とした時臣は殺し損ね、アーチャーもまたただ足止めを喰らっているに過ぎないだろう。セイバーの方はまるで分からないが、とても芳しいものとは思えない。

 今宵仕組んだ全ての策が意味を失した以上、出直すのが最善。故に魔術師殺しは躊躇もなく戦場としたビルに仕掛けた爆弾を作動させた。

 今夜最後の、明日へと繋がる布石を。

 闇に姿を消した切嗣を追う真似をせず、時臣と雁夜も脱出の態勢に入る。時臣は屋上の縁へと駆け出し、雁夜は足場を形成した蟲へと飛び移る。

「忘れるな時臣……! おまえは俺が殺す……! 必ずおまえを殺し、桜を────!」

 それ以上の音は崩落に紛れ聞き取れず、空に身を投げた時臣の耳朶には届かない。虚空へと飛び去る雁夜を視界に入れる猶予もない。

 倒壊するビル。
 崩れ落ちるコンクリート片。
 落下していく鉄骨。

 今宵の一戦におけるその顛末と、後始末についてに頭を悩ませながら、正調の魔術師もまた闇の中にその姿を消していった。


+++


 熾烈を極める英霊の戦場。夜空に閃く刃の耀きは数限りなく。一体幾合の剣と剣とが交錯したか。どれだけの時間、彼らは死地に身を置いていたのか。
 体感では酷く長く感じられた戦闘。だがその実、バーサーカーが現われてからものの十分も経過していない。

 そう──ただの十分足らずで、

「はっ……は、っ……ぁ」

 セイバーは肩で息をし、その身に纏う鎧を半壊させられている。

「くっ……よもや、これ程とは……」

 ガウェインも同じく息を切らせ、こちらは頭を刃が掠めたのか、額から血を流していた。

「rrrrr……」

 そして唯一人、ほぼ無傷の狂戦士。二人の英傑、共に最高クラスの能力値と剣技を持つ者を相手取り、それでなお彼は終始戦いの優位を崩さなかった。
 余りにも凶悪で、余りにも隔たりがある。ただ迅く、ただ巧く、ただ強い。それだけの事でこの黒騎士は白銀の少女騎士と白騎士を追い詰めた。

 だがそんな事、分かりきっていた筈だ。

 白兵戦闘ではこの黒騎士に並ぶ者などそうはいない。剣の技量において彼の湖の騎士を超える者などある筈がない。この王と騎士を知名度で上回る大英雄とて、彼らほどに善戦が出来るかどうか。

 けれど英霊の本質、サーヴァントの戦いの本領は本来そこにはない。突き詰めればサーヴァントの戦いなど宝具の鬩ぎ合いに終始するのみ。剣技での競い合いなど所詮は前座。戦いを愉しむ性根を持った連中が好む児戯に過ぎない。

 しかしこの黒騎士ほどの技量の相手に対し、宝具を発動する為の一瞬の隙は文字通りに致命的なものがある。剣を振り被り、真名を唱えた刹那、首を刎ね飛ばされてはどうしようもない。

 黒騎士に欠点らしきものがあるとすれば、対軍、対城の宝具を持たない事だ。黒騎士の帯びる剣は彼をより高位な存在へと引き上げるが、対軍以上の宝具を撃たれては対抗する手段はない。

 だから真っ先に潰しに来る。宝具の解放には真名の詠唱と僅かだが隙がある。その間隙を見逃してくれるほどこの狂気は甘くない。

「……セイバー」

「ええ……もはや、それしか打つ手がない」

 これまで二人はあくまで白兵戦にて黒騎士を打倒する隙を探していた。二人掛かりでなお倒せぬ以上、より綿密に対抗策を練る以外、現状では恐らく勝てない。唯一勝つ術があるとすれば、彼らの手の中にある聖剣の輝きを解き放つしかない。

 共に真名が割れている以上、剣の名を秘匿し続ける意味もない。ただ懸念があるとすれば彼らの宝具解放は周囲へ多大なる被害を押し付ける。
 ビルの屋上という事もあり、最低限には抑えられるだろうが、今度は黒騎士がその解放を許す筈がないという問題が浮上する。

 少しでも予兆を見せれば神速で踏み込んで来る黒騎士。それを抑える役が、必要になる。

「此処は私が引き受けましょう、セイバー」

「……良いのですか、ガウェイン卿」

「私の聖剣が巻き起こす周囲へのダメージは御身も知っておられる筈だ。何より、確実に仕留めようと言うのなら、より威力の高いものを使うべきでしょう」

「……承知した。必ず、あの黒騎士を斬り伏せてみせる」

 避けて欲しい、とは言えない。こちらも全力で仕留めにかかる以上、手心を加える余裕などないのだ。自ら囮を引き受けた以上、当然白騎士は躱すつもりだろうが、それで黒騎士に逃げる猶予を与えてしまっては意味がない。

 これはセイバーにとってもガウェインにとっても決死の一瞬。全てが巧く噛み合わなければ、何か一つが欠け落ちるという綱渡り。断崖に架けられた綱を渡る以外、この狂戦士を打倒出来ぬと判断した。

 ならば全霊、死力を尽くして己の役を全うするのみ。後は天の配剤に期待する他に道はない。

 セイバーの手にする不可視の剣に風が逆巻く。それは聖剣を不可視足らしめている風の鞘の封印を解くという事。解れた風が暴虐にその猛威を奮っている。

「Arrrrrrr……!」

 その解れを目視した瞬間、黒騎士が動く。一直線にセイバーを狙う軌道は、逆にそれを押し留める腹だったガウェインには予測がしやすいものだった。

「これ以上は進ませてなるものか……! 今一度その曇った目を開き刮目せよランスロット卿……! 我らが焦がれ、その目に焼き付けた、いと尊き輝きを……!!」

「Gaaaaaaaaaaaa…………!!」

 太陽の背にて生まれる星の煌き。目を焼くほどの光輝の発露に、黒騎士は行く手を阻む白騎士に容赦のない連撃を浴びせ叩き伏せようとする。
 白騎士は繰り出される暴虐に耐え、凌ぎ、決してその道を譲らない。己が歩く忠道を違える事は出来ないとでも言うかのように。

 そして遂に露になる星の聖剣。無骨であり、装飾など少ない、されどこの世で最も美しい一つの形。人々の祈りによって編まれた形ある夢幻。
 王権の象徴ではなく、剣としての機能を優先した完成形。遍く騎士達の夢を束ね、その願いを背負った比類なき聖剣の姿。

 今──その全貌が明らかになる。

 振り上げられる聖剣。
 剣に刻まれし真名を謳い上げようとした、その瞬間──

「Arrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr……!!!!!!」

 黒騎士は己の行く手を阻む白騎士ではなく。
 聖剣の光輝を今まさに放たんとした王にでもなく。

 己の足を支える鉄骨。
 彼らの踏み締める足場を、その黒く染まった剣で斬り裂いた。

「なっ……!」

 裁断された鉄骨がずれ、足場が不安定になる。バランスを崩された格好の両者は一瞬、確かに隙を生んだ。
 その刹那を見逃さず黒騎士は飛び退き、連なる足場と支柱を可能な限り斬り捨てた。

 支柱が崩れ鉄骨は落下する。不安定な態勢で聖剣を放っては黒騎士に直撃させる事は困難を極め、最悪周辺への被害だけを残してしまう。そんな可能性がある以上、聖剣はもはや発動出来ない。

 ──してやられた。

 そうとも。この狂戦士は口を閉ざし、理性を剥奪されていながら、身に刻まれた技量の全てを顕在化させている。研ぎ澄まされ、昇華された武錬の極地。それは何も彼自身の剣技だけでなく、勝利への道筋を確かなものとするもの。

 聖剣を止める手立てがないのなら、足場を崩す。その程度の事、出来ない筈がない。

 それはしかし、紛れもない逃走。苦し紛れの敗走だ。狂気により敵を斃す事よりも、何としても生き延びる事を選択した結末。
 彼だけに許された剣を抜けば白騎士を突破出来た可能性があったにも関わらず、それをせず逃げの一手を打ったのだ。

 その理由が何であるかは彼女らには分からない。しかしどうにか、この夜を生き延びた事だけは確かだった。

 崩壊していく建設途上のビル。風の如く姿を消した黒騎士。彼女達もまた、急ぎ離脱しなければ。

 その時。

 遥か下方。鉄骨を支える基盤とも言うべき箇所に仕掛けられた爆薬が炎を上げる。それは衛宮切嗣が事前に仕掛けていた代物で、セイバーはこの建設途中のビルを最初から戦場とするよう伝えられていた。

 この爆破は撤退の合図。どの道足場が完全に崩壊し、黒騎士も去った今、疲弊した状態で残る二人が剣を交える理由はない。遠くマスター達の戦場もまた瓦解しているのもその理由となる。

「ガウェイン卿。いずれ、この戦いの決着を」

「ええ、望むところです。願わくば、三度剣を交えられん事を」

 互いに最後の言葉を交わし背を向ける。

 主の無事を信じ、霊体化し姿を眩ませるガウェインと。
 崩れ落ちる鉄骨を飛び渡り、無事なビルへと渡ったセイバーと。

 既に姿を消したランスロットの行方を想い。
 長い夜の戦いは、此処に一つの結末を残したのだった。


+++


 センタービルから望む遠景に異常が生じる。ほぼ同時に二つの摩天楼が瓦解するという事態は、遠く離れた場所に位置取る彼女らにも、それが今夜の戦いの終わりを告げるものだと伝わった。

「……終わったみたいですね」

「そうね」

 オフィス街での戦闘に対する横槍を入れるつもりだった遠坂凛にも、その横槍を防ぐのが役目であった間桐桜にも、これでこの場に留まり続ける理由はなくなった。どのような形であれ戦いが終息した以上、一旦拠点に戻り状況の把握を行うべきだ。

「じゃあ今夜はこれまでですね」

 桜が凛達の方を向いたまま後ろ向きに歩き、屋上の端へと下がっていく。凛がアーチャーに視線を送っても首を横に振るだけ。今もってなお監視の目は解かれていない。この場で桜に仕掛けるのはどうやら不可能のようだ。

「それではさようなら、遠坂先輩。また会えるといいですね」

「さようなら間桐さん。ええ、いずれまた会う事になるでしょうね」

 交わす言葉にはどちらも感情が篭っていない。事務的な返答。まるで機械が録音した音声を再生しているようだ。

「────桜」

 だから、その声を聞いてしまった間桐桜は足を止めた。背中から虚空に沈もうとしていた身体が、無意識に落下をやめていた。

「今度はちゃんと戦いましょう。そうすればきっと、お父さまもお喜びになるわ」

「…………ッ!!」

 人形の瞳に宿る黒。ドス黒い感情が渦を巻き、操り糸に繰られる人形ではない、彼女自身の言葉を発させた。

「戦いになんてしてあげない……貴女は私が殺すんだから……。泣いて許しを乞わせてあげますよ────“姉さん”」

 その言葉を最後に、間桐桜の姿が屋上から消える。無明の闇へと、飛べない鳥は墜落していった。

「…………」

 敵の去った屋上で、凛は顔にかかる髪を鬱陶しげにかき上げる。隣に立つアーチャーも既に警戒を解いている。桜の退場と同じくしてサーヴァントも去ったのだろう。

「……凛」

 アーチャーの声に視線を上げる。鷹の瞳に宿る色は、一体どんな色をしていたのか。

「いや……」

 赤い弓兵は瞼を重く閉じ、口を閉ざした。今何かを告げたところで、きっと何も変わらない。上辺だけの言葉は誰の心にも届かない。そもこの己は、生来そんなに口が巧くないのだから、せめてこの身体で意を示そう。

「戻ろう、凛。身体を冷やす」

 赤い外套が凛の肩にかけられる。
 それを振り払い、遠坂凛は肩で風を切って歩き出す。

 それが遠坂凛の生き方で、これまで歩んできた道だ。
 誰かの施しを甘んじて受けるような、生温い道を歩いてきたわけじゃない。

 アーチャーの助けを借りるまでもなく、凛は夜に飛び込んだ。
 一つ溜息を吐き、赤い弓兵もまた主の後を追う。

 難儀なものだと、誰にともなく自嘲しながら。


+++


「どうやら、協会のお偉方が言っていた事は正しいようですね」

 とある洋館の一室。主が去り、長く捨て置かれた古い洋館ではあったが、その内部は管理が行き届いていた。堆積するような埃もなく、残されたままの家具一式に不具合は見当たらない。

 拠点とする上での不備もなく、先の声を発した鳶色の髪の女性──バゼット・フラガ・マクレミッツは、閉じていた片目を開き、闇に沈む室内へと視線を向けた。

 室内には人工の明かりはついておらず、射し込む月光だけが頼りなく揺れている。ソファーに腰掛け、今し方まで行われていた戦いの一部始終を盗み見ていたバゼットは、己がこの冬木へと訪れるに至った理由を回想する。

 彼女は封印指定の執行者である。魔術を秘匿すべしという原則を破る者、当代限りの稀有な魔術を習得し協会の保護を受けながら、逃げ出した魔術師を追う事を生業とする武闘派の魔術師であった。

 異端を狩るという立場上、求められるのは強い武力。協会の中でもある種のエリートに属すると言えば聞こえはいいが、ただの体の良い厄介払いだ。

 魔術を探求の為ではなく、戦いの為のものとして修める者。その力を認めながら、自らを脅かす可能性を危惧し遠ざけられる存在。
 特にバゼットはとりわけ古い家系の出という事もあり、持て囃されたのは最初だけで、やがて腫れ物のように扱われ最後には封印指定の執行者の椅子に落ち着いたが、彼女自身はその事を然程気にしていない。

 今回もそんな協会からの依頼──否、勅令だった。

 元よりこの冬木で行われる聖杯戦争には、魔術協会枠と呼ばれるものが存在する。今回その枠に選ばれたのはバゼットだが、彼女の戦力を重用し、聖杯を持ち帰る事を期待されたわけではない。

 原因不明の十年遅れの第四次聖杯戦争。与えられた十年のモラトリアムはアインツベルンにマキリ、そして遠坂にこの上のない優位性を与えるものと判断された。
 流石に七騎の内の二騎をそれぞれの家系が囲う結果になるとまでは誰も読み切れてはいなかったが、協会上層部はこの聖杯戦争に名のある、前途ある魔術師を参加者として送り出す事を拒絶した。

 御三家の全てが各々が聖杯を手にする為、可能な限りの手を尽くす事など分かりきっている闘争。開戦の前から築き上げられる優位に、外来の魔術師が挑む事の困難さは想像に余りある。

 これが正常に行われる聖杯戦争であればまだ話は別であったが、開幕間際になってなお御三家と協会枠以外が名乗り出て来ない事が、上層部の意思決定の決定打に繋がった。

 時計塔にその名を轟かせる著名な魔術師や、途方もない才を有する前途ある若輩魔術師を御三家の食い物にされる事を協会は嫌ったのだ。
 かといって無名な魔術師や力のない魔術師を送り込んだところで高が知れている。完全に三家だけの対立構造にされるのもまた気に食わない。

 そこで白羽の矢が立ったのが、この男装の麗人──バゼット・フラガ・マクレミッツであった。

 協会の貴族(ロード)達ですら持て余す程の由緒ある古い家系に連なり、その実力は執行者として遺憾なく振るわれ、誰の目から見ても折り紙付き。
 聖杯を持ち帰るのならば良し。これまで同様に飼い殺しにすればいい。持ち帰れずとも良し。目の上のたんこぶが一つ消えてくれる。

 誰の腹も痛まない最良の選択。唯一異を唱えられるバゼット本人が一つ返事で了承した以上、この決定に異議を唱える者は一人としていなかった。

 無論、バゼットはそんな貴族連中の思惑など知るよしもなく、ただ下された命に従い任務を遂行するだけ。ただ、任務を受ける際、忠告は受けていた。

 御三家連中はかつてない策を弄している可能性がある、と。

 その忠告を信じ、直接己の目で見るのではなく、慣れない使い魔を操作して戦場を俯瞰したのは、確かに良い選択であった。
 協会きっての武闘派とされ、彼女自身回りくどいやり方よりも直接的なやり方を好む性分でありながら、これまで一貫して諜報に徹したのは間違いのない戦果である。

「へぇ……じゃあ大方の予想通りってわけか。ハッ、やるねぇ奴さんらも」

 机を挟んでバゼットの対面のソファーに腰掛ける青髪の男が声を上げる。その声は嬉々としたもので、悲愴な色合いがまるでない。

「何を喜んでいるのですかランサー。今夜確認出来ただけでも遠坂はエクストラクラスのガウェインとアーチャー、間桐はバーサーカーと姿は捕捉出来ませんでしたが確実にもう一騎サーヴァントを従えている。
 アインツベルンはセイバーしか確認出来ていないが、これで残る一騎が冬の一族に組していないなどと楽観出来る筈がない」

「オレを喚ぶ以前から、アンタはそれくらいの困難は承知の上でこの聖杯戦争に臨んだんだろうが。何だ、敵の正体が判明し、その強大さが目に見えるようになった今頃に、ようやく怖くでもなったのかい?」

「馬鹿な事を。敵が二騎のサーヴァントを従えている程度の事で恐れる必要など皆無だ。そういう貴方こそどうなのです、最も彼らの策の被害を被るのは貴方だ。歴戦の雄たるサーヴァントを二騎敵に回して、なお勝てると?」

「そいつをオレに訊くのかいアンタは。ああ、ならオレは答えるさ。勝てる。勝つさ。その為にオレはアンタのサーヴァントになったんだ」

 獰猛な笑みをその口元に浮かべ、ランサーのサーヴァントは豪語する。己の手にする槍に賭けて。彼を喚んだ彼女の期待に賭けて。この身は勝利を約束すると。

「それによ────」

 打って変わった軽口で、ランサーは視線を窓際へと向ける。月光の降り注ぐ窓辺に。淡い光が満ちる、その場所に。

 何故この第四次聖杯戦争は、十年の遅れを生じさせたか。

 その問いに答えられる者はいまい。アインツベルンの長老も、マキリの老獪にも、ましてや遠坂の現当主もまたその答えを持ち合わせてはいない。
 あるのは厳然とした事実だけ。第四次聖杯戦争は十年の遅れを生じ、その猶予を彼ら御三家は己が家系に与えられた勝利への準備期間と捉えた。

 真実、その布陣は過去最高。サーヴァントの数だけでなく、マスターの質もまた上等。どの陣営が勝利を手にしてもおかしくはない程の布陣である。それだけ彼ら御三家がこの戦いに賭ける意気込みが窺える。

 だが待って欲しい。

 彼らは一つ失念している。気付くべき異常に気付いていない。十年の遅延をさも当然と受け入れた事で、もう一つの異常をすら正常と判断してしまった。

 つまり。

 本来六十年周期の聖杯戦争が十年遅延したのならば──

 ──その十年分の余剰魔力は、一体何処に消えたのか?

 その答えが、此処にある。

 淡い月の光が降り注ぐ窓辺。
 そこに腰掛ける一人の少年、あるいは少女の姿。
 美しい金砂の髪を月光に溶かし、翠の瞳は遥か遠い天蓋を見つめている。

 其は人の姿をした、人ならざるヒト。
 人智を超越した者。
 この街に集う七騎の英霊とその存在を同じくするもの。

 それは──いる筈のない八騎目のサーヴァント。

「……ん?」

 窓辺に座る人影が、こちらを見つめる二対の瞳に気付き振り向いた。

「……何見てんだ」

「いや? てめぇはどう考えてんのかちょいと気になっただけだ。話は聞いてたんだろ」

 窓辺の人影はへの字に曲げた口元を三日月のように歪ませ嘯いた。

「敵が誰だろうが関係ない。オレがやるべき事は決まってるんだ。アンタらに組してやってるのも、それが一番効率が良いと判断しただけだしな」

「ただ単に他の連中とじゃ反りが合わないってだけじゃねぇのか? 顔見知りばっかなんだろ」

「……まぁ、それもある。あの連中と手を組むくらいなら一人でやる方がマシさ。その点アンタらは都合が良いし運も良い。このオレが手を貸してやるんだ、絶対勝てるぞ」

「そいつは景気の良い話だな。だが愛しの“お父上”と顔を合わせた途端、緊張して剣が握れないなんて無様はやめてくれよな」

「……黙れ添え物(わきやく)。これは“オレ達”の戦争だ。そんな無様を晒すものか。脇役なら脇役らしく、主役の為に雑魚掃除でもしてろ」

「────そこまでにしておきなさい、二人とも」

 売り言葉に買い言葉で、作戦会議の体を成していない二人の会話をバゼットが嗜める。

「此処でぐだぐだと管を巻いても結果など伴わない。諜報の時期は既に過ぎた。明朝より行動を開始します」

 へーい、と気の抜けた返事をするランサーと、何も答えぬまま今一度空を仰ぐ人影。その背を、バゼットはじぃと見つめる。

「……何だよ、まだ何かあるのか」

 根負けしたのか、人影は視線だけをバゼットに送る。

「貴女の存在は、恐らくは御三家の者達ですら把握出来ていないでしょう。貴女はこの聖杯戦争の台風の目となる。それを引き込めたのは大きく、また圧倒的に不利にあった我らがこれで互角の体を成せるようになる」

「…………」

「貴女が何を理由として私達に手を貸すのかは訊かないし聞く気もない。その最終的な目的も。けれど行き着くところが同じであるのなら、その道を違えるまでは共に歩んで行きたいと思います。
 どうか貴女の力を貸して欲しい────モードレッド」

 立ち上がり、窓辺へと向かいバゼットは手を差し伸べる。これまで共闘の意を明確にしては来なかったが、この段ともなれば否はない。
 この不確定要素、誰も知らないイレギュラーの手を取り、彼女達は熾烈なる争いの宴へと臨むのだ。

 おずおずと、モードレッドと呼ばれた少女は差し伸べられた手を握り返す。

「……フン」

「よろしく」

「照れてやんの」

「うるさいぞランサーッ!」

 空は遠く。
 星屑の踊る天蓋に座す月が謳う。
 いずれ明ける夜の果てで、今一時の休息を、祈り捧げる者達へと。

 かくして役者は出揃った。

 巡り巡る数奇なる命運。
 狂いながらに廻り続ける歯車。
 動き始めた運命の車輪は、その終着まで止まる事を許されない。

 幾つものイレギュラーを内包する十年遅れの第四次聖杯戦争。
 かつてない形で繰り広げられる、聖杯を巡る戦いの行方。

 その真なる幕が──今此処にようやく開かれたのだ。













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