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scene.04












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 オフィス街での戦いから一夜明けた朝。淡い陽光を遮る分厚いカーテンの掛かる間桐邸客室に、間桐雁夜はいた。
 以前と同じようにソファーにその身体を預け、瞳は深く閉じられている。違いがあるとすれば、今彼は自身の身体を精査していた。

 二夜続けてのバーサーカーの運用。僅かではあれ自身の魔術をすら使用した事もあり、体内を巡る魔力は急速に枯渇に向かっていた。
 身体の中に巣食う刻印蟲も、昨日精製した分だけでは飽きたらず、根こそぎバーサーカーに持っていかれている。

 まだ余力はある。後一度の戦闘には耐えられる程度の猶予はある。もし付け焼刃で十年前に戦いに臨んでいれば、雁夜はとうに狂死している程の魔力を消費している。それでなお猶予がある事を思えば、充分以上に研鑽は意味を為したと言えるだろう。

「でもこれじゃ……足りない……。こんなザマじゃあ届かないッ……」

   バーサーカー……ランスロット卿の能力をほぼ完全に引き出し、その上狂化までさせてなお使役出来た事が既に驚嘆にも値する事なのだ。その分手綱を握る事が難しくなり、奪われる魔力量が桁違いなのが雁夜の誤算。

 あの黒騎士の狂気に引き摺られているのもその範疇だ。いずれこの身は憎悪と狂気に呑まれ、何を願い、誰を救おうとしたかを忘れてしまうだろう。
 ただ目に映る全てを破壊する化身と成り果てるかもしれない。その前に、全てを吸い尽くされ枯れ果てる方が早いのかもしれないが。

 どちらにせよそれは雁夜の望むところではない。理性が消えては戦えない。そんな状態で戦えるバーサーカーが異常なだけで、雁夜にはとてもではないが無理だ。獣のように狂ってしまえば、あの子を暗闇から救い出す事が出来なくなってしまうから。

「足りなければ他所から持ってくる……魔術の基本じゃの雁夜よ」

「……臓硯」

 瞳を開いた先、机を挟んだ対面のソファーにはいつの間にか間桐臓硯の姿があった。扉が開いた音は聞いていないし、気配すらも感じなかった。文字通り、間桐の妖怪は忽然とその姿を現した。

 雁夜は別段驚きはしない。間桐の工房は地下の蟲蔵だが、この屋敷とて臓硯の工房の一部には違いがない。神出鬼没であったところで驚きには値せず、当然のように受け入れ目の前の男に口を向ける。

「何の用だ……とは今更訊かない。足りなければ他所から補う……そんな事、言われなくとも知っている。この身に巣食う刻印蟲とて俺自身の魔力生成量に不安があったからこそ寄生させたものだからな」

「それでなお足りぬとは、ちと強力な英霊を喚びすぎたかのう。その分戦闘力は驚異的なものだが、マスターが食い散らかされ自滅しては意味がない」

 多量の魔力の消費と引き換えに手に入れた力は確かに強大だった。最優のセイバー、太陽の騎士ガウェインを相手取ってなお優位を保ち続けた近接、白兵戦闘能力は他の追随を許さない。
 その上ただ狂い暴れ回るだけでなく、確かな技量と戦況を把握する知恵を有するという規格外。代償は大きくとも、その分対価も相応以上に得てはいる。

 どう巡ろうとやはり懸念はマスターの魔力維持。過去のバーサーカーのマスター達の悉くが自滅したように、このままでは雁夜も同じ道を辿る可能性が高い。通常の魔術師を大きく上回る魔力量でも、本来弱小の英霊を強化する狂戦士の座に元から強力な英霊を招いた弊害は大きかった。

「いずれにせよ後悔したところで変わるものでもない。代償の分対価もでかい。ならばそれを有効に使う策を巡らせる方が建設的じゃろうて」

「……何か考えがあるのか」

「先程言ったはずだがな。足りぬのなら、他所から持ってくればいい」

「……俺に魂食いをやれと言うのか」

 サーヴァントの身体はエーテルで編まれている。それ故に魔力で肉体を維持出来るし、パスのオンオフで実体と霊体を切り替える事が出来る。
 魔力供給の手段は何もマスターからのものでなくとも良いのだ。一般の人間とてその身に宿す第二要素、ないし第三要素をその食事とすれば、サーヴァントに魔力を補給する事は可能なのだ。

 ただ問題なのは、その行いは余りにも人の道理を外れたものだという事。自らの願望を叶える為に、無関係な人間を犠牲とする事を許容出来るかどうか。如何に魔術師とはいえ、魂食いを容易に行えるような輩は、同輩に箍が外れていると見なされてもおかしくはない。

 雁夜にとって見ればそれはなお深刻な問題だ。生まれついてより魔道を歩んだ者ならいざ知らず、雁夜は十年前まではただ魔道の大家に生まれただけの人間に過ぎなかった。魔の道がどんなものかを知り、背を向けた雁夜にとって、人間としての常識は魔術師としての常識よりも深く心に根付いている。

 そして何より、桜を救う為に他の見知らぬ誰かを犠牲にしたと知った時、あの子はどんな顔をするだろうか。自らの足元に堆く積まれた屍の山を見ても、あの子は手に入れた幸福を甘受してくれるだろうか。

「ふむ……何やら勘違いしておるようだが、今は良い。その話は後回しだ。まずは昨夜の事とこれからの事を話しておかねばならん」

 雁夜は怪訝な面持ちで臓硯を見つめたが、表情からは一切の思惑が読み取れない。仕方なく、続きを促した。

「では雁夜よ。お主、何故昨日アーチャーを討たなかった?」

「……魔術師殺しの策に乗っかるのが不服だった。それじゃ不足か」

 確かにあの夜、前線に介入せず桜と共にアーチャーを狙っていれば、最悪でも相当の痛手を負わせる事が出来た筈だ。それをしなかったのは雁夜自身が天秤を私怨へと傾かせた結果であり、何よりあの姉妹が殺し合いをする場面など見たくなかったからだ。

 姉と妹が、聖杯を賭けて殺し合うなどという異常を雁夜は看過出来なかった。だから桜には足止めだけを願い、戦闘を避けるよう頼んだのだ。
 その間にバーサーカーが敵を一騎でも討ち取ってくれれば良かったが、そう簡単には事は運ばない。雁夜自身も戦場に介入しながら明確な結果を残せなかった以上、誰を責める事も許されない。

 全ては雁夜自身の心に蟠る甘さ。何を犠牲にしても桜を救うという願いに殉じ切れない心の弱さがその原因。バーサーカーの制御が完全ではないのもその辺りに原因があるのかもしれない。この心を冷徹な刃へと変えられれば、あの狂気もまた完全な制御下におけるのだろうか。

「……臓硯。やはり俺は魔術師殺しの策に乗り、アーチャーを打倒するべきだったんだろうか」

「いや……そうとは限らん。結果論でしか語れぬが、もしアーチャーを打倒しておったらアインツベルンの優勢が確定的になっておったやもしれんのでな」

 それぞれが二騎のサーヴァントを従えているという現状、一騎の脱落はほぼ趨勢を決するといっても過言ではない。ほぼ拮抗する三角形の一角が削り取られれば、瞬く間に残る一騎も刈り取られる事は想像に易い。

 そうなった陣営の取り得る選択肢は狭く、遠坂の一角を削った間桐に遠坂が協力を求める事は有り得ない。アインツベルンがもし遠坂を抱き込めば、戦力比は三対二。大勢は決してしまう。

 遠坂時臣がそこまでの凡愚とは思えなくとも、サーヴァントを失った遠坂凛を人質に共闘を迫るくらい、あの魔術師殺しならばやってのけるだろう。
 もしここまでのシナリオを衛宮切嗣が描いていたのだとすれば、雁夜の打った手は最善ではなくとも最悪を免れたと言える。

 恐るべきは衛宮切嗣の聖杯にかける執着か。

 何があの男を衝き動かしているのかは分からないが、決死の覚悟で時臣を殺しにかかった事といい、決して甘く見ていい相手ではない。下手を打てばこの間桐臓硯すら出し抜かれる可能性がある。

 ……そんな事はさせぬがな。

 この老獪とて今回の戦いには過去最大級の期待をかけて臨んでいる。雁夜と桜だけで足りぬというのなら、この臓硯もまたその知恵を巡らし魔術師殺しの上を行こう。伊達や酔狂で五百年の時を生きてきたわけではないのだから。

「まあ、結果としては無難に落ち着いている。膠着とも言えるが、分が悪いよりはマシじゃろうて」

 次いで、臓硯は今後の展望を語る。

「昨夜の一戦でどの陣営も前衛を務めるサーヴァントが疲弊しておる。セイバーとガウェインはバーサーカーとの戦いで消耗し、バーサーカー自体はほぼ無傷でも雁夜がこれでは後が続かぬ。
 故に今日、どの陣営も大きく動く事はせぬだろう。傷の少ないサーヴァントで偵察程度は行うかもしれんが、事実上タッグ戦の様相を呈す今回の聖杯戦争で、単独で動く事は不利益が大きいでな」

「休める時間があるのは正直有難い。が、それもアンタの推測だろう。敵が同じ結論へと至れば、あえてその隙を突いて来る可能性も考えられる」

 特にあの魔術師殺しは。

 昨夜の一戦もあの男がその土台を築いた上でのものだ。その結果が衛宮切嗣の想定通りではなくとも、裏を掻く事を常とする暗殺者ならばどんな悪辣な手段で攻めて来るか想像も出来ない。

 そしてもう一角。未だ姿を見せない魔術協会枠のマスター。御三家が二騎のサーヴァントを従えている事がほぼ確定的な現状、慎重になっているのだろうが、漁夫の利を狙うのならば今は好機の一つだと思われても仕方がない。

「まあ警戒するのは良いが、し過ぎても身体がもたん。休める時に休んでおけ。無理にこちらから攻め入る理由も今はあるまい」

 防衛に徹する限り、この屋敷はそれなりに堅固だ。サーヴァントの宝具に晒されればその限りではないが、現段階でそこまでの大事を仕掛けてくるような、後先の見えない愚か者はいないだろう。

 バーサーカーの脅威が知れ渡った事で標的にされやすいのは間違いがないが、正攻法では崩せない力があの黒騎士にはある。桜のサーヴァントも目を光らせているので、そう簡単には近づく事も出来ない筈だ。

 敵が攻めてくるとすれば、それはバーサーカーを撃破しうる策を構築し終えた後の事。今暫くの猶予はある。この僅かな休息を利用し、もう一手確実性の高い策を仕込んでおかない手はない。

「お主の警戒しておる衛宮も、今日に限っては動かぬだろうて。動いてしまっては、昨夜仕込んだ罠が意味を為さぬだろうからな」

 今後の展開については、やはりアインツベルンと遠坂の動きを見てからで充分だと臓硯は思う。衛宮切嗣が仕込んだ策と、それに対する遠坂の出方次第で間桐はその身の振り方を考えるべきである。

 今迂闊に動くのは得策ではない。足場をより強固なものとし、必要な時に十全に動けるよう策を巡らせる段階だ。

「では話は戻るがの。雁夜、儂はお主に魂食いをしろとは言わぬ。それよりも確実で安易な方法があるのでな」

 街の住人を無差別に喰らう魂食いにはリスクが伴う。監督役に目を付けられ、孤立無援に立たされる可能性がまず高い。
 そして臓硯も日に日に腐り落ちる身体を補う為、時折食事をしているが、雁夜に同等の真似を強要すればやり辛くなるし、何より雁夜との間に致命的な亀裂を生んでしまう。

 究極的な話をすれば、この間桐臓硯を殺せばそれで雁夜の願いは叶うのだ。この悪鬼を地上より完全に滅せば、二人は自由を手に入れられる。サーヴァントの力を以ってすれば、二百年を生きた妖怪とて一溜まりもない。

 それでもなお仕掛けて来ないのは、雁夜も桜も臓硯を恐れ、この男の生への異常なまでの執着を知っているからだ。
 今この客間に座す臓硯が本物である確証などない。本体ないし本物は何処かに潜み、悠々と場を俯瞰している可能性が極めて高い。

 そして雁夜も桜も臓硯がその気になれば身体の制御を奪い取られかねない事をもまた理解している。
 雁夜が蟲の秘術を修めたとしても、その始祖はこの悪鬼なのだ。制御を奪う方法など幾らでもある筈で、雁夜が気付かぬ内に臓硯の子飼いを寄生させられていてもなんら不思議ではない。

 桜にしても同様。一度だけ放り込まれた蟲蔵での記憶と、続く修練という名の責め苦は彼女の心に消えないトラウマを植えつけている。反抗の意思など芽吹かないよう、徹底的に調教を施されている。

 故に二人は臓硯を上回る力を手にしていながら、この悪鬼棲む魔窟と決別する事が出来ていない。臓硯を確実にこの世から葬る算段がない以上、聖杯を手に入れる方がまだ現実的で確実性がある。

 全ては間桐臓硯の掌の上。この屋敷で、マキリの呪縛から逃れる事は至難を極める。

「ところで雁夜よ、お主、出奔しておる間に投資をした事はあるか?」

「……? いや、ないが。その話と今の話がどう繋がる?」

「何、身に余るリスクはな、分散させておくものなのじゃよ」

 一瞬訝しんだ雁夜であったが、すぐさま臓硯の思惑へと至り、問い詰めた。

「まさか臓硯……貴様桜ちゃんに……」

「うむ。雁夜、お主と桜の間にパスを繋げよ。さすればお主の負担は一層減り、バーサーカーの十全の力を発揮出来よう」

 魔術師同士がパスを繋ぎ、魔力を共有出来るようにすれば、一方が重い負担を背負っていた場合にもう一方が肩代わりを出来たり、瞬間的に多量の魔力を必要とする魔術を展開する際に融通する事も可能となる。

 今回に限っていえば、雁夜が身に宿す蟲を含めた魔力量よりも桜が生来宿す魔力量の方が遥かに勝る。彼女自身もサーヴァントを従える身である以上、全てを賄う事は難しくとも一端を担う程度は充分に期待が出来る。

 バーサーカー以外のサーヴァントはその維持に然程の魔力を必要としない。マスターはあくまで現界の為の楔としての役目が主であり、サーヴァントを維持しているのは聖杯の負担の方が圧倒的に割合が大きいのだ。

 無論、サーヴァントに魔力を捧げれば捧げるだけその基礎パラメーターは上昇するが、生前を上回る事はない。唯一狂化によって生前を上回る可能性を持つバーサーカーのみが多量の魔力を必要とするのは、ある種必然とも言える。

 臓硯の提案はそう悪いものではない。桜の魔力を死蔵するくらいなら、バーサーカーの負担に回すのは決して悪い手ではない。

 しかし。

「ふざけるな……! これ以上あの子に重荷を背負わせてどうするっ! それにこれは俺が背負うと覚悟したものだ! あの子に背負わせるわけに行くものかッ……!」

 桜を守る為、強大な力を欲したのは雁夜自身だ。その為の代償を受け入れ、身の破滅の可能性さえも覚悟してバーサーカーを召喚した。
 それが今更になって自分だけでは維持が難しいから桜に一緒に背負ってくれなどと、一体どの口が言えようか。

 彼女を守る為に、彼女を救う為に彼女に犠牲を強いるなど、そんな本末転倒があって良いのか。

「確かに休養を挟みつつならばお主だけでも最後まで戦い抜けるやも知れぬ。だがこんな休息が今後も定期的に望めると本当に思っておるのか?
 遠坂時臣が、衛宮切嗣がお主の消耗の度合いを看破すれば、間髪を置かず攻め入ってくるのは当然だろうて。その時になって泣き言を言うつもりか? あの時、儂の提案を受け入れておけば良かったと、死の淵でそう思えば満足か?」

「…………ッ」

「あるいはお主自身が口にしたように無関係な人間を食らう覚悟があればまた話は別よ。要はバーサーカーを維持出来るだけの魔力さえ確保出来ればいいわけであるしな。それが桜だろうが見知らぬ誰かであろうが変わりはない」

 間桐雁夜は選択を迫られる。

 身に余る負担を意地に代えて一人で担い、破滅の道を歩むのか。
 守るべき少女に今まで以上の負担を強い、それでも自由を勝ち取る為と願うのか。
 無関係な誰かを食い散らかし、人の尊厳を捨ててでも勝利を望むのか。

「俺は────」


+++


 間桐桜は自室で椅子に腰掛け虚空を見据えている。
 それは普段と変わらぬ彼女の姿、間桐の人間からの命令がなければ彼女はずっとこうして窓の向こうに広がる世界を見つめている。

 いつもと違いがあるとすれば、それは彼女の心。無私の心で過ぎ行く時間に耐え続けるだけの彼女の心に、今日は渦巻く想いがあった。

 昨夜の戦い。対峙した少女。分かたれた半身。遠坂に生まれ、遠坂の家門を背負う遠坂凛──間桐桜の、実の姉。

 凛を恨む謂れはない。彼女もまたその父である遠坂時臣に歩む道を否応なく決定された被害者の一人に過ぎない。桜が恨むべきは己をこの奈落に突き落とした父であり、憎悪は父にこそ向けるべきだ。

 だが桜にはそれが出来なかった。幼少時、魔道とまだ関わりのなかった頃の父の姿を覚えている。魔術師としての側面を覗かせぬ父の姿を。
 その優しさに縋っている。今もってなお何故自分が間桐に送られたのか、彼女は疑問に思う事が稀にある。そこに父の願う何かがあっても、桜の現状は何一つ変わる事がないというのに。

 だから桜は凛の背中を追いかける。子供の頃の姿しか知らない父の背中よりも、学園ですれ違う、魔術師の顔をした姉にこそ憎悪はその矛先を向けた。

 自分が居てもおかしくはなかった場所。何か一つ、ボタンが一つ掛け違っていたら、二人の立ち位置は真逆であったかもしれない。
 いつ何時も変わらぬ凛々しさを湛える姉が憎い。常に俯き、視線を彷徨わせる自分とは違う、前を見据え続ける彼女が憎い。

 何故こんなにも自分と彼女は違うのか。あの姉もまた、この地獄に放り込まれればこの己と同じように暗く影を背負うのか。

“今度はちゃんと戦いましょう。そうすればきっと、お父さまもお喜びになるわ”

「…………ッ」

 その言葉を思い出す。桜の心に深く突き立てられた剣の碑銘を思い返す。

 魔術師として、その言葉はある種正当なものだ。この戦いが如何に戦争と名付けられていようとも、本来魔術師同士の争いはその身に刻んだ魔の薫陶の競い合い。積んだ研鑽の高さと深さを披露する場。

 だから凛の言葉は正しい。魔術師としてのあるべき姿だ。自らの刻んだ魔道を誇りに思うが故の、思っていなければ出てこない言葉。
 だから彼女には分からない。魔道を背負う事が苦痛である桜の悲鳴は、凛の心には届かない。

 ならばその身に知らしめよう。この身が刻んだ苦痛の数を。痛みを伴う修練の先に、望んだものが何一つなかった空虚を、望む事さえ叶わなかった絶望を、姉と──そして父に。

 凛の言葉は、皮肉にも生きる意義を失くしていた人形に息吹を吹き込んだ。たとえその形が歪で捻じ曲がっていようとも、凛の言葉は桜の心に深く深く刻み込まれた。憎しみは、最も明確な感情の彩。

 憎悪を糧に、人形は自らの足で歩き出す。

『サクラ』

 姿なき従者の声を聞く。その声に含まれた感情を察し、静かな声で答える。

「うん、大丈夫。私は大丈夫だから。だからお願い、貴女の力を貸してライダー」

『はい、私はサクラの助けとなるべく喚ばれた者。貴女を守る事に、一片の戸惑いもありません』

「ありがとう、ライダー」

 孤独に道を歩いてきた桜にとって、初めてともいえる明確な味方。雁夜は多分に桜に肩入れをしてくれているが、それでも間桐の人間である以上、彼女は全てを委ねる事は出来ていない。

 自らの腕に刻まれた三画の令呪だけが繋ぐ、けれど確かな絆。その細い糸を頼りに、少女は闘争の渦へと身を投げる。
 自らを捨てた父と姉に、これまで鬱積され続けていた感情の全てをぶつける為に。

 その果てに、“何か”があると信じて。


/15


 あの瞬間、確かに死を覚悟した。

 屋上を覆い尽くした炎の海を越え、携えた銃の銃口がこちらを捉えた時、遠坂時臣は生まれて初めて確実な死を予期し観念した。

 魔術師とは常に死を傍にあるものとして諦観する者。果て無き道を絶え間なき苦痛といずれ来る死の恐怖と共に歩む者。
 それは魔術師が魔術師としてある為に、第一に観念すべきもの。時臣も当然にして、魔道に足を踏み入れると決意した時に心に誓いを立てている。

 それでもあそこまで明確な死を突き付けられた事は一度としてなかった。魔術師同士の争いに巻き込まれ、死を隣に感じた事はあっても、あれほどの恐怖を味わわされた事は一度としてなかった。

 衛宮切嗣が如何に近代兵器で武装していようとも、あの時確かに、時臣は魔術師として敗北した。渾身の炎は敵を焼き尽くす事叶わず、対するあの男は死をすら踏み越えて時臣を殺しに来た。

 違いがあったとすれば、それは覚悟の差。あの男が何を願い聖杯を欲しているのかは知らないし、知りたいとも思わない。
 それでも衛宮切嗣の覚悟だけは本物だ。命を賭し、死をすら賭し、この街に集う祈り持つ者全てを踏み越えて聖杯を掴むという覚悟があった。

 ではこの遠坂時臣はどうだ。家督を譲ったも同然で、娘の凛は既にして時臣を上回る力量を有する傑物。聖杯にすら令呪を与えられなかった男が、物見遊山で戦場に顔を出していたのではないか。

 娘の力となる為、助けとなる為に杖を執ったこの己が、一番覚悟が足りなかったのではないのか。

「…………認めよう、私は自惚れていたのだと」

 ただ努力の果てに掴み取った椅子の座り心地の良さに甘んじ、娘の溢れる才を目にし鍛え上げ、己の役目は既に果たしたのだと弛んでいた。
 戦いの勝敗を分けたのはその覚悟の差だ。保身に走り、最後の一歩を踏み出せなかった者と、決死の覚悟で踏み抜けぬ筈の一歩を踏み抜いた者の、僅かな────けれど決定的な覚悟の差。

 父である事を忘れ、成功者としての自負を捨て、あの頃──ただひたすらに前を向き走り続けていたかつての己へと立ち返らねば、あの男は超えられない。全てを金繰り捨ててでも一歩を踏み込む覚悟がなければ、衛宮切嗣には届かない。

 ならば捨てよう、この誇りを。
 ならば捨てよう、この信条を。

 ただ全ては勝利の為。
 ただ全ては悲願の為。

 この身は今一度ただの一魔術師となり、死を想い、立ちはだかる全てを踏み越えてみせよう。その果てにこそ、今の自分が望む全てのものがあると信じて。

「間桐雁夜にも借りを返さねばな。だがまずは────」

 ただの一魔術師に立ち返ろうと、その肩に担う責務は消えてはくれない。昨夜の一件の始末は監督役たる言峰綺礼に一任はしているが、この街の管理を預かる者として報告を受けておかねばならない。

 時刻は早朝。
 小鳥の囀りがカーテン越しに聞こえる良く晴れた朝。

 優雅を信条とする遠坂時臣が、戦いの後から一睡もなく書斎で物思いに耽り続けていた異常を咎める者は誰もなく。
 娘の凛はそろそろ起き出す頃合だが、その前に顔を洗い身支度を整え、普段と変わらぬ己を演出した後、時臣は書斎へと戻り通信機のスイッチを入れた。

「綺礼、聞こえているのなら返事をして欲しい」

 時間帯は早く、昨夜の始末をもしなければならない綺礼がこの呼びかけに応えてくれる可能性は低いと時臣は見ていたが、数秒ほどの後、ノイズと共に返答が来る。

『はい、導師。聞こえております』

「ああ、朝早くに済まない。昨夜の処理状況について確認しておきたいのだが、今時間は大丈夫だろうか」

『はい。こちらは問題ありません。隠蔽工作なども既に済ませておりますので、報告にも問題ありません』

「そうか。仕事が早くて助かる。では疲れているところ悪いが、報告を頼む」

 はい、との返答の後、綺礼は抑揚のない声で語る。

 昨夜の一戦は時臣が事前に結界を敷いていた甲斐もあり、隠蔽工作は最低限のもので済んだ。
 被害状況は、埠頭近くの廃工場が一棟、オフィス街のビルが一棟、同建設途中のビルが一棟。全て衛宮切嗣が仕掛けていた爆弾により破壊されたものだが、周辺への被害はなく、人的損害は────

「ゼロ……だと?」

『はい。オフィス街の二棟は元より埠頭の廃工場についても民間人の死傷者はゼロです。鎮火、隠蔽に当たった教会スタッフに話を聞いたところ、魔術の痕跡が微かではありますが確認されたの事。
 これらから類推するに、事前に結界の類で、人避けを行っていたのではないかと思われます』

 つまりは全て魔術師殺しの掌の上。廃工場の爆破は時臣に対する挑発でしかなく、人的被害、神秘の漏洩を行っていないのなら、監督役から罰則を言い渡す事も出来ない。
 被害の規模は新聞の一面を飾るに相応しいものであっても、これではせいぜい厳重注意程度しか行えない。それ以上の介入をしてしまえば、聖堂教会と監督役が中立としての立場を逸してしまう。

 如何に時臣が管理者として諫めようと、神秘の秘匿という大前提が守られている限り、中立者は動けない。

「……だが、昨夜の一件で衛宮のやり口は確実に参加者連中に伝わった筈だ。破壊された三棟の建物のように、自らの棲家がその標的とされる可能性を考慮すれば、捨て置けるものではない」

 御三家の屋敷はどの家も一筋縄では行かない結界や罠が張り巡らされている。おいそれと魔術師殺しの侵入を許すとは思えないが、一体どんな手段で仕掛けてくるか分からない以上は警戒を緩める事は許されない。
 それならばいっそこちらから仕掛け、機先を制するのも一つの手だろう。

「ただ……それすらもあの男の掌の可能性があるのが煩わしいところだな」

 時臣を挑発する為の廃工場はともかく、ビル二棟は破壊せずに済ませられた筈だ。確かに戦場からの離脱に一役買ったのは間違いがないが、その為だけにあれだけの仕掛けを施すのは割には合うまい。
 ならばそこに仕掛けられた策略とは、自らのやり方を知らしめ、優位を築ける自陣へと引き込もうという狙いがあるのではないか。

「であればやはり、アインツベルンの従える二騎目のサーヴァントはキャスターか……?」

 陣地構築のスキルを有するキャスターの工房を陣営の拠点とするのなら、引き込もうとする意図は分かりやすい。最優の盾もあるのだ、易々と魔術師の英霊の首を取れるとは思えない。

「…………」

 それすらも罠ではないか? と勘繰るのは最早行き過ぎなきらいもあるが、あの魔術師殺しなら幾重の策を巡らせていても不思議ではない。警戒してし過ぎるという事もない。それは時臣自身が身を以って経験したものだから。

「とはいえ、ガウェインも相応に痛んでいる。仕掛けるにしても一日程度は休息が欲しいところだろう」

 魔術師の工房に挑もうというのなら、万全の状態でなければならない。それが英霊の手によるものなら尚更だ。幸いにも鷹の眼を持つアーチャーは無傷に等しい。屋敷の防衛に関してはとりあえずの問題はない。

「凛にも意見を聞きたいところだが……まあ結論は恐らく変わるまい。綺礼、我が陣営は今日一日を休息に当てる事にする。何か異論は?」

『いえ、特には』

「そうか。では私は衛宮切嗣を打倒する為の準備でもしておこうか。君は何か予定はあるのかね?」

『昨夜の戦後処理は既に済ませておりますので、これといった用事はありません。強いて言えば少し調べたい事があるくらいのものです』

「調べ物……? 何か手を貸す必要はあるかな」

『いえ、以前頂いた書類を引っ張り出す程度の事ですので、導師の手を煩わせるほどのものではありません。今日を休息日に当てられるのでしたら、どうぞ御自愛下さい。戦いはまだ始まったばかりなのですから』

「ああ、痛み入るよ綺礼。ではこれで失礼するとしよう。朝の早くに済まなかったな、君も休んでくれ」

 綺礼の返答を聞き届け、宝石仕掛けの通信機のスイッチを切る。さて、と時臣は書斎を辞し、地下工房に向かう事とした。
 凛にも今日の決定を伝えなければならないし、やるべき事もある。休息日と定めても日がな一日ベッドで横になっているような暇はない。

 この一日を後悔のない日とする為、遠坂時臣は行動を開始した。


+++


 時臣との通信を終えた言峰綺礼は、知らず溜息を一つ吐く。

 深夜に行われた戦闘とその後処理は朝方まで続けられ、綺礼自身が現場で作業を行う事はなくとも、その指示統括を任されているのだから先に眠るというわけにもいかない。隠蔽の規模の大きさからも、関係各所へと伝達や偽の原因をでっち上げたりとやるべき事は多かった。

 徹夜が苦ではなくとも、人を統べて動かす事を得手とはしない綺礼にとって見れば、この一夜は酷く肩の凝る思いだった。
 それも管理者たる時臣への報告を済ませ、朝刊に無理矢理捻じ込んた虚偽の文言が一面を飾っている事を確認し、ようやく人心地つけるようになった。

 自室のソファーへとその重い腰を下ろす。そのまま目を閉じて身体を休めたいところではあったが、最後の仕事とばかりに手を伸ばす。
 室内には人工の明かりはなく、燭台の蝋燭の炎を頼りに、綺礼は十年以上も前に時臣から譲り受けた書類へと目を通し始める。

 それは第四次聖杯戦争が十年前に行われる事を前提として収集されていた、当時のマスター候補者達の素性を洗い出したもの。時臣が時計塔の知人を頼って掻き集めた得られる限りの情報だ。

 あれから十年も立てば趨勢は変化し、マスター候補者自身も入れ替わったり、情報自体が古く意味を為さないものが大半だ。それでも綺礼はその中から事前に当たりを付けていた人物のものだけを抽出し、目を通していく。

 その人物とは衛宮切嗣。二十年近くも前にアインツベルンに召抱えられた、フリーランスの傭兵。魔術師殺しの異名で畏怖され、今この冬木で行われている聖杯戦争において、最も危険な人物。

 綺礼が夜通し行った隠蔽工作も、全て衛宮切嗣が発端となったもの。奴が建物を爆破などしなければ、もっと簡単に、楽に処理を済ませられていた筈だ。

 時臣は切嗣を含む参戦者の情報をこの戦いが開かれる前に収集している。綺礼が用があったのはこの十年の間の変化ではなかった。アインツベルンに招かれて以降、なりを潜めた男に興味などなかった。
 綺礼が求めたのはそれ以前。二十年より前の、戦場を横行していた時代の切嗣の情報だった。

 魔術師殺しとして名を馳せ、協会からの依頼を受ける傍ら、紛争地帯に頻繁に足を運んでいた事がその経歴から窺える。当時この情報を見た時の時臣の反応は、傭兵の小金稼ぎ程度と深く考察すらしなかったが、綺礼は感じていたのだ。

 ただ金欲しさの行動にしては、その間隔が余りに狭すぎると。

 一つの紛争地帯で依頼を遂行しながら、次の戦場に向けての準備をも同時に済ませるなど常軌を逸している。戦場とはそんなに甘いものではない。今を生き残る事に誰もが必死になっているというのに、この男だけが先の先をも見据えて動いている。

 その介入も戦闘が激化した時ばかりを狙い撃つように行われている事も不可解だった。まるで死地に赴く事に脅迫観念を抱いているかのよう。

 傭兵稼業はリスクが高い分、割も良い。こんな契約と契約の隙間さえもない、それどころか複数同時などという強行軍で予定を組むメリットなどない。如何に自分の腕に覚えがあっても、これではリスクは高まるばかりだ。

 だから綺礼は断定した。衛宮切嗣は金を目的に紛争地帯に介入していたのではない。名声欲しさに異端狩りを行っていたわけではないと。

 では一体何を求めてこれ程の試練を己に課しているのか。

 十年前の綺礼はそこで思考を停止した。己の歪みを知り、世界との間にある溝を理解して何に対する関心をも失っていた綺礼は、まるで目を背けるように切嗣の遍歴の奥にあるものを見つめることをしなかった。
 あらゆる苦行に意味はなく、求め欲した答えは何処にもない。死ねないが為に生きている真似事をしていた綺礼では、そこまでの興味を抱く事が出来なかった。

 だが今は違う。十年遅れの第四次聖杯戦争は既にその戦端を開かれ、参加者達は誰もが争乱の渦に自ら踏み込んでいる。そしてその渦の中心、渦中に立ち戦局を動かしているのは他ならぬ衛宮切嗣だ。

 これまでの戦いは全て、衛宮切嗣によって誘導されている。初戦は奴の挑発がその発端であり、二戦目もまた奴がその場を整えている。
 昨夜のビル倒壊は恐らく、第三戦目を自陣で行う為の布石。時臣が語ったように、自らの悪辣さを見せつけ罠へと誘い込む為の一手だ。

 戦いの趨勢を見ても、全体ではバーサーカーを擁する間桐陣営が強力だが、遠坂を含めこの二家は既に全サーヴァントを戦場に投入している。
 対してアインツベルンはセイバー単独で彼らと切り結び、なお致命傷を被る事なく生き延びている。

 今一番恐れるべきなのはアインツベルン、そして衛宮切嗣だ。最優のセイバーと衛宮切嗣の計略、そこにもう一騎サーヴァントが加われば、今は拮抗しているように見える天秤がどう傾くか、分からない。

「──衛宮切嗣。おまえは一体何を求めて、この戦いに身を投じた」

 死と隣り合わせの戦場で生き足掻くように何かを求めているその様は、かつての己、若かりし頃の自分自身に酷似している。
 まだ世界には救いがあると信じられていたあの頃、ありとあらゆる苦行の中で答えを探し求めていた己の姿と、衛宮切嗣の過去はまるで鏡合わせのように映る。

 今もってなお綺礼の心にぽっかりと空いた空虚を埋めるものはない。だが切嗣は違う。確固とした信念と目的を抱いて、この戦いに命を賭けている。
 ただ理由も分からぬままマスターとなった己とは違う。聖杯に願う祈りを宿し、衛宮切嗣はこの死地へと踏み込んだのだ。

 似通った過去を歩みながら、ならば綺礼と切嗣は何が違う。何が食い違い、こんなにも明確な差が生じたのか。

「その分岐点にあった何かが、私が探し求めたものであるのなら──」

 世界の全てに無関心だった男の心に灯る、炎の色。戦場で何かを捜し求めていた男が二十年の静寂を破り、かつてない覚悟を以って聖杯に手を伸ばす意味。言峰綺礼の心の中には存在しなかった何かを、この男は抱いているのか……?

 今はまだ分からない。その奥にまでは手が届かない。ただそれでも、何に対しても関心を抱けなかったこの心が、確かに心惹かれたのだ。

 ならば追いかけよう、その果てへと。
 この戦いの先に“何か”があるのなら、それを見てみたいと願うから。

『御免下さい』

 その時、壁越しに来訪者の声を聞く。

 綺礼の私室は特殊な構造になっており、礼拝堂での会話が聞こえるようになっている。今この時のように礼拝堂に教会の者が不在でも、この部屋に居れば対応が出来る造りになっており、事務作業をしている時などに重宝する。

「ふむ、来客か」

 聖杯戦争が開幕して以来、この冬木教会周辺には簡易な結界が敷かれている。人払いの類だが、信心深い者ならば潜り抜けられる程度の弱い結界だ。
 しかしこの時分、そんな参拝客は滅多に訪れない。ならば今ほど訪れた者は如何なる人物か、類推するのは容易い。

 どのような客であれ、常に扉の開かれている神の家を訪ねた者を無碍に追い返すような事はあってはならない。それは神の教えと決別した綺礼であっても、生まれてよりずっと教えられ続けて来たものであるが故、反故にするような選択肢はなかった。

 手にした書類をはらりとテーブルの上に落とし、綺礼は重い腰を上げた。
 いつの間にか眠気はなく、普段と変わらぬ佇まいで、神父は自室を後にし礼拝堂へとその足を向けた。


+++


 綺礼が礼拝堂に赴き、訪問者の顔を目視した瞬間、彼の者が信心深い参拝者である可能性は一瞬にして霧散した。
 対峙した瞬間に分かる怜悧な気配。戦場に身を置く者だけが嗅ぎ分けられる血の薫り。何よりもその瞳が、圧倒的な意思を秘めて綺礼を見上げていた。

「早朝に失礼します、言峰神父。私はバゼット・フラガ・マクレミッツ。魔術協会より派遣されたマスターです」

 単刀直入、余計な言い回しもなく、簡潔に自己紹介をしてみせたバゼットを名乗った男装の麗人に、綺礼はふと、違和感らしきものを覚えた。

「……マクレミッツ。その名は聞き覚えがあるな。それに、君とは何処かで出会っているような気がしている」

「そうですね。私は魔術協会の封印指定の執行者として。貴方は聖堂教会の異端狩りの代行者として。何度か同じ標的を狙い剣を交えた事もあります」

 当時の綺礼は何にも関心を抱かず、ただ下された命令に唯々諾々と従い続ける人形のようであったから、覚えが薄いのも無理はない。それでも記憶に引っかかる程度に覚えているという事は、相当の腕利きには間違いない。

「ふむ……そうか。いや、挨拶が先だったな。マクレミッツ、ようこそ冬木教会へ。歓迎しよう。例年通り、監督役に参加を表明する者は少なくてね。既に戦端は開かれているが、こうして訪れてくれた事を嬉しく思う」

「いえ、こちらこそ顔を出すのが遅くなって申し訳ない。仮にも魔術協会の名を背負う者が筋を通さないのは如何なものかと思い、こうして訪ねた次第です。それと、幾つか訊きたい事もありましたので」

「神父としての私に対してならば、如何なる問いにも答えるが、まあそれはあるまい。監督役としての私に対しての質問であれば、答えられるものであれば答えよう」

 言いつつ祭壇へと上った綺礼はバゼットに長椅子への着席を促すも、彼女は応えず立ったまま問いを口にした。

「ではまず一つ。監督役の立場である貴方なら既に知っているでしょうがこの聖杯戦争、御三家の者達がそれぞれ二騎のサーヴァントを従えているようだ。中立の立場にある貴方に問いたい。これを一体どう思うのか」

「別段何も。マスターの資格たる令呪を託すのは聖杯の意思だ。それだけのマスター候補を用意した御三家の面々の功労だろう。中立である以上、正式にマスターとなった者達に言うべき事は何もない」

「例えばそれが、不正な手段で得たマスターとしての資格だとしても?」

「それを立証し証明出来るのなら、話はまた違う。御三家の者達が組み上げたシステムを彼ら以上に解せる者がいるのなら、あるいはと言ったところだが。マクレミッツ、まさか君が御三家の不正を暴くと?」

「いいえ。私にそんな腕はありませんので。そもそも彼らが不正を行ったという証拠は何処にもありませんから」

 バゼットは表情を変えずそんな事を言った。自分から話を振っておきながらその結論は余りに無意味なものだが、綺礼は素知らぬ顔で続けた。

「まあ確かにこの聖杯戦争、二騎のサーヴァントを従えている御三家の者達が優位にあるのは間違いない。孤立を強いられている君に同情は禁じえないが、立場上手を貸す事は出来ない」

「ええ、それもまた期待していませんので、お気遣いは無用です」

「…………」

 話の狙いが見えて来ない。

 実際バゼットの置かれている立場は傍から見れば開始時点からして既に背水。戦場で不用意に立ち回れば即座に狩られかねないくらいに危ういものだ。だというのにバゼットには気負いがない。彼女の気質もあるのだろうが、余りに自然体過ぎて余計に何かがあるのではと疑いたくなるほどだ。

 それにバゼットの立場は完全に不遇というわけでもない。三勢力が拮抗している現状、彼女が何処か一勢力に肩入れすればそれだけで状況は大きく動く。一人と一騎で御三家を敵に回すよりは、生存する確率が高く見込まれる。

 その旨をせめてものアドバイスとして綺礼はバゼットへと伝えると、

「そうですね、それも一つの戦術としてはアリだ。ただまずは、我々の力を試してみたい」

「何処か狙いでもあるのかね?」

「昨夜の戦いでどの陣営もそれなりに疲弊している。今日一日に限っては無理に攻め込もうとはしないでしょう」

 それは綺礼も同じ見解であり、時臣もまた静観の体を明言していた。今彼女が仕掛けるのなら、穴熊を決め込んだ連中の鉄壁の門を破らなければならない。

「我々はこの後アインツベルンに対して仕掛けるつもりです。未だ姿を見せない最後のサーヴァントの正体を見極めなければ、今後についての対策も練りにくい」

「……結構な事だが、何故それを私に?」

「いえ、理由など特には。ただ中立である貴方に話したところで、誰の耳に漏れる事もないだろうと思ったまでです」

「…………」

 これで綺礼は事実上釘を刺されたも同然だ。アインツベルンに対しては間桐も遠坂も監視の目は置いているが、此処で露骨にバゼット達を追えば綺礼にあらぬ疑いをかけられる事になる。

 綺礼と時臣の内通を疑っているのか、ただ予防線を張っただけなのか、核心までは掴めないが、綺礼の行動の選択肢を幾つか封じられたのは確かだ。
 ただ今は、監督役としてこれより戦場に赴こうという戦士に労いの言葉をかける事が先決だ。

「そうか、では君達の健闘を祈らせて貰うとしよう。アインツベルンの拠点とされる街西部に広がる森は広く深い。どんな罠が待ち構えているかも不明だ。用心してし過ぎるという事もあるまい」

「ええ、ご忠告痛み入ります。彼の魔術師殺しが根を張る城に挑もうと言うのだ、こちらも万端の準備で臨むつもりです」

 それで用件は済んだとばかりにバゼットは踵を返す。

「ではこれで失礼します。言峰神父、良い聖杯戦争の運営を期待します」

「さらばだマクレミッツ。サーヴァントを失った時には、すぐにもこの場所へと駆け込みたまえ。死んでなければ治療を施すし、戦いの終了までの安全を約束しよう」

 汝、聖杯を欲すのなら己が最強を以って証明せよ────

 そんな綺礼の謳い文句を背に受け、バゼットは教会を去る。その門扉が閉ざされた事を確認した後、綺礼もまた礼拝堂に背を向けた。

「どうにも読めないところがある女だったが、まあいい。とりあえずは時臣師に報告だ」

 この情報をどう扱うかは時臣次第だ。自分達が不利益を被りかねない無茶をする程時臣は愚かではない。
 バゼット・フラガ・マクレミッツと一度も姿を見せなかったサーヴァント。彼女らの行く末が、この聖杯戦争の命運を分けるのかもしれない。

 綺礼はふと、そんな事を思ったのだった。


/16


「さて。これで監督役への挨拶も済み、煩わしい用事は全て終えた。では二人とも、そろそろ私達の戦いを始めるとしましょう」

 冬木教会で監督役である言峰綺礼と顔を合わせた後、閑静な住宅街を貫くなだらかな坂道を下りながら、姿のない二人の従者へと声を掛ける。
 けれどどれだけ待とうとも返答はない。不思議に思ったバゼットは前方への注意を怠らぬまま、肩越しに視線を後ろへと向けた。

「どうしました二人とも。何か問題でも?」

『いや……』

 最初に口を開いたのはランサーだった。

『バゼット、あの男には気を付けておけ。上手く言えねぇが、不吉なもんを感じた』

『癪だがオレも同意見だ。あんな目をした奴に、ロクな輩がいるわけがない』

 感情の読めない瞳。渦を巻いたような黒。視線は正面に立つバゼットを見ているようではあっても、その実何もを映していないかのような無関心。実体を持った幽霊という比喩がしっくりと来る。
 腐っても英霊である彼らから見れば、あの男──言峰綺礼はその反対に属す存在にも感じられた。

「そうでしたか? 誠実そうな(ヒト)に見えましたが」

『まぁ、上っ面だけならな。だがあの手の手合いは止めておいた方がいいぜマスター。アンタじゃちと荷が勝ちすぎる』

『都合良く利用されて、飽きられたらポイッてな感じになりそうだな』

「一体何の話をしているんですか……」

 はぁ、と大きな溜息を吐いた後、バゼットは仕切り直す。

「まぁ、二人からの忠告だ、気には掛けておきます。ではこれよりアインツベルンの森へと向かいますが、何か異論は?」

 既に昨夜の時点で今日の日程は取り決めてある。二人にも了承を得ているので、これはただの最終確認に過ぎなかったのだが、

『バゼット、悪いけどちょっと寄り道してもいいか。ついでに頼みもある』

「何ですかセイバー(・・・・)。他にも気に掛かる事が?」

『いや、酷く個人的な都合なんだが』

 何処か言いにくそうに言い澱み、それから意を決してセイバーと呼ばれた少女は告げる。

『服が欲しい』

「…………理由を聞きましょう」

『霊体化してるのは何か変な感じだ。地に足がついてないと落ち着かない。どの道オレはアンタの魔力で現界してるわけじゃないんだ、いいだろう?』

 霊体と実体を切り替えられるサーヴァントのメリットを自ら捨てるその非効率さを、何よりも効率を重視するバゼットは一言に切り捨てようとしたが、

『お、いいねぇ。おいバゼット、俺にも服買ってくれ。アンタの素質ならちっと実体化してても問題ねぇだろ?』

「……二人とも、我々は遊びで此処にいるわけではない。もう少し真面目にして下さい」

『完全にデメリットがあるってわけでもねぇだろ? 実体の方がアンタを守りやすいし、敵からの攻撃にも対処がしやすい。別に遊び場に連れてけとは言わねぇよ。やる事をきっちりやるのが俺の性分だ』

『こっちも同じだな。どの道円卓連中にはオレの顔は割れてる。“不貞隠しの兜(シークレット・オブ・ペティグリー)”の効果じゃ完全には素性を隠しきれん。一度顔を合わせてしまえばそれまでだ。なら別に、そこまで不利益があるものでもないだろう?』

 武装状態のモードレッドを見られてしまえば、生前面識のある円卓の騎士の面々に隠し通せる道理はない。バーサーカーのように鎧を含めた全てに対して認識阻害の効果があれば話は別だが、彼女の兜にそこまでの隠蔽能力はない。
 その分汎用性はあるが、どの道この冬木での聖杯戦争においては完全な効果は望めない。

「……まったく。昨日はあれほどいがみ合っていたというのに、何故今日はここまで結託しているのか。まあいいでしょう。二人の服を購入した後、アインツベルンの森へと向かいます。
 それと、各自自分の服は自分で見繕うように。その手の事に私に期待するのはナンセンスです」

 後ろから聞こえる歓喜の声になお深い溜息を吐いた後、バゼットは歩を早める。

「こちらは貴方達の要求を呑んだのです、貴方達にも相応の働きを期待しますよ」

『おう、任せろ』

『問われるまでもないさ。なんて言ったって────』

 これより向かう森に待つのは、モードレッドの実父アーサー。
 自らの父が治める国の玉座を簒奪せし子が、数奇なる命運を経て、今再びこの時の果てで巡り会う。

 アインツベルンに仕掛けよう、という提案も元を正せばモードレッドの提案だ。素性の知れない、という意味では間桐のもう一騎のサーヴァントも同様であるのに、アインツベルンに挑むのは彼女の提案が決め手であった。

 無論、バゼットには彼女なりの腹案がある。理由なき挑戦を無謀と呼ぶのなら、この行軍は意義のある挑戦だ。

 人知れずモードレッドは震える掌を握り締める。
 それは緊張か、興奮か。
 彼女自身己の心を解せぬまま、三度開かれる戦端に向けて──運命の車輪の回転は加速していく。


/17


 陽が高く昇る頃合。
 アインツベルン城一階にあるサロンには、マスターとサーヴァントの全てが揃っていた。

 昨夜の一戦を終えた後、切嗣とセイバーはこの城へと戻り、休息を行った。キャスターの補助さえあれば移動に掛かる時間は大幅に短縮出来る。切嗣が見据える次の作戦の為にもこの城への帰還は必要な事だった。

 セイバーのダメージはほぼ完治している。彼女自身が宿す膨大な魔力と精製能力は他のサーヴァント達を凌駕しており、自然治癒力も比例して高い。通常の戦闘を行う上での支障はない。

 切嗣自身もまた、疲弊やダメージはない。固有時制御──魔術師衛宮切嗣の秘奥とも呼べるその魔術の使用によるダメージ、世界よりの修正も彼が体内に内包する聖剣の鞘の治癒能力により瞬きの間に完治する。

 セイバーが召喚されてから北欧の冬の城を発つまでの二週間余りの間に、切嗣はどの程度までの負傷を無視出来るかを既に検証している。

 生身の状態では二倍速でもなお時間加速による内外時間の修正のダメージは色濃く残る筈が、聖剣の鞘の加護さえあれば三倍速を用いてもなお身体に欠損はない。
 通常時に三倍の加速を行えば、骨は砕け筋繊維は断裂、内臓器官にも深刻なダメージが残ると想定されていたが、鞘の力はその全てのダメージを一瞬にして治癒した。

 勿論あくまで驚異的な治癒で負傷を治すだけで、ダメージ自体がなくなるわけでもなく実際に被るし、治癒してなお痛みの残滓は身を苛む。
 それでも切嗣はそれを良しとした。本来ならば届かぬ領域に足を踏み込める。痛みに耐えるだけでこの身はより一層の高みへと手を伸ばせる。

 ありとあらゆる覚悟をした。死をも恐れぬ覚悟を。身体の機能が維持し続ける限り、この足が折れぬ限り、衛宮切嗣はひたすらに聖杯の頂きへと駆け上がる。

 昨夜の戦闘結果についてはある程度の情報共有を既に終えている。終わった戦いにいつまでも囚われても意味がない。逃した獲物は大きいが、ならば次はより確実を期し討つまでの事。その方策も既に仕掛け終えている。

 そして今彼ら、アインツベルンのマスターとサーヴァントが顔を突き合わせているのは切嗣が舞弥から連絡を受け取ったからだ。
 久宇舞弥の役目は切嗣のバックアップ。彼の行動のサポートだ。セイバーと実際に行動し戦場に立ち向かう以上、他の事については疎かになりがちだ。

 敵の追跡や監視の目、立てた作戦の進行具合を客観的に見れる第三の目──それが久宇舞弥の役目だ。

 この朝に齎された情報もまた彼女の地道な支援が実を結んだもの。その情報とは、今まで静観を決め込んでいた第三勢力、外来組に動きがあったとの報告だ。

「教会に仕掛けていた使い魔の目を通し、魔術協会推薦のマスター……バゼット・フラガ・マクレミッツの姿を確認したとの情報が入った」

 中立を謳う教会に監視をつけるなど本来は許される行為ではないが、時臣と綺礼の内通が疑われる以上は野放しにする事も出来ない。監視というよりはただの観察という程の距離を保って放たれていた使い魔の目が、教会を訪れるバゼットの姿を捕捉したのだ。

「その魔術師(マスター)の力量の程はどのくらい?」

 キャスターが問う。

「魔術協会の封印指定の執行者。協会上層部も煙たがるほどの名家の出であり、その戦闘能力も相当に高い。主な使用魔術はルーン。自身にルーンを刻み、肉弾戦を得手とする武闘派の魔術師だ」

「魔術師が肉弾戦……? 現代の魔術師は随分と野蛮なのね」

 神代の魔術師であるキャスターにしてみれば、それは青天の霹靂のようなものだ。魔術師が戦闘を行うのなら、敵を近づかせずに斃す。自ら相手に接近し、負わなくていいリスクを負う理由はない。

 事実、相当に腕に覚えのある魔術師であってもキャスターに一歩も近づく事すら出来ずに斃されるだろう。そういう手段があるのに、わざわざ肉弾戦を用いる理由が彼女には心底から理解が出来なかった。

 まあそれも、目の前に近代兵器で武装する魔術師がいるのだから今更だ。この男に比べれば、まだ魔術のみ戦おうとするだけバゼットなる輩の方が余程魔術師らしい。

「そのマクレミッツがこちらに向かっているという情報もある。つまりこれから、僕らは彼女らを迎撃しなければならない」

 本来衛宮切嗣が仕掛けた罠──ビル倒壊による拠点破壊の憂慮は、間桐と遠坂に向けたものだ。森に仕掛けてくるのならこの二家のどちらかだろうと踏んでいたのだが、当ては外れた。

 昨夜の戦いの消耗もある。海浜公園やオフィス街の戦いのように、地形的有利が誰にもないフィールドではなく、明確にこちらに地の利のある戦場なのだから慎重になるのも当然と言える。

 現在のところ遠坂と間桐に動きはないとの事だ。が、こちらも戦端が切られた今では形骸化しているも同然だ。
 サーヴァントが拠点の守護をしている限り、不用意に使い魔を近付かせる事さえままならない。教会と同程度に距離を保ち観察に留めているに過ぎない。

 舞弥からの報告も、正面玄関には異常は見られない、という程度。裏口や魔術を用いた高位の隠匿を行い外出を行った者までは完全には把握出来ない。
 つまりバゼット達だけでなく、予期せぬ第三者がこの森へと侵入して来る可能性は充分に考えられるが、今はまず目の前の敵の分析と対応を行うべきだ。

「舞弥が教会でマクレミッツを目撃してから既に数時間。この森に向かっているのならそろそろ捕捉出来る筈だ、キャスター」

「はいはい、分かってるわ」

 サロンの長机の上に置かれた水晶球。それは遠見の魔術で用いる代表的な触媒だ。占い師が水晶に手を翳し、対象を占うというのもこの辺りが起因となっているようだ。無論、街中に暮らす占い師の殆どは魔術とは無縁の者達だが。

 アインツベルンの森にはキャスターの仕掛けた結界の他にアインツベルン術式で組まれた結界が敷かれている。ただ、イリヤスフィールは純粋な魔術師ではなく、キャスターがこの森を工房化する際に手を加えている事もあり、キャスターに任せるのが確実だとこの場の誰もが承知していた。

 キャスターの遠見の有効射程はこの城から半径十数キロ。森に敷かれた大結界の全てが彼女の掌の上だ。敵の存在を感知していない事から、まだ敵は森に踏み入ってはいないようだが、近隣にまで迫っているのなら捕捉出来る可能性がある。

 水晶球の上に掌を翳したキャスターが何事かを呟くと、発光の後に水晶には遠く森の風景が映し出され、定点カメラの映像を切り替えるように、目まぐるしく映像がスライドしていく。

 そして、水晶球に映る風景に、やがて人影を見つける。
 場所は森の少し手前の雑木林の中。
 並んで歩く三つの影。

 映し出されたのは鳶色の髪とルーン石のピアスが印象的なスーツ姿の麗人と、青髪で何処か野生的な面持ちで、更には季節外れのアロハシャツ姿の長身の男、最後に赤いジャケットとチューブトップの、こちらも季節感を無視した小柄な少女。

「馬鹿な……ッ!」

 だんっ、とこれまで沈黙を貫いていたセイバーが机を叩く。
 彼女の顔に宿るのは焦燥、あるいは困惑か。揺らぐ事のない鋼の心を持つ少女が、かつてない動揺を覗かせている。

 無理もない。だって水晶球に映し出されていたのは、後頭部で結わえた髪型が一部違うにしても、金砂の髪と翠緑の瞳が印象的な──セイバーと瓜二つの顔を持つ少女だったのだから。

「ただ顔が似ているだけの赤の他人……というわけではなさそうね」

 キャスターがそう言い、切嗣に視線を向ける。

「……スーツの女がマクレミッツ、長身の男の方は恐らくランサーだな。もう一人は──イリヤ」

 切嗣とキャスターは冷静に場を俯瞰しているが、残る二人はそうではなかった。動揺しているのはセイバーだけでなく、イリヤスフィールもまた有り得ないものでも見たかのように目を見開いていた。
 それでも父に水を差し向けられた事で意識を取り戻し、強張った声で答えた。

「……うん。サーヴァントみたいね。でも、私はこんな奴知らない。私の知らないサーヴァントなんて、居ていい筈がないのに」

 小聖杯としての機能を有するイリヤスフィールをもってしても把握出来ていなかった八人目のサーヴァント。姿を認識しても一部ステータス情報が見通せない。恐らく、何らかの隠蔽能力が働いているのだろう。

 八人目の、居る筈のないサーヴァントが存在している事には切嗣もキャスターも僅かに驚きはした。しかし既にエクストラクラスで喚ばれたガウェイン卿や御三家がそれぞれ二騎のサーヴァントを従えているという例外が発生している。

 今更そこにもう一つ例外が上乗せされたところで腰を抜かすほどの動揺などない。要は敵が一人増えただけの話なのだ。手間も増えるが、やるべき事に変わりはない。

 ただそうではない者もいる。特にセイバーの動揺は常軌を逸している。ただ敵が一人増えた事に対する動揺である筈がなく、何かを知っている風ですらある。敵の詳細が見通せない以上、手掛かりがあるのなら問うべきだ。

「答えろセイバー、この女は何者だ」

 切嗣自身がセイバーに問いかけるのは珍しい事だ。キャスターやイリヤスフィールがいる時は、決して自ら話しかける事をしなかった。そんな男が視線を彷徨わせる少女に問う。それだけで事態の深刻さが窺い知れた。

 セイバーが水晶球に落としていた視線を上げる。唇を噛み締めて言い澱んだ後、掠れた声で言った。

 自らの息子(むすめ)の名を。
 実姉である妖姫モルガンの姦計によって生まれた不義の子の名を。
 そしてセイバーの王としての治世に決定的な破滅を齎し、彼女の命をも奪った者の名を。


+++


「取り乱しました、申し訳ありませんマスター」

 数分程でセイバーは冷静さを取り戻した。居住まいを正し目を伏せる。彼女の動揺は水晶球に映った少女だけでなく、最早覆しようのない運命によって集められた全ての円卓の騎士に向けられたもの。

 この運命が誰の手によって手繰られたものか、何によって意図されたものかは恐らく誰にも分からない。明確なのは、それぞれの陣営に円卓に名を連ねた者達が在籍しているという事。それぞれ皆が全員に対し浅からぬ因縁を有しているという事だけだ。

 その因果の糸がどのような結末を迎えるとしても、セイバーには目的がある。聖杯を手に入れるという祈りがある。忠義の騎士が立ちはだかろうと、朋友が狂気に堕ちようと、彼女は歩みを止めなかった。

 ならば今更、何を臆する事がある。全てを心の奥底に沈め、かつて玉座にて君臨していた時のように。無情に剣を振るい、立ち塞がる全ての敵を切り捨てるのみ。たとえその相手が──血を分けた己が子であろうとも。

 セイバーの切嗣を見つめる瞳は力強く。先程までの揺らぎは見られない。ここで使い物にならないようならキャスターと自身だけで打って出るつもりだったが、これならばどうにか使えそうだ。

「ではこちらから仕掛ける。手筈は打ち合わせの通りに。イリヤ、留守を任せる」

「……また私だけ除け者なんだから」

「イリヤの力を借りるのはもう少し先だ。イリヤをわざわざ敵の目に晒す必要もない。隠せる札は隠しておきたい。いざという時、僕が一番苦しい時にイリヤには力を借りる事になると思う。だから今は、この場所で待っていてくれ」

「……うん」

 たとえ納得がいかなくとも、イリヤスフィールには頷く他に道はない。この戦いに臨むに際し切嗣と結んだ約束もある。それにもし仮に自分が不用意に動けば切嗣が危険に晒されるとイリヤスフィールは理解している。

 それでも、共に同じ道を歩きたいと、正義の味方の味方になると誓った少女は、膨らませた頬を隠し切る事が出来ず。

「安心なさいイリヤスフィール。貴女のお父さまは、私がちゃんと守ってあげますから」

 魔女はそっと伸ばした手で少女の頭を撫でる。まるでガラス細工に触れるような優しい手つきで。これより戦いに赴く者が浮かべるとは到底思えない、柔らかな笑みを口元に浮かべて。

「私は貴女の剣だもの。私が貴女の代わりを務めるのは当然ではなくて?」

 イリヤスフィールはマスターとしての位階は最高位であっても純粋な魔術師ではない分その実力は不安定だ。
 小聖杯としての機能を利用した彼女だけの“魔術”は確かに驚異的なものだが、戦闘経験のない少女が歴戦の英雄と場慣れした魔術師を相手に立ち回るのは難しい。

 イリヤスフィールはアインツベルン陣営の要であると同時にネックにも成り得る。それを承知している切嗣が、最前線に彼女を立たせたくないと思うのは当然だろう。感情を抜きにしても、戦術に不確定要素を組み入れるのは巧くない。

「うん……キャスター、キリツグをお願いね。セイバーも、お願い」

「承知しています。二人の剣として、恥じない戦いをすると誓いましょう」

 セイバーに揺らぎは微塵もなく。かつて襲い来る異民族を震え上がらせた冷徹な王としての面影が此処に在る。

「迂闊なお嬢さん達に教えてあげましょうか。神代の魔術師の工房に土足で踏み込むその意味を」

 これまで後方で地道な下準備を続けてきた魔術師の英霊が、遂にその真価を見せる時が来た。

 最弱と揶揄される魔術師の英霊。それはあくまで、自身の力のみで他の英霊達とやり合った場合の裁定だ。対魔力を有する三騎士には得意の魔術はほとんど効かず、他のサーヴァント達にも身体能力で圧倒的に劣るが故の評価。

 その下馬評を覆す為、魔女はその手に杖を執る。

 此処は深くて暗い魔女の森。
 そこは遍く全てが魔女の庭。

 ────敵がこれより踏み込む森は、狩人が狩られる狩猟場。

 眠れる森が今、その牙を剥く。


/18


 アインツベルンの森へは深山町から国道を車で一時間。そこから更に一キロメートル程の雑木林を抜けてようやく森の入り口へと辿り着く。

 バゼット達三人が雑木林の中程へと辿り着いたのは、冬の太陽が中天に差し掛かる頃合だった。それというのも途中ブティックで買い物をしたり、二人の着替えにいらぬ時間を取られたからだ。

「ようやく辿り着きましたね。ええ、本当に。いらぬ手間が掛かってしまいました」

「そう拗ねるなよマスター。心に潤いは必要だぜ?」

「人の着替えを覗こうとする事の何処が潤いだ。次やったらほんとに殺すからな」

 女と呼ばれる事を執拗に嫌がるモードレッドの着替えを覗こうとしたランサーはまさに悪乗りのし過ぎである。
 街中でモードレッドが剣を抜いた時は流石のバゼットも肝を冷やした。幸い、場所がうらぶれた公園であった事もあり、人目につくような事はなかったが。

「安心して下さいセイバー。私の喚んだ英霊がそんな下種であるのなら、この手で自害を命じましょう。
 ランサー、私の期待を裏切る事のないように。この手で貴方を害すような事をさせないで下さい」

 へーい、と間延びした声が返ってくる。

 反省の色など見えない声音だ。まあそれでも、彼には彼なりの思惑があってあんな暴挙に出たのだろうとバゼットは自分を納得させる。これより初戦へと臨む自分達の緊張を解す為だったのだと思っておく方が、精神衛生上都合が良い。目を背けているだけだとは、彼女も分かっていたが。

 三人は合図もなく同時に足を止める。雑木林を抜けた先、森の入り口。後一歩を踏み込めば、敵の領域へと届く境界線の上で。

「最後の確認をしますが、今日はあくまで偵察です。自分達の戦力と敵の戦力を把握する事を第一に。無理だと判断すればすぐにも撤退します。その判断は私が行うつもりですが、もし不可能な場合は各々の裁量に任せます」

 バゼットはポケットより取り出した黒地の革の手袋を嵌める。

 これより挑むのは魔術師の工房。それがアインツベルンのものであれ、キャスターの手によるものであれ、一筋縄では行かない事が必至の魔境である。数多の魔術師を捕縛、打倒してきたバゼットとて油断すれば即座に足元を掬われかねない。

 だから警戒は最大レベルで。一歩を踏み込んだ瞬間、空間ごと身体を捻じ切られるくらいの事を覚悟して結界内へと臨む。

「あいよ。任せろ、アンタにゃ指一本触れさせねぇよ」

 現代衣装を覆い尽くす青いボディースーツ。手には血よりもなお紅い槍を携え、ランサーはその眼光を森の奥へと向ける。

「…………」

 そしてもう一人、モードレッドは言葉もなく全身鎧をその身に纏う。華奢な彼女の身体からは想像も出来ない程の重厚な鎧を。可憐なる面貌も今や無骨な兜に覆われ、見る事は叶わない。

「どうした、緊張で声も出せないか?」

 武装してなお変わらないランサーの軽口。視線を向けぬまま、モードレッドは裂帛の意思を声に乗せる。

「ああ、緊張もするさ。手も震えるさ。あの時とは何もかもが違うこの時の果てで。その先で……オレは今度こそ、あの王を越える──!」

 彼女の手の中に呼び起こされたのは青い柄と金の鍔、そして白銀の刀身を持つ剣。僅かに差し込む陽光を照り返す白銀の刃に、血の幻像をランサーは見る。
 明確な想いを抱いて立つ者を茶化す趣味はランサーにはない。たとえそれが歪で捻じ曲がった祈りであっても。肩を並べる者を穢す事を、この男は良しとしない。

 それ以上の言葉もなく、ランサーは前を見据える。緩やかな時間はこれで終わり。この先に待つのは苛烈なる闘争の刻限。彼が求めた、強者との何のしがらみもない戦いが待っている。

「では行きます」

 バゼットの合図と共に三人は結界内へと踏み込んだ。
 眠れる森の、その奥へと────


+++


 冬を間近に控えた十一月、森に乱立する木々からは葉が枯れ落ちている。色を失くした灰色の樹木、大地を覆う黒ずんだ落ち葉だけが森の形を成している。まるでそこはモノクロの世界。一昔前のブラウン管の映像のよう。唯一の違いは、木々の隙間から射す僅かばかりの陽光だ。

 淡い光を頼りに三人は道なき道を進む。周囲からは一切の音が聴こえず、耳に届くのは自分達の足音だけ。獣の息遣いの一つも聴こえず、本当に世界が死んでいるかのように錯覚する。

 人が踏み込まぬ僻地故に道はなく、獣がいないのなら獣道すらもありえない。道行きはランサーが手にした赤槍で地に這う根や蔦を切り払いながら先行し、間にバゼットを挟んで殿はモードレッドが務めている。
 一番脆弱なマスターであるバゼットを守るのは当然の事。この布陣が彼らの警戒レベルの高さを表している。

「……妙ですね」

「ああ……」

 バゼットの独り言にランサーは顔を正面に向けたまま答える。

 森に踏み込んで既に十分ほどが過ぎている。注意深く進んでいる事もあって歩いた距離は然程ではなくとも、ここまで何の異常も見られない事が彼女らにはこの上のない異常のように思えた。

 侵入は間違いなく感知されている筈。衛宮切嗣の思考をトレースした限り、不在という事も有り得まい。ならば何故何も仕掛けて来ないのか。万端の準備を整え、踏み込んだ敵を抹殺する為に今日この日を仕組んだのではないのか。

 あるいは森の防衛機能を捨て、深奥にあるとされる城に防備を固めている可能性も考えられるが、ここまで音沙汰がないと不可思議を通り越して不気味でさえある。アインツベルンは一体、何を考えているのか。

 そこでふと、ようやく異常らしきものが発生した。

 薄く引き伸ばされたかのように視界を染める白色。遠く景色が霞んで朧になる。世界を霞に包む霧が、何処からともなく現われた。

 咄嗟にバゼットは口元を押さえる。霧に偽装した毒の可能性を疑ったからだ。

「いや、こいつは本当にただの霧だ。気を付けておけ、霧に乗じて仕掛けてくるかもしれねぇ」

「ええ。セイバー、貴女も何かに気付いたらすぐに言って下さい」

 その間にも霧は勢いを増し世界を覆っていく。うねった木々が不規則に乱立しているせいでただでさえ悪い視界がより白く閉ざされていく。
 これは異常。異常としか言いようのない速度で広まる霧の目隠しは間違いなく魔術によるもの。ようやくアインツベルンの工房がその本性を表し、迷い込んだ獲物を刈り取らんと牙を剥き出したのだ。

「……セイバー?」

 ただ、それ以上に不可解だったのは後方のセイバーだった。森へ踏み込んで以降かつての饒舌さがなりを潜めていたのは知っているが、応答もないとはどういうわけか。幾ら緊張があるとはいえ、敵地で味方の声に反応しないのは頂けない。嗜めようとバゼットが後ろに振り返り──

「……なっ!?」

 そこに、居る筈のセイバーの姿が跡形もなく消え去っている事に、ようやく気が付いた。

「ランサー、止まって下さい! セイバーがいないっ!」

 幾ら周囲へと警戒網を広げていたとはいえ、バゼット程の手練が真後ろにいる人物の気配が消失した事に気付かない筈がない。本当にバゼットが振り返るその瞬間まではセイバーの気配はあったのだ。落ち葉を蹴散らす鋼の具足の足音もまた響いていたというのに。

 だからこそセイバーが消えた事に気付けなかった。自らの信じる判断力を、あるいは森に踏み込んだその時から狂わされていたのだとするのなら、どうしようと気付ける道理などなかったのだ。

「くっ……!」

 辺りに漂う霧はその濃さを増すばかり。既に数メートル先を見通す事すら困難な濃霧となりつつある。
 セイバーとは分断されてしまったが、彼女もまた歴史に名を残す英傑。幾らここが敵の陣地とはいえ、易々とやられるような事はないと信じ、正面へと向き直ったバゼットの視界には、

「……馬鹿な」

 先の見えない森の景観だけが映り。ほんの数秒前まであった筈の、青い背中が忽然と姿を消していた。

 ────有り得ない。

 余りに異常すぎる現象を前に、バゼットは混乱を通り越し冷静さを取り戻した。幾つもの魔術工房を突破してきたバゼットをして理解の及ばない域の神隠し。こんな業が現代の魔術師に、ましてや錬金術の大家に可能である筈がない。

 ならばやはり、この森の主はキャスターであろう。恐らく、神代レベルの魔術行使を可能とする魔術師の英霊である事はほぼ確信となりつつある。

「…………」

 口を引き結び、神経を尖らせる。身体の随所には既にルーンを刻み終え、拳は最速で標的を撃ち抜けるよう胸の前で構える。

 複数の敵を相手取る場合、有効な手立ての一つがこのような分断からの各個撃破。それも狙うのなら最も弱い箇所から襲うのが効果的だ。
 ましてや、サーヴァント達はマスターからの魔力供給によって肉体を維持しているのだから、マスターを斃せば弱体化は必至である。この場面、バゼットを捨て置きサーヴァントを狙う理由がない。

 身体の芯が告げる警報は最大レベルで鳴り響いている。
 ただでさえ見通しの悪い樹海の只中だというのに、加えて視界は霧によって閉ざされている。

 頼れるのは唯一、音のみ。
 足元を埋め尽くす枯れ葉が敵の接近を教えて、

「────ッ!?」

 無音のまま、まるで風を蹴ったかのような速度で白銀の影が迫る。一瞬早くその動きを感知出来たのは、不幸中の幸いとも言うべきか、周囲に漂う霧の恩恵。気流の流れまでをも誤魔化せなかったのか、僅かに揺らいだ白靄が奇しくもバゼットの反応を助けた。

 とはいえ影の速度は神速。どれだけ鍛えようと人の領域に留まるバゼットをして、目で捉えるのが精一杯の恐るべき加速。

 霧を突き破り現われる白銀。目視。手には何か、視えない武器を持っている。翠緑の瞳が獲物を見据える。目が合う。その時既に相手は目の前。振り上げられた不可視の剣が、断頭台の刃のように落ちてくる。

 秒にも満たない刹那の時間が、コマ送りの如く裁断されていく。引き伸ばされた時間。終わらないフィルムの再生。ああ、これが死の間際に見る走馬灯なのかと、まるで他人事のように見つめる……ような諦めの良さが、彼女にある筈もなく。

「ッ……ァア──!」

 腹の底から吼える裂帛の気勢を以って、見開いた瞳で刹那の中の永遠を見る。迫る断頭台の刃に合わせる形で、渾身の拳を繰り出した。

「…………ッッ!!」

 剣を不可視足らしめる風と接触し削られる腕。風の鞘は突き出した拳を容赦なく削っていく。革手袋に刻んだ硬化のルーンが諸共に消し飛ばされる。真正面から受けていれば腕の防御ごと貫通し、袈裟に胴を斬られていた事だろう。
 バゼットは死の瞬間、剣の軌跡を逸らす事だけに専心し、ダメージは確実なものと受け入れる事で死中に活を見出そうとした。

 けれどそんな生温い一手を許してくれるほど、目の前の敵が手緩い筈もなく。

 繰り出した腕は回転を止めない掘削機のような斬撃に弾き飛ばされ、白銀の影は着地と同時に身を捻り、返す刃が下段から命を獲りに来る。冷静に冷酷に無感情に。命を刈り取る為だけに振るわれる白刃が、二度は逃がさぬと迫り来る。

 体勢は不十分。渾身の一撃は砕かれた。打つ手はない。逃げ場もない。だがしかし。こんな緒戦で敗れてたまるものかという気合だけで、バゼットは決死の二撃目──残る左腕の一閃に全てを賭けた。

「…………ぐっ!」

 二撃目を繰り出した瞬間、バゼットは跳んだ。下方から振り上げられた相手の力を利用し無理矢理に後方に跳び距離を離したのだ。距離を離した、というよりも純粋に吹き飛ばされたという方が正しいか。

 空を舞うバゼット。両腕を犠牲にして得た僅かな猶予。この刹那の間隙に、己の最善を出し惜しむ事なく札を切る。

「────ランサー、来なさいッ!」

 血塗れの右腕が灼熱し、刻まれた令呪の一画が消えて効果を為す。キャスターの姦計により分断された己がサーヴァント・ランサーを、地形も幻惑もありとあらゆる全てを無視してこの場へと呼び寄せる。

 バゼットが令呪起動の言葉を謳うのと同時。白銀の影──セイバーは既にスタートを切っており、バゼットが無策のまま着地していれば今度こそ防御さえままならぬままに両断されていた事だろう。

 しかし言葉は紡がれた。此方と彼方を結ぶ道が創造され、招かれし槍の英霊が主を守る為に立ちはだかる。

 バゼットは窮地に際し最善を選んだ。踏み込んだ森の悪辣さと彼女の迂闊さには関係がない。ただ自らが最善を選んだのなら、相手もまた最善の一手を打っていないと何故楽観出来るのか。

 マスターを相手に最優のセイバーを動員するのは確かに最善。だが剣の英霊の主は、あの悪名高き衛宮切嗣である事を、忘れてはならない。

 令呪が発動しセイバーとバゼットの間にランサーが突如現われた直後。
 白銀の剣士と青の槍騎士が火花を散らした刹那。
 空中で体勢を立て直し、無事着地したバゼットに、

「……が、っ」

 その背後から、梢の隙間を縫い、魔術師殺しの凶弾が放たれた。

 霧深い森の中でさえ照星に狂いはなく。
 合わせられた照準の上を走った弾丸は、確かに心臓を貫いた。


+++

「ん……?」

 モードレッドが違和感に気付いたのは、二人と完全に逸れた後だった。

 目の前に確かにあった筈のバゼットの背中が霧の中に霞むように消えるまで、完全に騙されていた。
 いつの間に本物と偽物が摩り替わったのかさえ分からない程精緻な偽装。モードレッド程の使い手の目を欺くほどの鮮やかな手並み。これが現代の魔術師の仕業でない事は、彼女もこの時確信した。

「へぇ……最弱とか言われてても、腐っても英霊だな。完全にしてやられた」

 彼女がスキルとして保有する対魔力はあくまで彼女自身に向けられた、放たれた魔術に対する抵抗力を示すもの。空間、地形、大気、つまり本人ではなく周囲に対して施される魔術には対魔力は意味を為さない。

 視界を閉ざす霧に乗じて行われた分断作戦。二人とは逸れてしまったが、彼女に焦りはない。
 此処は敵地。ましてやキャスターの工房だ。分断からの各個撃破など、モードレッドだけでなくバゼット達も可能性としては考慮していた筈だ。

 埒外だったのはキャスターの手腕が想定の上を行った事だけ。焦りを滲ませるような事態ではない。そしてこの程度の困難を突破出来ない相棒達であるのなら、手を組む意味はないと切り捨てるだけの冷酷さがモードレッドにはある。

 偽物の幻影に誘導され、そのまま森を歩き続けていたモードレッドは、やがて開けた場所へと辿り着く。木々がその区画だけ伐採されたかのような広場。三十メートル前後の広さの空間で、足を止める。

「分断からの各個撃破……狙うなら最も弱い部分から。ならオレやランサーには、雑魚で足止めってところか」

 その言葉に呼応するように、地中から這い出す骨の群れ。それは竜の歯から精製された竜牙兵と呼ばれる使い魔の一種。並の魔術師でも対応が可能な雑兵だが、今目の前に現われた兵の数は五十を越える。

「戦略のお手本みたいな兵の使い方をする。ただ少し、お行儀が良すぎるな」

 モードレッドは手にした白銀の剣を器用に回転させ弄ぶ。自らの初陣の相手としては些か物足りないが、本番前のウォーミングアップには丁度良い。

「はっ……!」

 全身鎧を身に纏いながら、その重さを感じさせない跳躍からの剣の投擲。五十、今まさに更に増え続ける竜牙兵のど真ん中目掛けて渾身の一投を空中から見舞う。
 骨の群れの中心に放たれた剣。さながら弾丸めいた勢いで地に落下した剣は着弾点にいた兵達を木っ端の如く粉砕する。大地との衝突の余波で更に数体を巻き込み、砕け散る骨が舞うその只中に、モードレッドは華麗に着地する。

「ふっ……!」

 自らの放った剣を握り直し、周囲を囲まれてなお見えない口元に笑みを浮かべ、囲う円の一点目掛けて地を蹴り上げる。
 片手で器用に白銀の剣を振り回し、様々な得物を持つ竜牙兵の只中へと突貫し蹴散らしていく。時に剣で、時に拳で。果ては相手の武器を奪い投擲するような暴挙さえも、この騎士が行えば一つの技のように思える。

 彼女の剣には型がない。澄み渡る水面を斬るような美しい剣閃は描けずとも、野獣のような荒々しい剣舞で並み居る兵を薙ぎ倒していく。
 霧の中に舞う骨の破片。まるでそれは雪花の如く舞い散り、その中心で踊るモードレッドはさながら舞台役者のような華々しさで踊り続ける。

 モードレッド自身が言ったとおり、竜牙兵など所詮足止めに過ぎない。どれだけ数を揃えようと、サーヴァントを相手に回しては力不足に過ぎる。
 かと言って彼女もただ敵と戯れているわけではない。斬っても斬っても増え続ける雑兵を相手にし続けるのは敵方の思う壺だ。

 縦横無尽に走り、敵を薙ぎ払うその一方で、意識は別の方向を向いている。不明瞭な視界の先、分断された味方の行方を探す手掛かりを掴む為に。
 闇雲に動き回ったところでこの霧の迷宮は脱せまい。この森自体がキャスターの張った罠の一つなのだ。行き着く先を想定出来ないままに歩き回れば、それこそ本当に森に飲み込まれてしまうだろう。

 バゼットとの繋がりのないモードレッドでは彼女の位置を掴めない。だから感じ取るべきなのは戦いの気配。火花散らす剣戟の余波。
 ただ気配を察知しただけでは森を抜ける事は難しいかもしれない。しかし彼女にはその身に宿す直感がある。第六感とも言うべき研ぎ澄まされた感覚が。

 この直感をも欺いたキャスターの手腕は賛嘆に値するが、二度はない。一度掴んだ戦いの気配ならば、その糸がどれだけ細かろうと離さず辿り着く。

 その先には────あの王が居る筈なのだから。

「……見えたッ!」

 地を蹴る足に込められた莫大な魔力を推進力へと変え、モードレッドは確信を得た方角へと駆け出した。
 竜牙兵は掃除済みであったが故に彼女の道行きを阻むものはもう何もない。霧の視覚妨害でさえ、彼女には何の意味も為さない。

 高鳴る胸の鼓動を頼りに少女は森を駆け抜ける。
 鋼の具足を打ち鳴らしながら、一路戦場へ。
 その足取りは、まるで焦がれた星を追いかけるかのように。


/19


 銃弾が放たれた甲高い音と、剣と槍が衝突する剣戟音が同時に木霊する。

 最優の斬撃を食い止めた最速の槍。しかしそれまで。前門の虎の爪を凌げても、後門に潜んでいた狼の牙は、獲物の心臓を食い破った。
 霧の中に咲く血の仇花。容赦なく無慈悲に過たず。放たれた凶弾はバゼット・フラガ・マクレミッツの心臓を貫いた。

「…………」

 梢に身を潜め息を殺していた魔術師殺しが姿を見せる。無言のままコンテンダーに銃弾を再装填し、地に倒れ伏した女魔術師を感情の色のない瞳で見つめた。
 人一人を殺す事に衛宮切嗣は何の感慨も覚えない。何度となく通ってきた道だ。ただ、銃という武器はその点で最良だ。手には何の感触もないまま、引き鉄を引いただけで生物の息の根を止められるのだから。

 仰臥し、血を吐き出し続けるバゼットから青い背中──ランサーへと視線を移す。その向こうに見えるセイバーの表情に、僅かな違和感を覚える。

「ランサー……」

 ギチリギチリと鬩ぎ合う剣と槍。一歩も引かぬまま至近距離で睨み合う二人。不可解を抱いたのはセイバーの方。だって、

「何故貴方は笑っている? 己がマスターが斃されたというのに」

「────ハッ」

 詰まらない事を訊く、とで言いたげに。鼻で一笑に附す。

「そりゃ当然だろ。だってよ、オレのマスターがこの程度で死ぬようなタマなわきゃねぇだろ……!」

 渾身の鬩ぎ合いを制しランサーはセイバーを弾き飛ばす。そのまま追い縋る事をせず、跳躍を以って一旦バゼットの傍らへと後退する。
 枯れた木々が乱立し、最低限の足の踏み場しかない狭い道。その中心に槍騎士と魔術師がおり、二人を挟む形で剣士と魔術師殺しが睨み合う。

 前方と後方、両方への警戒を怠らぬままランサーは呟く。

「いつまで寝てる気だおい。こんなところじゃ風邪引くぜ」

「……そうですね、隙あらば反撃を試みようと思っていたのですが、そう巧くはいかないようだ」

 むくりと身体を起こすバゼット。先程まで血を吐き出し続けていた穴は塞がっている。致命傷を与えた残滓として、臙脂のスーツに血痕が刻まれていた。

「死者の蘇生……? 馬鹿な……」

 セイバーの驚愕も当然だ。死んだ人間を生き返らせる事は不可能だ。魔術であろうと科学であろうと起きた結果は覆せない。唯一可能とされる魔法など、この場にある筈もなく。ましてやバゼットはその使い手ではない。

 ただ例外と呼ばれるものはいつの世にも存在する。死んでしまった後に蘇生を行う事は不可能であっても、死を前提として発動する蘇生を事前に仕込んでおけば、不可能を可能へと偽装出来る。

 それは神代の魔術を以ってしても困難を極めるもの。宝具クラスの奇跡でなければ為しえない、途方もなく魔法に近い極点の一。

 蘇生のルーン。

 神代より続く家系の末裔にして特級のルーン魔術の使い手である彼女だからこそ行えた奇跡の法。バゼットが聖杯戦争に臨むに際し用意した切り札の一枚。

 ……まさかそれを初戦で失う事になるとは思いませんでしたが、仕方がない。これは私が招いた結果なのだから。

 敵の魔術工房に挑む困難さを知っていながら甘く見た。決して侮ってはいなかったが、容易くその上を行かれた。ならばその損失は当然で、生きているだけで儲けものだと考えるべきだ。

 事実、キャスターの工房としてはまだ序の口程度しかその罠を見ていない。霧の視覚妨害と分断の為の幻惑。そして恐らくモードレッドの足止め程度。
 規模や質が最高クラスであるのは疑いようのないものだが、結局まだその程度しか工房の力は露見されていない。真価は恐らく、まだ奥にある。

 ただそれでも、最優の騎士と悪辣なマスターがいれば途端に難攻不落の要塞と化す。不落の前衛がいる限り、この森を陥落させるのは容易な事ではない。
 それを知れただけでも重畳。払った犠牲に見合うかと言われれば否だが、己の迂闊さが招いた結果は甘んじて受け入れるべきだ。

「ランサー」

「ああ、一旦退いた方がいい。が、それも容易くはねぇな」

 互いに背中を合わせ敵手を見る。鋭く刺すような視線を放つセイバーは、こちらが動けば即座に踏み切ると告げている。冷徹な瞳を湛える魔術師殺しもまた、指をかけた引き金を引く瞬間を狙っている。

 蘇生をしたとはいえ、あくまでそれは死を覆しただけに過ぎない。セイバーとの激突で痛めた両腕は死んだままであり、拳より滴り続ける血は止め処なく。それもあり撤退を願ったのだが、霧の発動を遅め、森の奥深くへと誘われたのは、敵を逃がすつもりなど毛頭ないからであろう。

「内輪での相談もいいけれど。此処が戦場だって事、まさか忘れてはいないわよね?」

 声は遥か頭上から。

 空を覆う木々の天蓋の向こう、太陽を背負う影を望む。蝙蝠のような禍々しい翼を宙に広げ、この空は我が物とでも謳うかのように堂々と天に座す。
 手には銀の錫杖。ゆらりと杖先が動けば、しゃらんと鈴の音が鳴り響く。

「ようこそ我が庭へ、歓迎するわお嬢さん。そしてさようなら。私の領域に土足で踏み込んだその迂闊さを、死を以って償いなさい──!」

 天空に描かれる無数の魔法陣。瞬間契約(テンカウント)にも匹敵する大魔術を、錫杖を振るうその一動作で完結する。
 神代の魔女の本領、この森に満ちる魔力は全て彼女のもの。大気中のマナを貪り、マスターから無尽蔵の供給を得て、今──最弱がその牙を突き立てる。

「ランサーッ!!」

 バゼットの叫びよりも早くランサーは手にした槍の穂先を地に走らせ、ルーンの守護を敷く。次の瞬間、天から降り注ぐ巨大な光の柱。幾重にも折り重なる光の束が、たった二人を殺す為に容赦なく降り注ぎ、居並ぶ木々をすら巻き込み蹂躙する。

「おらぁ……!」

 防護のルーンを敷いた上に、更にランサーは槍で極光を弾き防ぐ。槍兵の対魔力では完全に無効化する事は出来ない。バゼットは言わずもがな。空に鎮座されては、彼女に打つ術はない。

 そしてこの場には唯一人──降り頻る光の雨をものともしない英雄がある。

 最高ランクの対魔力を有するセイバーは光の雨が舞う戦場へと突貫する。被弾を恐れる必要はない。彼女の身には如何なる魔術も通用しない。たとえそれがキャスターの深奥であろうと、魔という術で括られたその悉くをセイバーは弾き飛ばす。

 空からの掃射に気を割かずにはいられないランサーの横っ腹を切り裂かんとセイバーは迫る。今ランサーが手を止めれば、バゼットが無防備に晒される。
 故に選択は二つに一つ。キャスターの魔術で塵も残さず消え去るか、セイバーの剣で両断されるか。

「ハッ──なら両方まとめて相手すんのが英霊の意地ってもんだろうがッ!」

 手にする槍のリーチを活かし、セイバーが懐に入るのを阻みながら、空から襲い来る光弾をすら凌ぐ。そんな無茶を、槍兵は現実のものとする。
 敷いたルーンの防護と致命を避ける事に専心する事でキャスターの魔術をやり過ごし、神速の打突と薙ぎ払いを駆使しセイバーの猛攻を押し留める。

 守勢に長けた彼だからこそ可能にした防衛戦術。生前何かを守りながらの戦いを余儀なくされた男の、培われた修練と類稀なる才の結実。

 自らのサーヴァントが吼え声を上げ、決死の中で抗うその最中、マスターはただ膝を抱えて震えていたわけではない。
 痛んだ両腕に治癒のルーンを刻み僅かでも回復を試みる。その間も、視線はこの場にいるもう一人のマスター、衛宮切嗣を捉えて離さない。

 サーヴァント達の戦場に乱入するのは自殺行為にも等しい。バゼットが持つもう一枚の切り札があれば別だが、今回は偵察に徹する腹だった事もあり持って来ていない。仮に持参していたとしても、こうまで乱戦の体を為してしまっては使用は難しいだろう。

 だからバゼットは切嗣の動向を観察する。相手とは距離があり、ランサーの敷いた守護陣の外に出ればキャスターの光弾に晒される。銃器を武器とする相手とやり合うには、些か分が悪い。

 それでも目を離すわけにはいかない。バゼットが封印指定の執行者として活動するその前に実質引退したも同然とはいえ、これまでの戦いを見る限り魔術師殺しの腕に衰えは見られない。

 戦いになれば勝算はある。接近出来ればそれだけで勝ちを奪える。バゼットと切嗣が戦うのなら、その勝敗の分かれ目は自分に優位な間合いを維持出来るか、肉薄出来るかに終始する。

 今の距離は切嗣の間合い。せめて余計な動きをさせぬよう監視を怠らない。バゼットの思いも拠らぬ一手で戦況を覆しかねない恐ろしさが、あの男にはある。

「…………?」

 その時、バゼットが警戒しているのと同様に切嗣も彼女を警戒していたのだが、何を思ったか、男は視線を切り梢の向こうへと消えていく。霧深い森の中、一度標的を見失えばもう追い縋る事も出来ない。

 ……退いた? 何故?

 状況はアインツベルン陣営の優勢。ランサーはその身を剣に、魔術に晒されながら耐えている。血を流しながら獣じみた形相で襲い来る必至の刃を押し留めている。
 だがそれだけ。結局このままではいずれ押し切られる。天からの物量攻めと横合いからの乱舞の波状攻撃。

 サーヴァント二騎の猛攻を凌いでいるランサーの勇猛は賞賛に値するが、打開策を見出さない限りはいつか膝を屈すると彼自身も理解している。
 詰めの一手を打つのなら今だ。更なる物量で押し込めば、ランサーとバゼットはもう打つ手がないというのに。

 理由は不明ながらに魔術師殺しが退いた。ならばこちらにも打つ手はある。バゼットが次なる行動に移ろうとしたその刹那、ランサーと鎬を削っていたセイバーもまた退き、代わりに頭上より振る光の束がその数を増す。

 次の瞬間、霧が晴れる。退いたセイバーの手にする不可視の剣を不可視足らしめる風の檻が解かれ、暴虐の風が辺りを蹂躙する。白日の下に晒される黄金の剣。眩き輝きを宿す聖剣が、その刀身を審らかにする。

 ……衛宮切嗣が退いた理由はこれかッ!

 敵は一気にケリを着けに来た。アインツベルンが有する最大戦力、その一撃を以ってサーヴァント諸共マスターごと粉砕するつもりだ。切嗣が退いたのはその為。セイバーの射線から逃れる為だ。
 キャスターが足止めをし、僅かな猶予を作れば後はセイバーが全てを決する。先の鬩ぎ合いも、所詮は児戯に過ぎないと。

 英霊の本領は宝具にこそある。セイバーの一刀は全てを決するだろう。対してこちらのランサーは、槍の力を開帳する暇さえも与えられない。

「ランサー、宝具を──! この場は私が持ち堪える……!!」

「チィ……了解だ……!」

 癒しのルーンで幾らか回復した拳に再度硬化のルーンを刻み、天から降り注ぐ光の雨を迎え撃つ。バゼットの拳ならば幾度かは耐えられる。
 ランサーほど器用には立ち回れないが、彼が宝具を発動する猶予くらいならば稼いで見せる。

「はぁあああ……!」

 十条にも昇る光の同時落下を拳の乱打で防ぎ切る。死ななければ安いと割り切り、直撃だけを避ける事に専念する。
 主の言を信じ、ランサーは槍を構える。地を擦りそうなほど穂先を沈め、怜悧なまでに気を高めていく。

 その時、遥か天空に座する魔女の口元が僅かに歪んだ気がした。

「“約束された(エクス)────」

 開かれた宝剣。振り上げられた刃。魔力を高めていく槍。だが一手遅い。相手の必殺を目視した後に行動に移ったランサーでは、ほんの僅かに起動が間に合わない。周囲の魔力を食らい発動の糧とする魔槍は、この場を支配する魔女の理の前に敗れ去る。

 高まる黄金の光。この世で最も尊き栄光の具現。全ての騎士達の夢を束ね、遍く人々の祈りを集めた至高の聖剣が今──振り下ろされる。

 剣が神速で以って振り下ろされる間隙。
 刹那すらも遠い一瞬。
 槍の発動の間に合わぬランサーが、苦悶と共にその目の端に捉えたのは。

「────勝利の剣(カリバー)……!”」

「“我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)……!”」

 勝利を約束された剣が振り下ろされる瞬間に僅かに遅れる形で、横合いの木々の隙間を縫い飛び出した全身鎧に身を包んだ少女は、手にした赤黒く、血の色へと変色した剣を無型のままに振り抜いた。


+++


 極光と赤雷が波濤となってぶつかった瞬間、先程まで森を覆っていた霧をも上回る白煙で包み込んだ。

 煙が晴れたその後には、つい一瞬前まであった筈の森が消え去っていた。黄金の輝きと赤き稲妻は、その余波で周囲一帯に乱立していた木々の悉くを消し去った。後に残ったのは荒涼とした広場。草の根一つない荒地。英霊の放つ宝具は、それほどの爪痕を残し残光と共に消え去った。

 されど、これでも被害としては最小だ。セイバーが全力で放った一撃ならば、その射線に存在する全てのものを無に帰した筈だ。しかし結果はそれなりの広さのある荒地を作り上げただけ。至高の一撃を食い止めたのは、奇跡にも等しい一瞬に身を呈して飛び込んだ一人の少女の戦果。

「ッ痛……流石に、あんな体勢じゃ完全には防げないか」

 広場の中心に立つ全身鎧。その半身は鎧が欠けて砕けている。焼き付いた左手は、浅黒く変色していた。
 十全の体勢から聖剣を放ったセイバーに対し、モードレッドは半ば無理矢理に宝具を発動したのだ。完全に相殺する事など出来る筈もなく、僅かにその軌道を逸らす事が精一杯であった。

 そもそも聖剣というカテゴリーにおいて頂点に位置する星の聖剣の一撃を、国の宝とはいえ人の手によって鋳造されたただの名剣に押し留められる道理はない。位階が違うとなれば尚更だ。

 ただこの剣と、担い手である彼女だけはその例外。

 クラレントはその銘の通り、“麗しき父への叛逆”の象徴。彼女が王位を奪う為に宝物庫より持ち出した戴冠の剣。国を乗っ取り、玉座を奪い、古き王と相打った逸話は、ただの宝剣を聖剣の担い手に通ずるまでに押し上げた。

「お久しぶりですアーサー王……と。この程度の挨拶は、既に忠義の騎士より聞き飽きておられる事でしょう。
 ですので私はこう言いましょう。お久しぶりです、“父上”」

「モードレッド卿……」

 顔を覆い隠していた兜は宝具発動の際に解除されており、今は瓜二つの顔を持つサーヴァントが互いの面貌を見つめている。
 セイバーはモードレッドの顔を見たのは二度目。あのカムランの丘での対峙の際、槍に貫かれ崩れ落ちる間際に割れた兜の向こうに見たその顔を、二度とは見る事はないと思っていた顔と再び合間見える事となった。

 これは運命の悪戯か。宿命の奔流か。生前果たされなかった願いを宿し、円卓に集いし王と三人の騎士は、この現世へと舞い戻った。

「アーサー王、貴方には言いたい事が、突きつけてやりたい事が山ほどある。だがこの状態で貴方と剣を切り結べると思い上がるほど、私は驕ってはいない。故にこの場は退かせて頂きたい」

 彼女の背にするバゼットとランサーは、その言葉使いに驚いた。平時の彼女の男勝りな口調はなりを潜め、慇懃ではあるがまだまともな言葉を使っている。彼女は生前、礼節に篤い騎士であった。その心が、憎しみに囚われるまでは。

「……それを私が許すとでも?」

 ほぼ無傷の騎士王が黄金の刀身を晒したままの聖剣を握り直す。己の最大威力の一撃を防がれてなお彼女には揺るぎがない。無情の王には、揺らす心がそもそもないのだ。

「でしょうね。貴方は私達を逃がさないでしょう。私を己が子としてでなく、かつて仕えた騎士としてでなく、叛逆の徒としてですらなく。ただ目の前に立つ敵として、裁断の剣を振り下ろす」

 かつてと何の遜色もない王の姿。焦がれ、憎悪した父の無感情な瞳に射竦められてなおモードレッドは口元に笑みを浮かべる。その瞳をいつか、本当の“己”に向けさせる事こそが──かつて彼女が願った祈りであったから。

 本来ある筈のない二度目の機会を得た。
 共に聖杯に招かれたという数奇なる命運に感謝しよう。
 千分の一、万分の一の奇跡が描いたその果てで、今一度この剣は叛逆を行うのだ。

「バゼット、ランサー、行けるか?」

 背後を振り向かぬままモードレッドが問う。

「ええ、無論です。それと、遅れましたが感謝を。助かりました」

「気にするな、お互い様さ。流石にあの二人を相手に一人で立ち回るのはキツイんでね」

「数の上じゃこれで同等。消えたセイバーのマスターの行方と姿を見せないキャスターのマスターの存在は気に掛かるが、今は」

「ああ。この包囲を突破する」

 ランサーが空を仰ぐ。宝具の激突以降鳴り止んだ光弾の爆撃。その間キャスターは何もしていなかったわけではない。
 円形に刳り貫かれた広場の向こう、木々の合間から湧き出すのは竜牙兵。モードレッドの足止めに放たれた数と同等か、なお上回る軍勢が進軍してくる。雑兵とは言え数が数だ。ましてや、そこにセイバーが紛れ込むのなら一筋縄ではいくまい。

「お話は終わった? では第二幕と洒落込もうかしら────」

 天に座すキャスターが今一度錫杖を振るい、開戦の合図をあげようとしたその時。

 きぃん、という耳を劈く金切音が森の空に木霊する。意識を眼下の戦場に向けていたキャスターの耳にその音が届いた時、ソレは既に目前へと迫っていた。

「なっ……!?」

 驚愕と共に振り仰ぐ先にあったのは一条の矢。
 螺旋を描いた刀身を持つ、一振りの剣。

「くっ……!」

 反射めいた動きで半身をずらし、咄嗟に放とうとしていた魔術をキャンセルし防護の盾を敷く。されど急造の盾であった為か、あるいは込められた魔力が想定を超えていたか、直撃を免れてなお矢が擦過していくその余波で、キャスターの纏う紫紺のローブはズタズタに引き裂かれ、森の彼方へと落下していく。

「キャスター……!?」

 頭上を仰ぐセイバーはそこでようやく合点が行く。

 その一矢は遥か彼方、己の認識外、恐らくキャスターの結界外より放たれたもの。こんな真似が可能なサーヴァントはあの赤い弓兵以外にいない……!

「走れバゼットッ!」

 アーチャーの奇襲によりセイバー、キャスター両名の意識が逸れた一瞬にランサー達は竜牙兵の包囲網を一点突破する為に広場に背を向ける。
 弓兵が何を思いこのタイミングで奇襲を仕掛けたのかは分からないが、これは千載一遇のチャンス。今この時を逃せば、二度とはこの森を抜け出す事は出来ない。

 赤い槍が並み居る兵を一息に薙ぎ払い、白銀の剣が一閃の下に両断する。硬化された拳はいとも容易く竜牙兵を粉砕し道を抉じ開ける。

「……逃げられましたか」

 セイバーが地上に視線を戻した時にはもう三人の姿は消えていた。追おうと思えば可能であり、彼らを相手に回しても立ち回れるだけの自負はある。

「今はキャスターの容態を確かめる方が先決か。マスターもまた、これ以上の戦闘行為を望んではいまい」

 この森での優位はキャスターの存在あってのもの。彼女を失う事はアインツベルンの戦力を半減するにも等しい。今や完全にタッグ戦となった今次の聖杯戦争において、単身で勝ち抜く事の困難さは身に沁みて理解している。

 深追いをし、予期せぬ反撃を食らうような無様は今後の作戦行動に支障をきたす。戦果は充分以上、敵の戦力も把握が出来た。

 バゼットの両腕を砕き蘇生を使わせ、ランサーには無数の傷を刻み付けた。そしてモードレッドは片腕を負傷した。それでなおセイバーには傷らしい傷はない。アーチャーの横槍がなければ、キャスターもまた傷を負う事はなかっただろう。

 これが己が陣地で戦うという事だ。揺らぐ事のない優位を約束する魔術師の工房。無欠の城塞。不落の神殿。
 ただ憂慮すべきは、敵はまだ力の全てを見せてはいないであろう事。次があった時、今回と同じだと高を括れば足元を掬われるのはこちらだ。

 無論、手の内の全てを披露していないのは、こちらも同様だが。

 セイバーは広場に背を向け歩き出す。
 キャスターが落下したと思われる方角へと向けて。
 一度だけ、背後を振り返った。
 何もない荒涼とした広場を眇め、言葉もなく歩みを続けた。


+++


 セイバー達と対峙した戦場から一目散に逃げ出す間、可能性として考慮していた工房の妨害はなかった。主たるキャスターが傷ついた為にこちらにまで手が回らないのか、いずれにせよひたすらに森の入り口へと邁進する。

「しかしおまえ、いいタイミングで飛び出してきたなぁ。まさか、狙ってたわけじゃないよな?」

 ランサーが半眼で隣を駆けるモードレッドを見据える。

「馬鹿か。あの時のオレにそんな余裕があるもんか。でなけりゃこんな傷を負う筈がないだろうに」

 今なお治癒しない左腕。片手でさえ器用に剣を振り回すモードレッドにしてみれば、片腕を失う程度は然程の痛手にはならないが、それでも同格以上の相手と戦うのなら万全の状態こそが好ましい。

「そうですランサー。モードレッドは私達を助ける為に片腕を失ったのです。感謝こそすれ茶化すなど論外だ」

「……分かってるよ。おい、アジトに戻ったら腕見せろ。治してやる」

「殊勝なランサーってのも何だか気持ち悪いな……」

「何か言ったか?」

「いいや何も……ふふん、そうだ、オレはおまえ達を助けたんだ。ほら、褒めてもいいんだぞ?」

「ええ、見事でした。彼の王の手にする星の聖剣と真っ向から打ち合ってなお譲らなかった貴方がいなければ、私達の聖杯戦争はあの場で終わっていた」

 足りなかったのは覚悟の量。届かなかったのは覚悟の差。魔術師の工房に踏み込むその意味を、真に理解していなかった。
 幾つもの魔術工房を突破してきたという自負が、知らずバゼットの中で驕りとなって油断を生んだ。ラックを持って来なかったのがその証。あれがあれば、まだ別の展開もあった筈だ。

「モードレッドが繋いでくれた戦いだ。こんな無様は二度と晒すものか」

「ああ、負けるのは一度で充分だ。次は勝つ」

 二人は己の心を深く戒め、一人は賛美に鼻を高くする。違いはあれど弛緩した空気。つい今し方まで敵と死闘を繰り広げていたとは思えない空気だが、これが彼女達の持ち味だ。血眼で聖杯を求める他の陣営には、こんな撓んだ空気は有り得まい。

 雑談の花を咲かせながら、それでも誰もが周囲への警戒を怠らぬまま、やがて森を突破する。薄暗い森の結界を抜けた先にはまたもや雑木林が広がるが、ここまで辿り着けばほぼ安全圏。

 その隙を縫うかのように、

「こんにちわ、魔術協会の魔術師さん。ちょっとお時間いいかしら」

 林の奥から姿を見せる、赤い主従。

「遠坂凛……と、アーチャーですね」

 弛緩した空気が今一度張り詰める。そう、バゼット達が無事離脱できたのはアーチャーの横槍のお陰だ。あの一矢がなければ、どう展開が転んでいたかは分からない。

「あら、封印指定の執行者にまで名前を覚えて頂けているなんて、光栄ですわ」

「ええ、貴女の噂は時計塔でも耳に届きます。何でも遠坂の長女は稀代の才媛であり、既に輝かしい将来を嘱望された期待のルーキーだとか」

 事実、凛の鳴り物入りでの時計塔入学は確定している。この戦いを無事終えれば、遠坂の家長の名と聖杯戦争の勝者の栄誉を携えて、彼女と同等以上の天才達が蠢く魔窟へと足を踏み入れる事になる。

 その中でさえ遠坂凛の輝きは色褪せず、より華々しい煌きを放つだろう。長く時間を掛けて研磨された宝石が、その輝きで人々を魅せるように。彼女はいずれ時計塔に名を残す魔術師となる。

「噂には尾ひれが付くものですから。鵜呑みにされていないと信じます」

 とはいえ凛はまだ何の栄誉も手に入れていない若輩者。あらぬ尾ひれがついているのは事実だが、凛はそれを現実のものとする気でいる。そう出来るだけの実力が、彼女には既にある。

「それで、何用ですか遠坂凛。貴女が何を思いアーチャーにキャスターを狙わせたのかは不明ながら、助けられた以上は礼を言いますが、それとこれとは話が別だ。無茶な用件ならば然るべき対応を取らせて頂きますが……?」

 畏まった言葉使いと口元に湛えた微笑を崩さない凛にバゼットは言葉の剣を振り翳す。戯言に付き合う謂れはない。こんな場所で足を止めて雑談に興じていては、背後から聖剣の光が降って来ないとも限らないのだから。

「そうね。腹の探り合いをしてる場合でもないし。用件だけ単刀直入に言うわ」

 被っていた猫を脱ぎ捨て、凛は顔に掛かる髪を払いながら、細めた瞳と口元に妖しい笑みを形作りながら言った。

「────ねえ、私達と手を組まない?」

 そんな、今後の展開に一石を投じる誘いを。













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