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scene.05












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 遠坂凛とアーチャーが何故アインツベルンの森へと赴き、火花散らす二陣営に対し横槍を入れたか、それを知るには数時間ほど時を遡る。

 バゼット・フラガ・マクレミッツが冬木教会を訪れ、辞した後。宝石仕掛けの通信装置を用い時臣に対し報告を入れようとした綺礼からの連絡を受け取ったのが、凛であった事に端を発する。

 折悪く席を外していた時臣の代わりに報告を受けた凛。常の彼女ならばその業務連絡じみた内容の言葉を一言一句違えず父に報告して終わりだったであろう。綺礼の言葉に何を思う事もなく、感情の起伏もないまま淡々と伝えてそれで仕舞いであった。

 だが何を思ったか、この時凛は父に報告をせず、更には独断でアーチャーを伴い現地へと直接赴くというおよそ今までの彼女からは考えられない行動を取った。
 冷徹な魔女。唯一人で完結した人間。機械めいた人形。無駄を殊更に嫌い、感情の機微を失くした冷血漢。

 父の言葉には異論の一つも挟む事もなかった彼女が取ったその異常とも取れる独断専行を質すのは、彼女の従者である赤き弓兵に他ならない。

「凛、説明を要求する」

 日が天頂に差し掛かるその少し前。バゼット達が森に踏み込んだ直後の事。アインツベルン領とも言える森林地帯から南西方向に国道を挟んで広がる国有林の一画。キャスターの目さえも届かないほど距離の離れた場所で、嘆息と共にアーチャーは言った。

「決まってるでしょう、偵察よ。貴方が持つ鷹の眼なら、この距離からでもアインツベルンの森くらいは見渡せるでしょう?」

「出来る出来ないで問われれば出来ると答えるしかないが……それでもこんな場所からでは文字通り森全体を俯瞰する事しか出来ん。森の中までは流石に見通せない」

 幾らか背の高い木の枝から見渡しても、同じくらいの高さの木など幾らでもある森林地帯だ。アーチャーの目を以ってしても森の遠景を捉えられる程度。どれだけ目を凝らそうと居並ぶ木々が視線を阻み、これ以上の高所から俯瞰しようとすればアインツベルンに察知される恐れがある。

 距離が充分に離れているので可能性としてはゼロではない、という程度のものだが、もし森の主が、未だ不明のアインツベルンの二騎目がキャスターのクラスであればばれない保証はない。

「充分よ。魔術協会組……バゼット・フラガ・マクレミッツと二人のサーヴァントが森に向かうのは少し前に確認出来たし。後は相手の動き次第で、居る筈のない八騎目を確認出来ただけでも収穫だけど」

「…………」

 凛はそれでもまだ不十分らしい。

「凛、私が問いたいのはそうではない。君が一体何を考えてこんな真似をしているのか、という事を問い質している」

「……何か文句でもあるの?」

「いいや。私は君のサーヴァント……凛を主と仰ぐ従僕だ。主の言葉に疑いを持つような事はないし、命令とあらば大概の事はこなして見せよう。まあそれでも、唯々諾々と従うだけが良い従者などとは、決して思わんがな」

「持って回った言い回しね。言いたい事があるのならはっきり言ったらどう?」

「では言わせて貰おう。凛──この行動は、君らしくない」

 召喚されてからの数日で触れた遠坂凛という少女に対する弓兵の認識は冷徹な魔女の一言に尽きる。事実昨日までの彼女はそう振舞っていた。
 だが今回は違う。彼女らしからぬ独断専行。絶対と仰ぐ父にさえ筋を通していない強行偵察。これまでの凛の行動に一貫して見られた芯がぶれている。それを指してアーチャーはらしくないと憚った。

 今傍らに立つ少女をらしくないと思った己自身に赤い騎士は自嘲する。冷徹な魔女としての凛に違和感を覚えていた自分は一体何処に行ったのだと、知らず頬を吊り上げた。

「何を笑っているのか知らないけど。らしくない、なんて言われるのは心外ね。私はいつだって私よ」

「では問うが、何故父君に内密のまま偵察を行っている。家を出る前に伝える事は出来た筈だし、いつかのピアスを使えば声を届ける程度は道中でも可能だったろうに」

「必要ないと判断しただけよ。どうせ戻れば話すつもりだし、確実に外来組を捕捉するには一分だって時間は惜しかっただけ。悠長に話をして目標を見失いましたなんて、笑い話にもならないでしょう?」

 途中何か寄り道をしたらしく、凛達に遅れる形でバゼット達は森に入っていったが、それはあくまで結果論に過ぎない。直接森に向かわれていたら、捕捉出来たかどうかは微妙なところだ。
 だからバゼット達の動きを追うという意味では、凛の判断は間違ってはいない。らしいらしくないの話は別として。

「アーチャー、貴方が私の何を見てらしくないと思ったのかは知らないけど」

 傍らからの見下ろす瞳を力強く見上げる凛。その瞳に宿る色もまた強く。揺るぎなど微塵も感じさせない直視で以って少女は男の目を見返す。

「私は変わらないわ。きっと生まれた時から、何一つ変わってなんかない。だって遠坂凛は──そういう女だから」

「────」

 たとえ心が凍て付こうと。たとえ感情の機微が失われようとも。遠坂凛は変わらない。遠坂凛という存在が生まれた時から、彼女のその本質は何も変わってなどいないのだと、そう言った。

「……ならば最後に一つだけ、答えて欲しい。凛、君は一体何の為にこの聖杯戦争に立ち向かう」

「勝つ為よ。それ以上の高尚な理由も、それ以下の低俗な理由もない」

 目の前に戦いがあって舞台に立つ為の資格が与えられた。なら後は勝つだけだ。目の前の戦場から目を背ける事も、背を向けて逃げ出す事も遠坂凛の主義に反する。

 この偵察もあくまで勝利を得る為の最善手を打ったが為の強行策。これまで自ら積極的に行動を起こしてこなかったのはそうする必要がなかっただけに過ぎない。父の言葉を是として上策であると判断したが故のもの。

 その意思決定の根底にあったものこそが彼女の言葉に他ならない。

 凍り付いた心の奥底に静かに燃える炎がある。決して消えぬ不屈の炎。それが遠坂凛の本質であり芯の正体。

 ────ああ、ならば君は……

「……そうか」

 赤い騎士は静かに目を伏せ、頬をより吊り上げた。

「なによ……まだ何か言い足りないの?」

「いや、もう充分だ。ああ、それだけで、私としてもこの場に赴いた価値がある」

 要領を得ないアーチャーの言葉に首を傾げた凛の元に、直後、莫大な魔力の高鳴りが響いてくる。それは遠く魔女の森で解き放たれた黄金の輝きと赤き稲妻の衝突の余波。
 遮音の結界によって音は遮断されていても、漏れ出した極大の一撃同士が生んだ波紋は遠くこの場所まで届いている。

「さて、マスター。この局面君はどうする」

 鷹の眼は空中に浮遊するキャスターを視界に収めている。いる筈のない八騎目の存在を知り、アインツベルンの隠し札たる魔術師の英霊の存在をもまた確認した。偵察というならば充分に成果は果たせている。

「アーチャー、キャスターを狙える?」

 だがそれで満足するような女では、遠坂凛はないのだ。相手の索敵範囲外から一方的に目視出来るこの状況、逃す手はない。鷹の眼を持ち並外れた弓の腕を持つ弓の騎士の真価を活かさぬまま引き返すのは余りに惜しい。

「少々厳しいが、君がやれと言うのなら応えて見せよう」

 とは言え、アインツベルンの森までの距離は目算で七キロメートル余り。以前新都のセンタービルから狙撃を行った時の距離はせいぜい五キロメートル。しかも高所からの狙撃であった事も考えれば、この距離は無謀にも思えるほどに遠すぎる。

 それでもアーチャーは答えた。それが主の命であるのなら、従者としての役目を果たして見せると。

「直撃でなくても構わないわ。キャスターの気を逸らすだけでいい」

 敵にキャスターがいると確定した以上、あの森が工房化されているのは間違いない。なら踏み込んだ連中は苦戦を強いられている筈だ。アインツベルンにはセイバーもいるし、突破は簡単ではない。

 中の様子が窺えないので全て憶測の域を出ないもの。明確なのは防衛に長けた魔術師の英霊を、これ以上野放しには出来ないという一点だけ。
 あわよくばという思惑は幾つかあるが、ともかくキャスターの注意を引く事がまずは重要だ。当てられなくとも、キャスターがアーチャーの矢を認識さえすればそれでいい。大きく外れようとも問題はない。

「了解した。とはいえ、わざと外せるほど器用ではなくてね。狙う以上は当てるつもりで行く」

 枝を飛び移り目処をつけていた狙撃ポイントへと移動する。大小様々な高さを誇る木々の中でも図抜けて高い一本杉。その頂上へと昇り足場を確認した後、赤い騎士は黒塗りの弓を手に取った。

 番えるのは螺旋の刀身を持つ豪奢な剣。狙撃用に改良を施されたアーチャーが持つ矢の内の一振り。ギチリ、と弦を軋ませ矢を引いた。
 今度の狙撃は打ち下ろしではない平行射撃だ。生半可な魔力充填では届きすらしない。難易度は以前の狙撃を容易く上回る。

 鷹の眼が遠く標的を射竦める。相手はこちらにまるで気付いていない。当然だ、足元に油断がならない敵がいるというのに、これだけ離れた場所に位置する狙撃手を警戒する猶予などある筈がない。

 誰もの認識外からの一方的な狙撃こそが弓兵の真骨頂。唯一、その身にだけ許された独壇場。
 騎士が僅かに口元を歪ませた。本来あるべき弓兵の姿。それが己自身の好むものではないと認識しながら、何度となく弓を執った理由に。

 軋む弦は今にもはち切れそうなほど引き絞られ、矢へと充填されていく魔力は常軌を逸するほどに高まり行く。目に見えそうなほど濃密な魔力が矢に満ち、指先は極限まで弦を軋ませる。
 矢を届かせられるだけの準備が整えば、狙いをつける必要はない。風向きも重力も空気抵抗も、全て気にかける必要はない。この弓兵が矢を放つ時、必要なのはただ一つ──当たるイメージそれだけだ。

 “当てる”のではなく“当たる”イメージ。それさえ脳裏に描ければ、この射手は決して的を外しはしない。

「────」

 そして矢は放たれる。離した指先から伝わる確信。豆粒ほどの標的に向けて解き放たれた螺旋の剣は。
 膨大な魔力をその推進力へと変え、大気を切り裂く擦過音を轟かせながら、遥か七キロメートル先の空中に浮遊する魔女へと吸い込まれていった。


+++


 空を染める夕日の赤色が窓越しに差し込むカフェテリア。その店舗内でも一番奥まった場所にあるテーブルに、彼女達の姿はあった。

 アインツベルンの森を脱したバゼット達を待ち構えていた遠坂凛とアーチャー。そして黒髪の少女より持ち掛けられた共闘の提案。その提案に乗るにせよ乗らないにせよ、アインツベルンの膝元で問答を行うのは得策ではない事くらい、その場に居合わせた誰もが承知していた。

 バゼットにしてみれば遠坂に対して借りがある。意図が分からないまでも、事実としてアーチャーの狙撃により窮地を脱した負債があった。それを返済する為、遠坂側の提案を受け入れるその前段階──まずは提案の内容を聞こう、という具合に相成りこの会席の場が設けられた。

 居合わせるのはバゼットと凛のみであり、アーチャーとランサーは霊体化している。腕の損傷が特にひどいモードレッドは一足早く拠点へと帰還しておりこの場にはいない。バゼットもまた両の拳にルーンを刻んだ包帯を巻き治癒に努めていた。

 一通り注文を済ませた後、凛は紙ナプキンの上に簡易な魔法陣を描き、その上に小粒の宝石を置いた。

「用心深い事だ」

「森に住まう魔女の目が此処まで届かないなんて楽観は出来ないからね。ま、ちょっと音を遮断するだけの簡易なものだし、あんまり期待されても困るけど」

「では話は手短に。早速ですが森での提案の内訳を聞かせて貰いましょう」

 不意に持ち掛けられた凛からの誘い。ある程度の推測は立てているが、彼女自身から直接話を聞かなければ明確な判断は下せない。

「じゃ、単刀直入に言うけど。アインツベルンの森を攻略する為に手を組まないか、というのがこちらからの提案よ」

「…………」

 予想とほぼ同じ答え。バゼットは一つ頷き続きを促した。

「魔術師の英霊が構築した工房。その攻略難度は直接踏み入った貴女達の方が良く知ってると思うけど」

「ええ、我々が味わったものは辛酸であり苦汁だった。だがそれも工房の規模と質を考慮すれば、氷山の一角に過ぎないでしょう」

「そ。正直そんな場所に立て篭もられたら厄介この上ないわ。最弱と揶揄されるキャスターのクラスだけど、その特性から守勢に長けていて、かつ時間を与えれば与えるだけ不落の城が増築されていく」

 今こうしている間にも、キャスターは森の結界を強化しているかもしれない。アーチャーの狙撃でダメージは与えた筈だが、直撃ではなかった事からもどの程度の傷を負わせられたかは分からない。

「正直、この段階までキャスターの存在をすら発見出来なかった時点で私達の負け。アインツベルン……いえ、衛宮切嗣の陽動はものの見事に成功したってわけ。不本意だけどそれを認めないわけにはいかないわ」

 ただキャスター個人が立て篭もるのならばまだ打つ手はあったが、あの森には最優のサーヴァントと悪名高き魔術師殺しが潜んでいる。ましてや、そこにもう一人マスターがいるとなればその攻略難度は想像を絶する。

 強制的に後手に回らざるを得なくなる敵の領域での戦闘において、確実に勝利を掴もうとするのならこちらも相応以上の準備が不可欠になる。
 第一に挙げられるのが数的優位。どれだけ悪辣な罠や広大な敷地を誇ろうと、敵の手が回らない人数で攻め入れば一矢報いるのはそう難しくはない。こちらが相手の裏を掻ければ優位を得る事も不可能ではない。

「工房の規模がもう少し小さければやりようはあったんだけどね」

 遠坂や間桐が居を構える程度の工房であれば、アーチャーが遠距離から狙撃すればそれで済んだ。その手の奇襲に対する策は打ってくるだろうが、やってやれない事はない。
 問題となるのはやはり工房の広大さ。アーチャーの目を以ってしても全容を俯瞰する程度しか出来ない広さを誇り、魔術的隠蔽が施され、現代において航空機の目をすら欺く何処にあるのかも分からない城を狙えというのは無理な話だ。

 ましてや、徒歩で地道に罠を破壊し城を目指すには余りにも距離がありすぎる。

「我々が誘い込まれたのはせいぜいが第一防衛ラインでしょう。森の奥深くにはより辛辣な罠が設置されている事は想像に難くない」

 馬鹿正直に挑むには少々リスクが大きすぎる。かといってこのまま野放しにすれば工房はその強度を増すばかり。何の打つ手もなくこのまま手を拱いていれば、アインツベルンは篭城を決め込み続けるだろう。

「出来る限り早くあの森を攻略しなければならないってのは、共通認識だと思うけど?」

 単身で挑んでくる輩は正面から粉砕し、他の三陣営が争い合えば無傷の彼らが一番得をする。掛けられる時間は多くない。速やかにアインツベルンの森を攻略しなければ、戦いの趨勢が決まってしまう。

「提案の内容は理解しましたが、幾つか質問があります」

 凛はどうぞ、と掌を差し出した。

「具体的にどのように攻め込むつもりですか?」

「真正面から。堂々と」

「…………」

「実際数的優位を確保しても、分散させちゃったら各個撃破されて終わりでしょ。地の利は向こうにあるんだし」

「……最低限足並みを揃え、数的優位を確保しながら城を目指すと」

 理想論ではあるが確実性がある王道的な策でもある。問題は、あの霧による視界封鎖と幻覚による分断。それらをたとえ克服しようと、森の奥には更なる罠が待ち受けている筈。ならば共闘の意義とは。

「狙いを絞る。キャスターか、あるいはそのマスターの抹殺を最優先とする」

「イエス。誰か一人が城に辿り着き、森の主を討てればそれでいい。厄介なのはあくまでキャスターの工房だけ。セイバーとそのマスターも厄介は厄介だけど、彼女達だけなら幾らでも相手取る手段はある」

 敵から地の利を、後方支援を排除する事。森に篭城する意味を失わせられれば、この共闘は成功を見る。いずれは挑まなければならない不落の森。時を置けば力を増す結界。だからこそ凛はこの共闘を提示した。最も厄介な敵を真っ先に撃ち落とす為に。

 バゼットはウェイトレスの運んできた紅茶から立ち昇る薫りを無視したまま、残りの質問を矢継ぎ早に投げ掛ける。

「間桐に対してこの提案は……?」

「してないわ。というより無駄でしょう。間桐が遠坂と手を組むなんて、有り得ないでしょうし」

「仮に共闘が成立し実行に移した場合、間桐は野放しとなるわけですか」

「そっちにまで手を回したら正直共闘の意味がないもの。間桐にしてもアインツベルンの厄介さは把握してるでしょうし横槍は入れて来ないと思うわ。
 間桐の最善手を考えるとすれば、静観に徹して、傷付いた連中を刈り取る漁夫の利を狙うのが一番旨味があると思うけど」

「ふむ……」

 味わうように紅茶に口をつける凛とは裏腹に、バゼットは一息でカップの中身を飲み干すと結論を告げた。

「共闘の内容は把握しました。ですがこの場で決断を下す事は出来ません」

 暗黙の了解的に沈黙を貫くランサーと、一足早く拠点に戻ったモードレッドの意見も聞いてみなければならない。
 独断で決めてしまっても彼らならば了承してくれるだろうが、此処は一つの山場となる予感がある。魔の森に挑むか否か。遠坂と手を組むか否かは今後の展開を左右する分水嶺。慎重を期して悪い事はない。

「そう、分かったわ。とは言っても、さっきも言ったとおり時間を与えれば与えるだけキャスターは強化されていく。だから今晩中に返事を頂戴。遠坂邸(ウチ)に使い魔を送ってくれればそれで分かるから」

「分かりました」

「それと、こっちからそっちに連絡する手段はないから先に言っておくわ。共闘が成立した場合、明朝八時には今日出会った場所で落ち合うつもりで」

 遠坂擁する白騎士ガウェインは昼の時間帯に三倍の能力を発揮する“聖者の数字”の加護がある。夜が主たる戦場である冬木の聖杯戦争と相性の悪いこのスキルも、周囲の目を気にする必要のないアインツベルンの森であれば昼間の戦闘が可能だ。

 このメリットを有効利用する為の明朝からの作戦開始。同盟締結後すぐに挑んでは、彼の騎士の本領を発揮出来ない。セイバーを圧倒する実力と強力な対魔力を有する白騎士は切り札の一つ。使わない手はない。

「そちらも了解しました。ではこれで」

 バゼットは代金を置いて立ち上がる。

「いいわよお金は。誘いを掛けたのはこっちだもの、こっちが持つのが筋じゃない?」

「結構。これ以上貴女に借りを作りたくはありませんので」

「そ。じゃあ遠慮なく」

 それ以上交わす言葉もなく、一度も振り返る事もなくバゼットはカフェテリアを後にする。凛もまた去り行く女魔術師を目で追う事もなく、静かに目を伏せ残った紅茶を愉しんだ。


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「で、どうするんだ?」

 拠点としている森の洋館へと戻ったバゼット一行。森での戦いで負った傷の具合を確かめつつ、待機していたモードレッドに話の内容を告げた後、椅子に腰掛けたランサーは主を振り仰ぎながらそう言った。

「私個人の意見は既に決まっています。後は貴方達の意見を聞いてみたい」

 痛んだ手に再度ルーンを刻んだ包帯を巻きつつバゼットは答える。

「オレは反対だね」

 そう告げたのは定位置たる窓辺に腰掛けるモードレッド。聖剣のダメージが今なお色濃く残る左腕をランサーの記したルーンで覆われた包帯で巻いた彼女は、睨め付けるようにそう声を発した。

「あの女が気に入らない」

「そんな理由かよ」

 ランサーが鼻で笑う。

「中々気風の良いお嬢ちゃんだったぜ。難攻不落の要塞相手に正面突破を仕掛けようってんだ、肝も据わってる」

「そうか? オレはあの女から教会の男と同じ匂いを感じたね。あの男ほどじゃないが、あの女も相当だ。笑顔の分だけより悪辣かもな。
 差し出された手を握り返したが最後、体よく利用されて都合が悪くなったら後ろからずぷりと刺されても文句が言えない手合いだ。それでもいいのなら、共闘に応じてもいいんじゃないか」

「ひでぇ言いようだな」

 実際、ランサーも量りかねるところはある。先のカフェテリアでの彼女が本心から共闘を望んでいるのか、分からない。いずれ敵となる相手だ、そんな相手と手を組もうというのだから打算や思惑は幾らでもある。
 こちらも同様の思惑を抱えこうして議論しているのだから文句はない。問題となるのはそんな相手とはいえ一時背中を預けるのだ、つまるところ信用の問題。

 誰かに何かを期待をする、期待をかけるという事は、同時に裏切られた時に落胆しない覚悟をするという事だ。期待に応えられなかった相手に一々苛立ちを覚えるようでは、それは信頼とは呼べない。
 背中を預けるという事は、その背を刺される覚悟がいる。彼女達はその信頼に足る者なのか。

「今日殺し合った連中と、明日肩を組んで酒を呑んじゃいけねぇ決まりはねぇよ。逆も然りだ。
 オレは共闘に賛成だぜ。明日お嬢ちゃん達と酒を呑んで、たとえ宴席で毒を仕込まれようと、剣を向けられようと恨むつもりもねぇよ。それが赤枝の騎士(オレ)在り方(ほこり)だ」

「はぁ……誇り高きケルトの大英雄サマは流石に言う事が違うねぇ」

「つーか裏切りだのなんだのはおまえの方が得意だろう」

「うるさい、オレの事はどうでもいいんだ」

 モードレッドは窓の外へと視線を向ける。藍色に染まり行く空。やがて来る夜へと落ちていく黄昏を想い。

「ま、オレはオレの意見を述べたまでだ。バゼット──」

 視線を戻し、二人のやり取りに静かに耳を傾けていた女を見る。真摯なまでの直視が返って来た。

「このチームの指揮官はおまえだ。だからおまえの下す決定に、オレは異論を唱えるつもりはないから、後は任す」

 共闘、というのならまずモードレッドとバゼット、ランサー達こそがその関係だ。互いに背を預ける事を了解し、いつか殺し合う事になると分かりきった上で両者は互いの手を握り返した。

 その覚悟があり、そしてバゼットをこの陣営の暫定的なトップとして立てているモードレッドにしてみれば、どのような結論が下されようとも異を唱えるつもりなど最初からなかったのだ。

 共闘関係。利害の一致。その関係性にどうしようもなく埋めがたい溝、決定的な軋轢が生まれない限り、彼女の意思は変わらない。そしてもしもその意思が覆されるとすれば、それはきっと……。

「分かりました、では遠坂との共闘を行います」

 揺らぐ事もなく、まるでそれが初めから決まっている事実であったかのように、バゼットは宣言した。

「モードレッドの言葉も気には掛かりますが、まずはアインツベルンの森の攻略を優先します。先の一戦から言える事は、我々だけでも入念の準備を行えば攻略は不可能ではないかもしれません。
 ですが時間はそれを許さず、そして他に使える手があるのなら使うべきだ。たとえその手に裏切りの短剣が握られていようとも」

「…………」

「何より、私は貴方達を信頼します。私が手を握り返すのは遠坂ではなく貴方達。ええ、この信頼に掛け値はない。背中を預けるとは、本来そういう意味でしょう」

「────ハッ」

「そうまで言われて期待に応えられなかったら、」

「ああ、オレ達英霊の名が泣くぜ」

 不器用だが、確かな信頼の証。
 真っ直ぐな言葉が、彼らの心に心地良く響く。

 誰かに期待を掛けられる事。身に余る信頼を寄せられる事。そんな事は、生前幾らでもあった出来事だった筈だ。そしてその全てに応えるべく剣を、槍を振るい、結果で全てを示してきた。

 ならばその無垢な信頼、応えられずして何が英雄か。ある種挑発めいたその言葉をこそ彼らは絶対の証と信じ、応えると決意した。


+++


 夜天に満ちる(はな)。月が雲に隠れているせいか、今夜は星が普段より多く見通せる。満天の星空の下、白騎士ガウェインは遠坂邸の屋根の上で、頭上を埋め尽くす綺羅星の天蓋を見つめていた。

 彼に星読みの力はない。だからあくまでそれは、理由もなく意味もなく空を眺めるだけの行為にも見える。かつて彼が駆け抜けた時代にも輝いていた星々を、この遠く離れた現代でもいつかと同じように見上げていた。

 それは感傷などではない。彼の心にそんなものを抱くだけの機構は備わっていない。というよりも彼自身が己を戒める為に排した、というべきか。
 理想とされる王が、王足らんと私を殺したように。彼もまた騎士足らんとして、私を殺している。

 天を見上げていたのは空からの奇襲を警戒してのもの。ガウェインの認識範囲内に敵は確認出来ないが、その外からの攻撃がないと断じるわけにはいかないからだ。
 身内には対軍宝具の射程外から狙撃を行える射手がいるのだ、他に似た手段を持つ者がいないとは限らない。

「ガウェイン卿」

 不意に掛かったその声に、白騎士は振り仰ぐ。仰ぎ見た先には赤い外套を夜風に靡かせる弓兵の姿。

「何用ですかアーチャー。まだ交代の時間には早いと思いますが」

「ああ、知っているとも。ただ少し気掛かりがあったものでな」

 ガウェインに並び立ち、アーチャーは夜の向こうを見通すように睥睨する。細められた瞳は射殺すほどに鋭く。気配の残滓すら逃さないとばかりに警戒心を露にする。

「……そんなにも私の哨戒が気に入りませんか」

「いや、気を悪くしないでくれ。卿が先ほど空にまで警戒を向けていたのは見ていた。だから君に落ち度があるなんて事はない。ただ……」

 ぐるりと周囲一帯、全方位に視線を飛ばし探りを入れたアーチャーからは、何か確信めいた警戒の色が感じられた。

「何か気に掛かる事でも?」

「ああ。もし私がアインツベルンならば、この段階で仕掛ける。不落の城に篭城を決め込むと誰もが高を括っているからこそ、打って出る。少なくとも、衛宮切嗣はそういう男である筈だ」

 だからこそおかしい。人の裏を掻き確実に先手を取る事に長けたあの男が、篭城などという消極策を取る事が不可解でならない。追い詰められてからの篭城ならばまだ理解が出来るが、現状優位にあるアインツベルンが立て篭もる理由がない。

「昼の戦闘で貴方はキャスターを撃墜したのでしょう。ならば篭城も策の一つとして考えられるものではないのですか」

「であればいいのだがな……」

 その程度の事であの悪名高き魔術師殺しがこの好機を逃すだろうか。味方が負傷したのなら、だからこそ打って出て来そうなものなのだが。

「…………」

 ガウェインはふと、アーチャーの高すぎる警戒心に疑問を抱いた。確かにあの男、衛宮切嗣ならば彼の言うような行動を起こしてもおかしくはないと思える程度には、これまでに戦場を荒らされている。
 それにしてもアーチャーの警戒レベルが高すぎる。言葉の端々に滲む確信めいた何か。衛宮切嗣という男を、この弓兵は知りすぎているような気がしてならない。

 未だ以って正体不明とされる謎の英霊。召喚直後には記憶がないなどと憚っていたが、今の彼の言動からはそんなかつてを想起出来ない。

「アーチャー……貴方は一体何を知っているのです」

「…………」

 鷹の双眸が高潔な瞳を射抜く。ガウェインの不躾でありながら真っ直ぐな詰問。それに弓兵は口元を歪め答えた。

「私が知っているのは、同じタイトルがラベリングされた、中身が全く別物の本の内容だけだ」

「……何を」

「卿は神が実在すると思うかね?」

「…………?」

「神だよ、神さま。人が崇め奉り、畏れ戦慄く天の意思。まあ我ら英霊も、人々の信仰によって形作られるもの。ある意味では、神と似たようなものなのかも知れんがな」

「何が言いたいのです、アーチャー」

「神がいるかどうか。さて、そんなものは私にも分からないが、仮にいるとすればそいつは酷く性格の悪い奴だと思ってね」

「…………」

「那由他の果てに辿り着いた、唯一己の願望を果たせる可能性のある世界。だがそこは自分が知るものと決定的に違っていた。何もかもが、変わり果てた世界だった。そんな場所に放り出された者は、一体何を思うだろうか」

 アーチャーの言葉は要領を得ない。そもガウェインに何かを理解させようとして話してなどいない。これは、己に言い聞かせる為に壁に向かって話しかけているようなものだ。余計な相槌も入れず、白騎士はそれでも真摯に耳を傾ける。

「最初は思ったものさ。何が罷り間違って、こんな世界になってしまったのだろう、と。縋りたい一心で現状を把握しようとするが、知れば知るほど己の手で悲願を為せる可能性が無い事を思い知るばかりか、本当に、何もかもが変わってしまったと思った」

 だけど。

「──こんな変わり果てた世界でも、変わらないものがあると知った」

 だから。

「私は決めたよガウェイン卿。私は凛を勝者とする。その為ならば、この身はどんな辛酸をすら飲み込んで見せよう」

 定まらなかった想いの矛先。それがようやく、向けるべき先を見つけ出した。この身に宿る負の想念を果たせないのならば、せめてこの手で為せる事を為そう、と。
 巡り廻り、遠回りをして行き着いたのはそんなありきたりな結論。だけどそれでいい。それこそが、かつて歩んだ道の果てに、目指したものであった筈だから。

「我が主の願いもまた彼女を勝者とする事。ええ、これでようやく貴方と真に戦場を馳せる事が出来る」

 ガウェインはその手を差し出す。何処か消えない猜疑の念を抱き続けてきた弓兵に対する謝罪とこれから背を預ける事となる者への証。

「私は私の心の内を語ったが、卿からはまだ聞いていない」

 しかしその掌を、赤き騎士は拒絶した。

「……私は何度となく語った筈ですが。我が剣は主の為。主の剣となって立ち塞がる敵を断つ。それこそが我が騎士の道。誇りであると」

「果たしてソレは、本当に君の本心なのか?」

「愚問を。あるいは貴方こそ、我が忠義が偽りであるとでも?」

「いいや、君の意思は本物だろうさ。私を滅し主を立てる……個人の意思を持つ事すら不要と謳う鋼の信念。見方を変えればそれは主の傀儡に過ぎないとしても、極まれば一つの峰となる。
 私が疑問に思うのは、“碌に会話をすらしていない者”を主と定め、下された命令に従うばかりで疑いもしないその妄信だ」

 忠義の形は何も一つではない。尽くす事も、信じる事も、時に突き放す事すらも人によっては忠節の在り方として捉える事は出来る。
 だがガウェインの忠義は妄信に過ぎないとアーチャーは言う。彼自身の意思は本物であっても、盲目的に人に付き従う事を、忠義とは呼ばないのだと。

「君はこの戦いで、唯の一度も自らの手で剣を振るってなどいない。そんな曇り切った手で握られては、その手に輝く太陽の名が泣こう」

 意思のない人形が振るう剣が意思持つ人の剣を超えられる筈がない。誰かを理由にして振るわれる剣ほど、折れやすいものもない。白騎士の剣は傀儡の剣。操り糸がなければ振る事すらもままならない惰弱なものだと弓兵は蔑んだ。

「それ以上戯言を謳うのなら、侮辱と受け取るぞアーチャー」

 鬼気迫る形相で睨め付ける白騎士に、弓兵は息を吐くように笑みを零した。

「……全く。慣れない事はするものではないな。ああ、今夜はこれで退散しよう」

 外套を翻しアーチャーはガウェインに背を向ける。

「明日の戦いは恐らく、この聖杯戦争において一つの山場となるだろう。私にとっても、卿にとっても」

「…………」

「我が弓を卿の背に預けよう。故に存分にその輝きで戦場を照らしてくれ。誰もがその眩しさに、目を焼かれてしまうほどに」

「言われずとも。貴方の疑念を晴らす為にも、私は全力で剣を振るうと誓いましょう」

 アーチャーの言葉はガウェインを思ってのものである事は、彼もまた承知している。白騎士自身ですら見落としている何かを見ている弓兵の言葉を無碍にはしない。したくはなかった。

「アーチャー、この続きはいずれ。今度こそ我が忠誠が本物であると証明しましょう」

「ああ。ならば次こそ私は君の間違いを質そう」

 そんなやり取りを経て、二人は互いに背を向ける。ガウェインは今一度街を遠望し哨戒の任へと。アーチャーは光に透けるように、夜の闇の中へと姿を消した。


+++


 明朝。

 時間通りに遠坂陣営とバゼット一行は落ち合い、互いの情報を交換した。

 特に有益であったのは直接森に踏み入ったバゼット達から齎された工房の罠の性質。僅か数メートル先にあった背をすら誤認するほどの精緻な幻覚。霧の妨害もあり容易には突破出来ない。

「……ふむ。ならば霧が出たら一度足を止め、こちらも対抗策を打つしかあるまい」

 時臣が言う。

 視覚に対する幻覚はそれと理解していれば防げる可能性はある。しかし相手は魔術師の英霊だ。ならばこちらも相応の術式を組んで対抗しなければならない。

 幸いこちらには数的優位がある。マスターが術式を構築している間も、サーヴァント達は不用意に動かなければ霧に囚われる事もない。

「ではこれより森へ侵入する。凛、以降の指揮はおまえに任せる」

「はい、お父さま」

 この協定を締結した凛こそが指揮を執るに相応しいとバゼットも認めている。無論、凛の力量を把握する意味や、ルーン以外の細やかな魔術の扱いが不得手なバゼットでは対応が遅れる可能性を考慮してのものだが。

「では行きましょう。決して離れないように」

 隊列を組み一行は森へと侵入する。

 枯れ立つ木々の合間を縫い、枯葉の絨毯の上を何処までも進んでいく。その折、モードレッドは視線を感じて振り向いた。

「……何だよ」

 視線の先にいたのは白騎士ことガウェイン。八人目のサーヴァントがいる事は事前に凛から知らされていた事もあり、驚きはしなかったが、そのイレギュラーを目の前にし自然と視線を吸い寄せられたのも無理はあるまい。

 二人は因縁浅からぬ間柄だ。

 異父兄弟であり、特にガウェインにとってモードレッドは兄弟達がランスロットの手により討たれる間接的な原因にもなった、王妃の不義を暴いた者の一人。更には彼の直接的な死因……沈まぬ太陽を堕とした背徳の騎士なのだから。

「言いたい事があるのなら言えばいいさ太陽の騎士。生前の遺恨を今に持ち越すのはどうかと思うがね」

「いいえ、私個人に貴女に対し思うところはありません。全ては己自身の不徳故の結末。甘んじて受け入れるが筋でしょう」

 モードレッドの叛逆に無意識に、不可抗力的に手を貸す事になった不始末こそを白騎士は恥じ入る。守るべき王の傍を離れ、我欲に溺れた結果、全ては坂道を転がるように奈落へと落ちていった。

 その末路が叛逆の僭王の手によって討たれた事に、ガウェインの思うところはない。ただそれでも、許せないものがある。

「モードレッド卿。如何なる理由であれ、貴女の彼の君に対する裏切りを私は許容する事は出来ません。
 公正にして無欠の王にその刃を向けた貴女を、私は仲間とは認めない」

「────へえ」

 足を止めぬまま、二人は視線だけで火花を散らす。

「認めないのならどうするんだガウェイン卿。何ならいっそ此処で戦りあうか?」

「いいえ。この道程、アインツベルンの森の攻略は主が下した命によるもの。主命を差し置き個人の感情で私闘を行うつもりなど毛頭ありません。同様に貴女と手を組む事にもまた不満はない」

「……じゃあなんでわざわざ挑発するような事を言うんだか。一言多いのは死んでも変わらないなアンタは。
 まあいいさ。別に認めて貰う必要もない。互いに必要なのは互いの戦力だけ。心からの信頼なんか、必要ない」

 そも二人の関係は一時の共闘。いずれは殺し合う仲だ。生前の因縁などなくとも掛け値なしの信頼など望むべくもない。

 魔女の森を攻略する上で単独では戦力に不安があるからこその共闘関係。主と仰ぐ者達が手を取り合った結果だ。勝利という二文字の為に、互いの足並みを揃える事は難しいものではない。心の内が、どのようなものであれ。

「最後に一つだけ聞かせてくれないか。王を裏切ったオレを許せないとアンタは言った。なら、これからその王に刃を向けようとしているアンタは、何を思う?」

「──何も。主の意を剣として為す事こそが我が誇り。かつて仕えた王であっても、我らの道程に立ち塞がる障害になるのなら討ち果たすまで」

 事実これまでに何度も剣を交えている。生前の誓いに、忠誠に偽りはなくとも、今生にて剣を捧げた主を差し置いてかつての王に膝を付くのは間違っている。なればこそ、全霊で以って主の道行きに立ちはだかる王を打ち倒すのだと白騎士は謳う。

「────ハッ」

 ガウェインの心よりの言葉に、モードレッドは冷笑を漏らす。

「まさに騎士の鑑だなガウェイン卿。しかしそうだな……あえて一言余分に言わせて貰うのなら、生前その最期まで尽くしてくれた忠義の騎士が、心を持たない伽藍の洞だったと知ったら、あの王は何を思うのだろうな……?」

「…………」

 モードレッドが余分と言った言葉に反応を返さず、ガウェインは静かに目を伏せ口を閉ざした。感覚は周囲への警戒へと向けられたまま、数秒にも満たない時間閉じられた瞳は、その闇の中で一体何を映したのか。それを知るのは彼自身のみだ。

「盛り上がってるねぇ……生前の知り合いだと積もる話もあるのかね」

 先陣を務める騎士達の後方、殿を任された青い槍兵は暢気な声で嘯いた。

「無粋な横槍はやめておけ。藪を突いて虎が出ては目も当てられん」

 そう応えたのは同じく最後方に位置する赤い弓兵。やれやれ、と嘆息を零す。

「横槍なんざ入れるかよ。今のところ何の沙汰もないが、紛れもなく此処は敵地だぜ。悠長に話してるアイツらの方を嗜めてやれよ」

「既に話は終わっている。であれば、今更蒸し返すものでもないだろうよ」

 以降誰も無駄口を叩かないまま黙々と歩き続け、やがて森に踏み入って半刻ほどの時間が過ぎようとしている。

 しかし今もってなお以前バゼット達を襲った霧の妨害はない。数分おきに互いの存在を確認し合い、幻覚もまた発生していない事は了解済み。
 アインツベルンは一体何を考えているのかと、誰もが思ったその時。

 うねる木々の向こうに広がる荒野を見る。荒野というには少々手狭だが、それなりの広さのある空間。これまでの道程と打って変わって、スプーンで抉り取ったように一面何もない広場へと一行が足を踏み入れる。

「なっ……」

 その声を発したのは、果たして誰だったか。
 誰であろうと変わらない。
 広場に踏み込んだ者が全員、驚きに目を見開いた。

 明瞭な視界の先、城へと続き広がる森を背に立つ影。

 金砂の髪と翠緑の瞳、白銀の鎧を纏う少女騎士。
 身を覆う黒の狂気の向こうに、爛々と赤い眼を輝かせる黒騎士。

 並び立つ筈のない二つの姿。
 セイバーとバーサーカーが、森へと踏み入った狩人達の前に立ちはだかった。


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 アインツベルンの森の一角、荒涼とした広場へと踏み込んだ一行を待ち受けていたのは二人の騎士。白銀の鎧を纏う騎士達の王と、漆黒の憎悪を滾らせる黒き騎士。
 これまでの戦いを見る限りにおいて、過去を鑑みてもなお、決して足並みを揃えられる筈のない遺恨を持つ者達が、森へと踏み込んだ彼らを出迎えた。

「…………」

 ざっ、と一行の先導を務めていたガウェインとモードレッドがマスター達を庇い立つように対峙する。二人に前面の騎士を任せ、ランサーとアーチャーはそれぞれが周囲への、姿を見せない他のサーヴァントに対し警戒を行っていた。

「……間桐め。一体何を考えている……」

 時臣は苦虫を噛み潰したかのように呟く。

 復讐の憎悪を滾らせるバーサーカーがセイバーを前に襲い掛かっていない事から、アインツベルンと間桐の間には明確な協定が結ばれているのが見て取れる。
 これで二人が争っていれば話は別だが、森への侵入者をこうして待ち構えていた以上はそう考える他にない。

 だとすればやはり不可解なのは間桐の動き。彼らが何を思いアインツベルンに肩入れしているのか、あるいはアインツベルンが間桐を脅迫しているのか? 理由が分からないが、こちらが手を結んだように向こうも足並みを揃えて来ている。

 とは言っても、それは余りに愚策に過ぎる。森の結界を有するアインツベルンに協力などしては、ただでさえ攻略困難な森の難易度が更に跳ね上がる。こちらが協定を結び森に挑むと決めたのは、あくまで相手がアインツベルン単独だと読んだからだ。

 冷静に状況を俯瞰出来る頭があるのならば、こちらに肩入れせずとも静観に徹するのが上策の筈。このまま森へと踏み込んだ二組の陣営が壊滅するような事になれば、それこそ戦いの趨勢は決してしまうと、分からないのか。

 ……間桐雁夜の独断専行……? 臓硯の入れ知恵か……? あるいは、これも衛宮切嗣が仕組んだ罠か?

 答えの出ない問いを胸中で渦巻かせる時臣の心情を知ってか知らずか、右手で器用に剣を弄ぶモードレッドが口火を切った。

「これはこれは……一体どういう事ですか。この森に父上がおられるのは無論承知していましたが、まさかランスロット卿までもがおいでとは」

 漆黒の騎士が赤い瞳を揺らし、全身鎧の少女を眇める。湖の騎士の周囲に立ち昇る黒い霧が、僅かにその勢いを増した。

「一体どの面を下げて父の傍らに侍るのやら。卿が一体何をしたか、まさか忘れたわけではないでしょう──裏切りの騎士よ」

 モードレッドの険を滲ませた物言い。それは当然の糾弾。王妃を拐かし、円卓に亀裂を刻み、国を崩壊へと誘った発端とも言うべき罪を犯した男が、何故今更王の傍らに立つというのか。

「完璧の騎士と褒め称えられながら、裏切りの騎士の汚名を浴びた筈の罪人が、どうして高潔なる王の隣に佇む事を許されるのか」

 たとえ王がその罪を不問とし、許しを与えようと。決して許容する事など出来ない。国崩しの一端どころが主犯とも言うべきモードレッドが言うべき事ではないが、彼女の厚顔無恥を正そうする輩はこの場にはいない。

 言葉を喪失したランスロットは喉の奥から漏れ出す呻きにも似た声を発しながら、射殺さんばかりにモードレッドを見据えている。もし彼が言葉を解す事が出来ていたら。どんな言葉を少女に向けたのか、それは詮無い思索だ。

 言葉を失い、理性を捧げ、畜生に落ちようと。果たしたい想いが彼にはあったから。そんなイフの話には意味がない。
 ただ明確のは、湖の騎士は自身の意思でこの場所に立っているという事だけ。憎悪を向ける相手と肩を並べているのは、マスターからの強制があってのものではない。

「これ以上彼を愚弄するのは止めて貰おうか、モードレッド卿」

 そう静かに言ったのは他ならぬセイバーだ。瞳にかつてない意思を秘め、まるで覆い隠すように全身を鎧で包んだ己が子を見つめる。

「ランスロット卿は私の意を汲みこの共闘を了承した。過去の遺恨が完全に消えたとは言わないが、この時に限っては轡を並べる者同士。我が朋友を相手にまだ戯言を謳うつもりであるのなら、剣によって応えよう」

 僅かに解れた、わざと紐解かれた風王結界の風が広場を蹂躙する。モードレッドの全身鎧がその風圧に軋みの声を上げ、それに紛れるようにした彼女の舌打ちは、誰の耳にも届かなかった。

「……モードレッド卿を擁護するつもりはありませんが、私も気に掛かる事はあります」

 ガウェインが消えかけの風を断ち切るように一歩を踏み込み声を上げる。

 オフィス街での一戦、セイバーの言葉が正しいのならバーサーカーの狂気の源泉は王への憎悪。王の懺悔の言葉を聞いてなお耳を貸さなかった狂戦士が、何故憎しみの対象との共闘を了承するに至ったか。気にならない筈がない。

 そしてこの黒騎士と対峙して以来、ずっと胸の奥で燻り続けてきた痛みの正体。一振りの剣に殉じ切れない己の不明はその痛みにあると確信する。
 騎士達の憧れとして、理想とされた完璧なる騎士の堕落した姿。誰よりも騎士道を信奉するガウェインだからこそ許容出来ない背徳。誇りを失った獣を質すのは己の手でなければならない。

「ランスロット卿、私は貴公に問わねばならない。騎士の道を奉じる身であるからこそ、私怨にて黒く染まってしまった貴公に」

 かつて兄弟を殺され、湖の騎士に対し復讐の想念をぶつけてしまったからこそ。己と同じ道を歩んでいる黒騎士を、このまま見過ごすわけにはいかないのだ。
 だってその果てには何もないと知っているから。辿り着いた先で見た景色は余りにも空虚で、涙で滲み、心に消えない後悔だけを刻み付けたのだから。

 白騎士の手の中に具現化するのは太陽の印。遍く全てを照らすこの世で最も大いなる輝きを手に、闇に堕ちたかつての盟友の為、ガウェインは今一度剣を執る。

 円卓に集いし王と三人の騎士。その誰もが眼前の敵へ、かつて同じ時代を駆け抜けた戦友へと明確な敵意を向けて剣を握る。
 時の果て、手繰り寄せられた運命の糸が導くこの現代で──それはまるで、生前果たされなかった無念と後悔を、誇りと想いを、祈りと夢を、成し遂げる為に。

「……血気に逸るのは結構だが、敵は目の前の二人だけじゃないようだぜ御両人」

 今にも戦端を切られようとしていた戦地の後方、手に赤槍を担うランサーが空を見上げながら呟いた。皆が見上げる視線の先に、君臨するは森の主。

「ふふ……今日は昨日にまして大所帯ね。頭数を揃えれば、私の城を攻略出来るとでも思いあがったのかしら」

 太陽を背に黒き翼を広げ天に座すキャスター。遠目ではあるが、見る限り彼女の身体に損傷は見られない。直撃こそ外したものの、アーチャーの矢の蹂躙を受けてなお魔女は健在だったらしい。

「向こうから出て来てくれるとは都合が良い。ランサー」

「あいよ」

 バゼットが革手袋を引き締め、足に早駆けのルーンを刻む。ランサーは逃がさないとばかりにキャスターを睨む。

 この森に踏み込んだ当初の目的を忘れてはならない。あくまで遠坂とバゼット達が手を結んだのはキャスターを討伐する為だ。セイバーもバーサーカーも今回に限ってはただの障害に過ぎない。
 本命がこうして前線に姿を見せたのだ、馬鹿正直に騎士達の戦いに付き合う道理はない。

「……そうね。此処でサーヴァント全員が戦りあうような事態になったら、混戦どころじゃ済まないでしょうし」

 凛が若干の思案の後、そう口にする。

 一人でも一つの軍隊にも匹敵する戦力を有するサーヴァントが都合八騎、同じ場所でぶつかり合えばそれはもう戦いではなく文字通りの戦争だ。
 統制が取れていればまだ救いがあるが、誰も彼もがそう融通の利く手合いではない。ましてや、そこにマスターまでもが巻き込まれてしまえば、どう低く見積もっても惨憺たる有様にしかなるまい。

 であれば、ここは敵の分断が上策。セイバーとバーサーカーの足止めをする者と、キャスターを討伐する者とに分かれるべきだ。

「……ならば、彼らにしかその役は任せられまい」

 時臣の視線の先には今にも、僅かなきっかけさえあれば飛び出しそうな二人の騎士の後ろ姿。円卓の王と最強の騎士の足を止めるのは、王と相打った背徳の騎士と最強と並ぶ太陽の騎士をおいて他にない。

 ……ただ、問題は。

「貴方達の思惑が透けて見えるよう。そう簡単にこちらが貴方達の策に乗るとでも?」

 そう、頭上にいるのは智謀に長けた魔女。今ほど考えた即席の作戦など、それこそ思考すらなく看破されて当然だ。

「とは言うものの、こちらとしても乱戦なんて面倒なものは避けたいのも事実。敵も味方もない殺し合いなんて、無様に過ぎるでしょう。
 だから私は退かせて貰うわ。追って来れるものなら追って来なさい。ただし──セイバー達を、その二人だけで足止め出来るのならね」

 魔女が空中に掌を翳す。フードに覆い隠された向こう、僅かに覗き見える口元が、こう告げた。

『夜よ、来たれ』

 瞬間、木々の隙間から差し込んでいた陽光は掻き消え、太陽の恵みたる温かさは、夜陰の冷たさに取って変えられる。世界を照らすのは太陽ではなく月。星々をその背に従え、夜の王が君臨する。

「なっ……!?」

 まるでコインの表と裏を引っ繰り返すように、世界が反転した。

 時臣が懐から取り出した懐中時計の告げる時刻は午前九時三十分過ぎ。夜の闇と月が我が物顔で君臨していい時刻ではない。これは世界そのものを裏返したのではなく、恐らくこの森、キャスターの結界内の昼と夜とを反転させたのだ。

 空間を限定したとはいえ、そんな規格外の現象を成立させるキャスターの手腕は逸脱している。並の魔術師がこんな大規模な改変を行おうとするのなら、どれだけの時間と手間と資金が必要になるか、考えたくもない。

 この森は文字通りキャスターの手中。魔女の為に、魔女の都合によって都合良く改変される異界だ。世界の目をどれだけ欺けるのかは定かではないが、この一時、確かに世界は彼女のものとなっている。

 とはいえ、魔女の為した事とはただ昼と夜を入れ替えただけ。規模の大きさと術の精密さは驚嘆に値しようとも、やった事はそれだけだ。ただ、それだけの事が、不都合となる存在がただ一人いる事を除いては。

「……ガウェイン」

 押し殺した時臣の声に、白騎士は静かに首を振る。

 “聖者の数字”は太陽の存在があってこそのもの。たとえ時刻が正確であろうと、彼が立つ場所が夜であるのなら、スキルは発動しない。時刻と世界との間にある矛盾に、システムは異常をきたす。

 キャスターの狙いはまさにそれ。太陽の加護のないガウェインは、王と三人の騎士の中では下位に位置する。最優の騎士と最強の騎士を相手取り、加護のないガウェインとモードレッドでは戦力差がありすぎる。

 セイバーとバーサーカーを足止めしようというのなら、あと一人必要になる。ただその選択は、敗北を認めるも同然の選択。残った一人でキャスターを追おうと、森の主たるキャスターと間桐のもう一騎とを相手に優位を得る事など不可能だ。

 戦力の分散は愚の骨頂。とはいえこの場での乱戦は余りにリスクが高すぎる。侵入者側の最も強力なサーヴァントを封じるだけで、容易く天秤の針は傾いた。

「手札の一つも晒さずに、私の庭を踏破しようなんて思い上がりもいいところ。そんな愚か者は此処で果てなさい。私と渡り合う資格すら有り得ないのだから」

 はためく翼に灯る魔力の灯。圧縮された魔力弾が、誰の手にも届かぬ天空から放たれようとしたその時──

 ──夜を切り裂く五つの光が、地上より天へと放たれた。

 唯一侵入者側で制空権を奪取出来る可能性を持つアーチャーが、具現化した弓に番えた名もなき矢を、一息の内に五条同時に撃ち放った。
 それはいつか弓兵が使用した矢に数段劣る無銘の矢。一撃の威力よりも初撃の速度と数を優先した牽制の矢。魔女の魔術の前には為す術のないその矢は、

「……フン、やはり幻影か」

 吸い込まれるように魔女の身体を貫き、貫かれた筈の魔女は煙か霧の如く夜の闇に四散した。

 権謀術数を得意とする魔女が意味もなく前線に姿を現す理由がない。こちらの侵入が気取られ、思惑をすら見抜かれているのなら、ネックとなる彼女自身が戦場の最前線に赴くのは道理に合わない。

 いつの世も、城主が座すのは天守閣と相場が決まっている。ならば今頃、本物のキャスターはこちらの動きを高みの見物と決め込んでいるに違いない。そしてガウェインを事実上無力化された侵入者側が取るべき選択をすら、恐らく見抜かれている。

「……相手の思惑に乗るのは気に食わないが、此処で退却しては余りにも無為。鉄壁の城塞がより堅固になるところを指を咥えて見ている事など出来る筈もない」

 今日此処で。この森を突破出来なければアインツベルンの勝利が揺るぎのないものとなるだろう。それを避ける為には、どうあれ森に挑むしかないのだ。

「ああ、キャスターの言葉はもっともだ。これは戦い、戦争だ。出し惜しみをして機を逸しては無様に過ぎる。この森を踏破する為──相応の札を晒そう」

 時臣の耳を飾る赤いピアスが揺れる。夜の中に真紅の輝きを放つ。

「令呪を以って命じよう──ガウェイン、君に太陽の加護を」

 令呪の強制力はシステムの矛盾を上書きする。太陽が輝いていなくとも、時間に矛盾があろうとも、小さな奇跡の絆は言葉を現実のものとして昇華する。
 そしてこの令呪使用による“聖者の数字”の強制発動という札を時臣が切る事はキャスターの、ひいては衛宮切嗣の狙い通りなのだろう。

 ああ、ならばこの遠坂時臣は──彼奴らの思惑のその上を行こう……!

「重ねて令呪を以って命じよう──ガウェイン、この一戦に限りバーサーカーを相手に“聖者の数字”を発動せよ!」

 一度破られた相手に対しては効果を発揮出来ないという欠点を持つ無敵のスキル。重ねて命ぜられた強制権により、今宵中天に輝く太陽は、最強の騎士を相手にしてすらその輝きは色褪せる事はない。

 これで時臣は初戦と合わせ三度限りの絶対命令権、令呪の全てを使用した事になる。マスターとしての資格を喪失するも同然の令呪の乱用も、主従の間に確かな絆があるのなら無謀ではない。

 この森を越える為、時臣は全ての札を切った。出し惜しんだ挙句踏破すらままならぬまま朽ちていくくらいなら、今日この日に戦いの決着をつけるくらいの意気を抱いて、前に進もう。

「ガウェイン」

「はい」

 その背より立ち昇る充溢する魔力の高鳴り。その背に誇らしさを覚えながら、時臣は言った。

「今の君は、この戦いに招かれた誰よりも強い。私はそう確信している。故に無様を晒す事など許されない。遠坂に組する者として、我らに勝利を齎す者として、恥じない戦いを見せてくれ、無欠の英雄よ」

「──はい。我が剣と誇りに賭けて。遠坂に勝利を齎すと、此処に誓いましょう」

 胸の前で掲げられた太陽の具現。かつてない煌きで刀身を輝かせる聖剣は、ようやくその真価を果たせると嘶いているかのよう。夜の冷気を払う熱を撒き散らしながら、白騎士は剣を構える。

「凛」

 父に視線を向けられ、娘は静かに頷きを返す。

「アーチャー、ランサー。先導は任せるわ。私達はキャスターを追うわよ」

 二人の応、という声を聞きながら、この場に残る円卓の騎士を除くマスター達は森の奥へと歩を進める。敵の妨害はない。今のガウェインを相手にしては、セイバーもバーサーカーも他所に気を回す余裕など微塵もない。

 不用意に視線を切れば、次の瞬間頭と胴とが死に別れていない保証はない。そんな背筋の寒くなる予感を実感とさせるほど、ガウェインの放つ気迫はかつてなく鬼気迫るものがあった。

「ようやく、邪魔者はいなくなったか」

 視線すら傾ける事なく広場を去ったバゼットとランサーを薄情だとモードレッドは謗りはしない。あれは無言の肯定。無防備に背を預けるにも等しい無垢な信頼。任されたのはこの森に存在する最強の二騎の相手を務めるという大任だ。

 意味のない激励も、価値のない発破もいらない。ただ信じ、前に進む事こそが彼らなりの激励なのだ。

 ……ま、それはオレがそう思ってるってだけの話で、そう思った方が気合が入るってだけの話なんだが。

 他人の腹の中なんか見えるわけがない。透視能力だってそんな器用に人の心を見透かす事なんて出来ないのだから。
 結局心を決めるのは己の意思一つ。他人の言葉なんてのは、何かの取っ掛かりになる事はあっても、鵜呑みにして良い方向に転がるなんて事は滅多にないんだから。

「…………」

 心を沈め、静かに息を吐く。

 心などとっくの昔に決まっている。己自身の為すべきもの、為したいと願ったものは、あの頃から何一つ変わっちゃいない。
 ならば示そう、この手で。胸に抱いたたった一つの、余りにちっぽけな祈りを、今度こそ叶える為に。

「じゃあ始めようぜ。アーサー王、今度こそオレは貴方を越える」

 白銀の剣クラレントがモードレッドの手の中で踊る。変幻自在、型のない剣を使う彼女ならではの構えらしくもない構え。受ける騎士王は下段に不可視の剣を構え、油断なく二人の敵手を見据えている。

「来るがいいモードレッド卿、ガウェイン卿。此処より先には、一歩たりとも進ませない」

「…………」

 ガウェインは無言のまま剣を握り直し、精悍な瞳は唸る黒き凶獣へと向けられる。

「Arrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr……!!」

 首に巻きつけられた見えない鎖を断ち切るが如く、神速の踏み込みでバーサーカーが戦端を切り、受ける白騎士の太陽の剣との火花が、開戦の合図として夜に散った。

 此処に伝説は再生する。
 歴史に名を残した四人の英傑。
 共に同じ時代を駆け抜けた円卓の騎士達は、この時の果てで再度火花を散らす。

 互いの立ち位置を入れ替えて。
 心に残響する想いを剣に乗せて。

 胸に抱いた尊き祈りを、今度こそ叶える為に────


+++


「おーおーうじゃうじゃいやがるねぇ、っと……!」

 ランサーの繰り出した赤槍が闇に閃く。リーチを生かした薙ぎ払いが行く手を塞ぐ雑兵──竜牙兵の群れを一網打尽にする。

 モードレッドとガウェインを残し、森の奥へと向かった者達を出迎えたのは、数えるのも馬鹿らしい程の骨作りの人形だった。行く手を遮る枝葉を払い、襲い来る兵を木っ端に変えながら、速度を落とす事なく一行は何処かにあるという城を目指す。

「つーか、おい、アーチャー! てめぇもちったぁ手伝いやがれ!」

「無茶は言うものではないなランサー。弓兵に何を期待している」

 弓を主武装とするアーチャーにとって、移動しながら敵を薙ぎ倒していくという戦い方は難しい。やろうと思えば出来なくはないが、酷く効率の悪いものとなる。何よりアーチャーの位置は殿だ。最前線を張るランサーとは立ち位置が違う。

「そもこの程度の雑兵、君一人で充分だろう? それとも何か? 私の手を借りなければままならないと泣き言を吐くのかな」

「チッ、一々癪に障るヤローだぜ。ああ、この程度オレ一人で事足りるが、ならせめて警戒くらいはしとけよ」

「言われるまでもなくやっている。私の感知範囲にサーヴァントの気配はない」

 とはいえ、此処は魔女の腹の中。それこそ気付く間もなく背後を取られる可能性とてゼロではない。軽口を謳いながら、その実アーチャーはずっと緊張の糸を周囲へと張り巡らせている。
 ランサーもそんな事は重々承知で、切っても切っても数を減らさない竜牙兵に業を煮やしちょっと悪態をつきたくなっただけの話だ。

「妙ね……」

 駆ける足を止めぬまま、凛が小さく呟いた。

「ええ、キャスターにしてはやり方が手緩い。こんな雑兵で我らを足止め出来るなどと、向こうも思ってはいない筈」

 受けてバゼットがそう答える。

 事実、以前彼女達が森に踏み入った時に視界を覆った霧や幻覚による分断が一切行われていない。夜の闇で視界が幾らか不明瞭であるとはいえ、僅かな月明かりを頼りに森を歩けぬほど魔術師は軟弱ではない。サーヴァントは言わずもがな。

「篭城を決め込むなら総大将の位置は天守閣って相場は決まってるけど、ねえバゼット。キャスターは本当にそこにいると思う?」

「…………」

 すぐには答えは返せない。僅かな思案の後、

「アインツベルンの総大将、というのは我らにとっての最優先のターゲット。であればそれは衛宮切嗣やキャスターではない」

 そう、この森の主キャスターをサーヴァントとするマスター。未だかつて戦場に姿を見せていない魔女の主こそが狙うべき標的。つまりはアインツベルンの首魁。であれば、此処まで秘匿したマスターのいる場所が城であるのなら、そこを主戦場とするだろうか?

 最も警備が厳重な場所は城だろう。トラップの類も張り巡らされていると予測される。ただし、敵をそこまで引き込むという事は、喉元に刃を突きつけられるも同然の事。最終防衛ラインを突破すれば、後に待つのは脅える子羊ただ一人。それは余りにリスクが高い。

「それに警戒すべきはキャスターだけではない事を忘れてはならない。衛宮切嗣に間桐の動きも気に掛かるな……」

 行く手を阻む雑兵を斬り倒すランサーの背から視線を逸らし、暗く闇の蟠る周囲へとそれとなく視線を向ける時臣。
 外道衛宮切嗣が、闇に乗じ何かを仕掛けてこない筈がない。アインツベルンと間桐の間に結ばれた協定がどういう形であれ、遠坂に敵意を向ける間桐が座して静観を決め込むというのも考えにくい。

 ならば────

「止まれッ!」

 アーチャーの突然の怒声に一行は一斉に足を止める。周囲を梢に囲まれた小道。見通しの悪い場所。闇の彼方から進軍してくる竜牙兵の数に衰えはなく。数秒の後、アーチャーの怒声の意味を皆が理解する。

「来たか……」

 闇に煙る白い靄。異常な速度で夜の森を霧が覆い、視界を白く深く閉ざしていく。

 霧が発生した直後から凛は魔術の起動を始めている。左腕に刻印された遠坂家の秘門、積み上げられた歴史の形──魔術刻印の回転数を上げ、霧による視覚妨害と次いで予測される幻覚に対処する為の術式を描いていく。

 ランサーは槍を構え周囲へと獣の眼光を向け、アーチャーは鷹の双眸で霧の向こうを見通す。時臣やバゼットも、油断なく周囲を警戒している。

 そしてそれは、彼らの警戒心を嘲笑うように顕現する。

 闇に轟く嘶き。不協和音じみた奇声。まるで断末魔の悲鳴の如き産声を上げ、周囲の木々が動き出した。

「ハッ──ここまで来ればもう御伽噺の世界だな」

 地に根を生やした木々がうねり、枝が触手のように乱舞する。枯れた筈の森は色付き、目に眩い新緑の葉を実らせる。
 具現化した異常。異常を凌駕する狂気。此処は魔女の腹の中で、全ては彼女の掌の上。眠れる森は叩き起こされ、森に踏み込んだ侵入者を喰らわんとその牙を剥く。

 狩人にとって、突破するべき森自体が、斃すべき敵へと豹変した。

 時を置けば数を増す竜牙兵と周囲を覆う木々。何処まで積み上げられる総量。敵を圧殺するかの如く、およそ考えられる限り最大の物量作戦に魔女は打って出た。

「ま、こちとら最大でもたった五人だ。雑兵もこれだけ数を揃えられちゃ面倒臭い事に変わりはないが──」

 ランサーは、周囲を圧倒的な数の敵に囲まれてなお不敵に笑う。

「──おいキャスター。まさかテメェ、この程度でオレ達英雄を殺せると、甘く見てるわけじゃねぇだろうな」

 地平を埋め尽くす兵の群れも、一騎当千の英雄の手に掛かれば物の数ではない。足止めとしては幾らか効果を為すだろうが、そんなものは文字通りの時間稼ぎ。篭城を決め込む側が取る策略ではない。
 ならばこの上にもう一手ある筈と踏んだランサーの慧眼は正しく。

「ええ、見事よランサー。脳味噌まで筋肉の野蛮な猿かと思ったけれど、多少は知恵が回るようね」

 森を従え魔女は宙に浮遊する。手には錫杖。カタカタと軋む竜牙兵の骨の音、蠢く森の異音を上書きする、鈴の音が鮮やかに夜に木霊する。

「貴方達は森に呑まれ、喰らわれ、此処で果てなさい」

 森自体が魔女の手足であるのなら、城まで敵を引き込む理由がない。見通しの悪い霧と夜の闇、周囲を圧倒的物量で囲まれた侵入者達に、魔女の目を欺き城を目指す道は何処にもない。

「道がなければ切り拓けばいい。至極単純な帰結だ」

 アーチャーは言って手の中に矢を具現化する。先ほど魔女の幻影を射抜いた粗末な矢ではなく、螺旋の刀身を描く煌びやかな剣を。

「おい、その剣は────」

 ランサーの瞠目と声を無視し、アーチャーは弓に番えた矢を引き絞る。

「凛」

「ええ。サーヴァントの相手は任せるわ。私達は城へ向かう」

 この場に残りキャスターと竜牙兵、森の木々を相手に立ち回るのは無謀に過ぎる。守るべき者を背に抱えて勝利を奪えるほど、今のキャスターは易くはない。

 彼女の慧眼は間違いなくランサー達のネックを狙いに来る。つまりはマスターを。であれば、此処で己がサーヴァント達の足手纏いになるくらいなら、命を賭して森の更なる奥へと踏み込み、城を落とす。それでこの戦いは決着を見るのだから。

「それを易々と私が見逃すと思って……?」

 しゃらん、と響く鈴の音に呼応し高まり行く魔力。天空に描かれた魔法陣は堆くその数を増していく。並の魔術師が見れば怖気を抱くほどの膨大な魔力を操る魔女を前に、赤と青の従者は笑った。

「見逃すさ。見逃すしか手はねぇ。でなけきゃ倒れるのはテメェの方だからな……!」

 蠢く木々が繰り出す枝の触手を斬り裂き、幹を蹴り上げランサーは宙を舞う。天に座すキャスターを目掛け、青い豹が夜に踊る。
 瞬間、地上より延びる銀の鎖。地表を覆い尽くす雑兵の彼方より伸びた鎖が、天に手を伸ばすランサーを絡め取り、地に落とさんと闇を走る。

 足首に巻きつこうとしていた銀の縛鎖を槍で払い、その出所を眇める。闇の中に浮かぶ紫紺。長い髪を躍らせた長身の女。瞳を覆い尽くす眼帯の向こうから、敵意を撒き散らす刺すような視線が透けて見える。

 それはこれまで姿を秘して来た間桐のもう一騎のサーヴァント。アインツベルンと間桐が手を組んでいるのなら、必ず存在すると思われた七騎目の英霊。

「アーチャーッ……!」

 天へと至る推力を阻害され、落下を始めたランサーの怒声が響く。魔女は無防備と化したランサー目掛け魔力弾を放ち、同時、アーチャーはランサーが看破した間桐のサーヴァントのいる地点目掛けて矢を解き放った。

「行け……!!」

 射線上に存在した全てのものを蹂躙し、闇の彼方へと消えていく螺旋剣。その一矢が切り拓いた道を辿り、マスター達は森の奥へと踏み込んでいく。
 今の一撃で間桐のサーヴァントを斃せたと思い上がるほど、アーチャーは楽観主義ではない。

 居所の掴めなかった敵の位置を把握し、足を止める為の計略。アイコンタクトもなく、無言の内に成立したランサーとアーチャーの共同戦線。その策は功を奏し、マスター達は無事この死地を突破した。

 とはいえ、彼らの置かれた状況は僅かに好転しただけ。アーチャーの拓いた道もすぐに閉ざされ、周囲は今一度竜牙兵と蠢く木々に覆い尽くされる。
 天には苛立たしげな魔女が居座り、ライダーと思しきサーヴァントの気配は周囲にあるものの、こうまで深く取り囲まれては正確な位置は掴めない。

「さて、どうするかねこの状況」

 無事着地を果たしたランサーはアーチャーにその背を向け、油断なく周囲を睥睨する。二人のサーヴァントを敵に回し、それに加え圧倒的な数の雑兵が視界を埋め尽くす。
 突破は容易ではない。ましてや、キャスターを打倒しようというのなら相当にリスキーとも言えよう。

「ま、こっからは勝負だわな。オレ達がキャスターを討つのが先か、マスター達が城を落とすのが先か」

 敵の足止めに留めるのならそう難しいものではない。だがランサーは端からそんな気は毛頭ない。この場で敵を討つ。それがどれだけの困難を伴おうと、成し遂げるだけの覚悟がある。

 それが彼の背負う英霊としての誇り。英雄としての矜持だ。

「誇りなど持つ身ではないが、この場に限っては君に賛同しよう。何よりマスターに託されたのだ、応えないわけにはいくまい」

 アーチャーは何を思ったか、弓を捨て、その手に一対の剣を具現化した。白と黒とで彩られた無骨な夫婦剣。弓兵が弓を捨て剣を執るというおよそ慮外の選択に、槍兵は半眼で睨めつける。

「……弓しか使えないんじゃなかったのかよ」

「私が一度でもそう口にした事があったかね。先入観でものを見すぎると、いつか手酷いしっぺ返しを喰らうぞランサー」

「抜かせ狸が。ハッ──まあいいさ。それがハッタリじゃない事に期待するぜ」

 互いにその背を預け、槍を、剣を構える。キチキチと嘶く雑兵の遥か頭上、冷酷な視線を眼下に向ける魔女は、静かに、開戦の歌を言の葉に乗せた。

「全く以って忌々しい。けれどまあいいわ。この展開もまた、想定の内……」

 この森の中で、魔女の掌から抜け出せる道理はない。今も眼下を見つめながら、違うところで森の全景を俯瞰する別の彼女が存在する。
 遥か前線で戦端を切られた円卓の騎士達の戦い。眼下で包囲を狭める雑兵を蹴散らし始めた槍兵と弓兵。そして森の奥へと向かったマスター達を迎え撃つのは……。

「さあ、踊りなさい。分かりきった結末へ向けて、転がり落ちるように」

 鈴の音が夜を渡る。
 骨の軋む夜の中に、一つの戦乱が幕を開ける。


+++


 アーチャーとランサーを置き去りに、三人のマスターは森を駆け抜ける。

 行く手を遮るものはない。時折群れから逸れた竜牙兵が襲い掛かってくるが、少数の雑兵相手に手間取るほど彼ら三人は生温い手合いではない。
 蠢く木々の化け物も、どうやらあれは森の全ての木々を手中とし操っているわけではないようで、幾らか距離を取った現在は、木々は木々のまま直立し、森としての在るべき形を取り戻している。

 とはいえ、夜の帳は健在だ。キャスターの結界内は全て昼と夜が逆転している。霧もまた薄くではあるが周囲を漂い、視界の不明瞭さに拍車を掛ける。

 時折を足を止め周囲を窺い、互いの存在を確かめ合うも、幻覚によるすり替えも行われた形跡はない。幻覚も森に仕込まれた時限式のトラップではなく、キャスター自身の手によって発動する術式であるのなら、それも頷ける。

 あの二人を相手に回して、こちらに気を割く余裕などある筈もないのだから。

 静けさに沈む森を走る。獣の息遣いの一つも聴こえない死んだ森。枯れ葉を蹴散らす時臣達の足音だけが響く深い森の中──

「…………ッ」

 先導していた時臣が、不意に手にしたステッキを虚空へと振るい、次の瞬間、呼び出された炎が前方より突如降り注いだ蟲の群れを焼き尽くした。

「……成る程。確かに、この展開ならば私に対する配役は奴しかあるまい」

 パチパチと火の爆ぜる音。焼け焦げて墜落した蟲は当然、この森に住まう原生虫などでは決してない。生き物のいない森に突如現われた蟲の大群。蟲使いに心当たりのある時臣は嘆息と共に告げる。

「凛、マクレミッツ。君達は先へと進め。奴はどうやら私に用があるらしい」

 間桐雁夜。遠坂時臣に並々ならぬ執着を持つ間桐の後継者。時臣にしても雁夜に対し借りがある。衛宮切嗣をこそこの手で討ち果たしたかったが、その前に返すべきものを返しておくのも一興。

 そう思い、時臣は二人に進軍を促したが、

「いいえ、お父さま。私も此処に残ります」

「……凛」

 無論、凛は父を心配してそう言い出したわけではない。そんなものは杞憂だ。凛は誰よりも時臣の実力を信じている。相手が間桐の秘術の継承者であろうと、遅れを取るなどとは微塵も思っていない。

「相手は“間桐”です。なら、私も残るべきでしょう?」

「ふむ……」

 流石に刻印を継承した手前、実力者二人を同時に相手取るのは時臣をして荷が重い。そして何より凛もまた因縁がある。間桐のもう一人の術者──間桐桜との間に結ばれた、消えない因果が。

「では私は城へ向かいます」

「良いのかねマクレミッツ。然らば君の相手は二人になるが」

 モードレッドがマスター不在のサーヴァントというイレギュラーな都合上、侵入者側はマスターの数で下回る。この場で遠坂が間桐を相手取るのなら、バゼットは一人でアインツベルンを相手にしなければならない。

「心配も気遣いも不要です。私達の目的に変更はない。如何に相手が魔術師を討つ事に特化した外道であろうと、こちらも外道の相手は慣れている」

 現役で前線で死闘の中に身を置くバゼットと、一線を退き十年以上隠匿を決め込んだ衛宮切嗣。戦闘者として優れているのはどちらか。一度は不覚を取ったが、二度はない。肩に担いだラックを背負い直し、踏み込む足に力を込める。

「分かった。武運を祈る」

「ええ、そちらも。では」

 たん、と一足で闇の中へと消えたバゼットの背中を見送り、時臣と凛は一帯を睥睨する。

「そろそろ姿を見せてはどうだ、間桐雁夜」

 その呼び声に応じたのか、夜に囀る梢の向こう、見通せない闇の中から二つの影が浮かび上がる。

 色素の失せた髪と射殺さんばかりの憎悪を瞳に滲ませた間桐雁夜と。能面のような無表情を貼り付け、茫洋と佇む間桐桜。間桐に名を連ねし二人のマスターが、同じく遠坂のマスター達と向き合う。

「まず初めに訊いておこう。間桐雁夜、君は何を考えている?」

「……何の話だ」

「今こうして我らが対峙している状況、これが本来あってはならないものだと、君は理解しているのか」

 アインツベルンと間桐が共闘などという事態になっていなければ、森の攻略はもう少し楽な展開になっていた筈。だから時臣は問うた。思惑の読めない間桐の真意を。

「さて……それを一々おまえに語って聞かせてやる義務は俺にはない。俺にとってはこの状況を作り上げられればそれで充分。遠坂時臣、キサマを完膚なきまでに叩きのめしさえ出来れば……!」

 闇の中から沸き立つ無数の甲虫。間桐の秘術に繰られた蟲が、幾十幾百とその数を増していく。時臣は無表情を装ったまま、手にしたステッキを回転させて夜の中に炎の花を咲かせる。

「大局を見る事も出来ず私怨に走る……ああ、間桐雁夜。君はやはり魔術師失格だ。一度は逃げ出した君に、魔道に背を向けた君に、その業は背負う資格などない」

 死と向き合う事に端を発する魔道。その歪さと過酷から目を背けた男が、正調たる魔術師である時臣には我慢がならない。
 十年の間でどれだけの研鑽を積んだのかは知らないが、所詮は付け焼刃。物心つく前から魔と共にあった時臣に、そんなナマクラが通用するものか。

「間桐雁夜、君はこの戦いの果てに斃れろ。間桐の家門を継ぐに、君という男は相応しくない」

 絢爛たる炎の輪を躍らせ、いつでも戦端を切れると意気込む時臣。対する雁夜は、蟲を周囲へと待機させたまま、喉の奥から森に轟く哄笑を響かせた。

「は、はははっ……! ああ、俺だって継ぎたくてこんなものを継いだんじゃない。継がなければならなかった。継がなければ、俺の代わりにあの地獄で責め苦を味わわされる少女(ヒト)がいたから……!」

 それを知り、目を背けられるほど雁夜は腐っちゃいなかった。

「自分だけが苦痛を味わうのはいい、でも、無関係な誰かが、自分の代わりに声すらも上げられない地獄でのた打ち回る様を、見て見ぬ振りなんて出来る筈がない……!」

 だから雁夜はその身を差し出した。あの悪鬼に、玩具にされる事さえも織り込み済みで背を向けた魔道に向かい合った。向き合った先で手に入れたのは、苦痛の代償としての力。手に入れたいなどと一度として思わなかった力だ。

 この身は復讐の想念で薄汚れている。今も怨敵を前に心臓は酷く脈打ち、視界は明滅し脳の奥から呪詛の声が聞こえてくる。その全てを捻じ伏せて、粉々に裁断されるが如き苦痛に耐えて、間桐雁夜は立っている。

 たった一つの祈りを叶える為。
 全てをその身体に背負い込んで、間桐雁夜は戦場にいる。

「魔道に苦痛は付き物だ。そんな生温い覚悟で足を踏み入れるから火傷をする。覚悟なき者は去れ。この道は、君のような男が歩いていい道ではない」

「────じゃあ、そんな覚悟もなく放り込まれた私はどうなるんですか」

 時臣の声を遮り、声を上げたのは間桐桜。幽鬼のような佇まいは変わらぬまま、垂れた前髪から覗く瞳には意志の力が垣間見えた。

「桜か……大きくなったものだ」

 細められた父の瞳が娘だった少女を見る。優しさに溢れた慈愛の眼差し。父が子に向ける温かな色を受けてなお、桜の心は揺るがない。

「答えて下さい。間桐に送られる事が決まった時の私に、貴方が言うような覚悟なんてなかった。そんな私が、どうしてあんなところに放り込まれたって言うんですか」

 静かな声で突きつけられた詰問。挑むような目で眇める桜の視線を不快に思ったのか、一歩を踏み出しかけた凛を時臣は手で制し、

「まさかそんな問いを投げ掛けられるとは予想だにしていなかったが……答えよう。桜、おまえは私の娘だった。遠坂の血を継いだ者だ。であれば、覚悟など生まれた時より決めて当然。今更そんな泣き言のような言葉、聞きたくはなかったな」

 落胆の色を滲ませ、そんな言の葉を紡いだ。

「…………ッ!!」

 遠坂時臣の観念に拠ればそれは当然の事。生まれついてより魔道と共にある者ならば、覚悟など意識する間もなく決めてしまって当たり前のもの。
 自らに流れる血を誇り、受け継いだ家門を誇りに思うのなら、その道を歩くと決意するのに何か別の理由など必要なものか。

 “常に余裕をもって優雅たれ”

 その家訓を是とし、心に刻み体現するのであれば、他に何もいらない。後は己の身一つで道の果てを目指し歩き続けるだけの事。

「おまえはそんな……そんな身勝手な決断で桜を間桐へと送ったのか……!」

「類稀なる才を有する者は、魔道の庇護なくしては生きられない。遠坂の家督を継ぐのが凛である以上、桜の才を腐らせる事になる。
 子の才を潰し、未来を閉ざす事を良しとする親などいまい。故に私は間桐に桜を養子として送り出した。全ては、桜の未来に幸あれと願ってのものだ」

 それも間桐雁夜の出戻りで、桜が間桐の秘術を継承する可能性は薄れてしまった。相互不可侵の条約が結ばれていた事もあり、雁夜の出戻りを時臣が知ったのは随分と後になってからの事だ。

 水の違う場所で育てられた魚を、今更生まれた池に戻したところでその水の中で生き続けてきた魚は超えられない。

 桜を遠坂に戻したところで凛を上回る可能性がないのなら、まだ間桐を受け継ぐ可能性や変異の芽がある間桐に残しておく方が良いと、魔術師としての時臣は判断した。
 何より遠坂と間桐の間で結ばれたその契約は正式に書面で交わされたもの。一方的な反故は難しく、そんな事をすれば遠坂の未来に禍根を残す。桜の未来を慮った余りに凛の未来を閉ざしてしまっては本末転倒。選択肢など最初からないに等しい。

「桜を此処まで育ててくれた間桐の翁に感謝しよう。数奇にもこうして聖杯戦争に二人が参戦したのも一つの巡り合わせ。
 凛が勝とうと、桜が勝とうと、その身体に流れる遠坂の血に勝利は捧げられる。十年の遅延が生んだこの幸運にこそ、私は感謝を捧げよう」

 間桐雁夜の歪んだ顔を涼しげな顔で見やりながら、

「後は……そう。雁夜、君が斃れれば万事抜かりはない。全ては遠坂の勝利の為。私は君に誅を下す」

「時臣……おまえは……おまえは狂っているッッ!!」

 遠坂時臣という人物は、人としての側面と魔術師としての側面が完全に乖離している。娘に向ける優しげな眼差しも、敵に向ける辛辣な視線も、等しく彼の本質を表したもの。どちらが本物かという問いには意味がない。
 どちらもが遠坂時臣。二つの顔を破綻する事なく持ち合わせ、時と場合で使い分ける二面性。ペルソナですらない顔を同居させる、その異常を指して雁夜は狂っていると叫びを上げる。

「魔術師として破綻している君にそんな事を言われる筋合いはないな。そろそろ戯言も終わりとし、決着を着けよう雁夜」

 闇に踊る炎を見つめ、雁夜は唇を噛むしかない。顔に張り付いた苦悶を隠す事も出来ないまま、ただただ無様に手に力を込める。

「俺は……俺は……ッ!」

 常軌を逸した魔術師としての時臣の本質を垣間見た雁夜が苦悶に沈む中、そっとその肩に掌が添えられた。

「……桜、ちゃん」

 前髪で表情を覆い隠した少女は、小さく首を振った。

「いいんです、雁夜おじさん。もう、分かりましたから」

「…………ッ」

 雁夜は己の不甲斐無さを恥じる。この場で一番辛い思いをしているのは誰だ。泣きたいのを必死に堪えているのは誰だ。

「ごめん、桜ちゃん」

 添えられた掌に手を添えて、雁夜は真っ直ぐに前を見る。

「最初に謝っておくよ。俺は──これから君のお父さんを殺す」

 ガチン、と脳の奥で撃鉄が落ちる音がした。僅かに残されていた、余りにも微かな希望はその本人によって砕かれた。
 ならば後はもう、やるべき事は一つしかない。彼女が願った居場所が、彼女にとって陽だまりにさえならないのなら。

 せめて──この命を賭して、あの暗闇から救い出すと。

 その為に、目の前の男を越える。この地に集うマスターもサーヴァントも全員斃し、聖杯を手に入れ、間桐の呪縛から彼女を解き放つ。その為だけに、この命を使う事に雁夜はもう何の迷いもなくなった。

「…………何やら、顔つきが変わったか」

 面を上げた雁夜に顔に、つい先程まではなかった覚悟が見て取れる。肉食獣の如き眼光を宿し、身体には魔力が充溢する。

「そんな顔も出来るのだな……だが私のやるべき事には何ら変わりはない」

「ああ、俺も覚悟を決めた。遠坂時臣、キサマのような奴をこれ以上のさばらせておけるものかッ!」

 雁夜が虚空に腕を振るい、周囲に蟠る蟲が一斉に飛翔する。標的は時臣。黒い鎧に覆われた蟲の群れが炎術師目掛けて殺到する。
 遅れて桜も腕を振るう。生じたのは影。夜の闇よりも濃い三柱の影が地表より立ち昇って蟲達を追うように迫る。

「────Anfang(セット)

 起動の呪文と時臣がステッキを振るったのもまた同時。蟲の大群は炎に飲み込まれ灰燼と化し、影の刃は凛が放った宝石によって掻き消された。

「相手を間違えない事ね桜。貴女の相手はこの私よ」

「……遠坂先輩……いえ、姉さん」

 指に幾つもの宝石を挟み持ち、これまで沈黙を貫いてきた少女が敵と定めたかつての妹を見る。無感情に、まるで見下すような眼差しで。

「貴女に姉と呼ばれる筋合いはないわね、間桐さん。さあ、いつかの約束を果たしましょうか」

 尋常なる勝負を。その身に刻んだ魔の薫陶を、積み上げた研鑽を白日の下に晒し、命を賭けて、聖杯を賭けて。

 遠坂と間桐。
 浅からぬ因縁を持つ者達の戦いの幕が上がる。

 この、仄暗い森の中で。













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