Act.10 /1 凪いだ風。無音の世界。色を失った夜の中、赤毛の王者とそのマスターは冬木大橋の中央でいずれ来る敵手を此処に待つ。 人影はなく、車通りもない。戦いの火蓋を切って落とすにはお誂え向きの舞台。邪魔の入らぬ決闘場。 「──来たか」 橋の中央に仁王立ちし、彼方を見据えていた炎の如き双眸が、歩み来る人影を捉える。揺れる金糸の髪。揺るがぬ意思を秘めた翠緑の瞳。 あちらもライダー達の姿を目視したのか、身に着けていたダークスーツを魔力の風が覆い隠し、白銀の甲冑がその実体を帯びた。 「よう、セイバー。待ち侘びたぞ。貴様一人か。マスターはどうした?」 「我がマスターはマスター自身の戦いを行っている。此処で私と肩を並べて戦う意味はないのでな」 「ふむ……坊主。余の傍を決して離れるなよ」 「あ、ああ……」 かつてランサーを相手にマスターの許婚を人質に取り、グレン・マッケンジーをすら盾にしようとしたセイバーのマスターの所業を思えばその警戒は当然と言えた。 今こうしてセイバーがライダーの気を引いている間も遠く離れた場所からウェイバーの頭蓋を吹き飛ばそうと画策していてもおかしくはないのだから。 「しかしそいつは面倒だな。貴様を相手にしながらそのマスターの方にまで気を払えというのは、些かキツイものがある」 「弱音など聞いてやるつもりはないぞ? これは戦い……命を賭けて剣を交える戦だ。生死を賭けない決闘ではない、殺し合いだ。マスターのやり方は卑劣なれど卑怯と謗られる謂れはない」 「謗りはせんさ。勝つ為に手段を選ばんというのも一つの戦い方だろう。しかし──ならばこちらのやり口にもまた、貴様らは口出しする権利はないぞ?」 瞬間、セイバーの鼻腔を掠めていったのは砂の匂い。身体を吹き抜けたのは寒空に吹く風ではない乾いた熱砂の風。 有り得ない。この橋上で季節外れも甚だしい、それも砂漠の風が吹き荒れるなど。 「……まさか」 昼間、一瞬だけ垣間見たライダーの宝具の一端。 恐らくはライダーが真に頼みとする切り札。その正体が今、明かされようとしている。 「貴様はこれを決闘ではないと言った。だが余はそうは思わん。これは共に王聖を持つ者がその道の誇りを賭けて合い争う決闘よ。 余の覇道と貴様の求道──どちらがより強い願いを抱いているかを競う闘争に他ならん」 吹き付ける風は何処までも強く。帯びる熱は何処までもその温度を上げていく。此処が冬の橋上だという事を忘れるほどに。 「であるのなら、その邪魔をする輩にはご退場願おう。我が そしていつしか、周囲の風景が変化する。 闇に没した街並は塗り潰され、遠く地平を望む荒野が生まれる。闇に覆われた夜空は掻き消え、天高く燃える蒼穹の空が広がっていた。 まさにその場所は遥か原野。赤銅の王者の心の風景を写し取った鏡面世界。その業は世界を侵食する禁術に他ならない。 「これは……」 「固有結界……おまえ、魔術師でもないくせに……」 「無論だとも。余一人ではこの世界を維持も展開も出来ん。だがこやつらが居ればそんなもの、取るに足りぬ瑣末事よ」 遠く響く軍靴の音。 蹄の轟き。 一人、また一人と王の名の下に馳せ参じる人影と騎影。 それら全てが 王と心の風景を同じくした、同じ夢を胸に抱いた兵共。 「──────」 唯一人、荒野を背にするセイバーの眼前に広がるのは、王を旗印と仰ぐ、地平の彼方を埋め尽くす万の軍。一糸乱れぬ統率でその轡を並べ、掲げられた御旗は吹きつける熱砂の砂塵にはためいている。 「ライダー……おまえは……」 「見るがいい、セイバーよ。これが余の総軍、死してなお繋がる朋友との絆の具現。余が背負った世界そのものよ」 この心象風景は確かにライダーのものだ。しかしそれを展開維持しているのは彼だけでなく、彼の後ろに控える勇者達。王の背に憧れ、王と共に戦場を駆け抜けた歴戦の勇。心で繋がった真の朋友。 この世界こそが征服王イスカンダルが生涯を掛けて手に入れたもの。 死してなお覇王と共にある ────故にその名を ライダーが最終宝具、その真価である。 「………………」 その光景を見て、セイバーは打ちのめされた。声は音にならず、見開いた瞳は地平を埋め尽くす彼軍に釘付けになってしまっていた。 目の前に広がるものは、セイバーがその生涯の最後まで手に掴めなかったもの。零れ落ちていった確かな後悔。 ──王は、人の心が分からない。 そう謗られた孤独の王には、とてもではないがこんな世界を描けない。騎士達との絆など王の統治には必要ないと切り捨てた彼女には、到底及びもつかない代物だ。 この時の彼方で再び剣を交わした湖の騎士の心さえも、最後までその真意を知る事が出来なかった。 知る必要などないと思っていた。知って何が変わると思っていた。 個人を想えば迷いが生じる。誰かを特別視してしまっては、理想の王ではいられなくなってしまうから。 だから無情に私情を殺した。自らに天秤である事を課し続けた。国という世界とその中で生きる民を守る為の機構で在り続けた。 だが────…… 「ああ……」 だからこそ、彼女にはこの光景が目に眩い。手に入れられなかったものだからこそ、その輝きに目を奪われた。 もし円卓の騎士達とこの覇王のように絆を築けていれば、違う結末もあったのではないかと。 湖と太陽の騎士を筆頭に、その背に連なるは無双にして誉ある円卓の騎士達。肩を並べ轡を並べ、襲い来る異民族を撃退する。 凱旋と共に響く民の奏でる凱歌に酔い痴れ、勝利の宴では肩を抱き合い酒を呑み、共に武勇を誇り謳い上げる。 そんな幻の如き夢を想い──そしてすぐさま打ち捨てた。 ……今更だろうアルトリア。おまえが胸に秘めた想いはたった一つ。国を救うという祈りだけの筈。 故にそんな夢物語は必要ない。赤毛の王の 遍く騎士達の誇り。 夢と希望を織り上げた星の鍛えし最強の聖剣。 その輝きが曇らぬ限り、この星が堕ちぬ限り、彼女は前を向いて走り続けられる。 「征服王イスカンダル──御身とその背に連なる勇者に敬意を払う。その上で言わせて貰おう。汝らの絆が尊くとも、私には譲れぬ想いがある! 決して引けぬ祈りがある! 故に此処に雌雄を決しよう!」 逆巻く風。セイバーの手にする不可視の剣より、風が轟き嵐が生まれる。 「この手に宿る聖剣の輝きを恐れぬのなら掛かって来い! 私はその全てを打ち倒そう。その全てを薙ぎ払おう。 我が一なる剣を以って、汝の率いる覇軍の総てを超えていく────!」 たった一人、荒野に立つ孤独の王が謳い上げる。 そして遂にその封を解かれる聖なる剣。刀身を覆い隠していた風の鎧を解き放ち、熱砂の風を巻き込み嵐の如く吹き荒れる。その中心に輝くのは星の光。誰もが空に望み、手を伸ばし、そして掴み取れない希望の星。 彼女だけが担う事を許された、この世でもっとも尊い光。 誰もが遠い日に見た天の赫耀。 手にする聖剣は遥か地平に輝く絆の軍勢に劣らぬ煌きを発し、主の声に応える。 「たった一人で余の軍勢に挑むか。余が朋友と共に覇道を謳うのならば、貴様は孤高に在りて求道を突き進むは必定か」 空間を裂き現れる強壮なる騎乗戦車。その御者台で神牛の手綱を握り、覇軍の王は剣を掲げて空に吼える。 「さあ者ども! 戦よ! これより駆け抜けるは在りし日の戦場よ! しかし敵はたった一人。されど彼の者もまた勇者である! 恐れを抱け! たった一人と侮るな! 奴の手には我らを駆逐するに足る灼熱の輝きがあると知れ!」 響き渡る鬨の声。王の謳う言葉に同調するように、ウォークライは何処までも高く空に響いていく。 「征くぞ者どもぉ!! これより再び、世界を征す為の行軍を開始する────!!」 『AAAALaLaLaLaLaie!!』 軍神への祈りを空に響かせ、戦車が、騎馬が、兵がその歩みを開始する。声を張り上げるのは王の背に夢見た兵達だけではない。王のもっとも傍にいるウェイバーもまた、喉を嗄らして声を上げる。 自らもまたこの 遂に戦いの火蓋は切って落とされた。 最後の夜の初戦を飾るに相応しい幕開け。 心を紡ぐ絆の軍勢と、孤高に在りて夢を織る理想の体現者。 地平を埋め尽くす覇軍と地上に輝く一なる星とが、今此処に最後の火花を散らす。 遥か未遠川に架かる冬木大橋を見通す海浜公園の雑木林の一画に、切嗣は身を潜め狙撃銃のスコープ越しに展開された王の世界を覗き見ていた。 世界を侵食し、現実を塗り潰す固有結界。裕に数百メートル離れたこの場所からでも、その実体が掴めない。まるで地平に揺らめく蜃気楼。夏の陽炎を思わせる、距離感さえも把握出来ない泡沫の夢。 あの世界が展開された以上、外部からの侵入も干渉も不可能だ。心象風景を具現化した者にとって都合の良い世界。その者だけの境界線を越えることは、術者の許容がなければ不可能に近い。 故にセイバーとライダーを争わせ、その隙を衝いてウェイバーを殺害するという目論見は此処に潰えた。 元々ライダーの傍を離れないウェイバーを狙い撃つ事は困難を極めると思っていたし、あの結界も長くは持たない。 現実を侵食する異物である以上、世界よりの修正は体内時間を加速させる切嗣の固有時制御など問題にならない比で行われる。 現実は幻想を許容しない。夢とは須らく覚めるべきもの。人の願う祈りなど、現実という世界の強固な壁の前には余りにも無為に等しい。 その境界線を越えられるものこそが聖杯の齎す奇跡。恒久の平和、争いの根絶された世界という切嗣の祈りを形とした固有結界にも似たもので、今の世界を塗り潰す。この弱者に辛辣な世界を、破壊する。 傍に置いた木箱の中に収められた黄金の杯。完成には未だ遠い器に 「殺しを生業とするものが、獲物に先に気配を察知されるなど、程度が低いぞ暗殺者」 「……っ!?」 狙撃銃と木箱を残し、切嗣は立ち上がり後方を振り返る。闇に没した梢の影。目を凝らしてすらよく見えない暗闇を見通し、魔術師殺しは潜む白面を睨み付ける。 「如何に気配遮断のスキルが強力であっても、攻撃態勢に移る時に漏れ出す殺気までは完全に隠せていないようだな」 「……馬鹿な。我はまだ、 「だから程度が低いと言っている。僅かな気配の揺らめき。敵を殺すと覚悟した時、既におまえは殺意を放たなくとも抱いている。 それは確かに微弱なもので、取るに足らないものだろう。しかし今の僕の前では、その微細な揺れでさえ命取りだ」 「…………」 それはおよそ人間に知覚出来るものではない。人としての限界を極めたサーヴァント達ならば察知可能なレベルの所業。 ならば今、黒衣の白面の前に立つ無謬の男はその域に達しているとでも言うのか? 「……有り得ない」 そう簡単に英霊の位階に足を踏み入れられるものか。アサシンがその末席に連なる者でしかなく、強者達とは比較にならないものであったとしても、この身は同じく人の限界に位置する存在だ。ただの人間に、見下される謂れはない。 「……痛みも知らぬまま殺してやるのがせめてもの救いだと思っていたが、どうやら貴様は苦しんで死にたいらしいな」 「生憎と殺されてやるつもりなどないのでね。抵抗はさせて貰う」 白面が手にしたダークに力を込め、切嗣は懐より魔銃を取り出す。その様を見て取った暗殺者は、忍び笑いを漏らした。 「ハッ──ただの銃弾がサーヴァントに通じるとでも?」 「やってみなくちゃ分からないだろう? 御託はいい、さっさと来い。お前が言峰綺礼の差し金であれ独断であれ、殺す事に変わりはない」 「ほざけ人間──! 己の無力を噛み締めながら、無念の内に死んでいけ……!」 闇を駆ける白面。迎え撃つ切嗣の瞳に迷いはなく── 「 英霊に拮抗する為、自らの限界を超越した禁断の呪言を紡ぎ上げた。 /2 地平の彼方より迫り来る万の軍。土煙を巻き上げ、咆哮を空に響かせながら、たった一人の少女を討ち取る為に駆け抜ける。 油断も慢心も微塵もない、全力での走破を以って王が認めた好敵手の首級を奪うは己であるとその瞳に力強き意思を宿しながら、世に名を馳せし勇者どもが迫ってくる。 「…………」 その威容、圧倒的な威圧を前に、セイバーは心を静め手にした剣を振り上げる。膨大なまでの魔力の高鳴り。溢れる光は地平を染め上げ、煌きは加速集束し、刀身を極光へと変えて発動の瞬間を待つ。 幸いにして初手はこちら。地平に展開された王の軍勢がセイバーの下に辿り着く前に、初撃を振るう事を許されている。 それは赤毛の王の情けなどではない。全軍の威容を見せつけ、初撃で相手の最大戦力を把握する為の軍略だ。 そう理解していながらセイバーは撃つしかない。このままあの覇軍の中に飛び込めば、秒を待たずして踏み潰される。故に初撃は最大火力。ライダーの思惑をすら凌駕する、星の煌きで以って全てを薙ぎ払おう────! 「──── 其は栄光と常勝を約束された、遍く全ての騎士達の王が担うに相応しい、戦場に散ってゆく兵達の夢を織り上げた剣。人の夢、星の輝きを一手に集めた、この世で比するもののない最強の聖剣。 誰もが胸に抱き、その輝きを夢見ながら、終ぞ手にする事の叶わぬ星の光。 その輝きが今──何れ劣らぬ輝きを放つ覇軍とその王座を駆逐する為、全霊を以って振り下ろされる。 「 世界を分かつ光の束。その極光は当然にして軍勢の先頭を直走る王の騎乗する戦車を薙ぎ払わんと、神速で以って繰り出された。 「ぬぅ……坊主!」 「ああ──跳べライダァァァァ……!」 脅威の迅さで振り下ろされた聖剣を回避する事叶わぬと思ったのか、ライダーは戸惑いもなくウェイバーに令呪の使用を命じ、主もまた躊躇なく一画を切り捨てた。 直後、覇軍の中央を割る大斬撃。先端に集束した最大火力は王の軍勢の中心地に着弾し全てを飲み込み、その軌跡上にあった臣下達を灼熱の業火で焼き尽くした。 遥か高空、令呪の奇跡により全てを焼き尽くす星の輝きから逃れたライダーは、眼窩に広がる殲滅の跡を眺めながら嘯いた。 「なんという輝きか。これが最強の聖剣、星の一振り。遍く騎士達の夢を束ねた光の波濤」 ──素晴らしい、とそうライダーは賛嘆した。 「褒めてる場合か!? 今の一撃でどんだけやられたと思ってンだよっ!?」 「半分はいっておらんだろう。でなければこの結界を維持出来なくっておる筈だからな」 しかしそれでも五分の一か……下手をすれば三分の一ほどは光の波濤に飲み込まれたかもしれない。 特に前線に展開していた足の遅い歩兵部隊がその割を食った形となる。騎馬部隊は幾らか逃れたかもしれないが、それでもダメージは深刻なものだ。 本来の戦ならこの時点で軍師が撤退を進言している事だろう。仮に三割が失われているとすれば既に全滅に近しい被害を被った事になるのだから。 それでもこの軍勢は王の覇軍。王が退かぬと決めたのなら、死力の限りを尽くして命を燃やす、信仰にも似た忠誠を誓う勇者しかいない。 「見たか者ども! あれこそが世でもっとも美しい星の輝き! 比するもののない命の煌きよ! その上で問おう、あれは臆するに値するものか!? 我らが軍勢では、決して届かぬ代物か!? 違うだろう──!」 『然り! 然り!』 「ならば次はこちらの番よ! 何れ劣らぬ勇者達よ! その命を輝きに変え、あの極光を喰らい尽くせぃ……!」 王の言葉と共に展開される覇軍の隊形。最大火力を放ったが故に僅かな硬直と次なる一手を決めあぐねていたセイバーを包囲する、密集陣形。 生き残った前衛たる歩兵達は手にする身の丈を超える槍を構え、左翼には矢を番えた弓兵部隊が牽制を担う。騎兵は右翼に展開し、突入の気を窺っている。 それはかつてマケドニアで考案、席巻したファランクスと似て非なるもの。たった一人の騎士王を討ち取る為に展開された、無慈悲の軍勢である。 「さあ、これで逃げ場はないぞ騎士の王。単騎でこの包囲を突破することが叶うか?」 「戯言だな征服王。我が手にある聖剣の煌きをもう既に忘れたか。如何に包囲を行おうともこの輝きは全てを撃ち払おう」 「使えるのならばな。使わせんよ、そして先を見据えているお主ならば、此処で死力を尽くし切るわけにはいくまいて」 ライダーを超えた後に控えているのは未だ正体不明のアーチャーだ。あの敵を倒す為には余力を残しておかなければならない。如何に切嗣が必勝の策を講じていようとも、セイバーが使い物にならないくらい疲弊していたらどんな策謀も無為に帰す。 だが侮るな征服王。 彼女の身に息衝く竜の 完全回復までは今暫くの時間が必要だが、残る王の軍勢を薙ぎ払うには後一撃放てば事足りる。先と同様の被害を与えれば、流石にこの世界を維持し続ける事は不可能だ。 「固有結界を展開した事、それがおまえの失着だ征服王。この世界ならば何を憂う事無く我が聖剣はその威力を遺憾なく発揮出来るのだからな」 「そうはさせんと言った筈だ。さあ征くぞ者ども! 二度とは聖剣を撃たせるな! その前に奴を蹂躙せよ──!」 狭まる包囲の網。頭上より降る無数の矢雨。隙間を縫うが如く疾走する騎馬の群れ。それら威容を前にセイバーは剣を握り締める。今一度聖剣を振り翳す好機を探し、襲い来る無尽の如き軍勢にたった一人で立ち向かっていった。 雑木林を駆け抜ける風。共に黒の軌跡を描き、アサシンと切嗣は疾走する。 繰り出される短刀の雨を強化した視力と三倍速化した世界の中で見咎め、最小の動きで回避する。しかし切嗣は手にした魔銃を撃ち放たない。アサシンの言うようにただの銃弾では元が霊体であるサーヴァントには通用しないからだ。 それを知るアサシンは自らと拮抗する速度で森を走る人間の脅威に呆れと賛嘆を思いながら、勝利の確約された戦いの中に身を埋める。 あの男の加速には恐らく限界がある。ただの身体強化を超越した何かの術を使っているのは間違いなく、それは代償を必要とするものに違いない。 人間が何のリスクもなく英霊に拮抗する事など出来るわけがない。そんなものが居ては英霊の名が廃り、居たとしてもそれは何れ世界に祀り上げられる剛の者だけだ。 目の前の敵はそうではない。矮小な人間の身で英霊の高みに指先を掛けようと手を伸ばしている愚者に過ぎない。こうして勝ち目のない鬼ごっこに興じているだけで自滅する。手を下すまでもなく自壊するのは自明の理だ。 それでもなおダークを繰り出し首級を狙うのは、彼なりの慈悲だ。終わりの見えている疾走、断崖絶壁へのチキンレースを手ずから終わらせる為の容赦のない連続投擲。それを捌く切嗣の頬を伝う一滴の汗を、この白面は見逃さない。 「キィ────!」 同時三閃。その影に紛れて放つ四本目の隠し刀。都合四つの軌跡が木々の隙間を縫い切嗣目掛けて飛翔する。 対する切嗣は加速した時の中を駆け抜け、自らを蝕む世界よりの修正を噛み殺し、迫る三つの短刀を最小の動きで回避する。しかしてその回避を予期していたかのように、四本目の刃が目の前に迫る。 「────っ!」 左腕を切り裂いていく闇色の刃。コートごと腕の筋を断裂した刃はその威力を残したまま闇の彼方へと消えていく。そして遂に生まれた切嗣の隙を衝くように、 「これで終いだ」 闇に踊る白面を、その間近で死として見た。 手ずから振り下ろされる秘蔵の刃。中東の流れを汲んだ彼だけの得物を右手に担い、容赦なく切嗣の胴を袈裟に斬り裂いた。 声もなく、音もなく。血の翼を描きながら崩れ落ちようとする切嗣は、 「終わりなのは貴様だアサシン」 踏み締めた足に力を込め、逃げ場のないほど間近にいたアサシンの心臓に魔銃の銃口を押し当て、その撃鉄を叩き落した。 「ガァ────!?」 アサシンの驚愕は計り知れない。必殺の一撃でなお死に至らず、あまつさえ反撃に出た暴挙の正体が分からない。そしてこの心臓を確かに撃ち貫いた銀の弾丸の意味をすら知らぬまま、霊核を撃ち抜かれた白面は、闇の中で消え去った。 「────……っ」 喉よりせり上がる血の塊を無理矢理に飲み下し、切嗣は解呪の呪文を唱え加速を終わらせる。身体を襲うこれまで感じた事すらない、それこそ死を想起させるほどの激痛に苛まれながら、それでも膝を折る事だけはしなかった。 ……如何にダメージを無視できるとはいえ、痛みまでは消せないか。 心中で愚痴を吐き出しながら、元居た観測地点へと戻る。 そこにいたのは他でもない──倒した筈のアサシン。いや、分体の一体だった。 「人の身で我らの影の一つを滅ぼすとは。その異常性、驚嘆して余りある」 白面の下に隠れて見えない面貌。故に真実このサーヴァントが驚嘆しているかどうかは不明ながら、その言葉の端々に感じる敬意は本物だった。 「しかし我らの目的はこれにて達成される。この杯、頂いて行くぞ」 切嗣が霊地に持ち込もうとしていた木箱に納められた黄金の杯。それを奪い取る為にアサシンは切嗣を強襲した。先程倒したアサシンにしても同じ。あれは切嗣の性能を確かめる為に遣わされた、言峰綺礼の放った試金石だ。 これまで幾度となく切嗣がセイバーを伴わず戦場を横行した真意。その底にある絶対の自信の正体。それを解き明かす為、来るべき決戦の時に備え、綺礼は切嗣の秘密を暴きに掛かったのだ。 アサシンに拮抗するほどの加速能力。 サーヴァントをも屠る銀の魔弾。 そして致命傷を受けながら、反撃を可能とし今なお生存している異常なまでの回復能力。 その全てを、切嗣は暴かれた。その正体にまでは理解が及ばずとも、切嗣の性能についてのほぼ全てを綺礼に知られたと言っても過言ではない。 その上でなお、切嗣は泰然とした姿勢を崩さない。今見せたすべては、知られたところで構わないものでしかない。真なる秘奥は未だ手の内。そしてその底の底を、未だこの男は見せていない。 「どうやらあちらの戦いもやがて終わるようだ。我が主は御身を待ち望んでいる。故に参られよ。聖杯降臨の地にて待つ」 そう言い残し、アサシンは聖杯の器と共に闇に消えた。 「…………」 失ったものに目を向ける事無く、切嗣は遥か未遠川の彼方を見据える。逆巻く魔力の滾りがこの距離からでも見て取れる。聖杯降臨の地──新都は冬木市民会館。その場所で既に言峰綺礼は待ち構えている。 衛宮切嗣の到来を待ち望んでいる。待ち侘びている。あの男が切嗣の何を見ているのかは知らないが、切嗣にしても避けては通れない敵である。 視線を橋上に向ける。アサシンの言ったように、あちらの戦いの終わりも近い。固有結界の解れた後の展開を思い、切嗣は行動を再開した。 /3 戦場は激化の一途を辿り、戦いは熾烈を極めていた。 降り注ぐ矢の雨を掻い潜り、弓兵の懐に飛び込んで膨大な魔力を上乗せした剣戟で一薙ぎで撃ち払う。一団の壊滅を見て取った騎兵の馬上からの槍の連撃を、その身を覆う魔力の鎧で凌ぎ切り、騎馬の足を払って落馬させる。 迫る歩兵の一団が撃ち出すサリッサの面攻撃を、足に込めた魔力をブーストと化して踏み切り、その頭上を越えて背後に回り、回転性能の低い彼らを一網打尽にする。 その様はまさに一騎当千。 戦場に吹き荒れる嵐、咲き乱れる紅蓮の仇花。 単騎ゆえの利点である性能を遺憾なく発揮し、大軍であるが故の不利を衝いて少しずつその戦力を削ぎ落としていく。 聖剣の一撃にて三割弱。そして今斬り伏せられた数を足せば四割にも届きそうな勢い。このままではそう遠くない内に覇軍は瓦解する。 たった一人の騎士に、潰走を強いられる。 「……これが彼の騎士達の王の実力。羨望と憧憬、そして畏怖を以って恐れられた王者の真価か」 最優の剣士。 英霊の中にあっても最強の一角。 それは何も星の聖剣があるからだけではない。その輝きを封じられてもなお白兵戦において無類の強さを誇る力量がある。 彼女の身に宿る直感は勝利への道筋だけを照らし、その身に宿る高き魔力は剣となり盾となり主を守護する。 征服王をして賞賛して止まない天下無双の剣。彼の総軍を以ってなお、押し留める事の叶わぬ暴虐の神威。 「ど、どうするんだ……? このままじゃ……」 ウェイバーの慄きを窘めるようにライダーはその頭に手を置いた。 「こちらの被害も甚大だが、相手も相当に疲弊をしている。見るがいい」 眼窩で繰り広げられる戦いの勢いは、徐々にその勢力を拮抗させていく。迫る槍の横薙ぎの風、頭上より降る矢の駿雨。響く蹄の音。 その全てに注意を払い続け、緊張の糸を切らせる事無く立ち回らなくてはならないセイバーの疲労は尋常ではない。 「くっ────!」 浴びては消えていく血飛沫。けれど彼女の身体から流れ落ちる汗は消える事無くその疲労の度合いを表している。如何に魔力の後押しによって切れ味の鈍らない剣であろうと、担い手の疲労には逆らえない。 振り下ろす剣の速度は僅かに落ち、斬り伏せられる覇軍の数は減少している。王の軍勢もその数を減らしている故に目に見えた変化は少ないが、それでも形勢は徐々に傾き始めていた。 「奴が膝を屈するのが先か、我が総軍が敗れるのか先か……」 その確率は五分。天秤の針は未だ勝者を見定めてはいない。 しかしライダー達にはまだ手が残されている。彼ら自身は実質無傷に等しいのだ。王の軍勢を展開している魔力こそ失ったものの、ライダーには未だ騎乗し手綱を握るもう一つの宝具がある。 軍勢がセイバーを疲労させ、その後に神威の車輪で以って決着を着ける。それが征服王の目論見であった。 「……と、思っておったのだがな。それでは奴の心を折れまい。これは奴を斃すのではなく仲間に引き入れる為の戦いよ」 「あ……」 ウェイバーですらそれを忘却していた。それほどにあのセイバーは強い。加減をして勝てるような相手ではないのだ。 「先を見据えるのなら完全に疲弊させては意味がない。アーチャーとの戦いの時に使えぬようでは無意味だからな」 故にセイバーを下すには余力を残す今しかない。その上であの聖剣の光を超え、ライダーの実力を認めさせねばならない。その所業の何たる困難か。ただ勝てば良いセイバーとは違い、ライダーはその不利を強いられている。 「で、だ坊主。余は今から一つ仕掛けようとおもうのだが──」 「──やれよ」 己が策の全てを言い終わる前に、ウェイバーは肯定を返した。 「おまえがやると決めた事をやればいい。ボクはこの令呪で全力でサポートするだけだ」 「──ハッ。良いぞ! まっこと良いぞ我がマスター! それでこそ我が朋友よ……!」 王は手にした手綱を引き、より高き天を目指し駆け上っていく。 世界の果て、空の彼方。 太陽に焦がれたイカロスのように、何処までも高く空に舞う。 そして地上でも異変が起こる。これまで息をも吐かせぬ熾烈なる攻撃を間断なく繰り出し続けてきていた王の軍勢の手が僅かに鈍る。 ライダーが天高く空を目指して駆け上っていった事を承知している。故にこの硬直も恐らくはライダーの策の内。 しかしセイバーにとってはまたとない好機。一瞬の溜めを要する聖剣を、今一度振りぬく事を可能とする刹那の勝機。 このままで何れ大軍に踏み潰されかねないと思っていた矢先に降って沸いた好機なれば見逃す理由は何処にもない。 「はぁ────!」 身体より発する魔力の暴風で迫る敵軍を吹き飛ばし、最優の剣士は集束を始めた聖剣を振り被る。 その所作を遥か天から見咎めた覇軍の王は、此処に一つの奇策を弄す。 罅割れる世界。 消えていく蜃気楼。 夢幻の如く掻き消える、王とその臣下達が魅せた夢。 それは固有結界の解除を意味するもの。 即ちライダーは王の軍勢でなく、その維持に回していた魔力さえも上乗せし、神威の車輪にてその決着を着けるつもりなのだ。 「くっ……!」 セイバーは振り上げた聖剣を一度降ろし、天より迫るライダーを迎撃するに足る足場と場所を求めて橋を昇る。 鉄骨を蹴り上げその頂上に至り、空より降る巨星の如き雷光を見る。 同時、川下に切嗣の姿を見咎める。川中に設置された大型船。恐らくは固有結界展開後に聖剣を使用する可能性を考慮して配置したものなのだろう。 切嗣が現状を予測していたとは思えない。だがその位置はまさに、セイバーがライダーを迎撃し、剣を振り下ろしてなお被害を最小限に食い止められる最高の位置。 「はぁあああ……!」 ならば後は、何を憂う事無く手にした剣を解き放つのみ────! 天より尾を引いて降る稲妻。 夜空を染め抜く白き雷光。 それを迎え撃つは星の輝き。 雷光をすら染め上げる、真白の極光。 「──── 「──── 地上に堕ちる巨星と── ──天を斬り裂く彗星とが 「 「 互いの誇りを賭けて、今──最後の輝きで夜空を染め上げた。 此処に勝敗は決する。 夜を焦がした聖剣の極光は振り下ろされ、未遠川の水を干上がらせ、夜を二つに引き裂いた。 対する雷神の戦車は──── 「……よもや、あの疾走を以ってなお届かぬとは」 天空からの加速。重力さえも利用した墜落にも等しい加速を得て放たれた蹂躙走破は、セイバーの手にする聖剣の輝きの前に駆逐された。 全てを飲み込む光の奔流の中で、死を覚悟したライダーを救ったのは、他ならぬウェイバーの令呪だった。 言葉を発する事さえ出来ない刹那。視界が全てを染めていく中、ウェイバーの祈りは確かに聞き届けられた。まだこの王といたい。この王を死なせたくない。言葉にはならない想いが、それでも確かに彼の手を焦がして成就されたのだ。 そして二人は橋上に舞い戻る。騎乗していた戦車は光の渦に飲み込まれ、彼ら二人だけが地上に帰り着いた。 「……ごめん、ライダー」 「なにを謝る?」 「ボクはあの時、離脱じゃなくて加速を願うべきだったんだ。セイバーの聖剣を超える事の出来る奇跡を」 それを願えていれば、あるいは聖剣の極光を突破する事さえ可能だったかもしれない。事実としてセイバーの一撃は、僅かではあれ切嗣の令呪の後押しを受けていた。その差が両者を分けたものなら、微々たるものとはいえ決定的な差だった。 「良い。あのままならば余と共に貴様まで巻き込んでおった。それを思えばこうして大地に再び足をつけていられる事を誇りこそすれ、貶す事などありはせん」 ──良くやった。 そう言い、赤毛の王は未熟な魔術師の頭を撫でた。 その行為が余計にウェイバーの胸を締め付ける。この王が生きていて良かったという想いと、その最後で力になれなかったという悔恨とが綯い交ぜになり、ウェイバーの胸に言葉に表せない感情が渦を巻く。 「私の勝ちだな、征服王」 橋上へと降りてくる白銀の姿。手にした剣は今一度風の封印を施され、疲労の滲む顔はそれでも勝利を誇っていた。 「ああ、余の完敗よ。我が総軍はその首級を奪い取る事が叶わず、決死の走破もまた破られた。貴様の勝利だ騎士王」 「私はおまえと戦えた事を誇りに思う。これで我が願いが果たされたとしても、悔いのない戦いを出来た。この勝利を永劫誇り続ける事が出来る」 共に死力を尽くした結果であれば、そこにあるのは賛辞のみ。征服王は騎士王の勝利を称え、白銀の王は赤銅の王の気高さを賛嘆する。 何か一つが違えば勝敗の逆転していてもおかしくはなかった死闘。故に両者は互いを好敵手と認め、その誇りを賛美した。 「────戦いの余韻に浸るのは良いが、この我の存在を忘れるなよ?」 「ウェイバーッ!」 それは二人の戦いの結末に水を差す横槍。天空より降る文字通り致命の刃の雨は、ウェイバーをその巨躯で庇ったライダーの大きな背中を無数に貫いた。 「ぐっ……ぬ……」 「おい、ライダー……!?」 「アーチャー!? 貴様何を────ッ!」 膝を折りかけたライダーを支えるウェイバーと、一息の間に距離を詰め、二人を背に庇うようにセイバーはアーチャーと向き合う。 地上へと降りてくる黄金の風。自らの成した事を当然と受け止めた素知らぬ貌で、アーチャーは嘯いた。 「何を……とは手酷いなセイバーよ。我はおまえと我の婚儀の邪魔になる輩に手を下したに過ぎんのだが……?」 「……まだそのような戯言を謳っているかアーチャーよ。貴様が如何なる英霊であれ、私は貴様のものになるつもりなど微塵もないと、いつか言った筈だ!」 「我も言った筈だがな、おまえの答えなど聞いていないと。これは我の決定だとな」 両者の間に散る火花。 それは今にも戦端を切って落としかねない張り詰めた糸のようで── 「はっ……この余を差し置いて、勝手に話を進めるとは全くけしからん連中だ……」 「ライダーッ!? 止めろ、動けるような傷じゃ……」 ウェイバーの制止を振り払い、その背に無数の剣を刺されたまま、征服王は口元に沸いた血を飲み下し、セイバーを退け前に出る。 「ライダー、何を……」 「黙っておれ小娘が。こやつは余にケンカを売ったのだ、貴様には関係がない……!」 威風を纏い紅蓮の王は仁王立つ。 揺るぎのない瞳で黄金の威容に敵意をぶつける。 「ほう……? あれだけの剣群に突き刺されなおまだ死なんとは頑丈な男だ。それでどうする? セイバーと戦い消耗しており、先の一撃で自慢の戦車も失った。その様で、この我に立ち向かうと?」 「無論だ。先に仕掛けたのは貴様だろう、嫌とは言わせんぞ」 既にその身体は満身創痍。立っていられるのが不思議なほどだ。それでなお不遜を貫く紅の王者は、背後にいるセイバーに語りかけた。 「先に行けセイバー。余と戦い消耗した身体で今すぐこやつと戦っては、幾ら貴様でも勝ち目はあるまい」 「それはおまえとて同じ筈だライダー。そんな身体で勝てるような相手ではないと、おまえ自身よく分かっているだろう」 「綺麗事を抜かすでない。おまえはその手を血で染め上げる事を厭わぬ程の強固な祈りをその胸に抱いているのだろう。 ならば倒した敵など捨てていけ。勝利という栄光だけを胸に、道の果てまで駆け抜けよ」 たとえその祈りが歪なものであったとしても。 この身の為に犠牲にしては、その勝利を汚す事になると、征服王は心中で想う。 「貴様にしてもそうだろうアーチャーよ。婚儀だなんだと言うのなら、こんな場所は相応しくはあるまい?」 「そうだな。我とセイバーの為の舞台は程なく整う事だろう。今この場で用があるのは貴様だけだぞ征服王。 故にセイバー、今は見逃しておいてやろう。この死に体を片付けた後、改めて邪魔の入らぬ場所で婚儀を執り行うぞ」 「…………っ貴様」 溢れ出かけた怒気をセイバーは押し殺し、自らの胸に秘めた祈りを今一度見つめた。此処でアーチャーと争えば確かに不利だ。僅かではあれ時間を置けば魔力は回復する。その為の時間を稼ぐと征服王が言うのなら、乗らぬ手はない。 共にその身の武勇を称えあった好敵手さえも、自らの勝利の為の踏み台に変えて、セイバーは戦場に背を向ける。 それでも、 「礼を言う征服王。 貴方の駆け抜けた 王としてではなく。 勝者としてではなく。 剣の騎士としてですらなく。 唯一人の少女として、その道に憧れを抱いたと心情を吐露し、最優の剣士は聖杯の頂を目指し戦場を去って行った。 /4 橋上に風が戻る。寒空に吹き付ける風は、身を攫うが如く冷たく、されど対峙する二人の王の心よりその熱を奪うには至らなかった。 「今一度問うぞ征服王。その死に体で、この我に歯向かうか? 潔い死を望むのならば、苦しませず殺してやるというのに」 「愚問だな英雄王。余は決して膝を屈さん。余が斃れれば、後ろにいる 「…………っ!」 その言葉がウェイバーに向けられたものだと察し、それでも掛ける言葉が見つからなかった。 その背に突き刺さったままの無数の剣。溢れ出る血は真紅の外套を赤黒く染めていく。そんな姿でなお毅然と立つ王から目を離せない。止めろと泣き叫びたい想いを、必死に押し殺す。 王は言った。ウェイバーは 「……呆れた胆力だな。ああ、その気概だけは褒めてやろう。何、そう急かずとも無残な死に様を晒してやる」 黄金の王の背後に展開される剣の群れ。串刺しにしてもなお足りぬと言うほどに、その数は無数を誇る。 「……おう。出来るものならやってみせぃ。余は斃れん。斃れんぞ……斃れるわけにはいかんのだ──!」 腰に差したキュプリオトの剣を引き抜く。駆け出す足にかつての力強さはなく、それでも一歩一歩と踏み締め最大最後の敵に立ち向かう。 「王とは──ッ! 遍く朋友の道を照らす光であるッ!」 口上を謳い上げ、横薙ぎに降る剣の雨の中を突き進む。 「この背に憧れを抱いた者達の為……! 今この背を見守る朋友の為……! 余は止まる事を許されん、その導となって走り続けるのだ……!」 腕に被弾し貫かれ、手にした剣を落としかける。ギリギリのところで掴み直し、更なる一歩を踏み込む。 次の瞬間には右足に二本の剣が突き刺さり、喉からせり上がる血を飲み下そうとして、余りの量に口端から零れ落ちる。 それでも王の歩みは止まらない。 これまで彼が駆け続けて来た道の果てを目指すように、死力を超えて走り抜ける。 「ウェイバー・ベルベットよ、余の生き様を見届けよ! この走破を語り継げ! おまえの憧れた背は、何処までも果てを目指し駆け抜けたと……!」 「…………はいッ、ボクの王よ!」 その頬を涙で濡らしながら、赤銅の従者は彼方を目指す王の姿を見つめ続ける。身体を無数に貫かれながら、いつか夢見た世界の果てを目指す王の姿。 それを止める事は出来ない。王自身が言ったように、従者は王の背に憧れその姿を語り継ぐだけだ。共に戦う力はなく、共に走り抜ける事は許されない。 しかしこの手には、まだ王の力になれる証がある────! 「我が征服王イスカンダルよ……! 貴方に栄光を……!」 三画目、最後の令呪が光と昇華され、王の身体に熱を宿す。 臣下から届けられた心からの声援。それに応えずして何が王か……! 「うぉぁぁおおおおお……!」 傷だらけの身体を圧し、遂に黄金の目の前に辿り着く。血に塗れた剣を振り上げ、全てを両断する断頭の刃が振り下ろされようとし── 「────天の鎖よ」 静かな声と共に無空より現れた、銀の縛鎖が紅蓮の王の身体を締め上げる。 「……本当に貴様は、何でもありだな」 「その死に体で我にこの鎖を使わせたのだ、誇るがいい征服王。おまえとその臣下の絆を称え、我が至宝にて消えるが良い」 引き抜かれる螺旋の剣。征服王をして抜かれては勝つこと叶わぬと言わしめた、天地を分かつ乖離剣エア。 その鈍い回転が徐々に速度を上げ、魔風となって周囲を吹き荒れる。 「ああ……」 終わりの近づく夢の中、イスカンダルはその最後に音を聴く。 自らの胸を打つ潮騒。 かつて彼方に夢見た、世界の果ての海にさざめく波の音を想いながら、 「またしても……余の夢は果たせなんだか……」 世界を征する大いなる宿望。 共に戦場を馳せた朋友と共に夢見たもの。 その悔いを残したまま、されどこの世で見つけた朋友を庇い死に行ける生き様を想い、無念と充足感に満たされながら…… ──征服王イスカンダルは、赤い風の中でその遠征を終えたのだった。 その残滓の一片をすら残す事無く吹き荒れたエアの暴虐は、軋む冬木大橋にてその勢いをまた収束させて行った。 後に残されたウェイバーは、自らの前でこの身を庇い消えて行った王を想いながら、その頬を涙で濡らしていた。 黄金の王は手にした乖離剣を宝物庫に収め、無尽の剣群もまた消し去り、決戦の場と定めた聖杯降臨の地を目指しその歩みを始める。 セイバーを聖杯の下へ送り出したが故に、彼らの立ち位置は最初の頃とは入れ替わっている。黄金は立ち尽くす若輩魔術師と擦れ違い、その手に掛ける事も言葉を交わす事もなく歩みを進める。 死に体でありながら、英雄王に無二の鎖を抜かせた二人の絆への無言の賞賛。征服王には褒美として至宝の一撃を。そしてこの若者には生を与える事にした。 此処でウェイバーを殺してしまえば征服王の死に様が無為になる。王としてその道が交わる事は有り得ぬとしても、その道を貫き通した男に敬意を払う事を、この黄金の王は認めていた。 去り往く黄金の姿が彼方に消え、ウェイバーはそれでもこの場で消えた赤毛の王の姿を幻視していた。 耳を澄ませば聞こえてくる声。目を閉じれば浮かぶ大きな背中。頭には、未だあの大きな掌の感触が残っている。 「…………さよなら、ボクの王よ」 この心に確かな証を残し消えていった王に別れを告げる。 彼の臣下としてその夢を胸に抱きながら。 胸に残った想いを抱き締めながら。 ──それは少年の日の終わり。 ウェイバー・ベルベットが新たなる歩みを踏み出す、 web拍手・感想などあればコチラからお願いします back next |