Act.04












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 衛宮切嗣は当時、絶望の渦中にいた。

 幾多もの戦場を駆け抜け、外道を往く魔術師共を駆逐する。
 悪名高き殺し屋──魔術師殺しがその全盛を誇っていた頃、彼の内心は虚無で埋め尽くされていた。

 殺せど殺せど尽きぬ悪性。
 救えど救えど消えぬ嘆き。

 当然だ。人一人の手で為せる事など高が知れている。一人殺せば十の悪が世界の何処かで産声をあげ、一人救えば百の嘆きが遠い戦場で生まれている。

 手繰り寄せる事の叶わぬ鎖。
 決してその終端を見る事の出来ない綱渡り。

 それでも切嗣には殺す事しか、救う事しか出来なかった。
 そうする以外の術はなく、それ以外の選択肢など遥か過去に置き去りにしている。

 いつか救えなかった誰か。
 彼女の犠牲を無価値なものにしたくなくて、切嗣はただただ人々を殺し(すくい)続けていた。

 それも最早限界が近い。

 理想の破綻ではなく、現実問題としての肉体の限界。並行して行う戦場の横行。その裏で繰り広げられる魔術師殺しの業。碌な睡眠時間も食事もなく、ただ淡々と黙々と自らに課した役目を遂行していた切嗣の身体も、心ほどには強固ではなかったのだ。

 いや……その心にしても程なく限界を迎えていただろう。尽きぬ悪性。掬う端から零れていく命。心に刻んだ誓いも最早、磨り減り磨耗し欠けている。

 こんな事を続けても意味はないと。無意味だと。絶望という名の砂漠の中で、希望という名の砂粒を探すような無理難題。
 これまで心が壊れなかったのは、偏に切嗣の意志の強さ。そうする事しか出来ないという生き方は、彼の心を鉄の如く強固にした。

 それでも頭の端にはいつも過ぎっていたのだ。この世に救いはない。手を伸ばし欲する平和という名の平穏は、この世の何処を探しても見つからないと。この手一つで成し遂げるには、世界には余りにも嘆きが多すぎる。

 そんな絶望がじわじわと切嗣の鉄の心を蝕んでいた時、その依頼(さそい)は訪れた。

 聖杯。

 曰く──それを手にしたものは如何なる願いをも叶えられると。

 眉唾ものの空想。そう切り捨てるには、その誘惑は余りにも甘美であり。そして魔術師である以上、そんな奇跡はないと言い切れなかった。

 ──あってほしいと、切嗣は願ったのだ。

 このまま戦場を横行したところで全てを掬い切る事など到底不可能だ。ならば一縷の望みのその奇跡に希いたいという想いは、決して誰にも否定など出来ない。

 そしてアインツベルン──冬の一族の誘いに乗り、より詳細な内容を聞く。

 聖杯戦争。
 七人の魔術師。
 七騎の使い魔。
 殺し合い。

 唯一人の勝者にのみ聖杯は与えられる。

 聞けばその争いの歴史は既に二百年にも届くという。それほどの昔から準備用意された周到な儀式。これが虚偽ではないのは明白だ。
 何よりアインツベルンという血の系譜を重んじる典型的にして古い魔術師の家系が誇りと矜持を金繰り捨てでも勝利を欲するというのは、魔術師という生き物を良く知るが故に切嗣にはその覚悟の程がこれ以上なく理解が出来た。

 先にも述べた通りにこれは誘いであっても勧誘ではない。
 アインツベルンから魔術師殺しへの正式な依頼だ。

 これより十年の後に開かれる第四次聖杯戦争(ヘブンズフィール4)にて勝利し、聖杯を獲得する事。

 正確性を期せば聖杯の家系の悲願である第三魔法を成就させる事。それが成されるのなら他の全てなどどうでもいい。その余波で生まれる無限大にも等しい魔力の渦を、切嗣の祈りの成就に使用する事も黙認する──と。

 魔法という言葉にはさしもの切嗣も内心で驚きを示したが、彼にとってはどうでもいい代物だ。
 世界の外側の理になど興味はない。魔術師ではなく魔術使いである切嗣にとって、魔術とは目的に達する為の手段に過ぎない。

 全てを叶えるほどの膨大な魔力。その恩恵を受け、純粋無垢な祈りを捧げれば、この想いは必ず届く。世界の全てに伝播する。

 目指すべきは恒久の平和。
 争いのない世界。

 一度は膝を折りかけたその祈りを叶える術がある。
 自らの手一つでは掬い切れない嘆きでも、正真正銘の奇跡であれば全てを救える。

 その為ならば、この身この命。
 尽き果てるまで燃やし尽くす事に何の遠慮が必要か。

 鉄の心に火が灯る。
 消えかけた理想の灯火が最大級の炎を燃え上がらせている。

 此処に契約は成された。
 衛宮切嗣は聖杯戦争に参戦し、その他全ての参加者を殺戮し、聖杯の頂に駆け上がる事を誓ったのだ。

 ──そしてその後。

 北欧に居を構える冬の一族の牙城にて、衛宮切嗣は巡り会った。

 石柩を思わせる地下室。
 中心に聳える培養槽。
 満たされた液体の中に浮かぶ人型。

 人と呼ぶには余りに美しく、人形と呼ぶには余りに生気を帯びた人のカタチ。

 美しい銀糸の髪が揺蕩っている。
 肌理細やかな肌は鮮やかに。
 案内され、近くまで足を運べば、それは閉じていた瞳を僅かに覗かせた。
 紅玉かと見紛うほどの真紅の瞳が、見上げる切嗣を見つめている。

 これが彼と彼女の出逢い──衛宮切嗣とアイリスフィール・フォン・アインツベルンの逢瀬だった。


+++


「────……」

 微睡より目を覚ます。覚醒は一瞬、いつかのように残影を引きはしない。
 それでも懐かしい夢を見た事を覚えている。あれはまさに契機の瞬間。今の衛宮切嗣を形作った一つの出会いだった。

 そんな夢を見たのはきっと、この場所のせいだろう。

 石造りの古城。遥か北欧に居を構える冬の一族の牙城と全く同じ造りをしたこの城で、一夜を過ごした事がきっとその原因。
 あの冠雪と針葉樹の森に置き去りにした、誰かの記憶。

「女々しいぞ、衛宮切嗣。僕はもう、それを捨て去ったというのに」

 自嘲するように呟く。聖杯を手に入れる為、取り戻した鉄の心。アインツベルンでの十年間で絆された心の鎧は今再び覆われている。しかしそれが鎧であるのなら、僅かな隙間からその奥を見通す事も出来るだろう。

 これはそんな、温かな日々の追憶。
 決して手に入れる事の出来ない──手にしてはいけないと自戒していた温もりの在り処。

 より心を鉄に変えろ。
 冷たく冷たく。
 何処までも凍るように。

 この身は歯車。理想という機械を廻す為のただの動力。そうでなければ立ち行かない。悪鬼共が集う魔窟冬木での闘争を勝ち抜く事など到底出来ない。

 聖杯を掴み祈りを叶える。その一念の為、全てを捨ててきた。あの常冬の森に置いて来たのだ。
 原初の誓いを違える事は、衛宮切嗣の崩壊を意味している。理想を成す──その夢の為の歩みを止める事は出来ないし、するつもりもない。

 今の切嗣にとって、アインツベルンでの十年などただの茶番。
 聖杯を掴む資格を得る為の必要条件に過ぎない。あの温もりも、冬の翁との契約を遂行しただけに過ぎない。

 ああ……それでもこの掌は、あの温もりを覚えている。

 アインツベルンからの条件提示は聖杯の獲得。
 切嗣からの条件提示は成就の余波によって生まれる魔力の行使権利を得る事。

 そしてもう一つ──戦いにおいて必勝を約束する為に切嗣が提示した条件。
 それこそがこの世から失われたと目される、伝説の騎士王の鞘を発掘する事。

 英霊を召喚し使役すると聞いた時、思い浮かんだのはその王の伝説だった。

 切嗣のような影から影に跳梁する殺し屋が持ち得ない、純粋無垢で圧倒的な力を持つ騎士の王。並み居る英霊を真正面から打ち倒し得る力量を持つ者。そんな存在が必要だと思ったのだ。

 マスターとの親和性という観点から見るのなら、アサシンやキャスターこそが有用だったのだろうが、あえて切嗣は正統派の英霊を望んだ。
 自分自身の力量を弁えている切嗣にとって見れば、同位の存在の持つ強みとそして弱みさえも理解が出来たが故に。

 確かに暗殺者や魔術師の英霊を引き当てれば序盤は優位に事を運べるだろう。だが後半になるにつれ、敵は減り強者だけが生き残る。
 当然にしてそんな奴らは警戒心が強いしマスターにしても同様の力量を持つだろう。そんな連中相手に背中を狙うしか能がない英霊は役に立たない。

 究極、最後の一騎を討ち取るという段になってセイバーないし三騎士クラスが残っていては、アサシンやキャスターでは役者不足に過ぎるのだ。いかにマスターを狙い撃とうとしても、サーヴァントが足止めにさえならないのなら勝機はゼロだ。

 故に求めるべきは自身の持ち得ない正統にして最強の力を持つ英霊。過去三度の戦いにおいて常に上位に在り続けたセイバーのクラス。そしてその剣の座においておよそ最強に近き王。

 ブリテンの赤き竜──アーサー・ペンドラゴンこそが勝利する為の最上の駒である、と。

 そして彼の王だけでなく、その鞘がなくては確実には勝利し得ない。そう翁を説得し、切嗣は無理難題とも言える条件を呑ませる事に成功した。その代わりに提示されたものは、冬の聖女──アイリスフィールとの間に子を生す事だった。

 錬金術の秘奥を以って製作されたアイリスフィール・フォン・アインツベルンの身体は人のそれと遜色はない。違いがあるとすれば成長の速度、人としての感情の機微。子を生す事にどちらも関係はない。

 まさしく最初は茶番だった。人の形をしているとはいえ、人と変わりはないとはいえ、その身は人形。だが切嗣には人形と交わる事にも抵抗はなかった。
 理想の為。契約の履行。凍てついた心を未だ持っていた切嗣にとっては、目的を遂行する為に身体を重ねる行為も銃の引き金を引くのと変わりない所作だった。

 ──では何時からなのだろうか。

 彼女との会話が、楽しいと思ったのは。
 こんな日々が何時までも続けばいいと思ったのは。

 そしてこの掌で、生れ落ちた幼子を抱いた時──衛宮切嗣は涙を零した。

 幼少期、大切だった少女を殺せ(すくえ)なかった時以来の、涙。

 衛宮切嗣の守りたかったもの。
 手に入れたかったもの。
 ずっと続くと思っていた、この温かな日々こそが────……

「────くだらない」

 切嗣は自らの追憶を、その一言で遮断した。

 それは思い返してはいけない記憶。
 浸り続けてはいけない微温湯だ。
 だから置いてきた。
 捨て去ったのだ。

 この心を焦がすのは凍てついた炎であればいい。溶けない氷のように何処までも固く凍りつき、何処までも高く燃え上がれ。微温湯は必要ない。理想を成すのに不必要な全ては捨て去ってしまえばいい。

 懐に手を伸ばし、煙草を一本引き抜いた。付属品だったライターで火を灯し、紫煙を胸いっぱいに吸い込み吐き出した。
 懐かしい味。心を焦がす味だ。この煙と臭いをアイリスフィールは苦手だと言っていた。

 硝煙と血と煙草。魔術師殺しであった頃の切嗣を象徴する三つの要素。その全てが今や手の内にあり、一度は掴んだ温もりは、とうに手離し捨て去った。

 この手に担うは黒鉄の銃身。乱れ舞うは血の風。胸を焦がす紫煙だけが、この心を癒してくれる。

「…………」

 一度瞳を閉じ、開いた時。既に切嗣の瞳は冷徹な色を宿していた。昨夜、ロード・エルメロイの一派を惨殺し尽した時と同じ、闇色の黒を。

 背を預けていた壁から身を起こす。身体状態を一通りチェックし、ある筈がないと確信している異常を今一度と走査した。結果、身体に異常はない。固有時制御により生じた痛みも欠片も残っていない。万全の状態。不備はない。

 視線を僅かに揺らし壁の向こうを覗き見る。実際に透視をした訳ではない。レイラインにより結ばれている存在の居所を窺っただけだ。

 契約により互いの居場所をある程度知覚出来るマスターとサーヴァント。切嗣のサーヴァントであるセイバーもまた、この古城の何処かに移動して来ている。

 昨日の作戦行動の後、舞弥を通してセイバーには次の作戦の為の手筈を伝えていた。

 誇り高い騎士の王が、こうも悪辣な切嗣のやり方に碌な反論もなく従っているのは彼自身僅かな不可解を覚えたが、使えるのならそれでいいと割り切った。
 昨夜の別れ際、何かを言いかけていたが飲み込んだ事も含め、彼女には彼女なりの目的があり確固たる意志がある。

 彼女の祈りを知っている。切嗣のそれと酷似した清い祈りを。その祈りの成就の為、彼女もまた修羅の道を歩むと覚悟しているのだろう。互いに会話はなくとも理解している。やるべき事を納得している。

 聖杯を掴み取る──この絶対の利害が一致している間は、二つの歯車に齟齬はない。

 ならば我らの間に言葉は不要。
 ただ行動によってのみその意志を示そう。

「さて……」

 室内には舞弥に運び込ませておいた銃火器の数々。全てのチェックは既に終えており、いつでも使用可能。
 当の本人である舞弥はこの城にはいない。切嗣の作戦通りに事が進めばこの森に今を生き残る連中が集う筈だが、そうはならない可能性も考慮し舞弥には冬木市内の監視を任せてある。

 この森にまでは舞弥からの通信も届かない。セイバーと会話をする気のない切嗣は、文字通りに言葉を交わす事無く彼女を扱わなければならない……

「その必要もないか。手筈は既に済ませてある」

 休んでいた部屋を辞し、一階ホール横にあるサロンへと赴いた。そこに待っていたのはセイバーではなく、白い装束を身に着けた、アインツベルンの侍従である。

「おはようございますエミヤキリツグ様」

「挨拶など必要ない。現状を報告しろ」

 彼女はこの古城──六十年間無人であったこの城の整備を任された侍従である。前回よりほとんど放置に近い状態で捨て置かれた拠点を今回再び使えるようにする為だけに派遣されたホムンクルスだ。

 その甲斐あってか古城の内部はかつての栄華を取り戻している。それこそ廃城にも近かった惨状を彼女一人で整備を済ませた事は驚嘆に値しよう。

 そして彼女に与えられた役目はもう一つある。

「はい。現在の所侵入者の気配はありません」

 テーブル上に置かれた水晶球は目まぐるしく写し込む風景を変え、幾つもの場所を監視している。

 アインツベルンの森に張り巡らされた結界は、彼の血脈に連なる者にしか起動使役出来ない。冬の一族に招かれたとはいえ切嗣は所詮雇われの身だ。錬金術の大家である彼らの術式の一切を伝授などされていない。

 電子機器や使い魔の瞳で監視の代用は出来たであろうが、森の広大さを思えば非効率に過ぎる。アインツベルンのアドバンテージであるこの拠点を正しく扱おうというのなら、彼女のような補佐役が必要不可欠だったのだ。

「……セイバーは?」

「森を俯瞰出来る最上階の一室にいらっしゃいます。この場に居ては、キリツグ様の邪魔になるだろう、と」

「…………」

 彼女は彼女なりに自分達の在り方について理解している。余計な干渉は相互にとって不利益しか生まない。いや、切嗣が干渉を拒んでいるのなら、彼女もそれに倣うという事か。剣としては上出来な考えだ。

 もし切嗣のようなマスターでなければ、彼女もまたそれに合わせた在り方を示したであろう。仕えるマスターによって色を変えられるサーヴァント。なるほど、最優のクラスは伊達ではない。

「キリツグ様」

 その時、水晶球に映り込んだ風景に異変が生じる。

「来たか」

 森の監視網に引っ掛かった哀れな獲物。入り口付近での観測ゆえにまだ距離はかなり離れている。それでも万全の準備を整えるだけの猶予を得られるのは、この拠点ならではの利点だ。

 そしてこれまでの作戦行動が実を結んでいるとすれば、もう一つ利点が生じる筈だ。

「セイバーには待機を命じておけ。後は勝手に判断するだろう。それを終えれば監視ももう必要ない。巻き込まれたくなければ何処へなりと消えてくれ」

 敵がこの城を目指して森に踏み込んでいる──それを観測出来ればそれでいい。後の仕事は衛宮切嗣の領分であり領域。

 森にマスター達が集うのなら、当然にして彼らはこの城を目指す。その過程で他のマスターとかち合う可能性は低くない。城に近づけば近づくほどにむしろ高くなる。

 彼らは決して共闘関係などではない。ただ単純に今一番目障りな切嗣の陣営を始末しようと乗り込んで来るだけだ。ならばその過程で他のマスターとエンカウントすれば、当然戦わざるを得ない。

 ──互いに尾を喰い合え狩人共。僕はその背を狙い撃たせて貰うまでだ。

 獲物を求めて森に踏み込む狩人を狩る暗殺者。

 此処は狩人が狩られる森。
 また一つ首級を奪い取る為──稀代の暗殺者は行動を開始した。


/2


 冬木市郊外に広がる森には一つの噂がある。

 曰く──その森の深奥にはあやかしの城があると。

 現実問題としてこの航空機の発達した現代で、いかに背の高い木々が軒を連ねる森であろうとも、城と呼称される程に巨大な建造物が存在しているのなら上空より観測されないというのは有り得ない。

 地図の上でもそんな城は存在しないし、所詮は噂の域を出ない眉唾物の風評。それが世間一般の認識だ。
 それでも年に数人この森に迷い込み、あやかしの城を見たと吹聴する輩は後を断たない。

 そもそも発展目覚ましい冬木においてこれほど巨大な森がなお健在であるのは不可解と言える。緑生い茂る森というわけではなく、どちらかと言えば死んだ森ならば尚の事。
 枯れた木々、乾いた土、日の光の届かぬ深いだけの森がなお公的機関の手が入る事を免れているのは、この一帯が私有地であるからだ。

 アインツベルンという北欧の一族が所有しているこの森。噂に流れるあやかしの城。その実在は、彼らと同位の者にしか知られていない。
 錯覚による認識の齟齬という簡易な結界を、けれどこの広大な森林一帯に展開し続けているその実力。千年の研鑽と血統を今なお保つ純血の一族。同じ魔術師であればこれに敬意を抱かぬ筈がない。

「まあそれも、部外の血を取り入れた事で地に落ちてしまったかな」

 優雅な足取りで森を往くは正調の魔術師遠坂時臣。彼の足取りに迷いはない。常人であれば認識と感覚を狂わせるこの森において目的意識を持って歩き続けるなど不可能に近いが彼もまた優秀な魔術師の一人。

 広大であれど程度の低い認識阻害の結界など取るに足りぬと足取りには迷いなく森を踏破する。

 その傍らには黄金の姿。目に眩い煌びやかな鎧を纏い、時臣の後を追随する。

「王よ。今更ではありますが、御自ら歩かずとも良いのでは?」

 サーヴァントとは霊体だ。マスターからの魔力供給を自発的に遮断すればその身は実体を失い霊体となる。魔力で構成された肉体であれど疲労はあるし何より意味のない実体化はマスターにとっても不利益だ。

 これより戦いに臨もうという時に余計な魔力消費を抑えたいと思うのは魔術師であれば当然だ。そしてこの黄金の性格を慮れば、時臣に道案内だけをさせ自らは高みからの俯瞰を決め込んでも良さそうなものなのに。

「何、気にするな。これは我が好きでやっている事だ。どうせ現界したのなら仮初めとは言え肉の身体がある方が心地良い。
 それになあ、時臣よ。もし仮に我が霊体化している隙を衝かれては、貴様には為す術などあるまい?」

 それは決して時臣の身を案じての言葉などではないだろう。黄金が見初めた宝石と巡り会う為に、魔力供給源である時臣に今死なれては少しばかり面倒になる、程度の認識しかあるまい。

 アーチャーが如何に単独行動のスキルを保有していたとしても限界はある。マスターからの供給なしでの全力戦闘、長期間の現界はこの黄金を以ってしても不可能なのだから。

「王がそう言われるのであれば構いません。やがて城の尖塔でも見えてくる頃合。それまでどうか──」

 言い差して、時臣は正面に向けていた視線を右方に投げる。

「気付いたか。どうやら貴様の読みは当たっていたようだな」

 衛宮切嗣があれほど大々的に動き回ったのは敵の排除は無論の事、今この時を見据えてのもの。
 未だ隠れ潜むマスター連中を引き摺り出すには衆目を集め厄介な敵であると認識させ、同時に早期脱落を狙わせなければならない。

 ある程度の知恵が回るのなら、この程度は読めて当然。そして他の者達も同じ思考に至ると考えるのなら後は単純、世俗の目の届かぬこの森は大規模戦闘を行う上で誂え向きの戦場だ。

 誰に憚る事無く戦える上、他の連中が集う以上は己もまた参じなければならないと思わせる。此処で様子見をしては、英雄としての格を疑われるからだ。

 数多の英雄豪傑が集う決闘場に馳せ参じ得ない臆病者なぞ誰にも相手にされはすまい。ここまで周到に用意された戦いの舞台に背を向けた者は、二度とは同じ高みに立てぬと宣言されるようなものなのだから。

 だから少なくとも英雄の自負を持つ者はこの森に既にいる筈だ。それぞれ違う目的を携えていたとしても、その芯は同じ熱を宿しているのだから。

 ただ今時臣とアーチャーが見咎めたその存在は、果たしてそんな英霊の矜持を持つに足る者なのか。

 梢の向こう──緩やかな歩みで城に惑う事無く邁進していた厚手のローブ姿のサーヴァント。
 その異様……とてもアーチャーと同格の英霊とは思えない。何より奇怪なのは、そのサーヴァントは幾人もの子供を引き連れ森を練り歩いていた事に尽きる。

「おや……」

 時臣達が気付いたように、向こうもまたこちらに感付く。ギョロリとした双眸が無遠慮に二人を舐め回した。

「ほうほう、これはこれは。ああ、なるほど。あなた方もまた、彼女の威光に心奪われた者なのですね」

 そんな意味不明な言葉を述べながら、時臣達のいた僅かに開けた場所へとそのサーヴァントは姿を現した。

「ええ、ええ、分かりますとも。彼女こそはこの醜悪な世界に生れ落ちた最後の光。比するもののない至高の煌きだ。その輝きに惹かれ、火に飛び込む蛾のように誘われるのも致し方なき事ですよ」

 奇妙とも呼べる笑みを浮かべながらローブのサーヴァント……時臣はキャスターと当たりをつけた者を見やる。

「おまえは一体……何を言っている?」

 当然、錯乱にも等しい状態にあるキャスターの言は常人には理解し得ないものであり、時臣にはとてもではないが同じ言語には聞こえない。
 うわ言戯言妄言。そんな言葉ばかりが脳裏に過ぎる。そしてこんな英霊とも似ても似つかない怨霊めいた者がサーヴァントとして現界している事に酷く憤慨を覚えた。

「語る言葉を持つのなら問いに答えて欲しい。おまえの後ろにいる子供達……それは一体なんだ」

 キャスターの後を夢遊病患者のような足取りで着いて来ていた十名余りの子供達。彼らは無論、この戦いとは無縁の一般人だ。恐らくはキャスターの術中に落ち、こんな場所にまで連れて来られたのだろう。

「この聖杯戦争に招かれるは世に名を馳せた英傑達。御身がその末席に座する者であるのなら、その矜持に則り無垢な子供達をこんな争いに巻き込むな」

 そんな外道は衛宮切嗣一人で充分だ。その言葉は口にせず、眼前の怪奇なる英霊を見据えた。

「ああ、なるほど。彼らの身を案じておられると。心配などいりません、私とて無用の犠牲を払う気はありませんとも。彼らは私と聖女との邂逅に必要な贄。手土産──と呼ぶべきですかねぇ」

 キャスターが僅かに右手を上げる。その仕草に応じたのか、一人の少年が両者の間に歩み出る。ぱちん、と指を鳴らせば、びくりと身を竦ませた少年は次の瞬間、その頭蓋を破裂させ赤い血飛沫を撒き散らした。

「貴様────ッ!」

「おお、やはり人の血は美しい。子供のそれは特に格別だ。これほどに美しい花束であるのなら、きっとジャンヌもお気に召してくれるでしょう」

 ジャンヌ……? それはジャンヌ・ダルクの事を言っているのか。

 救国の英雄、オルレアンの乙女。神の声を聞いたとされる、人々を導きし聖女。異端審問に掛かり数々の拷問陵辱を受け、その最後は火刑に処されて失意の内に死んだとされる気高く美しい乙女。

 彼女の事を言っているとすれば、この眼前のサーヴァントはそれに連なる者であろう。セイバーがジャンヌ・ダルクであるという確信は持てないが、少なくともこのキャスターは聖女を知る者には違いない。

 いや、今はそれはいい。目の前の外道の真名に触れる一端を知れたのは僥倖だが、それよりも今、目の前で展開された事態にこそ目を向けなければならない。

「……これは一体どういう了見かなキャスター。無意味な犠牲を出さないと口にした直後のこの所業……貴様、本当に英雄か」

 英雄という存在に幻想を抱く者は数多い。高潔であり気高くあり芯に強い意志を秘めた存在。それが英雄と呼ばれるものだ。
 多くの人々の賞賛と羨望を集めただけの何かを持ちえる者でなければならない。こんな外道が英雄であるなどと、そんなものは受け入れられる筈がない。

「いいや、時臣。彼奴は充分に英雄だぞ。ただその芯がおまえの認識と決定的に違っている──という点を除けばな」

 これまで沈黙を貫いていた黄金が一歩前に歩みである。目の前の怪奇なる英雄を睨め付ける。

「彼奴はその目を焼かれた光しか見えていない。他の全てが二の次だ。至高と信ずるものの為、全てを覆す芯を持つ。
 たった一つの為に全てを捨て去り、心魂を捧げた光の為に命を賭ける。そしてそれだけで座の高みに上り詰めたのなら、そら、それは充分に英雄だろう」

 唯我を誇るこの黄金は、決して他者を認めぬ狭量ではない。世界最古の王。英雄と呼ばれる者達の頂点、先を行く者であるのなら、当然にしてその下にいる者共を認めない理由がない。

 眼前の怪物を前に、如何に狂い、如何に錯乱し、如何に潰れた瞳で偽りの輝きを見ていようとも、その身は英雄には違いないと。

「ほぅ……中々の慧眼の持ち主のようだ。この青髭めがジャンヌとの再会に際し、邪魔立てする者ならばこの場で駆逐するのも吝かではない思っていましたが、貴方ならば同道を許しても構わないやもしれません。
 貴方もまた我が光に恋焦がれた者なのでしょう? ならば共に迎えに上がりましょう。我らが乙女を。神の愛に穢れてしまった彼女を救い出すのですッ!」

「自惚れるな雑種。それとこれとは話が違う。アレは貴様のものなどではない。アレは我が手に入れるものだ」

 瞬間、黄金の背後に浮かび上がる無数の渦。黄金の輝きを湛えた泉から湧き出るは鋼の刀身。そう認識した直後、鋼の剣群は射出されて空を切り、キャスターの従えていた子供達の心臓を違う事無く貫いた。

「王よ! 何を……!」

「あの稚児共はどうせ助からん。生きたまま奴の慰み者になるくらいならば、我は死を遣わす。それが慈悲というものだ」

 先のように無益に命を散らされキャスターの傀儡になるのなら、黄金はその前に彼らの命を断つ。
 そこに救いはない。この場に連れて来られた時点で子供達の命脈など既に尽きている。どの道助からない命であるのなら、せめてもの慈悲として我が手に掛かり死ね──そう彼は告げたのだ。

 全てを救おうとして足掻き、結果浅ましい末路を迎えるくらいならば何も知らぬ内に死んだ方がまだ救いはある、と。
 それがこの黄金の王の持つ慈悲。己の信ずる善により混沌を為す者。無意味な生よりは価値ある死をこそ望むのだ。

「お、おお……おおおおおおおおおおおおおッ! なんという……なんという事を! 我が乙女に捧げるべき花が、血が、贄がっ!
 度し難い……度し難いぞサーヴァント! 私と乙女の邂逅を邪魔立てするつもりならば容赦はしないッッッッ!」

 キャスターは怒りも露にローブの内より一冊の本を取り出した。分厚い装丁の、見る者が見れば分かる人の皮で覆われた魔道書を。

「戯言は良い。さっさと来るがいい。我とて貴様などと共に愛でるべき宝石の下に赴こうとは思っていないのでな。此処で死ね」

 魔術師の英霊の詠唱完了と黄金が剣群を展開したのはほぼ同時。つい今ほど刃に貫かれ絶命した少年少女の屍肉より、生まれ出ずるは異界の理。キャスターの手にする魔道書の力によって召喚された異界の魔物共がその腸を食い破り姿を現した。

 見るからに醜悪、度し難い程に奇天烈な異形の魔物共を見咎め、憤慨も露に黄金は命を下す。彼の背後で王の号令を待つ宝剣宝槍に。

「我の庭たるこの世界に、よくもそんな穢らわしいモノを産み落としてくれたな。万死に値するぞ雑種────!」

 世界を自身のものと言って憚らない王者の逆鱗に触れた者の末路など考えるまでもない。
 せいぜいが死するその時まで舞台の上で踊り狂い足掻けと、王者の咆哮と共に戦いの幕は此処に上がった。


/3


 古城の最上階。その一室に彼女の姿はあった。

 窓辺に寄り添い眼下に広がる灰色の森を見下ろしている。その瞳に映るのは、果たして本当に深海のような森なのだろうか。

「戦いが……始まっている」

 戦闘の余波はここまで届いている。最上階から見下ろしてすら背の高い木々に阻まれ戦場は見通せないが、確かにその気配は感じ取れた。

 セイバーは何も戦鬼というわけではない。戦いに明け暮れる事をよしとする戦闘狂いではないのだ。

 彼女が剣を執るのはいつも理由があった。国を守る為。国を救う為。その為ならばこの手は如何に敵の返り血で塗れようとも構わなかった。守りたいものの為に剣を執る事に迷いなどなかった。

 だからと言って彼女が戦いを好んでいたかと訊かれれば、当然にして答えは否。必要に駆られなければ剣を執る理由はないし、争う事をよしとしない。
 孤高の王であっても、その身と心はその成長を止めた頃より変わっていない。少女は何処まで行っても所詮少女でしかないのだから。

 もし仮にセイバーの祖国が平穏な治世であったのなら、彼女は賢君として世に名を残していただろう。あの騎士達とここまで大きな軋轢は生まれなかっただろう。

 奇しくも世は戦乱の時代。求められたのは力による治世だ。少女の身であった彼女が──如何に魔術師の力を借り男性だと偽っていたとしても──他の騎士達に認められる為には勝利を齎す以外に有り得なかった。

 一度でも膝を屈せば非難は矢のように降り注ぎ玉座を追われていただろう。だが彼女は戴冠してからの戦い全てに勝利した。一度たりとも膝を屈さず、幾度追い返そうとも襲い来る蛮族共をその度に追い返し続けた。

 王のやり方に難色を示す者はいたが、結果として勝利を約束し続けた以上は非難の声も小さかった。
 国が維持され民の平穏が守られ続ける限りは、誰一人として王の治世に口を挟む事はなかったのだ。

 そう──あの時までは。
 あの、理想の騎士が王城を去るその時までは。

「…………」

 零れそうになる言葉を飲み込んで、セイバーは窓硝子に手を添え広がる樹海に視線を落とした。

 今もこの森の何処かで戦いが行われている。主の代行者として戦う為に喚び出されたサーヴァントならば、今すぐにでもこの城を飛び出す戦場に参じるべきなのだろう。一つ首級を奪えばそれだけ目指す聖杯の頂は近づくのだから。

 しかしそれは別段セイバー自身がなさなければならない事ではない。他のサーヴァント同士が互いに殺し合う事を止める謂れはないのだ。
 より簡略に言えば、何も全てのサーヴァントにセイバーが手を下す必要はない。他の連中で鎬を削りあうのだから、無用な戦いに臨む必要はないのだ。放っておけばこちらが手を下さずとも幾人かは脱落してくれる。

 特に今、この森の現状を思えば静観こそが重畳。この拠点まで辿り着いた者だけを相手にすればそれで済む話なのだから。

「切嗣もおそらくは、私にそれを望んでいるのでしょうから」

 この城を管理しているという侍従に待機を告げられたのはつまりそういう事。未だ素性の知れぬマスターとサーヴァントは複数存在している。切嗣は今頃戦場を監視し敵戦力の把握に努めているだろう。

 おそらくはこの森で敵を討ち果たす心積もりはあるまい。切嗣の餌に誘き寄せられた連中の姿形と能力の把握を最優先とし、討伐は各個撃破が最善だ。
 セイバーもかつては騎士を率いる王として戦場を駆け抜けた者。戦いに関しては一過言を持つ。

 戦いは乱戦になってしまっては趨勢が読めなくなる。特に今、セイバーが目下最大の敵と目されている以上、全てのサーヴァントが敵に回りかねない。
 そうなってしまえば後は撤退が最上であり、如何にして戦場を離脱するかに終始する他なくなるのだから。

「それでも私にも、譲れぬ一線がある」

 英雄としての矜持。奇襲強襲は認めても、騙まし討ちは好まない。騎士としての誇りを持つのなら、今眼前に広がる決闘場から目を背ける事は出来はしない。

 ランサーとの決着をあのような形で終えるしかなかったというのは、彼女の心を甚く傷つけた。
 騎士道精神に則るつもりはない。これは殺し合いであり試合ではない。正々堂々戦うだけが全てではない。勝利を。栄光を。聖杯をこの手に。

 その為ならば清濁併せ呑むと決めている。それでも騎士として戦いを挑んで来た勇者をあんな形で斬ってしまった事は後悔に余りあるのかもしれない。

「ふふ……騎士に怨嗟の声を投げかけられるのも慣れてしまっている身であるのに、なんと女々しい事かアルトリア」

 今一度己を戒める。譲れぬ一線。獣と人の境界線。その境界線上に立ってなお、聖杯を掴むのだ。罵詈雑言も汚泥とて、飲み干す覚悟があるのなら。何より優先すべきものがあるのだから。

 その時──森の彼方より怒号が響く。

『この世に招かれし英雄豪傑よ、この地に集いし兵共よ! その身に英雄としての誇りを宿すのなら、こそこそせずにその姿を見せるがいい!
 我が声を聞き届けながらに姿を見せぬ臆病者は、この征服王イスカンダルの謗りを免れぬものと知れぃ!!』

 森を斬り裂く大咆哮。天地に向けて謳われたその宣誓は、この森に踏み込んだ全ての者に届けられた。

『特にセイバー!! これまでの獅子奮迅ぶりが偽りでないとするのなら、早く姿を現さんか! 誰もが貴様の登場を望んでおるぞ! それでも姿を見せぬというのなら、この森ごと平らにして晒し者にしてくれよう!!』

 剛毅にて快活。嫌味のない大言は、まさに王者の空言だ。英雄の矜持を持つのなら決して耳を塞ぐ事を許されない挑発。
 それを馬鹿げたものだと一笑に附せたのなら、どれほど楽だった事か。

「……すまない切嗣。私にもまだ、一握りの誇りが残っているらしい」

 瞬間、ダークスーツを覆い包む青のドレスと白銀の甲冑。戦支度は一瞬であり、伸ばした腕は窓を開く。
 城の巨大さに応じた窓枠に足を掛け、滑るように城の壁面を降り、下降の力と魔力放出を相乗し、セイバーは壁面を蹴り上げ宙を舞った。

 自らに残った一握りの誇りを胸に秘め、此処に赤銅、黄金に次ぐ白銀の王が戦場に向けて空に舞った。


/4


 時間は僅かに遡り、戦端が切って落とされた直後。
 森中心部での戦闘──アーチャーとキャスターの戦いは既に泥沼の様相を呈していた。

 黄金の繰り出す剣槍の投擲はまるで爆撃のように森の一帯を薙ぎ払う。それに巻き込まれるようにキャスターの生み出した怪魔達は爆散し弾け飛ぶ。問題は、それだけの攻撃を受けてなお怪魔の数が減らない事。

 いや、むしろその数は増している。剣斧の投擲により弾け飛んだ怪魔はそれでなお活動を止めず、千切れた己が肉を媒介に更なる怪魔を産み落とす。
 それはさながらどれだけ分裂しようと増え続けるアメーバのよう。単細胞生物の如く、ダメージを意に介す事無く増殖し続けている。

 その無限増殖に拍車を掛けているのは、他ならぬアーチャー自身の手抜きだった。

 彼の戦闘能力を思えば、ただ増え続けるだけの低級の魔物など一瞬で蹴散らすくらい容易い筈だ。それをこの黄金はせず、まるで出し惜しむかのように宝剣宝槍を一挺二挺と繰り出すばかり。

 当然、そんな光景を横で見ている時臣は気が気ではない。
 自身の招来した最強の自負があるサーヴァント。それがこんな英霊もどきを相手に梃子摺るなどあってはならない。そんな事があってしまっては、時臣の描いた未来予想図が早くも瓦解してしまう。

「──王よ。戯れはこれまでに。どうかその財の限りを尽くし、あの英霊にあらざる者に誅罰を」

「そう慌てるな時臣。我は何よりも愉悦を尊ぶ。吹けば消し飛ぶ程度の輩であるのなら、相応の力で相手をしてやるのが重畳だ。
 我が庭たるこの世界に異物を持ち込んだ輩であるのだぞ? 瞬きの間に消し飛ばしてしまっては貴様の言う誅罰足りんではないか」

 ────せめてその死に様で我を愉しませよ。

 そう口にはせずともこの王の言いたい事は時臣にも理解は出来た。無論、納得など微塵も出来はしなかったが。

「ゲテモノの方が味は良いという。この世にはないモノであるのなら尚の事。
 出し惜しむ事無く全てを尽くせサーヴァント。我の意に叶わぬその時は、無残な死に様をくれてやろう」

 一挺一挺が爆撃並威力を放つ宝剣宝槍の射撃は戦場を制圧している。王は口元に余裕の笑みを浮かべたまま一歩すら動く事無く趨勢を握っている。
 対する青髭を名乗ったキャスターの面貌に張り付くは狂気の形相だ。

 心酔し信奉した乙女との逢瀬を邪魔立てされたのみならず、こうまで小馬鹿にされては如何にその身が狂気に侵されていようと怒髪は天を衝いて余りある。

 彼は手にする魔道書──『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』の魔力炉を最大励起させ使役する。

 キャスターは自身が有能なサーヴァントではない。手にする友より賜れたスペルブックこそが真骨頂なのだ。
 無論、その能力を最大限に引き出せる狂気があってのものである以上、彼以上にこの魔道書を使いこなせる輩はあるまい。

「さあさあさあ! 出でよ湧き出よ我が子らよ! 我が愛する乙女との邂逅を邪魔立てするあの神の差し向けた刺客を打ち滅ぼしなさいッ!」

 俄然、勢いを増し増殖を続ける怪魔の群れ。今やそれほどの広さのない戦場を埋め尽くさんばかりにその勢力を増大させている。
 見るもおぞましい異形。繰り出される宝剣の爆撃は並み居る怪魔を飛び散らせ、結果より多くの怪魔を生み出す手助けをしている。

 鼓動の如く揺らめき増え続ける様はまるで増殖する臓腑のよう。奇怪に波打つ異形はその位置取りを刻々と変化させ、戦場を埋め尽くし、気が付けば時臣とアーチャーを包囲していた。

「さあ! どうするのですサーヴァント! 貴方が小馬鹿にした我が子らは遂にこの戦場を制圧した。貴方が如何に優れた英霊であろうとも、この数に襲われてはひとたまりもありますまい!?」

 気勢の逆転を見て取ったか、キャスターは狂気乱舞と声を上げる。彼の指先一つで怪魔の群れは一瞬でアーチャー達に襲い掛かり喰らい尽くす。
 腹を空かせた異形の食事は恐らく凄惨に余りあろう。少なくともこの世のものとは思えないほどにおぞましい食事になるだろう。

「…………」

 そんな状況の中、黄金は己を包囲する汚らわしいモノを睥睨する。瞳を合わせれば腐り落ちそうな程気色の悪いそれらを見やり、

「この程度か?」

 そう、まるで無感情に憚った。

「……何ですと?」

「我は言った筈だが。出し惜しむ事無く全てを尽くせと。ならばこれが貴様の全力か」

 数こそ多いがその全ては低級の魔物の群れだ。一魔術師であっても抵抗する事は不可能ではないレベルの怪異に過ぎない。
 怪魔の特性はあくまでその異常な生命力と再生力、そして繁殖力だ。数に物言わせた集団での嬲り殺し、持久戦が真骨頂。故にこの状況は怪魔を扱う上で最大の状況であるのは間違いない。

 そんなものを無論知った上で黄金は憚った。この程度か、と。この程度の異形しか産めぬ木偶なのかと。

「興醒めだ。我を愉しませるに値せぬ輩は疾く死ね」

 黄金の王の右腕が水平に伸びる。刹那、包囲する全ての怪魔に照準を合わせたかのように無数の──否、無尽の如き数の宝剣宝槍、数多の武装が展開される。

 怪魔達の蠢く地平が全てを飲み込む夜の闇であるのなら、黄金の展開した剣群は夜を照らす星明かり。
 駆逐されるのは果たしてどちらか、その裁断を下す王の号令が今、下される───

「お待ちください、王よ」

 その気勢を削いだのは、他ならぬ時臣だった。

「何故止める? 理由なき諫言ならば相応の報いを以って遇すぞ」

「何、理由は単純です。この程度の低級の魔物など、王の手を煩わせるまでもない」

 言って、時臣は手にした樫材のステッキを回転させる。天頂に象眼された極大の紅玉(ルビー)が炎のようにその彩を輝かせる。

 黄金と青髭の対峙を時臣はただ呆と眺めていただけではない。彼は彼なりに戦場に意識を張り巡らせ、第三者の視点から俯瞰し、冷静に場を見つめ続けていた。
 それと同時に身体に刻み込んだ魔術刻印の回転数を徐々に上げ、黄金の爆撃と怪魔の増殖の合間に密やかに術式の構築を進めていたのだ。

 この森には現在多くのマスターとサーヴァントが潜んでいると時臣は睨んでいる。ならば今こうして戦端を切ってしまった我らを監視する者の目を気にしておくべきなのだ。

 聖杯戦争における情報の重要性を見誤ってはいけない。一枚でも切るべき手札は少なくしておくべきなのだ。特にこの黄金の能力について、看破される事は時臣の敗退を意味しているも同然なのだから。

 如何に最強の自負があろうとも、対策を取られては不味い。究極的に言えば、複数組で同盟でも組まれては不敗でいられるかどうか分からない。
 最強を最強のまま運用しようというのなら、最強である事を秘し、能力の一端においても秘せる情報は秘すべきなのだから。

 故に今、明かすべきは己自身の情報で必要十分。この程度の低級の魔物の群れなど、我が炎にて焼き尽くして余りある──!

我が敵の火葬は苛烈なるべし(Intensive Einascherung)

 瞬間、戦場全域に浮かび上がる巨大な魔法陣。地より天へと逆上る炎の柱が顕現し、幾百の怪魔共を一匹残らず飲み込んだ。
 その中心に立つ時臣とアーチャー以外の全ての存在を灰燼に帰せ、とばかりに炎は猛り狂い、並み居る怪魔を灼熱の舌は捕らえて離さず、異形の者共の悲痛な絶叫をすら消し炭と化して、太陽の輝きは夜の闇を払拭した。

「お気に召して頂けましたかな、王よ」

「ふん……」

 天へと消え去った炎の柱の後に残されたのは、更地となった戦場と無傷の時臣とアーチャー。そして難を逃れたキャスターのみであった。

「お、お、お、お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 戦慄くキャスター。よもやサーヴァントではなくたかだか人間の魔術師程度に己の使役する怪魔を殺し尽くされるとは夢にも思っていなかったに違いない。

 しかしこの手には今だ魔道書は健在。このスペルブックがある限りキャスターの魔力の多寡に関係なく、それこそ無尽に異形を喚び寄せる事は可能なのだ。
 より強い魔物を産めばいい。より悪逆な異形を喚べば良い。この先に待つ乙女の為、死力を尽くしてこの敵を乗り越えなければならない。

「なるほど……」

 そしてキャスターは、その狂気なる思考を以って奇妙な結論に達した。

「今此処に理解した。貴様こそは私と聖処女との邂逅を邪魔立てする為に遣わされた、神の使徒なのですね」

「何?」

 時臣の問いなどまるで無視してキャスターは続ける。

「生前、どれだけ悪逆を尽くそうと、倫理を犯そうと、禁忌に手を染めようと終ぞ神は私の前には現れなかった。
 我が愛しの乙女の信仰をあのような結末にて踏み躙った憎き神に問おうと、この手を血と狂気と快楽で染め抜いてなお神は姿を現さなかった。それどころか、神は私を罰する事さえなかった」

 キャスターを罪に問い罰を処したのは同じ人間だ。神は何もしていない。何一つしなかった。

 神の教えに背くありとあらゆる行いを以ってなお罰がない。
 これはつまり信仰という名の狂気(いのり)は無為であると証明されたのだ。
 神の不在は確かに証明されたのだ。

 それでもキャスターはきっと、心の何処かで思っていたのだ。神は、存在していて欲しいと。
 でなければこの憤りは何処に向かえばいいのか。彼女の──ジャンヌの信仰は、敬虔な生き様はなんであったのかと狂ってしまうから。

 そして今、遂にその姿を見咎めた。気の遠くなる永遠と刹那の狭間において、唯一つ望んだ祈り──愛する聖女との再びの邂逅。

 その奇跡を前にして邪魔立てする、立ちはだかる存在を神の試練と、その存在を神の使徒と言わずして何と言う。

 今更になって、今ようやく神は己を見つけ出したのだ。信仰に背いた者に罰を。主の教えに背いた者に咎を。
 悪逆に耽溺したこの己の罪に対する最大級の罰──それは最早語るまでもない。

「御身を超えずして我が乙女との邂逅が叶わぬのなら、宜しい。是が非でも乗り越えて見せよう」

 朧と霞んで行くキャスターの総身。実体を喪失し霊体へと移行する。その意味するところはこの場からの撤退に他ならない。

『貴方は言いましたね、自分を愉しませろと。このジル・ド・レェ──ならば次に巡り会うその時こそ、神の下したその試練を達成し乙女との邂逅に臨むとしよう。せいぜい楽しみにしておくといい──』

 気配の残滓すら残さず魔術師の英霊は戦場を去った。

 討ち取れた筈の敵手を逃がしてしまった事は時臣としても釈然としないが、アーチャーが追わないサーヴァントを追撃する事は出来ない。
 キャスターの生み出した怪魔は倒せても、奴自身を打倒しろと言われては些か以上に荷が重い。

 英霊とはただ存在するだけで一級の神秘なのだ。それを生身の魔術師が撃破しようと言うのなら相応以上の準備が必要だ。今の時臣では難しい。

 ──とりあえずはこれでいい。本命はこの奥だ。

 時臣がこの森に踏み込んだのはあくまで外道衛宮切嗣を討ち取る為だ。その他の連中を深追いする必要はない。

 館を辞する際に綺礼にはアサシンを動員し全マスター、サーヴァントの動向を探るよう言い含めてある。この森の出入り口付近は当然見張っているであろうから、その拠点についてもいずれ知れる。

 今はまず衛宮切嗣とそのサーヴァント・セイバーだ。キャスターも十分に外道だが、二兎を追って両方を逃がす末路は避けたいところだ。

 そこでふと、時臣はアーチャーの姿に異変を認めた。
 キャスターが消失した直後──否、その前より、この黄金は空を睨んでいる。

「如何されましたか、王よ」

「天に仰ぎ見るべきこの我を、見下ろしている輩がいる」

 その意味するところは第三の存在。時臣が警戒していたこの森に侵入した他のマスターとサーヴァント。
 全く予期していなかった空に敵が滞空しているのでは、気付けずとも無理はない。それに気が付いたアーチャーの慧眼こそを誇るべきだろう。

 当のアーチャーはその眦に憤怒の色を浮かべている。先の言のようにこの男は見下される事を良しとしない。度し難くも空より見下ろす存在に向け、黄金は一切の容赦なく五挺の宝剣を差し向けた。

 地上より天空に降る流星。五つの光線は螺旋を描き飛翔する。空にいる下郎を撃ち落す為に。
 それに応えるは────

「AAAALaLaLaLaLaie!!」

 軍神の鬨の声を上げ、地上へと墜ちる巨星。紫電を纏うそれは強壮なる戦車(チャリオット)

 足場なき無空を踏み締め駆け抜ける二頭の神牛は主の声に力強き嘶きで応え、襲い来る五つの宝剣を迎え撃つ。

 宝剣の威力が爆撃であるのなら戦車の走りは蹂躙だ。その道を阻む悉くを捻じ伏せる堂々たる制覇。
 神牛の率いる雷神の戦車は脅威の加速で雷光の盾を成し、天へと降る五つの光その全てを駆逐した。

 戦車はその勢いを微塵も落とす事無く地上へと着陸する。接地直後に轟音を響かせ、無理やりな急旋回からのブレーキングで、焼け焦げた大地を更に無残なものとした。

「居所の分からぬセイバーを探して空を彷徨っておると感じた戦の気配。こうして辿り着いてみれば、なんとも手荒な歓迎ではないかアーチャーよ」

 手荒な歓迎、と言いながらも赤毛の王には別段怒気はない。むしろそれをこそ歓迎しているような気配だ。

「如何なる理由があろうとも、この我を見下ろす理由にはならぬ。この大地に犇く有象無象ならば、地に這い蹲るのが似合いの姿だ」

「ほぉ? この征服王イスカンダルをすら、その有象無象と憚るか」

「…………」

 告げられた名に驚きを示したのは時臣だ。サーヴァントの真名は秘め隠すもの。それをこうも堂々と謳われては、驚愕の隠しようとてない。
 気になる点があるとすれば真名の暴露は裏付けのあってのものなのか。ただ単純に馬鹿なだけなのか……

 そして時臣が眇める視線で見やるは御者台でひっくり返っている一人の少年──マスターたるウェイバー・ベルベット。

「お、ま、えぇぇぇぇぇぇ。なんでそう何度も自分で名前ばらしちゃうんだよ……これじゃ意味が────」

「この戯けぃ。天地に憚るものがないのなら、名を隠し通す事など無為であり無意味であろう。
 秘匿せねばならぬものなどこのイスカンダルには微塵もない。この身一つで我が道に立ちはだかる全てを蹂躙し尽くすまでの事よ」

 その気性は豪放にて磊落。手綱を握られる事を好まないというのは目の前の黄金と変わりないが、その在り方が決定的に違いすぎる。

「そんな余を指して地に這い蹲る有象無象と言ってのけた貴様は当然、自らの名を明かす事に躊躇はあるまいな?」

「──王よ」

 小さく、けれど絶対的な言霊を乗せて時臣は己がサーヴァントに諫言を告げる。こんな安い挑発に乗る必要はない。乗ってはならないと。

「……我が面貌の拝謁の栄に浴してなお心当たりがないのなら、貴様などに名乗る価値もない。我を差し置いて王を僭称するのであれば尚の事。そのような有象無象は早々に消えてしまえ」

 黄金の右腕が上がる。それは無尽蔵の財宝を内包した宝物庫の扉を開ける合図。その仕草を遮るように赤毛の王は口を挟んだ。

「まぁ待てアーチャー。余も戦場を求めておったゆえ貴様と戦り合う事に異存はないが、未だ主賓を迎えておらんのは頂けんと、そうは思わんか」

 この森に踏み込んだマスター達の目的は衛宮切嗣とセイバーだ。先のアーチャーとキャスターにより戦端は開かれてなお剣の英霊は姿を見せない。
 ならば当然、森の主達は今も何処かでこの戦場を俯瞰している筈だ。踏み込んだマスターとサーヴァントの情報収集。そして必勝の機会を窺っているに違いない。

「聞く所によればセイバーのマスターはどうにも好かん気性の持ち主のようだがセイバー自身はそうではなさそうだ。ちょいと誘ってやれば乗ってくるやもしれん」

「……ふん。好きにしろ」

 黄金の王は上げた右腕を下ろした。彼にしてもまた聖杯戦争に見出した価値を見定める為にこの森に踏み込んだのだ。これ以上余計な些事に煩わされるのは鬱陶しいと、そう思っているに違いない。

 イスカンダルの誘いに応じたのがその証左。呼べるものなら呼んでみろと、そう場を取り成した。

「意外に話が分かる奴だな貴様。まぁ良い。では────」

 巨躯の王は御者台にて立ち上がり背負うマントを翻す。腰に佩いだキュプリオトの剣を天高く掲げ、空に向かって吼え上げた。

『この世に招かれし英雄豪傑よ、この地に集いし兵共よ! その身に英雄としての誇りを宿すのなら、こそこそせずにその姿を見せるがいい!
 我が声を聞き届けながらに姿を見せぬ臆病者は、この征服王イスカンダルの謗りを免れぬものと知れぃ!!』

 空を割り、木々を千切る大咆哮。同じ御者台にいるウェイバーのみならず時臣までもが耳を塞がなければならないほどの大音量。本当にこの森一帯に轟いているのではと疑いたくなる程の声音だ。

『特にセイバー!! これまでの獅子奮迅ぶりが偽りでないとするのなら、早く姿を現さんか! 誰もが貴様の登場を望んでおるぞ! それでも姿を見せぬというのなら、この森ごと平らにして晒し者にしてくれよう!!』

 この男なら本当にそれくらいはやりかねない、と耳を塞ぎながらなお聞こえてくる己がサーヴァントの挑発に辟易とするウェイバーだった。

 大演説の後、無音が数秒世界を支配した。ウェイバーが何だよ、結局来ないじゃないかと思い始めた時──風合いが頬を撫でた。

 次の瞬間、瀑布の如く突風が吹き荒れ広場を襲い、巻き上げられた落ち葉と共に軽快な着地音が鳴る。
 舞い落ちる枯れ葉の向こうに、具足のかき鳴らす音と共に白銀が舞い降りた。

「ほぉ……」

「────」

 赤銅とウェイバーは所見、黄金と時臣は二度目なれど、その凛とした立ち姿にこの場にいた誰もが目を奪われた。
 それほどに美しく、同時に力強い輝きを放つ存在。それこそがこの少女──

「サーヴァント・セイバー、この身に宿る誇りに従い参上した。これで文句はあるまい征服王?」

 セイバーに残る一握りの誇り。何物にも変えがたい祈りと比せば取るに足らないものであれ、決して無碍にしていいものではない。
 誇りを失した戦いは獣にすら劣る畜生のそれだ。人の先を往く英霊なれば、譲れぬ一線というものがあるのだ。

 しかしこれでこの戦場には三者が居並ぶ形となった。セイバーの危惧した乱戦の体を為している。他の二人の標的になりかねないセイバーは不用意に動く事は出来ない。

 そんな拮抗状態を知ってか知らずか、赤毛の王は誰彼なく憚る。

「こいつは聞きしに勝る女子だ。よもやその細腕で既に二騎のサーヴァントを屠ったとはとても思えん」

 蓄えた顎鬚を撫で擦りながら白銀の騎士を睥睨する赤銅の王者。そして彼の放つ次なる一言こそが、この三者を切っても切れない鎖で絡め取った。

「ハッハ! この戦、聖杯戦争なるものには世に名を馳せし益荒男共が集うと聞いた。ならばさぞ楽しめるものと思っておったが、まさか余の他に二人も『王聖』を持つ者がおるとは流石に思いもよらんかったぞ」

「────っ!」

「…………」

 その言葉に白銀、そして黄金の二人が視線を揺らす。共に見やるは赤銅。剛毅なる巨躯を睨めつける。

「……なあ、王聖って?」

「なんだ知らんのか。王聖とは、王たる者が持つ資質のようなものよ。王の器、と言い換えても良い。これなくして真なる王にはなれん。なれたとしても暗君か、良くて平穏な世を治める統治者がせいぜいだ」

 生まれ持った王者の資質。それが王聖と呼ばれるものだ。これを持つ者は王になるべくして王になる。必然という名の運命により王者足る事を求められる存在だ。
 その真贋を計ることは容易ではないが、この赤銅の王者はどういう理由からか白銀と黄金を王聖を持つ者と見定めた。

「……この身がかつて王であった身だとしても、貴様に何の関係がある?」

「大いにあるとも。余は王者の道──すなわち王道は二つあると考える。一つは求道。自らの理想を以って国を成す者。理想に殉じ、理想に生き、そして理想に死する者。
 一つは覇道。自らの行いに拠って民を導く者。民は王の在り方に憧れを抱き、胸に火を宿しその背を追う。自らもまた王足らん、とな」

 求道は聖者の理であり、覇道は暴君の業だ。

 国を守り民を守る。その為に私を滅し王である事を自身に課す生き方。
 国を喰らい民を喰らう。その為に私も王も飲み込みただ覇を謳い続ける生き方。

 どちらが優れているというわけではない。

 弱小の国であり常に外敵に脅かされているような状態では求道が求められ、国力があり国土を広げる余地があるのなら覇道が相応しい。
 これは王としての在り方を示す一つの指標に過ぎない。何の為に王になったか、その違いでしかない。

「……それで、その求道覇道がいったい何だと言うのだ」

「余は無論、覇道を征く者。ならば、なぁ、その背には多くの従者が必要だ。強き兵が必要だ。余と共に夢を綴り成し遂げる、今代における朋友がな」

 たった一人では叶わぬ夢も、多くの者が集えば成し遂げられる。赤銅の王者もかつては己が野望の為に邁進し、その背に多くの朋友を引き連れ夢の彼方を目指したのだ。
 その夢は志半ばで倒れ届かなかったが、ならばこそ今代で成し遂げて見せようと。その為にこの二度目の生を得られる聖杯を賭けた戦いに臨んだのだから。

「故に余は朋友を求めている。なぁセイバー、そしてアーチャーよ。貴様ら余の軍門に下らぬか。共に聖杯の奇跡を分かち二度目の生を手にし、この世界にその名を轟かせようではないかッ!!」

 両の手を大きく広げ天を抱くように高らかに宣誓を謳い上げる。

 聖杯が真に万能の願望機であるのならたった一つしか願いを叶えられないなどという道理はない。二度目の生を共にする朋友と共に確固たる足場を手に入れ、かつて夢見た世界征服を今一度──

 それをこそが祈り。征服王イスカンダルの純なる祈りなのだ。

「──断る」

 だがそれを、セイバーは一刀の元に断ち切った。

「これでもかつて王であった身の端くれ。他の誰かの軍門に下る気はない。何より、聖杯を手に入れ祈りを叶えるのはこの私とマスターだ」

 決して譲れぬその祈り。他の誰にも聖杯は渡さない。なればこそ、そんな勧誘は斬って捨てる以外に有り得ない。

「ふぅむ……そいつは残念だ。貴様ほどの剛の者ならば是が非でも臣下に加えたいところであったが、ならば後は雌雄を決する他あるまい。それで、貴様はどうだアーチャー?」

 セイバーが姿を見せて以来無言を貫いていたアーチャーに問いが投げかけられる。黄金はセイバーに向けていた視線を赤銅へと移し、失笑した。

「はっ、求道覇道と下らぬ道を謳っているが、そんなものは所詮雑種の理だ。身命を賭さねば国を守れぬ? 朋友がなければ夢を成せぬ? ククク、それで良くも王を名乗ったものだな征服王」

「ならば貴様は王として如何なる道を征く者か、聞かせて貰おうではないか」

「真の王者たるもの他者など要らぬ。貴様の言いようを真似るのなら、我は我だけの道を征く者。即ち我道。
 王とは孤高なる者。王とは超越せし者。全てを支配し君臨する者をこそ、真に王と呼ぶのだ」

 それはまさに絶対者の理だ。求道の王よりなお孤高の存在でありながら、覇道の王よりなお貪欲に国を喰らう者。全てを自身ただ一人を崇め奉るためだけの供物程度にしか見ていない。
 ただ一人己だけで完結している存在。それをこそを王であると、この黄金は謳い上げた。

 理想に生き、理想に殉じた白銀の王。
 人々の羨望を集め、共に夢を見た赤銅の王。
 唯我の極みに立ち、絶対者として孤高に君臨する黄金の王。

 彼ら三者は決して交わらぬそれぞれの王の道を征く者。
 三つの点を描く正三角形だ。

 ならば当然、言葉によるやり取りなど最早不要。どれだけ言の葉を連ねようと自身の道を絶対とするのなら折れる道理はないのだから。
 決着はただ刃鳴散らす戦場の只中で。その果てにのみ答えが待っている。

「まぁそれは良い。王を僭称している時点で知れた事。せめて自身に譲れぬ道を誇ってなければ王という称号を戴くには足りん。
 いや、我が道を征く者として問うておくべきか。なぁ────セイバー」

「…………ッ!?」

 アーチャーの視線を受けセイバーは身構える。別段殺気の類は感じられない。それどころか敵意すらも見えていない。その視線に宿るのは艶やかな色のみ。まるで子女が宝石を前にして夢見るような色だけが込められていた。

「セイバー──我は貴様を気に入った。故に我のものとなれ」

「なに……!?」

 それはまるで予期していなかった言葉。イスカンダルの勧誘の比ではない真剣さがその言葉には込められている。
 だがだからこそ理解が出来ない。何を理由にそんな事を言うのか。セイバーの何がこの黄金の琴線に触れたのか。

 何れにせよセイバーの返答は決まっている。

「何を馬鹿な事を。今ほど征服王にも言った筈だ。私は誰の軍門にも下らないと」

「誰が軍門に下れと言った。我は我のものとなれと言ったのだぞ?」

「……それに一体、何の違いがあると言うのだ」

「大いに違うさ。先にも言ったが我に臣下や朋友は必要ない。ただ我は気に入ったものは愛でる性質でな。喜べセイバー、貴様は我の眼鏡に適ったのだぞ。我が財宝と比してなお貴様は手に入れる価値があると」

 セイバーにしてみればアーチャーの言葉は全て妄言の類にしか聞こえない。イスカンダルの勧誘は駄目元という念を含んでいたがアーチャーの言葉にはそれがない。既に決定事項であるかのように語るのみ。

「王としての責務や理想など捨ててしまえ。貴様はただ愛でられるだけの女であればそれでいい。
 女に生まれた幸福とは男子に組み伏せられる事であろう。貴様はそこらの有象無象にくれてやるには惜しい女だ」

「……それは、いや……その言い方ではまるで……」

「はっきりと言わねば分からんのなら言ってやろう。貴様は我が妻となれ」

「────っ!?」

 泰然と述べられた告白。それは求婚の言葉。黄金が白銀に何を見出しているのか定かではないが、その言葉に込められた意思に偽りはない。
 天地に唯一人我のみを尊ぶ黄金はこの白銀を見初めたのだ。王の道を共に歩むには足りぬまでも、王の寵愛を受けるだけの資格があると。

「剣を棄て、祈りを捨てろセイバー。そんなものは貴様を縛り損なうだけだ。これより貴様は我だけを求め、我の色に染まるがいい。さすれば万象の王としてこの世の快と悦の全てを賜わそう」

「断るッ────!」

 黄金の口上を聞き終える前にセイバーは不可視の剣を具現化し、疾風の加速を以って肉薄し一刀の下に断ち切るつもりで剣を振り下ろした。
 それを防いだのは黄金の右腕。セイバーの圧倒的な斬撃を受けながら傷の一つもつかない黄金色の鎧の前に初撃は沈黙した。

「そのような戯言、虫唾が走る! 我らは聖杯を求め合い争う為に招かれし者。胸に秘めた祈りがあるのなら、英霊としての矜持を持つのなら……そのような言、侮辱以外の何物でもない────!」

 烈気火勢の斬撃を上下左右から無尽に見舞うセイバー。彼女は剣と祈りの為にこの戦いに臨んだのだ。それ侮辱されてなお泰然としていられる程淑やかではない。
 泥に塗れる事を誓ったのはセイバー自身。だが他者に被せられる泥を浴びる謂れはないのだ。

 怒涛の如き斬撃がアーチャーを襲い、されるがままの黄金は、それでも自身の言葉を撤回しない。むしろ気の強い女を組み伏せるのも一興であると言うかのように口元に笑みを浮かべる。

「ああ、良いぞ。別段貴様の答えなど聞く気もないのでな。これは既に我の下した決定だ」

 露呈している頭部を守る事に終始していた黄金は襲い来る斬撃の隙を衝き、後方の何もない空間より一本の剣を引き抜き次の一撃を迎撃する。
 その剣は黒く禍々しい剣だった。滴り落ちる程の血を帯びた赤黒い刀身を持つ剣。

「──、がっ……!?」

 不可視の剣と血染めの剣とが衝突した瞬間、セイバーは後方へと弾き飛ばされた。アーチャーの迎撃がセイバーのそれを上回っていたわけではない。単純に、セイバーは自身の斬撃の威力を跳ね返されて弾き飛ばされたのだ。

 ──攻撃の反射!? いや、これは呪い。復讐の呪詛を持つ魔剣か……!

 地を滑ったセイバーは体勢を立て直し付け入る隙を探そうとする。そして同時に、この場にいるもう一人にも警戒を怠らない。

「…………」

 御者台に座したまま腕を組み趨勢を見守っている赤毛の王とそのマスター。アーチャーのマスターはというと苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべたままこちらも沈黙を保っている。

 時臣にすればこの状況、不可解にも程があった。もとより己の従える……臣下の礼を取っているサーヴァントの気性を理解出来ているつもりなどなかったが、この一幕は最早慮外にも等しい。

 サーヴァントの身でありながら他のサーヴァントに求婚などと……理解をしろという方が難しい。
 しかしこの場からの撤退の進言はなお難題。今のアーチャーが時臣の諫言を聞くとは思えないし、ならば令呪の強制以外に選択肢はない。

 かといってそんな強行は今後の展開に支障をきたすし、何よりイスカンダルの行動もまた読めないのだ。
 あの男の行動いかんによっては撤退の最中、アーチャーをして劣勢に追い込まれる可能性がないわけではない。それでなくとも宝具の真価を見せざるを得なくなるかも知れない。

「…………ッ」

 どの道も八方塞。そして更には、恐らくはこの戦場を監視しているであろう衛宮切嗣の動向もまた、警戒せねばなるまい。

 未だ状況は膠着状態。
 アーチャーはいざ知らずセイバーは攻め手を決めあぐねている。

 この場を上手く切り抜けるには偶然が必要だ。誰もが予期し得ない、第三者の介入という偶然が──

「王だなんだの酷く詰まらない話をしているじゃないか」

 ざり、と土を噛む靴の音。偶然と呼ぶには出来すぎたタイミングでその男は現れた。森の広場に踏み込んできたのは未だ姿を見せなかった最後の一人……

「間桐、雁夜!?」

 時臣の驚愕は当然だ。
 七人目のマスターがあの男である筈がないのだから。

 間桐という家に生まれながら魔道に背を向けた男。そんな男が何故この場にいる。目深に被ったパーカーから覗く面貌にかつての雁夜の面影はない。
 髪は色素を失い白く変色し、半面は罅割れ恐らく目も見えてはいまい。どのような過酷に遭えばあんな無様な姿に成り果てるのか。

 しかし時臣の驚愕の正体はそこではない。間桐雁夜が如何に変貌していようと関係がないし知った事ではない。
 雁夜がこの場にいる、ただそれだけの事実が解せないのだ。

 ──何故ならこの戦い、間桐からは参加者は出ないと正式に通達が渡されている筈なのだから。

「何故だ、何故おまえが此処にいる!? 間桐雁夜──!」

 優雅を常とする男の激昂の意味を知る者はこの場にはいまい。知れるとすれば雁夜自身だが、彼にはそんな言葉に応える音は持ち合わせていない。

 今の間桐雁夜という男はただの器に過ぎない。復讐という怨念を増幅し垂れ流す円環に過ぎないのだから。

「……ようやく見つけたぞ遠坂時臣。俺はおまえに復讐を成す為にこの戦いに臨んだ。おまえを殺す事で桜ちゃんは救われるんだ」

「……桜?」

 間桐へと養子に出された遠坂の次女。その名を聞き、時臣は僅かに動揺した。瞳が揺れた程度でしかない揺らぎだったが、雁夜はそれを目敏く見咎めた。

「おまえに桜ちゃんの身を案じる理由はないだろう、時臣。
 他ならぬおまえが、この戦いに間桐からの参加者を出さない代わりに、あの子を臓硯へとくれてやったくせにッ!!」

「なっ…………!?」

 時臣の動揺は今や明確になる。
 雁夜の言葉に如何なる真実が隠れていたのかは不明だが、時臣には覿面だったらしい。

 二の句の継げない時臣に成り代わってか、不遜な態度に嫌悪の視線を乗せてアーチャーが雁夜を見やる。

「五月蝿いぞ雑種めが。今は我とセイバーの婚儀の最中だ。口を慎み身の程を弁えろ下郎」

 アーチャーの背後の揺らめきより二挺の魔剣魔槍が撃ち出される。神速の勢いで射出されたその一撃は到底生身の人間が防ぎ得るような威力ではない。
 しかし未だ雁夜のサーヴァントは姿を見せず。剣が雁夜を撃ち貫く刹那に、その男は口元を狂気に歪め、その身体より黒い霧を立ち昇らせた。

「ハッ────!」

 瞬間、轟音。爆発。

『………………』

 そしてその異常を見咎めた誰しもが、目を奪われ意識を乱された。

「なんだと……」

 アーチャーをして訝しむその異常。爆発の余波によって生まれた煙が晴れた時、その場所に雁夜の姿は健在だった。

 半面は罅割れ髪は白く色を失っている。
 口元には狂気が浮かび、手には先ほどアーチャーの撃ち出した魔剣が一振り。
 総身より立ち昇るのは黒い霧。
 霧状の、そして膨大なまでの魔力の渦──

「坊主……こりゃあ──」

「アイツ、サーヴァントだ。人間のくせに、サーヴァントだ!」

 ウェイバー自身何を言っているのか分かっていないがその言は真実のみを表している。

 今、間桐雁夜はサーヴァントにしか迎撃の出来ない一撃を、いや……サーヴァントですら回避の容易ではない一撃を躱し、あまつさえ空中で剣を掴み、身を捻り僅かな時間差のあった二撃目である魔槍を打ち払ったのだ。

 神域の曲芸とも評するべき圧倒的な武錬。無論、かつての間桐雁夜は武道など修めていないただの一般人……魔道に生まれただけの一般人だ。
 今の芸当は到底そんなただの人間に出来るものである筈がなく、故にウェイバーの言は真実なのだ。

 ──今の間桐雁夜はサーヴァントである。あるいはそれに近しい状態にあるのだと。

 ウェイバーの目には、時臣にもまた今の雁夜をマスターとしての透視能力を以って見ればそのステータス状態を見て取れる。

 ただ分かるのは雁夜がサーヴァントであるという一点のみで、本来ならば読み取れる基礎能力、ある程度まで把握出来る特殊スキルに至る全てがまるで揺れる水面のように揺蕩って一切が読み取れない。

 まさにそれは正体不明の第七の存在。戦乱をより混沌へと突き落とす地獄よりの使者だ。

「ほう……成る程な。面白い召喚の仕方もあったものだな」

 何に得心がいったのか、アーチャーが愉快そうにそう呟く。そして次の瞬間には濁流の如き感情が烈火となって乱れ狂う。

「その汚らしい手で我が宝物に触れるとは何事か。それはこの我のみが所有する事を許されたものであるぞ!」

「は、ははハは、ヒィヤァハハハハハハハハハハハハハハハ…………ッ!」

 撃ち出される宝剣。手にした魔剣で打ち払う雁夜。続く爆撃の悉くを迎撃する。

 狂ったかのような哄笑を上げながら黄金の撃ち出す無数の剣群を捌きに捌く雁夜。常軌を逸した人間離れした体術で躱し、受け止め、弾き、奪い取る。
 他者の干渉を許さぬ間断なき爆撃は、けれど終ぞ雁夜の首を跳ねるには至らず戦場に惨状と猛煙のみを齎した。

 憤懣やる方ないのは黄金だ。セイバーとの婚儀を邪魔立てされた挙句、下郎の首は討ち取れず、終いには己が財を奪い取られる始末。憤怒の余りその形相に先程までの余裕は微塵もない。

「手癖の悪い狂犬もいたものだな……! そうまでして死に急ぎたいのなら全力で相手をしてやろう。死してその後に悔い改めろ──ッ!」

「────王よ。どうかその怒りを鎮めて頂きたい」

 黄金の背後に浮かび上がる文字通りの無尽の揺らめき。数えるのも馬鹿らしいほどの数の刀剣斧槍槌鎌戟。古今東西のありとあらゆる武装が展開され、その発動を押し留めたのはただの一言。

 時臣は絶対の意思と決意を込めて進言する。右手の甲に宿る令呪の一画は言の葉と共に昇華され、赫怒に染まる王の総身に戒めを施した。

「……時臣。我に令呪の戒めを施したその意味──無論理解していような?」

「無論です。王に忠言を申すのも臣下の務め。この場は御身が死力を尽くすに足る戦場ではありますまい。ならばどうか、その怒りを鎮め撤退を」

「…………」

 確かにこの場は既に泥沼の様相を呈している。四者四様のサーヴァントが入り乱れ趨勢は全く読めないものとなっている。
 セイバーへの求婚についてもこんな状況ではにべもない。全てのサーヴァントを駆逐し改めて愛でる事も叶わぬではないが、既に興は削がれている。

「……良かろう。この場は貴様の顔を立てて引いてやる」

「逃がすと思っているのか────!」

 狂いながらに理性の全てを手放してはいない雁夜の言葉に黄金は失笑を返す。

「貴様になど興味はない。放って置いても自滅する蟲などにはな」

 展開される無数の剣群。全力のそれには程遠いまでも十分にサーヴァントの足を止めるに足る数だ。雁夜は奪った武器で追撃を掛けるが、後退する時臣とアーチャーに近付く事すら叶わず足止めを余儀なくされる。

 黄金の掃射を捌き切っただけでも十分に驚嘆に値する成果なのだ。その上でなお撤退する彼らに肉薄しようというのなら命を投げ出す程が覚悟が必要だった。

 雁夜はまだこの場で倒れる事を良しとしない。この身は成し遂げなければならない祈りがある。
 身体を弄くり回され、死ぬ思いで掴み取ったマスターとしての権利。そして身に宿したあの男──時臣を屈服させるに足る力。

 あの魔術師が地に這い蹲る様を眺めなければ救われない。雁夜自身と、そして煉獄に突き落とされたあの少女が。

 故に雁夜もまたこの場は引いた。
 深追いをして想いを遂げられないのでは本末転倒。
 今はそう、あの男が雁夜を前に逃げ去るという事実だけで充分に溜飲は下がるのだから。

「セイバー、次に見えるその時までに心を決めておけ。まあもっとも、我の決定は変わらんがな」

 宝剣の爆撃を置き去りに黄金と時臣は森の奥へと姿を消した。
 後に残ったのは墓標のよう居並ぶ剣群のみ。
 それも時を待たずして風に透けるように消えていった。


+++



 爆心地のような戦場に残されたのはセイバー、ウェイバーとイスカンダル、そして雁夜の四人だ。

 セイバーにしろイスカンダルにしろアーチャーと雁夜の戦いに剣を挟み込む余地などなかった。人の身でありながらサーヴァントである、という異常に身を置いている雁夜の存在を未だ正しく認識出来ていないのかもしれない。

 そして何より、両者の戦力を測るにはああして見守る他になかった。

 アーチャーは湯水のように宝具を持ちその真名を特定する事が出来ず、雁夜はステータスから一切の情報が読み取れない。そして姿形からもまたサーヴァントの正体を知る事が出来ない。

 ならばせめてその戦闘能力について把握しておくべきだというのは必至と言える。それでもなお未だ核心に至れる情報は何一つとして得られていないが。

「さて、どうするね間桐雁夜とやら。貴様が執心しとった連中は去ったわけだが、次は余かセイバーと戦うか?」

 先の狂騒状態を思えばこの男に宿るサーヴァントはバーサーカーのクラスなのだろう。理性を保てている理由は不明だが、話が通じるのなら手っ取り早い。

「いいや、止めておく。あんたらと戦う理由は俺には────」

 その時。どくん、と跳ねる鼓動。背を折り呻きながらに胸を掻き毟る雁夜。視線は雁夜の意思とは裏腹に、セイバーを見やる。

「はっ、──そう、か。“俺”にはなくとも“私”にはあるのか……!」

 一際大きな魔力の渦が雁夜の体内より溢れ出す。総身を包み天まで昇るほどの濃黒の憎悪の色。

「ォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオ──────!!」

 狂気渦巻く嵐の中、密度を増した霧は先よりもなお濃く雁夜の姿を覆い隠し、今やその姿を視認することすら難しい。
 直視してなお影と揺らめき、まるで蜃気楼でも見ているかのようだ。よくよく見れば漆黒の鎧めいたものが見え隠れしているが、それも陽炎の如き儚さだ。

 その中で唯一見て取れるのは、赤く輝く双眸の色。スリット状のラインの奥に燃え盛るのは憤怒に取り憑かれた炎の色だった。

「A…………th……!」

 声ならぬ声を上げ、雁夜だったものはアーチャーの爆撃によって破砕した木の枝を掴み取りセイバーへと襲い掛かった。

「なっ……!」

 常軌を逸したその行動。たかだか木の枝が英霊の手にする武具に太刀打ちできるわけがない。しかし今やこのサーヴァントにそんな常識は通用しない。ただの木の枝で、バーサーカーはセイバーと斬り結ぶ。

「…………っ!?」

 セイバーはその異常に驚愕するしかない。並大抵の武具ですら英霊と打ち合えば寸断されるものを、ただの木の枝で抗し得るなど不可能だ。ならばそこには理がある。彼だけに許された賜物が。

 手にしたものを宝具へと変える宝具。研ぎ澄まされた武錬と類稀な逸話により具現したこの特性はおよそ武器と視認した全てを凶器へと変貌させる。

 バーサーカーが握ればただの木の枝とて木の枝のまま宝具へと変わり、宝具としての属性を帯びる。
 そこに強度の有無は関係なく、先に概念のみが存在する。その概念を打ち砕かなくてはこの狂気の発露を止める手立てはない。

「────errrrrrrrr……!」

 意味の通らぬ声を上げながらバーサーカーは無尽の如き連撃を見舞う。魔力放出の加護を持つセイバーをして拮抗に留めるのがやっとの膂力。そしてなお厄介なのは、その類稀な技量だった。

 狂化してなお失われていない卓越した技術。ただ力任せに打ち込んでくるのなら如何様にも対処のしようがあったがこちらの剣の動きを読み、躱し、攻撃に転じるという当たり前の行動を常人に倍する力で行うのだから始末が悪い。

 本来ならば力と引き換えに失う筈のものを持ち合わせているというのは、言葉は悪いが卑怯以外の何物でもない。
 それを可能としているのが外法によるトリックなどではなく、生前の修練の賜物であるというのなら、そんな物言いは的外れにも等しいのだが。

 ──ぐっ、だが、これは…………!

 今までアサシンにもランサーにもアーチャーにさえも遅れを取らなかったセイバーが初めて圧されている。
 自身に匹敵する力量を持ち、かつ上回る膂力を持ち合わせているこの狂戦士は、更にもう一つの不可解を孕んでいた。

 ──何故だ、何故こうも簡単に読まれる!?

 セイバーは決して素直な剣を用いてはいない。フェイントやブラフを織り交ぜ緩急をつけた攻めを行っている。だがその全てが有効に働かない。それはまるで先を読まれているような不可解。

 不可視の剣とて同様。初見の相手にはほぼ間違いなく効果を発揮する刀身なき斬撃をこの黒色のサーヴァントはまるで知っているかのように受け止め回避する。

 宝剣の刀身を晒したのはランサーのみ。
 それもあの魔を破却する槍あっての物種であり、ハイアットホテルでの戦いを覗き見られた筈もないのだから不理解は此処に極まる。

 秘め隠した聖剣の刃渡りを知る術は二つしかない。不可視のまま脅威の心眼を以って戦闘中に看破するか。生前に一度でも聖剣の実物を見ているか。

 この狂乱の英霊は初撃から既に刃渡りを見て取っていた節がある。
 ならば後者でしかなく、そしてそれ以上にこの狂いの御座にある英霊はセイバーの剣を読み尽くしている。

 ……いや、これは読まれているというよりも──

 『知られている』という方が正しい気がして。

 そしてこの太刀筋を──

 ──私は『知っている』ような気がするのだ。

「AAAALaLaLaLaLaie!!」

 突如白銀と狂乱の戦場へと突貫する赤銅の繰る騎乗戦車。
 共に離脱が早かったお陰か、イスカンダルが手加減でもしていたのか、どちらも傷を負わぬままに距離を離した。

「この余を差し置いて二人で楽しむのは関心せんなぁ。交ぜて貰おうか」

 距離を置いた二人の間に居座る赤銅の王。今再び戦場は混迷の様相を呈し始めたが、

「グッ………ァァァァ……ッ!」

 狂乱の檻に囚われし戦士が呻きを上げて膝を屈する。バーサーカーというクラスは力を得る代償に多量の魔力を浪費する。他の六騎に比べその消費量は膨大と言っても過言ではない量の魔力を湯水の如く喰らっていくのだ。

 如何なる仕掛けと目的で人とサーヴァントの融合などという愚策を犯したのかは知らないが、それが彼らの寿命を縮めている事に間違いはあるまい。

 たった一戦、それも半刻にも満たない時間戦っただけでこれなのだ。後どれほどの時間保つのか……長くはない事だけは確かだった。

「…………、────ッ!」

 声ならぬ声を上げ、間桐雁夜でありバーサーカーである半人半霊は逃走した。獣の如き疾走を止める術などなかった。

「……何故助けた」

 戦場に静寂が戻った後、セイバーはイスカンダルに向けてそう問い質した。

「別に助けたつもりなどないんだがな。勝手に二人だけの戦場を作っとったのが気に入らんかっただけだからな」

「…………」

 実際セイバーは助かったのだろう。あのまま斬り結んでいてはどうなっていたか分からない。

 卓越した剣術。
 研ぎ澄まされた武錬。
 人を超えた身のこなし。
 こちらの手の内を知っていなければ対応出来ない筈の先読み。

 あの騎士の剣を知っている。
 それでも心の何処かでそれを認めたくないと吼える己がいるのを、自覚した。

「──それで、どうする征服王。私と戦うか」

「うぅむ……いや。今日はもう止めておくか。連戦続きのお主を討ち取った所で誇れもせんだろうしな」

 それがこの男なりの矜持なのだろう。
 セイバーにしても助かる話ではあるのだが。

「今日の所は身体を休めておけセイバー。次に見える時、互いの王道を賭けて死合おうではないか」

 決して交わらぬ王の道。ならば雌雄を決するのは互いの剣で。

「承知した。それと、征服王。貴方はその名を明かしている。ならば私も騎士の礼に則りその名を明かそう」

 他の連中がいてはリスクが大きすぎたが今ならばまだマシだろう。真名を明かす必要はない。だがそれでも、背いてはならない道があるのなら、私はその道に殉じたい。

「私の名はアルトリア。ブリテンの王──アルトリア・ペンドラゴンです」

「ほぉ。噂に名高き騎士王がよもやこんな小娘であったとは」

「……それが侮辱であるのなら剣を執るがいい征服王」

「ええぃ、ちょっとした冗談だろうが。まぁ良い。余の覇道と貴様の求道。決して交わらぬ道であれど互いに王を名乗るのなら是非もない。どちらがより優れた王であるか、雌雄を決しようではないか」

「…………ああ」

 差し出されるキュプリオトの剣。それに応えるは黄金の宝剣。秘蔵されていた風の封印を解かれた刀身は暗い森を照らして余りある。
 その宝剣の輝きを眇め心奪われぬ者はない。太陽よりも苛烈に、星よりも優しく、月よりも静かに輝く光。それがこの比するもののない最強の聖剣なのだ。

「ではな騎士王。その首、他の連中に奪われるでないぞ──!」

 手綱を振るえば神牛が嘶き空に馳せる。紫電を放ちながら強壮たる雷神の戦車は空の彼方へとその姿を消していった。

「…………」

 後に残されたセイバーは聖剣に今一度風王結界にて風の封印を施し消失させた。
 英霊が四騎も集う戦場に最後まで立っていられた事を誇る余裕もなく。セイバーはその顔に悲痛の色を浮かべ唇を噛み締めた。

「王として……か。王である事を否定した私に、その資格があるのでしょうか」

 ──どうか教えて欲しい、サー・ランスロット。

 かつて朋友と呼んだ男の名を思い出す。
 理想の騎士と謳われた騎士の中の騎士を。

 アーサー王の治世に亀裂を生んだ張本人。
 裏切りの騎士と蔑まれた男の名を。

 戦場に背を向け白銀の少女は去る。
 その背に宿るせつなさを、誰も知る事はなかった。













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