Act.05












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「────げぇ……、っぁ……!」

 アインツベルンの森での戦いから数時間が経過した現在。夜を染める暗黒の空と僅かな星明りだけが世界を照らしている。
 戦いの折、自壊衝動に襲われた間桐雁夜はどうにか海浜公園へと辿り着き、水飲み場で頭から冬の冷水を被りながら血反吐を吐いていた。

「はっ……なんて無様だ。何が英霊の力に耐え得る性能だ……こんなもの、付け焼刃よりも性質が悪い」

 身体に軋んでいない箇所はなく、鈍痛は随所で痛みを訴えている。外がその状態であるのなら中身はなお酷い。
 臓腑が正しく機能している事が奇跡としか思えぬほどに腹の底から熱が湧き出し、灼熱する憎悪の炎は燻る事無く猛り続けている。

 英霊としての力を行使して以来、抑制がまるで効かない。視界は明滅し手には無意味なまでの暴力が無意識に込められている。

 全てに破壊を。
 怨敵に復讐を。
 疾走を阻む悉くを殺し尽くせと内なる声が吼え上げる。

「うるっ、さいんだよ……俺は、俺だ……! 決して(キサマ)なんかじゃない────!」

 今の雁夜は人ではなく魔術師ですらなく、ましてや英霊でもサーヴァントでもない。そしてその全てを内包した半端極まりない存在となっている。
 それを強化と呼ぶか弱体と呼ぶかは難しい判断だが、一年前までただの一般人だった雁夜が他の正当な魔術師達と覇を競い合うにはこうする他に術はなかったのだ。

 いや……一年とはいえ命を削るほどの過酷を耐え抜いた雁夜の性能は付け焼刃であれそれなりの仕上がりだった。順当な英霊を順当に召喚していれば、些か劣るにしても健闘くらいは出来ただろう。

 しかし雁夜の欲したものは勝利だった。唯一人の勝者となり聖杯を掴む事だった。そうする以外にあの子を救う手立ては思い浮かばなかったし、それ以外の選択肢など遥か昔に置き去りにしていた。

 故に求めたのは他のマスターと対等以上に渡り合える暴力。その為に狂化の楔を打ち込んだのだ。

「思えば最初から俺は、臓硯に踊らされていたんだろうな……」

 そして今なおその掌で踊り続けている自覚がある。それでもそうする以外に道がないのなら、何処までも疾走を続けよう。

 たとえそれが、奈落への転落を意味していようとも。
 この手に掴めるものがあるのならそれで構いはしない、と────


+++


 遡る事数日。
 それはケイネス一派が全滅した頃の話。

 間桐雁夜が参戦するに及びサーヴァント召喚の儀に臨んでいた時の事だ。

「お主にはバーサーカーのマスターとなって存分に働いてもらおうかの」

 そう告げたのは間桐の翁──間桐臓硯に他ならない。雁夜に一年間の教育を施し魔術師として仕上げた張本人だ。

「今更ではあるが訊いておこう。雁夜、止めるのならばこの時が最後じゃ」

「くどい。そんな言葉は聞き飽きたんだよ。やるならさっさとやってくれ」

 遠坂より間桐へと迎え入れられた少女──桜を救う為、本来ならば雁夜自身が身に受ける筈だった業を一身に浴びた彼女を救う為に、雁夜は一度は背を向けた魔道に今再び向き合った。

 その決意に今も昔も変わりはない。これより訪れる過酷に足を竦ませ怯える程度の意思ではないのだ。
 自身が魔道に背を向けた為に、謂れなき辱めを受ける事となった桜に救いの手を差し伸べる為には、こうするしかないのだから。

「それよりいいのか臓硯。アンタは既に教会に間桐からの参戦者は出ないと、そう通達したんじゃないのか」

 雁夜が間桐に舞い戻る以前の話だ。後継者はなく、雁夜の兄である鶴野ではマスターたる資格も得られない。ならば遠坂の子女を迎え入れた後、次々回の戦いにこそ目を向けるべきであると判断し、今回を見送る決断をしたのだ。

「何、貴様が気にする程の事でもない。その程度の戯言など幾らでも用意してやろう。これより戦いに臨む息子の為じゃ、爺の口も良く回ろう」

 ……本当、食えないジジィだよアンタは。

 権謀術数において、この二百年の時を生きる老獪を出し抜く事は至難を極める。口八丁手八丁で自身の都合の悪い事など煙に巻いてしまうだろう。
 今の言にしても雁夜の為だと謳いながら、その本心は結局自身の為に他ならない。

 聖杯が手に入るのならそれでよし。入らずとも構いはしないという程度の事でしかない。

 この妖怪は雁夜の事など見ていない。
 その結果に微塵の期待も寄せていないのだ。
 倍率の振り切れたルーレットにベットするチップは一枚もないのだから。

「さあ、さっさと始めてくれ。戦いは既に始まっているんだろう、暢気に話している時間もなければこれ以上話すことはない」

「そうか。では教えたとおり呪を紡ぐがいい。後は勝手に聖杯が執り成そう」

 蟲共の血と肉で描かれた召喚陣の『中心』に立ち、雁夜は記憶した呪文を朗々と謳い上げる。規定に沿った呪文。それを言い終え、臓硯に言われたサーヴァントに狂化のスキルを付与する呪文を綴る。

「──されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者……」

 そして最後の詠唱へと続けようとした瞬間──

『──呪詛の鎖は我と汝を繋ぐもの。ならば我もまた狂乱の檻に囚われし者なり──』

 ────何っ!?

 その驚愕は雁夜のものだった。狂化を付与する二節を言い終えた直後、彼の口から彼の意思のものではない呪が紡ぎ出されたのだから。

 それは臓硯が雁夜に伝えなかった最後の小節。狂乱を手繰り、そして自身もまたその檻に身を置く誓約を成す呪文。

 令呪という英霊さえも縛り付ける規格外の戒めを作り出した間桐臓硯だからこそ可能だった禁術。その真なる意味はマスターとサーヴァントの同化。無論成功例もない行使自体が初めての試みだ。

 即ちそれは間桐雁夜という人間を使った、臓硯の実験に他ならない。

「汝、三大の言霊を纏う、七天────!」

 既に詠唱を止める術を失っている雁夜は終わりまで紡ぐしかなく。そして今、契約を成す最後の一小節が謳い上げられ、此処に狂気は発露する。

「オ、オ、オ、オ、オォ……アアアアァァアアアアアアアアアァァ……!」

 召喚陣の中心に立つ雁夜を覆っていく黒い魔力の奔流。吹き荒れる魔風は狂気と復讐の念で薄汚れている。

 本来ならば召喚陣の前に立ち、サーヴァントはその中心に姿を現す。中心に立たされた時すでに臓硯の術中。今雁夜が立つ場所に英霊の魂が顕現し、その身体と魂は融合を果たすべく鬩ぎ合う。

 それは互いに主導権を奪い合う闘争だ。本来ならば生身の人間が耐え切れるような代物ではない。
 だがそこには臓硯の仕掛けた罠がある。狂乱の檻、狂化に付随してくる狂気という名の呪詛の念は、同じくその呪詛を持つ者に良く馴染む。

 雁夜が如何に桜の為と謳おうと、その本質は利己的で欲に塗れた願望だと知っている。自責や救済も嘘ではないが、その底にある黒い膿のような、ヘドロのような感情を臓硯は雁夜自身より深く知っている。

 この翁こそが間桐の原初。マキリという家に生れ落ちる人間の下種さを誰よりも理解しているのだから。

 雁夜の底に潜む闇の正体は遠坂時臣への復讐の念だ。自らの愛した女を奪っていきながらその娘共々奈落へと突き落とした魔術師への報復の念に他ならない。
 どれだけ上澄みが美しく綺麗な色をしていようとも、その底に堆積する汚泥は容易く純水を飲み込み駆逐する。

 これはそれを発露させ馴染ませる為の荒療治。

 本来狂化とは弱い英霊を強化する為のものだ。雁夜程度のマスター適正ではそんな普通では最強には届かない。故に格としては上位に位置する英霊に狂化を付随する。それでもまだ届かないと臓硯は判断した。

 バーサーカー使役について最大の懸念である魔力供給。その問題を解決する為の融合だ。

「受け取るがいい雁夜。これが父から息子へのせめてもの情けだ。お主に賭けるチップは一枚とて持ち合わせておらんが、それでも出来る限りの事はしてしんぜよう」

 雁夜が間桐であるのなら、この臓硯もまた間桐なのだ。

 ここで壊れてしまうのならそれも仕方なし。あくまで次々回こそが本命であり、急遽舞い込んだ格好の実験材料で将来の為の布石を打っているだけだ。

 人とサーヴァントの融合──果たしてそれは可能か否か。

「────ァ、ッ……ァアアッ!」

 吹き乱れていた魔力の渦は収束しその中心にいた雁夜は今、死力を尽くした後のように倒れ伏していた。

 ────死んだか?

 そう思った臓硯であったが、直後雁夜の肉体から再び立ち昇る魔力の霧。立ち昇るというよりは煙る程度の弱々しいものではあったが、どうやら生きてはいるらしい。

「ほぉ……存外にしぶといな雁夜よ。お主の心は桜と比してなお脆弱であったが、その器は思った以上に頑丈であったようだな」

 英霊の力と想念をその身に宿してなお食い破られていない。
 如何に互いが馴染みやすい色をしていたとしても、それは絵の具の黒と夜を塗り潰す暗黒ほどに違いがある筈だ。

 それほどに強固な意志をこの雁夜が宿しているというのか。
 間桐という家に生まれながら、その領域を逸脱して余りある意思の力を。

「はっ────、なん、だ……これは……」

「……ほぅ」

 狂化した魂をその身に受け入れながら完全には狂っていない。理性が完全に剥奪されたのならば言葉を発する事すら出来ない筈なのだから。
 これは臓硯にとって誤算という他ない。ただ復讐の為に暴れ狂う魔人が生まれるものと思っていたが、読みは外れてしまったらしい。

「あた、まが……割れそうだ──!」

 未だ完全には馴染んでいないのだろう。そして完全に馴染みきってしまった時、果たしてこの英霊を宿した魔人を臓硯は御しえるのか。

 雁夜の体内に埋め込まれた刻印蟲は臓硯の支配下にあるが、英霊の肉体を操作した事など勿論ない。雁夜が反旗を翻した時、対抗し得るのか。

 ならば摘み取るべきは臓硯への反逆の意思。そんな些事を考えられない程に復讐に狂ってしまえばいい。

「そう言えば雁夜よ。一つ言い忘れておった事があった」

 雁夜は頭を抱え呻き苦しんでいる。臓硯に視線を向ける余裕さえない。内なる狂気に侵されぬよう抵抗しているのだ。

「何ゆえ桜は間桐の家に預けられる事になったか、その真相を語っていなかった」

 びくり、と雁夜の身が竦む。
 桜、という言葉に反応したのだろう。

 そして臓硯は雁夜を決定的に狂わせる呪詛を吐いた。

「此度の儀──第四次聖杯戦争(ヘブンズフィール4)において間桐からの参戦者は出さない。その約定に基づき遠坂家頭首である遠坂時臣は、間桐に桜を差し出したのじゃ」

「────────」

 臓硯の言を鵜呑みにするのなら、時臣は自身が聖杯を掴む為に衰退の一途にあった間桐に契約を持ちかけ、自身の娘を売り飛ばしたと、そういう事になる。

「────ォ」

 もしそれが事実であるのなら、見過ごせるものではない。そして更なる追撃のように、臓硯は雁夜の心に刃を突き刺した。

「魔術師の家系において二子を成す事は争いの火種を生むのと同義じゃ。お主ら不出来な兄弟ならともかく、二人が共に稀有な才を有しているのなら尚の事。
 遠坂の長女は優秀な質を持って生まれたと聞き及んでおる。ならば何故──桜は生まれたと思う?」

「────ォォォォォ……」

 その先を聞いてはならない。聞いてしまっては、最早戻れる道はなくなる。そう理解してなお塞ぐ耳を持ち得ない。そんな力はまだ、この身には戻っていないのだ。

「分かるか雁夜よ? 遠坂桜は、間桐に売り渡される為に生まれたらしいぞ?」

「ォォォォオォァァアアアアアアアアアアアア…………!!」

 それは声にもならぬ絶叫。血の涙を流しながら喉を潰してなお天に向けて吼え猛る雷音だった。

 雁夜の内から湧き出る黒い魔力。膨大なまでのそれは蟲倉の底を吹き荒れ、この奈落に住む蟲共を飲み込み自身の血肉へと変えていく。
 その暗黒に込められた想念は黒でしかない。復讐。呪詛。怨念。狂気。全てを呪う邪悪の権化。

 雁夜の心にあった上澄みは汚泥に完全に飲み込まれ溶け込んだ。表層に浮かぶ黒色は、ただ復讐の悪意をだけ孕んでいる。

「とぉぉぉきおおぉぉみぃぃぃぃいっぃぃ…………!!」

 呪うべき対象を謳い上げ、その者に勝ち得るだけの力を受け入れる。自らの内で渦巻く狂気を共に成す為に。

「Arrrrrr……thuuurrrrrrr…………!!」

 内なる獣もまた自らの怨念を向けるべき対象の名を吼え上げる。

 此処に一つの狂気が完成する。二つの黒は二重螺旋を描き相克する。一つの器の中で復讐の黒と血の赤とが溶け混じり、たった一つの負の想いを成し遂げる為、破滅への疾走を開始した。

 昏い蟲倉を駆け上がる半人半霊。
 道を阻む全てを踏み砕き蹴り飛ばし破砕し粉砕しながら地上へと邁進する。

 その疾走を止める手立てはない。
 雁夜の目にはもう臓硯の姿すら映っていまい。

 ただ胸に渦巻く復讐を成す為に走る円環。
 黒に溶け込んだ僅かな上澄みだけを後生大事に抱えながら、命尽き果てるその時まで止まらない魔人が今、この地上に誕生した。

「さぁ踊るがいい。お主はアレを救いたいのであろう? ならば殺せ。全てを殺せ。
 滅尽滅相──その疾走を阻む全てを食い散らかして駆け抜けぃ。走り抜けた荒野の果てにこそ、お主の求める理想郷があるのじゃろうからの」

 蟲倉の主は嗤う。掌で踊る鬼を眺めながら。
 果て無き奈落を往く魔人の行く末を、興味深くも眺めながら──


+++


 その後、雁夜は標的を求めて彷徨い、アインツベルンの森で時臣とそのサーヴァント、そしてセイバーと対峙する。

 駆け抜けた時間の分だけ闇は馴染み溶け込んで、理性が取り戻されてゆく。今海浜公園で血反吐を吐いている雁夜の頭は幾分冷静だ。身体の苦痛も徐々に引いている。

 人とサーヴァントの融合──その最大の恩恵は擬似的な受肉状態にある。

 本来ならばマスターが精製した魔力をサーヴァントが喰らうが、バーサーカーは並大抵の供給力では維持出来ない。その破綻を解消する術としての融合だ。
 人でありサーヴァントである雁夜は自身で生み出した魔力を自身で喰らう事で内なる英霊を維持している。

 復讐の想念を糧に魔力を生み出し、生み出された魔力を喰らう。喰らった端から生まれる負の想念は、更に多量の魔力を生み出していく。

 それは一つの永久機関。肉体と生命力が枯れ果てるまで廻る無限回廊。その身と同じく止まらぬ疾走を続ける円環だ。

 過度の戦闘を行えば当然消費する魔力は増大する。森での戦いのようにたった半刻ほど酷使しただけで悲鳴を上げる肉体だ。
 それでも通常のマスターとサーヴァントの関係よりはマシだろう。マスターへのダメージはサーヴァントの修復力が回復してくれる。

 本来ならば今頃雁夜はのたうち回るほどの痛みに耐えていなければならない筈だ。

 そして何より、この身は二心同体。マスターとサーヴァント、どちらかが敗れては終わりの戦いである聖杯戦争において両者が一つである雁夜は、弱点の一つを克服しているに等しい。
 脆弱なマスターを狙われる、という事態が発生し得ないのだから。

 傷の修復も大分終え、呼吸も取り戻してきた雁夜は自らの掌を見る。
 この手はあの宝具を湯水の如く持っていた時臣のサーヴァントと対等以上に戦えた。あの憎き魔術師に撤退の一手を打たせたのだ。

「ククク、アハハ……クハハハハハハハハ──!」

 それを歓喜せずして如何にする。真っ当に戦えば地に這い蹲るのは雁夜の方だ。それがあの男に辛酸を舐めさせた。苦虫を噛み潰させたのだ。

 零れる笑いは止まらず夜空に哄笑となって響き渡る。

「やれる……戦える……あの男を、這い蹲らせる事など何も難しいものじゃない……!」

 胸に蟠るどす黒い劣情。
 勝利の愉悦。
 手にした力の恍惚感。
 まるで夢のような狂気。

 ああ、この力を手に入れた事だけは、あの妖怪に感謝しても良いのかもしれない。

「待っていろ時臣……次に逢う時は必ずおまえを殺してやる──!」

 その決意は今なお黒く淀んでいる。
 そしてその滾りに水を差す使者は、もうすぐそこまで迫っていた。


/2


 遠坂時臣はその時地下工房にて思索に耽っていた。

 思い返すのは森での一戦。自らの矜持の為、およそ愚策とも呼べる正面突破を敢行しながら目的は果たせなかった。
 外道衛宮切嗣は終ぞその姿を戦場に見せなかったのだ。

 これまでの自身を囮にしての強行作戦を思えばそれは些か不可思議ではあったが、あそこまで乱戦の体を為していては介入も難しかったに違いない。
 その為、情報収集に専念して今頃標的の見定めと対策を講じている事だろう。この遠坂時臣と同じように。

 森での戦いでは目的は果たせなかったが収穫もそれなりにはあった。今時臣の頭を悩ませている懸案事項は二つ。

 一つは外道キャスター。無辜の子供達を生贄にする事を厭わない英霊にあるまじき亡霊は誅罰の対象として過分ない。

「それで、綺礼。キャスターについての情報は集まったのかな」

『はい。彼の者──青髭を名乗ったジル・ド・レェとそのマスター──雨生龍之介についての報告をさせて頂きます』

 曰く彼らは人目を憚る事無く早朝より民家に押し入り親を惨殺し子供達を攫っているらしい。それが神の試練とやらに必要な生贄だというのは聞き耳を欹てたアサシンが聞いたという。

 そしてマスターである雨生龍之介。こちらは昨今、紙面を騒がせている殺人鬼であるらしい。
 キャスターの凶行を止めるどころか加担し快楽と享楽で殺人を犯す外道。
 マスターとしての役目、魔術師としての責務の一切を放棄した──否、知りもしない偶然に招かれた参戦者であるのは最早疑いようのない事だった。

「こんな輩だと知っていれば、もっと早く対策を講じられたものを……」

 それは詮無き悔恨だ。森での一戦までその拠点どころか姿形さえも捕捉出来ていなかったのだから。

 しかしこれで情報は出揃った。悪逆を謳う外道を討ち取る事に何の躊躇もない。誅罰を下すのはこの遠坂時臣だ。

「では綺礼。君と、そして父君に一つ頼みがある」

『はい、なんなりと』

「キャスターは森での一戦の時、アーチャーを指して神の使徒と憚った。最愛の乙女との邂逅の前に超えるべき試練である、とな」

 その思考回路は理解し難いが、分かる事もある。つまりキャスターはアーチャーを敵と認識している。自らの祈りの前に超えなければならない仇敵であると。

「だから君と父君の力でキャスターを炙り出して欲しい。拠点が判明しているのならこちらから仕掛けたくはあるが……」

『なるほど。あの奔放なサーヴァントは今も何処かで遊び歩いていると』

「頭の痛い話ではあるのだがね」

 時臣が屋敷に戻った直後、アーチャーはすぐさま姿を消した。
 その行き先など分かる筈もない。魔力供給のパスを向こうから遮断されては追跡のしようとてないのだから。

「アーチャーの目的は既に絞られている。あのセイバーへの求婚、という方向に」

 こちらもまた頭痛の種ではあるのだが、まだ救いはある。アーチャーがその愛を成す為には聖杯の力が必要だ。所詮サーヴァントなど聖杯の加護がなければ消える身。その実体を維持し続けようというのなら聖杯に希わなければならない。

 ならば今、あの黄金は時期を見定めているのだろう。
 自らが手の下すに足る輩の選別と、セイバーとの邂逅を劇的なものにする為の演出。

 それなら当然、世界を自身の庭と豪語する王者の逆鱗に触れかねないキャスターは、少し突けばその姿を現しアーチャーを挑発してくれる。

『つまりは監督役の権限を用いキャスター討伐の下地を作り、他のマスター連中に誘き出させアーチャーに討たせると、そういう事ですか』

「理解が早くて助かるよ」

『……ですがそれならばわざわざ他のマスター達を使わずとも、我がアサシンにやらせれば済む話では?』

「いや、アサシンには別件で動いて貰いたい。そして他の連中を使うのにもちゃんとした理由がある」

『…………』

 一旦会話に間を置き綺礼に思考の時間を与える。数瞬の後、綺礼はこう言った。

『他のマスターを使う理由。それは牽制であると同時に標的を絞らせる意図がある……』

「ああ、流石は私の弟子だな。良い着眼点だ。付け加えるのなら、牽制の最たる対象は衛宮切嗣だという一点」

 あの男を野放しにしていい事などない。ロード・エルメロイごとハイアットホテルを爆破した手腕を思えばいつこの屋敷がその対象に据えられてもおかしくはない。
 故に戦場に一定の指向性を持たせ、視線を時臣ではなくキャスターに向けさせる。その為に監督役の権限による討伐の褒賞が効果を為す。

 餌に釣られてキャスターを誘き出したところで、その裁きを下すのはアーチャーであり褒賞を受け取るのは時臣だ。
 何から何まで時臣の描いた出来レース。掌で他の連中を踊らせ旨い所は自身が掻っ攫っていくという算段だ。

「どうだろう綺礼。やってくれるか」

『はい。導師の頼みとあらば私に断る理由はありません。ただ──』

 一拍を挟み綺礼は声色を変えず言った。

『アサシンを使わない理由。別件の方も教えて頂けますか』

「ああ、構わない。こちらも君の力を借りるのだから筋を通すのは当然だ」

 それこそが時臣を悩ませるもう一つの種。間桐雁夜の存在だ。

 戦いが幕を開ける以前に間桐の頭首である臓硯より此度の儀において間桐からの参戦者は出ないと正式に通達が出されている。
 であるのなら、雁夜の存在を容認していい筈がない。それは契約の不履行、反故に等しい暴挙だ。

 魔術師同士の取り決めとして交わされた契約を一方的に破ったのなら、当然その報いは受けてしかるべきだろう。

「と言ってもまだ完全に間桐の翁の考えが読めていない。私が疑問に思う事をあの老獪が思い至らない筈がない。ならばますその裏にある思惑を知らなければならない」

『……導師自らがその臓硯という者と会談を持つと?』

「ああ、向こうに負い目がある以上こちらの要請は断れまい。もし断ったのならそれこそ監督役の鶴の一声で全ては丸く収まるだろうが」

 そうはなるまい。

 あの怪物がそんな愚挙を犯す筈もない。
 断ってくれたのなら令呪の剥奪、マスター権限の剥奪という最良の結末で雁夜を脱落に追い込めるが、その程度を読めぬ木偶ではない。

 時臣ですら気を抜けばその話術の前に首を縦に振ってしまいそうになる古狸だ。交渉という場においてあの男を出し抜くのは至難を極めるだろうが、他の誰にも任せられない役目である。

「ついては綺礼。私が臓硯氏との会談を持つに当たり、アサシンの何体かを護衛として借り受けたい」

 アーチャーを連れ立って行く方が安全であるが、あの奔放なサーヴァントに首輪をつけるのは臓硯との対峙以上に難しい。
 森で既に一画の令呪を使ってしまった以上、無用な諍いを起こすのは避けたいのだ。

 時臣は後一度しかアーチャーに対して絶対遵守の命令を下せない。最後の一画の用途は既に決まっているのだから。

「アーチャーを伴っては刺激が強すぎる。仮に雁夜が屋敷に逗留していた場合、狂化状態のあの男がアーチャーを目視した時点で襲い掛かって来ないとも限らない」

『それは導師にしても同じ事では。間桐雁夜はアーチャーではなく導師をこそ目の敵にしていると思われます』

「それでもだよ。仮に雁夜が襲い掛かって来たのならこちらも令呪を使用しアーチャーを呼び寄せる。
 その補填はまあ、言峰さんに期待したいところだ」

 先に契約を反故にしたのは臓硯の方だ。
 その約定違反の正式な調査が行われる前に間桐との戦闘になった場合、不慮の事故として処理され時臣は被害者として扱われよう。

 監督役に上申し、聖杯戦争のあるべき形を逸脱した輩を討つ為に致し方なく令呪の使用に訴えたとあらば、監督役の持つ余剰令呪の一画を貰い受ける事になんら負い目を感じる必要はない。

 アサシンを護衛に望むのは戦いになる前に、戦いの体裁を為す前に殺される可能性を考慮してのものだ。一瞬でいい、気を引き付けてさえ貰えば令呪に訴える事は難しくないのだから。

『導師の考えは分かりました。私からこれ以上の質問はありません』

「そうか。では、やってくれるだろうか」

『はい、私は元より導師を勝者とすべくマスターとなった身。その為の要請を断る理由はありません』

「ああ。委細についてはそちらに任せる。こちらも臓硯氏に連絡を取りすぐにも会談の場を設けるとしよう」

 宝石仕掛けの通信機を切り、時臣は深い溜息と共に背凭れに身を預けた。

 時臣にはやるべき事が数多い。マスターとして戦場に立つだけでなく、こうして戦いの場を整え戦況を導く管理者としての役目。外道を討つ一魔術師としての責務もまたその身に宿している。

 そしてもう一つ。彼は人であり人の親である。

「桜────……」

 あの森で雁夜に投げかけられた言葉。桜を救う、という言葉が脳裏にこびり付いて離れない。

 何故雁夜はあんな事を言った。狂化状態における錯乱と切り捨てるのは簡単だが、もしあの言葉に何か時臣の知らない真実が隠れていたとしたらどうする。

 魔術師の家系に生まれた者は、とりわけ強い才覚を有する者はその庇護なくして生きていけない。そして優秀な芽を花開かせる事なく埋没させてしまう事はその者の未来を摘み取る事と同義だ。

 故に時臣は桜を養子に出した。凛と桜、どちらも稀有な才能を有していたが為にその芽を摘む事を嫌ったのだ。

 それは断じて利己的な想いではなく我が子の未来を案じてのもの。凡庸な人生を生きるよりは、その身に応じた道を往くべきだという親心。

「私は何か……間違えたのだろうか……」

 時臣は自ら魔道を往く事を望み選んだ。凡庸な才しか持ち合わせずとも魔道に生まれた者の誇りに従い父の跡を継ぐ事を覚悟したのだ。
 覚悟は強い意思となり、強固な自我を形成した。血反吐を吐くほどの修練と自らに課した誇りの結果、時臣は今の地位を手に入れたのだ。

 ただそれは、時臣は自らで選んだ事。たとえ他の選択肢のない岐路であっても、その道を自らの足で歩む事を自身で決断したのだ。

「ならばあの子は……凛は、桜は……私と同じようにその道を往くという考えは……」

 時臣の独り善がり──傲慢ではないのか。

「…………」

 沈思黙考は答えを導かない。思考は既に袋小路に突き当たっている。どれだけ考えようと自身に都合の良い楽観しか生まれない。その先を望むのなら、行動を起こさなくてはならない。

 幸いにも間桐の翁と会談を持つ理由があり、間桐の屋敷に赴く理由がある。桜の置かれた深層にある真相を探るには、丁度良い契機であろう。

 間桐雁夜が人でなく魔術師でなく英霊でなくサーヴァントでなくその全てであるのなら。
 遠坂時臣は人であり魔術師であり管理者であり親であるのだ。

 全てに背を向け中途半端に成り下がった雁夜が持ち得ない強さ。全てを背負う時臣の芯は今熱く燃える炎を宿している。

 向き合うべきものは己の咎であり責任という名の十字架。為すべきのものの形は朧げながらに見えている。

 ならば行動に移せ。
 この足で我が道を往き、この眼で全てを見届けなければならない。

 遠坂時臣は此処に一つの覚悟を宿す。
 胸に抱いたその想いを形にする為に、正調にして異端の魔術師は行動を開始した。


+++


 時臣との通信を終え、自室へと戻った綺礼を出迎えたのは極彩色。
 無機質であり物もほとんどない綺礼の自室。揺れる蝋燭の明かりが照らすのは、なお眩い輝きを放つ黄金の王──アーチャーだった。

「邪魔をしているぞ言峰」

 ソファーに寝転がりながらワインを燻らせその芳香を愉しんでいるアーチャー。
 何時ぞやの光景を思い出した綺礼は、憮然とした態度のまま散らかされた酒瓶を片付け始めた。視線を合わせぬまま、義務的に言葉を紡ぐ。

「おまえはここで何をしているアーチャー」

「見て分からぬか、酒の面倒を見てやっている」

 この男が上機嫌である正体は、おそらくセイバーの存在ゆえのものだろう。世界の全てを手にした万象の王が見初めた未だ見ぬ宝石。
 自らの蔵に納めた数々の至宝よりもなお手に入れるだけの価値があると憚った、あの少女騎士を愛でる事を想うだけで満たされている。

 その愉悦に比べれば異物を持ち込んだ凶気や噛み付いた狂犬など取るに足りぬもの。歯牙にも掛けぬとこの黄金は怠惰に身を埋めている。

「おまえのその奔放さ故に時臣師は甚く苦労している。何故おまえはわざわざ私の元へと訪れる? 酒が飲みたいだけならば全て持っていってくれて構わん。遠坂の屋敷で存分に飲めば良い」

「未だ貴様は我の心尽くしに気付かぬと見える。なあ言峰。おまえ自身が言ったように我は誰にも縛られぬ。
 それが何故こうもおまえに執着しているか、考えたことはあるか?」

「…………」

 考えたところで分かる筈もない。時臣の思惑は充分に人の範疇だったからこそ答えは導き出せたが、この黄金の思考など常人には理解出来ない。
 綺礼が如何に逸脱しているとはいえ、それでも狂っているのはその嗜好だけであり正常な思考を有している。

 異常を異常と思わぬこの黄金の思考を読めというのは、どんな難題よりも難しい。

「歯に衣着せた物言いはいい。言いたい事があるのならさっさと言えばいい」

 それに嘆息を零した黄金は、手にした杯に満ちた血色を飲み干し身体を起こした。酒瓶を集め終えた綺礼は立ち上がり黄金の王を睨む。

「我は我を見下す者を良しとせぬ。おまえの無礼を許しているのには、二つの理由がある」

「なに……?」

「一つはおまえの在り方だ。それに我は興味がある。世界を統べる者として、初めから逸脱している貴様の在り方は見ていて飽きぬ」

 同じような雑種ばかりが蠢く現代において、言峰綺礼唯一人がずれている。人の業を愛でる王者にとって見れば賢しいだけの者など見飽きている。
 彼が興味を抱くのは見初めた宝石か、今まで見た事のない異物のみ。前者はセイバーであり、後者は綺礼に他ならない。

「自分が世界に受け入れられていないという苦悩。その苦渋を舐めればさぞや舌を痺れさせるであろう。
 だから我は貴様に拘っている。この世にあってはならない異物。キャスターのそれが異界の理の賜物であり招かれただけの塵であるのなら、貴様のそれは最初からこの世に芽吹いた萌芽だ」

 この世界に産み落とされたものならば、全てこの黄金が愛でるに足るものである。如何に壊れ破綻していようとも、世界の内にあるのなら親身になって当然だと。

「……戯言もそこまでいけば度し難い。貴様に私の何が分かる。知ったような口を利くな」

「ああ、知っているとも、貴様に足りぬのは愉悦だ言峰。その甘さを知りながら、揺るがぬ克己心で己を戒め続けているだけではその先へは届かんぞ。
 貴様は知りたいのではないか? 何故己が世界に許容されているのかを」

「…………」

 主の教えが絶対であるのなら、こんな異物は生まれない。ならばそれは間違っているのだろう。そう理解した時、言峰綺礼は主の御元を去っている。

 それから身を置き続けたのは戦場の只中。教会の教義に背く異端共を狩り取る代行者として戦場を駆け抜けた。
 笑い種だ。神の教えを信じぬ討たれるべき悪が、その走狗となって程度の低い異端を狩り続けたというのは、皮肉以外の何物でもない。

 それでも綺礼はその時確かに救われていた。考える間もなく襲い来る異端者共に手を下している間は、苦悩から目を逸らす事が出来たから。

 そんな現実逃避は長くは持たず、やがて令呪の兆しを受けて魔術の門扉を叩いた。
 教会が異端と認定するそちら側になら、求め欲する解があるやもしれぬと淡い期待も抱いていたが、結果は無残なものでしかなかった。

 聖杯とは願望機だ。勝者の願いを叶えるだけのものであるなら、それは綺礼には無用の長物。望んだものしか齎さない万能の釜では、綺礼の苦悩に明確な答えを吐き出しはしないのだから。

 希ってもそれは綺礼が『こうであって欲しい』と思う祈りでしかない。それでは駄目なのだ。そんなものは、何の慰めにもなりはしない。

 ただそれでも──綺礼は目を離せぬものを知っている。もしかすればこの解に答えを齎すかもしれない存在を知っている。

 衛宮切嗣。

 あの男ならば、戦場で苦悩に苛み続けたであろうあの異端者ならば……あるいは。

 意識を現実に引き戻した綺礼を見つめる一対の瞳。紅蓮の炎のようであり、ルビーの輝きのようでもある血色を湛えた視線が綺礼の総身を舐めている。

「おまえは一体私にどうしろというのだ。私は私の敵を見定めはしたが、それと貴様のいう愉悦に関連性はないだろう」

「いいや、あるとも。貴様はまず自身を正当化しろ。自分は狂っているのだと心の底から認めろ。その上で、その原因を探すところから始めるべきだ」

「……そんな事を出来るのなら、私は生まれ落ちてから続く苦悩に侵されてはいない」

「その為に愉悦を知れと言っている。今の貴様の立場はその為には非常に都合が良い」

 黄金の王者は眇めた視線に愉悦を乗せて語り続ける。今この時が言峰綺礼が生まれ変わる瞬間であると。

「これまで自身にのみ打ち込んできた貴様であるのなら、これからは他者を操り導き転落させろ。
 人が崩れ落ちる時に生まれる嘆き──それを口にする事がおまえにとっての本当の意味での初めての食事となろう」

 そしてその転落の結末を自身の手で後押ししたのなら、その甘美は何倍にも膨れ上がるだろう、と王者は結んだ。

「…………」

 そう言われたところで簡単に頭を切り替えられるものではない。先にも述べたようにそう出来ないからこそ綺礼は苦悩し続けてきたのだから。

「まだ納得出来んと見える。ならば視点を変えてやろう。
 貴様が唯一敵と見定めたその者──その男との邂逅に邪魔になる者全てを排除する為に動け。ただそれだけで充分だ」

 それならばまだ理解し得る。
 衛宮切嗣とは必ず見えなければならない。問わねばならない。それは綺礼が唯一この戦いに見出しだ光だ。

 その為に他者を排除するのは問題ない。邂逅は全てが決着するその時で良い。他の誰の邪魔も入らぬその刻限こそが、我らの逢瀬に相応しい。

 綺礼は黄金の前にテーブルを挟み座り、腕を組んで口を開く。

「……その理論を達成するには、当然時臣師やおまえの排除も含まれているが構わないのだな?」

「クク、出来るのならな。セイバーは強力なサーヴァントだぞ? アサシンでは些か役者不足ではないか?」

「かと言って他の駒を奪うというのも難しいだろう。
 バーサーカーは間桐雁夜と融合しているし、ウェイバー・ベルベットは征服王の傍を離れない。キャスターは論外だ」

 綺礼が切嗣との邂逅を望むのなら、その時セイバーとも対峙を余儀なくされる。如何にアサシンが稀有な能力を有していようとも真っ向からの戦いで剣の英霊に勝ち得る事など想像すら出来ない。

 あくまで彼らの役目は間諜であり暗殺だ。マスターを殺す以外に使い道は限定される。しかし切嗣との邂逅という目的の前には、マスターの暗殺を生業とする暗殺者はものの役にも立ちはしない。

 ゆえにセイバーを抑えられるだけの駒が必要だ。ただその心当たりがない……

「──ああ、そういえば言い忘れていた事があった」

 瞬間、黄金の王は視線すら傾けぬまま横合いから繰り出された短刀(ダーク)の一撃を何処からか呼び寄せた盾で防いだ。

「綺礼様を誑かす者──容赦はしないッ!」

 虚空より具現化した暗殺者。

 綺礼のいるこの場所は当然にしてアサシンが監視守護していない筈がない。これまでは綺礼が仕える時臣のサーヴァントと黙認してきたが、主を惑わせる蛇であるのなら殺し尽くす事に依存はない。

 主の命なき戦闘行為。如何なる罰則にも甘んじる覚悟で暗殺者は黄金に弓引いた。だがそれは、どうしようもない程の愚策であった。

「この我を今一度この世界に招きし者──それは時臣などではない」

 ゆらりと立ち上がった黄金は武装すらせず剣群のみを生み出し射出した。

 アサシンの宝具である『妄想幻像(ザバーニーヤ)』は単一でありながら複数に魂を分離させそれぞれがサーヴァントとして具現化する事を可能とするもの。
 気配遮断のスキルと合わせ諜報と暗殺を生業とする者にとって有用な能力ではあるが、当然にして欠点もある。

 細分化した個人はそれぞれの思考を有し嗜好を持つ。分裂した分だけ全の能力を個で分け合うのだからただでさえ低いステータスをより低下させる。
 更に言えば個であるが故に彼らは完全な意思疎通を可能としない。今此処でアサシンが倒れようともその死を彼らは知覚出来ないのだ。

 いや、知覚出来ようともその死因や状況までを把握出来ないと、そう言うべきか。

 無意識による分裂さえも有り得る不安定な能力。正しく使用すれば有用この上ない力であれど、戦闘者としては最弱と言わざるを得ない。
 ならば最強の名を欲しいままにするこの黄金に抗う手立てなど、初撃を防がれた時点で存在しなかったのだ。

「ガァ────……!」

 無数の剣群に貫かれたアサシンは仰臥し、串刺しのまま血の跡すら残さず消えていった。

「他にこの教会を見張る輩は?」

「いない。他のマスターの監視と時臣師の護衛に全て回しているからな。よもや内部に敵がいるなどとはさしもの私も思わなかった。手痛い失態だ」

 綺礼という男にあるまじき失笑。皮肉とも呼べるそんな物言いをこの黄金は気に入った。

「これで私達の会話を盗み聞きする輩はいない。仮にアサシンの一体が討たれたと感知出来たとしてもこの場所に辿り着くには数分の猶予があるだろう」

「ならば賊は賊らしくさっさと去るとするか」

 二人の面貌に宿るは笑み。こんな茶番じみた空言を、けれど愉悦と嘲笑う。

「最後に聞かせて欲しい、英雄の王よ。おまえを喚んだのが時臣師でないというのなら、何処の誰がその身を招いたのだ」

 分かり切っている問い。ただの確認事項を綺礼は謳う。黄金は背を向けたまま、床に転がるワイングラスを踏み砕く。

「そんなものは決まっているだろう。おまえだぞ言峰綺礼。おまえこそがこの我を世に招きし召喚者。それが我がおまえに拘う二つ目の理由だ」

 アーチャー召喚時には綺礼もまたその場に立ち会った。けれど召喚の祝詞を謳い上げたのは時臣だ。綺礼ではない。

「世界で初めて脱皮した蛇の抜け殻の化石……? 度し難い、そんなものでこの我を喚べるものか。
 我を喚ぶに値するのは我に愉悦を齎す者だ。我が召喚に応じたのは、あの俗物の声ではない。時臣は臣下の礼を尽くしていたが故これまで付き合ってやったが、そろそろあるべき形を取り戻すべきであろう?」

 それは何かの間違いで起こった誤解。本来マスターとなるべき者が他のサーヴァントを既に従えていたが故に起こった召喚事故だ。
 それが間違った形であるのなら元に戻すべきだと黄金は言う。本来の形、マスターとサーヴァントのあるべき姿を。

「今暫く待って欲しい英雄王。アサシンは手放すにはまだ早い。使い潰してからでも遅くはあるまい。それと、一つ欲しいものがある」

 綺礼は用件を告げ、黄金は快諾した。無道を往く者が初めて口にした欲望であるのなら、叶えてやる事に吝かなどない。

「ああ、後は好きにするがいい。我はただその時を待つのみよ。貴様の采配でこの退屈な戦いが如何なる刺激に溢れるか、それを高みの見物とさせて貰うとしよう」

 黄金はその姿を朧と消していく。

 此処に一つの密約は交わされた。
 黄金の王者は真なる召喚者を認め、綺礼はセイバーに抗し得るだけのサーヴァントを手に入れる。その契約の調印が為されたのだ。

 剣と鞘は互いに一つ。
 間違った鞘に収められて窮屈な思いをしていた剣は、ようやく自身の鞘を見つけ出したのだ。

「さて……」

 そして言峰綺礼が遂にその重い腰を上げる。
 唯一つの宿望──衛宮切嗣との邂逅の為に、幾重もの策謀を巡らせ始めた。


/3


 静寂に閉ざされた闇に響く轟音。エンジンの織り成すメロディは誰に届く事無く木霊している。

 左右を森に囲まれた公道を煌々と光るヘッドライトが過ぎっていく。他の通行者などまるで存在しない夜の帳をメルセデスは貫き引き裂き疾走する。

 その魔改造された自動車のハンドルを握る衛宮切嗣は、口元に煙草を咥え闇の向こうを見つめていた。

 アインツベルンの森での一戦、切嗣は終始観測に務めた。戦場から遠く離れた梢の隙間に身を隠し、狙撃銃のスコープと各所に放った使い魔の目を同時に観測し、戦場の把握とその場に集った連中の情報収集に専念した。

 隙あらばマスターの背を狙う事も辞さなかいつもりだったが、戦いは乱戦の体を為し混迷を極めた。
 常に周囲を警戒していた時臣、征服王の繰る御者台に身を隠していたウェイバー、そして英霊との融合という異常を発現した雁夜とでは、どのマスターも確実に殺せるという確信が得られなかった。

 暗殺の極意は一撃必殺。敵に姿を見られるその前に心臓を撃ち抜く事に他ならない。あの状況の中、照準は合わせられようとも引き金を引くに足る直感は切嗣の脳裏に閃かなかったのだ。

 狩人が狩られる森で一人すら討ち取れなかったのは誤算だが、当初の目的である全サーヴァントの姿の確認、そしてキャスターのマスター以外の連中の目視も達成出来た。

 サーヴァントの幾つかの能力も見て取れたし、何よりセイバーをして厄介な敵があれだけ雁首を揃えている事を確認出来たのは大きい。

 真正面からセイバーと連中を戦わせるのはリスクが大きい。よもや負けるとは思えないがそれでも万全を期すのならこちらも策を巡らせるしかない。

 異界の魔物を喚び寄せるキャスター。
 湯水の如く宝具を所有していたアーチャー。
 雷神の戦車を駆るイスカンダル。
 そして手にしたあらゆる武器を宝具と化す異端のサーヴァント。

 どれも一筋縄では行くまい。ただそのマスター達とその因縁を利用してやれば、如何様にも戦局を誘導出来る。

 街の明かりが近づいてきた辺りで車を停車させ、切嗣は外に出る。アインツベルンの森は深い樹海。電波も届かないような僻地だ。舞弥と連絡を取るにはある程度街に近づく必要があったのだ。

 携帯電話を取り出し通話を行う。取り決め通りにツーコールで舞弥は応答した。

「僕だ」

『はい、無事でなによりです切嗣』

 簡単に意味のない挨拶を交わし用件へと入る。

「街に戻った他の連中……どれだけ掴めた」

『既に居所の判明している遠坂時臣、言峰綺礼を除けば今現在捕捉出来ているのは間桐雁夜のみです』

「やはり征服王の追跡は難しいか……」

 空を自由に飛び回り高速で移動するあの騎乗戦車を追走するには舞弥の使い魔では速力が足りない。他の連中にも監視を割かなければならない以上、余り多くの使い魔を動員できないのもその原因だ。

『それでも深山町に彼らの拠点があるのは間違いない模様です。前回、そして今回もその近辺で消息を見失いましたので』

 明確な拠点が判明していなければどの道打てる手は少ない。あの若輩魔術師ならば簡単に嵌められると思うのだが、その辺りはあの赤毛の王が補っているようだ。

 あれで中々バランスの良いコンビなのだろう。少なくとも切嗣達や時臣達よりは余程パートナーとしての体を為している。

「まあ、奴らについては今はいい。未だ底の知れない相手だが、ウェイバー・ベルベットという弱点が存在する限り負けはない」

 セイバーが瞬殺されるほどの力量をあの赤銅が有しているのなら話は別だが、そんな異常は有り得ない。最優の座に君臨するおよそ最強に近きセイバーであるのなら尚の事だ。ある程度時間を稼いでくれればウェイバーはいつでも殺せる。

「キャスターについては何か情報は」

『拠点らしき場所までの追跡は可能でしたが、そこから先の行方が掴めていません』

「その場所というのは?」

『未遠川上流にある下水道です』

 そこから先も追跡を行おうとしたが、下水道内に犇いていた怪魔に使い魔が飲み込まれてしまい断念したと舞弥は告げた。

「…………」

 ならばそこがキャスターの工房なのだろう。マスターとしての透視能力で見たキャスターの能力値では陣地形成のスキルはBランク相当。
 ロード・エルメロイの魔術工房も大概異常だったが、キャスターのそれは輪を掛けて異常だろう。

 あの時のようにセイバーに強襲を掛けさせるにしても脅威の再生能力と無尽と見紛う程の数を有する怪魔と剣一本で戦うセイバーとでは余り相性が良くはない。
 時臣のように広範囲を攻撃する魔術を習得していない切嗣も助勢には足り得ない。

「やるのなら誘き出すしかない……が」

 キャスターは無辜の子供達を犠牲にするような輩だ。それを見咎めた遠坂時臣が何かを仕掛けないとも限らない。ならばそちらの一手を待ってから行動に移す方が幾らか実りがありそうだ。

 時臣が如何なる策を巡らせているかは定かではないし推測の域を出ないが、奴に対するアドバンテージを獲得しておくに越した事はない。

 現状、厄介なのは時臣と雁夜だ。工房に引き篭もったキャスターは面倒であっても外に誘き出しさえすれば倒す手段はある。
 そのマスターもそれほど優秀な魔術師ではないだろう。でなければ、キャスターをあそこまで野放しにはすまい。

 目下注視すべきは時臣の動向。あの異常な数の宝具を有していたサーヴァントの強力さは驚嘆して余りある。正面からの戦いは挑むだけ愚策だ。雁夜が健闘出来たのは相性の良さでしかない。

 だが、対抗出来るというのはそれだけで充分に使える。

「舞弥、監視は遠坂邸と教会だけで良い。後の使い魔は全て間桐雁夜を見失わないように追跡させてくれ」

『キャスターの拠点と思しき場所の監視は必要ないと?』

「ああ。居所が知れただけで今は充分だ。奴に対しては僕以外の者も対策を講じているだろうからな」

 今見失っては不味いのは、動向の読めない雁夜だ。この男を使い時臣に対して罠を仕掛ける。

「それともう一つ頼まれて欲しい」

『はい。なんなりと』

 遠坂の人間とそして間桐の人間の経歴についてはどちらも洗ってある。間桐から参加者が出ないという通達が出されているのに雁夜が参戦しているのは不可思議だが、その追及を行うのは切嗣ではない。

 遠坂時臣と間桐雁夜。この二人の因縁についても多少は情報を得ている。時臣の経歴を洗っている時に零れ落ちた程度のものだが、この二人の男は一人の女性を巡り対立した過去があるらしい。

 雁夜の引き際を思えばそれは対立と呼べるものだったかは分からないが、今なお雁夜は時臣という男に対し浅からぬ負い目を抱いている。あの尋常ではない狂気の源泉はおそらくそこにある。

 その因縁の糸を手繰り煽る。それだけで切嗣の望む舞台は完成する。

 だから冷酷に。
 無慈悲に。
 最小の犠牲を認め。

 最善の選択を下した。

「舞弥────遠坂葵を攫え」


/4


 明朝。

 冬の気配がしんと空気に溶け込む肌寒い朝。淡い陽光は雲間から降り注ぎ、流れる風の早さが雨の予兆を告げていた。

「それで綺礼。私は手筈通りに招集をかければ良いのだな?」

「はい父上。師はキャスターを外道と認定し誅罰を下す決定をされました。
 まずはあの神秘の漏洩を厭わず無辜の人々を犠牲とする、衛宮切嗣よりも悪辣な者達を討つべし、と」

 新都冬木教会。荘厳な空気が漂う礼拝堂にてこれより行う儀礼についての最終確認を、父である璃正と共に進めていた。

 教会内の監視はかつてないほどに強固に補強されている。昨夜の賊の襲撃はアサシンに伝播し、事情は彼らにだけ内密に告げられている。

『教会を襲撃した賊はアーチャーだ。アーチャーの独断専行も考えられるが、この一件により私は師への猜疑を強くした。趨勢の如何によっては私自ら師に問い質す事も辞さないつもりだ。
 その間、おまえ達にはこの件については黙認、そして他言を禁じて欲しい。そう……それは我が父に対してもだ。古くからの付き合いである師と父に、内通の疑いがある以上は当然の処置だろう?』

 かつての綺礼ならば考えられもしない言葉の数々。実直が服を着て歩いていた男が、よもやこんな戯言を口にするようになるとは。

 それでも言葉の中に一切の虚偽が混じっていない事が、綺礼の芯を表している。必要がなければ口にせず、問われなければ答えないが、問われた以上は真実を口にする。言峰綺礼は今も昔も変わらずそんな男だ。

『それはつまり……綺礼様が自ら聖杯の獲得に乗り出すと、そう考えても宜しいのですか』

 その問いかけにも当然、綺礼は嘘偽りなく答えて見せた。

『聖杯には別段興味はない。だが私には私なりの戦う理由と目的がある。その為にはこんなところで膝を屈するわけにはいかない』

 それは綺礼が自ら立つ事を宣言したのと同義だ。これまで時臣の手足となる事に何の不満も抱いていなかった綺礼を思えば歴然だ。
 綺礼のサーヴァントであったアサシンにしても同じ。臣下の臣下という立場に甘んじていたのはいつか綺礼が立つ時が来ると信じていたからだ。

 このアサシンとて聖杯に託す祈りがある。ただ主に従い続け命を無為に散らす事を良しとはしない。
 思考の分散、魂の分化という業を宝具で具現化した彼らはその恩恵と共に不利益も被っている。

 生前であれば如何に人格の一つが反発しようとも肉体が一つであった以上横暴は許されなかったが、肉体さえも分化した今は違う。
 求め欲し手に入らなかった自分だけの肉体がある。仮初めとはいえ誰に憚る事のない足がある。その喜びは、常人には理解し難いだろう。

 そしてそれを確固のものとしたい。
 あるいは唯一人の己だけを見出したい。

 そんな願いを聖杯に託す以上、時臣の下に居続けてはいられなかった。
 なんとなれば時臣を暗殺しようという過激派も存在していたが、綺礼自身が立ち上がるのなら話は別だ。

 これより先に望む戦いと祈りがある。
 なれば我らは主の影となり、その敵を討つ蜘蛛となろう。

 それがアサシン──百の貌のハサンの総意。
 歴代のハサン・サッバーハの中でも異端中の異端である彼らの戦いは、今始まったのだ。

 そんな決意を知らぬ綺礼は内心でほくそ笑む。
 今の綺礼にとって見ればアサシンなどただの手足。場を監視し撹乱する上で有用な駒でしかない。

 駒は従順であればあるだけ都合が良い。
 綺礼の宣言を聞き恭しく礼を取ったアサシンは、その時浮かべた笑みの正体を知らない。
 おそらくは知る事はないだろう。

 その命脈が──尽き果てるその時まで。

「父上」

 時臣から受けた指示の全てを璃正に伝え、手筈についても確認した後、綺礼はより真剣味を帯びた声音で実父を呼んだ。

「なんだ綺礼。何か不備や不満があったか」

「いえ。父上の手筈に問題などありません。そう……問題があるのはこの私の心の在り方です」

「なに…………?」

「父上に頂いたこの名──綺礼の意味。そして我らが信仰の対象とする神の教えが、私には何一つ分からない」

「────」

 その突然とも言うべき告白。いや、告解の全てが璃正には理解が出来ない。目の前の息子は何を言っている? 何故今、この時にそんな事を言うのだろう、と。

 それでも璃正という男の心は揺るぎはしない。鉄の克己心で己を戒め続ける齢八十を超えてなお壮健を誇る神の僕は、静かな声で問い質す。

「綺礼、それはどういう意味だ」

「言葉以上の意味はありません。主が教え、貴方が説いた世界の在りよう。ただ美しくあるべしと願われ、如何なる時も我らの傍にあるこの大地、木々、空、そして人々の心。その全てのものが、私には酷く醜く見えるのです」

 風光明媚な自然とて綺礼から見ればただの環境。心を震わせる何かを得られることなど有り得ない。
 誰もが美しいと賛美するもの。それが何故美しいのか理解が出来なかった。

 真っ当な道徳と良識を持ち、善である事の正しさを理解しながら、その正反対のものにしか興味を持てなかった。

 優雅に羽ばたく蝶よりも。
 身を焼かれると知りながら火の中に飛び込む蛾を好み。

 美しく咲く薔薇よりも。
 自身に害為すものを殺す毒を秘め持つ毒草を好み。

 正と善に尊ばれるものよりも。
 負と悪に染まるものにこそ心を惹きつけられて止まなかった。

 生まれつき善であり、悪徳の悦びに魅入られ道を踏み外すのならまだ救いはある。それは今一度善へと戻る事を赦されているからだ。

 しかし最初から悪であったものが生れ落ちたのなら。
 善という観念に対する赦しを一度として持たぬまま生まれてしまったものがあるとするのなら。

 それは一体──ナニモノなのか。

「…………」

 綺礼の告白を黙したまま聞き届けた璃正は、搾り出すように息を吐いた。

「ならばおまえは、これまで私を……神を。欺き続けてきたというのか」

「いいえ。それは私よりも父上自身がよく知っておられる事でしょう」

 良き息子として綺礼は成長し、父の期待の全てに応えてきた。ただ自身の愉悦の為に欺き通すにはその年月は余りに長く、課された試練は過酷を極めている。道化が片手間にこなせるようなものでは断じてない。

 故に綺礼の信仰は本物だった。
 その姿勢に嘘と偽りは一つとしてなかった。

 ただ──打ち込んだ全てのものが無為に終わった。
 綺礼という男の価値観を変えるには至らなかった。

 これはただそれだけの話だ。

「…………」

 璃正には最早掛ける言葉が見つからない。
 当然だ、神の信徒としてこれ以上の男を綺礼は知らない。主への忠誠をただ現す為に、月まで届く距離を歩き続けられる男なのだ。

 この世の善を体現した男に、この世の悪を体現した男を理解など出来る筈がない。

 言峰綺礼が善の正しさを理解出来ぬように。
 言峰璃正には悪の正しさを理解出来ないのだ。

「綺礼、とりあえずは日を改めよう。今は為すべき事がある」

 召集の手筈は既に整っている。悪逆非道のキャスターをこれ以上野放しにするわけにはいかない。

「はい、父上。申し訳ありません、余計な手間を取らせてしまい」

「何を言う。息子がようやくその心の内を明かしてくれたのだ、これに真摯にならぬ親などいまい。
 綺礼、おまえの本心、確かに聞き届けた。その在りように驚かされはしたが私はおまえの味方だ。共にその心を正していこう。おまえにも必ず見出せる筈だ、私と同じものが。他ならぬ──私の息子なのだから」

 儀式の準備へと入った父に目礼をし、綺礼は礼拝堂を辞する。
 まさか脱落した筈のマスターが堂々とこの場に居合わせていい理由などないのだから。

 客室へと戻る道すがら綺礼は考える。

 この胸の内を告解した時の父の顔、その苦渋の色の美しさに確かに心奪われた。

 これまでずっと自身と同じく主の教えを信じ、正しさと善の徒であると信じて疑わなかったが故の苦悶。
 想像すらしなかった筈だ、綺礼がこんな化物であるなどと。

 それでもこの己と向き合おうとしてくれた父の優しさ。
 その寛容。
 無私の信仰が、綺礼には酷く気持ちが悪い。

 何故こんな己を受け入れようとするのか。今まで璃正の信仰してきた世界に泥を塗ったも等しい告解を、どうして否定してくれないのか。

 それが美しいものなのか。
 綺礼の理解出来ない、人が美しいと思う心の在りようなのか。

 だとすればやはり──この己は世界と相容れない。

 その確信をより強固なものとして、綺礼はそれでも感謝した。世界に爪弾きにされた己を受け入れようとしてくれた父に。こんな自分だと知ってなお、変わらぬ愛を貫いてくれた父に。

「礼を言わせて頂きます、父上。貴方の愛は本物だった」

 そして別れを。

 ────それでもやはり、私は貴方を愛せない。

 これが言峰綺礼にとっての決別の瞬間。
 これまで苦悶の渦に囚われ続けてきた己との決別の瞬間だった。

 最早迷う事はない。道の先にあるものは見えている。ならば後はただ、この果て無き荒野を駆け抜けて、あの男に答えを問うのみ。
 苦悩の果てで答えを見つけた筈の男。そしてその答えを捨ててまでこんな愚にもつかない戦いに命を賭した男に。

 ──この執着が愛の裏返しであると言うのなら。

 それはまさに、失笑ものの荒唐無稽だ。

「まずは一つ……この誘いに乗ってくるか」

 既に布石は打ってある。
 人を嵌める事に長ける魔術師殺しの手腕を逆手に取る為の罠を。

 この誘いに乗らない筈がないという確信はある。
 あの男が綺礼の想像通りの人物であるのなら。
 何をおいても自らの信念を曲げられない、それ以外の生き方を知らないというのなら。

「さあ、私の掌の上で踊れ──衛宮切嗣」

 神聖なる教会の中で、俄かに悪意の芳香が薫り始めていた。


+++


 その信号弾が空に上がったのは、それから半刻の後だった。

 霊的仕掛けを施されたそれは魔術に精通するものにしか聞こえない音を発し天に轟き木霊した。この街に集うマスター達、そしてサーヴァント達の誰しもに聞こえるように打ち上げられたのは、召集を告げる合図である。

 事前に用意していた隠れ家の一つでこれからの準備を進めていた切嗣は当然にしてまず疑問を抱いた。

「監督役からの召集だと……?」

 そしてすぐさま答えは導き出される。

「なるほど、遠坂時臣の入れ知恵か」

 この趨勢で監督役が全マスターに召集を掛ける理由などそう多くはない。全てのマスターにとって都合が悪い状態。つまりは聖杯戦争の行く末に関わる事案が発生したと、そう読むべきだ。

 そしてその事案とは何か。最早考えるまでもない。

「キャスターの横暴」

 切嗣が他者を横暴と評するのは皮肉が過ぎるだろう。被害を考えない、という観点からみれば切嗣も同等程度には無辜の人々を犠牲にしている。
 決定的に違うのは神秘の秘匿に努めたかどうかだ。ハイアットホテル爆破時はその規模と破壊の度合いにより隠蔽は完全であった筈だ。

 でなければ今頃、切嗣こそが監督役の名の下に討伐令を出されている。

 魔術協会と聖堂教会。その両者が唯一利害の一致するものは神秘の秘匿。
 この一点のみが、水面下で闘争を繰り広げている両者をギリギリのところで繋ぎ止めている。

 それほどに神秘の漏洩は重い罪だ。度が過ぎれば聖杯戦争そのものを中止せざるを得なくなる程の。そうはさせない為の召集。あるべき闘争の形を取り戻す為に布石を打つのが狙いだろう。

「…………」

 遠坂時臣の打った一手に対し切嗣はどう対応すべきか。こちらも既に一つ手を打ってはいるがその効果が出るには今しばらくの時間が掛かる。

 それに別段、切嗣はキャスター討伐の指令に反対はしていない。むしろ他の連中が奴を討ち取ってくれるのならそれでも構わないという心積もりだ。

 とりあえずはこの召集に応じないという選択肢はない。切嗣の推測も所詮は推測。
 もしかすれば与り知らぬところで別の事件が起こり、それについての対策とも限らないのだから。

 ……そんな不測を避ける為に舞弥を街に残していたんだ、ある筈はないだろうが。

 現に舞弥からそんな通達はなかった。何よりあの森に現在存命中のサーヴァントが全て存在していた以上、有り得ない。

「いや……そういえば一騎いたな」

 アサシン。

 切嗣はこのサーヴァントが本当に消滅したとは思っていない。緒戦の夜に行われた茶番を忘れていないのだ。
 あの夜以降、これまで影も形も捕捉出来ていない。隠密に徹したアサシンを見つけ出すのは偶然という力に頼る他ない。

「アサシンは見つけられないが……そのマスターに牽制は掛けられるかもしれない」

 言峰綺礼。
 最初の脱落者。

 今なお冬木教会に保護の名目で滞在している筈の男。

 時臣と綺礼が内通しているのなら、当然その父であり監督役である璃正もまた承知している筈。これは最初から仕組まれた出来レース。遠坂時臣を勝者とすべく二人のマスターと審判が結託するゲームなのだ。

 この召集に時臣が噛んでいるのは間違いない。そしてそこに彼の描いたシナリオが存在しているとするのであれば、その破綻を目論むべき切嗣の行動は、想像の斜め上を行く事に他ならない。

「ならばここは一つ、魔術師殺しの流儀でいかせて貰うとしよう」

 時臣のシナリオを狂わせ、綺礼に対する牽制を行う。
 そんな奇策を切嗣は巡らせ実行する為、行動を開始する。

 それが誰の掌の上であるのかを、考えるまでもなく……


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 信号弾の打ち上げから更に半刻。
 静寂に閉ざされた教会内で、言峰璃正は息を呑む光景を目にしていた。

 衆目に姿を晒したがるマスターはいない。故にたとえ監督役からの召集とはいえ話を聞くだけならば使い魔で充分だと考える者が大半だ。
 わざざわ陣営の弱点たる己の身を晒す愚を犯すマスターはいない。そう思っていた。

「どうした言峰璃正神父。既にキャスター以外のマスターの目と耳は揃っているだろう。さっさと話を始めてくれ」

 そうさも面倒臭そうに言ってのけたのは無論、衛宮切嗣に他ならない。
 正道のマスターならば決して冒さない危険を、この男は当然にして踏み越える。

 この場に姿を現す利点など考えたところで一つもない。
 会談の内容を聞くだけならば使い魔で事足りるし、仮に意見が言いたいが故のものだったとしてもリスクと天秤に掛けるのならその重さは段違いだ。

 何より不可思議なのは、切嗣がセイバーを伴っていない点に尽きる。

 姿を晒す事に何かしらの意図があろうとも、己がサーヴァントを連れていないというのは誰にとっても理解出来ない事柄だ。
 今の切嗣はどうしようもない程の無防備。背中を自ら曝け出しているも同義だ。

 仮に今から他のマスター達がこの教会に向けてそれぞれのサーヴァントを刺客として放ったのならば、その首は容易に討ち取れるだろう。

 悪辣なやり口を主とする魔術師殺し。
 真っ当な戦闘では無類の強さを発揮するセイバー。
 この強力無比なコンビを倒す絶好の好機。

 だが同時にその行動への警戒は余りある。

 何かの罠ではないか。姿を見せ、背中を晒し、そして最優の剣を手にせずとも、何ら問題はないという何かしらの確信が、あの男にはあるのではないか。
 あるいはその晒した背を狙い撃つ瞬間にこそ、こちらの背が狙われる事になるのではないか……

 衛宮切嗣という男を知れば知るほどに警戒心と猜疑の念は鼠算式に増えていく。

 相手のリスクに付き合いこちらもリスクを背負う必要はない。今はそう、静観こそが最善ではなくとも無難な一手だ。

 この男と見えるのなら、相手の土俵に上がっては勝ちを拾えない。そう評したのは確か遠坂時臣だったか。その理屈を今、ウェイバーもまた感じている事だろう。

 切嗣は自らの身を晒す事で逆に安全を手に入れた。魔術師殺しという異名、これまでの実績のみで他のマスターの行動を封殺してのけたのだ。

 切嗣に唯一不確定要素があるとすれば、この教会の何処かに身を潜めている言峰綺礼の存在。その牽制の為わざわざ教会に足を運んだが、この結果がどう展開するのか、その先までは読み切れていない。

「では、此度の召集についての話をさせて貰う」

 その内容は概ね切嗣の予想の通りだった。

 神秘の漏洩を省みないキャスターとそのマスターの討伐を当面の最優先事項とする事。
 その為それ以外のマスター同士の戦闘は原則として禁止する。
 そしてキャスター討伐の褒賞として、監督役が所有する未使用令呪の一画を譲り受ける事が出来る。

「何か質問があれば受け付けよう」

 この場で人語を発せられる存在は璃正と切嗣のみだ。

 使い魔とは言うなればテレビやカメラのようなもの。遠くの景色を見る事は出来るし現地の音を聞く事もできる。ただしこちらの声は届かないし、匂いに関しても感じる事は不可能だ。

 見る事と聞く事。それ以外の機能の全てをシャットアウトした存在。それが使い魔と呼ばれるもの。
 故に使い魔越しにこの教会の中を見ていたほかのマスターには、その異常を感知する事が出来なかった。

「いや、特にはない」

 事務的にそう返答した直後、切嗣の鼻腔を擽ったのは甘い香り。脳髄を刺激する、劇薬めいた倒錯感だった。

「…………っ!?」

 即座に口と鼻を塞ぎ信徒席から立ち上がる。そして匂いの発生源を探して視線を彷徨わせる。いや、そうしようとした刹那────

「ハァ────ッ!」

 圧倒的な踏み込みからの一撃。内臓を破壊するに足る必殺の奇襲が切嗣の身体を捉えた。

「……がっ──!」

 予期せぬ一撃。よもや敵だとすら認識していなかった言峰璃正からの攻撃により、切嗣は無様に壁に叩き付けられ喀血した。

「────」

 無言のままに息を整える璃正。彼が何故いきなり切嗣に襲い掛かったのか、その真実を知る者はこの場にはいない。そしてその理由さえも。

「……やってくれる」

 ガラガラと崩れ落ちる壁面から身体を起こし、目の前に現れた『敵』を認識する。

 とても高齢とは思えぬほど引き締まった肉体。八極拳と思しき体術の型には素人目から見ても一切の狂いがない。
 身体の芯は揺るがぬ直線を描き、指先の動き一つとっても無駄がない。鍛え、洗練された型。お手本よりもなお教本となる見本にして基本の究極。

 基礎の基礎を鍛え極める事は何事にも通ずる至天への確かな道だ。言峰璃正はまさにその体言。一糸乱れぬ型は基本に忠実であり完全。ならば当然、その型より生まれる剄は同様の威力を発揮するだろう。

「……まさか立ち上がるとはな。一撃で仕留めるつもりで打ったのだが」

「生憎とそう簡単に倒れるつもりはないのでね。僕を仕留めたいというのなら、まずはこの心を折って見せろ」

 胸元より引き抜くは魔術殺しの愛銃。その照準はぶれる事無く璃正の胴に狙いをつけている。

「先に仕掛けて来たのはそっちだ。ならばこれは、正当防衛だろう」

 構えられた銃。構えられた拳。互いに一瞬の隙を探り合う、緊張の刹那。

「父上────!」

 先の一撃による物音を聞き、駆けつけたのだろう綺礼が祭壇の裏より姿を見せる。同時、璃正の意識がそちらに一瞬だけ逸れる。
 引き金に掛けられた切嗣の指は、敵と定めた者の秒にも満たない隙を当然のように衝き、死へと誘う弾丸を撃ち出した。

「がっ……、は、ぁ────」

 そして決着は一瞬。撃ち出された弾丸は過たず璃正の心臓を貫いた。

 璃正の型は完璧であれど戦闘に適していない。あくまで礼に則ったものであり、修める事を目的としたもの。
 先の一撃は切嗣が無防備であったからこそ決まったものであり、互いに敵と認識しあっての戦闘行為においてその型に微塵の有効性もない。

 何より璃正は戦場を知らない。傍で見つめた事や体験した事はあっても、実際に命を掛けての死闘に臨んだ事などないのだ。
 彼はあくまでも神の信徒。何かを殺める事を忌避する者。信仰の裏にある教義を黙認してはいても、自身がそれを為す事を嫌っている。

 誰よりも、そして何よりも信仰に身を置く者。それが言峰璃正であり──それ故に、戦場の機微を理解せぬが故に、こんな予期せぬ争いによりその命を落とした。

「父、うえ……」

 仰臥した璃正の元へと駆け寄る綺礼。璃正の僧衣は今や赤黒く染まっている。魔術の門扉を叩き身につけた治癒魔術とて、死の確定した者を救う事は出来ない。

「き、れい……」

「父上っ! まだ意識が──」

「すまぬ綺礼……儂はおまえの苦悩を、知る事すら、出来なかった」

 知ろうとすらしなかった。誰よりも敬虔に信仰を学び、誰よりも過酷に試練に耐え抜いた綺礼の煩悶を、璃正は息子が告白してくれるその時まで知る事が出来なかった。
 目に映るものだけを真実とし、息子の心の内にあるモノについて微塵の関心も寄せられなかった。苦悩する綺礼に、手を差し伸べる事が出来なかった。

 ──それが悔しいと、璃正は死に行く身体で息子に告解した。

 言峰璃正は命散らすその時まで。
 息子の身を案じた父のまま、その息を引き取った。

 その最期に。
 息子の力になれるようにと、せめてもの遺言を残して……

「…………」

 自らの指先が撃ち落とした撃鉄により、命を奪った父を抱く息子を見る切嗣。その胸の内に渦巻く猜疑の念は消えていない。むしろより強くなっている。

 何故璃正は乱心した。乱心する直前、感じた匂いと関連性があるのか。そんな疑問を浮かべている間に、綺礼は父の亡骸を横たわらせ、立ち上がった。

「……今この場に集うマスター達に、告げておかなければならない事がある」

 綺礼は何事かを呟き、直後その右腕が赤く煌き輝いた。同時に璃正の腕もまた輝きを満たし、その力強さはやがて綺礼の右腕へと移っていった。

「父璃正はその最期に私に遺言を残し、監督役の権限を委譲された」

 僅かに袖をめくり、綺礼はびっしりと腕に描かれた赤い紋様──十数画に及ぶ令呪の証をこの場にいる者達に見せ付けた。

「これがその証である余剰令呪だ。キャスター討伐の折に諸君に賜れるものでもある。
 私は父璃正の跡を継ぎ、この第四次聖杯戦争(ヘブンズフィール4)における監督役代行を担う事を、この場を借りて宣言する」

 綺礼は表向き既にサーヴァントを失ったマスターだ。その手に令呪の輝きもなく、教会に保護されているだけの元マスターに過ぎない。ならば綺礼が父の跡を継ぎ、監督役に納まるというのも無理からぬ話だ。

 ……当然それが全て事実であったのなら、という前提付きだが。

「父の跡を継ぐ以上、まずは父が最期に発令したキャスター討伐の任を、引き続き続行とする。諸君らは褒賞の為、そして神秘の秘匿に携わる者として、彼の者を討つべく行動して欲しい。
 何か質問があれば受け付けるが……?」

 そして綺礼は此処でようやく、切嗣の目を直視した。

「…………っ」

 切嗣に紡ぎだせる言葉はない。綺礼は間違いなく未だアサシンを従えている。だがその証拠はない。先の余剰令呪を見せられた時も、仮にその中にアサシンを従える為の令呪が存在していたとしても切嗣には分からない。

 アサシンを討った夜に追走劇を演じたものの、切嗣が見たのはほとんどが後姿。それも切迫する状況下であったのだから、わざわざ相手の手の甲にある令呪など一々確認している時間などなかったのだ。

 言峰璃正の乱心が綺礼の仕業であり。
 アクシデントに見せかけて切嗣に璃正を殺させる手筈であったのだとすれば。
 そして璃正の後釜に自分が座る為の、全てが猿芝居であるというのなら──

 ──やられた。今回ばかりは完全に僕の負けだ。

 綺礼は切嗣の行動を読み利用し、唯一人この招集に応じるマスターだと踏んでこの策を講じた。如何なる仕掛けにより璃正を狂わせたのかは知らないが、そんなものはどうでもいいのだ。

 結果として璃正は狂い切嗣の手に討たれ、綺礼は難なく監督役という立場を手にした。未だサーヴァントを従えるマスターのままに。

 利用された切嗣は、最早臍を噛むしかない。

 だからせめて、皮肉を込めて言ってのける。

「……ここは中立を謳う冬木教会だ。そこで戦闘行為に及んだ僕に対する制裁は?」

「ない。これらは全てアクシデントに過ぎない。監督役の殺害を目的として招集に応じたのなら別だが、先に仕掛けたのは父の方だろう。ならば当然、その被害者に対する罰則など設けられる筈がない」

「…………」

 視線に込めた殺意を、綺礼は軽く受け流す。
 それはまるで、まだ我らの雌雄を決する時ではないだろうと、そう告げているかのようだった。

「他に質問事項がなければこれで解散とする。諸君の健闘を祈る」

 引き上げていく使い魔たちの気配。
 そして切嗣もまた教会を去る。

 この場で出来る事はもうない。完全にしてやられた以上、この上更にあの男の掌で踊ってやる謂れはないのだから。

 ただしこれで、綺礼同様切嗣もまた己が敵を見定めた。

 最初に警戒すべきと断じ、これまでもその疑いを常に続けてきた因縁の相手。

 その身に何一つ情熱を宿す事無く、何かを探し続けている男。
 あの男こそが切嗣の敵。聖杯を手にしようとするのなら、必ず超えなければならない仇敵であると見定めた。

 これより紡がれる策の全ては、あの男と再び見える為のもの。
 未だ残る他のマスター全てを駆逐したその先にこそ、奴との再会が待っている。

 そう切嗣が感じたように、綺礼もまた感じている筈だ。

 何処までも決定的に違いながら、違うが故に二人は惹かれ合う。太陽と月、白と黒、背中合わせの鏡のように。

 ──いいだろう、言峰綺礼。おまえとの決着は聖杯の目前で。
   余計な邪魔の一切入らない、その刻限にて雌雄を決しよう。

 その決意と共に魔術師殺しは道を往く。
 此処に最悪のタッグが完成する。
 共に再会を呪い願う、正義と無道が無意識の共闘により、他の全てを消し去る為に動き出した。













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